さとう わきこ(本名:佐藤和貴子、武井和喜子、1935年1月… さとう わきこ(本名:佐藤和貴子、武井和喜子、1935年1月28日 - 2024年3月28日)は、日本の絵本作家。東京市品川区大井町生まれ、練馬区東大泉町育ち。 児童出版美術家連盟所属、子どもの文化研究所所員、岡谷市小さな絵本美術館主宰。 東京学芸大学附属大泉小学校、附属中学校を経て、東京都立大泉高校に進学。高校では美術部に所属し、美術大学への進学を希望していたものの家計の問題で叶わず、映画会社の東宝に就職。しかし、腎臓結核にかかり2年間療養生活に入る。 その後働きながら、高校美術部の顧問の恩師であった東京教育大学美術学科教授の高橋正人にデザインを学び、デザイン会社に就職。寺村輝夫と知り合って、挿絵画家としてデビュー。
児玉 圭司(こだま けいじ 1935年1月27日 – )は、… 児玉 圭司(こだま けいじ 1935年1月27日 – )は、日本の実業家、卓球選手・指導者。株式会社スヴェンソン 代表取締役会長。日本学生卓球連盟名誉会長、公益財団法人日本卓球協会顧問、一般社団法人明大卓球マネジメント 代表理事、学校法人明治大学顧問、明治大学駿台体育会(46部)名誉会長、明治大学体育会卓球部名誉総監督、一般社団法人卓球で日本を元気にする会代表理事、一般財団法人KODAMA国際教育財団代表理事。 1935年、東京都中央区八重洲(日本橋呉服橋)にて出生。 小学4年生の時に東松山市に集団疎開。3月10日東京大空襲で実家が全焼し京橋区に移住するも、5月25日山の手大空襲で再び被災。戦後は大学まで新橋で過ごす。
小山 明子(こやま あきこ、1935年(昭和10年)1月27… 小山 明子(こやま あきこ、1935年(昭和10年)1月27日 - ) は、日本の女優。 千葉県生まれで神奈川県横浜市鶴見区育ち。藤沢市在住。戸籍名は大島 明子(おおしま あきこ)。旧姓・臼井。 夫は映画監督の大島渚。叔父は社会運動史研究者の小山弘健。 1950年、男女共学化初年度の神奈川県立鶴見高等学校に入学。靴箱にラブレターがあふれ、通学路で声をかけられた卒業生と交際したこともあった。秋に女子の制服が制定されると、新設された家庭科室で3カ月かけて自分の制服を縫った。進路を決める時期にその経験を思い出し、デザイナーを志して洋裁の大谷学園に進学。学内のファッションショーに出演し、そのときの写真がきっかけで一度だけ『家庭よみうり』のカバーガールとなり、スカウトされて松竹に入社した。
河野 典生(こうの てんせい、1935年1月27日 - 20… 河野 典生(こうの てんせい、1935年1月27日 - 2012年1月29日)は、日本の小説家。本名は河野典生(のりお)。遠い親戚に安岡章太郎がいる。 高知県高知市生まれ。明治大学仏文科中退。在学中から詩、戯曲、幻想小説等を書き始め、戯曲「墜ちた鷹」を「三田文学」に掲載し、寺山修司らと劇団活動も行っていた。また寺山とやっていた総合芸術雑誌に銅版画を描き、野中ユリ・加納光於らと知り合う。他にアルバイトでラジオドラマの脚本を多数執筆した。 1958年、テレビの仕事を開始し、明治大学を中退。1959年、日本テレビの番組「夜のプリズム」の原作小説募集に作品「ゴウイング・マイ・ウェイ」で応募して当選、雑誌『宝石』に掲載される。
牛島 秀彦(うしじま ひでひこ、1935年1月27日 - 1… 牛島 秀彦(うしじま ひでひこ、1935年1月27日 - 1999年7月12日)は、日本のノンフィクション作家、文芸評論家。 中華民国青島市にて生まれる。1953年佐賀県立佐賀高等学校卒業、1958年早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒業、同年4月旺文社雑誌編集部入社。1969年3月旺文社退社、同年4月日本リーダーズ・ダイジェスト特別出版部入社。1974年2月日本リーダーズ・ダイジェスト退社、同年5月富士観光開発ハワイ入社、単身ハワイに渡り、8月には家族をハワイに呼び寄せる、1976年3月富士観光開発退社。1981年4月、東海女子大学文学部助教授(比較文化論、英米文化担当)。1985年4月、東海女子大学文学部教授。
友田 錫(ともだ せき、1935年1月27日 - 2018年… 友田 錫(ともだ せき、1935年1月27日 - 2018年7月31日)は、日本のジャーナリスト、国際関係学者。 東京生まれ。1958年早稲田大学文学部仏文科卒、東京新聞に入り外信部記者、1962年産経新聞社に移り外信部、1967-1968年サイゴン特派員、プノンペン特派員、1974-1978年パリ特派員、パリ支局長、政治部編集委員、1983年国際報道部長、1984年編集局次長、論説委員を経て、山陽学園短期大学教授となり、1992年亜細亜大学アジア研究所教授、2002-2004年所長、2005年日本国際問題研究所所長、2009年退任。2018年7月31日、腎盂癌のため死去。83歳没。
