鈴木 漠(すずき ばく、本名:鈴木 鉄治郎、1936年(昭和… 鈴木 漠(すずき ばく、本名:鈴木 鉄治郎、1936年(昭和11年)10月12日 - )は、日本の詩人。徳島県徳島市出身。 徳島県徳島市に生まれ、戦時疎開により剣山の麓、かずら橋と落人伝説で知られる祖谷郷に幼少年時を過ごす。1957年(昭和32年)に神戸市に移り海運会社に奉職した。1959年(昭和34年)に岡田兆功、平岡史郎、藤村壮と共に詩誌「海」を創刊。 1980年(昭和55年)に詩集『投影風雅』で第14回日本詩人クラブ賞を受賞し、1989年(平成元年)に連句集『海市帖』で第2回連句協会推薦図書表彰、1994年(平成6年)に第18回井植文化賞受賞、2002年(平成14年)に第28回徳島県文化賞を受賞。
笠原 正雄(かさはら まさお、1936年10月11日 - )… 笠原 正雄(かさはら まさお、1936年10月11日 - )は、日本の工学者。東京都出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
立子山 博恒(たつこやま ひろつね、1936年10月10日 … 立子山 博恒(たつこやま ひろつね、1936年10月10日 ‐ 2006年12月11日)は、日本のアナウンサー。日本放送協会 (NHK)に所属した。 東京都出身。早稲田高等学校、立教大学を卒業後、1959年に入局する。[要出典] バラエティ番組などを多く担当した。 1970年代初めに福岡放送局に勤務、その後管理職に昇格して、1975年頃は室蘭放送局で放送部副部長を務め、新人時代の川端義明を指導した。
小林 清(こばやし きよし、1936年(昭和11年)10月1… 小林 清(こばやし きよし、1936年(昭和11年)10月10日 - )は、日本の政治家。元新潟県燕市長(1期)。
阿部 博之(あべ ひろゆき、1936年10月9日 - )は、… 阿部 博之(あべ ひろゆき、1936年10月9日 - )は、日本の工学者。東北大学名誉教授。専門は機械工学(材料力学、固体力学)。東北大学工学博士。 東北大学総長、日本機械学会会長、知的財産戦略会議座長、全米技術アカデミー外国人会員、日本工学アカデミー会長等を歴任した。 1955年、宮城県仙台第二高等学校卒業。1959年、東北大学工学部機械工学科を卒業して日本電気へ入社。1967年、東北大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了。「薄肉および厚肉殻の弾性変形に関する理論的研究」で工学博士。同年、東北大学工学部講師となる。1968年、東北大学工学部助教授。1975年、ノースウェスタン大学客員研究員。
春江 一也(はるえ かずや、1936年10月9日 - 201… 春江 一也(はるえ かずや、1936年10月9日 - 2014年8月2日 )は、日本の作家、外交官。 朝鮮京城に生まれる。法政大学経済学部を卒業後、1962年に外務省に入省する。1968年、駐チェコスロバキア大使館在勤中に「プラハの春」に遭遇し、ソ連軍侵攻の第一報を打電する。その後、駐東ドイツ大使館、在ベルリン総領事館、フィリピン在ダバオ出張駐在官事務所(現・在ダバオ総領事館)等に勤務する。 2000年に定年退官し、同年、日比友好と相互理解推進の功績により、ダバオ市議会より名誉市民称号を贈られる。のち参議院議員政策秘書を経て、チェコスロバキア勤務時代の体験をもとにしたドキュメントタッチのサスペンス・ノベル『プラハの春』を出版し、小説家としてデビューする。
中馬 弘毅(ちゅうま こうき、1936年〈昭和11年〉10月… 中馬 弘毅(ちゅうま こうき、1936年〈昭和11年〉10月8日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、国土交通副大臣(第1次小泉改造内閣)等を歴任した。2013年4月、旭日大綬章を受章。 父は元大阪市長の中馬馨。 大阪市天王寺区生まれ。本籍は父の郷里、宮崎県西都市。 父・馨が大阪市政に携わり市民派として大阪市長を歴任したこともあり、政治を志して都市政策、地方自治法の改正をライフワークとする。 1976年12月、衆議院議員初当選。1984年11月、環境政務次官。1990年2月、自治政務次官。1999年10月、運輸総括政務次官(副大臣)。 2002年10月国土交通副大臣。
