吉田 富夫(よしだ とみお、1935年10月19日- )は、… 吉田 富夫(よしだ とみお、1935年10月19日- )は、日本の中国文学者。佛教大学名誉教授。現代中国研究会代表。中国現代文学専攻。 1935年、広島県賀茂郡福富町(現・東広島市)で生まれた。京都大学文学部中国文学科で学び、1958年に卒業。同大学大学院へ進み、1963年に博士課程を単位取得満期退学。 1967年、京都大学文学部助手に採用された。1972年に佛教大学文学部講師となった。1974年に助教授、1979年に教授昇格。2008年に佛教大学を定年退任し、名誉教授となった。莫言の著作の邦訳を多数手がけており、2012年12月に莫言のノーベル文学賞受賞に際しては、莫言の推薦でノーベル賞授賞式ならびに受賞パーティーに夫妻で出席した。
宇野 順一郎(うの じゅんいちろう、1935年10月19日 … 宇野 順一郎(うの じゅんいちろう、1935年10月19日 - )は、元レーシングライダー、実業家。大阪府大阪市出身。 全日本クラブマンレース(アマチュアライダーと市販マシンが対象)などで活躍した後、ヤマハと契約してワークスライダーになり、国内のレースやモトクロスに出場。選手を引退後は、家業である自動車の電装品の修理販売業を行いながら、レースの競技役員などを務め、中高年に達してからも各種のイベントレースに出場した。 1935年に兵庫県尼崎市に生まれ、大阪府八尾市で終戦を迎える。実父が病死したため、母親が父方の親戚(継父)と再婚した。継父は大阪府大阪市で自動車用バッテリーの再生や新造(当時はバッテリーを何度も再生するのが普通だった)などを行っており、宇野は中学卒業後に自動車の電装品店などに勤め(丁稚奉公)、自動車の電装品の修理技術を身に付けた後、継父と共に電装品の修理販売を行う。
小田 剛(おだ たけし、1935年10月18日 - )は、日… 小田 剛(おだ たけし、1935年10月18日 - )は、日本の経営者。日鉄鉱業社長を務めた。 長崎県出身。1958年に九州工業大学鉱山工学科を卒業し、同年4月に日鉄鉱業に入社した。1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1998年6月に専務を経て、1999年6月には社長に就任した。2001年4月に取締役を経て、同年6月から相談役を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
正司 泰一郎(しょうじ たいいちろう、1935年(昭和10年… 正司 泰一郎(しょうじ たいいちろう、1935年(昭和10年)10月18日 - )は日本の元政治家。元兵庫県宝塚市長。旭日中綬章。 兵庫県に生まれる。甲南大学経済学部を卒業し、オハイオ州立大学大学院を修了。 宝塚青年会議所理事長、兵庫県議会議員を務めた。1983年(昭和58年)第37回衆議院議員総選挙で兵庫県第2区から無所属で立候補したが落選した。 1991年(平成3年)2月7日、宝塚市長に就任し、2003(平成15年)まで3期在任して引退した。 2010年春の叙勲で旭日中綬章を受章。 現在は正司邸の正司家当主となっている。
種子島 経(たねがしま おさむ、1935年〈昭和10年〉10… 種子島 経(たねがしま おさむ、1935年〈昭和10年〉10月17日 - )は、日本の実業家。元BMW東京社長。「日本教育再生機構」代表委員。教科書改善の会賛同者。元新しい歴史教科書をつくる会会長。 実業界から退いた後、東大の同級生で当時、新しい歴史教科書をつくる会の会長だった西尾幹二から「財務を見てくれ」と頼まれ、1999年(平成11年)3月に理事に就任、一時は副会長を務めた。日露戦争について研究し、著書『くたばれ!リストラ―日露戦争に学ぶ経営・人生』を出版したり、学会に呼ばれるなどした。 明石への隠居を決めていた2006年(平成18年)2月、つくる会の内紛で八木秀次が会長を解任されたあおりで、会長に担ぎ出された。
岡部 和雄(おかべ かずお、1935年10月17日 - )は… 岡部 和雄(おかべ かずお、1935年10月17日 - )は、仏教学者。駒澤大学名誉教授。 秋田県出身。1954年3月栴檀学園高等学校、1958年3月、駒澤大学仏教学部禅学科卒業。1961年3月、東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専門課程修士課程修了。1966年3月、同博士課程満期退学。同年、駒澤大学仏教学部専任講師兼仏教学研究室助手。1969年に禅研究所講師(併任)、1973年に専任助教授を経て、1979年に教授就任。 仏教学科主任、仏教学部長、大学評議員・理事、禅文化歴史博物館館長を歴任。2006年 駒澤大学を定年退職、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
