小口 高(おぐち たかし、1930年3月31日 - 2010… 小口 高(おぐち たかし、1930年3月31日 - 2010年12月27日)は、日本の地球物理学者。元東京大学教授。地磁気、オーロラなどの研究が専門で、第1次から第3次の南極観測隊に参加し、第12次の南極観測隊では隊長兼越冬隊長を務めた。 長野県岡谷市出身。長野師範学校附属小学校、旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校の前身)、旧制第一高等学校を経て、東京大学理学部に進む。 1955年、東京大学の大学院生であった小口は、教授であった永田武に呼び出され、第1次南極観測隊の隊長に自分がなりそうだが、そうなれば一緒に来るかと尋ねられ、即座に同行を願い出た。小口は、1956年の第1次南極観測隊員に加わり、続いて第2次、第3次の南極観測隊員にも参加した。
大野 正隆(おおの まさたか、1930年3月31日 - )は… 大野 正隆(おおの まさたか、1930年3月31日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球審判員(パシフィック・リーグ)。 1947年福岡県中学修猷館を卒業。在学中は野球部に所属し、同期には、同じくパ・リーグ審判員となる吉田正雄、名古屋ドラゴンズ(現・中日ドラゴンズ)内野手の菅野武雄、一年後輩には、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の内野手として黄金期を支えた河野昭修がいる。その後、福岡第一師範学校(現・福岡教育大学)本科を卒業し、福岡県の公立学校の教員となる。 1959年、福岡県高野連・九州六大学・社会人野球の審判員を経て、菅野武雄からプロ野球審判員になることを勧められたことにより、1961年に教員を退職し、パ・リーグ審判員に就任。
元木 健(もとき けん、1930年3月31日 - )は、日本… 元木 健(もとき けん、1930年3月31日 - )は、日本の教育学者、同和教育研究者、大阪大学名誉教授。
奥村 公延(おくむら こうえん、1930年〈昭和5年〉3月3… 奥村 公延(おくむら こうえん、1930年〈昭和5年〉3月31日 - 2009年〈平成21年〉12月24日)は、日本の俳優。本名及び旧芸名は奥村 進。 秋田県出身。専修大学卒業。東京俳優生活協同組合、芳賀事務所、現代制作舎に所属していた。映像制作事業オミプロの主催者の小美濃たつやは彼の弟子にあたる。 もともとは普通に勤め人をしていて、「このまま自分は淡々とした人生を送って行くんだろうなと思っていた」という。1955年、銀座にたまたま行きつけの飲み屋があり、ここの女性従業員が新劇劇団「近代劇場」のプロデューサーと知り合いだったことから、このプロデューサーからテレビ番組の『ダイヤル110番』(日本テレビ)での役探しを頼まれ、奥村を紹介したところ、これが俳優デビューとなった。
坂本 鉄男(さかもと てつお、1930年3月31日 - 20… 坂本 鉄男(さかもと てつお、1930年3月31日 - 2022年4月28日)は、日本のイタリア文学者、コラムニスト。元ナポリ東洋大学教授。 神奈川県小田原市生まれ。東京外国語大学イタリア語科卒。東京音楽大学講師、東京外国語大学助教授。 1971年、ナポリ東洋大学の教授に就任。 1970年代半ばからサンケイ新聞の嘱託でイタリアとバチカン市国に関するコラムを2020年12月の引退まで執筆を続けた。 1979年、産経新聞連載の『イタリア通信』でイタリア文化会館のマルコ・ポーロ賞を受賞。 1983年、イタリア共和国功労勲章コンメンダトーレ章授与。 2000年、勲三等瑞宝章を受章。 2002年、ナポリ東洋大学教授を退官。
谷口 誠(たにぐち まこと、1930年3月31日 - 202… 谷口 誠(たにぐち まこと、1930年3月31日 - 2024年1月14日)は、日本の外交官、経済学者。専門は南北問題・国際経済。国連貿易開発会議議長、日本人として2人目のユニセフ議長、国連大使、日本人初OECD事務次長、早稲田大学教授等を歴任。 大阪府出身。羽曳野市立高鷲小学校、旧制大阪府立富田林中学校、新制大阪府立富田林高等学校を経て、一橋大学大学院経済学研究科修了後、ジョーン・ロビンソンの勧めで、ロビンソンの指導を受け1958年にケンブリッジ大学を卒業し、新渡戸稲造にあこがれ、1959年外務省入省。1960年にはケンブリッジ大学で修士号を取得。 国際連合新再生エネルギー会議議長や、国際連合貿易開発会議議長、日本人としての2人目のユニセフ議長、国連大使や日本人初のOECD事務次長を務めた後、早稲田大学教授、天津外国語学院客員教授等を歴任。
