西山 千明(にしやま ちあき、1924年8月9日 -2017… 西山 千明(にしやま ちあき、1924年8月9日 -2017年11月20日)は、日本の経済学者。立教大学名誉教授、国際大学大学院教授、スタンフォード大学フーヴァー研究所上級研究員、ロンドン経済事情研究所理事。専門は、理論経済学、貨幣論、経済哲学、人的資本論。日本を代表する自由主義経済学者で、モンペルラン・ソサイエティー会長も務めた。 『ハイエク全集』(春秋社)の監修・監訳者を気賀健三、古賀勝次郎などと務め、フリードリヒ・ハイエクの著作群の日本への紹介者として知られ、ミルトン・フリードマンの『選択の自由』の日本語訳を行い、一般向け著作も多く、日本におけるマネタリズムの樹立や自由主義経済の進展に尽くした。
道田 信一郎(みちだ しんいちろう、1924年8月7日 - … 道田 信一郎(みちだ しんいちろう、1924年8月7日 - 1988年6月10日)は、日本の法学者。専門は、英米法(特にアメリカ商取引法)、国際取引法。 長野県長野市出身。1945年8月陸軍士官学校第59期在学中に終戦。1949年京都大学法学部卒。 1953年京都大学法学部助教授、1962年「対米貿易売買法」で法学博士の学位を取得、教授に昇任。1980-1982年法学部長。1988年定年退官、名誉教授、姫路獨協大学法学部教授に就任。この間ミシガン大学、ハーバード大学などのロースクールで客員教授として国際取引法などを講義。1968年より国際連合国際商取引法委員会(UNCITRAL)の日本代表として「国際物品売買契約に関する国際連合条約」(CISG)の起草に尽力し、この条約を採択した1980年のウィーン外交会議では実質規定ラポルトゥールを務めた。
竹下 虎之助(たけした とらのすけ、1924年8月6日 - … 竹下 虎之助(たけした とらのすけ、1924年8月6日 - 2008年12月16日)は、日本の官僚・政治家。元広島県知事。島根県大田市出身。
米澤 義信(よねざわ よしのぶ、1924年8月6日 - 20… 米澤 義信(よねざわ よしのぶ、1924年8月6日 - 2017年10月9日)は、日本の経営者。本州製紙社長、会長を務めた。奈良県出身。 1947年に京都大学工学部繊維学科を卒業し、同年に王子製紙に入社。1949年6月に本州製紙に転じ、1979年11月に取締役に就任し、1980年6月に常務、1982年6月に専務を経て、1985年6月には副社長に就任し、1988年6月に社長に昇格。1994年6月に会長に就任し、1996年6月から相談役を務めた。 1999年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2017年10月9日老衰のために死去。93歳没。
平木 国夫(ひらき くにお、1924年8月6日 - 2012… 平木 国夫(ひらき くにお、1924年8月6日 - 2012年4月5日)は、飛行機、民間航空史に関する作品を専門とする石川県出身のノンフィクション作家。 石川県七尾市若林町生まれ。徳田小学校卒業、玉川学園中等部修了。千葉工業大学予科修了後、1946年3月中退。戦時中は大日本飛行協会横浜飛行訓練所で水上機の操縦訓練を受ける。学生長で学生助教の時に学鷲血盟特攻隊に編入されたが、終戦となり出撃せず。 GHQによる規制時期を経て民間航空の再開後に事業用操縦士免許を取得。伊藤忠航空輸送(伊藤忠商事の航空事業子会社)運航課長、日本航空機輸送の運航部長などを経て作家となる。『人間像』同人、航空大学校講師、航空ジャーナリスト協会副会長。
天野 益夫(あまの ますお、1924年8月4日 - 2019… 天野 益夫(あまの ますお、1924年8月4日 - 2019年3月23日)は、日本の経営者。静岡県出身。 1947年に京都大学工学部機械工学科を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。 1977年9月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1986年9月に顧問に就任した。その一方で、1985年3月に愛知製鋼社長に就任し、1993年3月に会長を経て、1996年6月から相談役を務めた。愛知県バスケットボール協会会長なども歴任。 1996年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 2019年3月23日老衰のために死去。94歳没。