持田 直武(もちだ なおたけ、1935年10月16日 - )… 持田 直武(もちだ なおたけ、1935年10月16日 - )は、日本のジャーナリストである。NHK解説委員、解説主幹を歴任。 埼玉県立熊谷高等学校、東京大学文学部仏文科卒、東京大学新聞研究所修了。1960年NHK入局。NHK横浜放送局記者を経て、1964年より外信部記者。その間1968年-1969年サイゴン特派員、1969年-1971年メキシコシティー特派員、1975年-1978年ソウル特派員、1984年-1985年ニューヨーク特派員、1985年-1987年ワシントン支局長。その後、1987年NHK解説委員、1990年-1995年解説主幹を歴任。
大野 功統(おおの よしのり、1935年〈昭和10年〉10月… 大野 功統(おおの よしのり、1935年〈昭和10年〉10月16日 - 2023年〈令和5年〉7月16日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は従三位、勲章は旭日大綬章、レジオンドヌール勲章シュヴァリエ。 防衛庁長官(第70・71代)、文部科学副大臣(第2次森改造内閣)、衆議院議院運営委員長(第62代)、衆議院議員(8期)などを歴任した。 香川県副知事を務めた大野乾は父、衆議院議員を務めた加藤常太郎は岳父、衆議院議員の大野敬太郎は長男。 日本統治時代の台湾生まれ。父は大野乾、母はカツエ。台湾で第二次世界大戦敗戦を迎える。小学校が閉鎖されたため、引き揚げまでは新聞配達のアルバイトをして過ごしていた。1947年、香川県三豊郡豊浜町(現観音寺市)に引き揚げ。
和田 嘉訓(わだ よしのり、1935年10月16日 - 20… 和田 嘉訓(わだ よしのり、1935年10月16日 - 2012年7月12日)は、日本の映画監督、脚本家である。デビュー作『自動車泥棒』で安岡力也をデビューさせたことで知られる。 1935年(昭和10年)10月16日、愛媛県松山市に生まれる。教育者である父の仕事の都合で1945年の終戦までは中国の天津で幼年期を過ごし、その後18歳の松山新田高校を卒業するまでは再び松山市で育つ。 1958年に東京大学教育学部を卒業し、東宝に入社する。1960年(昭和36年)8月14日に公開された稲垣浩監督の『ふんどし医者』で、丸輝夫、高瀬昌弘に次ぐサード助監督としてクレジットされているのが、記録に残る最初の演出歴である。
佐野山 寛太(さのやま かんた、1935年10月16日 - … 佐野山 寛太(さのやま かんた、1935年10月16日 - )は、日本の広告批評家。 東京出身。本名・佐野寛。1958年東京芸術大学美術学部図案科卒。1960年日本橋髙島屋宣伝部勤務をへて、1965年モス・アドバタイジングを設立し常務取締役。1976年代表取締役社長。東京学芸大学教授、目白大学特任教授を務めたのち、モス環境設計室代表。日本デザイン機構理事。NPO法人まちづくりNEXT運動常任理事。 (特記なき場合は佐野寛名義)
西 五十六(にし いそろく、1935年10月16日 - )は… 西 五十六(にし いそろく、1935年10月16日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(投手)。 弟の西三雄も元プロ野球投手であった。 和歌山県の大成高から、大阪タイガースに入団。 タイガースを退団した後は、社会人野球の丸善石油に入団。1958年の都市対抗野球では、1回戦の大昭和製紙戦で安藤治久と延長15回を投げ合った。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