磯貝 勝太郎(いそがい かつたろう、1935年1月26日 -… 磯貝 勝太郎(いそがい かつたろう、1935年1月26日 - 2016年6月16日)は、日本の文芸評論家。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、大衆文学研究会、各会員。 東京牛込区生まれ。少年時代、歌舞伎に熱中する父親のもとで講談全集を読みあさる。1945年の東京大空襲で埼玉県川口市に移り家計の事情で高校進学を断念、通商産業省の研究所給仕となった。その後、夜学へ通ったのち昼間の大学にも進む。1961年、慶應義塾大学文学部図書館学科を卒業。 もとは作家志望だったが、のち大衆文学研究を志す。国際基督教大学図書館に勤務し主幹となった。のちに「国際基督教大学史」の編纂主幹。 1980年から海音寺潮五郎記念会評議員、1996年から司馬遼太郎記念財団評議員、2001年から新田次郎文学会監事、2000年から大衆文学研究会副会長を務め、さいたま市スポーツ文学賞選考委員も務めた。
奥津 文夫(おくつ ふみお、1935年〈昭和10年〉1月26… 奥津 文夫(おくつ ふみお、1935年〈昭和10年〉1月26日 - )は、日本の英語学者、和洋女子大学名誉教授。 東京府東京市(現東京都港区)生まれ。1958年東京学芸大学英語科卒、1964年国際基督教大学大学院教育学研究科英語教育法博士課程中退、1964-65年米国テキサス大学大学院に学ぶ。英国エディンバラ大学客員研究員(英国ことわざ文化研究)。和洋女子大学助教授、教授、2006年定年、名誉教授。
侘美 光彦(たくみ みつひこ、1935年1月26日 - 20… 侘美 光彦(たくみ みつひこ、1935年1月26日 - 2004年6月20日)は、日本のマルクス経済学者。東京大学名誉教授。愛知県生まれ。
須賀 次郎(すが じろう、1935年1月25日 - )は日本… 須賀 次郎(すが じろう、1935年1月25日 - )は日本の社会起業家 教育者 技術者。財団法人 社会スポーツセンター顧問。特定非営利活動法人 日本水中科学協会を設立代表理事。東京府東京市日本橋区(現・東京都中央区)出身。全日本潜水連盟理事長、財団法人社会スポーツセンター常務理事。株式会社スガ・マリンメカニック代表取締役、株式会社テ・ルを代表取締役を退任している。
池井 優(いけい まさる、1935年1月25日 - )は、日… 池井 優(いけい まさる、1935年1月25日 - )は、日本の歴史学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は日本外交史、極東国際関係史。国会議員の和田政宗やアナウンサーの大澤広樹は教え子。 東京都生まれ。東京都立青山高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科、同大学院修士課程修了。同大助手・講師・助教授を経て慶應義塾大学法学部教授。1994年1月、博士論文「日本外交の現代史的展開」により慶應義塾大学より博士(法学)の学位を授与された。 この間にコロンビア大学客席研究員(1964年-1965年)、同客員准教授(1973-1974年)、在香港総領事館特別研究員(1968-1969年)、ミシガン大学客員教授(1981年-1982年)などを務め、また2006年には慶應義塾大学創立150周年記念の一環として行われた「復活!慶應義塾の名講義」に登場するなど、慶應義塾大学を退官後も同大を代表する関係者の一人として活動している。
矢嶋 英敏(やじま ひでとし、1935年〈昭和10年〉1月2… 矢嶋 英敏(やじま ひでとし、1935年〈昭和10年〉1月25日 - 2021年〈令和3年〉7月7日)は、日本の防衛庁官僚、実業家。株式会社島津製作所元代表取締役社長、代表取締役会長、相談役。社団法人京都工業会会長、社団法人日本分析機器工業会会長、財団法人関西文化学術研究都市推進機構理事長、慶應義塾評議員を歴任。 1935年、群馬県前橋市に生まれる。東京学芸大学附属中学校、東京都立青山高等学校に学び、ラジオや野球に没頭した。東京大学理科二類(医学部)の受験に失敗し、慶應義塾大学文学部に入学。独文科に学び、野球部に入部するが当時の野球部は中田昌宏をはじめレベルが高く、3か月で退部する。大学4年時に米国の雑誌社に合格が決まるが、父の反対により辞退する。
