釜本 邦茂(かまもと くにしげ、1944年〈昭和19年〉4月… 釜本 邦茂(かまもと くにしげ、1944年〈昭和19年〉4月15日 - 2025年〈令和7年〉8月10日)は、日本(京都府京都市右京区太秦出身)の元サッカー選手、元サッカー指導者、元政治家、実業家。位階は正五位。 自由民主党所属の元参議院議員(1期)。日本サッカー協会 (JFA) 顧問。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。 日本サッカーリーグでは、251試合出場し、通算202得点(歴代1位)、通算79アシスト(歴代1位)を記録。得点王7回、アシスト王3回、年間優秀11人賞14回、日本年間最優秀選手賞7回受賞(歴代1位)と傑出した活躍を見せた。また、サッカー日本代表として国際Aマッチ76試合75得点(総通算231試合153得点)を記録し、1968年メキシコシティーオリンピックでは、アジア人初の得点王となった。
垣内 剛(かきうち たけし、1944年4月15日-)は、日本… 垣内 剛(かきうち たけし、1944年4月15日-)は、日本の実業家。西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)元代表取締役社長。 大阪府出身。大阪府立北野高等学校を経て、1969年に東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業し、日本国有鉄道入社。 2003年からJR西日本社長を務めていたが、2005年のJR福知山線脱線事故の責任を取り、2006年 取締役兼執行役員に降格。2007年から取締役を退任し顧問を務めていた。事故後は、遺族らとともに悲嘆についての聖トマス大学(当時、2015年閉学)の公開講座に参加するなど深く反省を示していた。2009年 山崎正夫社長(当時)が記者会見で、歴代社長の事故への責任を明確化するために顧問契約を解消し、南谷昌二郎顧問同様、8月1日付で嘱託となることを明らかにした。
松本 正之(まつもと まさゆき、1944年4月14日 - )… 松本 正之(まつもと まさゆき、1944年4月14日 - )は、日本の経営者。東海旅客鉄道(JR東海)特別顧問。元同社代表取締役社長、副会長。第20代日本放送協会(NHK)会長。 三重県伊勢市出身。三重県立伊勢高等学校を経て、名古屋大学法学部卒業。 1967年4月、日本国有鉄道(国鉄)に就職。 1987年4月に国鉄が分割民営化された際には、新幹線総局に在籍していたことからJR東海に配属され、新幹線運行本部総務部長。その後人事部長、取締役・秘書室長、常務取締役、専務取締役などを歴任。2000年6月から代表取締役副社長を、2004年7月から代表取締役社長をそれぞれ務め、2010年4月に新設された代表取締役副会長に就任。
成清 美治(なりきよ よしはる、1944年4月14日 - )… 成清 美治(なりきよ よしはる、1944年4月14日 - )は、日本の社会福祉学者。神戸親和女子大学客員教授。 兵庫県生まれ。1970年日本福祉大学社会福祉学部卒業、1985年龍谷大学大学院文学研究科修士課程修了。四条畷学園女子短期大学教授、神戸市看護大学教授、神戸女子大学教授、福井県立大学教授、2007年神戸親和女子大学教授、2014年定年退任。2006年「新・ケアワーク論」で日本福祉大学より博士(社会福祉学)の学位を取得。
小沢 克介(おざわ かつすけ、1944年4月13日 - )は… 小沢 克介(おざわ かつすけ、1944年4月13日 - )は、日本の弁護士、政治家。立憲民主党山口県総支部連合会顧問。 衆議院議員(3期)、裁判官訴追委員会委員、裁判官弾劾裁判所裁判員、山口県弁護士会会長などを歴任した。小澤 克介とも表記される。 父の赴任先の台湾台北州台北市に生まれ、山口県山口市で育つ。山口県立山口高等学校を経て、慶應義塾大学法学部を卒業し、宇部興産(現:UBE)入社。1973年、28歳で司法試験に合格(司法修習28期)し、その後1976年に弁護士登録。 自民党議員の息子ながら、1983年の第37回衆議院議員総選挙で山口2区から日本社会党公認で立候補し、初当選。以後、3期連続当選。