吉野 昌孝(よしの まさたか、1935年10月15日-202… 吉野 昌孝(よしの まさたか、1935年10月15日-2023年11月1日)は、三菱電機が1970年3月に発売した換気送風機「ロスナイ」の原理の発明者、三菱電機元社員。同社で35年間ロスナイ開発に携わった。 吉野はロスナイの原理を発明しその事業化を推進した。ロスナイは、室温と湿度をほとんど変えずに部屋の換気を行うことができる製品であり、室内と外気のそれぞれの温度と湿度を同時かつ連続的に交換することで、室内の温度と湿度の変化を抑えながら空気の換気が出来る静止型全熱交換器。湿度交換も同時に行えることが特徴である。 当初住宅用として開発され、後に業務用にも使われた。新幹線N700系電車、国会議事堂、東京都庁、横浜ランドマークタワー等に設置されている。
宇多 喜代子(うだ きよこ、1935年〈昭和10年〉10月1… 宇多 喜代子(うだ きよこ、1935年〈昭和10年〉10月15日 - )は、日本の俳人。現代俳句協会特別顧問、日本芸術院会員、文化功労者。 「草苑」編集長、「草樹」会員代表、大阪俳句研究会理事、現代俳句協会会長などを歴任した。 山口県徳山市(現:周南市)生まれ。武庫川学院女子短期大学家政学科卒。1953年、石井露月門下の遠山麦浪を知り俳句をはじめる。1962年、麦浪が没し前田正治主宰となった「獅林」に入会。1970年、「草苑」創刊に参加し、桂信子に師事、同誌編集長を務める。1976年から1985年まで坪内稔典編集の「現代俳句」に参加。1978年より「草苑」編集担当となり「獅林」退会。1981年「未定」に参加。
筏 義人(いかだ よしと、1935年10月15日 - )は、… 筏 義人(いかだ よしと、1935年10月15日 - )は、日本の生体工学者。京都大学名誉教授。工学博士(京都大学、1963年)。医学博士(京都大学、1984年)兵庫県出身。
蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - 2… 蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - 2016年5月12日)は、日本の演出家、映画監督、俳優。桐朋学園芸術短期大学名誉教授。
山崎 久寿(やまざき ひさとし、1935年(昭和10年)10… 山崎 久寿(やまざき ひさとし、1935年(昭和10年)10月14日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。1960年ローマオリンピックで男子トーナメントに出場した。
高橋 三郎(たかはし さぶろう、1935年10月14日- … 高橋 三郎(たかはし さぶろう、1935年10月14日- )は、日本の経営者。日鉄鉱業社長、会長を務めた。 大分県出身。1959年に京都大学経済学部を卒業し、同年4月に日鉄鉱業に入社。1993年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務、1999年6月に専務を経て、2001年4月には社長に就任。2007年4月には取締役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
池田 三男(いけだ みつお、1935年(昭和10年)10月1… 池田 三男(いけだ みつお、1935年(昭和10年)10月14日 - 2002年(平成14年)9月12日)は、日本の北海道留萌支庁増毛郡増毛町出身のレスリング選手。メルボルンオリンピック金メダリスト。 北海道増毛高等学校-中央大学を通じてプロ野球に進んだ桂本和夫とともに全国優勝を経験、増毛高-中大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大黄金時代の屋台骨となった。 2002年9月12日、67歳で死去した。 中央大学4年の時にメルボルンオリンピックで優勝、エースの桂本は5位入賞となった。中大卒業後の世界選手権でも入賞、桂本は銅メダルを取った。二人は幼なじみで良きライバルとして互いに強く意識していた。
西尾 進路(にしお しんじ、1935年10月13日 - )は… 西尾 進路(にしお しんじ、1935年10月13日 - )は、日本の経営者。東京都出身。 1964年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本石油に入社。1992年6月に財務部長に就任し、取締役、経理部長、常務、副社長を経て、2005年6月に新日本石油社長に就任。2010年にJXホールディングス会長に就任し、2012年4月から相談役を務めた。