平林 敏彦(ひらばやし としひこ、1924年8月3日 - 2… 平林 敏彦(ひらばやし としひこ、1924年8月3日 - 2025年4月6日)は、日本の詩人。草鹿 宏(くさか ひろし)の名で作家としても活動。 横浜市生まれ。横浜市立商業学校卒業。戦中に詩作をはじめ「四季」などに発表。戦後、第一次「ユリイカ」創刊と同時に編集に携わる。1993年、詩集『磔刑の夏』で富田砕花賞、2005年、『舟歌』で現代詩人賞、2009年、『戦中戦後 詩的時代の証言』で桑原武夫学芸賞受賞。2012年、第18回横浜文学賞受賞。2015年、『ツィゴイネルワイゼンの水邊』で小野十三郎賞受賞。 草鹿宏名義ではジュニア向けノンフィクション、漫画のノヴェライゼーションなどを書き、『翔べイカロスの翼』や『神様なぜ愛にも国境があるの』は映画化もされ話題になった。
北野 祐次(きたの ゆうじ、1924年8月3日 - 2013… 北野 祐次(きたの ゆうじ、1924年8月3日 - 2013年2月12日)は、日本の実業家。関西スーパーマーケットの創業者でもある。 大阪府出身。1941年に私立中外商業学校(現在の兵庫県立尼崎北高等学校)を卒業。大阪鉄道管理局での勤務を経て、1959年に関西スーパーマーケットを設立し、社長に就任。2002年4月には会長に就任。。 1985年4月に藍綬褒章を受章した。。 2013年2月12日、肺炎のために死去。88歳没。
高橋 安光(たかはし やすみつ、1924年8月3日 - 20… 高橋 安光(たかはし やすみつ、1924年8月3日 - 2008年3月8日)は、日本のフランス思想史研究者。専門はヴォルテール研究。 1924年、埼玉県生まれ。1947年に 東京大学文学部仏文科を卒業。その後は、一橋大学教授、東京国際大学教授をつとめた。 2008年3月8日、循環器不全のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山本 智子(やまもと さとこ、1924年8月2日 - 202… 山本 智子(やまもと さとこ、1924年8月2日 - 2022年9月2日)は、日本の声楽家。 大阪府出身、神戸女学院大学音楽部卒業。父は日本卓球協会名誉副会長で日本卓球界永年の功労者である山本弥一郎、夫は卓球の元日本チャンピオンの今孝。 関西二期会オペラ公演「泥棒とオールドミス」の主役でデビュー後、数多くのオペラに出演。NHKや民放にも数多く出演する。 卓球の元日本チャンピオン今孝と1945年に結婚し子供をもうけるが、1946年に夫と死別、2年後には長女を亡くす。 1996年から亡くなるまで「サルビア・ゾリステン」を主宰していた。 2022年7月21日に膝を骨折して入院、8月22日に退院したものの、一切食事をとらず、9月2日に老衰のため堺市の高齢者施設で死去した。
三浦 新市(みうら しんいち、1924年8月1日 - 201… 三浦 新市(みうら しんいち、1924年8月1日 - 2013年12月30日)は、日本の英文学者。 東京文理科大学卒、慶應義塾大学経済学部助教授、教授、1985年創価大学教授、2000年退任。英語教科書を多く書いたほか翻訳も行った。妻は三浦富美子。2013年(平成25年)12月30日午後3時29分、スキルス性胃がんのため鎌倉市内の病院で死去。最晩年に至るまで健康であったが、平成25年の11月になって体調不良を訴えて鎌倉市内の病院に入院し、そのまま亡くなった。無宗教を信条としたため戒名などはなく、鎌倉霊園にある墓には「三浦新市」とだけ記されている。
甲田 光雄(こうだ みつお、1924年(大正13年)8月1日… 甲田 光雄(こうだ みつお、1924年(大正13年)8月1日 - 2008年(平成20年)8月12日)は、日本の医師、医学博士。元・日本綜合医学会 会長。元・甲田医院(閉院)院長。断食療法の推進者で、難病治療に効果を上げた内科医である。 幼少期よりスポーツ万能で、旧制中学では相撲の選手で主将を務めるほどであったが、中学3年の時、慢性胃腸病で2年間休学。中学5年生時には黄疸を重症化させ3か月寝込み、急性肝炎を発症する。その後、快癒前に陸軍士官学校へ入学。後に慢性肝炎へと移行する。戦後、大阪大学医学部に入学するが、胆囊胆道炎、十二指腸炎、大腸炎などに次々と罹患。大阪大学病院へ入院し、治療を受けるも病状は改善せず、一進一退を続ける。
