渡邊 一雄(渡辺 一雄、わたなべ かずお、1935年 - 2… 渡邊 一雄(渡辺 一雄、わたなべ かずお、1935年 - 2010年10月11日)は、日本のテレビプロデューサー。 元毎日放送(MBS)プロデューサーで、ラジオ局次長、スポーツ局長、役員待遇テレビ制作部長、同社特別顧問を歴任した。 ラジオ番組『MBSヤングタウン(ヤンタン)』初代プロデューサー。兵庫県出身。 1959年に大阪学芸大学音楽科を卒業し、1960年にMBS入社。1967年よりヤンタンのプロデューサーを20年に渡り務め、パーソナリティからは「大ナベさん(オオナベさん)」の愛称で親しまれた(この愛称は、後に同姓の後輩社員渡辺高志がディレクターを担当する事になったため、後輩を「コナベさん」として区別した上でついたもの)。
佐久間 徹(さくま とおる、1935年 - 2022年11月… 佐久間 徹(さくま とおる、1935年 - 2022年11月12日)は、日本の臨床児童心理学者。応用行動分析(ABA)に精通し、自閉症児への介入法であるフリーオペラント法の創始者の一人として知られる。梅花女子大学、関西福祉科学大学大学院で教授を歴任した。 北海道出身。関西学院大学文学部心理学科卒業。1965年に関西学院大学大学院文学研究科博士課程修了。梅花女子大学、関西福祉科学大学大学院などで教授を務めた。一般社団法人子供の城協会理事。
立山 学(たてやま まなぶ、1935年 - 2011年2月2… 立山 学(たてやま まなぶ、1935年 - 2011年2月24日)は、日本の政治運動家、文筆家。 熊本県菊池市生まれ。1959年九州大学経済学部卒業、在学中から日本社会党青年部で活動。1960年安保闘争の最中、雑誌『社会主義』(社会主義協会)の編集者となる。 社青同(日本社会主義青年同盟)港支部(東京)を組織。浅沼社会党委員長刺殺抗議デモに参加。三池無期限全面スト支援のため各労組をオルグ。 1961年三池闘争支援のため「三池を守る会」を組織。医療労働者の人権侵害、労働条件改悪に抗議する闘争支援(十仁・愛育・船員・慶応病院など)。 1964年社青同第四回大会で書記長に選出される。1965年反戦青年委員会設立に努める。
三上 茂(みかみ しげる、1935年 - 2022年12月2… 三上 茂(みかみ しげる、1935年 - 2022年12月23日)は、西洋中世哲学研究者。南山大学名誉教授。中世哲学。 福岡市出身。九州大学教育学部卒、同大学院、南山大学助教授、教授、2004年定年退職、名誉教授。
大田 嘉弘(おおた よしひろ、1935年 - 2015年8月… 大田 嘉弘(おおた よしひろ、1935年 - 2015年8月10日)は、日本の歯科医師、軍事史研究者。 九州歯科大学を卒業。竹原・豊田歯科医師会会長、広島県歯科医師会理事、竹原市教育委員長などを歴任。 厚生労働大臣賞、文部科学大臣賞、防衛大臣賞等を受賞した。2010年に瑞宝双光章を受章。 軍事研究としては、沖縄戦・インパール作戦に関する著作を残した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
加藤 邦男(かとう くにお、1935年 - 2019年3月3… 加藤 邦男(かとう くにお、1935年 - 2019年3月31日)は建築史家、建築論研究者。京都大学名誉教授。専門は建築史、建築論、建築設計。森田慶一、増田友也の流れを受ける建築論研究の第一人者である。工学博士。大阪府生まれ。 ポール・ヴァレリー『エウパリノス または建築家』、『列柱のうた』に長い間魅惑された著者が、ヴァレリーに関する徹底的な建築論的研究を行う。 1958年京都大学工学部建築学科卒業。京都大学大学院工学研究科を経て、1959‐62年フランス国立美術学校建築学科エルベ‐アルベール教室に留学。 1962‐64年、ミッシェル・エコシャール都市建築設計事務所都市計画部門主任。 1964年以降、京都大学工学部助手、講師、助教授を経て、1990年同教授、1999年同停年退官。