奥原 為雄(おくはら ためお、1935年10月13日 - )… 奥原 為雄(おくはら ためお、1935年10月13日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手。
吉川 進(よしかわ すすむ、1935年10月13日 - )は… 吉川 進(よしかわ すすむ、1935年10月13日 - )は、東映の元プロデューサー。東京都出身。
野本 真也(のもと しんや、1935年(昭和10年)10月1… 野本 真也(のもと しんや、1935年(昭和10年)10月12日 - 2021年(令和3年)10月10日)は、日本の神学者、聖書学者。専門は旧約聖書。Dr.theol.(ハンブルク大学、1966年)。同志社大学名誉教授。岡山県高梁市出身。キリスト教徒。
春風亭 一柳(しゅんぷうてい いちりゅう、1935年〈昭和1… 春風亭 一柳(しゅんぷうてい いちりゅう、1935年〈昭和10年〉10月12日 - 1981年〈昭和56年〉7月9日)は、東京都出身の落語家。生前は落語協会所属。 六代目三遊亭圓生に入門して三遊亭 好生と名乗った。師の圓生を神のように崇拝し、「圓生の影法師」と揶揄されるほど芸風も似ていたが、圓生に疎まれて冷遇された。落語協会分裂騒動の際に圓生一門を離れて八代目林家正蔵(後の林家彦六)の弟子となり、春風亭一柳へと改名した。圓生の没後に暴露本を出版して物議を醸し、精神を病んで自殺した。 東京都立西高校への入学に前後して同居していた母と祖母を相次いで亡くし、本人も病弱のため高校を長期休学することとなった。
高美 アリサ(たかみ ありさ、1935年10月12日 - )… 高美 アリサ(たかみ ありさ、1935年10月12日 - )は、日本の歌手、女優である。 静岡県出身。1951年4月に藤枝南女子高等学校(現藤枝順心中学校・高等学校) 普通科に入学し、2年後の1953年4月には松竹歌劇団に入学した。1956年に松竹歌劇団を卒業し、同年歌手デビューを果した。 歌い手の登竜門である日劇ミュージックホールを皮切りに、テレビやステージに多数出演した。なお、芸名の「高美アリサ」の名付け親は、フランス文学者の内村直也である。 歌手としては、1957年にポリドール・レコード(日本グラモフォン株式会社)に入社し、映画「太陽はひとりぼっち」主題歌「太陽はひとりぼっち」、映画「刑事」主題歌「死ぬほど愛して」、「夕焼けのトランペット」、「月光のノクターン」、「別れ」、「アモーレ・ミオ」などをレコーディングした。
小坂 佳隆(こさか よしたか、1935年10月12日 - 1… 小坂 佳隆(こさか よしたか、1935年10月12日 - 1987年3月1日)は、神奈川県出身で、広島カープに在籍したプロ野球選手(二塁手)。愛称は「ピョンちゃん」。
田嶋 英雄(たじま ひでお、1935年10月12日- )は… 田嶋 英雄(たじま ひでお、1935年10月12日- )は、日本の経営者。ミノルタ(現在のコニカミノルタ)社長、会長を務めた。創業者田嶋一雄の長男。 兵庫県出身。1958年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。田嶋商店での勤務を経て、1961年に千代田光学精工(のちのミノルタ)に転じ、1974年5月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1980年6月に専務、1981年6月に副社長を経て、1982年6月に社長に就任。1993年4月に会長を経て、1999年6月に名誉顧問に就任。 1992年4月に藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
前山 忠久(まえやま ただひさ、1935年(昭和10年)10… 前山 忠久(まえやま ただひさ、1935年(昭和10年)10月12日 - )は、日本の実業家。前山毛布会長。日本毛布工業組合元副理事長。前忠毛織・前山毛布創業者。 父は第3代泉大津市長の前山徳太郎。祖父は前新毛織代表取締役の前山新之助。泉大津市在籍。 前山徳太郎・まつ子の三男として大阪府に生まれる。1946年(昭和21年)父・徳太郎が泉大津市長在任中に急逝。 1958年(昭和33年)慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、同年日本羊毛工業に入社。 1961年(昭和36年)前忠毛織を創立。翌年、前山毛布を設立した。 趣味はゴルフ・囲碁。宗教は真言宗。
