伊東 一雄(いとう かずお、1934年4月7日 - 2002… 伊東 一雄(いとう かずお、1934年4月7日 - 2002年7月4日)は、日本の野球解説者、メジャーリーグ評論家。 「パンチョ伊東」の愛称・通称で広く知られた。 東京都豊島区西巣鴨に生まれ、小学生時は戦火を逃れるために千葉県市川市へ転居し、以後居住する。 子供時代から父親の影響で野球に親しみ、後楽園球場の東京巨人軍戦、神宮球場の大学野球に通いスコアカード記入などをした。1942年5月24日に後楽園球場の日本プロ野球史上最長の大洋軍対名古屋軍の延長28回戦や、1953年10月31日に大友工が日米野球でニューヨーク・ジャイアンツ相手に完投勝利を収めた試合も観戦した。 西巣鴨第四小、市川小、市川一中を経て、都立三高へ進学し、千葉大学文理学部を中退した。
木村 晟(きむら あきら、1934年4月7日 - )は、日本… 木村 晟(きむら あきら、1934年4月7日 - )は、日本の国語学者、駒澤大学名誉教授。 滋賀県中主町(現野洲市)生まれ。近江兄弟社学園を経て、1957年日本大学文学部国文学科国語学専攻卒業。桜美林大学講師、神戸女子大学助教授、駒澤大学文学部助教授、教授、2002年「中世韻書の基礎的研究」で日大文学博士。2005年駒沢大を定年退職、名誉教授。近江野田教会は母教会。東京都東久留米市の久留米キリスト教会会員。 日本の古辞書の研究が専門だが、近江兄弟社に関する単著がある。
高田 宏治(たかだ こうじ、1934年〈昭和9年〉4月7日 … 高田 宏治(たかだ こうじ、1934年〈昭和9年〉4月7日 - )は、日本の脚本家。本名は名前の読みが(ひろはる)。東映で時代劇・現代劇・ヤクザ映画など、オールマイティに執筆をしている。大阪府大阪市出身。東京大学文学部英文学科卒業。 1934年に大阪府大阪市で生まれ、太平洋戦争には宇治市に疎開していた。1950年に清水谷高校へ転校し、読書と映画に耽溺していた。1953年に京都大学を落第し、1年浪人。片思いの女性に振られたことで発奮、猛勉強に励んだ。1954年に東京大学へ入学。大学同期の大江健三郎に触発され、文筆生活を志す。1955年には砂川闘争へ参加。1956年に日本経済新聞社や岩波書店などからも誘いを受けるが、脚本家を一生の仕事と決め、東映に入社。
菊池 長右ェ門(きくち ちょううえもん、1934年4月7日 … 菊池 長右ェ門(きくち ちょううえもん、1934年4月7日 - 2020年7月26日)は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、岩手県議会議員、宮古市長を務めた。祖父は立憲政友会に所属した元衆議院議員の菊池長右衛門、父は初代宮古市長で日本自由党に所属した元衆議院議員の菊池長右衛門。叔父は元宮古市長の菊池良三。親子3代揃って同名な為、代々「菊長」と呼ばれる。 岩手県宮古市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。1965年、株式会社菊長商店(燃料販売会社)社長に就任する。1983年に自由民主党公認で岩手県議会議員選挙に立候補し、初当選。以後2回当選するが、3期目の途中に県議を辞職。宮古市長選挙に立候補して当選する。
鈴木 重晴(すずき しげはる、1934年4月5日 – 201… 鈴木 重晴(すずき しげはる、1934年4月5日 – 2012年2月27日)は、日本の陸上競技選手、指導者。 1946年、学制改革期の旧制秋田中学校(在学中の1948年に秋田南高等学校と改称。現在の秋田県立秋田高等学校)に入学。楢山の歯医者であった叔父宅から通学しており、鈴木自身も歯医者を目指していたという。1年生より陸上競技を始め、3年生の折に400mと800mで全県大会・東北大会に優勝して駒を進め、インターハイで両種目3位。東西対抗400mで全国優勝を果たした。 早稲田大学に進学し競走部に入部。大学在学中に中距離4種目(400m、800m、1000m、1600mリレー)で日本新記録を立てた。
菅沼 晃(すがぬま あきら、1934年〈昭和9年〉4月5日 … 菅沼 晃(すがぬま あきら、1934年〈昭和9年〉4月5日 - 2016年〈平成28年〉4月7日)は、日本の仏教学者。東洋大学名誉教授。 群馬県富岡市星田の伝宗寺住職・菅沼万休の長男として生まれる。群馬県立富岡高等学校を経て東洋大学卒業後、1962年東洋大学大学院博士課程中退。1974年「入楞伽経の思想史的研究」で文学博士。東洋大学文学部印度哲学科教授、同学部長。同短期大学学長を経て、1991年-1994年、東洋大学学長。2005年に定年退任し、名誉教授。 1975年、日本印度学仏教学会学会賞を受賞。
