野平 昌人(のだいら まさと、1918年5月20日 - 20… 野平 昌人(のだいら まさと、1918年5月20日 - 2017年6月5日)は、日本の経営者。北海道文化放送社長を務めた。陸軍大尉。長野県須坂市出身。 1940年に陸軍士官学校(54期)を卒業。第12方面軍司令部付・陸軍大尉として終戦を迎えた。 1954年に北海道新聞社に入社。1970年に取締役に就任し、1974年に常務、1977年に専務を経て、1978年に北海道文化放送社長に就任。1984年に会長に就任し、1986年には相談役に就任。 2017年6月5日肺炎のために死去。99歳没。
高橋 百之(たかはし ももゆき、1918年5月20日 - 1… 高橋 百之(たかはし ももゆき、1918年5月20日 - 1985年7月8日)は日本の地理学者。岐阜大学名誉教授。岐阜県本巣郡本巣町(現・本巣市)出身。 1961年に東京教育大学より理学博士号授与。論文の題は「冬季における天気境界帯についての研究」。 1957年岐阜大学助教授、1967年教授。1982年名誉教授となり、東海女子大学教授就任。1985年学長となったが同年に没した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
常國 隆(つねくに たかし、1918年(大正7年)5月19日… 常國 隆(つねくに たかし、1918年(大正7年)5月19日 - 1997年(平成9年)6月22日)は、二級滑空士であり、元グライダー日本記録保持者。戦後、帝産グループの取締役などを歴任した。 父は常國稚英、母光代の長男として、岡山県後月郡井原町中町に生まれる。昭和12年、大日本青年航空団第二空軍に応募、合格。大日本航空青年団は、第二空軍(軍用機パイロットなどの養成を目的とした航空団)であり、井上幾太郎陸軍大将を団長に、堀丈夫中将を副団長として、陸軍、海軍、民間、学術の航空権威者を集め、優秀な人材育成を目指した組織であった。 1937年(昭和12年)8月、第1回霧ヶ峰訓練大会に参加し、1938年(昭和13年)5月の滑空機中級訓練長野大会や同年6月の西部訓練大会都城訓練大会に参加した。
藤本 英雄(ふじもと ひでお、1918年5月18日 - 19… 藤本 英雄(ふじもと ひでお、1918年5月18日 - 1997年4月26日)は、山口県下関市彦島(朝鮮・釜山生まれ)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
秋山 光和(あきやま てるかず、1918年5月17日 - 2… 秋山 光和(あきやま てるかず、1918年5月17日 - 2009年3月10日)は、日本の美術史学者。日本美術史専攻。東京大学名誉教授、東京文化財研究所名誉研究員。 1918年、京都市下京区(現、東山区)で父・秋山光夫と母・花枝の長男として生まれた。父の秋山光夫が宮内省図書寮に職を得たことから家族とともに東京に移り、幼少期を過ごした。やがて私立暁星小学校に入学。母方の祖父は元ベルギー公使で、幼いころから祖父母にフランス語を教わっていた。 1931年、旧制東京高等学校尋常科に進み、同高等科文科丙類(仏語専修)を卒業。一時は外交官を志した。1938年4月、東京帝国大学文学部美術史学科に入学し、1941年に卒業。
中澤 信午(なかざわ しんご、1918年5月17日 - 20… 中澤 信午(なかざわ しんご、1918年5月17日 - 2002年5月30日)は、日本の生物学者。山形大学理学部教授をつとめた。 新潟県南魚沼郡塩沢町(現南魚沼市)出身。1943年東北帝国大学理学部生物学科卒。1961年「形成の場の極性理論」で東北大学理学博士。1951年山形大学助教授、教授、1984年定年退官、名誉教授。 念写の発見者とされる福来友吉と懇意にしており、『福来友吉博士の生涯と学問』『超心理学者福来友吉の生涯』『海外の超心理学研究機関一覧』などの著者でもある。 中澤は福来が1931年に行った月の裏の透視・念写についての英論文のタイプライター浄書を福来から依頼されて行った。中澤論文は、海外の研究所等の名称・所在地を掲載しているもので、研究の国際交流を求める向きには不可欠の参考資料となっている。