檜田信男(ひだ のぶお、1930年3月31日- ) は、日本… 檜田信男(ひだ のぶお、1930年3月31日- ) は、日本の会計学者、中央大学名誉教授。 北海道小樽市出身。早稲田大学商学部卒、1960年早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学、77年「近代監査機能の特性とその方法の研究」で商学博士。大東文化大学講師、専修大学助教授、教授、中央大学商学部教授。2000年定年となり、名誉教授。
安井 信夫(やすい のぶお、1930年3月31日 - )は、… 安井 信夫(やすい のぶお、1930年3月31日 - )は、日本の経営学者。中央大学名誉教授。 東京に生まれる。1952年早稲田大学第一商学部卒業。1958年同大学院商学研究科博士課程満期退学。愛知学院大学専任講師、助教授。1968年中央大学助教授を経て、教授。1981年「消費者信用保険の研究」で千葉大学・商学博士。2000年中央大学を定年退職し、名誉教授となる。専門は保険論。
駒谷 明(こまたに あきら、1930年3月30日 - 201… 駒谷 明(こまたに あきら、1930年3月30日 - 2016年12月24日)は、日本の元政治家。元公明党衆議院議員(1期)。 兵庫県神戸市出身。1948年旧制姫路中学校(現・兵庫県立姫路西高等学校)卒。裁判所で働いた後、兵庫県議を3期務める。1983年の第37回衆議院議員総選挙に兵庫3区から公明党公認で立候補して当選した。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選。1989年の第15回参議院議員通常選挙で比例区から立候補したが落選した。
中 庸助(なか ようすけ、本名:中島 和男、1930年(昭和… 中 庸助(なか ようすけ、本名:中島 和男、1930年(昭和5年)3月30日 - )は、日本の俳優・声優。千葉県出身。マウスプロモーション所属。旧芸名:中 庸介。
伊藤 嘉昭(いとう よしあき、1930年3月30日 - 20… 伊藤 嘉昭(いとう よしあき、1930年3月30日 - 2015年5月15日)は日本の生物学者。専門は昆虫学、進化生物学、生態学。寺本英と共に日本に社会生物学/行動生態学を導入し、日本の生態学と動物学を発展させた。
橋上 義孝(はしがみ よしたか、1930年〈昭和5年〉3月3… 橋上 義孝(はしがみ よしたか、1930年〈昭和5年〉3月30日 - 2012年〈平成24年〉11月17日)は、日本の政治家。大阪府河内長野市長(3期)。 大阪府出身。近畿大学法学部卒。河内長野市議会議員、同議長を経て、1996年(平成8年)の河内長野市長選挙に立候補し、当選。2000年(平成12年)、2004年(平成16年)と連続3期(2004年は無投票)。 在任中は、市内ふれあい考古館の開館、シンボルキャラクターのデザインと愛称の決定、市のホームページ開設、南河内清掃施設組合第2清掃工場の稼働、子育て支援センターの開設、市民交流センターと図書館の開館、市の第4次総合計画策定、子ども教育支援センター(川谷会館)の設置などを行った。
泉 眞也(泉 真也、いずみ しんや、1930年3月30日 -… 泉 眞也(泉 真也、いずみ しんや、1930年3月30日 - 2022年1月2日)は、日本の環境デザイナー、プロデューサー。 東京都出身。1955年、東京芸術大学美術学部工芸科を卒業し、キヤノンカメラに入社(技術部配属)。1962年に同社を退社し、フリーランスとなる。同年、世界の都市・高速道路の視察団に参加。帰国後、高速道路標識の文字フォントのデザイン策定統括を担当した。博覧会関連では、1970年大阪万博、1975年沖縄海洋博、1985年つくば科学万博への関与を皮切りに、1990年花の万博、2005年愛・地球博では総合プロデューサーを務めた。後進指導では、金沢美術工芸大学特別客員教授、多摩美術大学美術学部2部デザイン学科客員教授を歴任した。