平田 耿二(ひらた こうじ、1936年10月8日 - 201… 平田 耿二(ひらた こうじ、1936年10月8日 - 2014年6月4日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代政治史。上智大学名誉教授。古代史の戸籍について研究した。
江成 常夫(えなり つねお、1936年10月8日 - )は、… 江成 常夫(えなり つねお、1936年10月8日 - )は、日本の写真家。九州産業大学名誉教授。 アメリカに住む日本人の戦争花嫁や中国残留孤児、旧満洲国、原爆など主に日本の負の遺産を撮った写真で知られる。また近年は九州産業大学教授、ニッコールクラブ会長、ニコンサロン運営委員も務めた。 1998年、右脇の下に悪性腫瘍が見付かり、2000年5月手術を行い回復したが、現在も闘病中である。また、この経験から、自分自身や身近にある何気ない風景にも眼を向けたテーマで写真を撮っている。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
土居 甫(どい はじめ、1936年(昭和11年)10月8日 … 土居 甫(どい はじめ、1936年(昭和11年)10月8日 - 2007年(平成19年)9月14日)は、日本の振付師。血液型A型。日本振付家協会常任理事。愛媛県北宇和郡津島町(現・宇和島市)出身。愛媛県立宇和島南高等学校卒。 1955年、作家の獅子文六を頼って上京し書生をした後、東京芸能学校(一期生)に入学。1957年に東宝演劇部所属となり、東宝ミュージカル・東宝歌舞伎・日劇ダンシングチーム・日劇ミュージックホール・新宿コマ劇場などに出演。 1961年から1969年まで日本テレビ『シャボン玉ホリデー』にレギュラー出演し、ザ・タイガース、ザ・ピーナッツなどの振付を担当。 1971年から『スター誕生!』(日本テレビ)で、花の中三トリオ(森昌子・桜田淳子・山口百恵)、石野真子、ピンク・レディー他番組出身のタレントなどの振付を担当。
太田 博(おおた ひろし、1936年(昭和11年)10月7日… 太田 博(おおた ひろし、1936年(昭和11年)10月7日 - )は、日本の外交官、外交評論家。認定NPO法人岡崎研究所 前理事長。 サウジアラビア駐箚特命全権大使、タイ王国駐箚特命全権大使を歴任した。 兵庫県出身。1959年(昭和34年)東京大学教養学部教養学科を卒業する。同年外務公務員採用上級試験に合格、翌1960年(昭和35年)外務省に入省する。
桑原 史成(くわばら しせい、本名はふみあき、1936年10… 桑原 史成(くわばら しせい、本名はふみあき、1936年10月7日 - )は、日本の報道写真家。水俣病の先駆的な写真家として知られる。 島根県鹿足郡木部村(現・津和野町)生まれ。 1960年3月、東京農業大学と東京総合写真専門学校をともに卒業。フリーの写真家になることを目指す。就職を選ばなかったため、母親から一度郷里に帰れという電報が届く。東京駅に餞別に来た友人から、車中で読めと言って渡された夕刊や雑誌の中に、『週刊朝日』5月15日号があった。同号に掲載された小松恒夫の現地ルポ「水俣病を見よ」に衝撃を受けた桑原は、水俣病の取材撮影を決意。小松に水俣市立病院(現・国保水俣市立総合医療センター)の大橋登院長宛ての紹介状を書いてもらい、同年7月14日、熊本県水俣市に入る。
青木 美智男(あおき みちお、1936年〈昭和11年〉10月… 青木 美智男(あおき みちお、1936年〈昭和11年〉10月7日 - 2013年〈平成25年〉7月11日 )は、日本の歴史学者。元専修大学文学部教授。専門は日本近世社会史・文化史。近世史研究の第一人者と評された。 1936年10月7日、福島県東白川郡棚倉町に生まれる。明治大学文学部史学地理学科卒業。東北大学大学院文学研究科修士課程修了。日本福祉大学社会福祉学部助教授、同大学経済学部教授を経て、1997年4月より専修大学文学部教授。2007年3月専修大学を定年退職。 専修大学校史の編纂やミシェル・ベルンシュタイン文庫の研究に尽力した。 2013年7月11日、調査先の金沢で誤嚥性肺炎により死去。