上野 裕久(うえの ひろひさ、1918年5月16日 - 19… 上野 裕久(うえの ひろひさ、1918年5月16日 - 1997年10月8日)は、日本の憲法学者。 宮崎県北諸県郡高城町(現・都城市)出身。本籍・熊本県。1942年東京帝国大学法学部卒、宮崎大学助教授、佐賀大学助教授、1966年岡山大学教授となり、1984年定年退官、名誉教授、広島修道大学教授を務めた。1991年勲三等旭日中綬章受勲。
浅田 光輝(あさだ みつてる、1918年〈大正7年〉5月15… 浅田 光輝(あさだ みつてる、1918年〈大正7年〉5月15日 - 2006年〈平成18年〉10月10日)は、日本の経済学者・政治運動家。立正大学名誉教授。 福島県須賀川市出身。1943年慶應義塾大学経済学部卒。在学中、三田新聞学会事件で検挙。応召し、戦後日本共産党に入る。1946年、豊田四郎のもとで日本経済機構研究所設立に参加。神山茂夫理論に共鳴、天皇制・ファシズム理論を展開。1954年共産党を除名。以後、新左翼活動を支援した。ハンガリー事件を契機に神山と離れ、全共闘運動を支援。 1949年専修大学商経学部非常勤講師、1951年静岡大学文理学部助教授、1967年立正大学教養部教授。1988年定年退任。
伊藤 国雄(いとう くにお、1918年5月14日 - 没年不… 伊藤 国雄(いとう くにお、1918年5月14日 - 没年不明)は、栃木県出身のプロ野球選手。 宇都宮中学校から宇都宮鉄道管理局を経て、1937年に名古屋軍へ入団。春のシーズン終了後に退団し、1938年の春に復帰。同年秋のシーズン終了後に再び退団。
鳥居 鉄也(とりい てつや、1918年(大正7年)5月14日… 鳥居 鉄也(とりい てつや、1918年(大正7年)5月14日 - 2008年(平成20年)10月16日)は、日本の地球化学者、冒険家。日本における南極調査・研究の第一人者。理学博士。ソ連科学アカデミー南極大陸発見150周年メダル、南極観測20周年文部大臣表彰などを受賞。日本極地研究振興会理事長、千葉工業大学教授などを歴任。
岸野 雄三(きしの ゆうぞう、1918年5月13日 - 20… 岸野 雄三(きしの ゆうぞう、1918年5月13日 - 2001年1月19日)は、日本の体育学者。 宮崎県出身。1942年東京文理科大学哲学科卒。学生時代は体操競技の選手で、1939年明治神宮体育大会個人総合で優勝、翌年の“幻の東京オリンピック”候補選手。1946年東京高等師範学校助教授、49年教授、同年東邦大学助教授、1967年教授、また、東京教育大学体操部部長を務めた。1974年筑波大学体育科学系教授となり、体育科学系長、体育専門学群長を務めた。その間、日本体育学会理事長、日本学術会議会員、体協役員などをつとめる。82年定年退官、名誉教授。早稲田大学客員教授となり、その後、国際武道大学教授、のち副学長に就任。
星野紀(ほしの とし、1918年(大正7年)5月13日 - … 星野紀(ほしの とし、1918年(大正7年)5月13日 - 1991年(平成3年)2月12日 )は、囲碁の棋士。山梨県出身、竹田逸子四段門下、日本棋院所属、九段。 大月市に生まれる。1932年に中学を中退して上京し竹田逸子に入門し、1934年に入段。1938年に召集され、騎兵として1939年にノモンハンで重傷を負い入院、続いて青森県の連隊に配属されるが上官を殴って重営倉入りとなり、紀元節で恩赦になった。1942年二段。 1950年大手合後期第三部優勝、三段。1951年四段。1953年五段。1956年六段。1962年七段。1966年首相杯争奪高段者トーナメントに優勝。1969年八段。1970年本因坊戦リーグ入り。
伊藤 五百亀(いとう いおき、男性、1918年5月11日 -… 伊藤 五百亀(いとう いおき、男性、1918年5月11日 - 1992年3月4日)は、日本の彫刻家。1974年に『うたかたの譜』で文部大臣賞、1982年に『渚』で日本芸術院賞を受賞している。 1918年、愛媛県新居郡大保木村(現、西条市黒瀬)にて出生。17歳の時、雑誌に掲載されていた帝展(現、日展)作品の彫刻を見て感動、彫刻家を志し、上京して多摩帝国美術学校に入学。中途退学するも、その後も吉田三郎に師事し、本格的な創作活動を行った。 1942年、第5回文部省美術展覧会に出品した「立像」が入選、翌年の文部省美術展では「鍬の戦士」が特選となる。 終戦後、五百亀は帰郷し、彫刻活動を断念した。しかし、当時の大保木村村長・伊藤一らが後援会を組織し、五百亀を励ました。
