藤堂 志津子(とうどう しづこ、1949年3月14日 - )… 藤堂 志津子(とうどう しづこ、1949年3月14日 - )は、日本の小説家、エッセイスト。中編小説「熟れてゆく夏」で第100回直木賞受賞。本名は熊谷 政江。札幌市在住の作家として知られる。 1949年(昭和24年)3月14日、北海道札幌市に生まれる。北海道札幌北高等学校を経て、藤女子短期大学国文科に入学。1967年、同人詩誌『にじゅうえん詩集』の創刊に参加、1968年には19歳で第一詩集『砂の憧憬』を刊行する(熊谷政江名義)。1969年、藤女子短期大学卒業。1974年、第二詩集『六月にひとり逝き七月溺愛八月水死』(熊谷名義)を創映出版より公刊して注目される。そのころから詩から小説に転じ、同人誌『莞爾』『マロオス』などに作品を発表。
横田 久(よこた ひさし、1949年2月14日 - 2007… 横田 久(よこた ひさし、1949年2月14日 - 2007年8月31日)は、北海道放送(HBC)のアナウンサー。血液型はA。北海道札幌市出身。高崎経済大学経済学科卒業。 大学時代はサッカー部に在籍。当時のサッカー部の後輩に清原憲一(熊本放送アナウンサー)がいる。 大学卒業後の1972年、HBC入社。同期には佐藤のりゆき、中田美知子らがいる。同局では、主にスポーツ中継の実況アナウンサーとして活躍。大倉山ジャンプ競技場や宮の森ジャンプ競技場で行われるスキージャンプ大会で実況を務めることが多かった。また、道内で開催されるゴルフトーナメントの実況も務めた。 1986年にはTBSのスポーツ部へ出向。アナウンス部長、報道制作局次長兼スポーツ部長を歴任、2002年にアナウンサー職を離れた。
加奈崎 芳太郎(かなざき よしたろう、1949年2月9日 -… 加奈崎 芳太郎(かなざき よしたろう、1949年2月9日 - )は、北海道札幌市出身のシンガーソングライター。本名は金崎芳樹。現在は長野県諏訪市在住。フォークグループ・古井戸の元メンバーで、現在はソロで活動。ブルースを基調にした骨太な音楽性と、声量豊かなボーカルが特色。
亘 明志(わたり あけし、1949年 - )は、日本の社会学… 亘 明志(わたり あけし、1949年 - )は、日本の社会学者。専攻は、理論社会学、文化社会学、メディア論、差別問題。 北海道札幌市生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、東京大学大学院社会学研究科修士課程修了、同博士課程単位取得退学。大学院は見田宗介ゼミ出身。広島修道大学人文学部教授、長崎ウエスレヤン大学現代社会学部教授を経て、2016年より京都女子大学現代社会学部教授。日本解放社会学会前会長。
下斗米 伸夫(しもとまい のぶお、1948年11月3日 - … 下斗米 伸夫(しもとまい のぶお、1948年11月3日 - )は、日本の政治学者。法学博士(東京大学・課程博士・1978年)。法政大学名誉教授。専攻は、比較政治、ロシア・CIS政治、ソ連政治史。「旧ソ連・ロシア研究の第一人者」、「ロシア政治研究の第一人者」と称される。 1948年、北海道札幌市生まれ。熊本県立熊本高等学校を経て、1971年に東京大学法学部を卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程に進学し、渓内謙に師事した。1978年に、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。法学博士。学位論文は「ソビエト労働組合(1925年-1928年)伝達紐帯の政治構造」。 同年、成蹊大学法学部専任講師に就任し、1985年、同大学法学部教授を経て、1988年から2019年まで法政大学法学部教授。