森永 勝也(もりなが かつや、1934年4月5日 - 199… 森永 勝也(もりなが かつや、1934年4月5日 - 1993年12月7日)は、山口県柳井市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。息子は元俳優の森永健司。 1958年から1962年までの登録名は「森永 勝治」。 柳井商工ではエースとして活躍し、2年次の1951年に秋季中国大会県予選準決勝へ進むが、下関商に敗れる。3年次の1952年には夏の甲子園へ出場し、2回戦(初戦)でエース堀内庄を擁する松商学園に完封勝ち。準々決勝では、この大会に優勝した芦屋高の植村義信と投げ合うが、0-2と完封を喫する。 高校卒業後は1953年に専修大学へ進学し、外野手に転向。東都大学野球リーグでは、1年次の同年春季リーグからレギュラーになり在学中全試合に出場し、2度の優勝を経験。
三宅 秀史(みやけ ひでし、1934年4月5日 - )は、岡… 三宅 秀史(みやけ ひでし、1934年4月5日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(内野手)。登録名は1966年から現役引退まで「三宅 伸和(-のぶかず)」、現役引退後は「三宅 培司」とした。
深沢 建彦(ふかさわ たけひこ、1934年4月3日 - ) … 深沢 建彦(ふかさわ たけひこ、1934年4月3日 - ) は、山梨県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 甲府一高を卒業し、国鉄スワローズの入団テストを受け、合格し入団した。背番号は43。1955年に背番号が21に変更。 1956年に現役を引退し、1957年に先輩の中村栄に引き連れられ小林勝己とともに富士重工太田に入団。同年夏には都市対抗野球に出場した。
小畑 正治(こばた まさはる、1934年4月3日 - 202… 小畑 正治(こばた まさはる、1934年4月3日 - 2025年1月22日)は、広島県呉市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 呉三津田高校では、1951年の春の甲子園に出場。1回戦で明治高校と対戦するが、11回延長の末1-4で敗れた。高校の先輩に広岡達朗、1学年下には実業家の碓井優がいる。 1951年に呉市出身で南海ホークスの監督であった鶴岡一人が視察に訪れ、スカウトされるが、もともと大学進学を志望しており、プロ野球界へ進むつもりがなかった。しかし、大日本帝国海軍であった父親が退役し、健康状態も悪く働くことが困難な状態で、経済的に大学進学を断念、両親や兄姉を金銭面で支えるため、悩んだ末に、卒業後の予定を繰り上げ、高校を中退し、南海ホークスに入団することにした。
野間 赳(のま たけし、1934年4月3日 - 2023年3… 野間 赳(のま たけし、1934年4月3日 - 2023年3月11日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(2期)。第1次小泉内閣において、農林水産副大臣を歴任。 愛媛県今治市出身。愛媛県立今治西高等学校を経て、1957年明治大学政経学部政治学科を卒業。 1972年に愛媛県議会議員に初当選(連続6期)。 1990年に愛媛県議会議長に就いた後、1992年に第16回参議院議員通常選挙に愛媛県選挙区より立候補し当選。1998年第18回参議院議員通常選挙においても連続当選を果たす。2004年、政界から引退した。 2005年、旭日重光章受章。 2023年3月11日、老衰のため、死去した。88歳没。
大串 啓二(おおぐし けいじ、1934年4月3日 - 202… 大串 啓二(おおぐし けいじ、1934年4月3日 - 2020年3月17日)は、日本の元陸上競技選手、陸上競技指導者。専門は短距離、ハードル。 佐賀県杵島郡六角村東郷(現在の白石町東郷)出身。 佐賀県立佐賀農業高等学校を卒業後、佐賀県立白石高等学校の定時制に1年通学して東京教育大学へ進学。 東京教育大学時代は第10回国民体育大会(1955年、神奈川県)で男子400mハードルで優勝したのを始め、400m走とハードルの二刀流で活躍、大学時代には1956年メルボルンオリンピックに出場。そのメルボルンオリンピックでは男子400mハードルに出場、53秒22【電気計時】の日本学生記録(当時)を樹立した。 1957年の世界大学スポーツ選手権(フランス・パリ)陸上競技の男子400mハードルで銅メダル(3位)を獲得している。