松井 武(まつい たけし、男性、1918年5月10日 - 2… 松井 武(まつい たけし、男性、1918年5月10日 - 2002年9月22日)は、日本の実業家、第2代松井証券社長。 松井房吉商店(現在の松井証券)創業の日(1918年5月10日)に創業者・松井房吉の長男として生まれる。旧制府立一中(現在の東京都立日比谷高等学校)、東京高等学校 (旧制)、東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業した。1949年、松井證券の代表取締役社長に就任した。第二次世界大戦で房吉がほとんどすべての財産を失っていたが、戦後約40年間堅実な経営を続け、資本的に完全に独立した証券会社として会社を存続させる。1987年に三菱銀行出身の弟の松井正俊に社長を譲り、会長に就任した。1990年以降、娘婿で日本郵船出身の松井道夫(当時常務取締役営業本部長)が社内改革を始めると、これに口を挟まず陰で改革を支えた。
宮坂 哲文(みやさか てつふみ、1918年5月10日 - 1… 宮坂 哲文(みやさか てつふみ、1918年5月10日 - 1965年1月24日)は、日本の教育学者。
吉村 茂夫(よしむら しげお、1918年5月10日 - 20… 吉村 茂夫(よしむら しげお、1918年5月10日 - 2009年12月9日)は、日本の実業家。南海電気鉄道(南海電鉄)元社長・会長。 和歌山県岩出市出身。大阪商科大学(現・大阪市立大学)卒業後の1942年に南海鉄道へ入社。常務取締役、専務取締役を経て、1985年に南海電鉄代表取締役社長に就任し、1992年に代表取締役会長を歴任。 社長時代の1988年4月、南海ホークスのオーナーだった川勝傳の死去に伴い、後任としてオーナーを務めた。前任者の川勝時代から大阪スタヂアムを含めた「難波再開発」(後の「なんばパークス」)案が浮上した時から川勝は「ワシの目が黒いうちは球団は売らん!!」と表面上は強い姿勢を見せていたが(ただし青木一三は、川勝が秘密裏に売却先の候補として来島どっくやダイエーと接触していたことを自著で証言している)、南海ホークスは年間10億円の赤字だった。
田辺 康平(たなべ こうへい、1918年5月10日 - 20… 田辺 康平(たなべ こうへい、1918年5月10日 - 2000年10月28日)は、日本の法学者。西南学院大学名誉教授。 北海道出身。東北帝国大学法学部卒、1963年「損害保険契約の本質」で東北大学・法学博士。西南学院大学法学部教授。1989年定年退職、名誉教授。弁護士、境克彦法律事務所。
桑島 甫(くわじま はじめ、1918年5月9日 - 1944… 桑島 甫(くわじま はじめ、1918年5月9日 - 1944年)は、香川県出身のプロ野球選手(三塁手)。
田中 雄平(たなか ゆうへい、1918年5月9日 - 199… 田中 雄平(たなか ゆうへい、1918年5月9日 - 1992年2月5日)は、日本の経営者。藤田観光社長を務めた。山口県出身。 1943年に東京帝国大学経済学部を卒業。日本建鐵での勤務を経て、1953年に藤田興業に転じ、1970年8月に取締役に就任し、1972年8月に常務、1973年3月に専務を経て、1983年3月に藤田観光副社長に就任し、1985年3月には社長に昇格。1990年6月から取締役相談役を務めた。1985年5月から1992年1月までにワシントンホテル社長も務めた。 1992年2月5日急性心不全のために死去。73歳没。
山崎 清(やまざき きよし、1918年5月9日 - )は、日… 山崎 清(やまざき きよし、1918年5月9日 - )は、日本の経済学者・経営学者。 東京生まれ。早稲田大学法学部仏法学科卒。三菱経済研究所、貿易研修センター勤務、東洋大学経営学部教授。89年杏林大学教授。
