貴羽山 善之(たかばやま よしゆき、1954年3月31日 -… 貴羽山 善之(たかばやま よしゆき、1954年3月31日 - )は、広島県呉市出身で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は高間 義之(たかま よしゆき)、身長183cm、体重111kg。最高位は西十両10枚目(1981年5月場所)。得意技は右四つ、吊り。 中学校では野球部に所属し、ポジションは捕手と外野手を務めた。卒業後も野球を続けるために広島県のなかで野球の名門である私立呉港高校へ入学したが、兄が陸上部で活躍していたので誘われて陸上部に入部した。2年生になって体格が大きくなったので市民大会の砲丸投げに高校生の部で出場しようとした時は、前日に釘を踏んでしまって歩くのも大変だったが、出場を辞退するのも悔しいので強引に参加し優勝してしまった。
長田 百合子(おさだ ゆりこ、1954年3月30日 - )は… 長田 百合子(おさだ ゆりこ、1954年3月30日 - )は岐阜県出身の教育評論家。非行や引きこもり等の問題の解決に取り組んでおり、当事者やその家族に対して強い口調で叱り飛ばす姿がマスメディアから注目されるようになった。 愛知県各所に補習塾を置く「塾教育学院」を経営し、同塾のメンタルケア部門の代表および学習塾部門の取締役を務める。愛知県教育委員会「愛知の教育を考える懇談会」委員、教師研修機関「埼玉師範塾」特別講師、NPO「家庭教育再生機構」理事長、一般社団法人「日本家庭教育再生機構」理事長を歴任した。 2001年9月に講談社から出版された著書『親がかわれば子どももかわる』の中で「メンタルケアとは長田百合子の造語である」と述べている。
武市 三郎(たけいち さぶろう、1954年3月30日 - )… 武市 三郎(たけいち さぶろう、1954年3月30日 - )は、将棋棋士。徳島県徳島市出身。丸田祐三九段門下。棋士番号152。2014年引退。 1981年11月11日に四段に昇段し、プロ入り。プロ入り後初参加の第22期十段戦(1982年-83年)予選で決勝まで勝ち進んだ。難関の十段リーグ出場まであと1勝と迫ったが、桐山清澄に敗れた。 第7回(1984年度)オールスター勝ち抜き戦の本戦に出場し、1戦目で中原誠に敗北した。第34回(1984年度)NHK杯の本戦に出場し、1回戦で石田和雄に敗北した。第24期十段戦(1984年-85年)予選で準決勝まで勝ち進むも、加藤一二三に敗れ、十段リーグ入りをまたも果たせなかった。
ヤマザキ ミノリ(本名:山崎 稔、1954年3月29日 - … ヤマザキ ミノリ(本名:山崎 稔、1954年3月29日 - )は、日本の造形作家、空間デザイナー。女子美術大学名誉教授。 群馬県桐生市生まれ。群馬県立桐生高等学校、東京芸術大学工芸科鋳金専攻卒業(安宅賞受賞)。東京芸術大学構成デザイン大学院修了。 東京工芸大学芸術学部デザイン学科助教授(1995年~1998年)、女子美術大学芸術学部デザイン科助教授(1998年~2001年)、女子美術大学芸術学部メディアアート学科助教授(2001年~2003年)、2003年に同教授に昇格、2010年4月から2019年3月まで女子美術大学芸術学部アート・デザイン表現学科ヒーリング表現領域教授。 空間設計、ライトアートを中心に美術活動を展開。
小平 尚典(こひら なおのり、1954年3月29日-)は、福… 小平 尚典(こひら なおのり、1954年3月29日-)は、福岡県北九州市小倉北区出身の日本の写真家である。 1975年に日本大学芸術学部写真学科を卒業。大学卒業後、渡英。1年ほど滞在し、欧州を放浪。帰国後、英国パンクロック取材を機に社会 派写真家としてデビュー。同時にエディトリアルカメラマンとして数多くの雑誌の仕事をする。もともとジャーナリスト志向が強く1980年に新潮社FOCUS(フォーカス)創刊に参加。1987年家族を連れて米国ロサンゼルスに移住、今度は世界を相手に取材活動を開始する。2009年に22年間の米国生活にピリウドを打ち帰国。メディアプロデューサーとして新境地も開く。株式会社コヒラ・パーソンズ・プロジェクト代表取締役CEO。
