渡辺 浩一郎 (渡邉 浩一郎、わたなべ こういちろう、194… 渡辺 浩一郎 (渡邉 浩一郎、わたなべ こういちろう、1944年5月31日 ‐ )は、日本の政治家、建築家、工学博士。 衆議院議員(2期)、日本新党両院議員総会長、新党きづな幹事長、自由党東京都連会長などを歴任した。 1944年5月31日生まれ。1960年3月、東京学芸大学附属小金井中学校を卒業。1963年3月、東京学芸大学附属高等学校を卒業。1968年3月、日本大学理工学部建築学科を卒業。同年4月、東京大学工学部都市工学科の丹下健三研究室の研究生になる。 1970年4月大成建設本社建設設計本部建築設計課に勤務する。1974年3月に一級建築士を資格取得する。1979年3月、日本大学大学院理工学研究科建築学専攻して工学博士号取得する。
桑原 勝義(くわはら かつよし、1944年5月30日 - … 桑原 勝義(くわはら かつよし、1944年5月30日 - )は静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現・静岡県サッカー協会専務理事、日本サッカー協会理事、日本フットボールリーグ理事長。実弟は桑原隆。 1962年度高校サッカー選手権で静岡県立藤枝東高等学校が初優勝した時の中心選手。卒業後は日軽化工清水工場、名古屋相互銀行(以下、名相銀)などに所属し、1965年には日本代表に選出され国際Aマッチ2試合に出場した。 1971年、名相銀の解散で選手は引退し、銀行の仕事に専念するつもりでいたが、日本サッカー協会の幹部・長沼健に勧められ、生まれ育った静岡に日本リーグのチームをという仕事にロマンを感じ銀行職を捨て、翌1972年、前年創設された本田技研工業サッカー部に加入。
無徒 史朗(むと しろう、1944年5月30日 - )は、大… 無徒 史朗(むと しろう、1944年5月30日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。右投げ左打ち。旧名は史郎。 1963年に関西大倉高等学校から南海ホークスに入団。 1964年のジュニアオールスターに出場。 3年目の1965年に一軍に抜擢され、主に三塁手として、衰えが見えた森下整鎮と併用される。同年には40試合に先発出場、読売ジャイアンツとの日本シリーズにも代打として2試合に出場した。しかしこの年のオフに同じく若手の有望株であった東条文博とともにサンケイアトムズに移籍した。 1966年には一塁手、二塁手として42試合に先発。 1967年には武上四郎が入団し、二塁手に定着したこともあって、その後は主に代打として起用された。
池上 遼一(いけがみ りょういち、男性、1944年5月29日… 池上 遼一(いけがみ りょういち、男性、1944年5月29日 - )は、日本の漫画家。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授を務めており、劇画家と紹介されることもある。 福井県越前市(旧:武生市)出身。小学生のころから貸本漫画に慣れ親しむ。 中学卒業後、大阪に移り看板屋の仕事をしながら漫画を描き始める。1962年、漫画短編誌『魔像』(日の丸文庫)に掲載された「魔剣小太刀」で貸本漫画家デビュー。岩井しげおらのアシスタントをしながら漫画を描くが生活苦で断念、看板屋の仕事に戻る。 1966年、投稿した読切作品「罪の意識」が『ガロ』に掲載され、これを読んだ水木しげるが青林堂の長井勝一にスカウトを依頼。水木のアシスタントになるべく上京する。
大石 芳野(おおいし よしの、1944年5月28日 - )は… 大石 芳野(おおいし よしの、1944年5月28日 - )は日本の報道写真家。元東京工芸大学芸術学部教授(現・客員教授)。日本ペンクラブ会員。 東京都出身。日本大学藝術学部写真学科卒。戦争、紛争後の市民に目を向けたドキュメンタリー作品を手がけ、ベトナム戦争、カンボジアの虐殺、スーダンのダルフールの難民、原爆の広島の人々などを取材。2004年から、世界平和アピール七人委員会委員。研究課題として『フォトジャーナリズムの変遷と動向』および『フォトジャーナリズムから見た戦争と平和における民衆』を挙げている。使用機材としてライカM6などを愛用している。 生年については1944年5月28日とする資料がある一方、1943年とする資料もある。