籾山 政子(もみやま まさこ、1918年〈大正7年〉5月8日… 籾山 政子(もみやま まさこ、1918年〈大正7年〉5月8日 - 1989年〈平成元年〉4月11日)は、日本の科学者、医学地理学者、生気象学者。医学地理学の草分けとされ、病気の多発時期をグラフ化した「季節病カレンダー」の作成者として知られており、疾病と季節と地理の因果関係を追求することで、新しい研究分野を開拓した人物である。籾山姓は出生名であり、結婚後の本名は坂元政子。 東京府東京市(現・東京都区部)で出生した。東京府立第五高等女学校から日本女子大学校英文科に入学、元来の地理好きに加えて、女学校の地理教員の影響を受け、その後の方針が地理学に定まった。大学の公開講座で、前もって用意していた質問を講師にぶつける熱心さで、東京帝国大学の研究室で学ぶ異例の許可を得た。
小泉 清子(こいずみ きよこ、1918年5月7日 - )は、… 小泉 清子(こいずみ きよこ、1918年5月7日 - )は、日本の実業家であり、きもの研究家である。呉服販売会社「鈴乃屋」代表取締役会長。
田中 角栄(たなか かくえい、旧字体: 田中 角榮、1918… 田中 角栄(たなか かくえい、旧字体: 田中 角榮、1918年〈大正7年〉5月4日 - 1993年〈平成5年〉12月16日)は、日本の政治家、実業家、建築士。号は越山。 衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第31代)、自由民主党総裁(第6代)、内閣総理大臣(第64・65代)を歴任した。 自民党内最大派閥である田中派を率い、日本列島改造論を計画・実行し、他にも様々な政策を成し遂げたことでも有名であり、今太閤や影の総理などと呼ばれ、多大な影響力をもった政治家として知られる。 自民党最大派閥の田中派(木曜クラブ)を率い、巧みな官僚操縦術を見せる田中は、党人政治家でありながら官僚政治家の特長も併せ持った稀な存在だった。
唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2… 唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2011年5月6日)は、社会運動研究者・俳人・自由律俳句研究者・作家。「唐沢柳三」の筆名も使用する。石川三四郎に師事する。 長野県に生まれる。滋野尋常高等小学校、長野県上田中学校(現:長野県上田高等学校)、純真学園、東京物理学校(現:東京理科大学)を経て、北海道帝国大学理学部数学科を卒業。北海道大学応用電気研究所に勤務。同研究所を退職後、東京に移住し、東京都立桜町高等学校、東京都立北高等学校ほか都立高校の教員を務めた。 出版のためにソオル社を興し、書籍の編集・発行も行った。 上田中学校時代に荻原井泉水の俳句誌『層雲』に参加した。 個人誌『柳』および『美』の発行者。
三井 ふたばこ(みつい ふたばこ、1918年〈大正7年〉5月… 三井 ふたばこ(みつい ふたばこ、1918年〈大正7年〉5月3日 - 1990年〈平成2年〉10月29日)は、日本の童話作家、詩人、随筆家。本名・嫩子。 西条八十の長女として東京府に生まれる。弟に西條八束。 東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)を経て、日本女子大学英文科中退。父とともに詩誌『ポエトロア』を発行、童話、詩集、翻訳、父の詩集の編纂などを行う。1970年に父が没した後は、父の思い出などを書いた。当初、三井嫩子、三井ふたばこ、三井ふたば子などの表記を用いたが、夫が亡くなったこともあり、父の没後は西條嫩子の名を用いた。
柏戸秀剛(かしわど ひでたけ、1918年5月3日-1982年… 柏戸秀剛(かしわど ひでたけ、1918年5月3日-1982年12月11日)は、春日山部屋に所属していた岩手県九戸郡種市町(現洋野町)出身の元大相撲力士である。本名は佐々木秀剛。最高位は東前頭筆頭(1947年6月場所)。現役時代の体格は186cm、96kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。
