藤井 久仁江(ふじい くにえ、1933年〈昭和5年〉8月15… 藤井 久仁江(ふじい くにえ、1933年〈昭和5年〉8月15日 - 2006年〈平成18年〉9月12日) は、箏曲家。 生田流箏曲・地歌の第一人者。人間国宝。元東京芸術大学客員教授。 幼少より母・阿部桂子に箏を学び、のちに宮城道雄に学ぶ。また、九州系地歌を川瀬里子から学んだ。 1955年NHK邦楽技能者育成会第一期卒業。2002年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。 研究熱心で曲の解釈に優れ、堅実で正確な地歌の演奏家として知られる。 文化庁芸術祭大賞の他、受賞多数。海外での演奏もフランス・ドイツ・イタリア、アメリカをはじめ各地で行った。 98年まで東京芸術大学客員教授、また一門の「銀明会」を主催し、後進の育成にも努めた。
常松 克安(つねまつ かつやす、1933年8月15日 - )… 常松 克安(つねまつ かつやす、1933年8月15日 - )は、日本の政治家、元公明党参議院議員(1期)。 三重県出身。三重県立松阪北高等学校(現在の三重県立松阪工業高等学校)卒。松阪市議、公明党三重県本部書記長、副本部長、本部長、党中央委員を経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙に比例区から公明党公認で立候補したが落選した。 1989年の第15回参議院議員通常選挙で比例区から立候補して当選する。1994年、新進党結党に参加。参議院議員を1期務め、1995年に政界を引退した。 2003年、救急救命士制度の導入に尽力した議員経験者として、NHK総合のドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』から取材を受けた。
長谷雄 幸久(はせお ゆきひさ、1933年8月14日 ‐ 2… 長谷雄 幸久(はせお ゆきひさ、1933年8月14日 ‐ 2013年12月3日) は、日本の政治家。公明党衆議院議員(2期)。弁護士。 大分県別府市出身。1961年日本大学法学部卒。卒業後は東京銀行に勤務する。その後、司法試験に合格し、弁護士になる。1976年の第34回衆議院議員総選挙で東京11区から公明党公認で立候補して初当選。2期務める。1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。政界を引退した。落選後は特許事務所を開いた。 2007年3月に中央選挙管理会予備委員、その後2013年3月より中央選挙管理会委員に任命されたが、同年12月3日に死去した。80歳没 。
仁科 和雄(にしな かずお、1933年8月13日 - 202… 仁科 和雄(にしな かずお、1933年8月13日 - 2023年7月16日)は日本の実業家。元髙島屋代表取締役会長。 東京都立大泉高等学校を経て、一橋大学卒業。大学時代は準硬式野球部に所属、大学4年時には東都大学一部リーグ戦で準優勝した。 三和銀行副頭取を経て、1993年髙島屋代表取締役副社長就任。横浜高島屋との合併を指揮した。仁科は次期社長とみられていたが、その後、高島屋商法違反事件が起き、事件当時総務統括の代表取締役であったことため社長就任が困難になり、代表取締役会長に就任。1996年にはタカシマヤタイムズスクエアを開設。高島屋相談役、特別顧問、特別区人事委員会委員、自由時間倶楽部代表等も務めた。
小田 富士雄(おだ ふじお、1933年8月13日 - )は、… 小田 富士雄(おだ ふじお、1933年8月13日 - )は、日本の考古学者。学位は、文学博士(九州大学・論文博士・1980年)(学位論文「九州考古学研究 歴史時代篇」)。福岡大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。福岡県立小倉高等学校卒、1957年九州大学文学部史学科卒業。1960年同大学院博士課程中退、九州大学文学部助手、1971年別府大学文学部助教授。1980年「九州考古学研究 歴史時代篇」で九州大学より文学博士の学位を取得。1983年北九州市立考古博物館館長。1988年福岡大学人文学部教授。1995-1999年下関市立考古博物館館長を兼ねる。2004年福岡大学定年退職、名誉教授。1977年西日本文化賞団体賞、1992年『日韓交渉の考古学』で雄山閣考古学賞受賞。
