渡部 恒三(わたなべ こうぞう、1932年〈昭和7年〉5月2… 渡部 恒三(わたなべ こうぞう、1932年〈昭和7年〉5月24日 - 2020年〈令和2年〉8月23日)は、日本の政治家。元の姓名は、渡部 恒蔵(読み同じ)。正三位、勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(14期)、衆議院副議長(第60・61代)、厚生大臣(第63代)、自治大臣(第39代)、国家公安委員会委員長(第49代)、通商産業大臣(第53代)、自由民主党国会対策委員長(第32代)、新進党政務会長(第2代)兼国会運営委員長(第2代)、同総務会長(初代)、無所属の会代表(第3代)、民主党国会対策委員長(第11代)、同最高顧問、復旦大学経済管理学院名誉教授などを歴任。自由民主党所属時は竹下派七奉行の1人だった。
井上 喜一(いのうえ きいち、1932年〈昭和7年〉5月24… 井上 喜一(いのうえ きいち、1932年〈昭和7年〉5月24日 - 2010年〈平成22年〉12月16日)は、日本の農林官僚、政治家。位階は従三位。本名は井上 喜一(いのうえ よしかず)。 衆議院議員(7期)、内閣府特命担当大臣(防災)(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、社団法人日米平和・文化交流協会理事などを歴任。 兵庫県加西市玉丘町出身。兵庫県立小野高等学校、東京大学法学部卒業。東大卒業後、農林省へ入省した。 農林水産省では大臣官房審議官、統計情報部長、構造改善局長を歴任。また一時期、農水省の外局にあたる水産庁で海洋漁業部長を務め、対米・対ソ漁業交渉に臨んだ。 1986年7月、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧兵庫3区から立候補し、初当選。
三嶋 唯義(みしま ただよし、1932年5月24日 - 19… 三嶋 唯義(みしま ただよし、1932年5月24日 - 1997年1月12日)は、日本の哲学者。 鳥取県倉吉市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。1965年京都産業大学助教授、1970年教授。フランス哲学を専攻。 1997年、呼吸不全のため死去。
阿部 良雄(あべ よしお、1932年5月23日 - 2007… 阿部 良雄(あべ よしお、1932年5月23日 - 2007年1月17日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 東京に生まれる。東京大学文学部仏文科卒業、同大学院修了。フランス政府招聘留学生として高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリユール)に学び、パリのCNRS(国立科学研究センター)研究員、東洋語学校講師として長くパリに滞在。その間、中央大学助教授の職も経験。1970年より東京大学教養学部助教授、1976年教授。1993年定年退官後は上智大学教授。同大学を退任後は、帝京平成大学文化情報学科教授。 ボードレール研究の第一人者で、『ボードレール全集』の個人完訳を刊行、『シャルル・ボードレール 現代性の成立』で博士号取得、和辻哲郎文化賞、日仏翻訳文学賞受賞。
上野 卓哉(うえの たくや、1932年5月23日 - 202… 上野 卓哉(うえの たくや、1932年5月23日 - 2024年7月19日)は、日本の経営者。東北放送社長を務めた。 東京都目黒区出身。1956年に東北大学文学部西洋学科を卒業し、同年に東北放送に入社。1988年6月に取締役、1994年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1998年10月に社長に就任。2005年4月に取締役相談役に就任。 2006年4月に旭日小綬章を受章。 2024年7月19日、老衰のため仙台市内の高齢者用医療ケア施設で死去。92歳没。
鈴木 亨(すずき とおる、1932年5月23日 - 2011… 鈴木 亨(すずき とおる、1932年5月23日 - 2011年8月7日)は、日本の歴史家。 福島県生まれ。早稲田大学仏文科卒。人物往来社出版部長、秋田書店第一出版部長、『歴史と旅』編集長を務め、在職中から歴史読み物を執筆した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