村沢 牧(むらさわ まき、1924年8月1日 - 1999年… 村沢 牧(むらさわ まき、1924年8月1日 - 1999年9月8日)は、日本の政治家、参議院議員(4期)。 長野県南信濃村(現飯田市)出身。大学入学資格検定を経て1954年中央大学法学部卒業。1949年から長野県下伊那地方事務所に勤務。1954年神稲(くましろ)森林組合常任理事となり、1963年長野県議会に初当選し、以後3期務めた。1975年社会党長野県本部書記長を経て、1977年第11回参議院議員通常選挙で日本社会党公認で初当選。予算委員、農業水産委員各理事、災害対策特別委員長などを歴任。 1992年社会党シャドーキャビネットでは農水相(後任は辻一彦)。1993年8月細川内閣で農水政務次官就任したが同年12月コメ自由化に反対し辞任。
松尾 俊治(まつお しゅんじ、1924年8月 - 2016年… 松尾 俊治(まつお しゅんじ、1924年8月 - 2016年2月5日)は、日本のジャーナリスト、新聞記者、野球選手。 兵庫県出身。旧制灘中学校から慶應義塾大学に進学。野球部では捕手として活躍し、出陣学徒壮行早慶戦、いわゆる「最後の早慶戦」を経験した。 大学卒業後は毎日新聞に入社。運動部記者としてアマチュア野球を担当。東京六大学野球公式記録員、日本アマチュア野球規制委員や日本野球連盟参与、関東野球連盟顧問を歴任。毎日新聞社名誉職員。 笠原和夫との共著である『最後の早慶戦』は後に映画化された。
田名網 英二(たなあみ えいじ、1924年7月30日 ‐ 1… 田名網 英二(たなあみ えいじ、1924年7月30日 ‐ 1988年10月13日)は、栃木県出身のプロ野球選手、高校野球指導者。 1924年に小山市で生まれる。栃木県立栃木商業高等学校、法政大学、いすゞ自動車でプレーし、1950年に西日本パイレーツに入団。二塁手または遊撃手としてプレーし、26盗塁を記録するも、同年チームが解散し、田名網も肋骨骨折の影響で僅か1年で現役を引退した。 引退後の1953年に山梨県立甲府工業高等学校の監督に就任。25年間で春2回、夏3回本大会に出場。特に1966年の第48回全国高等学校野球選手権大会では深沢修一や西村公一らを率いて県勢初のベスト8に進出した。1985年に教え子でもある原初也に同校の監督業を譲り、勇退。
石川 尚任(いしかわ ひさただ、1924年7月30日 - 没… 石川 尚任(いしかわ ひさただ、1924年7月30日 - 没年不明)は、埼玉県出身の元プロ野球選手。 大宮工業高校から東京鉄道管理局を経て、1950年に設立された国鉄スワローズへ入団。1952年に引退。
和田 一仁(わだ かずひと、1924年7月30日 - 201… 和田 一仁(わだ かずひと、1924年7月30日 - 2010年12月8日)は、衆議院議員(5期)。元民社党副書記長。 東京都生まれ。明治大学卒業。商工省に入り、その後西尾末広の秘書を経て、1969年の第32回衆議院議員総選挙と1972年の第33回衆議院議員総選挙に埼玉1区から民社党で立候補するが、落選。1979年の第35回衆議院議員総選挙で選挙区を埼玉5区に移し、初当選。以後連続5回当選。1981年、民社党統制委員。1993年の第40回衆議院議員総選挙で落選し、政界引退。1994年、勲二等瑞宝章受章。2010年、多臓器不全のため死去。
江熊 要一(えぐま よういち、1924年7月29日 - 19… 江熊 要一(えぐま よういち、1924年7月29日 - 1974年1月27日)は、日本の精神科医。生活臨床の創始者。群馬大学助教授。 1924年東京に生まれる。群馬大学医学部卒業。 佐久総合病院で始めた療法が注目され、台弘教授がいた群馬大学に助教授として迎えられる。 1958年、群馬大学より医学博士の学位を取得、論文の題は「精神分裂病患者で試みた脳髓アレルギー性侵襲の臨床的研究 」。 1974年1月の新人医師の結婚披露宴で来賓祝辞をスピーチ中、心筋梗塞で倒れ急死する。享年51(満49歳)。
鎗田 清太郎(やりた せいたろう、1924年7月29日 - … 鎗田 清太郎(やりた せいたろう、1924年7月29日 - 2015年8月31日)は、日本の詩人、編集者。 東京生まれ。1949年國學院大學文学部哲学科卒。角川書店に勤務、1957年に編集部次長で退社、知性社出版部長、表現社出版部長、新人物往来社編集局長。1995年日本現代詩人会会長。詩誌『火牛』代表。2002年『思い川の歌』で丸山薫賞受賞。