小林 幹司(こばやし かんじ、1934年4月3日 - 201… 小林 幹司(こばやし かんじ、1934年4月3日 - 2016年1月29日)は、日本の実業家。日本生命保険元副会長・顧問。 京都大学法学部卒業後、1958年に日本生命保険へ入社。1988年に常務取締役、1993年に専務取締役、1997年に副会長をそれぞれ歴任。 朝日放送取締役(弘世現の死去後)、三和銀行監査役(後のUFJホールディングス監査役)、アステラス製薬監査役などの社外取締役・監査役を務めるほか、関西経済同友会代表幹事(1998年度)、2001年7月から2005年3月まで大阪商工会議所副会頭、ニッセイ財団理事長もそれぞれ務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岩瀬 博(いわせ ひろし、1934年4月3日 - 2014年… 岩瀬 博(いわせ ひろし、1934年4月3日 - 2014年 )は、日本の国文学者。大谷女子大学(現大阪大谷大学)名誉教授。 広島県呉市出身。1959年國學院大學文学部国文科卒、1966年同大学院博士課程中退、大谷女子大学助教授、教授。2005年定年、名誉教授。
安原 正(やすはら ただし、1934年(昭和9年)4月3日 … 安原 正(やすはら ただし、1934年(昭和9年)4月3日 - 2015年(平成27年)10月14日)は、日本の大蔵官僚。元環境事務次官。 大蔵省入省後、大臣官房審議官、銀行局検査部長、理財局次長を経て環境庁に転じ、長官官房長、企画調整局長を経て1990年(平成2年)環境事務次官。 退官後は農林漁業金融公庫副総裁や山種証券会長等を務めた。 2015年10月14日に心不全のため死去。81歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
雲村 俊慥(くもむら しゅんぞう、1934年4月3日 - 2… 雲村 俊慥(くもむら しゅんぞう、1934年4月3日 - 2021年6月5日)は、日本の作家。別名・沢村健。 新潟県五泉市村松生まれ。日本大学法学部新聞学科卒。 1957年光文社に入社し、週刊「女性自身」、月刊「宝石」、文芸図書、各種の文庫編集部を歴任。 定年後、初めて執筆した『小説・仙壽院裕子―越後村松藩の維新』で第6回日本文芸家クラブ長編小説部門大賞を受賞。 江戸を歩く会会長。NHK文化センター歴史探訪の講師を担当する。
8代目 橘家 圓蔵(たちばなや えんぞう、1934年〈昭和9… 8代目 橘家 圓蔵(たちばなや えんぞう、1934年〈昭和9年〉4月3日 - 2015年〈平成27年〉10月7日)は、日本の落語家。本名:大山 武雄(おおやま たけお)。生前は落語協会所属。出囃子は『虎退治』。 前名の5代目 月の家圓鏡としても広く知られていた。 東京府東京市(現在の東京都江戸川区)平井に生まれる。生涯を通して平井に在住していたため、「平井の師匠」という通り名があった。 家業の紙芝居屋を経て、1952年12月14日、4代目月の家圓鏡(のちの7代目橘家圓蔵)に入門。橘家竹蔵との前座名を与えられる。 1955年3月に金原亭馬太郎とともに二ツ目に昇進し、橘家舛蔵と改名。1965年3月に真打に昇進し、5代目 月の家圓鏡を襲名。
松田光弘(まつだ みつひろ 1934年4月2日 - 2008… 松田光弘(まつだ みつひろ 1934年4月2日 - 2008年5月17日)は、日本のファッションデザイナー。 1934年4月2日、東京八王子の呉服店に生まれる。桐朋中学校・高等学校を経て早稲田大学教育学部を卒業後、文化服装学院、セツ・モードセミナーで学び、三愛へ入社する。退職後の1967年3月、ファッションブランド「ニコル」を立ち上げ、数寄屋橋阪急に店舗をオープンする。その後、1971年には服飾会社である株式会社ニコルを設立して代表取締役となる。ファッションの創作においては、コントラストの強い色調や複数テーマによるデザイン傾向もみられた。肝細胞癌のため、2008年5月17日に東京で逝去。
山岸 静馬(やまぎし しずま、1934年4月2日 - 199… 山岸 静馬(やまぎし しずま、1934年4月2日 - 1990年10月4日)は、長野県上水内郡信州新町出身のプロ野球選手。 長野北高校から1954年に高橋ユニオンズへ入団。ヴィクトル・スタルヒンがプロ最後の先発登板となった1955年10月7日の試合では先発捕手として出場した。 1956年に球団が吸収合併されたため1957年は大映ユニオンズ所属となり同年に退団。退団後は電電信越でプレーし都市対抗野球大会にも出場した。