松谷 浩尚(まつたに ひろなお、1944年〈昭和19年〉4月… 松谷 浩尚(まつたに ひろなお、1944年〈昭和19年〉4月13日 - 2020年〈令和2年〉11月22日、享年76歳)は、日本の外交官、トルコ研究者(専攻:トルコ近現代史)。 1944年三重県に生まれる。慶應義塾大学法学部卒業、同大学院修士課程(政治学)修了、イスタンブール大学 Ph.D.(政治学博士号)取得。 1969年外務省入省。外務省経済協力局技術協力課課長補佐、東京大学非常勤講師、イスタンブール領事、東京大学非常勤講師、在ジェッダ日本国総領事館首席領事、などを歴任。2006年から2008年までイスタンブール総領事を務める。 現代トルコやトルコ語、トルコ系言語、トルコ社会論に関する著書を刊行している。
近藤 忠夫(こんどう ただお、1944年4月12日 - 20… 近藤 忠夫(こんどう ただお、1944年4月12日 - 2020年4月7日)は、日本の経営者。日本触媒社長、会長を務めた。 新潟県出身。1967年に京都大学工学部合成化学科を経て、1973年に京都大学大学院理学研究科を修了し、同年に日本触媒に入社した。2000年6月に日宝化学社長に就任し、2003年6月に日本触媒常務を経て、2004年6月に副社長に就任し、2005年4月には社長に昇格した。2011年4月に会長に就任。 2019年11月に旭日中綬章を受章。 2020年4月7日、病気のために死去。75歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
渡部 惇二(わたなべ じゅんじ、1944年(昭和19年)4月… 渡部 惇二(わたなべ じゅんじ、1944年(昭和19年)4月12日 - )は、日本のボクサー。 近畿大学在学中に、1968年メキシコシティーオリンピックで男子ライトフライ級に出場し、ソビエト連邦のヴィクトル・ザポロージェツ(英語版、ロシア語版)に敗れ、1回戦敗退した。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
金子 正子(かねこ まさこ、1944年4月12日 - )は、… 金子 正子(かねこ まさこ、1944年4月12日 - )は、東京都出身のアーティスティックスイミングのコーチ。(財)日本水泳連盟シンクロ委員長、監事、(財)日本オリンピック委員会強化委員・専任コーチ、情報戦略委員会リーダーなどを経て、現在、日本水泳連盟顧問、日本体育協会評議委員、三菱財団養和会理事などを務めている。 1944年東京都生まれ。 東京家政学院高校を経て、1967年に東京家政学院大学家政学部を卒業後、東京シンクロクラブのコーチに。1980年から日本水泳連盟シンクロ強化部長。1984年ロサンゼルスオリンピックから1996年アトランタオリンピックまで、ナショナルチームを率いて合計7個のメダルを獲得。
八木 幸二(やぎ こうじ、1944年4月12日 - )は、日… 八木 幸二(やぎ こうじ、1944年4月12日 - )は、日本の建築家、教育者、研究者。東京工業大学名誉教授、京都女子大学名誉教授、工学博士。 愛知県一宮市生まれ。1969年, 東京工業大学工学部建築学科卒業。1969年から1970年まで, 東京工業大学清家清研究室で大阪万博スイス館現場担当。1970年同大学助手。1971年から1974年にかけて、シリアの都市計画援助OTCA派遣。シリアの農村計画に従事。1975年から1976年まで、オーストラリアのクインズランド大学研究員。風土建築を研究。1980年オクラホマ大学客員助教授。1987年マサチューセッツ工科大学客員研究員、1987年東京工業大学助教授、1995年東京工業大学教授、2010年3月東京工業大学を定年退職、2010年9月-11月上海同済大学客座教授。
片山 美佐子(かたやま みさこ、1944年4月11日 - )… 片山 美佐子(かたやま みさこ、1944年4月11日 - )は、日本の陸上競技の選手である。 1964年東京オリンピックで女子やり投に出場した。 バンコクで開催された1966年アジア競技大会に出場し、やり投で優勝した。
小林 芳文(こばやし よしふみ、1944年4月11日 - )… 小林 芳文(こばやし よしふみ、1944年4月11日 - )は、日本の特殊教育学者、横浜国立大学名誉教授。 長野県出身。1973年東京大学大学院教育学研究科博士課程修了、1974年「幼児の体力発達に関する研究 とくに幼児の平衡機能について」で教育学博士。東大助手、1976年国立特殊教育総合研究所に入り、1984年横浜国立大学教育学部助教授、教育人間科学部教授、2009年定年退任、名誉教授、和光大学現代人間学部教授、2015年退任。