倉塚 曄子(くらつか あきこ、1935年1月25日 - 19… 倉塚 曄子(くらつか あきこ、1935年1月25日 - 1984年7月17日)は、日本の女性史研究者。夫は宗教学者の倉塚平。 東京生まれ。旧姓・森田。父の転勤に従い上海、青島などを転々とする。14歳で父を失い極貧の中、1958年お茶の水女子大学卒業、東京都立大学 (1949-2011)大学院国文科進学。1960年博士課程進学、倉塚平と結婚。1963年東京都立荒川工業高等学校国語科教諭、西郷信綱を中心とする研究会に出席し、古代女性史に関して多くの論文を書く。1965年退職し、1968年夫が西ドイツ・ミュンスター大学に留学していたため渡独。各大学の非常勤講師を勤めながら研究を続け、1972年心臓発作で倒れ心臓に異常が見つかる。
川村 博忠(かわむら ひろただ、1935年1月25日 - )… 川村 博忠(かわむら ひろただ、1935年1月25日 - )は、日本の古地図学者、東亜大学名誉教授。 1935年年、朝鮮半島の京城府で生まれた(福岡県出身)。九州大学文学部西洋史学科で学び、1961年に卒業。その後、広島大学文学部に進み、地理学専攻を1965年に卒業。 卒業後は、佐世保工業高等専門学校助教授に就いた。1978年に山口大学教育学部助教授に転じた。1981年、学位論文『江戸幕府撰国絵図の研究』を広島大学に提出して文学博士号を取得。1986年に同教授昇格。1997年に東亜大学教授に転じた。2006年に退任し、東亜大学名誉教授となった。
永井 啓弐(ながい けいじ、1935年1月25日 - 202… 永井 啓弐(ながい けいじ、1935年1月25日 - 2025年7月23日)は、日本の実業家、馬主。 トヨタカローラ三重株式会社の重役を歴任したほか、馬主として「スズカ」などの冠名で知られ、宝塚記念などを制したサイレンススズカや天皇賞馬スズカマンボといった競走馬を所有。中京馬主協会会長も務めた。現在の馬主登録上の表記は永井 啓弍で、2001年6月7日付で変更されている。 レーシングドライバーでトヨタカローラ三重代表取締役社長、トヨタホーム三重代表取締役社長の永井宏明と同じくレーシングドライバーでネッツトヨタノヴェル三重代表取締役社長である永井秀貴は息子。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。
矢島 渚男(やじま なぎさお、1935年1月24日 - )は… 矢島 渚男(やじま なぎさお、1935年1月24日 - )は、日本の俳人。2020年旭日小綬章受章。2024年文化功労者。本名は薫。 長野県丸子町(現上田市)生まれ。上田松尾高校、九段高校を経て、東京大学文学部国史学科卒業。大江健三郎と同期だった。卒業後は長野県内で歴史の高校教諭となる。1957年「鶴」に入会し石田波郷に師事したが、波郷没後「寒雷」に移り、加藤楸邨に師事する。1994年、俳誌「梟」主宰。2003年、句集『延年』で第3回俳句四季大賞受賞。2008年、句集『百済野』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2016年、句集『冬青集』で第50回蛇笏賞受賞。読売新聞及び朝日新聞長野版俳壇選者。2020年、旭日小綬章受章。
西田 稔(にしだ みのる、1935年1月24日 - 1994… 西田 稔(にしだ みのる、1935年1月24日 - 1994年6月12日)は、京都府出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 立命館高校では平井嘉明と同期。エースとして1951年秋季近畿大会府予選準決勝に進むが、城南高に敗退。翌1952年夏の甲子園府予選は決勝で山城高に完封負け、甲子園には届かなかった。卒業後は立命館大学へ進学。関西六大学野球リーグでは1954年春季リーグで優勝を経験。当時の投の二本柱である西尾慈高、紀藤広光がプロ入りしたため、同年秋季リーグからエースとして活躍。しかし大学をで中退し、1956年に阪急ブレーブスへ入団。リーグ通算成績は29試合登板、11勝16敗であった。 1958年には26試合に登板し6勝をあげる。
村上 處直(むらかみ すみなお、1935年1月24日 - 2… 村上 處直(むらかみ すみなお、1935年1月24日 - 2024年10月20日)は、日本の都市計画家。防災の専門家で、戦後の都市防災において、中心的役割を果たしてきた人物。防災都市計画研究所名誉所長及び会長。元代表取締役所長。そのほか、社団法人環境情報科学センター評議員。杉並区まちづくり博覧会会長。 神奈川県地震被害想定調査委員会委員長、地域安全学会会長、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)後の国土審議会特別委員、中央防災会議専門委員を歴任。 学位は工学博士。名古屋市生まれ。広島育ち。父は天文学者の村上忠敬(広島大学名誉教授)。