岸 曉(きし さとる、1930年(昭和5年)3月29日 - … 岸 曉(きし さとる、1930年(昭和5年)3月29日 - 2019年(令和元年)11月15日)は、日本の銀行家。東京三菱銀行頭取、全国銀行協会連合会会長、成蹊学園理事長等を歴任した。 群馬県出身。東京大学経済学部卒業後、三菱銀行に入行。柏支店長、支店、調査各部副部長、八重洲通り支店長、支店部副部長、業務第一、業務企画、総合企画各部長を歴任。 1983年6月取締役に選任。常務、専務を経て、副頭取時代には東京銀行との合併にあっては統合作業を主導し、1996年4月に東京三菱銀行を発足させた。 1998年に頭取に就任。同年に発覚した大手銀行等による大蔵官僚らに対する過剰接待汚職事件では、全銀協会長として、銀行業界が厳しい批判にさらされる矢面に立った。
堤 玲子(つつみ れいこ、1930年3月29日 - )は、日… 堤 玲子(つつみ れいこ、1930年3月29日 - )は、日本の作家・詩人。本名・浅野孝子、のち渋谷姓。 岡山市の貧家に生まれる。1946年就実高等女学校(現・就実中学校・高等学校)卒。終戦直後には岡山駅前で体を売った。自動車組合に就職後、『近代詩人』同人となる。1951年庭瀬駅売店店員となる。1954年結婚。1957年タムタム芸術集団(のち「総合芸術」)同人となり編集長・北田玲一郎のもとで詩を書く。1965年「石原慎太郎論」を書き話題となる。1967年、貧困と性にまみれた自伝的小説『わが闘争』を刊行、ベストセラーになり、佐久間良子主演・中村登監督で松竹で映画化もされ、岡山でロケも行われた。
浅倉 久志(あさくら ひさし、本名:大谷善次、1930年3月… 浅倉 久志(あさくら ひさし、本名:大谷善次、1930年3月29日 - 2010年2月14日)は、日本の翻訳家。 SF作品の翻訳で著名であり、特にカート・ヴォネガット、フィリップ・K・ディック、ウィリアム・ギブスンの作品を多く翻訳している。 また、同業者の伊藤典夫と共に、R・A・ラファティ、コードウェイナー・スミス、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.といった異色の実力派作家を日本に紹介した。カート・ヴォネガット・ジュニアの作品も、伊藤と分担して翻訳・紹介した。 日本の代表的な海外SF翻訳家の一人である。なお、エッセイ集によると日本から外に出たことはないという。日本SF作家クラブ会員。 大阪府大阪市出身。
若泉 敬(わかいずみ けい、1930年(昭和5年)3月29日… 若泉 敬(わかいずみ けい、1930年(昭和5年)3月29日 – 1996年(平成8年)7月27日)は、日本の国際政治学者。元京都産業大学法学部教授。 沖縄返還交渉において、佐藤栄作の密使として重要な役割を果たした。1994年(平成6年)自著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』で沖縄返還に関わる「核密約」が存在していたことを暴露し、2年後に自殺した。 福井県今立郡服間村(現越前市横住)で、父・齊と母・マツエの長男として生まれる。服間尋常小学校卒業後、福井青年師範学校に進学し、後に妻となる根谷ひなをと出会う。1949年(昭和24年)、師範学校本科を卒業し、明治大学政治経済学部政治学科に進学するが、1年後の1950年(昭和25年)、東京大学文科一類を受験し合格。
辻 茂(つじ しげる、1930年3月29日 -2017年7月… 辻 茂(つじ しげる、1930年3月29日 -2017年7月2日)は、日本の美術史学者。東京藝術大学名誉教授。西洋美術史専攻。 福井県敦賀市出身。東京藝術大学美術学部藝術学科卒。イタリアに留学後、同大で教え、日本におけるイタリア美術史の権威の一人として指導に当たった。東京藝術大学美術学部助教授、教授。1997年定年退官、名誉教授。1996年『遠近法の発見』でマルコ・ポーロ賞受賞。ルネサンス期の遠近法の研究で知られた。 2011年11月瑞宝中綬章受章。 退官後はイタリアで在住していた。肺炎のため、入院先のイタリア中部オルビエトの病院で亡くなった。
丹羽 春喜(にわ はるき、1930年3月28日 - 2016… 丹羽 春喜(にわ はるき、1930年3月28日 - 2016年12月24日)は、日本の経済学者。大阪学院大学経済学部名誉教授。専門は比較経済体制論と経済政策論[要出典]。 兵庫県芦屋市出身。1953年関西学院大学経済学部を卒業。1958年、同大学院経済学研究科博士課程満期退学。1960年関西学院大学社会学部専任講師に就く。1964年同社会学部助教授。1965年「ソ連計画経済の能率」で関西学院大経済学博士。1971年関西学院大学社会学部教授。1975年筑波大学大学院地域研究科教授。1977年京都産業大学経済学部教授。1994年大阪学院大学経済学部教授。1997年同大学院経済研究科長。2005年大阪学院大学退職、名誉教授。