吉村 益信(よしむら ますのぶ、1932年5月22日 - 2… 吉村 益信(よしむら ますのぶ、1932年5月22日 - 2011年3月15日)は、昭和後期に活動した美術家。大分県大分市出身。1960年に登場した過激な前衛芸術集団「ネオ・ダダ」の発案者であり、主宰者。 実家は大正初期創業の医薬品卸売の吉村薬品という裕福な環境で育つ。大分第一高等学校(現在の大分県立大分上野丘高等学校)在学中の17歳のときに河北倫明が著した青木繁の画集を見て美術にのめり込む。昼は学校の美術室に、夜は地元大分の画材店キムラヤの美術サークル「新世紀群」で活動した。ここには、同郷の磯崎新、赤瀬川隼(両者は同じ高校の1年先輩)風倉匠らが集っていた。当時から鷹揚で人をひきつけ、親分肌で面倒見がよくスポーツ万能。
福本 秀子(ふくもと ひでこ、1932年5月22日 - )は… 福本 秀子(ふくもと ひでこ、1932年5月22日 - )は、フランス語の翻訳家、歴史家。 横浜市出身。1955年慶應義塾大学経済学部卒。1971年京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。パリ大学法経学部博士課程修了(フランス政府給費留学)。フランス語で日本史紹介の本『女と侍』などを刊行。駐日フランス大使ド・ラ・シュバルリの日本語家庭教師も務めた。夫は福本直之。
平野 友明(ひらの ともあき、1932年(昭和7)5月20日… 平野 友明(ひらの ともあき、1932年(昭和7)5月20日 - 2017(平成29)年12月22日)は日本の実業家。三菱銀行代表取締役専務や、日本信託銀行の社長、会長等を歴任した。 島根県出身。1957年に一橋大学経済学部を卒業し、三菱銀行に入行。入行後は労働組合の委員長を務めたほか、1978年から2年間は、経営不振により無配に転落していた三菱金属(現三菱マテリアル)に出向し、同社の経営再建に尽力した。その後三菱銀行に戻り、業務企画部副部長、渋谷支店長、総合企画部長、代表取締役常務等を経て1993年5月に三菱銀行代表取締役専務に就任。 1994年8月、バブル景気時に行った不動産向け融資などの焦げ付きにより経営不振が続いていた日本信託銀行の社長に就任。
山下 博之(やました ひろゆき、1932年(昭和7年)5月2… 山下 博之(やました ひろゆき、1932年(昭和7年)5月20日 - 2016年(平成28年)9月2日)は、日本の国文学者。元四国大学短期大学部教授。早稲田大学第一文学部卒業。徳島県三好市出身。 早稲田大学第一文学部卒業。徳島新聞の記者や雑誌編集を経て高校の国語教師、徳島県立阿南工業高等学校校長を務めた。 1990年に徳島県文化の森総合公園へ移転オープンした徳島県立図書館の初代館長に就任。その後、四国大学で国文学史などを教え、2008年に顧問教授を最後に退職した。また高校教師の頃から徳島ペンクラブで活動しており、2007年から6年間、同クラブの会長を務めた。 長年にわたり阿波人形浄瑠璃や海野十三の研究を行っており、1992年に発足した「海野十三の会」の会長として文学碑の建立や企画展など海野の再評価に尽力した。
守屋 洋(もりや ひろし、1932年5月19日 - )は、日… 守屋 洋(もりや ひろし、1932年5月19日 - )は、日本の中国文学者。SBI大学院大学教授。 宮城県気仙沼市出身。宮城県気仙沼高等学校、東京都立大学 (1949-2011)卒業、同大学院中国文学科修士課程修了。中国古典の翻訳、またこれに基づくビジネス書を多く執筆。SBI大学院大学経営管理研究科教授。中国文化評論家の守屋淳は子。みなと気仙沼大使。
佐藤 成順(さとう せいじゅん、1932年5月19日 - 2… 佐藤 成順(さとう せいじゅん、1932年5月19日 - 2018年12月14日)は、仏教学者、大正大学名誉教授。 東京府荏原郡品川町(後に品川区)生まれ。1956年、早稲田大学文学部東洋哲学科卒。1959年、同大学院文学研究科修士課程修了。1965年、大正大学大学院文学研究科博士課程満期退学。大正大学講師、助教授、教授。1994年「中国浄土教思想史の研究」で大正大学文学博士。2003年定年退任、名誉教授。浄土宗勧学。三康文化研究所研究員。中国仏教が専門。2018年12月14日没。墓所は新馬場の願行寺。