安倍 理津子(あべ りつこ、本名:熊木 律子、1948年10… 安倍 理津子(あべ りつこ、本名:熊木 律子、1948年10月7日 - )は、日本の歌手。旧芸名は安倍律子。一時期、あべりつこ、安倍理葎子名義、その後、安倍里葎子で活動。2020年3月11日、再び安倍理津子に改名。所属事務所はオフィス里葎子。所属レコード会社はテイチクエンタテインメント。 あべりつこ、の時に結婚した。 北海道札幌市出身。札幌香蘭女子学園高等学校卒業。血液型:A。
小菅 正夫(こすげ まさお、1948年6月17日 - )は、… 小菅 正夫(こすげ まさお、1948年6月17日 - )は、日本の獣医師。札幌市環境局参与(札幌市円山動物園担当)。旭川市旭山動物園元園長。北海道大学客員教授。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校、北海道大学獣医学部卒業。在学中は柔道に打ち込み、キャプテンもつとめた。段位は四段。 本人によると、「北大柔道部での過酷な練習であまりにも腕が太くなったため牛の直腸に腕が入らず、産業獣医師を断念した」という。就職先が見つからず悩んでいたところ、卒業間際になって旭山動物園の獣医師募集を知り、応募。 大学卒業後、1973年に入園。1986年飼育係長、1991年副園長などを経て、1995年園長に就任。一時は閉園の危機にあった旭山動物園を再建し、日本最北にして日本一の入場者を誇る動物園にまで育て上げた。
大和 和紀(やまと わき、1948年3月13日 - )は、日… 大和 和紀(やまと わき、1948年3月13日 - )は、日本の女性漫画家。北海道札幌市出身、血液型はO型。北星学園女子中学校・高等学校を経て、北星学園女子短期大学(現:北星学園大学短期大学部)卒業。代表作に『はいからさんが通る』、『ヨコハマ物語』、『N.Y.小町』、『あさきゆめみし』など。 旧姓は一ノ関で、一ノ関 和紀名義による作品もある。ペンネームは、実母の旧姓「大和」と本名「和紀」を組み合わせたもの。幼少の頃から和紀を「かずのり」と読まれることも多く、男性によく間違われたために女子校に進学した。高校生の時に漫画を描き始める。この時期、別の高校の同学年だった山岸凉子と知り合っていて、二人で手塚治虫にネームを見てもらっている。
薩 めぐみ(さつめぐみ、1948年2月14日-2010年10… 薩 めぐみ(さつめぐみ、1948年2月14日-2010年10月18日)は、日本のシャンソン歌手。北海道札幌市出身。40年来パリに住み、フランスで活動していた。
飯田 隆(いいだ たかし、1948年 - )は、日本の言語哲… 飯田 隆(いいだ たかし、1948年 - )は、日本の言語哲学者、分析哲学者。慶應義塾大学名誉教授。日本哲学会会長、日本科学哲学会理事、科学基礎論学会理事長などを歴任。北海道札幌市出身。主著に『言語哲学大全』シリーズがある。 1948年、北海道札幌市生まれ。1972年、東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学専攻卒。1974年、同大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了。1974年4月、同大学院博士課程進学。1974年9月、ミシガン大学大学院哲学専攻入学。1978年1月、同大学博士候補資格(Ph.D. Candidacy)取得。1978年3月、東京大学大学院人文科学研究科(哲学専攻)博士課程退学。
矢吹 徹雄(やぶき てつお、1948年 - )は、日本の弁護… 矢吹 徹雄(やぶき てつお、1948年 - )は、日本の弁護士。北海学園大学教授。矢吹法律事務所所属。北海道札幌市生まれ。札幌弁護士会所属。 1967年北海道札幌南高等学校卒業。1971年司法試験に合格後、1972年北海道大学法学部卒業。1974年弁護士登録。1976年北海道大学大学院法学研究科修士課程修了。1987年北海道弁護士連合会副会長。1988年札幌市中高層建築物等紛争調整委員。1989年北星学園大学経済学部教授(民法など担当)を経て、2005年北海学園大学大学院法務研究科教授(倒産法など担当)。2013年北海学園大学大学院法務研究科長。2018年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。2024年大学院法務研究科廃止により北海学園大学退任、北海学園大学名誉教授、大学院法学研究科法務特任教授。