田辺 裕(たなべ ひろし、1936年10月6日 - )は、日… 田辺 裕(たなべ ひろし、1936年10月6日 - )は、日本の人文地理学者、東京大学名誉教授、広尾学園小石川中学校・高等学校学園長、広尾学園中学校・高等学校前校長。田邉 裕と表記されることもある。 政治地理学の立場から、市町村の領域と内部構造について検討し、明治時代の市町村合併の研究などで高く評価された。また、フランスの地理学的研究に取り組み、フランス地理学の日本への紹介、日仏の文化交流にも関わった。また、国際的にはオーストリアの地理学会誌とスウェーデンの学会誌の編集顧問も務めている。 神奈川県生まれ。神奈川県立横浜翠嵐高等学校を経て、東京大学に進む。学生時代には文学青年の一面もあり、宮原昭夫らと文芸同人誌を作っていた。
八田 正(はった ただし、1936年10月5日 - )は徳島… 八田 正(はった ただし、1936年10月5日 - )は徳島県出身のプロ野球選手。当時は珍しい右投左打の内野手で、二塁手、遊撃手として活躍した。引退後はスカウトとして新人発掘に尽力した。
北島 三郎(きたじま さぶろう、1936年〈昭和11年〉10… 北島 三郎(きたじま さぶろう、1936年〈昭和11年〉10月4日 - )は、日本の演歌歌手、俳優、ミュージシャン、馬主。東京都八王子市在住。 『函館の女』にはじまる「女」シリーズ、『兄弟仁義』などの「任侠」シリーズといった数々のヒット曲があり、サブちゃんの愛称で知られる。日本を代表する演歌歌手の一人。 原 譲二(はら じょうじ)のペンネームで作詞・作曲活動を行っており、自身の楽曲の制作以外にも舞台のシナリオ・演出や、北島ファミリーはじめ他の演歌歌手への楽曲提供など、マルチな活動を行っている。 作曲家・船村徹門下出身で、門下生で作る「船村徹同門会」(会長・鳥羽一郎)では名誉相談役を務める。 北島ファミリーからは親しみを込めてオヤジと呼ばれている。
長尾 真(ながお まこと、1936年〈昭和11年〉10月4日… 長尾 真(ながお まこと、1936年〈昭和11年〉10月4日 - 2021年〈令和3年〉5月23日)は、日本の情報工学者。位階は正三位。 京都大学工学部電子工学科卒業。京都大学総長、京都大学名誉教授、国際高等研究所所長、独立行政法人情報通信研究機構理事長、国立国会図書館長を歴任。 専門は、自然言語処理・画像処理・パターン認識。パターン認識の分野では、手書き文字の認識方式を提案した。この手法は、初期の郵便番号読み取り装置へ応用された。以降、電子図書館システムの研究を主に手がけている。自動翻訳やAIにつながる技術の原理を開発した。 自伝に「情報を読む力、学問する心」(ミネルヴァ書房、2010年)がある。
本庄 資(ほんじょう たすく、1936年(昭和11年)10月… 本庄 資(ほんじょう たすく、1936年(昭和11年)10月4日 - 2018年(平成30年)9月20日)は、日本の官僚、租税法学者。名古屋経済大学大学院法学研究科教授を経て、同大学名誉教授。博士(経済学)(国士舘大学)。位階は従四位。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
土野 守(つちの まもる、1936年10月4日 - 2017… 土野 守(つちの まもる、1936年10月4日 - 2017年10月2日)は、日本の政治家。元岐阜県高山市長(4期)。 岐阜県高山市出身。1959年中央大学法学部卒。自治省に入り、北海道庁、沖縄開発庁、新潟県庁に出向する。自治省官房企画官、同参事官などを経て、1994年の高山市長選に立候補して初当選、2010年までの4期務めた。2012年に旭日小綬章を受章した。2017年10月2日、すい臓がんのため死去。
椿 貞良(つばき さだよし、1936年(昭和11年)10月4… 椿 貞良(つばき さだよし、1936年(昭和11年)10月4日 - 2015年(平成27年)12月10日)は、日本のジャーナリスト、テレビ朝日取締役。偏向報道を疑われた椿事件を引き起こした。 椿は取締役報道局長に在任中の1993年(平成5年)9月、日本民間放送連盟の会合で、総選挙期間中に非自民政権樹立を促す報道姿勢であった旨を発言。これが産経新聞の報道によって表面化し、偏向報道を禁じる放送法に違反した可能性を指摘された。これにより、椿は10月に取締役と報道局長職を解任された。 10月25日、椿はこの問題で衆議院による証人喚問を受け、軽率な発言を陳謝したが、社内への報道内容の具体的な指示については一貫して否定し、あくまで偏向報道は行っていないとした。