中田 新一(なかだ しんいち、1944年4月11日 - )は… 中田 新一(なかだ しんいち、1944年4月11日 - )は、日本の映画監督である。株式会社サクセスロード所属(1988年設立)。 石川県出身。早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。フリーの助監督として深作欣二、山本薩夫、熊井啓、佐藤純彌らに師事。現在監督としては主に映画であるが、独立プロにて自身の企画映画をコンスタントに制作している。2010年に著書『奔れ! 助監督』を上梓、トラブルも少なくなかった長年の助監督、監督生活を回顧している。 最近は、九州地方の協力で九州を舞台とするものを多く制作している。車いすバスケットボールをテーマにした『ウイニング・パス』は北九州市功労賞受賞。これがきっかけで北九州市の特命文化大使に起用されるが、それ以外でも、主演の松山ケンイチは本作が映画初主演となった。
大須賀 虔(おおすか けん、1944年4月10日 - 200… 大須賀 虔(おおすか けん、1944年4月10日 - 2001年9月27日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。学位は、法学博士(東京大学・1975年)(学位論文「民事上告法の基礎的問題-制度目的との関連に於ける一考察-」)。成城大学名誉教授。民事上告制度と国際民事訴訟法に関する業績が多い。2001年9月27日に逝去。享年57。
落合 誠一(おちあい せいいち、1944年4月10日 - )… 落合 誠一(おちあい せいいち、1944年4月10日 - )は、日本の法学者。専門は商法。東京大学名誉教授。前中央大学教授。弁護士(登録番号:35071)。西村あさひ法律事務所顧問(オブ・カウンセル)、西村高等法務研究所所長。鴻常夫門下。弟子に、小塚荘一郎、榊素寛、飯田秀総、得津晶など。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
桜井 郁三(櫻井 郁三、さくらい いくぞう、1944年〈昭和… 桜井 郁三(櫻井 郁三、さくらい いくぞう、1944年〈昭和19年〉4月10日 - 2013年〈平成25年〉2月10日)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。 神奈川県藤沢市出身。日本大学法学部政治経済学科卒業。大学時代に政治の世界に興味を持ち、在学中は自民党学生部に入部。卒業後、自民党本部職員として政治を学ぶ。30歳の時、藤沢市議会議員に初当選。初めての選挙では自民党本部の職員であったことから地方議員の選挙でありながら自民党の大物政治家たちが応援に駆けつけた。以降、藤沢市議会議員を4期務める。 1996年、第41回衆議院議員総選挙において51,360票を得て衆議院議員に初当選。
三遊亭 左圓馬(さんゆうてい さえんば、1944年4月10日… 三遊亭 左圓馬(さんゆうてい さえんば、1944年4月10日 - 2023年10月27日)は、群馬県吾妻郡中之条町出身の落語家。落語芸術協会所属。本名∶横手 基彦。出囃子は『鉄道唱歌』。 1969年1月、四代目三遊亭圓馬に入門。前座名「喜久馬」を名乗る。 1973年4月、二ツ目に昇進し「三遊亭桂馬」に改名。二ツ目時代は「落語水心倶楽部」を結成し全国で落語会を開催した。 1984年4月、四代目三遊亭圓左、三代目三遊亭小圓右、三遊亭左遊、桂南治と共に真打昇進し「三遊亭左圓馬」に改名。 2023年10月27日、死去。79歳没。 訃報は所属されている落語芸術協会からは会員や公には告知されず、11月頃にプロフィールに忌日が追記され掲載欄が「故人」の項に変更されていた。
宇山 日出臣(うやま ひでお/ひでおみ、1944年4月9日 … 宇山 日出臣(うやま ひでお/ひでおみ、1944年4月9日 - 2006年8月3日)は、日本の文芸編集者。本名、宇山秀雄。戸川安宣とともに、ミステリ小説のジャンル「新本格」の仕掛け人として知られる。 京都市出身。同志社大学を卒業後、三井物産に入社するが、2年後の1969年、中井英夫『虚無への供物』を文庫化したいという思いから、講談社に途中入社する。すぐに星新一宅を訪れて、1971年『エヌ氏の遊園地』を講談社文庫から刊行。1974年3月、『虚無への供物』を講談社文庫のAXシリーズ(日本SF・ミステリのレーベル)の最初の本として刊行開始し、また同1974年に「海外SF・ミステリのレーベル」であるBXシリーズも刊行開始する。