長谷川 常雄(はせがわ つねお、1933年8月13日 - 2… 長谷川 常雄(はせがわ つねお、1933年8月13日 - 2019年4月27日)は、日本の実業家。キューサイの創業者。京都府京都市出身。 1957年に同志社大学商学部を卒業し、同年に大沢商会に入社。1963年に退社し、煎餅の製造・販売事業を開始し、1965年10月には福岡市で菓子製造販売会社長老製菓(のちのキューサイ)を創業し、2006年5月までに社長を務めた。1982年にはのちの主力商品となる「青汁」を製造・販売を開始。らでぃっしゅぼーや会長も務めた。 2019年4月27日、死去。85歳没。
松尾 文夫(まつお ふみお、1933年8月12日 - 201… 松尾 文夫(まつお ふみお、1933年8月12日 - 2019年2月25日)は、日本のジャーナリスト。東京都出身。 祖父は、二・二六事件で岡田啓介内閣総理大臣の身代わりとなった岡田の義弟、松尾伝蔵大佐。よって岡田は大伯父にあたる。父は、元陸軍大佐で東京ピアノ工業創業者の松尾新一。伯父に政治家の迫水久常や伊藤忠会長の瀬島龍三がいる。 上皇明仁の学友でもあり、学習院では一年間を清明寮(東京・白金の学習院大学キャンパス内に戦後、高等科に進学した皇太子(上皇)のために造られた学生寮)の二人部屋で暮らしたが、生前に周囲にそのことを明かすことはほとんどなかったという。1956年3月、学習院大学政経学部政治学科卒業。
藤瀬 浩司(ふじせ ひろし、1933年8月12日 - )は、… 藤瀬 浩司(ふじせ ひろし、1933年8月12日 - )は、日本の経済史学者、名古屋大学名誉教授。 広島県広島市生まれ。1956年東京大学経済学部卒、1961年同大学院社会科学研究科博士課程満期退学、1964年「プロシャ農業 土地所有の構造的特質 「農民解放」の歴史的地位」で経済学博士。東京大学社会科学研究所助手ののち、名古屋大学経済学部講師となり、助教授を経て、1977年教授。1989年経済学部長。1991年経済構造研究センター長。1997年定年退官、名誉教授、愛知淑徳大学教授を務めた。 名大生協の理事を務め、1975年名古屋大学出版会の設立に尽くした。 2012年4月瑞宝中綬章受章。
山村 喜晴(やまむら よしはる、1933年8月12日 - 1… 山村 喜晴(やまむら よしはる、1933年8月12日 - 1997年3月6日)は、日本の経済ジャーナリスト。 富山県出身。筆名・大河健太郎。1957年一橋大学経済学部卒、毎日新聞社入社。経済部副部長、編集委員、77年論説委員。定年後、富山国際大学教授を務めた。
金山 良雄(かなやま よしお、朝: 가나야마 요시오, 19… 金山 良雄(かなやま よしお、朝: 가나야마 요시오, 1933年8月12日 - )は、株式会社ムラサキスポーツ代表取締役会長、JTJ宣教神学校理事長。恵友学園理事長。明治学院大学卒業。在日韓国人。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
廣松 渉(ひろまつ わたる、男性、1933年8月11日 - … 廣松 渉(ひろまつ わたる、男性、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は、日本の哲学者、東京大学名誉教授。
新崎 盛善(あらさき せいぜん、1933年8月11日 - 2… 新崎 盛善(あらさき せいぜん、1933年8月11日 - 2019年5月9日)は、日本の銀行家。 沖縄県出身。1958年に大阪商科大学商経学部を卒業し、同年に沖縄銀行に入行。1982年6月に取締役に就任し、1985年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1993年6月に頭取に就任。1998年6月に会長に就任し、2002年6月には相談役に退いた。 2019年5月9日に老衰のために死去。85歳没。
北村敬(きたむら たかし、1933年8月11日- )は、日本… 北村敬(きたむら たかし、1933年8月11日- )は、日本のウイルス学者。学位は医学博士。国立予防衛生研究所(現 国立感染症研究所)ウイルス第一部長などを歴任した。神奈川県秦野市出身。