河田 耕一(かわた こういち、1935年 - )は、工学者、… 河田 耕一(かわた こういち、1935年 - )は、工学者、高知工科大学名誉教授。工学博士。 京都大学鉄道研究会OB。京都大学工学部に在学中から『鉄道模型趣味』(機芸出版社)にて執筆。松下技研(現:パナソニック)に勤務ののち大学教授となり、高知工科大学教授を2006年3月31日に退官した。 河田は鉄道模型趣味に関する情報が少ない時代から、それらについて執筆活動を継続して行い、特にストラクチャーの製作においては先駆となった。松下技研の部長時代は「日本の普通の道」を調べることが趣味であった。 鉄道模型のレイアウトやレイアウトセクションを製作する上で必要なシーナリィや建造物についての趣味的な資料が少ない時代に、『鉄道模型趣味』(機芸出版社)にてそれらに関する記事の執筆を行い、『シーナリィ・ガイド』(同、1974年)としてまとめられ、増刷を重ねた。
文田 久雄(ふみた ひさお、1935年 - 2015年2月4… 文田 久雄(ふみた ひさお、1935年 - 2015年2月4日)は、日本の官僚。正四位。 1935年生まれ。1961年3月、京都大学教育学部卒業後、人事院入局。内閣審議室内閣審議官、総理府賞勲局長などを経て、1993年6月、総理府次長(事務次官に相当)に就任。1996年に同府退官後は、公害等調整委員会、恩給審査会の委員を歴任した。2005年4月に瑞宝重光章を授与される。 1993年の政権交代で宮沢内閣が退陣。同時期開催の広島市平和記念式典恒例の「内閣総理大臣挨拶」を誰が行うのか混乱した際、総理府次長として代読した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
ヨシダ ミノル(本名: 吉田 稔(よしだ みのる)、1935… ヨシダ ミノル(本名: 吉田 稔(よしだ みのる)、1935年〈昭和10年〉 - 2010年〈平成22年〉10月23日)は、京都市を拠点に活動した日本の芸術家。日本の前衛美術界を代表する芸術家の1人である。 初期のメディアアート、「テクノロジー・アートの先駆者」と呼ばれ、「宇宙人」「現代美術の奇人」などの異名をとるパフォーマンス・アーティスト。生きることそのものを芸術ととらえたパフォーマンス・アーティストであり、日本にパフォーマンスアートというジャンルを定着させた中心人物のひとりと目される。 1965年(昭和40年)、具体美術協会に加入。素材にプラスチックや電気などを用いる動く芸術、日常生活そのものをパフォーマンスととらえた美術劇場で注目を集めた。
藤岡 知夫(ふじおか ともお、1935年(昭和10年) - … 藤岡 知夫(ふじおか ともお、1935年(昭和10年) - 2022年(令和4年)3月25日)は日本の工学者、蝶類研究家。財団法人応用工学研究所理事長。工学博士。専門はレーザー工学、レーザー物理学。チャンネル桜番組審議委員。 東京府出身。父は物理学者藤岡由夫、祖父は国文学者藤岡作太郎。子は指揮者の藤岡幸夫。 蝶類の研究家としても知られ、所蔵する標本は22万頭におよび、蝶に関する著作を多く出版している。