小林 宏武(こばやし ひろむ、1924年7月29日 - 20… 小林 宏武(こばやし ひろむ、1924年7月29日 - 2009年7月10日)は、日本の経営者、銀行家。山梨中央銀行頭取を務めた。位階は従5位。 山梨県出身。1944年に名古屋高等商業学校(現名古屋大学)を卒業し、1947年5月に山梨中央銀行に入行。1978年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1984年6月に専務を経て、1991年6月には頭取に就任。1995年6月に会長を経て、2001年6月から2002年6月まで相談役を務めた。 甲府商工会議所会頭、山梨県銀行協会理事会長、山梨県長期計画審議会会長、山梨県行政改革委員会会長、甲府ファッション協会会長を務めた。 2000年に勲四等旭日章を受章、山梨県県政特別功績者に選ばれている。
塩田 丸男(しおだ まるお 1924年7月27日 - )は、… 塩田 丸男(しおだ まるお 1924年7月27日 - )は、日本の作家・評論家である。
品川 正治(しながわ まさじ、1924年7月26日 - 20… 品川 正治(しながわ まさじ、1924年7月26日 - 2013年8月29日)は、元・日本火災海上保険(現損害保険ジャパン)会長で、経済同友会終身幹事、財団法人国際開発センター会長。財界人としては珍しく、新自由主義的な経済政策への批判、平和主義・護憲の立場から発言や運動を行っていた。「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会」(全国革新懇)の代表世話人。 兵庫県神戸市出身。第二次世界大戦中の1944年12月、旧制神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)卒、旧制第三高等学校在学中に大日本帝国陸軍に召集され、中国戦線に出兵する。戦闘で負傷し、散弾の破片を体内に残していた。中国で二等兵のまま終戦を迎え、抑留の後、1946年に復員。
木崎 良平(きざき りょうへい、1924年7月25日 - 2… 木崎 良平(きざき りょうへい、1924年7月25日 - 2005年8月15日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。 兵庫県神戸市出身。戦前に在学中に高等文官試験司法科に合格し、学徒動員で満洲に行くも、病気となり療養所で敗戦。ソ連に抑留されたが脱走して、苦労を重ねながら日本に帰還した。京都大学法学部卒業後の1951年に弁護士登録。大阪弁護士会会長、日弁連副会長、法制審議会委員などを歴任した。 1990年9月に最高裁判事に就任。1990年衆院選を一票の格差訴訟で「違憲状態」としつつ有効とした大法廷判決に対し、「2倍以上で違憲状態、1年以内に定数が是正されなければ選挙を無効にするべき」とする反対意見を述べた。
大中 恩(おおなか めぐみ、1924年7月24日 - 201… 大中 恩(おおなか めぐみ、1924年7月24日 - 2018年12月3日)は、日本の作曲家。男性。土田藍(つちだ あい)という筆名で、自身の歌の作詞も手がけている。 父は『椰子の実』の作曲者である大中寅二。詩人、作家の阪田寛夫は従弟に当たる。 父親が霊南坂教会のオルガニスト兼合唱指揮者であったことから、歌を愛好するようになった(聖歌隊の女の子に惹かれたからだとも語っている)。1942年に東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)本科作曲部に入学し、信時潔に作曲を、橋本國彦に管弦楽法を、細川碧に対位法を師事した。1943年の混声合唱曲『わたりどり』(詩:北原白秋)は戦地で果てる覚悟で書いたという。
金子 徳好(かねこ とくよし、1924年7月24日 - 20… 金子 徳好(かねこ とくよし、1924年7月24日 - 2007年11月26日)は、反戦活動家・平和活動家・ミニコミ研究家である。 東京都渋谷区に生まれる。東京高等農林学校(現・東京農工大学)中退。 戦後渋谷でローカル新聞を主宰。労組書記(全銀連)を経て、日本機関紙協会勤務。 1965年、「アメリカはベトナムから手をひけ」を書いたゼッケンをつけて8年間にわたり通勤。その記録として『ゼッケン8年』(朝日新聞社)を1974年に刊行している。 1981年10月には核廃絶を訴え再びゼッケン通勤を始め、1984年の広島原爆忌まで続けられた。 退職後は地域のミニコミに力を入れ、地域からの平和運動を研究・促進。
東中 光雄(ひがしなか みつお、1924年7月23日 - 2… 東中 光雄(ひがしなか みつお、1924年7月23日 - 2014年8月7日)は、日本の元政治家。日本共産党所属の衆議院議員(日本共産党中央委員会委員)。弁護士(大阪弁護士会)。