堺 勝朗(さかい かつろう、1930年3月27日 - 201… 堺 勝朗(さかい かつろう、1930年3月27日 - 2012年12月10日)は、日本の元俳優、元映画監督である。初期には本名の坂井 勝利(さかい かつとし)で活動した時代もある。坂井 勝朗、堺 克郎といった表記も初期にはあった。軽演劇と独立系成人映画における喜劇俳優として知られる。 1930年(昭和5年)3月27日、埼玉県北足立郡川口町(現在の同県川口市)に生まれる。堺が3歳を迎えた1933年(昭和8年)4月1日に同地域は川口市になった。幼少時に両親と死別し、『ザ・ロケーション』の津田一郎によれば、堺は「強い姉に育てられた」と述懐したという。 第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)4月、旧制・川口市立川口中学校(1951年県に移管されて埼玉県立川口高等学校)に進学したが、中途退学した。
大谷 暢顯(おおたに ちょうけん、1930年3月27日 - … 大谷 暢顯(おおたに ちょうけん、1930年3月27日 - )は、浄土真宗の僧である。法名は「淨如」。真宗大谷派第25代門首。元全日本仏教会会長。上皇明仁の従兄弟に当たる。兄は大谷光紹、大谷暢順、弟は大谷光道。
伊原 徳(、1930年〈昭和5年〉3月27日 - )は、日本… 伊原 徳(、1930年〈昭和5年〉3月27日 - )は、日本の元俳優である。 1930年(昭和5年)3月27日、広島県広島市に生まれる。国立音楽学校卒業。 三及社(灰田兄弟事務所)を経て、1947年(昭和22年)に新東宝(現在の国際放映)へ入社。その後、1950年(昭和25年)には東宝の専属俳優となる。 1954年(昭和29年)に公開された黒澤明監督映画『七人の侍』で映画デビュー。以後、サラリーマンもの、東宝特撮、時代劇等ジャンルを問わず数多くの映画に出演した。東京俳優生活協同組合に所属していた時期もある。 1971年(昭和46年)以降、映画出演の記録がない。 東宝の俳優であった中島春雄は、伊原についておとなしくて真面目な印象であったと述懐している。
岡田春馬(おかだ はるま、1930年3月27日-2007年(… 岡田春馬(おかだ はるま、1930年3月27日-2007年(?))は、日本の英米文学者、帝京大学名誉教授。 岐阜県出身。明治学院大学文学部英文科卒、1957年東京教育大学大学院修士課程修了。岩手大学助教授、大妻女子大学文学部教授、帝京大学文学部教授。帝京大学短期大学国際コミュニケーション学科科長を兼ねる。2005年定年退官、帝京大学名誉教授。専門分野は、現代英米短編小説と劇。
黛 執(まゆずみ しゅう、1930年〈昭和5年〉3月27日 … 黛 執(まゆずみ しゅう、1930年〈昭和5年〉3月27日 - 2020年〈令和2年〉10月21日)は、俳人。長女は俳人・黛まどか。神奈川県生まれ。明治大学専門部政治経済科卒業。俳人協会顧問、日本文藝家協会会員。 神奈川県足柄下郡湯河原町に、父・完、母・フサヨの長男として生まれる。1936年4月、湯河原町立尋常高等小学校に入学。翌年に日中戦争が勃発。1942年4月、前年12月に起った太平洋戦争下、小田原商業学校に進学。1944年、14歳で横浜市・杉田の日本飛行機の工場に学徒勤労動員され、寮生活に入る。動員先で終戦を迎え、郷里に帰る。1946年、明治大学専門部政治経済科に入学するが、ほとんど大学へは行かず文芸書を乱読。
大久保 白村(おおくぼ はくそん、1930年3月27日-)は… 大久保 白村(おおくぼ はくそん、1930年3月27日-)は俳人。東京都生まれ。本名は泰治。日本伝統俳句協会副会長、元・東京都俳句連盟会長。「ホトトギス」、「玉藻」同人。父も俳人で初代海上保安庁長官の政治家、大久保武雄(俳号・橙青)。 1930年、蕉門の俳人、大久保長水(八左衛門宗雅)を先祖に持つ大久保家、大久保武雄の子として東京都に生まれる。学生時代より父親の影響で高濱虚子の「ホトトギス」や水原秋桜子の「馬酔木」、富安風生の「若葉」に投句。立教大学経済学部卒業後、1952年、富士銀行に入行。同行の職場句会がきっかけで風生に師事、後に「ホトトギス」、星野立子の「玉藻」同人となる。父とともに日本伝統俳句協会の設立に尽力し後年、父と同じ副会長となる。