松林 淳(まつばやし すなお、1954年3月29日 - )は… 松林 淳(まつばやし すなお、1954年3月29日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。ダイハツ工業のDNGA(ダイハツ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)開発を主導し、同社代表取締役会長や新興国小型車カンパニー(ECC)プレジデント等を歴任した。 1977年山口大学工学部卒業、ダイハツ工業入社。2003年ダイハツ工業製品企画部チーフ・エンジニア(部長待遇)に就任。2006年ダイハツ工業執行役員。 2011年ボルツ代表取締役社長。2016年からダイハツ工業取締役専務執行役員を務め、新興国小型車カンパニー(ECC)のChief Technical Officerも兼務して、DNGA(ダイハツ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)の開発を主導した。
香川 正人(かがわ まさと、1954年3月27日 - 201… 香川 正人(かがわ まさと、1954年3月27日 - 2016年11月3日)は、香川県坂出市出身のプロ野球選手(投手)。 元プロ野球選手の香川正は実父。 坂出工業高校では2年生からエースとなる。1971年夏の甲子園香川県予選では、1回戦で三本松高を相手にノーヒットノーランを記録。しかし準決勝で坂出商に敗退した。高校卒業後は早稲田大学に進学するが、同期には阿部政文、谷井潤一(日産自動車)と好投手がおり、東京六大学野球リーグではあまり出番はなかった。 大学卒業後は三菱重工神戸に入社、1977年ドラフトで近鉄バファローズに5位指名される。これを保留したまま1978年の都市対抗にエースとして出場。1回戦で東芝の黒紙義弘と投げ合うが完封負け。
パンチみつお(1954年3月27日 - )は、日本のお笑いタ… パンチみつお(1954年3月27日 - )は、日本のお笑いタレント。本名:小池 三生(こいけ みつお)。 福岡県北九州市小倉出身。福岡県立小倉西高等学校出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。血液型O型。
飯沢耕太郎(いいざわ こうたろう、1954年3月26日 - … 飯沢耕太郎(いいざわ こうたろう、1954年3月26日 - )は、日本の写真評論家である。 宮城県仙台市出身。1977年、日本大学芸術学部写真学科卒業。1984年、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。 『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房。1986年)、『写真に帰れ 光画の時代』(平凡社。1988年)、『都市の視線 日本の写真 1920〜30年代』(創元社。1989年)の3部作で、頭角を現わし、日本の20世紀前半の写真研究者の第一人者に躍り出た[大言壮語的]。その後、雑誌「deja-vu」の編集長となる。 公募展である写真新世紀とひとつぼ展には設立当初から審査員として参加した。 90年代の『ガーリーフォト』ブームを作った。
渡邊 啓貴(わたなべ ひろたか、1954年3月26日- )は… 渡邊 啓貴(わたなべ ひろたか、1954年3月26日- )は、日本の政治学者、帝京大学法学部教授、東京外国語大学名誉教授。専門は、ヨーロッパ国際関係論、フランス政治・外交、ヨーロッパ外交史、米欧同盟論。
岡本 厚(おかもと あつし、1954年3月26日 - )は、… 岡本 厚(おかもと あつし、1954年3月26日 - )は、日本のジャーナリスト、岩波書店代表取締役社長、元『世界』編集長。
アダム・カバット(Adam Kabat、1954年3月26日… アダム・カバット(Adam Kabat、1954年3月26日 - )は、アメリカ人の日本文学研究者。1997年より武蔵大学教授。専攻は近世・近代日本文学(幻想文学)、日本の妖怪を研究。 アメリカニューヨーク州生まれ。1979年に来日し、アメリカ・カナダ大学連合日本研究センターで日本語学ぶ。1981年ウェズリアン大学を卒業し、文部省の奨学金を得て再来日。東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻博士課程中退、指導教官は延広真治。
立藏 義明(たちくら よしあき、1954年 <昭和29年> … 立藏 義明(たちくら よしあき、1954年 <昭和29年> 3月25日 - )は、日本の地方公務員。茨城県土木部技監や、同都市局長、同土木部長を務めた。瑞宝小綬章受章。 茨城県出身。1976年 京都大学工学部交通土木工学科卒業、茨城県庁入職。1990年 (平成2年) 県総務部県庁舎建設準備局係長。1998年 県土木部監理課主任企画員。1999年 県土木部主任企画員。2000年 県水戸土木事務所道路整備第二課長。2002年 同部都市局都市計画課長補佐。2004年 県土浦土木事務所技佐兼次長兼事業調整課長。2006年 同部企画監。2008年 同部都市局公園街路課長。2010年 同部技監兼土浦土木事務所長。