吉岡 郁夫(よしおか いくお、1932年5月19日 - )は… 吉岡 郁夫(よしおか いくお、1932年5月19日 - )は日本の解剖学者で民俗学者・人類学者。日本民俗学会会員、名古屋民俗研究会会員。自然科学と民俗学・文化人類学をテーマに多彩な調査・執筆活動をおこなっている。 広島県福山市出身。1958年に広島大学医学部を卒業後、名古屋大学医学部解剖学研究室大学院に進んで修了し、1966年に医学博士の学位を取得した。 愛知医科大学教授、愛知学院大学教養部教授を務め、1998年に退職した。この間の1978年に、明石原人を世界各地より出土した猿人、原人、旧人、新人の化石骨と比較して、旧人または現世人類の骨だと鑑定した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
石黒 大山(いしぐろ たいざん、1932年5月19日 - )… 石黒 大山(いしぐろ たいざん、1932年5月19日 - )は、日本の実業家。東海テレビ放送元社長。富山県射水市出身。 1955年に早稲田大学政治経済学部卒業。同年に中部日本新聞社に入社した。 1976年に東海テレビ放送に転じ、報道局長、取締役、常務、専務を経て、1997年6月から副社長に就任し、2001年6月に社長に昇格した。2007年6月から会長に就任した。 その一方で、富山テレビ放送取締役、石川テレビ放送取締役、ナゴヤドーム取締役、フジ・メディア・ホールディングス取締役、フジテレビジョン取締役などを歴任した。 2008年11月旭日中綬章受章。
竹下 守夫(たけした もりお、1932年5月18日 - )は… 竹下 守夫(たけした もりお、1932年5月18日 - )は、日本の法学者、弁護士。専門は民事手続法。一橋大学名誉教授、学校法人駿河台大学顧問、日本学士院会員。法務省特別顧問。社団法人商事法務研究会理事。
栗田 翠(くりた みどり、1932年5月17日 - )は日本… 栗田 翠(くりた みどり、1932年5月17日 - )は日本の教育者・政治家であり、元衆議院議員(日本共産党公認、3期)、日本共産党中央委員会委員、同名誉幹部会顧問等を務め、新日本婦人の会に所属する人物である。 東京都出身。静岡大学文理学部卒業。公立中学校の教師を経て、静岡県高教組書記や共産党県副委員長などを歴任した後、1972年の衆院選で静岡1区から出馬し初当選。その後衆議院議員を3期務めた。 1972年、第33回衆議院議員総選挙 静岡1区 -当選。1976年、第34回衆議院議員総選挙 静岡1区 - 落選。1979年、第35回衆議院議員総選挙 静岡1区 - 当選。1980年、第36回衆議院議員総選挙 静岡1区 - 当選。
石川 哮(いしかわ たける、1932年5月16日 - 200… 石川 哮(いしかわ たける、1932年5月16日 - 2008年8月19日)は、日本の医学者。熊本大学名誉教授。日本アレルギー学会理事長。ジャズ・ドラマーの石川晶は実弟。薬剤師の上仲小玲は実娘。フューチャーキッズ・プロジェクト代表でナイロビ・ケニア在住報道取材のコーディネーターの石川和博は甥。 東京府出身。千葉大学医学部卒業。千葉大学大学院医学研究科博士課程修了後、1965年千葉大学医学博士 論文の題は「Wegener氏肉芽腫症及びその類似疾患の血清学的研究 」。 ニューヨーク州立大学バッファロー校にて医学博士号取得。熊本大学耳鼻科教授を長く務め、1998年定年退職、同名誉教授。その後は医療法人聖十字会九州アレルギー・免疫センター副センター長、日本アレルギー協会九州支部長・学会理事長などを歴任。
江橋 照雄(えばし てるお、1932年 <昭和7年> 5月1… 江橋 照雄(えばし てるお、1932年 <昭和7年> 5月16日 - 1999年 <平成11年> 6月13日)は、小学校教諭。元全国幼稚園長会会長で、道徳読本「手品師」の作者。第一人者として道徳教育における役割演技の重要性を訴えた。位階は従六位。勲五等瑞宝章。 1932年、東京都に生まれ、1955年、東京学芸大学を卒業した。その後、小学校教諭、校長職を歴任し、玉川大学講師となった。1999年死去。死没日付をもって従六位に叙され、勲五等瑞宝章を追贈された。 娘は、元山形放送アナウンサーの江橋摩美。