小田 正雄(おだ まさお、1935年 - 2024年1月15… 小田 正雄(おだ まさお、1935年 - 2024年1月15日)は、日本の経済学者。元関西大学経済学部教授。専門は国際経済学。 1935年に山口県に生まれる。一橋大学経済学部を卒業し、1961年に同大学大学院経済学研究科修士課程を修了する。神戸大学から博士号を取得しており、株式会社トーメンの調査部での勤務経験もある。関西大学経済学部で教授として教鞭をとり、学部長も務めた。1982年から翌年まで南メソジスト大学で在外研究を行った。2009年以降発表の論文では、肩書きは立命館大学経済学部客員教授である。小島清、上河泰男、池本清から指導を受けた。山本繁綽、高山晟、大山道広、三辺信夫、佐々波楊子、深海博明等の国際経済学者との交流にも刺激を受けたと述べている。
酒井 大岳(さかい だいがく、1935年 - 2020年2月… 酒井 大岳(さかい だいがく、1935年 - 2020年2月4日)は、日本の禅僧(曹洞宗)。群馬県吾妻郡東吾妻町長徳寺17世住職。本名は酒井哲雄(てつお)。 群馬県生まれ。駒澤大学仏教学部禅学科卒業。群馬県立吾妻高等学校で30年余り書道講師を勤めた。南無の会会友。 道元禅師の「愛語」(愛に満ちた言葉)など仏教の教えを分かりやすい言葉で、かみくだいて説き、多くの著作がある。 金子みすゞの詩を愛好し、著書に「酒井大岳と読む金子みすゞの詩」などがある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
秋野 豊明(あきの とよあき、1935年(昭和10年)- 2… 秋野 豊明(あきの とよあき、1935年(昭和10年)- 2025年6月22日)は、日本の医学者(医学博士)。専門は、医科学。札幌医科大学名誉教授。元札幌医科大学学長。元医療法人渓仁会理事長。 樺太恵須取町(現ロシア・サハリン州ウゴレゴルスク)生まれ。北海道空知郡上砂川町で育つ。1955年(昭和30年)北海道大学教養部入学。1957年(昭和32年)札幌医科大学医学部入学。1961年(昭和36年)札幌医科大学医学部卒業。三井砂川炭鉱病院でインターンを経て、1966年(昭和41年)札幌医科大学大学院医学研究科博士課程修了。札幌医科大学医学部生化学講座助手。1969年(昭和44年)札幌医科大学生化学第一講座講師。
林 正高(はやし まさたか、1935年 - 2016年9月1… 林 正高(はやし まさたか、1935年 - 2016年9月10日)は、日本の医師。専門は、日本住血吸虫症の研究。 旧満洲(現在の中国東北部)大連市出身。長野県岡谷市育ち。兄は農学者の林尚孝。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1962年信州大学医学部卒業。1987年甲府市立甲府病院神経内科部長。医師として臨床に携わる傍ら、日本住血吸虫症が流行するフィリピンを45回、中華人民共和国を6回訪れ、現地医療に尽力。個人でボランティア団体「地方病に挑む会」を1987年12月に創設し、発起人の1人である大岡昇平とともに「700円募金」(1口700円の意味であり、1人当たりの薬代が日本円に換算して約700円)を募り、15年間で約8919万円の募金を集めて現地の患者に治療薬プラジカンテルを届けるNGO活動を行った。
刀根 康尚(とね やすなお、1935年 - 2025年5月1… 刀根 康尚(とね やすなお、1935年 - 2025年5月12日)は、日本出身のアメリカ合衆国の前衛芸術家、音楽家。 ノイズミュージックの第一人者。1935年、東京都・浅草に生まれる。 千葉大学の国文科に進学し、日本文学を専攻。シュルレアリスム文学を卒業論文のテーマにした。1957年に同大学を卒業。 1958年に、一柳慧を通じて知り合ったジョージ・マチューナスの誘いで、フルクサスに参加した。また同時期に即興演奏をはじめ、小杉武久、塩見允枝子、武田明倫、水野修孝らと即興音楽集団「グループ音楽(英語版)」を結成、日本初の即興演奏グループとなった。ハイレッド・センターやチーム・ランダムにも参加、多くの前衛芸術運動に関わった。