藤石 修(ふじいし おさむ、1954年3月25日 - )は日… 藤石 修(ふじいし おさむ、1954年3月25日 - )は日本の撮影監督(カメラマン)。新潟県新潟市出身。日本大学芸術学部卒業。日本映画撮影監督協会(J.S.C.)会員。 父親は新潟交通のバスの運転手。父の影響で子どもの頃から写真好きで、高校で映研に入り、自主映画で8ミリ映画を撮る。日芸に進むが学費が続かず3年で中退。高校で自主映画を撮ったときにライトを借りた新潟映画社を訪ねて採用を頼んだら、東京支社を紹介してくれた。同社は社員3人、16ミリのPR映画を製作する会社であった。その後ピンク映画を1年半こなす。このとき志賀葉一や佐々木原保志らと知り合う。製作期間は一本につき4日だった。1979年に「東映で『下落合焼とりムービー』のセカンドのカメラ(フォーカスマン)をやらないか」と誘われる。
友添 雅直(ともぞえ まさなお、1954年3月25日 - )… 友添 雅直(ともぞえ まさなお、1954年3月25日 - )は日本の実業家。 福岡県出身。1972年福岡県立修猷館高等学校を経て、1974年 早稲田大学国際部から米国に交換留学、1977年早稲田大学法学部を卒業。 1977年4月トヨタ自動車販売入社。2001年1月米国トヨタ自動車販売に出向し、2005年6月トヨタ自動車常務役員、2011年4月同社専務役員、2011年4月トヨタ モーター ノース アメリカ上級副社長を経て、2012年6月トヨタモーターセールス&マーケティング(2015年7月にトヨタ自動車に統合)代表取締役社長に就任。 2015年5月中部国際空港顧問に転じ、2015年6月同社代表取締役社長に就任。
大島 やすいち(おおしま やすいち、本名:大島 矢須一(読み… 大島 やすいち(おおしま やすいち、本名:大島 矢須一(読み同じ)、1954年3月24日 - )は、日本の漫画家。京都府京都市出身。平安高等学校卒業。東京都練馬区在住。男性。 高校時代は沼田清のアシスタントを務め、1971年、『週刊少年サンデー』(小学館)掲載の「青春の土」(新人漫画賞入選)でデビュー。 主に少年漫画・青年漫画を執筆している。 代表作に『おやこ刑事(でか)』(原作:林律雄)、『バツ&テリー』等。 妻の川島れいこも漫画家で、川島との間に生まれた娘の大島永遠と三島弥生もそれぞれ漫画家として活躍中。お笑い芸人の小林アナは遠戚にあたる[要出典]。
木村 充揮(きむら あつき、1954年3月24日 - )は、… 木村 充揮(きむら あつき、1954年3月24日 - )は、日本の歌手。ブルースバンド「憂歌団」のボーカル。 在日韓国人であることを公表しており、本名は朴 秀勝(ぱく・すすん, 朝: 박수승)。通名は木村 秀勝(きむら ひでかつ)で、同名義で作詞活動も行う。 大阪府大阪市生野区生まれ。大阪市立工芸高等学校美術科卒業。 木村の父は済州島生まれで、若い時に北海道、青森、東京を経て大阪に来た在日韓国人1世であり、その息子の木村は在日韓国人2世になる。 木村は7人兄弟の4番目(上から兄・兄・木村・妹・妹・弟の順[疑問点 – ノート])。実家は「東金属」という金属加工業を営んでおり、1階が工場、2階が住居であった。
井戸 謙一(いど けんいち、男性、1954年3月24日 - … 井戸 謙一(いど けんいち、男性、1954年3月24日 - )は、日本国の弁護士であり、元裁判官である。 大阪府生まれ。1975年(昭和50年)司法試験に合格。1977年東京大学教育学部卒業、同年司法研修所入所。1979年(昭和54年)4月9日、神戸地方裁判所に判事補として任官し、以後、甲府地方裁判所、福岡家庭裁判所小倉支部、大津地方裁判所彦根支部(判事任官)、大阪地方裁判所(大阪高等裁判所判事職務代行)、山口地方裁判所宇部支部(支部長)、京都地方裁判所、金沢地方裁判所(民事部総括)、京都地方裁判所(民事部総括)、大阪高等裁判所と転勤し、2011年(平成23年)3月31日に退官。 裁判長として、住民基本台帳ネットワークシステム差止等請求事件(金沢地方裁判所平成14年(ワ)第836号等、2005年(平成17年)5月30日判決言い渡し)や、志賀原子力発電所2号原子炉運転差止請求事件(同裁判所平成11年(ワ)第430号、2006年(平成18年)3月24日判決言い渡し)といった著名事件の判決に関与した。