荒川 詔四(あらかわ しょうし、1944年(昭和19年)4月… 荒川 詔四(あらかわ しょうし、1944年(昭和19年)4月8日 - )は、日本の経営者。株式会社ブリヂストン代表取締役社長や会長を歴任した。 山形県出身。山形県立長井高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部卒業後、ブリヂストン入社。タイ現地法人社長、本社取締役、常務、専務、副社長、ヨーロッパ現地法人会長 を経て、2006年本社社長に就任。主に海外事業を手がけ、同社の海外展開に貢献。2012年3月に会長就任。2013年3月に相談役に退いた。
泉 政伸(いずみ まさのぶ、1944年4月8日 - )は、広… 泉 政伸(いずみ まさのぶ、1944年4月8日 - )は、広島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 ボールコントロールに優れ、技術、戦術眼に優れたゲームメーカー。トヨタ自動車工業の中心選手として1972年の日本サッカーリーグ2部、初代アシスト王となり2部優勝、翌1973年の1部昇格に貢献した。明治大学時代の1965年に日本代表入りし、同年3月25日のシンガポール代表戦で代表デビューを飾り、国際Aマッチ1試合に出場した。しかし日本リーグに加盟していなかったトヨタに進んだため、その後は代表には定着できなかった。 引退後は指導者の道へ進み、1987年に古巣のトヨタ自動車の監督を務めた。 日本サッカーリーグ1部成績
水谷 和生(みずたに かずお、1944年4月8日 - )は、… 水谷 和生(みずたに かずお、1944年4月8日 - )は、日本の経営者。ミサワホーム社長を務めた。 三重県出身。1968年に京都大学経済学部経済学科を卒業し、同年に三和銀行に入行。1996年6月に取締役に就任し、1999年6月に常務、2000年6月に東洋不動産社長を経て、2002年10月にミサワホーム副社長に就任し、2003年12月にはミサワホームホールディングス社長に昇格。2008年6月に会長を経て、2010年6月には相談役に就任。2012年5月には桃山学院理事長に就任。
下田 智久(しもだ ともひさ、1944年4月8日 - 202… 下田 智久(しもだ ともひさ、1944年4月8日 - 2023年12月28日)は、日本の厚生労働技官、医師。厚生労働省大臣官房技術総括審議官や、厚生労働省健康局長、日本健康・栄養食品協会理事長等を歴任した。 熊本県生まれ。1969年熊本大学医学部卒業、厚生省入省。1975年埼玉県本庄保健所長。1977年厚生省公衆衛生局栄養課課長補佐。厚生省大臣官房総務課ライフサイエンス室長等を経て、1988年茨城県衛生部長。1990年労働省安全衛生局労働衛生課長。1992年厚生省老人保健福祉局老人保健課長。1994年厚生省保険局医療課長。1996年厚生省大臣官房厚生科学課長。1998年労働省労働基準局安全衛生部長。
大熊 栄(おおくま さかえ 1944年4月8日 - 2007… 大熊 栄(おおくま さかえ 1944年4月8日 - 2007年1月21日)は、日本のイギリス文学者、翻訳家。名前の表記は「大熊 榮」もある。 埼玉県南埼玉郡菖蒲町出身。1970年東京教育大学文学部卒業。1975年東京都立大学大学院博士課程修了。専門分野はイギリス文学(ジョン・ダンの詩、現代小説)。 1975年國學院大學専任講師、1977年助教授、1979年明治大学助教授、1984年教授、2001年筑波大学教授。大学での自由研究時間に翻訳業務をこなす。2003年筑波大学英語教育学会会長。2006年関東学院大学、同大学院教授。2007年逝去。 A・J・クィネルの全作品を翻訳しているほか、アルトゥーロ・ペレス・レベルテの『呪のデュマ倶楽部』(と、その映画化のノベライズ『ナインスゲート』)、ジェイムズ・ヘリオット『生きものたちよ』、マーティン・エイミス『サクセス』『時の矢』など、訳書多数(以上、『地獄の静かな夜』の訳者紹介)。