閔 寛植(ミン・グァンシク、朝鮮語: 민관식、1918年5月… 閔 寛植(ミン・グァンシク、朝鮮語: 민관식、1918年5月3日 - 2006年1月16日)は、大韓民国の薬剤師、官僚、社会活動家、政治家。第3・4・5・6・10代韓国国会議員。第20代文教部長官。第10代国会副議長。 本貫は驪興閔氏。号は小崗(ソガン、소강)。京都大学法学博士。 日本統治時代の京畿道開城に生まれた。京城第1高等普通学校(現・京畿高等学校)、水原農林専門学校(現・ソウル大学校農科大学に併合)を卒業後、内地の京都帝国大学(現・京都大学)農学部農芸化学科を卒業。その後に薬剤師試験に合格し、薬剤師を免許取得した。 朝鮮戦争後は高麗時報社の社長を務め、1954年の第3代総選挙に無所属でソウル東大門選挙区から立候補して初当選した。
伊藤 毅(いとう たけし、1918年5月3日 - 1999年… 伊藤 毅(いとう たけし、1918年5月3日 - 1999年9月11日)は日本の音響工学者。 1964年東京オリンピックの開・閉会式の音響をまとめた功績等が評価され、NHK放送文化賞などを受賞した。
石川 京一(いしかわ きょういち、1918年〈大正7年〉5月… 石川 京一(いしかわ きょういち、1918年〈大正7年〉5月2日 - 2002年〈平成14年〉2月5日)は、昭和から平成時代の政治家。神奈川県平塚市長。 平塚市出身。1936年(昭和11年)旧制厚木中学校卒業。 同年、中郡金田村役場に入り、1950年(昭和25年)助役。1956年(昭和31年)平塚市に合併後は農産課長となり、1964年(昭和39年)経済部長、1967年(昭和42年)企画部長、1971年(昭和46年)助役を経て、1979年(昭和54年)以来、平塚市長に4選した。1995年(平成7年)引退。
矢内原 伊作(やないはら・いさく、1918年5月2日 - 1… 矢内原 伊作(やないはら・いさく、1918年5月2日 - 1989年8月16日)は、日本の哲学者、評論家。
新村 勝雄(しんむら かつお、1918年(大正7年)5月1日… 新村 勝雄(しんむら かつお、1918年(大正7年)5月1日 – 2003年(平成15年)6月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(日本社会党)、野田市長。 千葉県東葛飾郡福田村(現・野田市)に、地主の長男として生まれる。東葛飾中学(現・千葉県立東葛飾高等学校)を卒業後、地元の産業組合職員、兵役を経て、教師を目指し東京高等師範学校に入学する。終戦後東京高師を中退して地元に戻り、「民主同志会」を立ち上げる。1946年社会党に入党。翌1947年福田村の村長に当選、3期務める。 その後野田市議(1957年より2期)を経て、1962年野田市長に当選する。市議会で多数派を占める保守系会派の抵抗に遭い、1970年まで8年間助役が置けなかった。
酒沢 成治(さかざわ せいじ、1918年5月1日 - 200… 酒沢 成治(さかざわ せいじ、1918年5月1日 - 2002年5月6日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(内野手)、監督。1953年から1954年までの登録名は「酒沢 政夫」(さかざわ まさお)。
本明 寛(もとあき ひろし、1918年5月1日 - 2012… 本明 寛(もとあき ひろし、1918年5月1日 - 2012年12月6日)は、日本の心理学者、早稲田大学名誉教授。 神奈川県川崎市生まれ。1941年早稲田大学文学部心理学科卒業。1945年早稲田大学助教授、教授。1960年「刺激効果と認知特徴による自我機能診断の方法に関する研究」で早稲田大学文学博士。1989年定年退職、名誉教授。1983年紫綬褒章を受章。1988年11月勲三等旭日中綬章を受章 日本心理学会理事長(1983年 - 1989年)を務め、1988年には日本健康心理学会を創設して20年にわたり理事長を務めた。このほか、NPO健康心理教育実践センター理事長、日本認定心理士会顧問、日本心理職協会・現代QOL学会永世名誉顧問などを歴任した。