畑崎廣敏(はたさき ひろとし、1936年10月3日 - )は… 畑崎廣敏(はたさき ひろとし、1936年10月3日 - )は、日本の実業家。大手アパレルであるワールド創業者であり、現在はワールド社主。 1936年(昭和11年)兵庫県津名郡鮎原村(現・洲本市五色町鮎原)に農家の6人兄弟の次男(4人目)として生まれる。1955年(昭和30年)に兵庫県立洲本商業高等学校(現在の兵庫県立洲本実業高等学校)を卒業。就職希望は金融で大手都市銀行を受験したところ、最終選考まで残ったが採用されなかった。恩師に頼み込んで紹介してもらい神戸市の株式会社光商会(現在の株式会社エンパイヤー)への就職を決めたという。 就職した株式会社光商会は、社員20人ほどの零細企業だった。入社当時から独立を志していた畑崎は在籍した4年間で企画から営業まですべてをこなした。
小原 信(おはら しん、1936年10月3日- )は、日本の… 小原 信(おはら しん、1936年10月3日- )は、日本の哲学者(倫理学)。青山学院大学名誉教授。 神戸市出身。国際基督教大学卒業後、東京大学大学院、イェール大学大学院で学び、1966年「神学的議論からみたキェルケゴール」でPh.D.。1970年に和辻哲郎賞(日本倫理学会)を受賞。1979年から1997年まで青山学院大学文学部教授、1998年から2005年まで同大国際政治経済学部教授を務める。生命倫理・キリスト教に関する研究とともに現代の若者文化に対する言及でも知られる。 『教会教育』1967年12月号 『遊びの研究』6章、三一書房、1976 日本基督教学会、1979、18号 第三章、海越出版社、1993 The Japan Foundation Newsletter, 1997/8 『青山国際政経論集』48, 1999/9
山根 常正(やまね つねまさ、1936年10月3日 - 20… 山根 常正(やまね つねまさ、1936年10月3日 - 2022年9月22日)は日本の実業家。山陰中央新報の社長、会長を務めた。島根県浜田市出身。 1962年(昭和37年)に山陰中央新報社に入社し、2000年(平成12年)12月から2010年(平成22年)まで同社の社長を務めた。その後、2018年(平成30年)12月まで会長を務めた。また、島根県観光連盟会長も務めたほか、山陰両県とインドの経済、文化交流の拡大を目指している山陰インド協会会長を2013年(平成25年)から2019年(令和元年)まで務めた。 2022年(令和4年)9月22日 午前8時13分、病気のため死去。85歳没。同年9月26日に一般会葬が行われた。
松本 惟子(まつもと ゆいこ、1936年10月1日 - )は… 松本 惟子(まつもと ゆいこ、1936年10月1日 - )は、日本の政治家、元民主党衆議院議員(1期)。戸籍名は村上 惟子。 福岡県行橋市出身。1955年京都高等学校卒。同年安川電機に入社。同社労組の中央執行委員を務めた。1979年から電機労連の青年・婦人対策専門部長に就任。1987年に発足した連合の副事務局長に就任し、同時に婦人部門を担当した。翌1988年に女性局長を兼務。1996年10月に行われた第41回総選挙において民主党の比例九州ブロック単独候補として立候補、当選した。2000年の第42回総選挙では、福岡県第5区から民主党候補として立候補したが、落選した。
藤井 治芳(ふじい はるほ、1936年10月1日 - )は、… 藤井 治芳(ふじい はるほ、1936年10月1日 - )は、日本の官僚。過去に、日本道路公団総裁・副総裁、建設事務次官、駐車場整備推進機構理事長を歴任。
小沼 ますみ(こぬま ますみ、1936年10月1日 - )は… 小沼 ますみ(こぬま ますみ、1936年10月1日 - )は、クラシック音楽の評論家。 東京生まれ。旧姓・山中。1959年津田塾大学英文学科卒業、韓国銀行東京支店勤務。64年退職し中学・高校教員。1971-73年ロンドンに滞在。イギリス・ショパン協会会員。『音楽の友』などでショパンについての記事寄稿多数。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