坂本 雄三(さかもと ゆうぞう、1948年 - 2026年1… 坂本 雄三(さかもと ゆうぞう、1948年 - 2026年1月16日) は、日本の工学者。建築環境工学専攻。東京大学名誉教授。元独立行政法人建築研究所理事長。元公益社団法人空気調和・衛生工学会会長。 北海道札幌市出身。1971年北海道大学理学部地球物理学科卒業。1978年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士。同年建設省建築研究所研究員。1990年名古屋大学工学部建築学科助教授。1994年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻助教授。1997年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授。2001年日本ツーバイフォー建築協会坪井賞受賞。2005年空気調和・衛生工学会学会賞技術賞建築設備部門。
鈴木 伸夫(すずき のぶお、1948年 - 2017年2月1… 鈴木 伸夫(すずき のぶお、1948年 - 2017年2月16日)は、青森放送(RAB)の元アナウンサー。愛称は「伸さん」。 北海道札幌市生まれで、小樽市(幼稚園時代)、愛知県豊橋市(小学校時代)、名古屋市(中学・高校時代)、宮城県仙台市(大学時代)に住む転勤族だった。 東北学院大学法学部卒業後、1970年にRABへ入社。放送部アナウンサー、1993年より東京支社、後に放送部長を歴任。本社に戻った後、一時アナウンサーに復帰した。 映画愛に満ち溢れた人柄で、青森県を舞台とした映画『八甲田山』を、当時担当していた青森放送のラジオ番組『ナイト・ブリッジ・フォー・ユー / シネマテーク005』にて、映画本編の音声を使用して、自身のプロデュースとディレクションによりサウンドドラマ化。
下河辺 和彦(しもこうべ かずひこ、下河邉 和彦、1947年… 下河辺 和彦(しもこうべ かずひこ、下河邉 和彦、1947年〈昭和22年〉12月12日 - )は、日本の弁護士。元東京電力株式会社取締役会長。前原子力損害賠償支援機構運営委員長。内閣官房「東京電力に関する経営・財務調査委員会」委員長。東京地方裁判所民事調停委員、日本弁護士政治連盟副理事長、日本法律家協会理事。公益財団法人藤原ナチュラルヒストリー振興財団理事長。蝶理株式会社社外監査役。 1947年(昭和22年)、北海道札幌市生まれ。東京都立戸山高等学校を経て、1972年(昭和47年)に京都大学法学部を卒業。司法研修所を修了(26期)して、1974年(昭和49年)に弁護士登録(東京弁護士会)。1993年(平成5年)に東京弁護士会副会長、1998年(平成10年)に日本弁護士連合会常務理事、2007年(平成19年)4月に東京弁護士会会長および日本弁護士連合会副会長(2008年(平成20年)3月まで)。
大村 美根子(おおむら みねこ、1947年10月13日 - … 大村 美根子(おおむら みねこ、1947年10月13日 - 2005年1月 )は、日本の翻訳家。北海道札幌市生まれ。東京女子大学英米文学科中退。 浅倉久志が中心となって、翻訳家の交流会「エイト・ダイナーズ」が、小尾芙佐、深町眞理子、大村美根子、山田順子、佐藤高子、鎌田三平、白石朗というメンバーで行われていた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