萩原 宏久(はぎわら ひろひさ、1944年5月28日 - 2… 萩原 宏久(はぎわら ひろひさ、1944年5月28日 - 2013年3月23日)は、日本の元高等学校野球監督、元プロ野球球団トレーナー。 東京都出身。1960年に日本大学第三高等学校入学。野球部に入り、1962年春の第34回選抜高等学校野球大会に田口周監督の下で三塁手として出場、決勝戦で八木沢荘六擁する作新学院高等学校に敗れたが準優勝の立役者の一人となっている。 その後、日本大学経済学部を1967年に卒業後、母校の日本大学第三高等学校でコーチを務め、翌1968年から第9代日本大学第三高等学校野球部監督を1971年まで務めた。その間、第43回選抜高等学校野球大会(1971年)では大鉄高等学校を決勝戦で下し、選手時代に果たせなかったセンバツ甲子園大会優勝の栄誉を手にした。
松宮 勲(まつみや いさお、1944年5月28日 - )は、… 松宮 勲(まつみや いさお、1944年5月28日 - )は、日本の政治家、通産官僚。民主党所属の元衆議院議員(3期)。 福井県鯖江市出身。福井県立藤島高等学校を経て、1968年 東京大学経済学部卒業後、通商産業省に入省。同期には次官の村田成二、一柳良雄、元ダイエー会長の雨貝二郎ら。 ケンブリッジ大学留学後、生活産業局住宅産業課長などを歴任し、1994年 大臣官房審議官を最後に退官。 1996年10月第41回衆議院議員総選挙で福井1区で無所属で出馬し、新進党現職笹木竜三に惜敗したが自民党現職(宮沢派)平泉渉を凌駕。その後、平泉や新進党分党に伴い無所属となった笹木との自民党公認争いを制し、2000年6月の第42回衆議院議員総選挙に福井1区から立候補し初当選。
後藤 和昭(ごとう かずあき、1944年5月28日 - )は… 後藤 和昭(ごとう かずあき、1944年5月28日 - )は、静岡県三島市出身の元プロ野球選手(内野手)。
吉尾 勝征(よしお かつゆき、1944年(昭和19年)5月2… 吉尾 勝征(よしお かつゆき、1944年(昭和19年)5月28日 - 2019年(令和元年)12月21日)は、日本の地方政治家。第6代調布市長を1986年(昭和61年)から2002年(平成14年)まで4期16年にわたり務めた。 1968年(昭和43年)、早稲田大学法学部を卒業。 代議士秘書、東京都議会議員秘書を経て、1975年(昭和50年)に調布市議会議員に初当選。1985年(昭和60年)に調布市議会議長に就任。 1986年(昭和61年)に調布市長選挙に初当選。同年7月22日に第6代調布市長に就任した。1990年(平成2年)に再選、1994年(平成6年)に3選、1998年(平成10年)に4選を果たす。
枦山 智博(はぜやま ともひろ、1944年5月28日 - )… 枦山 智博(はぜやま ともひろ、1944年5月28日 - )は、鹿児島県垂水市出身の元高校野球指導者。 鹿児島商工高等学校(現・樟南高等学校)時代は投手で主将。社会人時代は軟式野球、準硬式野球をプレーし、投手で軟式と準硬式で1度ずつ国体に優勝している。 1972年に母校・鹿児島商工高等学校の事務職員として野球部監督に就任し、甲子園に23回(春7回、夏16回)出場に導いた。最高成績は、樟南高等学校に校名が変更された1994年、福岡真一郎と田村恵のバッテリーを擁して臨んだ第76回全国高等学校野球選手権大会での準優勝。鹿児島実業高等学校監督の久保克之(現・名誉監督)と共に鹿児島県の高校野球を長年にわたりリードした。
堀 勝洋(ほり かつひろ、1944年5月27日 - )は、日… 堀 勝洋(ほり かつひろ、1944年5月27日 - )は、日本の法学者。専門は社会保障法。上智大学法学部地球環境法学科教授を経て、上智大学名誉教授。厚生労働省社会保障審議会年金数理部会長。社会保障審議会委員。福井県出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
甲元 眞之(こうもと まさゆき、1944年(昭和19年)5月… 甲元 眞之(こうもと まさゆき、1944年(昭和19年)5月27日 - 2025年(令和7年)2月27日)は、日本の考古学者。熊本大学名誉教授。 1944年、広島県吉舎町(現・三次市)生まれ。1967年に東京教育大学文学部を卒業。東京大学大学院に進んで八幡一郎に師事した。1972年、東京大学大学院考古学科博士課程満期退学。卒業後は平安博物館に勤務。1977年に熊本大学文学部に移り、助教授となる。1994年より教授。2001年、東京大学に「中国新石器時代の生業と文化」を提出して博士(文学)の学位を取得。2010年定年退官し、名誉教授の称号を受けた。 2025年2月27日、前立腺がんのため死去。80歳没。