安川 悦子(やすかわ えつこ、1936年10月 - )は、日… 安川 悦子(やすかわ えつこ、1936年10月 - )は、日本の思想史・女性学者、名古屋市立大学名誉教授。専攻は社会思想史、ジェンダー論。夫は安川寿之輔。 横浜市生まれ。1959年名古屋大学経済学部卒。1964年同大学院経済学研究科博士課程満期退学、同助手。 1965年名古屋市立女子短期大学講師、1968年同助教授、1974-1975年ロンドン大学に留学、エリック・ホブズボームに師事。1975年同教授。1982年「イギリス労働運動と社会主義 「社会主義の復活」とその時代の思想史的研究」で、経済学博士(名古屋大学)の学位を取得。同年同書で労働関係図書優秀賞受賞。1995年同学長。 1996年名古屋市立大学人文社会学部教授、2002年退任。
達摩 省一(だるま せいいち、1936年10月 ‐ 2016… 達摩 省一(だるま せいいち、1936年10月 ‐ 2016年3月13日)は、日本の高校野球解説者、野球審判員、野球指導者。関西大学野球部で監督を務め、全日本大学野球選手権大会などでチームを優勝に導いた。 石川県金沢市に生まれ、大阪府で育つ。守口市立第三中学校で野球をはじめ、大阪府立寝屋川高等学校では右腕投手として活躍。在学中に甲子園出場はならなかった。 関西大学に進学して野球部に所属。村山実や上田利治と同期で、1956年の全日本大学野球選手権大会の優勝メンバーとなる。 大学卒業後は、大阪鉄道高の教員となり、同校野球部監督にも就任。1962年に関西大学の事務職員に転じ、高校野球の審判員も務め、1965年から甲子園大会に携わるようになった。
石塚勲(いしづかいさお、1936年〈昭和11年〉9月30日 … 石塚勲(いしづかいさお、1936年〈昭和11年〉9月30日 - )は、日本の航空自衛官。第21代航空幕僚長。防大3期。 秋田県出身。1959年(昭和34年)3月、防衛大学校卒業(第3期)、航空自衛隊入隊(1等空曹)。 1970年(昭和45年)7月、3等空佐。1974年(昭和49年)7月、2等空佐。 1978年(昭和53年)7月、1等空佐。1981年(昭和56年)2月、自衛隊埼玉地方連絡部長。1983年(昭和58年)3月16日、航空幕僚監部防衛部運用課長。1984年(昭和59年)3月16日、航空幕僚監部防衛部防衛課長。 同年7月2日、空将補に昇任。1985年(昭和60年)3月1日、航空幕僚監部人事教育部副部長。
小椋 進(おぐら すすむ、1936年9月30日 - )は日本… 小椋 進(おぐら すすむ、1936年9月30日 - )は日本の地方公務員。横浜市助役。 北海道大学工学部卒業。1961年 横浜市入庁。 企画調整局企画部企画課長、企画財政局企画調整室長、企画財政局理事兼企画調整室長などのポストを務め、1990年6月 金沢区長。1993年5月12日 企画財政局長。1994年7月 財政局長。1995年6月1日 横浜市助役。1999年3月 清水利光を後任に助役を退任。 2003年10月21日から神奈川県公安委員会委員となる(〜2006年10月20日)。 2012年4月29日 瑞宝中綬章を受章。
中川 學(なかがわ まなぶ、1936年9月29日 - 200… 中川 學(なかがわ まなぶ、1936年9月29日 - 2004年2月17日)は日本の学者。専門は中国社会経済史、マクロエンジニアリング。一橋大学名誉教授、元国際マクロエンジニアリング学会協会連合筆頭副理事長。デウィット・クリントン知事記念国際マクロエンジニアリング学会賞。 千葉県市川市出身。栄光学園中学校、東京都立竹早高等学校を経て、1959年一橋大学経済学部卒業、1961年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、1964年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。一橋大学で村松祐次及び増淵龍夫に師事し東洋史研究にあたる。 1964年一橋大学経済学部専任講師、1968年同助教授、1977年同教授。
三谷 太一郎(みたに たいちろう、1936年9月29日 - … 三谷 太一郎(みたに たいちろう、1936年9月29日 - )は、日本の政治学者・歴史学者。東京大学名誉教授、宮内庁参与、日本学士院会員。専門は日本政治外交史、特に大正デモクラシー期の日本政治史研究で知られる。
河添 克彦(かわそえ かつひこ、1936年9月29日 - )… 河添 克彦(かわそえ かつひこ、1936年9月29日 - )は、日本の実業家で、三菱自動車工業の元社長。横浜国立大学経済学部卒業。