西 明美(にし あけみ、1947年(昭和22年)9月25日 … 西 明美(にし あけみ、1947年(昭和22年)9月25日 - )は、日本の声楽家(メゾソプラノ)・オペラ歌手・音楽教育者。本名:清水 明美。 北海道札幌市生まれ。1970年(昭和45年)国立音楽大学卒業。1973年(昭和48年)東京藝術大学大学院修了。1974年(昭和49年) - 1975年(昭和50年)文化庁派遣芸術家在外研修員として渡欧し、ミュンヘンとミラノで研鑽を積む。田中伸枝、渡辺高之助、中山悌一、ヘルタ・テッパー、マリア・カルボーネに師事。 玉川学園講師、尚美学園短期大学講師、愛知県立芸術大学講師を経て、2013年(平成25年)まで神戸女学院大学教授。同年3月には神戸女学院大学勇退を記念して門下生たちによる演奏会が開催された。
長内 順一(おさない じゅんいち、1947年(昭和22年)3… 長内 順一(おさない じゅんいち、1947年(昭和22年)3月7日 - )は、日本の経営者。衆議院議員(1期中退)と札幌市議会議員(2期)を務めた。 株式会社未来経営研究所代表取締役社長。北海道商工会議所連合会会頭特別補佐。サイバー大学客員教授(企業社会責任論)。北海道経営未来塾塾長。 1947年(昭和22年)、北海道札幌市に生まれる。1959年(昭和34年)、札幌市立幌北小学校卒業。1962年(昭和37年)、札幌市立北辰中学校卒業。1966年(昭和41年)、北海道札幌北高等学校を卒業。1970年(昭和45年)、北海学園大学経済学部を卒業。その後、民間企業に勤務する。 1987年(昭和62年)、札幌市議会議員選挙に立候補し、初当選。
伊東 きよ子(いとう きよこ、1947年1月24日 - )は… 伊東 きよ子(いとう きよこ、1947年1月24日 - )は、日本の歌手。北海道札幌市出身。1967年の『花と小父さん』(はなとおじさん)のヒットで知られる。 1964年、青山学院高等部を卒業後、宝塚音楽学校へ入学。 東宝のインターナショナル・ダンシング・チームのオーディションに合格し、6月にはミュージカル『ノー・ストリングス』にダンサーとして出演するがアキレス腱炎のため踊りを断念。宝塚音楽学校を退学する。 当時日本の若者の間で流行していたフォーク・ソングに注目、歌手への転身を決め、1965年12月19日に日本劇場で開催された『第一回フォークソングフェスティバル』で歌手としての初舞台を踏んだ。 翌1966年5月に来日したアメリカの人気グループ、ニュー・クリスティー・ミンストレルズ(英語版)のオーディションに合格、正式メンバーとなる。
斉藤浩二(さいとう こうじ、1947年 - )は、ランドスケ… 斉藤浩二(さいとう こうじ、1947年 - )は、ランドスケープデザイナー。(株)キタバ・ランドスケープ代表/(株)KITABA元代表技術士建設部門―都市及び地方計画、東京農業大学客員教授北海道大学工学部非常勤講師、北海道景観審議会委員旧北海道東海大学非常勤講師、北海道美しい景観のくにづくり審議会委員、大雪山国立公園管理計画検討会検討員など多数。 イサム・ノグチ逝去後のモエレ沼公園のランドスケープデザインを担当。 胆振管内安平町(旧早来町)生まれ。札幌市育ち。1975年 東京教育大学大学院教育学研究科美術学専攻修士課程修了。造園施工会社・造園設計事務所を経て、1985年 キタバ・ランドスケープ・プランニングを設立。
穂積 保(ほづみ たもつ、1947年 - )日本の実業家、法… 穂積 保(ほづみ たもつ、1947年 - )日本の実業家、法学者。メディアリンクス・ジャパン代表取締役社長。非営利団体こどもの本WAVE代表。社団法人日本書籍出版協会知的財産権委員会委員。元東京理科大学大学院教授。北海道出身。 北海道札幌東高等学校卒業、早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了。1972年 福音館書店に入社し、営業部を経て編集部に配属。海外・著作権室室長、総務課長などを歴任。1997年に福音館書店を退社し、株式会社メディアリンクス・ジャパンを設立。以降、出版、展覧会・講演などの各種イベントや商品化ライセンス等、知的財産権のプロデュース活動を行っている。2005年より2012年まで東京理科大学大学院教授。