師岡 文男(もろおか ふみお、1954年3月24日 - )は… 師岡 文男(もろおか ふみお、1954年3月24日 - )は、日本のスポーツ学者。上智大学文学部保健体育研究室教授。フライングディスクを日本に広めた人物である。東京都生まれ。 1954年東京都生まれ。父は写真家の師岡宏次。1976年上智大学文学部史学科卒業。1979年筑波大学大学院体育研究科修了後、上智大学文学部保健体育研究室助手、講師、助教授、1986-87年イリノイ大学客員講師を経て、2000年より上智大学教授。大学評議員・保健体育研究室長(2014年3月まで)・上智社会福祉専門学校・立教大学兼任講師も務めた。 1980年からフライングディスクを体育実技に採用し、13週の授業を開始。1980年フライングディスクチーム”FREAKS”設立と共に顧問に就任。
松井 豊(まつい ゆたか、1954年3月24日- )は、日本… 松井 豊(まつい ゆたか、1954年3月24日- )は、日本の社会心理学者。筑波大学教授。埼玉県生まれ。1976年東京教育大学文学部心理学科卒業。1982年東京都立大学 (1949-2011)大学院人文科学研究科博士課程満期退学。89年「援助行動の意思決定過程に関する研究 状況対応モデルの提唱」で都立大学文学博士。1984年東横学園女子短期大学講師、1987年東京都立立川短期大学講師、90年助教授、1991年聖心女子大学助教授、1998年筑波大学助教授、2005年同人間総合科学研究科心理学専攻教授。
小中 肇(こなか はじめ、1954年3月23日 - )は、日… 小中 肇(こなか はじめ、1954年3月23日 - )は、日本の監督・演出家。日本映画監督協会会員。主にテレビドラマ作品を中心に活動していた。 弘前南高を経て法政大学文学部を中退。学生時代に行っていた劇団活動をきっかけとして東映撮影所の助監督となり、『バトルフィーバーJ』でチーフ助監督を務める。その後1990年に『森村誠一サスペンス』にて監督昇進。1996年の『超光戦士シャンゼリオン』を経て主にスーパー戦隊シリーズなどを手がけ、『救急戦隊ゴーゴーファイブ』では年間を通じて初のメイン監督として采配を振った。 その後『爆竜戦隊アバレンジャー』では自身2度目となるパイロット版を手がけるが、途中降板。2005年には舞台『あたま山心中』の演出を手がけたが、それ以降主な演出作品はない。
山田 耕大(やまだ こうた、1954年3月23日 - )は、… 山田 耕大(やまだ こうた、1954年3月23日 - )は、日本の脚本家、映画プロデューサー、シナリオ作家協会主催シナリオ講座講師。 愛知県名古屋市生まれ。東海高校、東京大学経済学部卒業。日活企画部にて多数のロマンポルノ作品のプロデュースを行い、後に独立して映画製作会社「メリエス」を設立。数多くの映画をヒットさせた。こがねみどりの別名で脚本を書いたこともあった。現在はシナリオライター業に専念している。血液型はO型。
大橋 徹二(おおはし てつじ、1954年(昭和29年)3月2… 大橋 徹二(おおはし てつじ、1954年(昭和29年)3月23日 - )は、日本の実業家である。コマツ社長。麻布高校を経て、東京大学工学部卒業。スタンフォード大学大学院工学部計数工学科出身。
アデマール・ペレイラ・マリーニョ(ポルトガル語: Adema… アデマール・ペレイラ・マリーニョ(ポルトガル語: Ademar Pereira Marinho、1954年3月23日 - )は、ブラジル・ミナスジェライス州ベロオリゾンテ出身の元サッカー選手、サッカーおよびフットサル指導者。解説者及び通訳。 ベロオリゾンテで生まれた。アトレチコ・ミネイロのファンでありながら、15歳でライバルチームであるクルゼイロの入団テストに合格、18歳でプロ契約を果たす。 その後、ミナス・ジェライス連邦大学を経て、1975年に札幌大学に留学生として来日。サッカー部に所属して大学選手権などで活躍した。 1976年、フジタ工業に入社してサッカー部(現:湘南ベルマーレ)に入部。ゲームメーカーとして、日本サッカーリーグ(JSL)(1977年、1979年)、天皇杯(1977年、1979年)制覇に貢献した。
真島 茂樹(まじま しげき、1954年3月22日 - )は、… 真島 茂樹(まじま しげき、1954年3月22日 - )は、日本のダンサー・振付師・俳優・歌手である。独身。栃木県宇都宮市出身。愛称は「マジー」または「マジ」。三喜プロモーション所属。