粕谷 勇(かすや いさむ、1944年5月27日 - )は、日… 粕谷 勇(かすや いさむ、1944年5月27日 - )は、日本の元レーシングライダー、レーシングドライバー。東京都清瀬市出身。 1973年4月 現学校法人粕谷学園 清瀬たから幼稚園を開園 2011年4月24日 清瀬市議会議員選挙にて、1173票の投票を得て当選。 250ccクラス 2位 250ccクラス 2位
大坪 賢次(おおつぼ けんじ、1944年(昭和19年)5月2… 大坪 賢次(おおつぼ けんじ、1944年(昭和19年)5月25日 - )は、新潟県南魚沼市出身のニューヨーク在住の実業家。
永宮 正治(ながみや しょうじ、1944年5月24日 - )… 永宮 正治(ながみや しょうじ、1944年5月24日 - )は、日本の物理学者(素粒子・原子核・宇宙線・宇宙物理)。学位は理学博士(大阪大学・1972年)。国立研究開発法人理化学研究所研究顧問、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構名誉教授。 ローレンス・バークレー国立研究所主任研究員、東京大学理学部助教授、コロンビア大学教授、コロンビア大学物理学科学科長、東京大学原子核研究所教授、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構教授、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構大強度陽子加速器計画推進部部長、J-PARCセンターセンター長(初代)などを歴任した。 兵庫県神戸市御影に生まれた。
小倉 收(おぐら おさむ、1944年5月24日 - )は、日… 小倉 收(おぐら おさむ、1944年5月24日 - )は、日本の経済学者。国士舘大学名誉教授。学校法人国士舘参与。国際経済学を専門とする。 鹿児島県出身。1967年(昭和42年)国士舘大学政経学部卒業、1972年(昭和47年)同大学院経済学研究科博士課程退学、学位は経済学修士。同大学の体育学部教授の朝倉正昭は実兄。学校法人国士舘理事、同参与、頭山満生誕百五十年祭発起人などを務めた。日本国際経済学会、日本貿易学会、日本国際政治学会に所属した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
加藤 節(かとう たかし、1944年〈昭和19年〉5月24日… 加藤 節(かとう たかし、1944年〈昭和19年〉5月24日 - )は、日本の政治学者。成蹊大学名誉教授・法学部特任教授。専門は、政治哲学、西欧政治思想史。 ジョン・ロック研究者として知られるのみならず、近年では南原繁や丸山眞男に代表される戦後日本における批判的知識人の思想史的系譜に関する研究でも有名。また、安倍晋三の恩師としても知られている。 長野県生まれ。1965年4月、東京大学文科一類に入学。東京大学法学部卒業。同大学大学院法学政治学研究科を修了。福田歓一の下で政治哲学を学ぶ。 1974年4月、成蹊大学法学部講師。1975年4月、同大助教授。1976年、東京大学から法学博士の学位を取得。論文の題は『17世紀政治理論における「宗教批判」の展開:社会契約説と宗教理論』であった。
鈴木 一行(すずき かずゆき、1944年5月23日 - 20… 鈴木 一行(すずき かずゆき、1944年5月23日 - 2010年7月17日)は、日本の技術者、実業家。サンデン株式会社代表取締役社長や、同社相談役を務めた。 群馬県出身。1968年群馬大学工学部卒業、三共電器入社。199年サンデン八斗島事業所カーエアコン工場長。1993年サンデン・インターナショナル・台湾社長。1997年サンデン八斗島事業所長。1999年サンデン取締役製造本部長。2003年サンデン常務執行役員、サンデン・マニュファクチャリング・ヨーロッパ社長。2006年サンデン取締役兼副社長執行役員。2007年からサンデン代表取締役社長を務め、経営改革を進めた。2010年サンデン相談役に退き、同年伊勢崎市内の病院で死去した。
二代目 中村吉右衛門(なかむら きちえもん、1944年〈昭和… 二代目 中村吉右衛門(なかむら きちえもん、1944年〈昭和19年〉5月22日 - 2021年〈令和3年〉11月28日)は、歌舞伎役者。屋号は播磨屋、定紋は揚羽蝶、替紋は村山片喰。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。位階は正四位。旭日重光章受章(没後追贈)。公称身長178 → 176cm・体重79kg・血液型B型。ふたご座。俳名:秀山。ペンネーム:松貫四。 東京都千代田区出身。暁星小学校、暁星中学校・高等学校卒業。早稲田大学第一文学部仏文学科中退。 3歳から松本流松本幸子、六代目藤間勘十郎に日舞、小学4年より和田喜太郎に和泉流狂言、杵屋栄二に長唄、藤舎呂船に鳴物、中学からは竹本小仙に義太夫、大学時には作曲家の半間厳一に声楽を習う。