安田 吉三郎(やすだ きちさぶろう、1930年3月26日 -… 安田 吉三郎(やすだ きちさぶろう、1930年3月26日 - 2023年2月26日)は日本の牧師。新改訳聖書のヘブル人への手紙を翻訳する。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
尾崎 賢治(おざき けんじ、1930年3月26日 - 198… 尾崎 賢治(おざき けんじ、1930年3月26日 - 1984年8月12日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。本名は尾崎鑒治。 愛知県刈谷市生まれ。1955年上智大学大学院独文科修士課程修了、上智大学文学部助教授、教授。54歳で死去した。専門はドイツ近代演劇だが、ドイツの児童文学、山岳書などを多く翻訳した。
岩波 剛(いわなみ ごう、1930年(昭和5年)3月26日 … 岩波 剛(いわなみ ごう、1930年(昭和5年)3月26日 - 2023年(令和5年)10月15日)は、昭和・平成期の演劇評論家・編集者。 東京大学文学部卒業。新潮社に編集者として勤務しつつ、外部媒体に演劇評論を執筆。 2023年10月15日、肺炎のため東京都の自宅で死去。93歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
芝田 進午(しばた しんご、男性、1930年3月26日 - … 芝田 進午(しばた しんご、男性、1930年3月26日 - 2001年3月14日)は、日本の哲学者・社会学者。広島大学名誉教授。 石川県金沢市出身。金沢一中、第四高等学校を経て、東京大学文学部哲学科を卒業、法政大学助教授、1967年教授、1976年広島大学教授、1986年唯物論研究協会委員長。1993年定年退官、名誉教授、聖泉短期大学教授。 2001年、胆管癌により死去。
岡本 清(おかもと きよし、1930年3月25日 - )は、… 岡本 清(おかもと きよし、1930年3月25日 - )は、日本の会計学者。千葉県船橋市出身。一橋大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。 専門は、原価計算・管理会計。日経・経済図書文化賞、日本会計研究学会学会賞受賞。第16期日本学術会議会員。2009年瑞宝中綬章受章。 千葉県船橋町(現:船橋市)出身。松本雅男門下。弟子に、廣本敏郎(一橋大学名誉教授、公認会計士・監査審査会長)・尾畑裕(一橋大学名誉教授)・小林啓孝(慶應義塾大学名誉教授)等がいる。モルガン銀行日本代表を務めた藤巻健史(元参議院議員)・石川千晶(公認会計士、情報公開・個人情報保護審査会委員)なども岡本ゼミ出身。 翻訳家の岡本浜江(日本児童文芸家協会顧問、児童文化功労者)は妻。
長谷川 良平(はせがわ りょうへい、1930年3月25日 -… 長谷川 良平(はせがわ りょうへい、1930年3月25日 - 2006年7月29日)は、愛知県半田市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 黎明期の広島カープを代表する投手であり、身長167cmという野球選手としては当時としても小柄な体格から、小さな大投手の異名を取り、通算197勝を記録した。 愛知県半田商工学校卒業後、安田商店(福井県)・安田繊維・新田建設・第一繊維など4つのノンプロチームを渡り歩く。1949年末に設立された広島カープの石本秀一監督が選手集めをしていたところへ、広島への入団が決まっていた内藤幸三が新田建設時代の監督・横沢七郎経由で聞いた長谷川の噂を石本へ伝えたところ、1950年1月に長谷川は広島の入団テストを受けることになる。