久野 暲(くの すすむ、1933年(昭和8年)8月11日 -… 久野 暲(くの すすむ、1933年(昭和8年)8月11日 - )は、日本の言語学者、著作家。ハーバード大学名誉教授。 英語学者・愛知県立女子大学学長となった久野朔郎の子として東京に生まれる。哲学者の久野昭や、経済学者・元兵庫県副知事の小笠原暁は実兄。のちに小笠原暁とともにロゴヴィスタを起業。 服部四郎の指導のもと、1956年東京大学文学部言語学科卒、1958年同大学院修士課程修了。大学院修了後は研究の焦点をドラヴィダ語に当てた。その後、初期のチョムスキー信奉者の一人である黒田成幸の影響を受け、変形文法の研究をはじめる。1960年、機械翻訳のプロジェクトのためハーバード大学に着任した。1964年にハーバード大学で博士号を取得して以降、同大学で言語学研究に従事する。
赤井 士郎(あかい しろう、1933年8月11日 - )は、… 赤井 士郎(あかい しろう、1933年8月11日 - )は、日本の経営者。三井ホーム社長を務めた。 富山県出身。1956年に武蔵大学経済学部経済学科を卒業し、同年に三信建物に入社。1960年に三井不動産に転じ、1977年に三井ホーム常務に就任し、1983年6月に専務を経て、1991年6月に社長に就任。1999年6月に会長に就任し、2002年4月に取締役相談役に就任。 1998年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鄭大聲(ちょん でそん、1933年8月10日- )は、在日韓… 鄭大聲(ちょん でそん、1933年8月10日- )は、在日韓国人の朝鮮料理研究家、滋賀県立大学名誉教授。 京都府生まれ。本籍、韓国慶尚南道。1961年大阪市立大学大学院理学研究科修士課程修了。77年「黒カビAspergillus nigerのアミラーゼ系,特に耐酸性α-アミラーゼに関する研究」で理学博士。モランボン(株)研究所所長、国立民族学博物館共同研究員、大阪経済法科大学客員教授、滋賀県立大学人間文化学部教授、97年定年退官、名誉教授。
山崎 高司(やまざき こうじ、1933年8月10日 - )は… 山崎 高司(やまざき こうじ、1933年8月10日 - )は、日本の大蔵官僚。国際通貨基金(IMF)理事、日本総合研究所副理事長などを務めた。 東京府出身。成城中学校・高等学校から東京大学に入学。同大学法学部を卒業し、1957年 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。1959年9月からエジンバラ大学で財政学を学び、博士号を修得した。1964年7月 小石川税務署長。 1977年6月 近畿財務局総務部長。1978年6月26日 理財局国庫課長。1980年6月25日 関税局国際第一課長。 1981年5月20日 外務省在英国大使館公使。1984年6月29日 大臣官房審議官(関税局担当)。1986年6月30日 大臣官房付。
小番 宜一(こつがい よしかず、1933年8月10日 - 2… 小番 宜一(こつがい よしかず、1933年8月10日 - 2021年1月24日)は、日本の政治家。秋田県本荘市長(2期)、秋田県議会議員(1期)、本荘市議会議員(3期)、由利本荘市議会議員(1期)。 秋田県由利郡子吉村(のち本荘市、現・由利本荘市)出身。1949年、子吉村立子吉中学校卒。1971年、本荘市議に当選、3期務める。市議会副議長も務めた。 1983年、本荘市長選挙に立候補して、無投票の8選を目指した現職の佐藤憲一をわずか9票差で破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 1987年に再選を果たした。1991年には3期目を目指したが、元秋田県職員の柳田弘に敗れた。
黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ、1933年8月9日 - )は… 黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ、1933年8月9日 - )は、日本の女優、タレント、テレビ司会者、エッセイスト。愛称は、トットちゃん、チャック。 吉田名保美事務所所属。日本史上最初のテレビ出演者のひとりで、ニュースショーのキャスターや、トーク番組の司会を女性では初めて務めた。日本芸術院会員。1984年から現在までユニセフ親善大使。 日本でテレビの放送を開始した初日(1953年2月1日)からテレビ出演を続ける、日本史上最初のテレビ女優である。テレビ草創期から活躍を続けるタレントの一人として知られ、日本史上最初のテレビ女優としては唯一、21世紀に至るまでテレビ番組のレギュラーを継続して持ち続けており、日本のテレビ放送史を代表する芸能人の1人であると言える。