安丸 信行(、1935年〈昭和10年〉1月24日 - 202… 安丸 信行(、1935年〈昭和10年〉1月24日 - 2022年〈令和4年〉3月1日)は、東宝の特殊技術専門の造型家、彫刻家。自由美術協会会員。富山県出身。 武蔵野美術大学彫刻科の在学中に、アルバイトで映画『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』の石膏ミニチュアを手掛けたのをきっかけに、映画業界に携わる。 1961年(昭和36年)、大学の先輩の誘いで『モスラ』にアルバイトとして参加。卒業後、東宝に入社。「特殊技術課」の特殊美術科石膏部に配属される。石膏部は、ミニチュアのビルなどを石膏で造型する部署だった。東宝を選んだ理由は、東映に比べ特撮映画がコンスタントに制作されていたため仕事が安定していると考えたためであった。
田畑 孝(たばた たかし、1935年1月23日 - )は、日… 田畑 孝(たばた たかし、1935年1月23日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 東京府出身。青山学院大学卒業。東映俳優センターに所属していた。 俳優座養成所第11期生。劇団青俳所属時、ライオン奥様劇場『男の償い』(フジテレビ)の主役に抜擢されたのを皮切りに、テレビドラマ『刑事さん』(NET)や映画『一万三千人の容疑者』(東映)などでメインの登場人物を演じ活躍した後は、おもに脇役として活動した。 1979年より放映された『仮面ライダー(スカイライダー)』(毎日放送)小林 昭二、演ずるおやっさんポジションで主人公を改造した博士役、志度敬太郎でレギュラー出演するが、病気療養で第13話で降板した。 「『仮面ライダー(スカイライダー)』で共演した村上弘明は、放送期間中に亡くなったことを聞かされたと述べている」という「」による情報がある。
保坂 直達(ほさか なおみち、1935年1月23日 - )は… 保坂 直達(ほさか なおみち、1935年1月23日 - )は、日本の経済学者。経済学博士(論文博士・1973年)(学位論文「貨幣と経済分析」)。兵庫県立大学名誉教授。元流通科学大学学長。 東京生まれ。1959年横浜市立大学商学部経済学科卒、1965年神戸大学大学院経済学研究科理論経済学博士課程満期退学、1973年「貨幣と経済分析」で経済学博士の学位を取得。 関西大学経済学部助教授、1970年神戸商科大学助教授、1974年教授。1994年経済研究所長。2000年退任、名誉教授、2000年流通科学大学教授。2004年兵庫県立大学名誉教授。2005年流通科学大学学長。 2013年11月瑞宝中綬章受章。
木村 栄文(きむら ひでふみ、1935年1月22日 - 20… 木村 栄文(きむら ひでふみ、1935年1月22日 - 2011年3月22日)は、日本のテレビ番組ディレクター、プロデューサー。愛称はエイブンさん。
向一陽(むこう いちよう、1935年1月22日- )は、日本… 向一陽(むこう いちよう、1935年1月22日- )は、日本のジャーナリスト、探検家。 佐賀県唐津市生まれ。1960年東京外国語大学英米科卒業、共同通信社入社。社会部長、論説委員兼編集委員などをへて95年退社。日本記者クラブ会員。日本山岳会会員。1973-76年奥アマゾン探検隊隊長ほか、アンデス、南極、北極、アラスカ、オセアニア、ミクロネシア、ヒマラヤ、アジア各地で探検、登山、取材をした。
永田 徹登(ながた てつと、1935年1月21日 - )は、… 永田 徹登(ながた てつと、1935年1月21日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。
三浦 仁(みうら ひとし、1935年1月21日 - )は、日… 三浦 仁(みうら ひとし、1935年1月21日 - )は、日本近代文学研究者。山梨県立女子短期大学教授を歴任。 茨城県生まれ。東京教育大学国文科卒、1966年同大学院博士課程単位修得。山梨県立女子短期大学国文科教授を務めた。