仲本 章夫(なかもと あきお、1935年10月12日 - )… 仲本 章夫(なかもと あきお、1935年10月12日 - )は、日本の哲学者、東京都立商科短期大学名誉教授。 東京生まれ。1961年東京大学文学部哲学科卒業。東京都立大学 (1949-2011)大学院人文科学研究科博士課程満期退学、東京都立商科短期大学助教授、教授を務め、1999年定年退官、名誉教授となる。
西村 一孔(にしむら かずのり、1935年10月11日 - … 西村 一孔(にしむら かずのり、1935年10月11日 - 1999年3月1日)は、山梨県北都留郡富浜村(現・大月市富浜町)のプロ野球選手(投手)。愛称は、名前を音読みした「いっこう」。また、「西村一」とも書かれる。この愛称及び表記は、1955年シーズンに、同姓の西村孜(にしむら つとむ)投手が阪神に在籍していたためである。 初年度の華々しい活躍と、翌年以降の故障による選手生命の途絶から、阪神タイガースファンや関係者の間で『1年で散った伝説の剛腕投手』として語られる選手である。 山梨県北都留郡富浜村(現・大月市富浜町)の出身。山梨県立都留高等学校では、2年次に1952年の夏の甲子園に捕手兼控え投手として出場した。
牛川 喜幸(うしかわ よしゆき、1935年10月11日 - … 牛川 喜幸(うしかわ よしゆき、1935年10月11日 - 2009年2月16日)は、日本の造園学者。長岡造形大学名誉教授。専門は日本庭園史。農学博士。 香川県高松市出身。1959年、京都大学農学部林学科を卒業し、引き続き大学院に進み、1961年に京都大学大学院農学研究科林学専攻修士課程を修了した。文化庁で主任文化財調査官を務め、奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部長となる。1993年より長岡造形大学造形学部環境デザイン学科教授に就任した。 1998年 - 1999年に日本庭園学会会長、2003年に日本遺跡学会会長をそれぞれ務め、京都橘大学文学部文化財学科教授でもあった。平成18年度日本造園学会賞上原敬二賞を受賞した。
西村 文夫(にしむら ふみお、1935年10月11日 - 2… 西村 文夫(にしむら ふみお、1935年10月11日 - 2021年1月12日)は、日本の国際政治学者。静岡薬科大学教授・静岡県立大学教授などを歴任。 栃木県足尾市生まれ、宇都宮市戸祭育ち。1954年 栃木県立宇都宮高等学校卒、1958年 東京大学教養学部卒(ドイツの文化と社会専攻、教養学士)、富士通信機製造株式会社(現富士通)勤務後、東京大学に戻り、62年同大学法学部卒、64年東京大学大学院社会科学研究科国際関係論過程修士課程修了(国際学修士)、64年東京大学大学院社会科学研究科国際関係論過程博士課程入学、69年 同大学院社会科学研究科国際関係論博士課程満期退学。 1966年 日本国際問題研究所、68年研究員 、71-73年 外務省に出向。
熊井 英水(くまい ひでみ、1935年10月10日 - )は… 熊井 英水(くまい ひでみ、1935年10月10日 - )は、日本の水産学者。近畿大学農学部名誉教授、学校法人近畿大学本部理事。農学博士。近畿大学水産研究所元所長。 長野県塩尻市出身。長野県松本深志高等学校を経て、1958年、広島大学水畜産学部を卒業、近畿大学白浜臨海研究所(現・水産研究所)副手に就任。以来、約半世紀にわたり、一貫して魚類の養殖にたずさわる。数々の海産魚の完全養殖に成功したほか、交雑魚の研究でも成果をあげた。1983年同農学部教授。1991年から2008年まで同水産研究所所長。 2002年には、研究チームのリーダーとして、難しいと思われていたクロマグロの完全養殖を成功に導いた。世界初の成果である。
倉橋 由美子(くらはし ゆみこ、1935年(昭和10年)10… 倉橋 由美子(くらはし ゆみこ、1935年(昭和10年)10月10日 - 2005年(平成17年)6月10日)は、日本の小説家。本名・熊谷(くまがい)由美子、旧姓・倉橋。明治大学在学中に『パルタイ』を発表して脚光を浴び、その後も『聖少女』『スミヤキストQの冒険』『アマノン国往還記』などを発表。カフカやカミュの影響を受け、日本の女流作家としては稀な抽象的、寓話的作風を示して注目された。 高知県香美郡土佐山田町(現香美市)に歯科医の長女として生まれる。私立土佐高等学校を経て、精神科医を志し公立医学部を受験するが失敗。母が浪人に反対したため京都女子大学国文学学科に籍を置き、医学部を再度受験するが失敗。