寺内 信(てらうち まこと、1933年8月9日 - )は、日… 寺内 信(てらうち まこと、1933年8月9日 - )は、日本の建築計画学者・建築史家、まちづくり専門家。 大阪工業大学工学部建築学科元教授。工学博士(京都大学)。日本都市計画学会総務委員会元委員。 専門は建築計画・建築史、都市計画・まちづくり。 京都工芸繊維大学に進学し、1957年に卒業する。大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院に進み(川名吉エ門の指導を受ける)、1959年に同大学院修士課程を修了した。 1960年に日本住宅公団大阪支所、大阪府企業局勤務などを経て、1966年に大阪工業大学工学部建築学科講師となる。大阪工業大学では助教授(1973年)を経て、同学科教授に就任した。 1993年に京都大学大学院工学研究科より論文「大阪における長屋建住宅建設と市街地形成の近代化過程に関する研究」で工学博士号を取得した。
鰺坂 真(あじさか まこと、1933年8月9日- 2022年… 鰺坂 真(あじさか まこと、1933年8月9日- 2022年1月6日)は、日本の哲学者。関西大学名誉教授。専門はドイツ古典哲学、ヘーゲル哲学。父は教育学者で京都大学名誉教授の鰺坂二夫。 鹿児島県加世田市(南さつま市)と京都府京都市出身。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科博士課程修了。1999年と2000年の大阪府知事選挙に日本共産党の推薦を得て出馬したが、落選。日本共産党員であり、同党の機関紙誌に頻繁に執筆していた。関西大学では、部落出身の生徒の優先的入学に反対した。平和・民主・革新の日本をめざす全国の会代表世話人を務めた。 2022年1月6日死去。88歳没。
平田 次郎(ひらた じろう、1933年(昭和8年)8月9日 … 平田 次郎(ひらた じろう、1933年(昭和8年)8月9日 - 1993年(平成5年)3月15日)は、日本の政治家。香川県宇多津町長(6期)。 香川県立丸亀高等学校、明治大学法学部卒業。1963年(昭和38年)から1970年(昭和45年)まで宇多津町議会議員を2期務め、1970年(昭和45年)から1993年(平成5年)まで宇多津町長を6期務める。1991年(平成3年)から1993年(平成5年)まで香川県町村会会長を務めた。 父は第10代(公選3代)宇多津町長 平田三次郎。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
清水 多吉(しみず たきち、1933年8月8日 - 2024… 清水 多吉(しみず たきち、1933年8月8日 - 2024年12月3日)は、日本の哲学者、立正大学名誉教授。フランクフルト学派の研究に取り組んだ先駆的哲学者。 福島県会津若松生まれ。東京都立新宿高等学校を卒業、東京大学文学部哲学科卒。1963年から立正大学に勤務、教授、2004年に定年退任、名誉教授。また、神奈川大学の非常勤講師も務めた。 2024年12月3日、慢性心不全のため死去。91歳没。
田辺昭三(たなべ しょうぞう、1933年(昭和8年)8月8日… 田辺昭三(たなべ しょうぞう、1933年(昭和8年)8月8日 - 2006年(平成18年)2月20日)は、日本の考古学者。須恵器の研究や、日本における水中考古学の研究に先鞭をつけたことで知られる[要出典]。奈良大学助教授となり、後に同教授に昇格。京都市埋蔵文化財研究所調査部長、京都芸術短期大学教授・京都造形芸術大学教授、神戸山手大学教授。 1933年、静岡県小笠郡菊川町(現菊川市)で生まれた。中学生だった1948年、登呂遺跡の発掘調査に参加。同年、菊川市の白岩遺跡の発掘調査も手伝った。この際東洋大学教授の和島誠一に出会い、強い影響を受けた。これらの経験を通して、早くから考古学に傾倒していった。1952年、静岡県立掛川西高等学校を卒業。
ロミ・山田(ロミ・やまだ、1933年8月8日 - )は、日本… ロミ・山田(ロミ・やまだ、1933年8月8日 - )は、日本の女優、歌手。本名は山田ひろみ。朝鮮の京城生まれ、兵庫県育ち。小林聖心女子学院小学校・中学校・高等学校、国立音楽大学声楽科卒業。 実父の和辻廣樹は朝日新聞社会部記者。実父方の祖父は京都帝国大学医学部耳鼻咽喉科初代教授の和辻春次、母方の祖父は新聞記者で大韓協会、大韓自強会顧問、京城通信社記者の大垣丈夫。元夫は放送作家の岡田教和。親族に和辻春樹(実父の兄)、和辻哲郎(実父の従兄)がいる。 実父の赴任地、朝鮮の京城(現在の韓国・ソウル市)で生まれる。1歳で兵庫県へ帰国、宝塚市や神戸市で育つ。4歳のとき、実父の和辻廣樹が胃がんで逝去する。10歳のとき、母が毎日新聞社社員(のちに東京放送常務)の山田眞一と再婚する。