竹内 伸(たけうち しん、1935年 - 2025年12月2… 竹内 伸(たけうち しん、1935年 - 2025年12月29日)は、日本の工学者。東京理科大学名誉教授、東京理科大学元学長。東京大学名誉教授、元東京大学物性研究所所長。東京大学理学博士。東京都出身。 東京大学史料編纂所所長・東京大学名誉教授の竹内理三は実父、東京大学名誉教授の竹内啓は実兄。
竹内 靖雄(たけうち やすお、1935年 - 2011年(平… 竹内 靖雄(たけうち やすお、1935年 - 2011年(平成23年)8月23日)は、日本の経済学者。専門は経済思想史、経済倫理学。成蹊大学名誉教授。 高知県生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。成蹊大学経済学部専任講師、助教授、教授を歴任。 代表的な著書に『正義と嫉妬の経済学』(第1回山本七平賞受賞)、『市場の経済思想』(東京海上各務記念財団最優秀図書賞受賞)がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
田中 義具(たなか よしとも、1935年 - 2015年6月… 田中 義具(たなか よしとも、1935年 - 2015年6月20日)は、日本の外交官。 在バングラデシュ、ジュネーブ軍縮会議日本政府代表部、在ハンガリー特命全権大使を歴任した。。 1956年、外交官試験に合格し、東京大学法学部を中退し、外務省に入省した。国際連合局軍縮室長、同科学課長、在オーストラリア大使館参事官、 在ソビエト連邦大使館参事官、大蔵省国際金融局投資第3課長、外務省大臣官房参事官、 欧亜局審議官を務めた。1983年に在シドニー総領事、1985年に在バングラデシュ大使、1989年に昭和天皇大喪の礼事務局長を務めた。査察担当審議官、外務省儀典長を経て、1992年にジュネーブ軍縮会議日本政府代表部大使、1995年に在ハンガリー大使を歴任した。
中村 徹 (なかむら とおる、1935年〈昭和10年〉 - … 中村 徹 (なかむら とおる、1935年〈昭和10年〉 - 2024年〈令和6年〉8月20日) は日本の運輸官僚。運輸省航空局長や、運輸事務次官等を歴任し、退官後は新東京国際空港公団総裁や日本観光協会会長などを務めた。位階勲等は正四位瑞宝重光章。 他に成田国際空港株式会社の顧問などを務めた。
原田 三朗(はらだ さぶろう、1935年 - 2017年12… 原田 三朗(はらだ さぶろう、1935年 - 2017年12月24日)は、日本の新聞記者。駿河台大学名誉教授。専門は公務員倫理。 1935年、東京都赤坂で生まれる。1959年、東京大学文学部を卒業後、科学技術庁を経て、1960年に毎日新聞社に入社する。1966年、南イリノイ大学大学院ジャーナリズム研究科へ留学するが、翌年復職。1975年、毎日新聞社会部副部長、1978年、同社編集委員となる。1981年-1990年には毎日新聞論説委員を務める。1990年、毎日新聞社を退社し、駿河台大学経済学部教授に着任。1994年、同大学文化情報学教授。駿河台大学では、文化情報学研究所長(1998年-2004年)、文化情報学研究科長(2001年-2005年)を歴任した。
栄沢 幸二(えいざわ こうじ、1935年 - 2024年11… 栄沢 幸二(えいざわ こうじ、1935年 - 2024年11月29日)は、日本の政治史学者、専修大学名誉教授。 富山県下新川郡入善町生まれ。富山県立入善高等学校卒業、1958年東京教育大学農学部林学科卒業、1961年同社会科学科法律政治学専攻卒業、1964年法政大学大学院社会科学研究科修士課程政治学専攻修了、1968年東京教育大学大学院文学研究科博士課程政治学専攻退学。1968年信州大学教養部専任講師、1972年助教授、1985年専修大学法学部教授。2006年定年、名誉教授。1987年松本三之介との共同研究で朝日学術奨励金を授与される。