小原 宏裕(おはら こうゆう、1935年10月10日 - 2… 小原 宏裕(おはら こうゆう、1935年10月10日 - 2004年2月20日)は、日本の映画監督。 ロマンポルノ映画『檻の中の妖精』(1977年)や『桃尻娘』シリーズ(1978年-1980年)で知られる。日活で最も多才・多産な監督の一人であり、1979年だけで8本もの映画を製作しており、文字通りの没頭さは彼を"ポップアートポルノの王"と呼ばせた。 東京市淀橋区西大久保出身。祖父が日活で監督をしていたことから映画に関心があった。彼は子供の頃に年間200本の映画を見てきたと主張している。1959年に慶応義塾大学法学部を卒業後、衆議院議員の秘書として働いていたが、弁護士試験を受けるよりも松竹の入社試験を受けた。
三田村 元(みたむら はじめ 、1935年10月10日 - … 三田村 元(みたむら はじめ 、1935年10月10日 - )は、日本の俳優。本名、村瀬 桂造。旧芸名は村上 文二。 愛知県江南市布袋伝馬町出身。大映、東京俳優生活協同組合、赤坂プロ、日活、アローエンタプライズ、ユーアイプロに所属していた。 実家は村瀬酒造。父親が陸軍軍人であり、各地を転々としていた事情から、幼少時は兄や姉と共に祖父の家で暮らしていたが、問題児であったことを見かねた父親に母親とともに呼び寄せられ、静岡県三島市、千葉県銚子市、千葉県四街道市などで2年間父と過ごした後、愛知に戻り、江南市立布袋小学校入学。負けず嫌いな性格であったことが功を奏し、2年生から卒業までは学年でトップの成績だったとされる。
福積 忠男(ふくづみ ただお、1935年10月10日 - )… 福積 忠男(ふくづみ ただお、1935年10月10日 - )は、日本の実業家である。株式会社長府製作所元代表取締役社長、元会長。 1935年10月10日に山口県に生まれる。1958年3月に明治大学商学部を卒業後、航空自衛隊での勤務を経て、1970年5月に長府製作所に入社する。取締役栃木工場営業部長、取締役栃木工場長、常務取締役を歴任し、1987年3月14日に代表取締役社長に就任。社長在任中は、会長の川上米男の元、首都圏の販売に注力し、1997年11月7日には、東証二部上場を果たした。1997年12月9日に「若返りを図る」という理由で社長を辞任し、代表権のない会長に退いた。翌年の1998年3月27日付で会長職を退任。
今藤 政太郎(いまふじ まさたろう、1935年10月10日 … 今藤 政太郎(いまふじ まさたろう、1935年10月10日 - 2026年6月30日)は、日本の長唄三味線奏者、作曲家。重要無形文化財保持者(人間国宝)であり、日本藝術院賞受賞者でもある。本名は中川 昇一(なかがわ しょういち)。 四世藤舎呂船、藤舎せい子の長男として東京日本橋に生まれる。十世芳村伊四郎、三世今藤長十郎、今藤綾子、山田抄太郎に師事した。 1959年、東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業した。1963年、二世今藤政太郎を襲名した。 大学卒業後は演奏活動と作曲活動を続け、海外公演にも参加した。また、桐朋女子短期大学講師、国立音楽大学講師、国立劇場養成課講師、NHK邦楽技能者育成会講師などを歴任し、2017年からは京都市立芸術大学客員教授を務めている。
木村 迪夫(きむら みちお、1935年10月9日 - )は、… 木村 迪夫(きむら みちお、1935年10月9日 - )は、日本の農民詩人、文筆家。エッセイスト。ジャーナリスト。 詩誌「山形詩人」代表。農民文学会、現代詩人会会員。 山形県上山市牧野生まれ。本名・廸男。5人兄弟の長男として生まれ、父を小学校4年の時、戦争によって失った。 山形県立上山農業高等学校(後の山形県立上山明新館高等学校)定時制課程卒業。山びこ学校出身の佐藤藤三郎は同級生。高校時代から詩を書き始め、文化祭で登壇した農民詩人の真壁仁による宮沢賢治をテーマにした講演に感銘を受け、卒業式の日、真壁を訪ねて「詩を書き続ける」と誓った。1957年には真壁が創刊した同人誌『地下水』に参加する。 卒業と同時にサクランボの自営農に従事。