吉田 憲正(よしだ のりまさ、1944年4月8日 - 202… 吉田 憲正(よしだ のりまさ、1944年4月8日 - 2024年3月30日)は、日本の経営者。泉州銀行頭取、池田泉州ホールディングス会長を務めた。奈良県出身。 1968年に一橋大学商学部を卒業し、同年に三和銀行に入行した。1995年6月に取締役に就任し、1998年3月に常務、1999年6月に専務を経て、2000年4月には泉州銀行頭取に就任。2010年6月に池田泉州銀行会長に就任し、2012年6月には特別顧問に就任。 2008年11月に藍綬褒章を受章。 2024年3月30日、病気により死去した。79歳没。死没日付をもって従五位に叙され、旭日小綬章を追贈された。
大磯 武(おおいそ たけし、1944年4月8日 - )は、富… 大磯 武(おおいそ たけし、1944年4月8日 - )は、富山県新湊市(現在の射水市)出身で立浪部屋所属の元大相撲力士、東京プロレス、国際プロレス所属の元プロレスラー。本名は、摺崎武二(するさき たけじ)。大相撲時代の四股名は大磯浪(おおいそなみ)、最高位は三段目14枚目。プロレスラー時代は身長181cm、体重117kg。 大相撲の立浪部屋に入門し、1963年7月場所に本名の摺崎の四股名で初土俵を踏んだ。1965年3月場所に四股名を大磯浪に改名したが伸び悩み、1966年5月場所をもって三段目で廃業した。大相撲廃業後は1966年に東京プロレス設立に伴い、プロレスラーに転向。入門同期には寺西勇・大剛鉄之助・柴田勝久・永源遙らがいた。
矢吹 申彦(やぶき のぶひこ、1944年4月7日 - 202… 矢吹 申彦(やぶき のぶひこ、1944年4月7日 - 2022年10月28日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、装丁家、随筆家。俳号は矢吹猿人(さるんど)。 東京都世田谷区出身。東京都立駒場高等学校卒業。1965年に桑沢デザイン研究所へ入学、1967年に同研究所抹籍。同年から、フリーのグラフィックデザイナー、イラストレーターに。専門学校時代から音楽雑誌のイラストなどを手がける。和田誠のアシスタントをしながら、雑誌『話の特集』のスタッフもつとめていた。 1969〜76年月刊『ニューミュージック・マガジン』のADと表紙絵を担当。1981〜1990年月刊『潮』、1983年〜季刊『教育と施設』、1992〜1995年月刊『東京人』各誌の表紙絵担当。
雑賀 幸男(さいが ゆきお、1944年4月7日- )は、和歌… 雑賀 幸男(さいが ゆきお、1944年4月7日- )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手/外野手・右投右打)である。
堀内 健志(ほりうち たけし、1944年4月7日 - )は、… 堀内 健志(ほりうち たけし、1944年4月7日 - )は、日本の法学者。専門は憲法・行政法。学位は、法学博士(東北大学、1985年)。弘前大学名誉教授。岩手県出身。小嶋和司門下。 青森法学会会長、比較憲法学会理事、東北法学会理事。また、厚生労働省青森地方労働審議会委員、青森県環境審議会委員、弘前市行政改革推進委員会委員を努めるなど、青森県における重要なbrain trustとなっている。学部の講義においても積極的にドイツ語の文献を取り入れるなどし、高度かつ最先端な講義内容を展開している。所属ゼミ生の進路としては地方公務員、上場企業が多い。趣味は競技ダンス、卓球など多彩。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
笠原 十九司(かさはら とくし、1944年4月6日 - )は… 笠原 十九司(かさはら とくし、1944年4月6日 - )は、日本の歴史学者。都留文科大学名誉教授。専門は中国近現代史。 群馬県生まれ。群馬県立前橋高等学校、東京教育大学文学部卒業。同大学院修士課程中退。宇都宮大学教育学部教授、都留文科大学教授を経て、1999年より南京師範大学南京大虐殺研究センター客員教授、2000年より南開大学歴史学部の客員教授を務める。 2009年、東京大学より博士(学術)の学位を取得、学位論文の題は「第一次世界大戦期の中国民族運動と東アジア国際関係」。 日中戦争初期に起きた南京事件研究者の1人。本来は中国近代経済史が専門だったが、1980年代半ばから南京事件の研究を開始し、歴史認識論争に巻き込まれたことで、戦史研究が主となった。
林 俊宏(はやし としひろ、本名:林 俊彦(はやし としひこ… 林 俊宏(はやし としひろ、本名:林 俊彦(はやし としひこ)、1944年4月6日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(内野手、投手)・コーチ。