赤木 健一(あかぎ けんいち、1936年9月28日 - )は… 赤木 健一(あかぎ けんいち、1936年9月28日 - )は、兵庫県城崎郡国府村(現在の豊岡市)生まれの元プロ野球選手。 兵庫県城崎郡国府村(現在の豊岡市)で生まれ、東京都で育った。隣家の植村直己とは少年時代、遊び仲間だった。 慶應義塾高校では1954年夏の甲子園県予選3回戦で希望ヶ丘高に敗退。慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは1956年秋季リーグで優勝を経験。1958年春季リーグでは打率.404で首位打者を獲得、同年は春秋季ともベストナイン(外野手)受賞。1955年には第2回アジア野球選手権大会日本代表(東京六大学野球リーグ選抜チーム)に選出された。リーグ通算59試合出場、170打数51安打、打率.300、2本塁打。
田向 正健(たむかい せいけん、1936年9月27日 - 2… 田向 正健(たむかい せいけん、1936年9月27日 - 2010年3月5日)は、日本の脚本家。東京都出身。
内田 勲(うちだ いさお、1936年9月27日 - 2023… 内田 勲(うちだ いさお、1936年9月27日 - 2023年7月12日)は、日本の実業家。元横河電機会長。 東京都出身。慶應義塾大学工学部電気工学科卒業。1960年4月、横河電機製作所(現・横河電機)入社。1999年社長。2007年会長。2011年最高顧問。2009年から母校の理工学部同窓会会長を務める。 2011年、旭日中綬章受章。 2023年7月12日、病気のため死去。86歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
山根 二郎(やまね じろう、1936年9月27日 - )は、… 山根 二郎(やまね じろう、1936年9月27日 - )は、日本の弁護士(登録番号9881、長野県弁護士会所属)、思想家。現在は山根二郎法律事務所の代表を務めている。日本の法曹界において数々の大事件に関与し、環境問題や社会問題にも積極的に取り組んでいる。特に、法廷闘争の在り方に革新をもたらし、その名は『朝日人物事典』にも記載されている。 1936年、東京都千代田区隼町で生まれる。名付け親は父親と親交があった川島浪速で、当初「興亞」(おきつぐ)と名付けられるも、高校3年時に「二郎」に改名。幼少期には隼町から平河町に転居。1943年4月、永田町国民学校(現・永田小学校)に入学し、翌年には東條英機首相の挨拶を最前列で聴いた経験を持つ。
角間 隆(かくま・たかし、1936年9月27日 - 2008… 角間 隆(かくま・たかし、1936年9月27日 - 2008年5月14日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。国際ジャーナリスト養成IJCの代表。 大阪府大阪市に生まれ、石川県金沢市で育つ。東京大学教育学部教育行政学科卒業後、NHKに入局しプロデューサー・ディレクターとしてドキュメンタリー制作などに携わり、1964年から2年間コロンビア大学に留学しメディア論を専攻。 1980年にNHKを退社しジャーナリストとして独立、以降アメリカ合衆国ニューヨークを本拠地として活動を続けている。
アントン・ウィッキー・アンパラヴァナル(Anton Wick… アントン・ウィッキー・アンパラヴァナル(Anton Wicky Ampalavanar、1936年9月26日 - )は、スリランカ・コロンボ生まれで日本在住の国際比較学者、外国人タレント。国立セイロン大学卒。血液型B型。 セイロン大学卒業後、水産庁に入庁するが、それからすぐの頃に留学へ。カリフォルニア大学留学中に東京大学農学部教授の檜山義夫と知り合ったのがきっかけで、日本の留学の試験を受けて合格。同時にカナダへの留学の試験も受けていてこちらも合格したが、合格通知が先に届いた日本に行くことにし、1961年に文部省の国費留学生として来日した。当初日本語はまったく話せず、日本語学校での勉強に加え、毎晩渋谷のバーで、日本人にその日に学習した文章で話しかける「突撃スタイル」で日本語を習得した。