大海 竹郎(たいかい たけろう、1933年8月8日 - 没年… 大海 竹郎(たいかい たけろう、1933年8月8日 - 没年不明 )は、現在の岩手県八幡平市出身で花籠部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 竹郎(さとう たけろう)。176cm、86kg。最高位は東十両10枚目。得意技は左四つ、寄り。 1954年1月場所に初土俵。1958年7月場所に十両昇進。腕力を活かした左四つの相撲が得意であったが、押し相撲の力士を苦手にしていた。幕下で2場所連続で負け越した1960年3月場所で26歳で廃業した。
新田 義之(にった よしゆき、1933年8月7日 -2023… 新田 義之(にった よしゆき、1933年8月7日 -2023年10月21日)は、日本の比較文学者、東京大学名誉教授。 石川県生まれ。哲学研究者新田義弘の弟。1958年東大教養学科ドイツ分科卒、1959-1962年西ドイツ・ハンブルク大学に留学。1964年同大学院比較文学比較文化修士課程修了、東大教養学部助教授、1985年教授、1994年定年退官、山陽学園大学教授、2000年ノートルダム清心女子大学教授。1994年「リヒアルト・ヴィルヘルムと中国」で学術博士(東大)。 木下杢太郎、リヒャルト・ヴィルヘルム、またルドルフ・シュタイナーなどを研究、翻訳した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
彩木 雅夫(さいき まさお、本名:新居 一芳(あらい かずよ… 彩木 雅夫(さいき まさお、本名:新居 一芳(あらい かずよし)、1933年〈昭和8年〉8月5日 - 2022年〈令和4年〉9月16日)は、日本の作曲家。北海道音更町生まれ、帯広市育ち。札幌市在住。 『長崎は今日も雨だった』など、1960年代後半から1970年代にかけてのムード歌謡のヒットメーカーとして知られる。 馬仲買人の父とカフェを経営していた母の間で音更町の父の実家で生まれるも父は3歳時に死去、幼少期は音更の祖父母と過ごすことも多かった。1940年に帯広小学校に入学後、小学5年生時に池田町へ学童疎開。終戦後帯広中学校に戻り手に職をつけるべく帯広商工高等学校土木科(現・帯広柏葉高等学校)に進学し卓球や家でラジオなど電子工作に傾倒する一方、映画館にも通い時代劇や洋画の劇伴音楽に感銘を受ける。
吉川 弘之(よしかわ ひろゆき、1933年8月5日 - )は… 吉川 弘之(よしかわ ひろゆき、1933年8月5日 - )は、日本の工学者(設計学・ロボット工学・信頼性工学)。東京府東京市出身。
狩野 久(かのう ひさし、1933年8月5日 - 2025年… 狩野 久(かのう ひさし、1933年8月5日 - 2025年12月14日)は、日本の歴史学者。元岡山大学教授。奈良文化財研究所名誉研究員。 1933年、北海道斜里町で生まれた。京都大学文学部に進学し、1956年に卒業。同大学大学院文学研究科国史学専攻に進み、1963年に博士課程を単位取得退学した。 1963年、奈良国立文化財研究所に入所。平城京などの発掘調査に携わり、出土した木簡の調査や古代都城史の研究に従事した。1986年、文化庁記念物課主任調査官に転出。1991年、岡山大学文学部史学科教授に就任。1999年に岡山大学を退任後は、京都橘女子大学文学部教授として教鞭をとった。 学界では、1991年から木簡学会会長を務めた。
前山 隆(まえやま たかし、1933年8月4日 - 2024… 前山 隆(まえやま たかし、1933年8月4日 - 2024年12月9日)は、日本の文化人類学者。 岩手県出身(北海道生まれ)。岩手県立福岡高等学校卒。1960年静岡大学文理学部哲学専攻卒。1961-1962年ブラジル・サンパウロ大学人類学留学生。1967年サンパウロ社会学政治学院社会科学修士。1975年コーネル大学人類学博士。76年サンパウロ州立大学講師、助教授(文化人類学)。1977年信州大学人文学部助教授(比較文化論)。1980年筑波大学歴史人類学系助教授。1985年静岡大学人文学部教授。1997年定年退官、阪南大学国際コミュニケーション学部教授。2004年退職。 ブラジル移民について研究した。