諏訪 純人(すわ まこと、1934年(昭和9年)4月2日 -… 諏訪 純人(すわ まこと、1934年(昭和9年)4月2日 - 2011年(平成23年)3月2日)は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取。 秋田県鹿角市出身。慶大卒後、秋田銀行入行。 営業、企画、人事と幅広く経験。東北の金融界においても顔が広く行動派と目されていた。 1997年(平成9年)、頭取就任。2期4年の在任中は、1999年(平成11年)の創業120周年、新店頭体制への移行や共同バックアップセンターの設置また、融資パソコンシステムの導入やエリア営業体制の試行のほか、本部にIT戦略室を設置。次世代への布石を打った。 2001年(平成13年)、相談役に退き秋田経済研究所理事長に就任した。 2011年(平成23年)3月2日、肺がんのため死去。
後藤 修(ごとう おさむ、1934年4月1日 - 2019年… 後藤 修(ごとう おさむ、1934年4月1日 - 2019年9月10日)は、静岡県出身のプロ野球選手(投手)・ゴルフコーチ。 現役時代は日本プロ野球史上最多の8球団を渡り歩いたジャーニーマンで、移動型民族になぞらえて「ジプシー後藤」「ジプシーの修」と呼ばれた。 磐田南高校時代は全く無名の存在であったが、アマチュア時代からトレーニング方法について手紙でやりとりをしていた新田恭一が松竹ロビンス監督に就任した関係で、1952年に松竹へ入団。 前述のとおり、松竹(1952年)を皮切りに、大洋松竹ロビンス(1953年 - 1954年)→東映フライヤーズ(1955年)→大映スターズ(1956年)→読売ジャイアンツ(1957年 - 1958年)→近鉄バファロー(1959年 - 1960年)→南海ホークス(1961年 - 1962年)→西鉄ライオンズ(1963年)と8球団に所属。
坂口 力(さかぐち ちから、1934年〈昭和9年〉4月1日 … 坂口 力(さかぐち ちから、1934年〈昭和9年〉4月1日 - )は、日本の政治家、医師、医学博士。 衆議院議員(11期)、労働大臣(第58・69代)、公明党副代表、厚生大臣(第85代)、厚生労働大臣(第1・2・3代)、公明党特別顧問などを歴任した。 1934年4月1日、三重県一志郡白山町(現:津市)に生まれる。三重県立松阪北高等学校を経て、三重県立大学(現:三重大学)医学部卒業。三重大学大学院医学研究科博士課程修了。大学院修了後は日本赤十字社血液センターで勤務した。 1972年12月、第33回衆議院議員総選挙に出馬し初当選(通算9回)。竹入義勝党委員長の下で党政策審議副会長に就任。以後、10年に渡り同職を務めた。
金重 道明(かねしげ みちあき、1934年4月1日 - 19… 金重 道明(かねしげ みちあき、1934年4月1日 - 1995年12月20日)は、岡山県出身の陶芸家。備前焼の陶工。 「美術人名辞典」 思文閣
今村 奈良臣(いまむら ならおみ、1934年4月1日 - 2… 今村 奈良臣(いまむら ならおみ、1934年4月1日 - 2020年2月28日)は、日本の農業経済学者。学位は、農学博士(1964年)(学位論文「農林国家経費の研究」)。東京大学名誉教授。第一次産業を発展させた「6次産業」の提唱者として知られる。 1934年大分県生まれ。1952年大分県立大分上野丘高等学校卒業。1957年東京大学農学部農業経済学科卒業。1963年同大学院博士課程修了、1964年「農林国家経費の研究」で農学博士の学位を取得。農政調査委員会研究職員。1968年信州大学助教授、1974年東京大学助教授、1982年教授。1984-1985年米国ウィスコンシン大学客員研究員。1994年定年退官、名誉教授、日本女子大学教授、2002年退職。
村田 安穂(むらた やすお、1934年4月1日 - 2020… 村田 安穂(むらた やすお、1934年4月1日 - 2020年9月9日)は、日本の歴史学者。専門は日本近代史。早稲田大学名誉教授。 1934年、埼玉県熊谷市生まれ。1971年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程史学専攻単位取得退学。早稲田大学教育学部教授。2003年、名誉教授。2020年9月9日死去。86歳没。 明治時代初期の神仏分離や廃仏毀釈の地方における動向を『皇告地誌』などから分析し、明らかとした。