加藤 幸子(かとう ゆきこ、1936年9月26日 - 202… 加藤 幸子(かとう ゆきこ、1936年9月26日 - 2024年3月30日)は、日本の小説家。芥川賞、毎日芸術賞受賞。劇作家の加藤道夫の姪。鉱床学者加藤武夫の孫。かもしか学園(西川町)園長。 農林技師の子として、父の勤務先であった北海道札幌市に生まれる。両親ともに東京の出身。父の仕事の関係で5歳から11歳までを北京で過ごし、戦後日本に引き揚げた後は東京都世田谷区の祖父の加藤武夫宅で育つ。恵泉女学園高等学校2年の時、同居していた叔父加藤道夫が自殺して大きな衝撃を受ける。北海道大学農学部卒業後、農林省農業技術研究所・日本自然保護協会勤務を経て、1972~89年自然観察会代表。 1982年、「野餓鬼のいた村」で新潮新人賞受賞、続いて1982年下半期(1983年1月)、「夢の壁」で芥川賞受賞。
日暮 修一(ひぐらし しゅういち、1936年9月26日 - … 日暮 修一(ひぐらし しゅういち、1936年9月26日 - 2012年4月13日)は日本のイラストレーター。千葉県松戸市出身。 コピーライター日暮真三は弟、ミュージシャン日暮愛葉は姪。 1936年に日暮酒店の長男として生まれる。1942年、松戸市立中部小学校に入学。1953年、武蔵野美術学校デザイン科に入学しのちに卒業。東芝商事宣伝部製作室、イースト・パブリッシング勤務。1959年、第二七回毎日広告デザイン賞・第一部B部門ポスターデザイン毎日広告奨励賞受賞。 雑誌「ビッグコミック」「ラピタ」の表紙絵を長年描いていた。「ビッグコミック」は1970年から2011年に病気治療のため入院するまでの41年間(2011年11月25日号表紙の執筆が最後。
可知 義明(かち よしあき、1936年(昭和11年)9月25… 可知 義明(かち よしあき、1936年(昭和11年)9月25日 - )は、日本の政治家。元岐阜県恵那市長(3期)。 岐阜県恵那市出身。1955年(昭和30年)3月、岐阜県立恵那高等学校卒業。同年4月、恵那市役所に入庁。1995年(平成7年)4月、恵那市助役に就任。2000年(平成12年)4月、中津川恵那広域行政事務組合事務局長に就任。 2004年(平成16年)10月25日、旧恵那市と恵那郡南部の山岡町・明智町・岩村町・串原村・上矢作町の1市4町1村が合併し新制の恵那市が誕生する。これに伴って11月28日に行われた恵那市長選挙に公明党の推薦を得て出馬。旧山岡町長の山内章裕ら2候補を破り、初当選を果たした。
杉浦 昌弘(すぎうら まさひろ、1936年9月25日 - )… 杉浦 昌弘(すぎうら まさひろ、1936年9月25日 - )は、日本の植物分子生物学者・植物分子遺伝学者。学位は、理学博士(名古屋大学・論文博士・1967年)(学位論文「無細胞系におけるバクテリオファージφ×174の遺伝情報の発現」)。名古屋大学特別教授。名古屋大学名誉教授、名古屋市立大学名誉教授。 愛知県岡崎市出身。小学校から高校卒業まで幸田町で過ごした。双子葉植物であるタバコを用いて、1986年に植物葉緑体ゲノムの全塩基配列を世界で初めて決定した業績で世界で広く知られる。その後、単子葉植物のイネ葉緑体ゲノム、裸子植物のクロマツ葉緑体ゲノム、藻類のクロレラ葉緑体ゲノムの全塩基配列を決定。また、試験管内(in vitro)で活性のある葉緑体DNAの転写・翻訳系を開発した事でも知られる。
難波 利三(なんば としぞう、男性、1936年9月25日 -… 難波 利三(なんば としぞう、男性、1936年9月25日 - )は、日本の小説家。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、各会員。堺市南区在住。 島根県邇摩郡温泉津町(現・大田市)の宮大工の家に生まれる。苦学して、1960年 関西外国語大学英米語学科中退。 大阪で流しのギター弾きをする。プラスチック業界新聞に勤務。病気に倒れ結核で療養所にいた時、「小説新潮」の懸賞に2度入選(1964年の「夏の終わる日」等)。1965年退院すると、英語塾を開く傍ら、本格的に書き始める。 1970年からオール読物新人賞に応募し、「地虫」で1972年受賞、同作で直木賞候補となる。「雑魚の棲む路地」で同候補。1974年「イルティッシュ号の来た日」、1975年「天を突く喇叭」、1978年「大坂希望館」と、五回直木賞候補となる。