青木 はるみ(あおき はるみ、1933年8月4日 - 202… 青木 はるみ(あおき はるみ、1933年8月4日 - 2022年5月10日)は、日本の詩人。本名は春美。 兵庫県出身。兵庫県立西宮高等学校卒業、関西学院大学文学部を経て、大阪文学学校に学ぶ。小野十三郎に師事し、1974年、第13回現代詩手帖賞を受賞。1982年、『鯨のアタマが立っていた』で第32回H氏賞を受賞。1988年、第12回井植文化賞を受賞。奈良市在住。関西詩人協会会員。「PO (雑誌)」「歴程」「たうろす」同人。 2022年5月10日午後0時28分、誤えんによる窒息のため奈良市で死去。88歳没。
小菅 桂子(こすげ けいこ、1933年8月4日 - 2005… 小菅 桂子(こすげ けいこ、1933年8月4日 - 2005年8月10日)は、日本の食文化研究家。専門は食文化史。 東京都出身。昭和女子大学短期大学部国文学科卒業後、國學院大學文学部史学科編入、同学科卒業。毎日映画社製作部に入社。のちに退社し、杉野女子大学博物館非常勤講師、別府大学短期大学部生活科教授、くらしき作陽大学食文化学部教授、國學院大學日本文化研究所共同研究員、昭和女子大学近代文化研究所研究員をつとめた。 2005年、慢性呼吸不全のため死去。72歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
相原 康彦(あいはら やすひこ、1933年(昭和8年)8月4… 相原 康彦(あいはら やすひこ、1933年(昭和8年)8月4日 - 2020年(令和2年)11月10日)は、日本の工学者。位階は従四位。 工学博士(東京大学)。東京大学名誉教授、航空工学の権威として知られる。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
林 淳司(はやし じゅんじ、1933年8月4日 - 2000… 林 淳司(はやし じゅんじ、1933年8月4日 - 2000年3月21日)は運輸官僚。元運輸事務次官、元川崎重工業副会長。鳥取県出身。 1957年に東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業し、同年に運輸省入省。1979年、大臣官房文書課長。1987年4月、大臣官房国有鉄道改革推進総括審議官。同年10月、航空局長。1989年6月、運輸事務次官。2000年3月21日、呼吸不全のため慶應義塾大学病院で死去。66歳没。
田島 壮幸(田島壯幸、たじま もりゆき、1933年8月3日 … 田島 壮幸(田島壯幸、たじま もりゆき、1933年8月3日 - )は、日本の経営学者。1989年から1995年まで日本経営学会理事長、後に同名誉会員。一橋大学名誉教授。 群馬県佐波郡境町(現伊勢崎市)生まれ。1952年群馬県立太田高等学校卒業、1956年一橋大学商学部卒業、1961年同大大学院商学研究科博士課程単位修得。1974年商学博士(一橋大学)。藻利重隆ゼミ出身。 1961年一橋大学商学部専任講師、1965年同助教授、1973年同教授、1989年日本経営学会理事長、1991年から1993年まで同大商学部長。1997年一橋大を定年退官し同大名誉教授。1997年から石巻専修大学教授。この間青山学院大学、東京経済大学、東京女子大学、中央大学経済学部でも教鞭をとる。
原 誠(はら まこと、1933年(昭和8年)8月3日 - 2… 原 誠(はら まこと、1933年(昭和8年)8月3日 - 2018年(平成30年)2月16日)は、日本のスペイン語学者、東京外国語大学・拓殖大学名誉教授。 東京生まれ。1956年東京外国語大学スペイン語学科卒業。1964年マドリード・コンプルテンセ大学哲文学部大学院博士課程修了、文学博士、東京外国語大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授、拓殖大学教授、2004年定年、名誉教授。 2013年4月瑞宝中綬章受章。
小林 勝巳(こばやし かつみ、1933年8月2日 - )は、… 小林 勝巳(こばやし かつみ、1933年8月2日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。 前橋高校から大生相互銀行を経て1955年に国鉄スワローズへ入団。1956年に退団。