高月 毬子(たかつき まりこ、1944年5月22日 - )は… 高月 毬子(たかつき まりこ、1944年5月22日 - )は、日本の女優。 東京都練馬区出身。本名は中島 澄(篠原 澄)。旧名は高 毬子(たか まりこ)、初瀬 百々代(はつせ ももよ)。愛称は「オシノ」、「すみちゃん」。姉は女優の篠宮朝美。趣味は日本舞踊。 富士見高等学校を卒業後、1960年に宝塚音楽学校へ入学。宝塚歌劇団48期生。同期生には梓みちよ(入団せずに音楽学校時代に中退)がいる。1962年に『メイド・イン・ニッポン』で宝塚歌劇団に入団し、2年目からは雪組に所属した。宝塚入団時の成績は75人中53位。1965年11月29日に宝塚を退団。最終公演出演の演目は雪組公演『伊豆の頼朝/ゴールデン・シャドウ』である。
吉田 正昭(よしだ まさあき、1944年5月22日 - )は… 吉田 正昭(よしだ まさあき、1944年5月22日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 山口県立久賀高等学校を中退し、1962年に東映フライヤーズに入団する。 6年目の1967年に初の一軍入り。5月31日の近鉄バファローズ戦で長田裕之からプロ初打席で初安打(二塁打)を放つも11試合の出場に終わり、以後は打席に立つこともなく、この年限りで引退した。珍しい生涯打率10割の選手である。 1967年7月19日後楽園球場で行われた近鉄バファローズ戦で9回裏に一塁ランナーの代走に起用され、続く白仁天がサヨナラホームランを放ったものの、代走の吉田は一二塁間で打球を見ていたために止まっていたところ白に追い越され、サヨナラホームランをフイにしたことがある。
白石 静生(しらいし しずお、1944年5月22日 - )は… 白石 静生(しらいし しずお、1944年5月22日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手(投手)、監督。
澤 好摩(さわ こうま、本名:澤孝(さわ たかし)、1944… 澤 好摩(さわ こうま、本名:澤孝(さわ たかし)、1944年5月22日 - 2023年7月7日)は、俳人。 東京都城東区(現江東区)生まれ。1963年、東洋大学在学中に俳句研究会に参加。翌年に坪内稔典らと全国学生俳句連盟を結成。「いたどり」「青玄」「草苑」を経て1968年に坪内稔典、攝津幸彦らと同人誌「日時計」創刊(1974年終刊)。1971年、折笠美秋の誘いで「俳句評論」に参加し高柳重信に師事。また「俳句研究」編集に携わる。1973年、「俳句研究」第1回五十句競作にて佳作第一席。1978年、夏石番矢、林桂らと同人誌「未定」を創刊(1990年退会)。1991年「円錐」創刊、編集発行人を務める。
加藤 斌(かとう たけし、1944年5月21日 - 1965… 加藤 斌(かとう たけし、1944年5月21日 - 1965年1月4日)は、中国上海生まれ、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手)。 作新学院高ではエース・八木沢荘六の控え投手として、主にリリーフを担当していた。 1962年、作新学院は八木沢などの活躍もあって春の選抜に優勝、続く夏の甲子園予選北関東大会も勝ち上がり、春夏連覇に期待をかけられた。春の優勝後、加藤は野球部長の勧めで投法をオーバースローからアンダースローに転向している。 大会直前、エースの八木沢が赤痢にかかり、チームは急遽加藤を主戦投手として戦うこととなった。甲子園では1回戦で気仙沼高に苦戦したものの勝ち上がり、準決勝では林俊彦、木俣達彦の強力バッテリーを擁する中京商を2-0で完封。
井上 弘昭(いのうえ ひろあき、1944年5月21日 - )… 井上 弘昭(いのうえ ひろあき、1944年5月21日 - )は、大阪府大阪市西淀川区出身の元プロ野球選手(外野手)。
小谷 信千代(おだに のぶちよ、1944年5月21日 - )… 小谷 信千代(おだに のぶちよ、1944年5月21日 - )は、日本の仏教学者、大谷大学名誉教授。 兵庫県生まれ。1967年大谷大学文学部仏教学科卒業。1975年京都大学大学院文学研究科仏教学修士課程修了。1978年大谷大大学院博士課程満期退学。1984年大谷大学専任講師、1990年同助教授、1998年同教授。1999年「法と行 仏説の真意を求めて」で大谷大学博士(文学)。2010年定年退職、名誉教授。