稲田 俊信(いなだ としのぶ、1936年9月25日 - )は… 稲田 俊信(いなだ としのぶ、1936年9月25日 - )は、日本の法学者。専門は商法、特に小切手法。学位は、博士(法学)(早稲田大学・論文博士・1997年)。日本大学教授、秋田経済法科大学学長、同法人の理事長を歴任。判例を重視した実務的色彩の強い解釈論を展開した。東京都出身。 日本大学法学部卒業し、司法試験に合格し、日本大学専任講師に就任。のち同助教授に昇格し、さらに同教授に昇格。同大学法学部長に就任した。1997年早稲田大学より博士(法学)の学位を受く(学位論文「手形取引と民事責任」)。日本大学を退職後、2001年4月に秋田経済法科大学(現・ノースアジア大学)学長(および短大部学長、2005年からは秋田栄養短期大学学長を併任)に就任。
根来 広光(ねごろ ひろみつ、1936年9月24日 - 20… 根来 広光(ねごろ ひろみつ、1936年9月24日 - 2009年11月27日)は、広島県府中市出身のプロ野球選手(捕手、投手)・コーチ・監督。 1945年8月6日の原爆投下直前まで広島市に住んでいたが、現在の府中市に疎開して難を逃れた。 中学時代は大分県別府市で育ち、河村英文は根来の姉と高校が同級である。 府中高校時代はエースで、県内では有名な投手であった。当時の広島はレベルが高く、広瀬叔功・木下強三ら県内の同期は7人がプロ入りした。 卒業後の1955年に東京鉄道管理局へ入部すると、1956年には熊谷組の補強選手として都市対抗に出場。決勝に進出し日本石油の藤田元司と投げ合うが惜敗、準優勝にとどまった。
田中 一昭(たなか かずあき、1936年9月24日 - 20… 田中 一昭(たなか かずあき、1936年9月24日 - 2023年9月11日)は、日本の政治学者。専門は行政管理・改革。 現在は、財団法人大学基準協会専務理事、拓殖大学地域行政研究科客員教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
宮里 昭也(みやざと あきや、1936年(昭和11年)9月2… 宮里 昭也(みやざと あきや、1936年(昭和11年)9月24日 - 2017年(平成29年)1月12日)は日本の実業家、新聞記者。元琉球新報社会長。 1936年(昭和11年)9月24日、沖縄県大宜味村に生まれる。1960年(昭和35年)法政大学法学部を卒業し、1961年(昭和36年)琉球新報社に入社する。東京支社報道副部長、政経部長、社会部長、編集局次長を経て、1983年(昭和58年)編集局長に就任する。 1987年(昭和62年)に取締役、1993年(平成5年)に常務、1994年(平成6年)に専務、1996年(平成8年)に社長。同年、政府の諮問機関「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会」の委員として、沖縄振興策の策定に関わった。
中村 猛(なかむら たけし、1936年〈昭和11年〉9月23… 中村 猛(なかむら たけし、1936年〈昭和11年〉9月23日 - 2024年)は、日本の実業家。東京都杉並区出身。株式会社松木屋常務取締役、株式会社仔熊代表取締役社長、石川玩具株式会社専務取締役を歴任した。 東京都杉並区に生まれる。1949年、久我山学園久我山中学校(現・國學院大學久我山中学校)を卒業。 1952年、東京都立豊玉高等学校に入学。サッカー部に所属し、同年の第31回全国高等学校サッカー選手権大会東京都大会で優勝を経験した。 1955年4月、青山学院大学経済学部に入学し、サッカー部に所属。1959年3月に卒業した。 同年4月、西武百貨店に入社。29歳で課長職に昇進後、浜松店・高槻店を経て、西武が業務提携を行っていた青森県の地方百貨店・株式会社松木屋の常務取締役に就任。
佐藤信弘(さとう のぶひろ、1936年9月23日- )は、日… 佐藤信弘(さとう のぶひろ、1936年9月23日- )は、日本の歌人。 東京府(現豊島区)生まれ。実家は真言宗寺院。1960年学習院大学経済学部卒業。伊勢丹百貨店に入社し、定年となる1996年まで勤める。 1959年、加藤克巳の主宰する歌誌「近代』」に入会。1963年、加藤が「近代」を終刊して新たに「個性」を創刊し、佐藤も参加する。1993年、沖ななもと「詞法」を創刊。1998年、脳梗塞で倒れ、闘病生活に入る。2004年、「個性」が終刊する。同時に沖が「詞法」を改名して「熾」を創刊し、佐藤も参加。 作風は超難解とされ、「実験的前衛モダニズム短歌とでもいうべき孤高の姿をしている」と評されている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。