3代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年〈昭和5年… 3代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年〈昭和5年〉3月25日 - 2016年〈平成28年〉1月9日)は、上方落語の落語家。本名:河合 一。大阪府大阪市出身。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会会員で死去時点で相談役、1977年から1984年までは第3代会長を務めた。出囃子は『野崎』。2代目桂春団治は実父であり師匠。 2代目桂春団治は実父、河本寿栄は義母。実母とは死別している。兄が早世したため、長男の扱いであった。 浪華商業学校(現在の大阪体育大学浪商高等学校)では野球部で夜まで練習する生活を送った。卒業後、兵庫県宝塚市の自動車部品販売会社でサラリーマンとなる。本人にも父にも落語家の道に進む考えはなかった。
平出 慶道(ひらいで よしみち、1930年3月24日 - )… 平出 慶道(ひらいで よしみち、1930年3月24日 - )は、日本の法学者。専門は商法。学位は、法学博士(1962年)。弁護士(第一東京弁護士会、平出慶道法律事務所)。名古屋大学名誉教授。元西村あさひ法律事務所顧問(カウンセル)。鈴木竹雄門下。弟子に青竹正一など。 手形法における手形理論において、師である鈴木と同じく二段階創造説を採った上で、前田庸の手形権利移転行為有因論を更に発展させ、手形授受の当事者間では有因であるが、第三者との間では無因であるとして相対的有因論を提唱する。手形振出人に意思の欠缺、意思表示の瑕疵のある場合の事例は、前田説では、手形権利移転行為の当事者ではない第三者は善意・無重過失である場合に善意取得によって保護されるのと異なり、過失が有無を問わず善意でありさえすれば保護されることになり、より手形の流通保護に厚い見解となっている。
忍 博次(おし ひろつぐ、1930年3月23日 - 2024… 忍 博次(おし ひろつぐ、1930年3月23日 - 2024年10月22日)は、日本の社会福祉学者、北星学園大学名誉教授。 北海道富良野市生まれ。1954年北海道大学教育学部卒。北星学園大学助教授、教授、2000年定年退任、名誉教授。北海道障害者施策推進協議会会長。
権藤 恒夫(ごんどう つねお、1930年〈昭和5年〉3月23… 権藤 恒夫(ごんどう つねお、1930年〈昭和5年〉3月23日 - 2001年〈平成13年〉5月29日)は、日本の政治家。 福岡県議会議員(2期)、衆議院議員(7期)、公明党国会対策委員長などを歴任した。 福岡県出身。専売公社で働きながら、1957年に夜学を卒業。1955年に創価学会に入会し、九州青年部長を経験。1963年より福岡市議会議員、1967年より福岡県議会議員(2期)を務め、1976年の第34回衆議院議員総選挙で公明党から初当選。 1985年、公明党国会対策委員長の大久保直彦の公明党副書記長就任にともない、後任の公明党国会対策委員長に就任する。 1986年12月、竹入義勝が公明党委員長を退任することにともない、公明党国会対策委員長を退任する。
柴田 穂(しばた みのる、1930年〈昭和5年〉3月21日 … 柴田 穂(しばた みのる、1930年〈昭和5年〉3月21日 - 1992年〈平成4年〉2月1日)は日本のジャーナリスト。元産経新聞論説委員長。 東京生まれ。東京外国語大学外国語学部中国語科卒業。 1954年産経新聞社に入社。のちソウル特派員、および北京支局長となる。紅衛兵らによる文化大革命について、1964年に決まった「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」もあり制約された報道だったが、柴田は壁新聞をよみこなし、権力闘争と看破し取材報道、1967年9月に中華人民共和国を追放となる。その後も中国や北朝鮮に対し客観的な観点で著作を行った。産経新聞論説委員に就任。1979年には『毛沢東の悲劇』シリーズを出版する。
井川 成正(いがわ しげまさ、1930年(昭和5年)3月21… 井川 成正(いがわ しげまさ、1930年(昭和5年)3月21日 - 2021年(令和3年)12月26日)は、日本の政治家。山口県下松市長を4期16年務めた。山口県下松市出身。 久保尋常高等小学校(現:下松市立久保小学校)卒業。 日立製作所笠戸工場に就職し、後に同社関連会社の清和工業株式会社を設立して代表取締役社長(市長当選後は取締役会長)に就任。 学校法人妹背学園理事長として市内の幼稚園3園を経営している。 退任時点で86歳であり、現役の市長としては全国で最高齢であった。山口県市長会会長を歴任した。 2016年11月、旭日中綬章を受章。 2021年12月26日9時22分、心不全のため、山口県周南市の病院で死去。