渥美 東洋(あつみ とうよう、1935年〈昭和10年〉1月2… 渥美 東洋(あつみ とうよう、1935年〈昭和10年〉1月20日 - 2014年〈平成26年〉1月30日)は、日本の法学者(刑事訴訟法)。法学博士(中央大学・1978年)。中央大学名誉教授、警察大学校名誉教授。京都産業大学客員教授、学校法人常磐大学理事、司法試験考査委員を務めた。 1935年、満洲国新京(現:長春市)で高官の家庭に生まれ幼少時代を過ごし、敗戦後、浜松市に戻る。静岡県立浜松北高等学校卒業後、1955年、中央大学法学部3年生の時、司法試験に首席で合格。翌年、国家公務員六級職試験(後の上級甲種試験、Ⅰ種試験)に8位で合格。中央大学法学部助手兼務で司法修習修了。 刑事訴訟法学において、英米法の影響を大きく受けた学説を主張し、その独自の展開ゆえ「渥美刑訴」と呼ばれた。
堀本 律雄(ほりもと りつお、1935年1月20日 - 20… 堀本 律雄(ほりもと りつお、1935年1月20日 - 2012年1月14日)は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手(投手)、コーチ、解説者・評論家。 桃山学院高校では3年次の1952年、夏の大阪府大会で準決勝に進出するが、明星高に敗退。高校卒業後は1953年に立教大学へ入学するが、同期のエース東実や1年下の杉浦忠の陰に隠れ、あまり活躍の機会はなかった。専ら他校のエースを真似た練習台の投手であった。他の大学同期に矢頭高雄がおり、一年下に長嶋茂雄がいた。大学卒業後は1957年に日通浦和へ入社し、同年の都市対抗では3勝を挙げて決勝に進出。熊谷組の島津四郎と投げ合うも完封を喫するが、この大会の久慈賞を獲得。
公文 俊平(くもん しゅんぺい、1935年1月20日 - )… 公文 俊平(くもん しゅんぺい、1935年1月20日 - )は、日本の社会学者。東京大学教授、多摩大学情報社会学研究所所長、多摩大学教授、立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部客員教員、情報社会学会会長などを歴任。専門は、社会システム論、国際関係論。 高知県出身。土佐中学校・高等学校を経て、1957年に東京大学経済学部卒業。1959年に同大学院社会科学研究科理論経済学専門課程修士課程修了。1967年に東京大学教養学部助教授、カールトン大学客員助教授・客員準教授。1968年にインディアナ大学経済学大学院でPh.D.取得。1971年に経済企画庁客員研究官。1978年、東京大学教養学部教授。1988年にワシントン大学客員研究教授。
柴田 翔(しばた しょう、男性、1935年1月19日 - )… 柴田 翔(しばた しょう、男性、1935年1月19日 - )は、日本の小説家、ドイツ文学者。東京大学名誉教授。 東京府東京市足立区栗原町生まれ。幼少期に東京都板橋区常盤台に転居して育つ。板橋区立上板橋第一中学校に入学した後、武蔵中学校・高等学校へ転校。1953年、東京大学教養学部理科一類に入学。工学部応用化学科から文転して文学部独文科を卒業。 1959年、同人雑誌『象』を創刊。1960年、同大学院独文科修士課程修了、助手となる。同年、同人誌『象』に発表した小説「ロクタル管の話」が「同人雑誌優秀作」として『文學界』に転載され、芥川賞候補となる。1961年「『親和力』研究―西欧近代の人間像の追求とその崩壊の認識―」で日本ゲーテ協会ゲーテ賞を受賞。
廣川 洋一(ひろかわ よういち、1935年1月19日 - 2… 廣川 洋一(ひろかわ よういち、1935年1月19日 - 2019年11月8日)は、日本の哲学者。筑波大学名誉教授。専攻は西洋哲学。古代ギリシア哲学が専門。 新潟県出身。1954年新潟県立長岡高等学校卒業。1958年東京教育大学文学部卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。田中美知太郎、松平千秋、藤沢令夫らに学ぶ。1977年京都大学で博士号を取得。同年から翌年までロンドン大学研究員。 東海大学文学部助教授、教授を経て、1988年筑波大学哲学・思想学系教授、1999年定年退官、名誉教授。龍谷大学文学部教授。2005年退任。 2019年11月8日、前立腺がんのため死去。83歳没。
伊吹 令人(いぶき よしと、1935年(昭和10年)1月19… 伊吹 令人(いぶき よしと、1935年(昭和10年)1月19日 - 2015年(平成27年)12月19日)は、日本の医学者であり、教育者である。群馬大学医学部教授を務めた後、日本産婦人科学会名誉会員。岡山県高梁市出身。 1935年(昭和10年)岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)に生れる。母・三千子は、漢詩人・磯部杳坡の孫であり、磯部にとって初曽孫であった。親戚にUCLAに留学後、お茶の水女子大学名誉教授の伊吹知勢がいる。 その後、1950年(昭和25年)地元の岡山県立高梁高等学校へ進学する。同期には、富士銀行頭取になる橋本徹、伊藤忠商事副社長になる森澤寛二、岡山東商を甲子園優勝に導いた向井正剛、大学教授の南智、新宿で高級和食料理店「車屋」を起業する佐藤勇がいた。