天野 勝文(あまの かつふみ、1934年4月 - )は、日本… 天野 勝文(あまの かつふみ、1934年4月 - )は、日本のジャーナリスト、 メディア評論家。元筑波大学教授、元日本大学教授。新聞、テレビ、メディアを研究。 千葉県船橋市に生まれる。1957年(昭和32年)東京大学文学部 社会学科を卒業。 1959年(昭和34年)4月、毎日新聞東京本社入社、社会部、名古屋報道部、編集委員、論説委員などを歴任。 1986年(昭和61年)筑波大学助教授(ジャーナリズム担当)、その後同教授。1997年(平成9年)日本大学法学部新聞学科教授(新聞論担当)になる。2004年(平成16年)3月に同教授を定年退官。 この間、日本マス・コミュニケーション学会、日本記者クラブ会員で現在に至る。
多田 富雄(ただ とみお、1934年3月31日 - 2010… 多田 富雄(ただ とみお、1934年3月31日 - 2010年4月21日)は、日本の免疫学者、文筆家である。東京大学名誉教授。妻の多田式江は医師。大叔父に詩人多田不二がいる。 免疫学・分子生物学を専門とし、免疫機構解明に貢献。随筆執筆や医療・科学を題材にした新作能の創作も行った。著書に『免疫の意味論』(1993年)、『生命の意味論』(1997年)、『独酌余滴』(1999年)などがある。 茨城県結城市出身。旧制水海道中学校、茨城県立結城第二高等学校を経て、千葉大学医学部進学、在学中に安藤元雄、江藤淳らとともに同人雑誌『purete』に詩などを寄稿。千葉大学医学部第二病理学教室に勤務、1964年医学博士(千葉大学、題は「遷延感作ウサギにおける抗体産生の変貌」)、のち教授、1977年東京大学医学部教授、1995年定年退官、東京理科大学生命科学研究所所長。
風祭 元(かざまつり はじめ、1934年3月31日 - 20… 風祭 元(かざまつり はじめ、1934年3月31日 - 2017年8月24日)は、日本の医学者、精神科医。帝京大学名誉教授。
清水谷 薫(しみすだに かおる、1934年〈昭和9年〉3月3… 清水谷 薫(しみすだに かおる、1934年〈昭和9年〉3月31日 - 1961年)は、日本の元女優である。実妹は宝塚歌劇団の万里弥生。 大阪府大阪市生まれ。1952年(昭和27年)大阪府立清水谷高等学校を卒業。1954年3月に東京映画(東宝の関連)入社。出身高校から名付けた「清水谷洋子」の芸名で、「風立ちぬ」(堀辰雄原作、島耕二監督)でデビュー。「あんみつ姫」「赤いカンナの花咲けば」「忘れじの人」などに出演した。 1955年10月、大映の誘いで移籍し「清水谷薫」と改名。京都撮影所に所属し、同年の「怪盗と判官」で、市川雷蔵(遠山金四郎役)や勝新太郎(鼠小僧次郎吉役)と共演。翌年「花の渡り鳥」では、長谷川一夫演じる主人公(榛名の清太郎)の元恋人で、市川雷蔵(佐吉)の妻(おしの)役を演じた。
清水 将之(しみず まさゆき、1934年3月31日 - )は… 清水 将之(しみず まさゆき、1934年3月31日 - )は、日本の医学者・精神科医。名古屋市立大学助教授などを経て、関西国際大学教授。医学博士(大阪大学・1965年)。兵庫県芦屋市生まれ。 1934年兵庫県芦屋市生まれ。1960年大阪大学医学部医学科卒業。1965年大阪大学大学院修了。1965年医学博士(大阪大学)の学位を取得。名古屋市立大学医学部精神科助教授を経て、三重県立こども心療センターあすなろ学園園長。2001年関西国際大学教授。後に関西国際大学大学院教授。三重県立看護大学理事。
佐藤 秀夫(さとう ひでお、1934年3月31日 - 200… 佐藤 秀夫(さとう ひでお、1934年3月31日 - 2002年12月14日)は、日本の教育学者である。政治学者佐藤誠三郎は兄。 東京府生まれ。1958年、東京大学教育学部卒業。1965年、同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学、国立教育研究所所員。同第一研究部史料調査室長、第一研究部長、教育資料・情報センター長。1991年、日本大学文理学部教育学科教授。在職中の2002年12月14日、肝臓癌のため死去。専攻は日本教育史、教育文化史、教育史料研究。
野中 耕一(のなか こういち、1934年3月31日 - 20… 野中 耕一(のなか こういち、1934年3月31日 - 2014年12月9日)は、経済学者、タイ研究者。 愛知県生まれ。1961年東京大学農学部農業経済学科卒業、アジア経済研究所入所。1965年タイ王国カセサート大学留学。1977年アジア経済研究所バンコク事務所代表。1979年JICA専門家としてタイ国メイズ開発計画に参加。1990年チュラロンコン大学客員研究員。1992年アジア経済研究所理事。1997年川崎医療福祉大学客員教授。1983年、『農村開発顛末記』により日本翻訳文化賞受賞。 2014年12月9日、前立腺癌のため死去。