鈴木 秀幸(すずき ひでゆき、1933年〈昭和8年〉8月1日… 鈴木 秀幸(すずき ひでゆき、1933年〈昭和8年〉8月1日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。1956年と1957年の登録名は鈴木 正。 矢板高校から神奈川大学へ進学、エースとして活躍する。横浜四大学野球リーグでは在学中5回優勝。1955年の全日本大学野球選手権大会では準決勝に進むが明大に敗退。リーグ最優秀選手3回。 1956年に毎日オリオンズへ入団、外野手に転向する。同年は開幕から中堅手、五番打者として起用され、71試合に先発出場。しかし打撃面で結果を残せず、翌1957年からは衆樹資宏の入団もあって定位置を失う。その後は一時低迷するが、1960年は準レギュラーとして起用され同年のリーグ優勝に貢献。
岩井 健作(いわい けんさく、1933年(昭和8年)8月1日… 岩井 健作(いわい けんさく、1933年(昭和8年)8月1日 -2025年(令和7年)3月31日 )は、日本の牧師。56年間で6つの教会(広島流川教会2年、呉山手教会5年、岩国教会13年、神戸教会24年、川和教会2年、明治学院教会10年)で牧師を務め、42年間4つの教会付属幼稚園(呉山手2年、岩国13年、神戸教会で2つの付属幼稚園24年)で園長職を務めた。岐阜県加茂郡加茂野村出身、日本基督教団隠退教師、日本基督教団安中教会教会員。 『日本キリスト教歴史大事典』(教文館 1988)に健作自身が「岩井文男」の項の執筆をしている。また「岩井文男と賀川豊彦の農民福音学校」(岩井健作、賀川豊彦学会論叢20号、2012)において賀川豊彦との接点が語られている。
金田 正一(かねだ まさいち、1933年8月1日 - )は、… 金田 正一(かねだ まさいち、1933年8月1日 - )は、愛知県中島郡平和村(現・稲沢市)出身の元プロ野球選手(投手)・監督、解説者・評論家、実業家・タレント。愛称は「カネやん」「カネさん」。
古岡 滉(ふるおか ひろし、1933年8月1日 - 2017… 古岡 滉(ふるおか ひろし、1933年8月1日 - 2017年6月12日)は、日本の経営者。学習研究社(現在の学研ホールディングス)社長を務めた。創業者である古岡秀人の長男でもある。 東京都出身。1956年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に学習研究社に入社。 1958年6月に常務に就任し、1962年3月に専務、1973年3月に副社長を経て、1982年11月には社長に就任。1993年4月に会長に就任し、1994年2月に取締役相談役を経て、1998年6月から相談役を務めた。 2017年6月12日心不全のために死去。83歳没。
武下 和平(たけした かずひら、1933年8月1日 - 20… 武下 和平(たけした かずひら、1933年8月1日 - 2021年1月25日)は、昭和30年代から活躍した、戦後における島唄の先駆者。 奄美群島の加計呂麻島、瀬戸内町諸数出身。 島唄のレコードが普及し、武下の流暢な三線の音色と、独特の裏声にて唄われるヒギャ唄が人気を博し「百年に一人の唄者」と評された。 本土における島唄の知名度上昇にも貢献し、兵庫県尼崎市に移住後「奄美民謡武下流」を設立。関東、関西、地元において島唄の普及に尽力した。 なお、複数の発表会でも披露されているように、詩吟の名手でもあった。 2021年、食道がんのため87歳で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
橋本 保(はしもと たもつ、1933年8月 - 2008年… 橋本 保(はしもと たもつ、1933年8月 - 2008年6月)は日本の植物学者である。 1957年に東京農業大学を卒業し、東京大学理学部付属植物園で働いた。1961年からアフガニスタン政府農業省園芸専門官として、アフガニスタンの植物を研究。1965年から南アメリカ、アンデス地帯の植物を調査した。1983年に開園した国立科学博物館の筑波実験植物園の主任研究官となり1997年から園長を務めた。