清水 建宇(しみず たてお、1947年 - )は元実業家(豆… 清水 建宇(しみず たてお、1947年 - )は元実業家(豆腐店経営)、元朝日新聞論説委員。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校、神戸大学経営学部卒業後の1971年4月、朝日新聞入社。佐賀支局、西部本社社会部を経て1981年東京本社に異動、警視庁記者、宮内庁記者を担当の後、出版局に移り「週刊朝日」副編集長、「論座」編集長などを歴任。2003年論説委員に就任。また、テレビ朝日のニュース番組「ニュースステーション」にて、の間、コメンテーターも務めた。2007年定年退職。朝日新聞社が発行する『大学ランキング』の編集長を1994年の創刊以来、2008年版まで続けていた。現在は、スペインのバルセロナで2010年に開店した豆腐店を営んでいるが、体力の衰えを感じて、2021年1月に全国豆腐連合会を通じて後継者を募り店舗を譲った。
鈴木 春二(すずき はるじ、1947年 - )は、日本の経済… 鈴木 春二(すずき はるじ、1947年 - )は、日本の経済学者。千葉商科大学人間社会学部名誉教授。現代資本主義論を課題とする。 北海道札幌南高等学校から早稲田大学教育学部に入学。1983年、法政大学大学院修了。山田盛太郎の直系の弟子である南克己に師事。恐慌論研究。後、千葉商科大学商経学部専任講師、助教授、教授を経て、2014年より千葉商科大学人間社会学部教授。2010年から2014年まで千葉商科大学商経学部長、2014年から2015年まで千葉商科大学教育革新センター長、2014年から千葉商科大学教育改革センター長、2015年から千葉商科大学副学長、2016年から千葉商科大学基礎教育センター長。
聖 日出夫(ひじり ひでお、1946年12月8日 - 201… 聖 日出夫(ひじり ひでお、1946年12月8日 - 2016年3月10日)は、日本の漫画家。 北海道札幌市出身。本名:米浜裕暁(よねはま・ひろあき)。北海道札幌南高等学校卒業。 大学を受験するために上京するが、失敗。そのまま東京に居続け、1968年『一発野郎』で漫画家としてデビューした。 代表作に『なぜか笑介』『だから笑介』。両作品とも主人公の大原笑介の仕事ぶりを描いたサラリーマン漫画。連載のほぼ毎回、上司の高山課長が「あんたは…だからねーッ!」などと言うのに対して、「ズッ」と斜め後ろ45度の方向にコケて終わるのが特徴的で、当時は他の漫画にパロディとして使われたりした。 谷山浩子のバックバンドでギターを務めたミュージシャンの弟がいる。
金沢 和良(かなざわ かずよし、1946年11月8日 - )… 金沢 和良(かなざわ かずよし、1946年11月8日 - )は、日本の男性プロボクサー、キックボクサー。北海道札幌市出身。アベボクシングジム所属。戦績41戦30勝(17KO)10敗1分。 北海道札幌工業高等学校在学中に札幌ジムでボクシングを始め、1963年には全日本社会人フライ級で優勝。 当初は協栄ジム入門を希望していたが結果的にアベボクシングジム所属で1965年7月18日、市川清戦でプロデビュー。 ルーベン・オリバレスとは1969年に1度対戦したが、その際は2RKO負けだった。1971年7月2日、孫永煥を5RKOで下し、OBF(現OPBF)東洋バンタム級王座を獲得。 同年10月25日、愛知県体育館でルーベン・オリバレスが持つWBA世界王座に挑戦した。
西村 和雄(にしむら かずお、1946年10月11日 - )… 西村 和雄(にしむら かずお、1946年10月11日 - )は、日本の経済学者。専門は、数理経済学・複雑系経済学。京都大学名誉教授。日本学士院会員。日本経済学教育協会会長、Econometric Society・Fellow。 北海道札幌市出身。北海道札幌旭丘高等学校、1970年東京大学農学部農業経済学科卒。1977年アメリカ合衆国・ロチェスター大学より1977年Ph.D.(博士号)の学位を取得。同大学院経済学研究科の博士課程では、ライオネル・マッケンジー教授の指導を受ける。 1978年旧・東京都立大学経済学部助教授を経て、京都大学経済学部教授。2006年4月~2010年3月 京都大学経済研究所所長、2010年定年退官、名誉教授、同志社大学経済学部客員教授。