上前 淳一郎(うえまえ じゅんいちろう、1934年(昭和9年… 上前 淳一郎(うえまえ じゅんいちろう、1934年(昭和9年)3月31日 - )は、日本の評論家、ノンフィクション作家、エッセイスト。 岐阜県生まれ。1959年、東京外国語大学英米科を卒業後、朝日新聞社に入社。通信部、社会部記者を経て、1966年退社。以後、評論家として活動。 1976年に上梓した太平洋戦争中、ハワイの捕虜収容所で対日降伏勧告ビラ作製に協力した捕虜たちの足跡を追った『太平洋の生還者』で、日本ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『週刊文春』に1984年から2002年まで「読むクスリ」を長期連載。古荘多聞の名で小説を一作だけ書いている。2002年以降、著述は途絶えている。
岡崎 康雄(おかざき やすお、1934年3月31日 - 20… 岡崎 康雄(おかざき やすお、1934年3月31日 - 2005年5月12日)は、日本の経営者。森下仁丹社長を務めた。和歌山県西牟婁郡日置川町(現在の白浜町)出身。 1957年に同志社大学商学部経営学科を卒業した。同郷の代議士の早川崇の秘書を務めた後の1959年、森下仁丹に入社した。1986年6月、専務に就任し、1987年6月に社長代行、1989年2月に取締役、1990年6月に専務を経て、1999年6月には社長に就任した。2005年4月、会長に就任した。 2005年5月12日肝不全のために死去した。71歳没。
山口 玲子(やまぐち れいこ、1934年3月31日 - )は… 山口 玲子(やまぐち れいこ、1934年3月31日 - )は、日本の伝記作家。近代の日本を生きた女性の伝記を著した。 愛知県名古屋市生まれ。1957年に名古屋大学文学部社会学専攻を卒業後、1964年まで東海テレビ放送に勤務。当時は婦人向けの教養番組を作っており、仕事はおもしろかったと述べている。以降はフリーランスのテレビディレクターおよびライターとして活動。夫と娘の3人家族であり、夫は大学のゼミの先輩で、東海テレビでは同じ1期生であった。のちに名古屋市千種区山門町から静岡県伊東市へ移住。 1960年代末に『明治文学全集』に収録されていた『したゆく水』を読み、のちに伝記を著すことになる古在紫琴を知る。
居作 昌果(いづくり よしみ/いずくり よしみ、1934年3… 居作 昌果(いづくり よしみ/いずくり よしみ、1934年3月31日 - 2005年4月10日)は、日本のテレビプロデューサー。 元TBSにてプロデューサー、演出三部長、第一制作局長、制作局長を歴任後、制作会社・タイクスを設立し、代表取締役社長を務めた。 バラエティ番組のプロデューサーとしての手腕を、日本テレビの井原高忠、フジテレビの横澤彪、テレビ朝日の皇達也と、また自社の後輩である桂邦彦らとしばしば比較される。 息子は元電通プロモーションプラス専務執行役員の居作和果。 1934年、東京府(現在の東京都)生まれ、東京府東京市京橋区銀座(現在の東京都中央区銀座)出身。早稲田大学第一文学部英文科卒業。
久城 育夫(くしろ いくお、1934年<昭和9年> 3月30… 久城 育夫(くしろ いくお、1934年<昭和9年> 3月30日 - )は、日本の地球科学者。専門は岩石学。学位は、理学博士(東京大学・1962年)(学位論文「Petrology of Atumi dolerite(温海粗粒玄武岩の岩石学的研究)」)。日本人で唯一のウォラストン・メダルの受賞者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。勲等は瑞宝重光章。 東京大学理学部助教授、カーネギー研究所地球物理研究所所員、東京大学理学部教授、東京大学理学部学部長、東京大学副学長、岡山大学教授、岡山大学地球内部研究センターセンター長、海洋科学技術センター固体地球統合フロンティア研究システムシステム長などを歴任した。 大阪府出身。