生田 正治(いくた まさはる、1935年1月19日 - 20… 生田 正治(いくた まさはる、1935年1月19日 - 2023年11月13日)は、日本の実業家。位階は従三位、勲等は旭日大綬章。株式会社商船三井社長、会長、日本郵政公社初代総裁(2003年 - 2007年)を歴任。慶應義塾理事。慶應義塾評議員。
丹野 毅(たんの たけし、1935年1月19日 - 2007… 丹野 毅(たんの たけし、1935年1月19日 - 2007年7月30日)は、日本の経営者で、日立化成工業社長、会長を務めた。 東京都出身。1959年に東京大学法学部を卒業し、同年に日立製作所に入社した。 1981年に日立化成工業に転じ、1985年6月に取締役に就任、1987年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1991年6月には社長に昇格。1997年4月に会長を経て、2001年6月には相談役に就任。 2007年7月30日、死去。72歳没。
佐藤武義(さとう たけよし、1935年1月19日 - )は、… 佐藤武義(さとう たけよし、1935年1月19日 - )は、日本の国語学者、東北大学名誉教授。 宮城県生まれ。1965年東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。宮城教育大学助教授、東北大学教養部教授、1999年定年退官、名誉教授、日本大学教授。2005年退職。
鈴木 喬(すずき たかし、1935年1月18日 - )は、日… 鈴木 喬(すずき たかし、1935年1月18日 - )は、日本の実業家。エステー会長(元社長)。東京都渋谷区出身、一橋大学商学部卒業。 1935年(昭和10年)今でいう日用品のディスカウンターをしていた鈴木千蔵(エステー化学初代社長)の四男として東京都で生まれる。戦争にかり出された兄たちにかわり、小学生のころから家業を手伝う。東京大空襲で店を焼かれ、焼け野原のなか父のゼロからの再出発を支えた。 東京都立新宿高等学校を経て、商人になりたいという想いから叔父に勧められ一橋大学商学部に進学。すでに父と兄がエステー化学工業㈱(現エステー)を設立していたが「もっと広い世界で活躍したい」と考え、サラリーマンの道を選択する。
西川 章(にしかわ あきら、1935年1月18日 - 202… 西川 章(にしかわ あきら、1935年1月18日 - 2024年12月13日)は、日本の経営者。三菱マテリアル社長を務めた。大阪府出身。 1959年に京都大学工学部を卒業し、同年に三菱金属に入社した。1991年6月に取締役に就任し、2000年6月に社長に就任。2004年6月に会長に就任したが、2005年に土壌汚染隠しの責任を取る形で会長を辞任し、取締役相談役に退き、また、大阪府警察により髙木茂らと宅地建物取引業法違反容疑で書類送検された。 2024年12月13日午前4時59分、老衰のため東京都の病院で死去。89歳没。
高山 鉄男(たかやま てつお、1935年1月18日 - )は… 高山 鉄男(たかやま てつお、1935年1月18日 - )は、日本のフランス文学者、慶應義塾大学名誉教授。 東京市四谷区四谷坂町生まれ。杉並区立若杉小学校・慶應義塾普通部・慶應義塾高等学校を経て、1957年慶應義塾大学文学部フランス文学専攻卒業。59年慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。62年パリ第4大学で博士号取得。63年慶應義塾大学文学部助手、67年専任講師、72年助教授、79年教授、2000年定年退任、名誉教授、日本橋学館大学人文経営学部教授、06年退職、名誉教授。72年ル・クレジオ『発熱』の翻訳でクローデル賞受賞。 バルザックが専門。妻は元慶應義塾大学商学部教授でフランス文学者の高山晶(あき)。