伊藤 長正(いとう ちょうせい、1918年4月29日 - 没… 伊藤 長正(いとう ちょうせい、1918年4月29日 - 没年不詳)は、日本の経済学者。 東京出身。1942年東京帝国大学経済学部商業学科卒。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年5月、主計大尉に進み終戦を迎えた。 その後、横浜国立大学助教授、上智大学経済学部教授を歴任。1975年「日本的経営の特質に関する研究」で上智大学経済学博士。90年定年、名誉教授。
矢山 哲治(ややま てつじ、1918年4月28日 - 194… 矢山 哲治(ややま てつじ、1918年4月28日 - 1943年1月29日)は日本の詩人。九州帝国大学在学中、同人雑誌「こをろ」を主宰。福岡県福岡市出身。 1936年福岡県中学修猷館、1939年旧制福岡高等学校理科甲類を経て、九州帝国大学農学部繰り上げ卒業。福岡高校在学中から当時火野葦平の率いていた『九州文学』同人となり『九州文学』、『文藝首都』などに詩やエッセイを掲載。この時期1938年7月、福岡高校生であった矢山は『九州文学』を詩人の立原道造に贈り、文通を始め、当時立原が企図していた詩誌『午前』への参加を誘われた。 1939年、第一詩集『くんしやう』を上梓。この頃、保田與重郎、太宰治、檀一雄ら『日本浪曼派』の作家、評論家を愛読する。
寺島 龍一(てらしま りゅういち、1918年4月27日 - … 寺島 龍一(てらしま りゅういち、1918年4月27日 - 2001年10月26日)は、洋画家、日本芸術院会員。寺島竜一とも。 東京府出身。東京美術学校卒。寺内萬治郎らに師事。1979年まで筑波大学教授。1997年「アンダルシア讃」で恩賜賞・日本芸術院賞受賞。1998年芸術院会員。日展理事、顧問。光風会理事長。 人物画、特にエキゾチックな女性像で知られた。ほか児童書の挿絵・表紙画でも知られ、特にJ・R・R・トールキンの作品の挿画が名高い。また自身でも子供向けの著作を著した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
熊埜御堂 英二(くまのみどう えいじ、1918年4月26日 … 熊埜御堂 英二(くまのみどう えいじ、1918年4月26日 - 2011年4月4日)は、日本の経営者。三和酒類社長を務めた。大分県宇佐市出身。 1944年に早稲田大学理工学部電気工学科を卒業し、1947年に特別調達庁福岡支局に入庁。1949年に家業の酒造業を引き継ぎ、1958年に三和酒類を創立し、社長に就任。1978年に会長に就任し、1989年に名誉会長を経て、1999年には相談役に就任。 2011年4月4日心筋梗塞のために死去。92歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
八原 昌元(やはら まさもと、1918年(大正7年)4月25… 八原 昌元(やはら まさもと、1918年(大正7年)4月25日 - 2004年(平成16年)4月13日)は、日本の実業家。明星食品の創業者の一人で、社長や会長も務めた。 愛媛県松山市に藩士の家系で大日本帝国の軍人だった八原昌後とキクとの間に生まれる。1936年(昭和11年)に父からの推薦により、神宮皇學館大学に入学した。卒業後に東京府立第一商業高等学校で教鞭を執ったが、再度皇學館大学に入学する。卒業後は同大学の研究員として活動していたが、戦後に連合国軍最高司令官(GHQ)からの命令により、解雇せざるを得なかった。 これによって、1926年(昭和21年)に試験に合格し農山漁村文化協会の一員として農村文化活動を行うも、当初は経営不振に陥った。
津田 文吾(つだ ぶんご、1918年4月24日 - 2007… 津田 文吾(つだ ぶんご、1918年4月24日 - 2007年11月8日)は、日本の政治家。神奈川県知事(民選第6・7代)。テレビ神奈川(tvk)会長。富山県小杉町(現・射水市)出身。東京帝国大学卒業。 内山岩太郎神奈川県知事の下で財政課長、総務部長、副知事などを歴任した後、1967年内山知事の後継者として自民党の推薦と民社党の支持を受けて神奈川県知事選に出馬し初当選。 1975年まで2期8年務めた。保守県政では珍しく知事在任中は、こども医療センター、総合リハビリテーションセンターなどの整備と運営に努めるなど福祉政策に力を入れ、「福祉の津田」と呼ばれた他、全国に先駆けて自然の尊重と人間性の回復を基調にした新総合計画を策定し、大企業の乱開発の規制、公害防止などにも取り組んだ。