原 康夫(はら やすお、1934年3月30日 - 2024年… 原 康夫(はら やすお、1934年3月30日 - 2024年2月13日)は日本の理論物理学者、理学博士。筑波大学名誉教授。専門は素粒子理論、科学教育。 1934年に神奈川県鎌倉市で生まれる。東京都立大学附属高等学校を経て、1957年に東京大学理学部物理学科卒業、1962年に東京大学大学院数物系研究科博士課程を修了する。同年に東京教育大学理学部助手、1966年から助教授を経て、1975年に筑波大学物理学系教授となる。1992年に筑波大学副学長に就任する。1997年に定年退職し名誉教授となった後に、2004年まで帝京平成大学情報学部教授を務めた。 この間、カリフォルニア工科大学、シカゴ大学、プリンストン高等研究所、トリエステ国際理論物理学センターなどの研究員、2004年から工学院大学CPDセンター客員教授を歴任した。
柴田 道子(しばた みちこ、本姓・横田、1934年3月30日… 柴田 道子(しばた みちこ、本姓・横田、1934年3月30日 - 1975年8月14日)は、日本の児童文学作家、社会運動家。被差別部落問題や狭山事件の被告支援活動にも取り組んだ。 夫は弁護士で狭山弁護団の一員だった横田雄一。 東京市大森区(現・東京都大田区)生まれ。大森区立馬込第三国民学校(各地を転々と疎開)、東京都立雪谷高等学校併設中学校、同高校を卒業。高校在学中、クラスメイトと同人誌『たわごと』を創刊。在校中、自由研究の詩を同校教諭が編集する文芸誌『六華』に発表したほか、太宰治についての購読感想文で学内のコンクールに一等入選している。一方で、持病であった喘息の悪化による出席日数不足のため、1年留年している。
川島 貞雄(かわしま さだお、1934年3月30日 - )は… 川島 貞雄(かわしま さだお、1934年3月30日 - )は、日本の牧師・聖書学者。 東京生まれ。青山学院大学大学院博士課程単位取得退学、ユニオン神学校大学院(ニューヨーク)修士課程修了、西独エアランゲン大学にて神学博士。青山学院大学専任講師、日本聖書神学校教授、東洋英和女学院大学教授、同人間科学部長、日本基督教団青戸教会牧師を経て、同教団隠退教師。
諏訪 春雄(すわ はるお、1934年3月30日 - )は、日… 諏訪 春雄(すわ はるお、1934年3月30日 - )は、日本の近世文学・芸能史学者。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1966年)。学習院大学名誉教授。 新潟県新潟市生まれ。1956年新潟大学人文学部国文学科卒業、1961年東京大学大学院国文科博士課程単位取得退学、1958年中・高等科教諭、1970年学習院女子短期大学教授、1979年学習院大学教授。1966年「元禄歌舞伎の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。2005年定年退職、名誉教授。 国際浮世絵学会理事長、歌舞伎学会監事、日本近世文学会代表など。1995年内山記念浮世絵賞、2004年安倍能成記念学術賞。2013年秋、瑞宝中綬章受勲。
梅田 貞夫(うめだ さだお、1934年(昭和9年)3月29日… 梅田 貞夫(うめだ さだお、1934年(昭和9年)3月29日 - )は、日本の経営者。鹿島建設株式会社会長。博士(工学)。
古賀 力(こが つとむ、1934年3月29日 - 2018年… 古賀 力(こが つとむ、1934年3月29日 - 2018年5月26日)は、長崎県佐世保市出身のシャンソン歌手、作詞家、訳詞家。 青山学院大学卒業。独学でシャンソンを学ぶ。1958年、シャンソン喫茶「ジロー」でデビュー。銀巴里、日劇ミュージックホールに出演し人気シャンソン歌手となる。1968年、自身の店として赤坂に「ブン」をオープン、シャルル・アズナヴールやジルベール・ベコー、レオ・フェレ、ジュリエット・グレコなど錚々たる世界的スターが出演する人気店となる。2011年閉店。 シャンソン歌手としての活動と並行して訳詞家としても活躍、とくにジャン・フェラ(英語版)の「ふるさとの山」は日本人に分かりやすい表現で訳した名曲として多くの歌手にカバーされた。
島津 久永(しまづ ひさなが、1934年(昭和9年)3月29… 島津 久永(しまづ ひさなが、1934年(昭和9年)3月29日 - )は、日本の実業家。前財団法人山階鳥類研究所理事長。ソニー株式会社取締役、財団法人ソニー教育振興財団専務理事、財団法人世界自然保護基金ジャパン副会長などを歴任した。昭和天皇の第五皇女、島津貴子(清宮貴子内親王)の夫。第126代天皇徳仁および秋篠宮文仁親王の義理の叔父にあたる。 1941年(昭和16年) 学習院初等科入学。皇太子明仁親王の学友に選ばれる。1957年(昭和32年)、学習院大学政経学部経済学科を卒業し、経済学士号を取得した。同年、日本輸出入銀行に入行する。1960年(昭和35年)3月10日に昭和天皇の第五皇女である清宮貴子内親王と結婚した。