河谷 禎昌(かわたに さだまさ、1935年1月17日 - 2… 河谷 禎昌(かわたに さだまさ、1935年1月17日 - 2025年12月13日)は、日本の経営者、銀行家。北海道拓殖銀行最後の頭取を務めた。 兵庫県神戸市出身。祖父と兄は弁護士、父は裁判官の法曹一家に育つ。北海道札幌北高等学校を経て、1957年に北海道大学法学部を卒業し、同年に北海道拓殖銀行に入行。 業務企画部長、企画部長、1986年7月に取締役、1989年4月に常務、1992年6月に専務、1993年6月に副頭取を経て、1994年6月に頭取に就任し、破綻する1997年11月まで務めた。破綻後、特別背任罪で実刑判決が確定し、2009年12月から1年7ヶ月服役した。その後はテレビ局、新聞社のインタビューに時折答えていた。
山泉 和子(やまいずみ かずこ、1935年1月17日 - 2… 山泉 和子(やまいずみ かずこ、1935年1月17日 - 2024年8月27日)(現姓名・伊藤和子)は、大阪府生まれの卓球選手。日本卓球界の黄金期を支えた女子選手の一人で、2010年にはその功績を称えられ世界卓球殿堂入りを果たした。 孫の池田和正(明治大学出身)も卓球選手。 疎開で愛媛県北宇和郡津島町(現宇和島市)に移住。1946年に卓球を始めた。愛媛県立津島高等学校を経て大阪樟蔭女子大学へ進学。大学卒業後は東洋レーヨンに入社した。世界卓球選手権に6回出場し、1959年に女子ダブルスで優勝、1963年に混合ダブルスで優勝、女子団体では3度優勝している。 1960年の全日本卓球選手権では女子シングルス、ダブルス、混合ダブルスで優勝、女子選手として初の三冠王となった。
河井 徳治(かわい とくはる、1935年1月17日 - )は… 河井 徳治(かわい とくはる、1935年1月17日 - )は、日本の哲学研究者、大阪産業大学名誉教授。 大阪生まれ。1955年大阪大学理学部入学、60年同文学部哲学科卒業。65年同大学院博士課程満期退学。75-76年ハイデルベルク大学に学ぶ。1993年「スピノザ哲学論攷」で筑波大学文学博士。1977年大阪産業大学教養部教授、86年教養部長、97-2001年図書館長、2001年人間環境学部教授。2005年退任、客員教授、特任教授、名誉教授。
立脇 和夫(たてわき かずお、1935年1月17日 - )は… 立脇 和夫(たてわき かずお、1935年1月17日 - )は、日本の経済学者、早稲田大学名誉教授。 島根県出雲市生まれ。1959年神戸大学経営学部卒、1989年「在日外国銀行史の研究 幕末開港から条約改正まで」で経済学博士。日本銀行に勤務しワシントン大学に学ぶ。1984年長崎大学経済学部助教授に転じ、1987年教授、1988年静岡県立大学国際関係学部教授、1992年早稲田大学商学部教授。2005年定年、名誉教授。
永井 淳(ながい じゅん、1935年1月17日 - 2009… 永井 淳(ながい じゅん、1935年1月17日 - 2009年6月4日)は、日本の英米文学の翻訳家でベストセラー小説を多く訳した。 秋田県生まれ。本名・須藤隆。埼玉大学文理学部(現:教養学部)卒。角川書店の編集者を経て翻訳家となる。翻訳を大久保康雄と中村能三の二人から学んだ。 1961年に最初の訳書を出版以来、アーサー・ヘイリー、スティーヴン・キング、ジェフリー・アーチャー、W・P・キンセラなど娯楽作品や戦記・探検記の翻訳多数、出版した訳書は120冊を超える。 特にヘイリーやアーチャーの訳書は(ドラマ化もされ)周知され多数重版「売れる作家をいち早く手がける眼力は師匠大久保譲り」と評された。職業翻訳家としてエンターテインメント作品紹介に徹した。
高城高(こうじょう こう、1935年1月17日-)は、日本の… 高城高(こうじょう こう、1935年1月17日-)は、日本の推理小説家。元新聞記者。北海道札幌市在住。本名は乳井洋一(にゅうい よういち)。北海道函館市出身。 1935年、北海道函館市に生まれる。5歳の時に、英語教師だった父の転勤で宮城県仙台市に移住。第二次世界大戦中は父の故郷である秋田県北秋田郡比内町(現大館市の一部)に疎開。終戦後に仙台に戻り、進駐軍の兵士が古本屋に売ったペーパーバックや、英語教師だった父と交流があった米軍人から手に入れたハードボイルド小説を読み始めたという。 1955年、東北大学文学部英文科在学中、『宝石』の短編懸賞に「X橋附近」を応募し、1位を受賞した。この小説は江戸川乱歩に絶賛され、現在では日本のハードボイルド小説の嚆矢とされる。
大久保 清(おおくぼ きよし、1935年〈昭和10年〉1月1… 大久保 清(おおくぼ きよし、1935年〈昭和10年〉1月17日 - 1976年〈昭和51年〉1月22日)は、日本の連続殺人犯(シリアルキラー)、元死刑囚。群馬県碓氷郡八幡村(現:高崎市)出身。 1971年(昭和46年)3月から同年5月までの2か月足らずの間に、群馬県内の路上で自家用車から女性たちに声をかけて誘い、誘いに応じた8人を相次いで殺害するという連続殺人事件を起こしたとして逮捕・起訴された。1973年(昭和48年)に死刑判決を言い渡され、そのまま死刑が確定、1976年(昭和51年)に東京拘置所で死刑を執行された(41歳没)。 1935年(昭和10年)1月17日、大久保は群馬県碓氷郡八幡村(現・高崎市八幡地区)に3男5女の7番目(三男)として生まれた。