成田 憲彦(なりた のりひこ、1946年6月24日 - )は… 成田 憲彦(なりた のりひこ、1946年6月24日 - )は、日本の政治学者。専門は、比較政治学・日本政治論。 北海道札幌市生まれ。 細川護熙の首相時代に、内閣総理大臣首席秘書官(政務担当秘書官)を務めた。 首相秘書官退任後は、駿河台大学法学部教授を務めた。第5代駿河台大学学長。駿河台大学名誉教授。
荒川 強啓(あらかわ きょうけい、1946年5月16日 - … 荒川 強啓(あらかわ きょうけい、1946年5月16日 - )は、日本のフリーアナウンサー、ラジオパーソナリティ。オフィス・トゥー・ワン所属。元山形放送アナウンサー。 北海道札幌市出身。仙台高等学校、東北学院大学法学部法律学科卒業。フジテレビ、地元の北海道放送(HBC)、山形放送(YBC)を受験した結果、YBCのみ合格。 大学卒業後の1969年4月、YBCにアナウンサーとして入社。1975年には、才能を持つ地方のDJを発掘する『飛び出せ!全国DJ諸君』でDJ賞を受賞。1982年に同社退社後、フリーアナウンサーへ転身、当初はフジテレビで活躍していた。 1985年に自身の番組を持つも1年で打ち切りにする上層部のやり方に腹を立て、その後はTBS(テレビ・ラジオ)で活躍するようになる。
岩崎 紘昌(いわさき ひろまさ、1946年5月3日 - )は… 岩崎 紘昌(いわさき ひろまさ、1946年5月3日 - )は、西洋アンティーク評論家、アンティークショップ店長。血液型A型。 北海道出身。北海道札幌南高等学校、中央大学法学部卒。 学生時代、ヨーロッパ・中近東など世界75カ国を旅行し、アンティークの魅力に取り付かれる。卒業後の1972年、アンティークショップを都内に開店、西洋アンティークの輸入販売業を始め、現在に至る。日本における西洋アンティーク研究の第一人者でもあり、著書も多い。また、テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」のレギュラー鑑定士としてもお馴染みだった。 息子は珈琲抽出師の岩崎泰三。長女にスウェーデンで北欧雑貨ディット・ダット」やYouTubeチャンネル「Nord-Labo 北欧研究室」を運営するダールマン容子がいる。
好川 之範(よしかわ ゆきのり、1946年3月3日 - 20… 好川 之範(よしかわ ゆきのり、1946年3月3日 - 2020年7月29日)は、日本の歴史家、幕末史研究家。北海道出身。 会津藩士好川範之丞の玄孫であり、旧斗南藩領藤坂村(現青森県上北郡十和田市)村長好川範之助の曾孫。本名は、克美。 札幌市生まれ。札幌光星高等学校、駒澤大学経済学部卒業。札幌市役所に勤務し札幌市環境計画部長、札幌市教育文化会館館長、札幌市民芸術祭実行委員会事務局長を歴任。 幕末明治史研究を専門とする。日本ペンクラブ会員。日本文芸家協会会員。新選組友の会会員。北海道幕末維新史研究会副代表。 2020年5月に倒れ、7月29日に死去。
田代 和生(たしろ かずい、女性、1946年1月25日- )… 田代 和生(たしろ かずい、女性、1946年1月25日- )は、日本の歴史学者。専門は近世の日朝関係史。慶應義塾大学名誉教授。紫綬褒章受章者。文化功労者。日本学士院会員。 北海道札幌市出身。1968年中央大学文学部卒、同大学院修士課程修了、慶應義塾大学大学院博士課程満期退学。 1979年「近世日朝通交貿易史の研究」で、中央大学より文学博士の学位を取得。慶應義塾大学経済学部助教授、1981年博士論文を公刊したものにより日経・経済図書文化賞、1982年に義塾賞受賞、1988年慶大教授、1989年同大文学部教授、1993 - 1997年には国際日本文化研究センター運営評議員、2011年慶應義塾大学を定年退任、名誉教授。