高橋 治之(たかはし はるゆき、1944年(昭和19年)4月… 高橋 治之(たかはし はるゆき、1944年(昭和19年)4月6日 - )は、日本の実業家。電通元顧問・専務。株式会社コモンズ代表取締役会長。元東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事。高橋治則(故人。元イ・アイ・イグループ社長)は実弟。 東京都生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後の1967年、電通に入社。また、1980年に設立された慶應高校同窓会の第4代会長を務め、2022年10月時点から2024年1月現在、同窓会評議員を務めている。 電通時代は、1977年に”サッカーの王様”ペレの引退試合を日本で実施することを社内で耳にし、自ら名乗りを挙げ無事成功させた。
安達 正勝(あだち まさかつ、1944年4月6日 - )は、… 安達 正勝(あだち まさかつ、1944年4月6日 - )は、フランス文学者。岩手県盛岡市生まれ。 岩手県立盛岡第一高等学校を経て、東京大学文学部仏文科卒業、同大学院修士課程修了。フランス政府給費留学生として渡仏、パリ大学(第8)博士課程中退。各大学非常勤講師をしつつ、フランスの伝記的読物を執筆している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
原田 大二郎(はらだ だいじろう、1944年〈昭和19年〉4… 原田 大二郎(はらだ だいじろう、1944年〈昭和19年〉4月5日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 神奈川県横浜市生まれ、山口県育ち。明治大学法学部卒業。文学座出身。プロデューサープレイヤー、舞プロモーションを経て、個人事務所ロビンフッド・アーチスツを設立。俳優・歌手の高橋元太郎の所属事務所アネモイエンタテインメントに所属(メンバー)している。 2001年から2010年までは明治大学特別招聘()教授として朗読を指導していた。妻は英文学者で第5代東洋学園大学元学長の原田規梭子。女優で元AKB48の岩田華怜は大姪(姉の孫)。 横浜で生まれ。2歳のとき、山口県に住む伯父の養子となる。上関町八島、田布施町城南(現在・宿井)、平生町佐賀、光市脇田(現在・光井4丁目)などに居住した。
細田 博之(ほそだ ひろゆき、1944年(昭和19年)4月5… 細田 博之(ほそだ ひろゆき、1944年(昭和19年)4月5日 - )は、日本の政治家、元通産官僚。自由民主党所属の衆議院議員(9期)、自由民主党総務会長(第54代)、清和政策研究会会長。島根県松江市出身。
山本 義彦(やまもと よしひこ、1944年4月5日 - )は… 山本 義彦(やまもと よしひこ、1944年4月5日 - )は、日本の経済史学者。静岡大学名誉教授。研究者番号 70022291。 大阪府吹田市千里山生まれ。1967年大阪市立大学卒、1973年同大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学、静岡大学人文学部講師、助教授、1987年教授。1992年「戦間期日本資本主義と経済政策 -金解禁問題をめぐる国家と経済-」で京都大学より経済学博士の学位を取得。1999年静岡大学評議員、2000年人文学部長、2007年大学理事・副学長。2010年定年退任、名誉教授、2013年放送大学客員教員。1986年~1997年静岡県史編さん専門委員(近現代部会)。2012年~静岡県史編さん委員・専門委員(代表)。
新田春夫(にった はるお、1944年4月5日- )は、日本の… 新田春夫(にった はるお、1944年4月5日- )は、日本のドイツ語学者。東京大学名誉教授、武蔵大学特任教授。 富山県生まれ。東京都立大崎高等学校卒、1967年東京大学文学部独文科卒、69年同大学院人文科学研究科修士課程修了、東京大学教養学部助手、1975年東京医科歯科大学教養部助教授、1978年東大教養学部助教授、91年教授、93年同総合文化研究科教授、97年退官、名誉教授、武蔵大学人文学部教授、2010年同特任教授。2011年「ドイツ宗教改革期における民衆教化文書―その言語的・文書類型的特徴」で日本独文学会賞受賞。