明珍 昇(みょうちん のぼる、1930年3月20日 - 20… 明珍 昇(みょうちん のぼる、1930年3月20日 - 2002年3月13日)は、日本の詩人、文芸評論家。 大阪府出身。関西大学専門部二部国文科を経て、1959年同大学院国文学修士課程修了。大阪府の愛唱歌「あなたの胸に わたしの胸に」を作詞した。大阪府立旭高等学校の教員時に、同校の校歌も作詞した。 関西詩人協会の運営委員として、1994年の協会設立当時から活動していた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
浅野 晃(あさの あきら、1930年3月20日 - )は、日… 浅野 晃(あさの あきら、1930年3月20日 - )は、日本文学者、共立女子大学名誉教授。近世散文、特に井原西鶴を専門とした。 仙台市生まれ。1953年東北大学文学部国文学科卒業、1958年京都大学大学院文学研究科仏文科博士課程満期退学。立正大学文学部講師、助教授、共立女子大学助教授、教授、2000年定年退任、名誉教授。
高田 敏(たかだ びん、1930年(昭和5年)3月19日 -… 高田 敏(たかだ びん、1930年(昭和5年)3月19日 - 2022年(令和4年)12月16日)は、日本の法学者。専門は行政法。大阪大学名誉教授。兵庫県出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
和田 旦(わだ あきら、1930年3月19日 - 2020年… 和田 旦(わだ あきら、1930年3月19日 - 2020年7月6日)は、英文学者、音楽評論家、慶應義塾大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 福岡県生まれ。1958年慶應義塾大学大学院修士課程修了(英文学専攻)。慶應義塾大学教養部助教授、教授、95年定年、名誉教授、埼玉短期大学教授・学長。文芸誌『同時代』同人。2020年、7月6日死去。叙従四位。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長田 暁二(おさだ ぎょうじ、1930年〈昭和5年〉3月19… 長田 暁二(おさだ ぎょうじ、1930年〈昭和5年〉3月19日 - 2024年〈令和6年〉11月4日)は、日本の音楽文化研究家、音楽プロデューサー。ポリドール・レコード学芸部長、徳間音楽工業常務取締役、テイチクエンタテインメント顧問を歴任。 岡山県笠岡市生まれ。笠岡市の禅寺威徳寺の次男として育つ。1953年、駒澤大学英米文学科卒業。 大学在学中からコロムビアレコードでアルバイトをし、レコード業界に出入り。卒業後、同年キングレコード入社。童謡担当ディレクターを振り出しに22年間ディレクターを務めた。 1968年、芸術祭賞受賞(児童のための音楽入門レコード『チュウちゃんが動物園へいったお話』)に始まり、同奨励賞3回、批評家選賞1回。
石間 春夫(いしま はるお、昭和5年〈1930年〉3月19日… 石間 春夫(いしま はるお、昭和5年〈1930年〉3月19日 - 平成2年〈1990年〉1月4日)は、日本のヤクザ。五代目山口組舎弟。誠友会初代会長。北海道夕張郡長沼町出身。通称は「北海のライオン」。 昭和5年(1930年)3月19日、北海道夕張郡長沼町で生まれた。 昭和19年(1944年)、久里浜の海軍対潜学校を卒業し、大湊警備所属の海防艦137号に配属された。 昭和20年(1945年)の終戦後、北海道夕張郡長沼町に復員した。すぐに長沼町で愚連隊を組織した。 昭和37年(1963年)、5月、長岡宗一は小高竜湖に逆破門状を送った。長岡宗一は、舎弟や若衆が先に小高龍湖を襲撃することは、認めなかった。
宮本 保孝(みやもと やすたか、1930年3月18日 - 2… 宮本 保孝(みやもと やすたか、1930年3月18日 - 2006年2月27日)は、東京府出身の大蔵官僚。 大蔵省では銀行局長、理財局長などを務めた。銀行局長に就任し、同期のなかで最も早く局長に就いた。時に国際化や自由化、金利一元化にみる郵貯問題で銀行局や業界事態が地盤沈下していた中での就任だったが、就任理由は、澄田智元銀行局長の下で金融効率化問題を手掛けるなど、課長補佐時代から将来の銀行局長候補といわれていたこと、直接的には、前任の米里恕局長が新銀行法制定作業を巡り銀行業界(全銀協)と対立。銀行界が造反し、時の渡辺美智雄蔵相に直訴したトラブルで、翌年夏に更迭されたため。 退官後は信金中央金庫(全信協ないし全信連)の初代理事長を務めた。