宇野 茂彦(うの しげひこ、1944年〈昭和19年〉5月20… 宇野 茂彦(うの しげひこ、1944年〈昭和19年〉5月20日 - )は、日本の中国学者・中国哲学研究者。中央大学名誉教授。斯文会理事長。 1944年5月20日、東京都にて宇野精一の長男として生まれた。東京大学文学部Ⅰ類中国哲学専修で学び、1969年に卒業。同大学大学院人文科学研究科に進み、1974年に博士課程を満期退学。 その後は、愛知教育大学で教鞭を執った。青山学院大学を経て、1984年に名古屋大学文学部助教授となり、中国哲学研究室を担当した。1989年に教授昇格。1994年に中央大学文学部教授となり、哲学専修を主に受け持った。2005年から2009年には文学部長を務めた。また、2005年4月から10月には中央大学杉並高等学校校長も務めた。
永井 純(ながい じゅん、1944年5月20日 - )は、日… 永井 純(ながい じゅん、1944年5月20日 - )は、日本の中距離走選手である。 東京教育大学体育学部卒、青山学院大学講師、筑波大学体育学系長距離走研究室講師、助教授、教授。2008年定年退任、名誉教授。 大学在学中は3年生でキャプテンを務め、第42回箱根駅伝に出場した。(7区区間14位) 1968年メキシコシティーオリンピックで男子800メートル競走に出場した。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
池本 喜巳(いけもとよしみ、1944年5月20日 - )は、… 池本 喜巳(いけもとよしみ、1944年5月20日 - )は、日本の写真家。鳥取県鳥取市出身。 東川町国際写真フェスティバル飛彈野数右衛門賞(特別賞)、鳥取県文化功労賞、鳥取県出版文化賞、鳥取市文化賞等を受賞。 1977年より写真家・植田正治の助手を務めながら( - 1996年)、拠点の鳥取市を中心に、山陰の風景や個人商店、人物などを数多く記録している。 三徳山三佛寺のような文化財撮影などの記録写真のアートワークだけでなく、幅広い分野のアーティストとの共同制作・展示や、写真のもつ可能性を追究した現代アート的な作品制作にも取り組んでおり、国内外で発表、高く評価されている。 日本写真家協会へは三木淳、植田正治が推薦人となった。
西川 克弘(にしかわ かつひろ、1944年5月19日- )は… 西川 克弘(にしかわ かつひろ、1944年5月19日- )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)である。 大阪府立吹田高校では、エースとして1962年夏の甲子園府予選準決勝に進むが、中塚政幸らのいたPL学園に延長10回逆転サヨナラ負けを喫し、甲子園出場を逸する。卒業後は関西大学へ進学。 同大学の硬式野球部では入部直後より活躍した。関西六大学野球リーグでは、1年生の1963年春季リーグでノーヒット・ノーランを達成するなど6勝を挙げ、チームも立命館大に次ぐ2位となる。秋季リーグでも5勝を挙げ、リーグ優勝に貢献。1年生の時点で11勝7敗の成績を残していた。 しかし、この年(1963年)の秋季リーグ中、西川と内野手の雑賀幸男が広島カープと秘密裏に契約していた事が発覚。
石田 義久(いしだ よしひさ、1944年5月19日 - )は… 石田 義久(いしだ よしひさ、1944年5月19日 - )は、日本の陸上競技選手。元砲丸投日本記録保持者。メキシコシティオリンピック、ミュンヘンオリンピック日本代表。第2回アジア選手権金メダリスト。 1962年6月23日、近畿大学附属高等学校に在学中に全国高校近畿地区予選会に出場し、砲丸投で16m69の全国高校新記録を樹立して注目を集める。インターハイでは円盤投で準優勝。 1963年に日本大学進学、大学3年次の1965年第49回日本選手権男子ハンマー投で63m32の記録で優勝。ハンマー投げでは1969年、1972年・1973年にも日本選手権で優勝するなど4回の優勝を飾っている。砲丸投では1964年、1966年・1967年と日本選手権で3度の優勝を果たし、円盤投では1966年の日本選手権で優勝するなど、投擲3種目での日本王者経験を持つマルチ選手でもあった。