さねとう あきら(本名・實藤述。 1935年1月16日 -2… さねとう あきら(本名・實藤述。 1935年1月16日 -2016年3月7日)は日本の児童文学作家・劇作家。 東京出身。1972年に『地べたっこさま』で日本児童文学者協会新人賞・野間児童文芸推奨作品賞、1979年に『ジャンボコッコの伝記』で小学館文学賞、1986年に『東京石器人戦争』で産経児童出版文化賞をそれぞれ受賞。『なまけんぼの神さま』、『おこんじょうるり』、『かっぱのめだま』、『神がくしの八月』、『ゆきこんこん物語』などの創作・評論多数。 劇作の分野では、1973年、大阪の劇団2月で『ゆきと鬼んべ』を上演したのを皮切りに、泰西名作が幅をきかす関東圏と違い、創作劇の上演が比較的自由だった関西圏を活躍の場に選んだ。
股野 景親(またの かげちか、1935年1月16日 - 20… 股野 景親(またの かげちか、1935年1月16日 - 2007年7月17日)は、日本の外交官。公正取引委員会委員。京都ノートルダム女子大学大学院客員教授。従三位瑞宝重光章。
安居 祥策(やすい しょうさく、1935年1月16日 - )… 安居 祥策(やすい しょうさく、1935年1月16日 - )は、日本の実業家。帝人元会長・社長。日本政策金融公庫元総裁。 京都府京都市出身。京都大学経済学部卒業後の1957年に帝国人造絹絲入社。1981年海外事業第2部長、1982年フイルム販売部長、1986年に帝人商事物資本部長、1988年にテイジン・インドネシア・ファイバー・コーポレーション社長を歴任。1992年に帝人に戻り取締役、1993年に常務取締役、1994年に専務取締役を経て1997年に同代表取締役社長に就任。1999年にCEO同兼社長、2001年に同取締役会長を務め、2005年に相談役へ退く。 2007年に中小企業金融公庫総裁を務め、国民生活金融公庫、農林漁業金融公庫と国際協力銀行の国際金融部門が統合に伴ない、2008年10月日本政策金融公庫の発足と同時に同総裁となる。
藤原 貞夫(ふじわら さだお、1935年1月16日 - 20… 藤原 貞夫(ふじわら さだお、1935年1月16日 - 2005年3月23日)は、日本の経営者。藤田観光社長を務めた。 東京都出身。1957年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に同和鉱業に入社。 1989年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1995年3月に藤田観光副社長に就任し、1997年3月には社長に昇格。 2002年3月に会長に就任。 2008年11月5日肺癌のために死去。73歳没。
杉田 秀男(すぎた ひでお、1935年1月16日 - )は、… 杉田 秀男(すぎた ひでお、1935年1月16日 - )は、東京都出身の男性フィギュアスケート選手で現在はフィギュアスケート審判兼解説者。TBSスポーツ局長。明治大学卒。 有坂隆祐に師事。1956年(昭和31年)、全日本フィギュアスケート選手権男子シングルで優勝。1957年(昭和32年)2月、アメリカ合衆国コロラド州で開催された世界フィギュアスケート選手権に出場。その直前には他の出場選手らとともに昭和天皇に模範演技を披露する機会もあった。 その後は佐藤信夫の台頭(1957年(昭和32年)より全日本10連覇)もあって、選手としての冬季オリンピック出場は叶わなかった。現役引退後は審判に転身、1968年(昭和43年)より国際審判。
船山 浩志(ふなやま ひろし、1935年1月16日 - 20… 船山 浩志(ふなやま ひろし、1935年1月16日 - 2016年9月7日)は、日本の元バレーボール選手、バレーボール指導者。 1935年1月16日、東京府出身。早稲田大学で選手としてプレーした後、1958年(昭和32年)に同大を卒業。 1960年(昭和35年)、ヤシカ本社バレーボール部創設と同時に監督に就任。 1966年(昭和41年)8月6日、第5回世界選手権兼第5回アジア大会全日本代表選手選考会の3日目に開催されたヤシカ - 日紡貝塚戦にて、船山が采配を揮うヤシカがセットカウント3-2で勝利を収め、日紡貝塚の公式戦連勝記録(258連勝)をストップする大金星を挙げた試合は日本バレーボール界の歴史に残る。