山田 精吾(やまだ せいご、1930年 <昭和5年> 3月1… 山田 精吾(やまだ せいご、1930年 <昭和5年> 3月18日 - 1996年 <平成8年> 2月10日)は、昭和から平成時代の労働運動家。日本労働組合総連合会(連合)初代事務局長。位階は従四位。 宮崎県延岡市生まれ。1946年旧制延岡中学校卒。1948年旭化成工業(現旭化成)ダイナマイト工場に入社、全旭化成労働組合連合会(全旭連)ダイナマイト労組書記長。同年の旭化成争議では青年行動隊長として活躍し、ダイナマイトを腹に括りつけて経営側と対峙したことから「ダイナマイト男」の愛称が生まれた。1950年全旭連ダイナマイト労組執行委員。1951年同労組書記長、副委員長に選出され、全国繊維産業労働組合同盟(全繊同盟)化繊連合会に書記として出向。
高見 英一(たかみ えいいち、1930年3月18日 - )は… 高見 英一(たかみ えいいち、1930年3月18日 - )は、日本のスペイン文学者、翻訳家。法政大学名誉教授。 大阪市生まれ。1954年東京外国語大学スペイン語科卒。1957年同志社大学講師、1963年法政大学教養部講師、助教授、第一教養部教授。2001年定年退任、名誉教授。
山本 明夫(やまもと あきお、1930年3月18日 - 20… 山本 明夫(やまもと あきお、1930年3月18日 - 2017年7月9日)は、日本の化学者。専門は有機金属化学。学位は、工学博士(東京工業大学・1959年)。東京工業大学名誉教授、栄誉教授。文化功労者。勲等は勲三等。 カリフォルニア大学バークレー校博士研究員、マックス・プランク石炭研究所博士研究員、東京工業大学資源化学研究所教授、東京工業大学資源化学研究所所長、社団法人日本化学会会長、早稲田大学理工学総合研究センター顧問研究員などを歴任した。 東京府出身の有機金属化学者である。有機遷移金属錯体の合成反応についての研究で知られている。パラジウムなどの遷移金属を含む新しい金属錯体を合成し、その化学的性質を研究することでカルボニル化などの合成反応を開発してきた。
加藤 文三(かとう ぶんぞう、1930年3月18日- )は、… 加藤 文三(かとう ぶんぞう、1930年3月18日- )は、日本の教師、歴史家。 配偶者は、加藤好子。 東京生まれ。東京都立大学 (1949-2011)卒業。江東区立第二砂町中学校などで33年間社会科を教える。 埼玉大学などで講師として社会科教育法を担当。東京都歴史教育者協議会の一員として活動し、日教組の教育研究集会などで、教育実践の報告を重ねた。
桑名 義治(くわな よしはる、1930年3月18日 - 20… 桑名 義治(くわな よしはる、1930年3月18日 - 2021年1月2日)は、日本の元政治家。元公明党衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)。 福岡県出身。1956年明治大学法学部卒。福岡県議を経て、1969年の第32回衆議院議員総選挙で福岡4区から公明党公認で立候補して当選。1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選。1974年の第10回参議院議員通常選挙で福岡県選挙区から公明党公認で立候補して当選。2期務める。参議院運輸委員長、党中央委員などを歴任した。1986年の第14回参議院議員通常選挙で落選した。 2021年1月2日11時35分、誤嚥性肺炎のため、北九州市内の病院で死去。90歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
伊原 吉之助(いはら きちのすけ、1930年3月17日 - … 伊原 吉之助(いはら きちのすけ、1930年3月17日 - )は、昭和、平成の台湾問題学者、比較近代史学者。 大阪府堺市生まれ。大阪府立堺中学校(現在の大阪府立三国丘高等学校)、大阪市立都島工業専門学校電気科(現在の大阪市立大学工学部)を経て、1950年、神戸大学経済学部入学。1959年、神戸大学大学院経済学研究科修了。 大学院修了後、龍谷大学経済学部講師を経て、1964年帝塚山大学教養学部助教授。1971年、同教授。2000年、定年退職し名誉教授。日亜協会会長