高山 忠克(たかやま ただかつ、1944年5月18日 - )… 高山 忠克(たかやま ただかつ、1944年5月18日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手(外野手)。 作新学院高校への在学中は「4番・中堅手」で、1学年先輩に外野手の島野育夫、同期生に八木沢荘六・加藤斌の両投手と遊撃手の中野孝征がいた。 2年時(1961年)と3年時(1962年)の春に選抜高等学校野球大会へ出場。3年時の第34回大会では、エース八木沢の下で優勝を経験した。チームは夏の第44回全国高等学校野球選手権大会にも出場したが、大会中に八木沢が赤痢を発症した影響で隔離療養を余儀なくされたため、控え投手の加藤が先発に回った。加藤が中京商業との準決勝で林俊彦と投げ合った末に完封勝利を収めると、チームは久留米商業との決勝で伊藤久敏を相手に1対0で勝利。
鳥越 碧(とりごえ みどり、1944年5月17日 - )は、… 鳥越 碧(とりごえ みどり、1944年5月17日 - )は、日本の小説家。女性。 福岡県北九州市生まれ。1967年、同志社女子大学学芸学部英文学科(英文学専攻)卒業。商社勤務を経て、1990年、尾形光琳の生涯を描いた『雁金屋草紙』により、第1回時代小説大賞(株式会社講談社主催)を受賞、小説家デビューを果たす。以降、多数の時代小説を上梓している。横浜市青葉区在住。 2013年10月14日、同志社同窓会の120周年記念講演会で、講演を行い、『めぐり逢い 新島八重回想記』の執筆に関して、「当初は、執筆する意欲があまりなかったが、新島襄と八重が、群馬と会津にいながら、どのように出会ったかを考えたときに興味が湧き、執筆の過程では、襄の熱意に感動した」と語った。
舟崎 靖子(ふなざき やすこ、1944年5月17日 -202… 舟崎 靖子(ふなざき やすこ、1944年5月17日 -2020年2月7日[要出典])は、日本の詩人、児童文学作家。旧姓、熊倉。 別筆名として童謡・詩で近江 靖子(おうみ やすこ)、小説・随筆で村上 靖子(むらかみ やすこ)。長女の舟崎真理との共著もある。 神奈川県小田原市生まれ。祖父は東京帝国大学卒の弁護士だった。 マラソン選手志望だったが、川村短期大学英文学科在学中に落馬事故で自宅療養生活を余儀なくされ、病床で読書に耽る。1964年、療養中に書いた童謡「うたう足の歌」で第9回日本レコード大賞童謡賞を史上最年少受賞する。同年、当時学習院大学1年生だった舟崎克彦の第1詩集『いもむしの詩』(栄光社、自費出版)を買ったことがきっかけで、克彦と知り合う。
土岐 寛(とき ひろし、1944年5月16日 - 2025年… 土岐 寛(とき ひろし、1944年5月16日 - 2025年6月16日)は、日本の行政学者・政治学(専攻は地方自治・都市政策)、映画評論家。大東文化大学名誉教授。博士(政策科学)。 映画評論家としては村瀬 広(むらせ ひろし)のペンネームを使っている。またゴルゴ13好きでゴルゴ教授という愛称で呼ばれたという。 1944年、山形県鶴岡市(旧東田川郡広瀬村)に生まれる。1963年3月山形県立鶴岡南高等学校卒業、1968年3月京都大学法学部卒業。1968年4月から1971年9月まで日本郵船株式会社(横浜支店・東京支店)に勤務。1973年2月から1992年3月まで、財団法人東京市政調査会研究部研究員補・研究員・主任研究員・雑誌「都市問題」編集長・第二研究室長を経て、1992年4月から1994年3月まで大東文化大学法学部政治学科助教授。
甲斐 諭(かい さとし、1944年5月16日 - )は、日本… 甲斐 諭(かい さとし、1944年5月16日 - )は、日本の農業経済学者。九州大学名誉教授。元中村学園大学学長。元日本農業経済学会会長。 日本統治時代の台湾で生まれる。日本の降伏後引き揚げ、宮崎県宮崎市で育つ。1968年宮崎大学農学部畜産学科卒業。1970年九州大学大学院農学研究科農政経済学専攻修士課程修了。1973年九州大学大学院農学研究科農政経済学専攻博士課程単位取得退学、九州大学農学部助手。1976年九州大学農学博士。1988年九州大学農学部助教授。1990年福岡市農政審議会委員。1995年農林水産省農政審議会委員。1998年九州大学農学部教授。1999年農林水産省食料・農業・農村政策審議会委員。
三柴 元(みしば げん、1944年5月16日 - 2011年… 三柴 元(みしば げん、1944年5月16日 - 2011年11月2日)は、日本の実業家。ラック創業者。同社初代代表取締役社長。初代ラックホールディングス代表取締役社長。 1969年東北大学工学部卒業、丸善石油入社。1980年日本コンピューター・サービスセンター入社。1986年ラック設立、同社代表取締役社長就任。1995年からコンピュータセキュリティ事業を始め、2002年ジャスダックに公開。翌2003年ラック代表取締役会長に就任。2007年にはエー・アンド・アイシステムと経営統合し、ラックホールディングスを設立し、代表取締役社長に就任した。2011年胃がんのため死去。増上寺大殿で社葬が執り行われた。