田中 宏幸(たなか ひろゆき、1954年3月22日 - )は… 田中 宏幸(たなか ひろゆき、1954年3月22日 - )は、京都府出身の芸能関係者。2017年現在、吉本興業の代表取締役副社長を務める。 1978年に京都大学文学部を卒業し、同年吉本興業株式会社に入社。桂三枝(現:六代 桂文枝)、明石家さんまのマネージャーを経て、1982年からテレビ番組やイベントのプロデューサーを担当する。 1990年の国際花と緑の博覧会(花の万博)でのメインステージのイリュージョンショー「FERCOS」の制作や、難波再開発に向けた1998年の演劇集団「Piper」のプロデュースとなんばクリエイターファクトリーの提案(2000年に開講)、2009年のよしもとプリンスシアター立ち上げの総指揮などに携わった。
岡崎 倫典(おかざき りんてん、1954年3月21日 - )… 岡崎 倫典(おかざき りんてん、1954年3月21日 - )は日本のギタリスト。広島県出身。本名は岡崎 倫典(おかざき みちのり)。1994年ポニーキャニオンよりメジャーデビュー。
天雲 俊夫(てんくも としお、1954年 <昭和29年> 3… 天雲 俊夫(てんくも としお、1954年 <昭和29年> 3月21日 - )は、日本の地方公務員。香川県政策部長、同副知事、香川県信用保証協会会長を歴任。瑞宝中綬章受章。 1976年関西学院大学経済学部卒業、香川県庁入庁。1988年財政課係長、1995年土木監理課長補佐、2001年長寿社会対策課長、2008年農政水産部長、政策部長。同部長時には高松空港の国際路線誘致に奔走。2011年から6年間、香川県副知事。2016年9月、「パラグアイ日本人移住80周年記念祭典」等に出席するため現地訪問。副知事退任後は香川県信用保証協会会長を務める。 2024年4月 春の叙勲で瑞宝中綬章受章
末澤 壽一(すえざわ じゅいち、1954年3月20日 - )… 末澤 壽一(すえざわ じゅいち、1954年3月20日 - )は、日本の実業家。日本ハム代表取締役社長、北海道日本ハムファイターズオーナー、プロ野球オーナ会議議長などを歴任した。 大阪府出身。大阪府立生野高等学校を経て、1976年神戸大学農学部卒業、日本ハム入社。主に食肉営業畑を歩み、2012年取締役常務執行役員。2014年取締役専務執行役員。2015年代表取締役社長。日本食肉加工協会理事長、日本ハム・ソーセージ工業協同組合理事長、日本食肉協議会副会長、食品産業センター副会長等を歴任。 北海道日本ハムファイターズのオーナーを兼務して、斉藤惇コミッショナー選任時のプロ野球オーナー会議議長も務めた。2018年、羽田空港のラウンジで飲食していた際、同席していた執行役員が航空会社の女性従業員にセクハラ発言を行ったことを受け、「一身上の都合」として突如辞任した。
ラドミール・コバセビッチ(Radomir Kovačević… ラドミール・コバセビッチ(Radomir Kovačević 1954年3月20日- 2006年6月14日)は、旧ユーゴスラビアの柔道選手。ボスニア・ヘルツェゴビナの第十県出身。階級は95kg超級。身長193cm。100kg。 ユーゴスラビアのレスリングジュニア王者だった1971年に、柔道指導者の山本信明に柔道への転向を勧められたことがきっかけで柔道を始めた。1976年モントリオールオリンピックに出場して、重量級で7位となった。その後、東海大学に柔道留学すると、山下泰裕らとともに全日本学生優勝大会で東海大学の初優勝に貢献した。1979年には世界選手権大会の無差別で3位に入った。1980年モスクワオリンピックでは95kg超級で銅メダルを獲得した。
荒井 信久(あらい のぶひさ、1954年3月19日 - )は… 荒井 信久(あらい のぶひさ、1954年3月19日 - )は、千葉県山武市出身の元アマチュア野球選手(捕手)、元指導者。 千葉県山武郡松尾町(現在の山武市)出身。成東高校では、のちに中日に入団する1年下の鈴木孝政とバッテリーを組む。1971年には夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東関東大会準決勝に進むが、竜ヶ崎一高に1-2で惜敗し、甲子園への出場を果たすことができなかった。 高校卒業後に明治大学に入学。東京六大学野球リーグでは、同期でエースの丸山清光や名取和彦とバッテリーを組み、1975年に春秋季連続優勝を飾る。同年の第4回日米大学野球選手権大会日本代表にも選ばれた。同年の明治神宮野球大会に出場、決勝で中畑清を打の主軸とする駒大を降し優勝を果たした。