野口 晴男(のぐち はるお、1935年 - 2012年7月7… 野口 晴男(のぐち はるお、1935年 - 2012年7月7日)は小学館専務取締役。 東京教育大学を卒業と同時に小学館に入社。週刊ポスト2代目編集長としてライバル誌・週刊現代を追い抜いて出版社系週刊誌を代表する1つに育て上げた。その後、GORO、写楽、週刊女性セブン、CanCamなどの編集長を経て、1986年に同社取締役となる。その後、1991年に常務取締役。1996年に専務取締役を務めた。2001年に監査役に退き、2003年に退職。 2012年7月7日に心不全のため死去。享年77。
中村 明蔵(なかむら あきぞう、1935年 - 2025年1… 中村 明蔵(なかむら あきぞう、1935年 - 2025年12月23日)は、日本の日本史学者、鹿児島国際大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。1960年奈良学芸大学卒業、1962年立命館大学大学院日本史学専攻修士課程修了。1994年「隼人と律令国家」で立命館大文学博士。ラ・サール高等学校教諭、鹿児島女子短期大学教授、鹿児島経済大学教授、校名変更で鹿児島国際大学教授。2006年定年、名誉教授。2006年南日本文化賞受賞。 飛鳥・奈良時代における古代律令政府の九州地方南部に対する支配政策、とくに隼人政策についての精緻な研究で知られる。 2025年12月23日、老衰のため鹿児島市の施設で死去した。90歳没。
成瀬 宇平(なるせ うへい、1935年(昭和10年) - 2… 成瀬 宇平(なるせ うへい、1935年(昭和10年) - 2016年(平成28年)8月23日)は、日本の栄養学者(医学博士)。鎌倉女子大学名誉教授。 現在の福島県いわき市に生まれる。1958年(昭和33年)、日本大学農獣医学部(現 生物資源科学部)卒業。同大学学部助手、講師、東邦大学医学部研究生、東京大学応用微生物研究所研究生を経て、武蔵野栄養専門学校講師、鎌倉女子大学教授、同家政学部長を歴任。鎌倉女子大学名誉教授。 日本テレビ「3分クッキング」、テレビ朝日「いまどき!ごはん」などの元アドバイザー。お魚博士として、NHK「ためしてガッテン」、フジテレビ「発掘!あるある大事典」、日本テレビ「おもいっきりテレビ」「所さんの目がテン!」、TBS「はなまるマーケット」などにも出演した。
高柳 良治(たかやなぎ りょうじ、1935年 - 2014年… 高柳 良治(たかやなぎ りょうじ、1935年 - 2014年4月8日)は、哲学研究者。國學院大學名誉教授。ドイツ社会思想史。 群馬県沼田市生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。國學院大學経済学部助教授、教授。2006年定年退職、名誉教授。
仙田 岑夫(せんだ みねお、1935年〈昭和10年〉 - 2… 仙田 岑夫(せんだ みねお、1935年〈昭和10年〉 - 2005年〈平成17年〉3月22日)は、日本の政治家、航空自衛官。扶桑町議会議員(3期)。 愛知県扶桑村(現:扶桑町)出身。1957年(昭和32年)3月に防衛大学校を第一期で卒業。航空自衛隊幹部学校主任研究開発官などを経て1985年(昭和60年)3月16日から1987年(昭和62年)3月15日まで第4高射群司令(1等空佐)、その後は航空自衛隊第1術科学校副校長、三菱重工顧問などを歴任。 1991年(平成3年)の扶桑町長選挙に立候補。前収入役の澤田正夫との一騎討ちとなり、仙田陣営は中学時代の同窓生らが中心になって運動を進めたが、澤田に及ばず落選。