ビン・カシワ/ビンカシワ(英語表記:Bin Kashiwa、… ビン・カシワ/ビンカシワ(英語表記:Bin Kashiwa、本名:柏崎 敏一、1944年5月15日 - 2023年9月6日)は、日本の画家。ホテルマンから、アンリ・ルソーの世界に心魅かれ、突如画家への道を歩み始め、パリ、モンマルトルの丘で観光客相手に描きつづけた。古き佳き時代の“パリの通り”、イマジネーションの世界“パラダイス”人間の愛を基本に“ファミリー”のシリーズと、その描くメルヘンの世界は、多くの人たちの心をとらえて離さない。 1944年、樺太で父留吉、母ヨシの間に生まれ、両親の故郷秋田に引き揚げた後、釧路へ移った。旧旭小、共栄中、釧路商業高で学んだが、子供の頃は特別絵に力を入れてはいなかったという。
石田 逸男(いしだ いつお、1944年5月14日 - )は、… 石田 逸男(いしだ いつお、1944年5月14日 - )は、青森県出身の元プロ野球選手。 青森商業高校から1963年に西鉄ライオンズへ入団。シュートボールを武器とした。1967年に引退。
桑原 征平(くわばら しょうへい、1944年〈昭和19年〉5… 桑原 征平(くわばら しょうへい、1944年〈昭和19年〉5月14日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、ラジオパーソナリティ。ニックネームは「征平さん」(もしくは「征平ちゃん」)で、2015年度からは種智院大学人文学部の客員教授を務める。 1969年8月から2004年5月までは、アナウンサーとして関西テレビに勤務。2004年度から2014年度までは、アナウンサーとして活動するかたわら、大阪芸術大学で客員教授や教授を歴任した。また、一時は「丹後ふるさと観光大使」(京都府)も務めていた。 京都府京都市右京区西院の出身で、京都で「水泳一家」として知られた家庭の三男として出生した。 高校進学の際には、2人の兄の母校でもある京都市立西京高等学校商業科を受験するも不合格。
原 恒雄(はら つねお、1944年5月14日 - )は、日本… 原 恒雄(はら つねお、1944年5月14日 - )は、日本の鉄道技術者、実業家、人事官。 人事院総裁(第24代)、東海旅客鉄道代表取締役副社長などを歴任。 東京都出身。1967年、東京大学工学部を卒業し、日本国有鉄道に入社。国鉄分割民営化(1987年)後はJR東日本で総合企画本部投資計画部長や取締役長野支社長を務めた後、鉄建建設(専務取締役)などを経て、JR東海の専務取締役総合技術本部長、代表取締役副社長を歴任。 2006年4月12日、佐藤壮郎(元工業技術院院長)の後任として人事官に任命された。2期目の途中である2012年4月12日、野田改造内閣の任命により第11代目の人事院総裁に就任した。同内閣により再任が認められず、1期で人事官を退任することとなった江利川毅の後任にあたる。
奥村 勝彦(おくむら かつひこ、1944年5月14日- )… 奥村 勝彦(おくむら かつひこ、1944年5月14日- )は、日本の経営者。ダイハツ工業会長を務めた。 大阪府出身。1968年に兵庫県立神戸商科大学商業経済学部を卒業し、同年にダイハツ工業に入社。1998年6月に取締役に就任し、2003年6月に常務、2004年6月に専務を経て、2005年6月に副社長に就任。2010年6月に副会長に就任し、2011年6月に会長を経て、2013年6月から相談役を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
大塚 勝夫(おおつか かつお、1944年5月13日 - 19… 大塚 勝夫(おおつか かつお、1944年5月13日 - 1998年9月15日)は、日本の経済学者。専門は、経済発展論、開発経済学、日本経済論。 山形県東置賜郡高畠町生まれ。山形県立米沢興譲館高等学校、早稲田大学商学部卒業後、1971年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。1974年同博士課程単位取得退学。指導教官は梅村又次。1991年、経済学博士(一橋大学)。博士論文は「経済発展と技術選択 -日本の経済と発展途上国-」。一橋大学経済学部助手、財団法人国際開発センター研究員、オーストラリア国立グリフィス大学現代アジア研究学部助教授、和光大学経済学部教授等を経て、早稲田大学商学部教授。1998年9月、胃癌のため死去。