亀井 文雄(かめい ふみお、1954年3月19日 - )は、… 亀井 文雄(かめい ふみお、1954年3月19日 - )は、日本の実業家。愛媛県松山市出身。 現亀井鉄鋼代表取締役社長 兼 Jリーグ・元愛媛FC代表取締役社長。 愛光高校を経て、東海大学工学部建築学科卒業。中学生の頃からサッカー少年であり主に左ウイングとしてプレー、1997年まで地元クラブで現役を続けていた。 1985年亀井サンキ常務取締役、1997年現職の亀井鉄鋼代表取締役社長に就任した。在任中、当時セミプロで活躍していた愛媛FCの選手に職場を提供したことがきっかけとなり、石橋智之愛媛FC総監督(当時)に依頼され、2004年、株式会社愛媛FC社長に就任した。2015年2月、引責辞任した。
早川岳晴(はやかわ たけはる、1954年3月19日 - )は… 早川岳晴(はやかわ たけはる、1954年3月19日 - )は、日本のベーシスト。東京都出身。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。 中学卒業時にコントラバスを手に入れ、高校在学中からジャズを中心にライブ活動を始める。クラシックをNHK交響楽団の窪田基に師事。板橋文夫(p)、土岐英史(as)、板谷博(tb)、渕野繁雄(sax)、高瀬アキ(p)などのハード・バップ系のバンドを経て、1978年にジャズバンド、生活向上委員会大管弦楽団に参加。また、上田正樹、Push&Pull 等でロック・シーンでの活動も開始、徐々に正統派ジャズから遠ざかる。 以後、ドクトル梅津バンド、イータシア・オーケストラ、片山広明バンド、コクシネル、ジョン・ゾーンユニット、梅津和時KIPANA/NAZO、JAZZY UPPER CUT、SION、リクオ&The Hookers、MISSING LINK、藤井郷子カルテット、緑化計画等に参加。
吉川 とみ子(よしかわ とみこ、1954年3月19日 - )… 吉川 とみ子(よしかわ とみこ、1954年3月19日 - )は、愛知県あま市甚目寺町出身の女性レーシングドライバーである。 1977年に国内A級ライセンスを取得、レースデビューは鈴鹿シルバーカップのサルーン・カーレースでデビューした。1980年にFL500への参戦を開始、同時期のFL参戦者には小河等、福山英夫などもおり同期と言える存在である。同年の最終戦JAFグランプリで全日本F3(当時は日本F3チャレンジカップ)にステップアップ、1984年の第2戦西日本大会では自己ベストとなる4位入賞を記録する。 1985年に富士グランチャンピオンレース、1992年にル・マン24時間レース、共に日本人女性として初めて出場する。
西 正典(にし まさのり、1954年〈昭和29年〉3月18日… 西 正典(にし まさのり、1954年〈昭和29年〉3月18日 - )は、日本の防衛官僚。防衛事務次官(第30代)、退官後に防衛大臣政策参与を務めた。 防衛省合気道連合会の会長を務めており、合気道参段。
山田 修路(やまだ しゅうじ、1954年(昭和29年)3月1… 山田 修路(やまだ しゅうじ、1954年(昭和29年)3月18日 - )は、日本の政治家、農林官僚。自由民主党の元参議院議員(2期)。 総務大臣政務官(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)、参議院農林水産委員長、水産庁長官、農林水産審議官などを務めた。 1954年、石川県加賀市で生まれる。1966年加賀市立錦城小学校、1969年に加賀市立錦城中学校、1972年に金沢大学附属高等学校、1976年に東京大学法学部を卒業。 1976年、農林省に入省。埼玉県庁農政課長、外務省出向(パリOECD代表部参事官)、農林水産省農村振興局長、生産局長、水産庁長官、農林水産審議官などを務めた。 2012年11月に自民党石川県連の公募で参議院議員候補に選ばれる。
西原 茂樹(にしはら しげき、1954年(昭和29年)3月1… 西原 茂樹(にしはら しげき、1954年(昭和29年)3月18日 - )は、日本の政治家。静岡県牧之原市長(3期)、静岡県議会議員(4期)、相良町議会議員(1期)などを歴任した。 静岡県牧之原市出身。静岡県立榛原高等学校、金沢大学工学部土木工学科卒業。1989年(平成元年)、相良町議会議員に就任。1991年(平成3年)4月の静岡県議会議員選挙で初当選した。以後、計4期務める。県議時代は自由民主党に所属した。 2005年(平成17年)10月11日、榛原郡榛原町、相良町が合併して牧之原市が誕生。同年10月30日に行われた市長選挙に出馬。元榛原町長の前田昌利、前相良町長の杉山年男、前榛原町長の木下勝朗ら4候補を破り初当選を果たした。