鳥越 皓之(とりごえ ひろゆき、1944年4月5日 - )は… 鳥越 皓之(とりごえ ひろゆき、1944年4月5日 - )は、日本の社会学者、民俗学者。早稲田大学名誉教授。大手前大学比較文化研究科教授・学長。専門は環境社会学、環境民俗学、文化人類学。「生活環境主義」という環境の理論で知られている。 コミュニティ、まちづくり、景観論、地域自治会、NPOなどの研究者。吉野山の桜や民間信仰についての民俗、歴史的分析もみられる。また、琵琶湖、霞ヶ浦など水利用に関わる国内の研究のほかにイギリスやグアテマラ、中国の湖など、海外を対象とした研究論文も多い。地域自治会の研究で賞で福武直賞。2025年、瑞宝中綬章受章。 環境社会学会会長、日本村落研究学会会長、日本社会学会会長(2012-2015)、日本生活文化史学会会長を歴任。
林田 彪(はやしだ たけし、1944年4月4日 - )は、日… 林田 彪(はやしだ たけし、1944年4月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(5期)。 熊本県玉名郡長洲町生まれ。長洲町立長洲中学校、熊本県立玉名高等学校を経て、東京農工大学農学部林学科卒業。1967年に建設省入省。1995年10月16日、建設大学校副校長を最後に依願退官[要出典]。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に熊本2区から立候補したが、新進党の現職野田毅に敗北し落選。1999年6月、東家嘉幸が体調不良が原因で任期途中で辞職し、本来の比例九州ブロック次点であった渡瀬憲明が1998年11月に死去しており、次々点の宮島大典は一旦当選人として告示を受けたが、既に1998年2月の衆議院長崎4区補欠選挙で当選しており、規定期間内に同職を辞職せず当選権利が喪失となったことから、さらなる次順位の林田が当選人の告示を受け、同年7月6日付で繰上当選となった。
兵頭 正俊(ひょうどう まさとし 1944年〈昭和19年〉4… 兵頭 正俊(ひょうどう まさとし 1944年〈昭和19年〉4月4日 - )は、日本の著作家、元教員。 1944年、鹿児島県に生まれる。営林署(現林野庁)勤務の父の転勤に伴い、幼少時に鹿児島から宮崎県に移住、高校時代までを宮崎で過ごす。 立命館大学を卒業し、そのまま大学院に進学。大学院在学中に全学共闘会議運動に参加し、大学院闘争委員会のレポート提出拒否闘争に賛成したことを契機に大学院を中退。院中退後は東京都の中学校、兵庫県神戸市の高校で国語の教員を勤めた。 2022年6月26日に、転倒して大けがをした事を公表した直後のツイートを最後に更新が行われていない。
佐藤 靖彦(さとう やすひこ、1944年4月4日 - )は、… 佐藤 靖彦(さとう やすひこ、1944年4月4日 - )は、ロシア文学者、歌人、東海大学名誉教授。 東京都生まれ。早稲田大学文学部露文科卒、同大学院博士課程単位取得満期退学。東海大学外国語教育センター助教授、教授、2000年定年、名誉教授。ロシア語、ロシア英雄叙事詩専攻。「新日本歌人」所属の歌人。
三浦 惺(みうら さとし、1944年4月3日 - )は、日本… 三浦 惺(みうら さとし、1944年4月3日 - )は、日本の実業家。前(第6代)日本電信電話(NTT)代表取締役社長。現同社取締役会長。広島県尾道市出身。
小川 雄平(おがわ ゆうへい、1944年(昭和19年)4月3… 小川 雄平(おがわ ゆうへい、1944年(昭和19年)4月3日 - )は、日本の経済学者。アジア経済専攻。九州情報大学・大学院教授。西南学院大学名誉教授。吉林大学終身客員教授、丹東経済研究所名誉所長。 滋賀県出身。昭和43年滋賀大学経済学部卒業。昭和49年大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程修了。昭和49年桃山学院大学経済学部講師、53年西南学院大学商学部助教授、59年教授、商学部長・大学院経営学研究科長を歴任。 日韓の研究者が、日本統治時代(1910〜45年)の朝鮮半島の庶民の暮らしぶりを合同で調査する合同研究調査のメンバーである。黄海・日本海・東シナ海を緯度・面積・形状の酷似する欧州地中海になぞらえて「東アジア地中海経済圏」を提唱している。
島田 和夫(しまだ かずお、1944年4月3日 - )は、日… 島田 和夫(しまだ かずお、1944年4月3日 - )は、日本の法学者、東京経済大学名誉教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