清水 純一(しみず じゅんいち、1924年7月23日 - 1… 清水 純一(しみず じゅんいち、1924年7月23日 - 1988年11月1日)は、日本のイタリア文学者。京都大学名誉教授。専攻はイタリア・ルネサンス期文化(ルネサンス文学・哲学史)、特に異端とされたジョルダーノ・ブルーノを研究し、訳・紹介した。 1924年、福井県福井市生まれ。京都帝国大学に入学するも、学徒出陣経て、1949年京都大学文学部哲学科を卒業。同大学大学院を修了。イタリア・フィレンツェやロンドンに留学し、研鑽を積んだ。 帰国後は広島大学助教授に着任。1968年、京都大学文学部イタリア文学科助教授に転任し、1973年に教授昇進。後に文学部学部長として、学園紛争の処理に当たった。多くの後進を育成し、日本でのルネサンス研究をより幅広く多様なものにしたが、1988年に京都大学定年退官後、間もなく病没した。
一戸 豊信(いちのへ とよのぶ、1924年(大正13年)7月… 一戸 豊信(いちのへ とよのぶ、1924年(大正13年)7月23日 - 2014年(平成26年)3月24日)は日本の実業家、元室蘭民報社社長。北海道室蘭市出身。 その他、室蘭市教育委員(1978年から1995年まで)・NHK番組審査委員・室蘭保健所保健協議会委員・室蘭市労働問題審議会委員・室蘭交通安全協会理事・室蘭市中央卸売市場開設運営協議会委員・室蘭防犯協会理事・室蘭剣道連盟会長などを歴任。
竹内 芳郎(たけうち・よしろう 1924年7月22日 - 2… 竹内 芳郎(たけうち・よしろう 1924年7月22日 - 2016年11月19日)は、日本の哲学者。専攻は西洋哲学。討論塾主宰。元國學院大學教授。 岐阜県出身。在学中に応召、1952年東京大学文学部哲学科卒。1955年國學院大學専任講師、1960年助教授、1967年教授、1991年退職。 現実が突きつけてくる課題に対応する思想を提示し、現代世界におけるアクチュアルな問題に対して発言し続けている哲学者である。また、サルトル、メルロ=ポンティの著作の紹介者としても知られていた。 中国文化大革命に際しては、『展望』1967年11月号「文化大革命の思想的意義 マルクス主義の視点より」で文化大革命を絶賛したことで知られる。
喜田川 信(きたがわ しん、1924年7月20日 - )は、… 喜田川 信(きたがわ しん、1924年7月20日 - )は、日本の牧師、神学者。熊本県出身。 慶應義塾大学文学部哲学科、同志社大学神学部卒業後、フラー神学校、テュービンゲン大学留学を経て、日本ナザレン教団を代表する神学者として多くの著作活動を行っており、日本ナザレン教団横浜教会牧師。日本基督教短期大学の学長も歴任した。 ジェームズ・バー(英語版)の『ファンダメンタリズム-その聖書解釈と教理』を訳したことが福音派で問題となった。日本の福音派を代表する機関である日本福音同盟は「偏見に基づいた福音派攻撃の本」がナザレン教団の指導者によって翻訳、出版されたことは重いとしている。これら聖書の無誤性についての聖書論論争を経て、喜田川の立場とは異なる全的無誤性が福音派の合意として確認された。
田辺 栄吉(たなべ えいきち、1924年(大正13年)7月2… 田辺 栄吉(たなべ えいきち、1924年(大正13年)7月20日 - 2017年(平成29年)4月6日)は、日本の政治家。青梅市長。 東京府西多摩郡青梅町(現在の東京都青梅市)生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。卒業後は釜屋取締役となり、のち代表取締役となる。その後、青梅市議会議員となる。1973年6月13日から1975年4月30日まで、第15代青梅市議会副議長を務め、1977年6月6日から1979年4月30日まで第16代青梅市議会議長を務めた。1987年、田辺は自民党・公明党・民社党から推薦を受け、青梅市長選挙に立候補した。共産党推薦の元市議吉永洋司という新人同士の一騎打ちとなったが、前市長山崎正雄の政策引き継ぎを訴えた田辺が7割以上を得票する大差で初当選した。
松登 晟郎(まつのぼり しげお、1924年7月20日 - 1… 松登 晟郎(まつのぼり しげお、1924年7月20日 - 1986年4月21日)は、千葉県東葛飾郡松戸町(現在の松戸市松戸)出身で大山部屋に所属した大相撲力士。本名は永井福太郎(ながい ふくたろう)。最高位は西大関。身長172cm、体重154kg。得意技は押し、左四つ、寄り、吊り。 小学校3年の時には既に体重16貫(60kg)に達し、関脇・髙登から小学校卒業の折には「ぜひとも私の所に弟子入りさせてほしい」と頼まれたという。その後引退して年寄・大山を襲名した髙登から再度勧誘され入門、1941年(昭和16年)1月場所で初土俵を踏んだ。四股名は故郷・松戸市と師匠の現役名・髙登にちなんでつけられた。当時「大山親方がすごいのを連れて来たらしい」と評判になった。