大谷 亮介(おおたに りょうすけ、1954年〈昭和29年〉3… 大谷 亮介(おおたに りょうすけ、1954年〈昭和29年〉3月18日 - )は、日本の男性俳優、演出家、声優であり、劇団壱組印主宰である。本名、同じ。 兵庫県西宮市出身、ファザーズコーポレーション所属。 兵庫県西宮市内の小学校を経て、六甲学院中学校・高等学校へ進学。高校時代はサッカー部のレギュラーになり、兵庫県代表としてインターハイにも出場した。高校卒業後は生物学者を志して東京水産大学(現 東京海洋大学)へ進学したものの、勉強する気にならずに遊んでばかりいたところ、見かねた友人から「お前、向いてるんじゃないか」と勧めを受けて劇団を受験し合格。大学在学中の1977年にオンシアター自由劇場に入団、同年10月の『風吹がらす疾送記・異説のすかい・おらん』にて初舞台。
松浦 寿輝(まつうら ひさき、1954年3月18日 - )は… 松浦 寿輝(まつうら ひさき、1954年3月18日 - )は、日本の詩人、小説家、フランス文学者、批評家、東京大学名誉教授。毎日出版文化賞、高見順賞、読売文学賞選考委員。
原田 宗彦(はらだ むねひこ、1954年3月18日 - )は… 原田 宗彦(はらだ むねひこ、1954年3月18日 - )は、日本のスポーツマーケティング研究者。早稲田大学名誉教授、大阪体育大学名誉教授・元学長。京都教育大学学長。大阪府出身。 「スポーツとまちづくり」を主要な研究のテーマに掲げ、「観光振興」、「都市再生」、「スポーツの制度改革と施設整備の駆動力」、「生涯スポーツ社会、スポーツ文化の形成」などの分野で業績を積み重ねた。これまで、JOCオリンピック招致推進プロジェクト委員に所属し、2008年大阪オリンピック招致活動、2016年東京オリンピック招致活動に尽力してきた。また2026年札幌冬季オリンピック大会の基本計画策定委員長として計画をまとめたが、招致活動はいずれも不調に終わった。
鈴木 郷史(すずき さとし、1954年3月18日 - )は、… 鈴木 郷史(すずき さとし、1954年3月18日 - )は、日本の実業家。ポーラ・オルビスホールディングス代表取締役会長。ポーラ代表取締役会長。 ポーラ創業者の鈴木忍は祖父、2代目社長を務めた鈴木常司は叔父。 静岡県出身。1979年に早稲田大学大学院理工学研究科修了後、本田技研工業へ入社。1986年にポーラ化粧品本舗(現・ポーラ)入社。総合調整室長、新規事業開発室長、IS事業部長を経て、1996年にポーラ化成工業㈱代表取締役社長となる。2000年1月にポーラ化粧品本舗)代表取締役社長となる。2006年よりポーラ・オルビスホールディングス代表取締役社長、2010年4月よりポーラ代表取締役会長をそれぞれ務めている。
因幡 晃(いなば あきら、1954年〈昭和29年〉3月18日… 因幡 晃(いなば あきら、1954年〈昭和29年〉3月18日 - )は、日本のシンガーソングライター。アップフロントクリエイト所属。 秋田県大館市花岡町出身。父親は鉱山技師。秋田県立大館工業高等学校時代に心を揺り動かせた音楽は、フォークソングではなく、ラジオから流れてきたシャンソンやカンツォーネだったという。高校卒業後、父と同じく鉱山技師として就職。暇を見つけては曲作りに励み、1975年に開催された『第10回ヤマハポピュラーソングコンテスト』に『わかって下さい』で出場し最優秀曲賞を受賞。また、同曲で『第6回世界歌謡祭』に入賞したことがきっかけとなり、翌年ディスコメイトレコードから『わかって下さい』でデビュー。
寿 ひずる(ことぶき ひずる、本名:伊東春美(いとう はるみ… 寿 ひずる(ことぶき ひずる、本名:伊東春美(いとう はるみ)、1954年3月17日 - )は、元宝塚歌劇団雪組・花組二番手男役スターで、日本の女優である。
阿部 昇(あべ のぼる、1954年3月17日- )は、日本の… 阿部 昇(あべ のぼる、1954年3月17日- )は、日本の国語科教育学者、秋田大学大学院教育学研究科特別教授、秋田大学名誉教授、東京未来大学特任教授。 東京都生まれ。1979年國學院大學文学部卒。茗溪学園中学校・高等学校教諭、2000年秋田大学教育文化学部助教授、2003年教授、2016年秋田大学大学院教育学研究科教授。2008~2011年秋田大学教育文化学部附属小学校校長。専門は国語科教育学、教育方法学。日本教育方法学会常任理事、全国大学国語教育学会理事、日本NIE学会理事、「読み」の授業研究会代表。2007~2019秋田県検証改善委員会委員長。 秋田県内の小中学校を多数訪問し、教育現場とその地域の事情に精通し、全国学力テストの好成績について分析を行う。