長須 祥行(ながす しょうぎょう、1932年5月16日 - … 長須 祥行(ながす しょうぎょう、1932年5月16日 - 1993年2月10日)は、日本の農業評論家。 茨城県出身。日本大学卒。学生時代に一時期渋沢秀雄家の書生をしていた。 大学卒業後、東宝に入社するが、百里基地反対運動に呼応し帰郷。地方新聞『新茨城』やタウン誌、労組機関誌の記者を経て、1965年フリーの評論家となる。 茨城県土浦市に住み鹿島臨海工業地帯の開発理念「農工両全」を告発、三里塚闘争で農民の側に立った。 吉祥太郎の名を使ったこともある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
菊地 浩吉(きくち こうきち、1932年5月16日 - )は… 菊地 浩吉(きくち こうきち、1932年5月16日 - )は、日本の医学者。専門は、免疫学・人体病理学・実験腫瘍学・がん免疫学。がん細胞・免疫の研究で多数の論文を発表、がん研究の第一人者とされる。学位は、医学博士。札幌医科大学名誉教授。元同大学学長を歴任。 自己のがん細胞に対するがん患者の免疫反応の存在を細胞および分子レベルで証明した。 免疫によるがん細胞破壊が、Tリンパ球を主とする多種の免疫細胞及びその情報伝達分子(サイトカイン)によって起こることを、動物実験のみならず人がんについても立証した。多くの抗ヒトリンパ球モノクローナル抗体を開発し、リンパ腫、白血病の分類、診断、治療に応用した。例えばCD20は白血病の治療に評価が高い。
加藤 栄一(かとう えいいち、1932年(昭和7年)5月15… 加藤 栄一(かとう えいいち、1932年(昭和7年)5月15日 - 2022年(令和4年)5月24日)は、日本の歴史学者。 1955年埼玉大学文理学部卒。1962年東京大学大学院国史学科博士課程中退。東京大学史料編纂所入所、1965年助手、1979年助教授、1985年教授、1993年定年退官。新潟産業大学教授、人文学部長。1994年「幕藩制国家の形成と外国貿易」で東大文学博士。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
村中 祐生(むらなか ゆうしょう、1932年5月15日 - … 村中 祐生(むらなか ゆうしょう、1932年5月15日 - 2010年10月11日)は、中国仏教思想、天台教観思想の研究者。大正大学学長・天台宗勧学大僧正。天台宗慈照院(群馬県前橋市)第53世住職。 群馬県出身。大正大学大学院仏教学博士課程満期退学。大正大学仏教学部助教授、教授、学長。2006年「天台法華宗の研究」で大正大学仏教学博士。
岡島 一夫(おかじま かずお、1932年(昭和7年)5月15… 岡島 一夫(おかじま かずお、1932年(昭和7年)5月15日 - 2003年(平成15年)4月12日)は、日本の政治家。愛媛県今治市長。位階は正五位。 早稲田大学政治経済学部卒業。 代議士の秘書を経て、1971年に愛媛県議会議員に立候補し初当選を果たした。県議会議員3期目の途中で議員を辞職し、1981年に今治市長選挙に立候補した。市長選挙では現職の羽藤栄市を破り、初当選を果たした。 市長時代には学校給食での自校方式導入や下水道の普及、今治駅周辺の鉄道高架事業、今治港富田地区の整備などを進めた。 今治港富田地区の整備では織田が浜の埋立を巡って住民から反発の声が起こり、反対住民が公金支出差し止めを求め1984年に提訴した。
保田 博(やすだ ひろし、1932年5月14日 - )は、日… 保田 博(やすだ ひろし、1932年5月14日 - )は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官、初代国際協力銀行総裁。 広島県呉市(江田島)出身。父は呉海軍工廠技官。呉市立二河国民学校を経て、呉第一中学校(のちの呉三津田高校)入学。高校時代テニス選手で広島県ベスト4だったが、肋膜炎を患い高校3年夏に休学。翌年、留年に直面し下級生の組に編入されるのがイヤで都立日比谷高校の編入学試験に挑戦し合格した。日比谷高へ転校した後、東京大学文一入学。 東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業後、法学部第1類(私法コース)へ内部学士入学し、国家六級職試験を通り、1957年、大蔵省入省。入省同期に、次官候補のライバルだった的場順三(内閣官房副長官、国土事務次官、内閣官房内閣内政審議室長)、内海孚(財務官)、森田一(衆議院議員、運輸大臣)、大山綱明(日本関税協会理事長、全国清涼飲料連合会会長、関税局長)、中田一男(OMCカード会長、北海道開発次官)、亀井敬之(泉州銀行頭取、大臣官房審議官)、山崎高司(日本総研副理事長、IMF理事、駐英公使)など。