沼田 曜一(ぬまた よういち、1924年(大正13年)7月1… 沼田 曜一(ぬまた よういち、1924年(大正13年)7月19日 - 2006年(平成18年)4月29日)は、日本の俳優。本名:美甘 正晴(みかも まさはる)。岡山県真庭郡湯原村出身。
本山 幸彦(もとやま ゆきひこ、1924年7月19日 - 2… 本山 幸彦(もとやま ゆきひこ、1924年7月19日 - 2022年2月20日)は、教育史・思想史学者、京都大学名誉教授。 大阪府生まれ。1949年京都帝国大学文学部哲学科卒。京都大学教育学部助教授、教授、1988年定年退官、名誉教授、関西大学教授。1995年退任。
中村 勝己(なかむら かつみ、1924年7月19日 - 20… 中村 勝己(なかむら かつみ、1924年7月19日 - 2013年7月26日)は、日本の経済史研究者。慶應義塾大学名誉教授。アメリカ合衆国の経済史(資本主義成立史)研究を端緒に、ピューリタニズムおよび近代資本主義の宗教社会学的研究、自らの信仰の基盤である無教会主義キリスト教の歴史的研究などを行った。 中村研究会出身者には蔭山宏慶應義塾大学名誉教授などがいる。 父は医師中村勝屋、母佐多子(旧姓山本、山本協一は実兄)、妻は植物学者矢部吉禎の四女花子、長男は古代オリエント学者・ヒッタイト学者で元山陽学園大学教授の中村光男。 内村鑑三 · 静子 · ルツ子 · 祐之 · 美代子 · 南原繁 · 矢内原忠雄 · 畔上賢造 · 坂田祐 · 斎藤宗次郎 · 塚本虎二 · 中村勝己 · 高谷道男 · 藤井武 · 鈴木弼美 · 関根正雄 · 星野鉄男 · 三谷隆正 · 松田享爾 札幌バンド(1877-1881) · 不敬事件(1891) · 東京独立雑誌(1898-1900) · 夏期講談会(1900-1902) · 聖書之研究(1900-1930) · モアブ婦人会(1913-) · 角筈聖書研究会(1902-1930) · 教友会(1905-1918) · 今井館(1906-) · 柏会(1909-1916) · 白雨会(1911-1918) · 柏木兄弟団(1918-1921) · 再臨運動(1918-1919) · 洗足会(1923-) 基督信徒の慰(1893) · 求安録(1893) · 余は如何にして基督信徒となりし乎(1895) 基督教独立学園高等学校 · キリスト教愛真高等学校 · 愛農学園農業高等学校
倉西 正武(くらにし まさたけ、1924年7月19日 - 2… 倉西 正武(くらにし まさたけ、1924年7月19日 - 2021年6月22日)は、日本の数学者。コロンビア大学名誉教授。名古屋大学卒。理学博士(名古屋大学、1952年)。専門は複素幾何学、複素解析、偏微分方程式。 1924年東京生まれ。東京工業大学助手を経て、1952年名古屋大学助教授。1954年から渡米し、プリンストン高等研究所(IAS)、シカゴ大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)、プリンストン大学等の客員研究者を務める。1957年名古屋大学教授。1961年コロンビア大学教授。1999年退職、同 名誉教授。コロンビア大学に於いて大規模記念集会が1994年、2005年に開催されている。指導教員は中山正。
草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7… 草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7月18日 - 2002年(平成14年)7月22日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、ジャーナリスト。 妻はきもの研究家の石川あき(本名は草柳アキ、1927年 - )。長女はテレビキャスターの草柳文惠。 神奈川県横浜市鶴見区出身。横浜二中、旧制府立高校を経て、1945年(昭和20年)に東京帝国大学へ入学した。間もなく学徒出陣となり、特攻隊員(特別操縦見習士官)を志願する。敗戦後は復学し、1948年(昭和23年)に東京大学法学部政治学科を卒業(在学中に改称)した。 八雲書店に入社し、編集者として『中野重治国会演説集』などを手がけるが、1949年(昭和24年)に人員整理で退職し、自由国民社編集者、産経新聞記者(経済担当)等を経験した。