林 良一(はやし りょういち、1918年4月24日 - 19… 林 良一(はやし りょういち、1918年4月24日 - 1992年10月2日)は、日本の仏教美術史学者。筑波大学名誉教授。専攻は文様史、正倉院の研究。 東京市(現港区)生まれ。1952年東京大学文学部美学美術史学科卒業。57年同大学院特別研究生を修了し、多摩美術大学講師、1958年日本大学芸術学部講師。1960年東京教育大学講師、63年明治大学講師。1963年『シルクロード』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。1967年東京教育大学講師、助教授、筑波大学教授、同芸術専門学群長、82年定年退官・名誉教授、駒澤大学教授。
井上 宇市(いのうえ ういち、1918年4月23日 - 20… 井上 宇市(いのうえ ういち、1918年4月23日 - 2009年7月17日)は、日本の建築設備学者。日本建築学会名誉会員。早稲田大学名誉教授。 公益社団法人 空気調和・衛生工学会では井上宇市記念賞を設けている。 埼玉県秩父郡秩父町(現・秩父市)生まれ。旧制熊谷中学校を経て1940年、旧制新潟高等学校を卒業したが、肺結核で一年療養を経て、東京帝国大学第一工学部船舶工学科に入学。1944年に卒業し、同年10月に福生航空教導師団を経て陸軍技術中尉任官し第1航空技術研究所勤務。 戦後の1946年から大成建設株式会社に勤務を経て1953年より早稲田大学第一理工学部及び第二理工学部建築学科専任講師に転任。
大谷 四郎(おおたに しろう、1918年4月23日 - 19… 大谷 四郎(おおたに しろう、1918年4月23日 - 1990年11月9日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手、サッカー指導者、サッカージャーナリスト。東洋紡元社長の大谷一二は実兄。また、俳優の大谷亮介は長男、高畑裕太は孫である。 1918年4月23日神戸市御影生まれ。内海紡績常務取締役を務めた大谷恭助の四男として生まれる。御影師範学校附属小学校時代からサッカーに親しみ、兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)でサッカー部に入部。1934年の全国招待大会、1935年の全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)に優勝し、2年連続全国大会制覇を達成した。第一高等学校(文科乙類)在学時代にも得点力のあるFWとして活躍。
下出積与(しもで せきよ、戸籍上は「積與」。1918年4月2… 下出積与(しもで せきよ、戸籍上は「積與」。1918年4月20日 - 1998年5月16日)は、日本の歴史学者。研究分野は宗教史。明治大学名誉教授。 石川県出身。大聖寺中学校、1938年3月第四高等学校文科甲類卒業し、1941年、東京帝国大学文学部国史学科卒業。北國新聞社、旧制小松中学、大聖寺高校教諭、金沢高師教授を経て、1949年、金沢大学法文学部助教授、のち文学部教授。1968年、明治大学教授となり、1989年定年退任、名誉教授。 1975年に「日本古代の神祇と道教」により東京大学から文学博士の学位を取得。道教、神道などを研究した。
竹中 修一(たけなか しゅういち、1918年4月20日 - … 竹中 修一(たけなか しゅういち、1918年4月20日 - 1997年7月31日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(5期)。青森県出身。経世会所属であった。