植松 富司(うえまつ とみじ、1934年3月29日- )は… 植松 富司(うえまつ とみじ、1934年3月29日- )は、日本の経営者。コニカ社長、会長を務めた。静岡県出身。 1956年に東京大学法学部を卒業し、同年に小西六写真工業(のちのコニカ)に入社した。1983年7月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1996年6月に社長に就任した。2001年4月から2003年6月までに会長を務めた。 2004年11月に旭日重光章を受章。
目黒 吉之助(めぐろ きちのすけ、1934年3月29日 - … 目黒 吉之助(めぐろ きちのすけ、1934年3月29日 - 2019年3月14日)は、日本の政治家。 新潟県議会議員(4期)、衆議院議員(1期)などを歴任した。 福島県只見町出身。1961年法政大学大学院政治学研究科修了。日農新潟県連書記長、長岡労農会議議長などを経て、1979年から新潟県議を4期務めた。1990年の総選挙で旧新潟3区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。1995年の参院選に新潟県選挙区、2000年の総選挙に新潟5区からそれぞれ立候補したがいずれも落選している。2005年、旭日小綬章受章。 2019年3月14日、多臓器不全のため、群馬県渋川市内の病院で死去。84歳没。
高倉 みゆき(たかくら みゆき、1934年〈昭和9年〉3月2… 高倉 みゆき(たかくら みゆき、1934年〈昭和9年〉3月28日 - )は、日本の女優である。旧芸名は出生名の和田 道子(わだ みちこ)、結婚後の本名は東 道子。 1934年(昭和9年)3月28日、千葉県銚子市に生まれる。 銚子市立銚子高等学校卒業後の1953年(昭和28年)、東宝に入社し、大部屋女優となった。1955年(昭和30年)、東映京都撮影所に入社、本名の和田道子で映画『紅孔雀』や『百面童子・四部作』などに出演した。 1957年(昭和32年)、新東宝の大蔵貢社長にスカウトされ、同年7月、新東宝に入社した。同年、『戦雲アジアの女王』(野村浩将監督)の川島芳子役で初主演を果たす(公開は1958年1月15日)。
増田 信行(ますだ のぶゆき、1934年3月28日 - 20… 増田 信行(ますだ のぶゆき、1934年3月28日 - 2025年6月3日)は、日本の実業家。三菱重工業取締役社長や、同社取締役会長、日本防衛装備工業会会長等を務めた。 長崎県または静岡県出身。佐賀高校を経て、1957年九州大学工学部卒業、三菱造船(現三菱重工業)入社。1987年三菱重工業広島製作所副所長。1989年三菱重工業下関造船所長。1991年三菱重工業取締役下関造船所長。1992年三菱重工業常務取締役機械事業本部長。1994年三菱重工業取締役副社長機械事業本部長。1995年三菱重工業取締役社長。1999年三菱重工業取締役会長、日本原子力発電取締役。2000年日本防衛装備工業会会長。2001年経済産業省産業構造審議会航空機宇宙産業分科会航空機委員会委員長。
飯倉 照平(いいくら しょうへい、1934年3月28日 - … 飯倉 照平(いいくら しょうへい、1934年3月28日 - 2019年7月24日)は、中国文学者。旧・東京都立大学名誉教授。南方熊楠研究で著名。 千葉県生まれ。東京都立大学中国文学科卒業。出版社勤務を経て、神戸大学文学部講師、東京都立大助教授・教授、1998年定年退官。『南方熊楠全集』、『同選集』(平凡社)の校訂、中国民話の会世話人、南方熊楠邸保存顕彰会で資料整理・刊行に当たった。2004年に南方熊楠賞特別賞受賞。叙従四位、瑞宝小綬章追贈。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鶴田 俊正(つるた としまさ、1934年3月28日 - )は… 鶴田 俊正(つるた としまさ、1934年3月28日 - )は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(論文博士・1986年)(学位論文「戦後日本の産業政策」)。専修大学名誉教授。 東京府(現東京都中野区)出身。早稲田大学政治経済学部卒、1962年同大学院経済学研究科修士課程修了。1986年「戦後日本の産業政策」で経済学博士。国民経済研究協会主任研究員、研究部長を経て、専修大学経済学部教授。2004年定年、名誉教授。1998年『規制緩和』で石橋湛山賞受賞。