小野 拓(おの ひろし、1932年5月14日 - )は、福島… 小野 拓(おの ひろし、1932年5月14日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手。
森本 雅樹(もりもと まさき、1932年5月14日 - 20… 森本 雅樹(もりもと まさき、1932年5月14日 - 2010年11月16日)は、日本の天文学者。専門は、電波天文学。数学者・森本清吾、森本治枝の次男。実業家・教育家の深沢利重の孫。弟は西洋史学者の森本芳樹。
佐原 健二(さはら けんじ、本名:加藤 正好(かとう まさよ… 佐原 健二(さはら けんじ、本名:加藤 正好(かとう まさよし)、1932年(昭和7年)5月14日 - )は、日本の俳優。佐原プロモーション社長。
水越 敏行(みずこし としゆき、1932年5月13日 - 2… 水越 敏行(みずこし としゆき、1932年5月13日 - 2019年1月1日)は、日本の教育学者、大阪大学名誉教授。教育工学、メディア教育、情報教育に取り組む。三重県桑名市出身。 1955年三重大学農学部卒業。1958年名古屋大学教育学部卒業。1960年名古屋大学大学院教育学研究科修士課程修了。1963年名古屋大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。1975年「発見学習の研究」で教育学博士の学位を取得。 1963年金城学院大学講師、1965年大阪音楽大学助教授、1969年金沢大学教育学部専任講師、翌1970年助教授、1975年大阪大学人間科学部助教授、1981年教授、名誉教授。1995年関西大学総合情報学部教授、1996年学部長、1997年日本教育工学会会長、2003年定年退職、関西大学全学共通教育推進機構特別顧問。
中野 幸一(なかの こういち、1932年5月13日- )は、… 中野 幸一(なかの こういち、1932年5月13日- )は、日本の国文学者。専攻は平安文学。学位は、文学博士。早稲田大学名誉教授。 神奈川県生まれ。1956年、早稲田大学第一文学部文学科国文学専修卒業。1958年、同大学大学院文学研究科修了、早稲田大学付属高等学院講師。1961年、同大学院博士課程修了、早稲田大学教育学部助手。1966年、同専任講師、1970年助教授、1975年教授。1979年、「うつほ物語の研究」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。2003年、定年退職、名誉教授。 文部省大学設置・学校法人審議会専門委員をはじめ、センチュリー財団理事、早稲田大学評議員などを務めた。 自身の研究で大きな部分を占める源氏物語に関係する資料を中心に、多くの資料を個人収集し、「九曜文庫」と呼んでいる。
大内 恭平(おおうち きょうへい、1932年5月12日 - … 大内 恭平(おおうち きょうへい、1932年5月12日 - 2024年12月27日)は、日本の政治家。千葉県銚子市長(2期)を務めた。 生家である大里家は、明治初年に現在の茨城県那珂市から銚子に移住し、豪商として知られていた。後に第2代銚子市長になった大里家の当主であった父・第11代大里庄治郎と、母・なか の次男として生まれ、馬越恭平にあやかって名づけられた恭平は、3歳で母方の縁戚にあたる大内家に養子として入った。 銚子市立銚子高等学校を経て、慶應義塾大学文学部に進んだが、2年の時に法学部政治学科に移った。大学卒業後は、日本通運に入社し、1959年(昭和34年)まで勤務した。1960年(昭和35年)から実家が経営する銚子通運に常務として入社、1964年(昭和39年)に、銚子通運の新生支店跡を本社として大丸タクシーを開業、1965年(昭和40年)2月に銚子ロータリークラブに参加し、以降、主に銚子東ロータリークラブによってロータリークラブ活動に関わった。