西宮 一民(にしみや かずたみ、1924年7月18日 - 2… 西宮 一民(にしみや かずたみ、1924年7月18日 - 2007年5月6日)は、日本の国文学者・国語学者。皇學館大学元学長。 奈良県桜井市出身。生家は談山神社の社家であった。 1942年に奈良県立奈良中学校を卒業。1944年に神宮皇學館大學予科修了、神宮皇學館大學古典科専攻入学と同時に陸軍特別幹部候補生となる。1946年に神宮皇學館大學が廃学となったので、京都帝国大學文学部転入学。澤瀉久孝に師事。1949年に卒業後、京都大学大学院入学、近畿大学附属高等学校教諭となる。 1952年に帝塚山学院短期大学講師、1954年に京都大学大学院退学、帝塚山学院短期大学助教授。1962年に皇學館大学教授。1994年に皇學館大学学長、「古事記の研究」で博士(文学)(京都大学)の学位を取得。
金山 明(かなやま あきら、1924年7月17日 - 200… 金山 明(かなやま あきら、1924年7月17日 - 2006年9月2日)は、日本の画家・現代美術家。 1924年7月17日、兵庫県尼崎市に生まれる。 具体美術協会の初期メンバーであった。妻は同じく美術家の田中敦子。1947年に多摩美術大学を中退し、大阪市立美術研究所で学んだ。グタイミニピナコテカ、ギャラリーHAM等で作品を発表した。 2006年9月2日、肺癌のため死去。82歳没。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
山田 譲(やまだ ゆずる、1924年7月16日 - 2011… 山田 譲(やまだ ゆずる、1924年7月16日 - 2011年6月24日)は、日本の政治家。日本社会党参議院議員(1期)。86歳没。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1948年東京大学法学部政治学科卒。北海道庁に勤務した後、1951年労働省に入る。年少労働課長、群馬労働基準局長などを歴任し、1976年の群馬県知事選に革新系候補として立候補したが落選した。その後1980年の第12回参議院議員通常選挙で日本社会党公認で立候補して当選した。党内では政審副会長を務めた。1期務めた1986年に引退。この他、雇用促進事業団総務部長、群馬県労生協理事長、日本大学講師なども務めた。
宇佐美 龍夫(うさみ たつお、1924年7月15日 - 20… 宇佐美 龍夫(うさみ たつお、1924年7月15日 - 2026年3月6日)は、日本の地震学者。専門分野は、理論地震学・歴史地震学。学位は、理学博士(東京大学・1960年)。東京大学名誉教授。
関 楠生(せき くすお、1924年7月15日 - 2014年… 関 楠生(せき くすお、1924年7月15日 - 2014年7月3日)は、日本のドイツ文学者、超常現象研究者。東京大学・獨協大学名誉教授。正四位、瑞宝中綬章。 1924年、ドイツ文学者・関泰祐の任地であった静岡県で生まれた。旧制武蔵高等学校を経て、東京大学独文科に進学。1946年に卒業。 卒業後は教員となり、松本高等学校講師、水戸高等学校教授を務めた。1950年、千葉大学助教授に就いた。1952年、東京学芸大学助教授に転じた。1954年より1955年まで、ドイツ・ミュンヘン大学に留学し、帰国後の1956年に武蔵中学校・高等学校講師となった(1965年まで)。 1959年、東京大学教養学部助教授に就いた。
橋口 寛(はしぐち ひろし、1924年(大正13年)7月15… 橋口 寛(はしぐち ひろし、1924年(大正13年)7月15日 - 1945年(昭和20年)8月18日)は、日本の海軍軍人。海兵72期。太平洋戦争の末期、人間魚雷「回天」の搭乗員となるが出撃する機会を得ず、終戦後自決した。最終階級は海軍大尉。 1924年(大正13年)7月15日に鹿児島県鹿児島市上荒田町にて、橋口盛秀の長男として生まれる。荒田尋常高等小学校から旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校へ進学したが、1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が開戦すると、橋口が通っていた学校でも例外なく軍事教練が厳しさを増していった。国の存亡を決定づける大戦を感じていた成績優秀な橋口は、迷うことなく卒業後に海軍兵学校(72期)への進学を決断した。