武藤謙二郎(1918年4月20日 - 1973年4月20日)… 武藤謙二郎(1918年4月20日 - 1973年4月20日)は、日本の大蔵官僚。 横浜税関長、主計局次長(末席)、主計局次長(次席)、関税局長などを務めた。 茨城県出身。東京帝国大学法学部政治学科在学中に高等試験行政科を合格。1944年12月 東京帝大法学部政治学科を卒業。1942年1月 大蔵省入省。専売局長官官房兼主計局属。 1960年7月15日 大臣官房地方課長。1961年6月23日 主税局税関部企画課長。同年11月1日 関税局総務課長。1963年6月1日 横浜税関長。1965年6月18日 主計局次長(末席)。当時の主力産業であった農林業や公共事業などを担当した。1966年7月22日 主計局次長(次席)。
中谷 準志(なかたに じゅんじ、1918年4月19日 - 1… 中谷 準志(なかたに じゅんじ、1918年4月19日 - 1970年2月27日)は、和歌山県出身のプロ野球選手(三塁手)。
小林 文次(こばやし ぶんじ、1918年 <大正7年> 4月… 小林 文次(こばやし ぶんじ、1918年 <大正7年> 4月19日 - 1983年 <昭和58年> 8月28日)は、日本の建築史家、工学博士。福島県伊達郡桑折町生まれ。兄に歴史学者・文学博士の角田文衞がいる。門下には望月照彦、近江榮、山本理顕、椎名英三などがいる。福島県のさざえ堂の実測調査を手がけた。位階は従五位。 1941年、東京帝国大学工学部建築学科卒業。同大学院に進学するも1944年に退学。同年慶應義塾大学予科教授。大学院生時代は平等院の研究を手がける。1949年日本大学助教授、1952年フルブライト制度でアメリカ合衆国のオレゴン大学へ留学。現地ではアメリカ合衆国近代建築史を研究した。1960年「古代メソポタミヤ建築論」により、東京大学工学博士を取得。
神島 二郎(かみしま じろう、1918年4月18日 - 19… 神島 二郎(かみしま じろう、1918年4月18日 - 1998年4月5日)は、日本の政治学者。専門は日本政治思想史。立教大学名誉教授。 東京市四谷区四谷左門町(現・東京都新宿区左門町)生まれる。砧小学校、国士舘中学校を卒業。 1942年に第一高等学校文科乙類を卒業後、東京帝国大学法学部政治学科に入学するが、1943年4月から12月にかけて東部第六部隊に所属。1944年1月から8月まで仙台予備士官学校に配属され、1944年12月から1945年9月までフィリピン方面軍特別情報部。 1946年1月に復員。1947年に東京大学(旧制)法学部を卒業後、大学院特別研究生となる(1949年に修了)。 1950年に国立国会図書館嘱託、主事、調査員。
松澤 秀雄(まつざわ ひでお、1918年4月18日 - 19… 松澤 秀雄(まつざわ ひでお、1918年4月18日 - 1999年8月31日 )は、日本の経営者。サンテレビジョン社長を務めた。 神奈川県出身。1941年に東京帝国大学文学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社した。朝日新聞社で名古屋本社編集局長、大阪本社編集局長を歴任し、1981年6月には兵庫県教育委員会委員長に就任。1982年9月にサンテレビジョン社長に就任し、1987年6月に会長を経て、1990年6月には相談役に就任。 1999年8月31日、心不全のため死去。81歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
倉田 文作(くらた ぶんさく、1918年4月17日 - 19… 倉田 文作(くらた ぶんさく、1918年4月17日 - 1983年1月23日)は、日本の仏像学者。 千葉県安房郡生まれ。父は画家・倉田重吉。長野県立上田中学校を経て1940年青山学院文学部英文科卒業、1942年早稲田大学文学部文学科卒業、1944年東洋美術国際研究会嘱託。 1945年文部省社会教育局嘱託、1947年国立博物館に入り、調査課嘱託を経て、1948年文部技官、1950年文化財保護委員会事務局美術工芸課彫刻部勤務。1959年彫刻部主査、1964年文化財調査官、1966年事務局美術工芸課長、1969年東京国立博物館学芸部長に転じる。1972年文化庁文化財保護部文化財鑑査官、1975年奈良国立博物館長に就任、1981年博物館振興の功績により文部大臣より表彰を受け、1983年従四位に叙せられ勲二等瑞宝章を受章した。