志村 豊志郎(しむら としろう、1932年〈昭和7年〉5月1… 志村 豊志郎(しむら としろう、1932年〈昭和7年〉5月12日 - 2014年〈平成26年〉2月23日)は、日本の政治家。東京都練馬区長(3期)。 東京府東京市板橋区中村町(後に練馬区に分区)生まれ。東京都立豊多摩高等学校、青山学院大学経済学部商学科卒業。 1955年練馬区役所に入庁し、1981年企画部長、1983年議会事務局長、1987年企画部長、1989年総務部長、1993年練馬区都市整備公社理事長、1996年常勤監査委員を経て、1999年に助役。 岩波三郎区長(当時)の引退表明を受け、2003年2月12日に助役を辞職、後継候補として自民党の推薦と公明党の支持を得て4月27日の練馬区長選で初当選。
池西 増夫(いけにし ますお、1932年5月12日 - )は… 池西 増夫(いけにし ますお、1932年5月12日 - )は、愛媛県西条市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは捕手。 西条高校では、3番捕手として活躍し、藤田元司とバッテリーを組むが、甲子園への出場を果たすことはできなかった。卒業後には関西大学に入学する。 大学卒業後は社会人野球の電電近畿チームに入団する。1959年から監督を務め、1965年の都市対抗野球では決勝で住友金属を破り、チームを優勝に導いた。同年の中南米遠征の全日本メンバーの監督も務めた。 佐伯達夫の勧めにより、1967年から1988年まで日本放送協会で高校野球解説者を務めた。 現在は実家の和菓子屋の店主を務めている。
春田 博(はるた ひろし、1932年5月11日 - )は、元… 春田 博(はるた ひろし、1932年5月11日 - )は、元シチズン時計株式会社相談役。 1932年石川県金沢市生まれ。 金沢大学金沢高等師範学校附属高校(現・金沢大学附属高等学校)特別科学学級を経て、1956年に早稲田大学第一理工学部機械科卒業、同年シチズン時計入社。精機事業部次長、常務取締役精機事業本部長、代表取締役副社長などを経て、1997年6月から2002年6月まで社長を務める。取締役相談役を経て2005年6月から現職。 2004年4月、旭日中綬章受章。
井上 和衛(いのうえ かずえ、1932年5月11日 - )は… 井上 和衛(いのうえ かずえ、1932年5月11日 - )は、日本の農学者、明治大学名誉教授。都市農村交流活性化機構理事、全国農村青少年教育振興会理事、オーライ!ニッポン会議運営委員。 東京都生まれ。1957年東京教育大学農学部卒業。1985年「農業「近代化」と労働力」で明治大学経営学博士。労働科学研究所勤務、同社会科学研究部長、明治大学農学部教授、農学部長、2003年定年退任、名誉教授。
川那部 浩哉(かわなべ ひろや、1932年5月10日 - )… 川那部 浩哉(かわなべ ひろや、1932年5月10日 - )は、日本の生物学者。京都大学名誉教授。滋賀県立琵琶湖博物館前館長(名誉学芸員)。専門は群集生態学、動物社会学。理学博士(京都大学 , 1960年)。 京都市出身。1948年(昭和23年)京都府立第二中学校を卒業、1951年(昭和26年)京都府立鴨沂高等学校を卒業後、京都大学理学部に入学。宮地傳三郎教授を師事し、動物学と生態学を学んだ。 1960年、京都大学の助手に任官。その後、1967年に助教授、1977年に教授に昇任。1996年に教授を退官後、滋賀県立琵琶湖博物館館長に就任した。2010年に滋賀県立琵琶湖博物館館長を退任。 淡水生物の生態を主に研究。
山形 英夫(やまがた ひでお、本名:新国英夫。1932年5月… 山形 英夫(やまがた ひでお、本名:新国英夫。1932年5月10日 - )は、日本の歌手である。本名の新国英夫の表記もある。
加茂 公成(かも こうせい、1932年5月10日 - 201… 加茂 公成(かも こうせい、1932年5月10日 - 2017年1月6日)は、東京都目黒区出身の男子テニス選手。1955年の全米選手権男子ダブルスで宮城淳とペアを組んで優勝し、日本人のテニス選手として唯一の4大大会男子ダブルス優勝者になった名選手である。父・国夫の指導で自宅コートで育った加茂4姉弟の末っ子。早稲田大学卒業。三井物産勤務を経て,テニスコンサルタント会社を経営。身長171cm、体重70kg。 加茂家は有名なテニス一家であり、姉の加茂幸子と兄の加茂礼仁(れいじん)も第2次世界大戦終戦直後の日本を代表する名選手であった。「公成」という名前は、フランスの往年の名選手アンリ・コシェにちなんで命名されたものである。