中野 昭慶(、1935年〈昭和10年〉10月9日 - 202… 中野 昭慶(、1935年〈昭和10年〉10月9日 - 2022年〈令和4年〉6月27日)は、日本の特技監督。満洲国安東県(現:中国丹東市)出身。名前は音読みで「しょうけい」と呼ばれることもある。[要出典] 満洲では、父親は南満洲鉄道の関連会社の国際運輸に勤務していた。祖父はいわゆる大陸浪人であり、日露戦争などに貢献したとして国から金杯を下賜されるなどしていた。幼少のころは裕福な生活を送り、小学校は安東大和在満国民学校に通う。 1946年(昭和21年)、日本敗戦のため愛媛県新居浜市に引揚げ。新居浜には小学校卒業まで過ごす。 1948年(昭和23年)、月輪中学校入学とともに京都府京都市に移る。 1955年(昭和30年)、京都市立日吉ヶ丘高等学校普通科を卒業と同時に日本大学芸術学部映画学科脚本コースに入学。
浦上 敏臣(うらかみ としおみ、1935年10月9日 - )… 浦上 敏臣(うらかみ としおみ、1935年10月9日 - )は、日本の経営者。住友生命保険社長、会長を務めた。広島県出身。 1959年に京都大学経済学部を卒業し、同年に住友生命保険に入社。 1983年7月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1992年6月に社長に就任。1997年6月会長に就任し、2001年7月に相談役を経て、2004年7月には非常勤顧問に退いた。社長時代にはバブル崩壊後の不良債権処理に当たった。 2001年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中山 善之(なかやま よしゆき、1935年10月8日 - )… 中山 善之(なかやま よしゆき、1935年10月8日 - )は、日本の翻訳家(英米文学専門)。 北海道生まれ。慶應義塾大学卒業。タイム・ライフ日本支社図書編集部勤務後、翻訳者になる。1977年の『タイタニックを引き揚げろ』で日本冒険小説大賞受賞。クライブ・カッスラーの「ダーク・ピット」シリーズほかを翻訳。
大石 司朗(おおいし しろう、1935年(昭和10年)10月… 大石 司朗(おおいし しろう、1935年(昭和10年)10月8日 - 2020年(令和2年)11月25日)は、日本の実業家。元静岡ガス代表取締役会長。静岡市出身。 1958年(昭和33年)3月、早稲田大学政治経済学部卒業、1958年(昭和33年)3月、静岡ガス入社、1979年(昭和54年)1月、広報室長、1980年(昭和55年)3月、取締役、1994年(平成6年)3月、常務取締役、1997年(平成9年)3月、専務取締役、2000年(平成12年)3月、代表取締役専務取締役、2001年(平成13年)3月、同代表取締役社長、2006年(平成18年)3月、同代表取締役会長。2010年(平成22年)3月、同相談役。
阿南 馨(あなん かおる、1935年(昭和10年)10月8日… 阿南 馨(あなん かおる、1935年(昭和10年)10月8日 - )は、日本の政治家。元大分県竹田市長(3期)。 竹田市出身。1954年(昭和29年)大分県立三重農業高等学校卒業。 竹田市役所に入り、同市助役を経て、1996年(平成8年)竹田市長に当選した。2000年(平成12年)と2004年(平成16年)の市長選挙はいずれも無投票当選だった。 竹田市は2005年(平成17年)に合併し、新しい竹田市が発足したが、合併後の市長選挙には不出馬だった。
南 良和(みなみ よしかず、1935年〈昭和10年〉10月8… 南 良和(みなみ よしかず、1935年〈昭和10年〉10月8日 - )は、日本の写真家。日本写真家協会会員。 埼玉県秩父市出身。東京綜合写真専門学校卒業。幼い頃に喘息を患い引きこもりがちだったが、父親からカメラを渡され、中学生の時から写真を初め、1955年頃から地元の子供や若者、山村風景などをテーマに撮影を続ける。その後東京で写真を学び、故郷に戻る。 自分の地域の慣習や慣習に興味を持ち、年々白黒で写真を撮り、時間の経過とともに観察する変化を注意深く観察し、追跡している。
石崎 浩一郎(いしざき こういちろう、1935年10月7日 … 石崎 浩一郎(いしざき こういちろう、1935年10月7日 - 2017年11月14日)は、日本の映画・美術評論家。 広島県広島市出身。早稲田大学文学部新聞学科卒。1964年、飯村隆彦、高林陽一、大林宣彦、金坂健二、佐藤重臣、ドナルド・リチー、足立正生らと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成。映画評論、美術評論で活動し、名古屋造形芸術大学教授となり、図書館長を務めた。2006年定年、名誉教授。