森生 文乃(もりお あやの、1954年3月17日 - )は… 森生 文乃(もりお あやの、1954年3月17日 - )は、日本の漫画家。愛知県出身。 武蔵野美術大学造形学部油絵科卒。『BE・LOVE』でデビュー。代表作に「ロマンス・ウォッチング」「シャボン玉の日々」他。著書に「結婚ってなんなの!?」がある[要ページ番号]。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
橘 淳一(たちばな じゅんいち、1954年3月17日 - 2… 橘 淳一(たちばな じゅんいち、1954年3月17日 - 2018年12月19日)は、東京都在住の著述家。雑誌・書籍編集者、ウェブマガジン主宰者。 M(の感受性を秘めた)女性のカウンセリング歴30年以上を持つ。緊縛は慰安であり抱擁であり心を解き放つ技術であると提唱している。 1973年4月1日、早稲田大学政治経済学部政治学科入学と同時に東京都民となる。1980年9月卒業。 大学在学中より報知新聞社で社員として勤務。退職後はみのり書房に入社。雑誌「コミック・アゲイン」の二代目編集人となる。 コミック・アゲイン休刊後はみのり書房を退社。日本出版社入社。「SMクラブ」編集部員となり、SMの世界に初めて触れることとなる。
高野瀬 順子(たかのせ じゅんこ、1954年3月16日 - … 高野瀬 順子(たかのせ じゅんこ、1954年3月16日 - )は、日本のフリーランスライター、横浜市出身。東京理科大の創設者・高野瀬宗徳のひ孫。 雑誌での人物クローズアップ記事を中心に動物関連、人間の家庭の医学、ベジタリアン料理等の記事を執筆。 他にもエッセイ、作詞、漫画原作や占い記事リライト、CMコピー制作等幅広く手がけている。また、有名人の書籍構成を行っており、ゴーストライティングの実績もある。 ライフワークは猫を中心とした動物保護活動で、著作には動物・ペットに関するものが多い。本人HPによれば、自身を「動物と、荒れた海と、花が大好き」で、「穏やかな人が好き(威圧的な人は苦手)」、としている。
伊東 たけし(いとう たけし、1954年3月15日 - )は… 伊東 たけし(いとう たけし、1954年3月15日 - )は、福岡県福岡市出身の、日本のサクソフォーン奏者。また、ウインドシンセサイザー、フルート奏者としても活動。本名、伊東 毅(読みは同じ)。身長182cm、血液型はO型。 子供の頃から音楽に関心を持ち、ピアノやヴァイオリンを習う。福岡市立百道中学時代にブラスバンドに入り、ユーフォニアム、チューバを担当。西南学院高等学校に入学してフルートに転向したが、渡辺貞夫の自伝『ぼく自身のためのジャズ』を読みさらにアルトサックスに転向。 日本大学藝術学部に入学して「リズム・ソサエティ・オーケストラ」に所属し、それと並行して「ウィッチハント」と「ラストデイ」という2つのバンドに籍を置く。
松平 保久(まつだいら もりひさ、1954年(昭和29年)3… 松平 保久(まつだいら もりひさ、1954年(昭和29年)3月15日 - )は、日本のテレビプロデューサー。会津松平家の14代当主。 会津藩最後の藩主である松平容保の曾孫にあたる。また、徳川家康の男系子孫でもある。 1954年、会津松平家13代当主松平保定の息子として東京都で生まれる。 1976年(昭和51年)学習院大学法学部法学科を卒業後、日本放送協会に入局する。大阪放送局・放送センター・盛岡放送局に勤務の後、2010年(平成22年)にNHKエンタープライズへ転籍、プロデューサーとしてドキュメンタリー・映画関連業務など番組制作に携わる。 2018年(平成30年)9月22日に会津若松市で催された戊辰150年式典で、先人たちの苦難を偲んだ。
篠原 弘道(しのはら ひろみち、1954年〈昭和29年〉3月… 篠原 弘道(しのはら ひろみち、1954年〈昭和29年〉3月15日 - )は、日本の実業家。NTT株式会社相談役(現任)、テレビ東京放送番組審議会委員長。元日本電信電話株式会社(現・NTT株式会社)取締役会長、元一般社団法人日本経済団体連合会副会長。福岡県出身。 早稲田大学理工学部電子通信学科卒業を経て早稲田大学理工学研究科を修了。1978年に日本電信電話公社入社。以来研究畑であり、技術系役員であった。 2018年6月に鵜浦博夫の人事が当時の政府に拒否されたため、異例の人事で日本電信電話取締役会長に昇進し、同月総務省幹部に対する接待を行った(後述)。 2022年6月、相談役。 取締役会長に昇格した2018年6月に、NTT側の費用負担で、坂井学総務副大臣と会食を行っていたことが、2021年3月に週刊文春で報じられ、特別調査委員会委員長である榊原定征委員長の調査を受け、同年6月に厳重注意処分に処された。