大崎 三男(おおさき みつお、1932年5月9日 - 没年不… 大崎 三男(おおさき みつお、1932年5月9日 - 没年不明)は、東京都出身のプロ野球選手(投手)。 明治高校では、エースとして1950年の春夏の甲子園に連続出場。春の選抜は1回戦で彦根高の中川和俊(のち毎日)と投げ合いを完封勝利、続く準々決勝で北野高に乱打戦の末に敗退。夏の選手権は2回戦(初戦)で北海高に敗れる。この時の監督は、後に大学野球監督として著名となる島岡吉郎である。1年下のチームメートに右翼手の沖山光利がいた。 明治大学に進学し、同学硬式野球部に所属。高校の野球部監督だった島岡も同時期に明治大学硬式野球部へと移っている。しかし1953年に退部し、大学も中退。この退部の原因は、1年後輩の秋山登がエースとして起用されるようになったことに対する不満とも、監督である島岡吉郎との確執とも言われている。
廣瀬 清(ひろせ きよし、1932年5月9日 - 2023年… 廣瀬 清(ひろせ きよし、1932年5月9日 - 2023年9月16日)は、日本の経営者。日本火災海上保険社長を務めた。 山梨県甲府市出身。1955年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本火災海上保険に入社。1988年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年2月に社長に就任。1998年7月に取締役相談役に就任。 2023年9月16日老衰のために死去。91歳没。
神吉 敬三(かんき けいぞう、1932年5月8日 - 199… 神吉 敬三(かんき けいぞう、1932年5月8日 - 1996年4月18日)は、日本の美術史家。上智大学名誉教授。専攻は16世紀のバロック期(スペイン黄金時代美術)からパブロ・ピカソに至るスペイン美術史。 山口県下関市長府町生まれ。浦和市(現さいたま市)に転居し、1948年(昭和23年)埼玉県立浦和高等学校を卒業、1956年上智大学経済学部を卒業。在学中に聖イグナチオ教会で受洗し、カトリック信者となる。同年から1959年までスペイン政府給費留学生としてマドリード・コンプルテンセ大学に留学、1965年に上智大学外国語学部助教授、1969年に教授。1970年にスペインの芸術文化勲章である「賢王アルフォンソ十世章」を受章。
鶴見 丈二(つるみ じょうじ、1932年5月8日 - )は、… 鶴見 丈二(つるみ じょうじ、1932年5月8日 - )は、日本の俳優。千葉県市川市出身。本名は増田 清貴。日本舞踏家でもあり、水木歌紅の門下。 慶應義塾高等部卒業。1954年、第8期大映ニューフェイスに合格し、大映演技研究所を経て大映に入社。1955年に『弾痕街』でデビュー。
池田 進(いけだ すすむ、1932年5月7日 - )は、日本… 池田 進(いけだ すすむ、1932年5月7日 - )は、日本の心理学者、関西大学名誉教授。 京都市生まれ。京都市立西京高等学校卒業。1955年京都大学文学部哲学科卒業。1960年同大学院文学研究科心理学専攻博士課程満期退学。1961年日本リサーチセンター入社。1964年京都大学文学部助手。1967年関西大学社会学部専任講師。1969年助教授。1974年教授。1995年「顔の諸現象をめぐる実験的研究の展望と考察」で関西大学社会学博士。2003年定年退職、名誉教授。 2011年瑞宝中綬章受章。
石原 總一(いしはら そういち、1932年5月7日 - 20… 石原 總一(いしはら そういち、1932年5月7日 - 2008年2月8日)は、日本の経営者。カネボウ社長を務めた。 群馬県出身。1955年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に鐘紡に入社。1990年6月に取締役、1991年6月に常務、1992年5月に専務を経て、1994年6月に社長に就任。1998年4月に会長に就任し、1999年5月に名誉顧問を経て、1990年6月から顧問を務めた。 2005年に群馬県教育委員会委員長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉居時哉(よしい ときや、1932年5月7日 - )は、日本… 吉居時哉(よしい ときや、1932年5月7日 - )は、日本の大蔵官僚。 神奈川県鎌倉市出身。神奈川県立湘南高等学校から東京大学に進学。同大学経済学部を卒業する。1955年 大蔵省に入省(主計局)。国土事務次官を退官後は第二地銀協会長や東日本銀行頭取に就いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