芦川 いづみ(あしかわ いづみ、1935年10月6日 - )… 芦川 いづみ(あしかわ いづみ、1935年10月6日 - )は日本の元女優。本名:伊藤 幸子(旧姓:芦川)。日活の黄金期を代表する女優として知られる。 東京市北区滝野川田端町で生まれる。後に神奈川県横浜市鶴見区矢向に移り住み、矢向小学校に通った。1944年空襲が激しくなったため、神奈川の桜井村(現在の小田原市栢山)に集団疎開し、戦後になって戻った。1952年に法政大学潤光女子高校を中退し、松竹歌劇団付属松竹音楽舞踊学校に入学する。同期に野添ひとみ、山鳩くるみらがいた。このとき芸名を「芦川いづみ」とする。 1953年にファッション・ショー出演中に松竹の川島雄三監督に認められ、川島監督の『東京マダムと大阪夫人』でデビューする。
土屋 正孝 (つちや まさたか、1935年10月6日 - )… 土屋 正孝 (つちや まさたか、1935年10月6日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(内野手)。 警察官の長男に生まれる。土屋は野球のほか、テニス・バスケットボール・バレーボールなど、球技は何でも得意で、姉と妹は高校時代にテニスで日本一になったことがあるという球技一家であった。 松本深志高校では、1953年春季長野大会中信予選決勝に進むが、後にプロで同僚となる堀内庄・木次文夫のいた松商学園に惜敗。同年夏も県予選で敗れ甲子園には届かなかった。高校では複数のポジションをこなし、2年生では捕手と三塁手を兼ね、3年生になると投手を任されていた。当初大学への進学を予定していたが、読売ジャイアンツ・中日ドラゴンズ・国鉄スワローズから勧誘され、1954年に巨人に投手として入団。
岩見 隆夫(いわみ たかお、1935年10月6日 - 201… 岩見 隆夫(いわみ たかお、1935年10月6日 - 2014年1月18日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。毎日新聞社特別顧問。 関東州(現:中国)大連生まれ、山口県防府市育ち。山口県立防府高等学校、京都大学法学部卒業後、1958年毎日新聞社入社。社会部記者、政治部記者、政治部副部長、秘書室長、論説委員、出版局次長兼サンデー毎日編集長、編集委員室長、東京本社編集局次長、編集局編集委員、編集局政治担当特別顧問を最後に、2007年3月31日で退社。 毎日新聞の編集局長時代には、夕刊紙上で「グリコ事件で取り調べ 江崎社長の知人ら4人」と一面から社会面まで誤報を掲載した経緯がある(毎日新聞のグリコ・森永事件に関する捏造事件)。
後藤 正雄(ごとう まさお、1935年10月6日 - 201… 後藤 正雄(ごとう まさお、1935年10月6日 - 2012年12月4日)は、日本の実業家。1958年関東学院大学経済学部卒、1958年日本瓦斯に入社。1974年日本瓦斯取締役就任、1987年日本瓦斯常務取締役就任、1993年日本瓦斯専務取締役就任、1999年日本瓦斯取締役副社長就任、2000年日本瓦斯代表取締役社長就任。2005年日本瓦斯副会長就任、2008年藍綬褒章受章。2011年日本瓦斯会長就任。2012年心不全のため死去。満77歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
泉谷 良彦(いずみたに よしひこ、1935年10月6日 - … 泉谷 良彦(いずみたに よしひこ、1935年10月6日 - 2013年10月7日 )は、日本の経営者。三菱石油社長、日石三菱会長を務めた。 高知県出身。土佐商船元常務取締役の泉谷彦治の長男として生まれる。祖父は実業家の野村茂久馬。1959年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に三菱石油に入社。。1989年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務を経て、1994年6月に社長に就任。社長在任時には、1998年に日本石油と合併することを決断し、1999年には日石三菱会長に就任した。 2013年10月7日肺炎により、死去。78歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。