横山 元彦(よこやま もとひこ、1944年5月13日 - )… 横山 元彦(よこやま もとひこ、1944年5月13日 - )は、元ジェイテクト社長。旭日重光章受章。岐阜県出身。 1967年、名古屋大学法学部卒業、豊田工機(現ジェイテクト)入社。 2004年、豊田工機代表取締役社長。 2006年、光洋精工及び豊田工機合併によるジェイテクト発足に伴い同社副社長。 2007年、同社代表取締役社長就任。 2008年、日本ベアリング工業会会長。 2011年日本工作機械工業会会長。
大山真人(おおやま まひと、1944年(昭和19年)5月13… 大山真人(おおやま まひと、1944年(昭和19年)5月13日 - )は日本のノンフィクション作家。 山形県山形市出身。高齢者問題を中心に活動中。 早稲田大学第一文学部卒業。卒業後は、学習研究社に入社。主に女性雑誌、音楽雑誌の編集を手掛ける。学習研究社を退社後、ノンフィクション作家として数々の著書を刊行。 2008年、高齢者が気軽に訪れる事ができる「居場所」を作る運動として「幸福亭」を開設、主宰。 2011年4月、統一地方選挙所沢市議会議員選挙(定数36)に無所属で立候補し、46名中45位で落選した。 2013年3月、著書『騙されたがる人たち』で、詐欺問題のプロでありながら、自ら振り込め詐欺に騙され、被害者になったことを告白。
高橋 秀元(たかはし ひではる 1944年5月13日-)は、… 高橋 秀元(たかはし ひではる 1944年5月13日-)は、日本の編集者、著述家。 編集工学研究所特別研究員、松岡正剛とともに『 遊 』出版メンバー。 主な仕事は『情報の歴史』(NTT出版)『解釈の冒険 情報とシステム』(NTT出版)「『生命・AI・物語』 / 情報編集としての物語を考える」(記号学会)「 九州大学『 空海の言語論にふれる 』」「 編集学校 輪読座 『 聖徳太子と日本唯識を読む』」『反構造としての笑い-破壊と再生のプログラム』(NTT出版 )中でも執筆の『滑稽と烏滸』は山口昌男が高く評価。 岡山県、大連出身。父の転勤により大連で生まれる[要出典]。早稲田大学文学部東洋史。 取材先の中村元東京大学インド哲学研究室にて資料書籍閲覧自由の許可をもらう。
倍賞 明(ばいしょう あきら、1944年5月11日 - 20… 倍賞 明(ばいしょう あきら、1944年5月11日 - 2019年1月22日)は、東京都出身の元アマチュア野球選手。ポジションは一塁手。5人兄弟姉妹の長男で長姉は倍賞節子。女優の倍賞千恵子は姉、倍賞美津子は妹。弟は倍賞鉄夫。 日本大学第三高等学校では1962年、井上治男(早大-日本石油)、豊永邦男の両エースを擁し、春夏の甲子園に一塁手、三番打者として連続出場。春の選抜では準決勝に進み、中京商の林俊彦の好投に苦しめられるが1-0で9回裏サヨナラ勝ち。決勝では作新学院との接戦になるが、八木沢荘六を打ち崩せず0-1で敗退、準優勝にとどまる。同年夏の選手権は準々決勝に進むが、村上公康のいた西条高に敗れる。
中森 喜彦(なかもり よしひこ、1944年5月11日 - )… 中森 喜彦(なかもり よしひこ、1944年5月11日 - )は、日本の法学者。専門は刑法。京都大学名誉教授、近畿大学名誉教授。法科大学院協会副理事長。 奈良県奈良市出身。学説は行為無価値(京大の教授は伝統的に行為反価値と呼ぶ)の立場に立つ。 著書『刑法各論』は簡潔だが名著として広く読まれている。『刑法総論』については出版する気が乏しいことを講義中などに度々述べていた。
谷内 達(たにうち とおる、1944年(昭和19年)5月11… 谷内 達(たにうち とおる、1944年(昭和19年)5月11日 - )は、日本の地理学者、東京大学名誉教授、帝京大学教授。
三浦 信由(みうら のぶよし、1944年5月11日 - )は… 三浦 信由(みうら のぶよし、1944年5月11日 - )は、日本の陸上競技(中距離走)選手。旧姓:松田。 大分県宇佐郡院内村景平(現在の宇佐市院内町景平)出身。陸上競技を行っていた3歳上の兄に刺激され、小学校5年生の時に陸上競技を始める。院内町立竜東中学校3年生のとき、全国中学校放送陸上競技大会に出場し3000m競走で優勝、大分県中学校駅伝会では宇佐郡チームの優勝に貢献。駅伝の強豪であった大分県立四日市農業高等学校(現在の大分県立宇佐産業科学高等学校)に進学し、1962年(昭和37年)には全国高等学校駅伝競走大会に大分県代表として出場した。 大分県陸上競技協会理事長であった池中康雄(東洋大学出身)の勧めで東洋大学に入学。