庭瀬 健太郎(にわせ けんたろう、1932年(昭和7年)5月… 庭瀬 健太郎(にわせ けんたろう、1932年(昭和7年)5月6日 - 2016年(平成28年)1月27日)は、日本の政治家。愛知県常滑市長(2期)、常滑市議会議員(1期)。 庭瀬健児・ゆりの長男としてブラジルにて出生。母のゆりは哲学者の谷川徹三の妹。すなわち谷川俊太郎は庭瀬健太郎のいとこに当たる。 1952年(昭和27年)3月、愛知県立常滑高等学校卒業。常滑町役場に勤務。常滑高校事務職員を経て、1959年(昭和34年)3月、常滑市議会議員選挙に日本共産党公認で立候補し初当選した。在職中、その功労により全国市議会議長会表彰などを受けた。5選後の1978年(昭和53年)に辞職。 日本共産党を離党し、「幸せをすすめる市民の会」の支援を受けて1979年(昭和54年)4月の常滑市長選挙に立候補し初当選した。
中村敬(なかむら けい、1932年5月6日- )は、日本の英… 中村敬(なかむら けい、1932年5月6日- )は、日本の英語学者、成城大学名誉教授。 愛知県生まれ。1955年南山大学英語学英文学科卒業。66−67年、英国政府奨学生としてロンドン大学に学ぶ。鶴見女子大学助教授、鶴見大学助教授、80−81年、ウェールズにおける言語問題調査。成城大学文芸学部助教授、教授、2003年定年、名誉教授。2011年瑞宝小綬章受勲。専攻は英語社会論。
多田 忠弘(ただ ただひろ、1932年(昭和7年)5月6日 … 多田 忠弘(ただ ただひろ、1932年(昭和7年)5月6日 - 2020年(令和2年)9月16日)は日本のテレビ舞台美術家。 元 特定非営利活動法人ペタアートネットジャパン常務理事、特定非営利活動法人テレビ日本美術家協会常任理事、特定非営利活動法人日本アマチュア演劇連盟副理事長、日本演劇協会会員。
峰岸 純夫(みねぎし すみお、1932年〈昭和7年〉5月5日… 峰岸 純夫(みねぎし すみお、1932年〈昭和7年〉5月5日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。東京都立大学名誉教授。元歴史学研究会委員長。学位は、文学博士(慶應義塾大学・1990年)。 群馬県伊勢崎市出身。1951年群馬県立前橋高等学校卒、1959年慶應義塾大学文学部卒業。1961年慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。卒業論文は赤城山麓の用水遺構である「女堀」に関する研究で、さらに新田荘や新田氏研究を通じた中世東国史研究を行う。 1961年横浜市立港高等学校教諭、1966年に慶應義塾志木高等学校教諭となる。1971年から宇都宮大学教育学部専任講師、1973年に同助教授を経て、1975年に東京都立大学人文学部助教授となる。
小倉 満(おぐら みつる、1932年(昭和7年)5月5日 -… 小倉 満(おぐら みつる、1932年(昭和7年)5月5日 - 2001年(平成13年)3月3日)は、昭和から平成前期の実業家、政治家。大垣市長(4期)。大垣市名誉市民。
木戸 蓊(きど しげる、1932年5月5日 - 2000年6… 木戸 蓊(きど しげる、1932年5月5日 - 2000年6月10日)は、日本の政治学者。神戸大学名誉教授。第11代日本国際政治学会理事長。専門は、国際関係論、バルカン地域の政治。 1932年、愛知県名古屋市生まれ。1955年に京都大学法学部を卒業。1957年名古屋大学大学院法学研究科修士課程修了。国際政治史を専攻した。 卒業後、1957年に名古屋大学法学部助手に着任。1958年より日本国際問題研究所研究員。ユーゴスラヴィア国際政治経済研究所客員研究員を経て、1968年に神戸大学法学部助教授に就任1970年に教授昇任。1988から1990年まで、神戸大学法学部長を務めた。学界では、1992~1994年、日本国際政治学会理事長。