有馬 三恵子(ありま みえこ、1935年〈昭和10年〉または… 有馬 三恵子(ありま みえこ、1935年〈昭和10年〉または1936年 - 2019年〈平成31年〉4月18日)は、日本の作詞家である。伊東ゆかり「小指の想い出」、南沙織「17才」、 金井克子「他人の関係」、 布施明「積木の部屋」などのヒット曲で知られる。 本名・立石三惠子。山口県防府市出身。法政大学を卒業。1960年代後半から作詞家活動を開始する。 時期は不明であるが、同郷の出身の作曲家で当時音楽之友社『ポップス』誌編集長であった鈴木淳と結婚、鈴木を職業作曲家として確立させた1967年(昭和42年)2月10日発売のヒット曲、伊東ゆかり「小指の想い出」の作詞を手がけ、「おしどり夫婦」と紹介される。
山口 甲(やまぐち はじめ、1935年 - 2017年3月2… 山口 甲(やまぐち はじめ、1935年 - 2017年3月29日)は、日本の技官官僚・工学者。工学博士(1990年、北海道大学にて)。北海道開発庁北海道開発局元局長。北海学園大学元教授・同大学開発研究所元特別研究員。北海道における治水事業の発展に尽力。 長崎県生まれ。1958年(昭和33年)山口大学工学部土木工学科卒業。 1958年建設省に入省。その後、北海道開発局に移り、1983年(昭和58年)同局建設部河川計画課長、1983年同開発庁水政課長、1984年小樽開発建設部部長、1986年同開発庁官房次長、1988年同開発局建設部長を経て、1989年総理府技官・北海道開発局長に就任。1990年退官。
小倉 肇 (おぐら はじむ、1935年(昭和10年) - 2… 小倉 肇 (おぐら はじむ、1935年(昭和10年) - 2016年(平成28年)3月5日)は、日本の教育者、児童文学作家、民俗学者、郷土史家。 三重県紀北教育研究所長、みえ熊野学研究会運営委員長、紀北民俗研究会長、熊野古道語り部友の会顧問などを務める。日本児童文学者協会員。 三重県長島町(後の紀伊長島町、現紀北町)東長島生まれ。 1957年に国立三重大学教育学部二部甲類を修了し、三重県教員となり県下各地の小学校教員を務める。教員在職中は教育事務所社会教育主事、三重県尾鷲教育事務所長、各地の小中学校長を歴任した後、1996年の紀伊長島町立西小学校長を最後に退職する。退職後は紀伊長島町教育長を同年から2005年まで務め、11月の紀伊長島町と海山町の合併に伴い誕生した紀北町教育長に続けて就任した。
宮田節子(みやた せつこ、1935年 - 2023年9月27… 宮田節子(みやた せつこ、1935年 - 2023年9月27日)は、日本の歴史学者。専門は朝鮮史。元早稲田大学講師。学習院大学客員研究員。本名は大西節子(おおにし せつこ)。 千葉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院文学研究科博士課程修了。 1959年の朝鮮史研究会の創設に関わる。のちに会長。2011年に韓国日本学会の学術賞受賞。 2023年9月27日、老衰で死去。87歳没。葬儀は10月4日に行った。
菊谷 匡祐(きくや きょうすけ、1935年 - 2010年1… 菊谷 匡祐(きくや きょうすけ、1935年 - 2010年1月19日)は、日本の文筆家・翻訳家。 神奈川県出身。1958年早稲田大学第一文学部独文学専修卒業。早稲田大学在学中に、所属していた新聞部の原稿依頼を契機として、開高健の知遇を得る。その後、自身が開高健に提供した資料「カフカの断片集中の一片」がもととなり執筆された「流亡記」により衝撃を受け(本人曰く「30枚の短編のはずが120枚の中編となったことが、そのまま彼我の構想力の差に感じられた」)、「開高健の鑑賞家」となることを決意する。 1962年に早稲田大学大学院文学研究科芸術学コース修士課程修了後、出版社勤務ののちも開高健との公私に亘る親交は続き、1977年にはブラジル・アマゾンへの取材行にも同行する。