丸山 弘志(まるやま ひろし、1924年(大正13年)7月1… 丸山 弘志(まるやま ひろし、1924年(大正13年)7月15日 - 2007年(平成19年)10月10日)は、日本の運輸官僚、超電導リニア研究者、鉄道技術者、鉄道工学者、交通工学者、安全工学者、生産工学者、機械工学者、精密工学者、工学博士。元日本国有鉄道鉄道技術研究所所長、元科学技術庁参与、元文部科学省参与、元材料技術研究協会理事、元研友社顧問、元日本規格協会評議員、日本機械学会名誉員、東京理科大学名誉教授。弟の桑名昭治は桑名病院2代目院長。
桑原 住雄(くわばら すみお、1924年7月15日 - 20… 桑原 住雄(くわばら すみお、1924年7月15日 - 2007年12月15日)は、日本の美術評論家。 広島県広島市生まれ。幼少時、両親とともに台湾に渡り旧制台北高校から東京帝国大学に進む。三重海軍航空隊を経て広島で原爆投下により被爆。戦後復学して美術史を専攻。同大学院修了ののち東京新聞社勤務を経て朝日新聞社企画部に入社。1977年筑波大学教授に転じ、その後武蔵野美術大学教授に就任。世田谷美術館開設準備委員など数多くの美術館運営にも参画した。 1993年、脳出血に倒れ療養生活に入り、2007年12月15日心不全で死去。 美術記者として戦後の美術界を精力的に取材してまわった一方、1960年代初頭には米国務省の招聘で渡米し、アメリカ美術の紹介でも先駆的役割を果たした。
鈴木 五郎(すずき ごろう、1924年7月13日 - )は、… 鈴木 五郎(すずき ごろう、1924年7月13日 - )は、日本の航空評論家、航空史研究家。 京都府加佐郡中舞鶴町(現・舞鶴市)生まれ。1943年大日本飛行協会横浜飛行訓練所(学生航空連盟)で水上機の操縦訓練を受ける。1944年8月三重海軍航空隊2期飛行予備生徒隊に入隊。 1948年9月東京大学文学部を卒業。小学館児童編集部を経て読売新聞社出版局に勤務。1979年定年退職。
土屋 圭造(つちや けいぞう、1924年7月12日 - 20… 土屋 圭造(つちや けいぞう、1924年7月12日 - 2013年11月9日)は、日本の農業経済学者。 静岡県駿東郡長泉町出身。1950年、東京大学農学部を卒業した。1962年、論文「農業経済の計量的分析」で農学博士号を取得。東大助手、九州大学農学部助教授を経て、1973年に教授に就任した。1988年に定年退官し、名誉教授となる。同年より流通経済大学教授に就任。日本農業経済学会会長を務めた。
多田 美波(ただ みなみ、1924年7月11日 - 2014… 多田 美波(ただ みなみ、1924年7月11日 - 2014年3月20日)は、日本の彫刻家。 台湾高雄市生まれ。1944年女子美術専門学校(現・女子美術大学)師範科西洋画部卒業。1958年二科展入選、1960年二科展特選。1962年に多田美波研究所を設立し代表に就任。 光の反射を用いた抽象的立体造形作品を制作。アルミニウムを叩き、シワをつけ半球状型に造形した「周波数」シリーズは代表作。昭和期・平成期を代表する立体造形作家である。 皇居新宮殿、帝国ホテル、リーガロイヤルホテル、在米日本国大使公邸(ワシントンD.C.)、外務省飯倉別館(公館)、河内長野市庁舎、などの室内・構内装飾や、壁面作品(レリーフ)を数多く手掛けた他、立体造形作品を制作した。
土肥 美夫(どひ よしお、1924年7月8日 - 1989年… 土肥 美夫(どひ よしお、1924年7月8日 - 1989年12月3日)は、日本の美術史学者。京都大学名誉教授。 1924年、京都府生まれ。京都大学文学部哲学科で学び、1949年に卒業。 同志社大学商学部助教授の後、京都大学教養部教授に転じた。1988年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は京都外国語大学教授として教鞭を執ったが、在職中に死去。
服部 正明(はっとり まさあき、1924年7月8日 - )は… 服部 正明(はっとり まさあき、1924年7月8日 - )は、日本の仏教学者、古代インド哲学研究者。 1924年、東京で生まれた。父は洋画家で漫画家の服部亮英。京都帝国大学文学部哲学科に入学し、長尾雅人に師事し、卒業。 1961年、京都大学文学部助教授に就いた。1973年に教授昇格。同僚には、梶山雄一、柳田聖山、大地原豊がいた。1988年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。学界では、1997年から2003年まで、東方学会の理事長を務めた(第26~28期)。 専門はインド哲学史。論文の多くは外国語で出されている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。