小田原定(おだわら さだむ、1933年8月 - 1985年1… 小田原定(おだわら さだむ、1933年8月 - 1985年10月29日)は、日本の大蔵官僚。 鹿児島県出身。東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1957年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1962年6月 主計局地方財政第二係長。1964年5月 岐阜南税務署長。その後は防衛庁経理局会計課予算担当課員、国税庁直税部法人税課長補佐などを務める。1969年8月 主計局主計官補佐(司法・警察係主査)。1977年6月27日 防衛庁経理局会計課長。1981年6月26日 関税局総務課長。1982年6月1日 神戸税関長。1983年6月7日 大臣官房審議官(関税局担当)。1984年6月27日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。
石川 一彦(いしかわ かずひこ、1933年7月30日 - 2… 石川 一彦(いしかわ かずひこ、1933年7月30日 - 2001年6月19日)は、日本の経営者、プロデューサー。福岡放送社長を務めた。東京都出身。 1958年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本テレビ放送網に入社。 主に制作畑を歩み、『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』の演出を担当。 1976年に制作局チーフプロデューサーに就任し、『アメリカ横断ウルトラクイズ』の発案や、「木曜スペシャル」にてカンボジアのアンコール・ワットの潜入取材ルポ番組『アンコール・ワットの謎をさぐる~密林に眠る東洋の神秘~』、『太平洋戦争秘話 ~欧州から愛をこめて~ 緊急暗号電「祖国ヨ和平セヨ!」』などのドキュメンタリー番組などを手掛ける。
比企 能樹(ひき よしき、1933年7月28日 - 2022… 比企 能樹(ひき よしき、1933年7月28日 - 2022年10月14日)は、日本の医師。専門は、消化器、外科学。医学博士。北里大学名誉教授。慶應連合三田会会長、慶應交詢社理事、慶應義塾理事・評議員を歴任。 父は国立がんセンター総長を務めた医師の比企能達。 妻は九州大学名誉教授三宅博の長女である比企寿美子(ノンフィクション作家・エッセイスト、フェリス女学院短期大学卒業)。 1933年東京都生まれ。神奈川県立湘南高等学校を経て、1958年に慶應義塾大学医学部を卒業。同大学院医学研究科外科学専攻博士課程修了、医学博士。1966年から1968年まで旧西ドイツ・キール大学医学部外科に留学。1984年より北里大学医学部教授。
小田 晋(おだ すすむ、1933年7月28日 - 2013年… 小田 晋(おだ すすむ、1933年7月28日 - 2013年5月11日)は大阪府生まれの日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。筑波大学名誉教授。国際医療福祉大学名誉教授。元帝塚山学院大学教授。医学博士。
服部 禎男 (はっとり さだお、1933年7月27日 - )… 服部 禎男 (はっとり さだお、1933年7月27日 - )は、日本の工学者、元電力中央研究所名誉特別顧問。放射線ホルミシスの研究者。 愛知県名古屋市生まれ。愛知県立旭丘高等学校を経て、1956年、名古屋大学電気工学科卒業後、中部電力に入社。入社翌年、東京工業大学大学院原子核工学修士課程に進学。修了後の1960年、アメリカ合衆国オークリッジ国立研究所原子炉災害評価研修課程へ留学。1972年、動力炉・核燃料開発事業団に在籍、ふげん建設電気機械課長として設計、許認可研究活動に携わる。 1980年、電力中央研究所・研究開発部の初代原子力部長に就任。1984年、アメリカ合衆国の生化学者トーマス・ラッキーの唱えた放射線ホルミシス論を知り、のちに同理論は正しいと考えるに至る。
相馬 計二(そうま けいじ、1933年7月27日- )は、日… 相馬 計二(そうま けいじ、1933年7月27日- )は、日本の司法書士。元官僚。専門は、不動産登記法。紀尾井司法・調査士合同相馬司法事務所代表。秋田県出身 1958年法務省(東京法務局)行政職に任官。1960年3月中央大学法学部中退(後に、特別卒業者として卒業者に与えられる「学員」となり、学員会に所属)。1963年登記官に任官。1969年司法書士試験に合格。1970年東京司法書士会に登録、相馬司法事務所を開業。1974年全国青年司法書士連絡協議会2代会長。2001年特定非営利法人日本不動産登記決裁保証システム開発機構理事長に就任(2013年まで)。2003年より桐蔭横浜大学法学部客員教授(不動産登記法を担当)。