和田 勝(わだ まさる)、1944年4月2日 - )は、日本… 和田 勝(わだ まさる)、1944年4月2日 - )は、日本の生物学者(比較内分泌学)。東京医科歯科大学教養部教授を経て、同大学名誉教授。
松澤 隆(まつざわ たかし、1944年(昭和19年)4月2日… 松澤 隆(まつざわ たかし、1944年(昭和19年)4月2日 - )は、日本の実業家。 旭硝子(現:AGC)株式会社代表取締役兼副社長執行役員を2004年3月から2010年3月まで務めた。 経理・財務分野に長く携わる。経理部門、財務部門などを経て、CFO就任。その後、代表取締役兼副社長執行役員CFOに就任し、全社の財務責任者として、社内運営を指揮した。
立木 貞昭(たちき さだあき、1944年4月2日 - )は、… 立木 貞昭(たちき さだあき、1944年4月2日 - )は、日本の経営者。京進の創立者。京都府京都市出身。 1969年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に藤三商会に入社。1975年6月に京都進学教室を立ち上げ、1981年4月に株式会社京都進学教室(のちの京進)を設立し、社長に就任。2009年5月には社長の座を白川寛治に譲り、自身は会長に就任。この間、1979年には、京都府議会議員選挙に日本社会党公認で東山区選挙区から出馬したが落選した。
吉村 駿一(よしむら しゅんいち、1944年〈昭和19年〉4… 吉村 駿一(よしむら しゅんいち、1944年〈昭和19年〉4月1日 - )は、日本の弁護士。吉村駿一法律事務所代表。 群馬県北群馬郡吉岡町出身。渋川高等学校卒業。1967年中央大学法学部卒業。1971年弁護士登録。司法修習後、横浜合同法律事務所に勤務する。1973年に吉村駿一法律事務所を設立。 1991年の群馬県知事選挙に日本共産党推薦で立候補するが落選。その後、1995年・1999年・2003年・2007年と連続して立候補しているがいずれも落選している。 2004年、「写真屋さん45訴訟」で原告代理人を務め、原告勝訴を勝ち取った。 全国人権連副議長、群馬弁護士会副会長、安保破棄諸要求貫徹群馬県実行委員会委員長などを歴任している。
石山 修武(いしやま おさむ、1944年4月1日 - )は、… 石山 修武(いしやま おさむ、1944年4月1日 - )は、日本の建築家である。早稲田大学理工学部名誉教授、元東北大学非常勤講師、日本建築学会賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞、吉田五十八賞など多数受賞。岡山県出身。
広瀬 みさ(ひろせ みさ、1944年4月1日 - )は、昭和… 広瀬 みさ(ひろせ みさ、1944年4月1日 - )は、昭和時代の日本の歌手、映画、テレビ女優。 神奈川県横浜市出身。1962年、横浜学園高等学校を卒業後、大映第15期ニューフェースとして大映演技研究所で学び、1964年日本テレビ『ダイヤル110番・死のダイビング』で主役に抜擢されデビューした。それに先立つ1963年8月には日本コロムビアと専属歌手契約をし、広瀬美砂名義でシングル『思い出のバカンス』をリリースし歌手デビューした。ただし、歌手活動は1967年にコロムビアとの契約が切れるまでの数年間のみで、1964年から1969年に結婚引退するまでの間は、女優としてテレビと映画を中心に活躍した。テレビでは竜雷太主演の『でっかい青春』にヒロインの女教師、高見紀美役に抜擢されたほか数多くのドラマにレギュラー出演した。
倉石 功(くらいし いさお、1944年4月1日 - )は、日… 倉石 功(くらいし いさお、1944年4月1日 - )は、日本の俳優。長野県長野市出身。日本大学芸術学部中退。所属事務所は手力プロダクション。長男はファッションデザイナーの倉石一樹。 長野中央高等学校(現在の長野日本大学中学・高等学校)在学中の1961年、ミスター平凡コンテストに応募しグランプリを獲得。その後、大映に第16期ニューフェイスとして入社。1963年の映画『停年退職』でデビュー。その後『高校三年生』などで主演。1965年より大映テレビ室製作のテレビドラマ『東京警備指令 ザ・ガードマン』にメンバー最年少の杉井隊員役でレギュラー出演した。 1969年、大映を退社し劇団欅に入団。1974年に、『ザ・ガードマン』の共演者だった宇津井健の仲立ちにより老舗料亭「土筆亭(つくしてい)」の令嬢:吉田秀子と交際期間半年で結婚。