水沢 渓(みずさわ けい、本名・阪本 遵 さかもと じゅん、… 水沢 渓(みずさわ けい、本名・阪本 遵 さかもと じゅん、1935年〈昭和10年〉 - 2009年〈平成21年〉6月4日)は、日本の経済評論家・作家・出版社代表取締役。 北海道函館市生まれ。早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業。山一證券入社。山一證券従業員労働組合執行委員を経て、社会福祉法人函館共愛会病院事務長となる。同会退会後、経済評論家・作家に転身。1989年、小説『巨大証券の犯罪』(健友館)がベストセラーとなる。 以後、経済小説やノンフィクション、医療問題、官僚腐敗、酒や食品に関する著書を多く手がける。 その傍ら東京都中野区野方にあった出版社健友館の代表取締役兼編集長となり、自身の著書のほかは主に医学専門書やアマチュア作家の自費出版作品を多く扱ったが、2004年6月、負債1億7000万円を抱えて倒産した。
木原 明(きはら あきら、1935年 - 2024年6月22… 木原 明(きはら あきら、1935年 - 2024年6月22日)は、日本のたたら製鉄職人、元日立製作所・プロテリアル安来工場職員。 1935年に山口県宇部市で生まれた。高校を卒業したあと、安来市にある現在のプロテリアル安来工場に入社。 1977年にはそれまで途絶えていた「たたら製鉄」の復活に携わり、1986年に国の「選定保存技術保持者」に認定されると、たたら製鉄を行う奥出雲町の製鉄所の操業責任者「村下」に就任して、製造した日本刀の材料となる鉄・玉鋼を全国の刀匠に届けてきた。 2004年には「現代の名工」にも選ばれ、「たたら製鉄」を担う後進の育成にも力を入れてきた。 プロテリアル安来工場によると、2024年6月22日、奥出雲町にある病院で死去。
小川 隆吉(おがわ りゅうきち、1935年 - 2022年7… 小川 隆吉(おがわ りゅうきち、1935年 - 2022年7月25日)は、北海道(アイヌモシリ)浦河町生まれのアイヌ民族運動家。アイヌ民族共有財産裁判原告団長、アイヌ民族文化伝承の会会長、北海道教育大学非常勤講師を務めた。妻はアイヌ文様刺繍家の小川早苗。 日高地方浦河町のコタンに生まれる。父は戦時下に渡日しタコ部屋の強制労働から脱走した朝鮮人李秀夫、母は浦河のコタンに住むアイヌ民族の夏子。幼い頃に父秀夫は朝鮮へ戻り、以来音信不通となる。その後9歳で母も失い、兄弟と支えあいながら青春期を送る。幼くして両親を亡くした後の生活は貧困を窮め、学校への通学も断念せねばならなかった。 職を転々とした後、25歳で定職に就くが就学機会を奪われたため、漢字もろくに読めなかったという。
海原 壱一(かいばら かずいち、1935年 - 2018年8… 海原 壱一(かいばら かずいち、1935年 - 2018年8月12日)は日本の実業家。海原建設社長。大阪府同和事業促進協議会理事、大阪府同和建設協会専務理事。部落解放同盟大阪府連合会向野支部副支部長。元暴力団小三組幹部。元有限会社ワールド牧場代表取締役。 大阪府羽曳野市の同和地区出身。酒梅組初代・鳶梅吉の若い衆、榎並三之助が率いる小三組に触れ、榎並組長が実質的に営む榎並工務店に入社した。1963年頃までは暴力団小三組の最高幹部の一人で、ピストル不法所持で警察に逮捕された前歴もある。 1963年、海原組創業。市営住宅に事務所を置き、建設現場に労働者を供給する零細土建業者にすぎなかった。工事を請け負うほどの能力もなかったといわれている。