岡部 恒治(おかべ つねはる、1946年 - )は、日本の数… 岡部 恒治(おかべ つねはる、1946年 - )は、日本の数学者。埼玉大学経済学部教授を経て、同大名誉教授。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校を経て、1969年、東京大学理学部数学科卒業。東京大学大学院修士課程修了。 日本数学協会副会長、日本数学会教育委員会委員長などを歴任。パナソニックセンターのリスーピアの数学部門の監修も務めている。 『分数ができない大学生』(西村和雄・戸瀬信之と共編著)は有名。
谷木 恭平(たにき きょうへい、1945年11月12日 - … 谷木 恭平(たにき きょうへい、1945年11月12日 - )は、北海道札幌市中央区出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。 北海高では2年次の1962年、中堅手として甲子園に春夏連続で出場。春の選抜では1回戦で御所工に敗退するが、夏の選手権では準々決勝に進み、伊藤久敏投手を擁する久留米商と対戦。先発した3年生エース松谷栄司が5回に負傷退場し、同期の吉沢秀和が急遽リリーフするが、9回に3点を取られ逆転負け。他のチームメートに1年上の中村之保遊撃手がいた。 3年次の1963年には春の選抜で吉沢の好投もあって準決勝に進み、優勝候補の早実にサヨナラ勝ち。決勝では下関商の池永正明に抑えられ0-10で大敗するが、初めて準優勝旗が津軽海峡を越えることとなった。
姿 美千子(すがた みちこ、1945年5月28日 - )は、… 姿 美千子(すがた みちこ、1945年5月28日 - )は、日本の元女優、歌手。本名:橘 郁子(旧姓)。夫は元プロ野球選手の倉田誠。妹の橘和子も日活で女優を務めた。 染物業を営む家庭の5人兄妹の3番目(次女)として北海道札幌市南8条西3丁目で生まれた。生家は中島公園近くの紺屋『橘屋』。曽祖父は石川県の人で19世紀後半に渡道、当地で代々染物業を営んでいた。ちなみに、遠祖は四国地方で忍者をしていたという。札幌静修高等学校1年生の1961年、大映『すっとび仁義』の主演・橋幸夫の相手役募集に応じて当選。同年10月、大映に入社し同作品でデビュー、同時に日本大学第二高等学校に転校した。その後同校を卒業している。
近藤 龍夫(こんどう たつお、1945年3月21日 - 20… 近藤 龍夫(こんどう たつお、1945年3月21日 - 2025年11月28日)は、日本の実業家。北海道電力の社長、会長を経て、現在名誉顧問。第7代北海道経済連合会会長。元公益社団法人北海道観光振興機構会長。 北海道札幌市生まれ。父親は鉱山技師。原子力発電環境整備機構理事長を務めた近藤駿介は実兄。北海道名寄高等学校を経て、北海道札幌南高等学校卒業後、北海道大学工学部で黎明期にあった原子力教育を受ける。北大工学部電気工学科卒業後、1969年北海道電力入社。若手時代にアメリカの原子力発電所での実務研修を受け原子力運営課長を経て、泊発電所長、理事苫小牧支店長、取締役事業推進部長などを歴任し、2004年から取締役社長、原子力発電を重視する経営路線を強め泊原発3号機の建設推進や原価の見直しによる「本格改定」で2度の電気料金値下げやオール電化住宅の普及を主導した。
橋本 尚江(はしもと ひさえ、1945年3月1日 - )は、… 橋本 尚江(はしもと ひさえ、1945年3月1日 - )は、日本の英文学者、英国文化研究者。北海道大学名誉教授。専門はイギリス・ロマン派詩人の研究、および1980年代以降の多文化社会としての英国文化研究。北海道札幌市出身。
藤島隆(ふじしま たかし、1945年- )は、日本の図書館員… 藤島隆(ふじしま たかし、1945年- )は、日本の図書館員、図書館研究者。 北海道札幌市生まれ。1970年、北海学園大学法学部を卒業し、北海道大学附属図書館勤務。旭川医科大学、山梨医科大学、山形大学、徳島大学等を経て、2005年富山大学附属図書館を退職。図書館・貸本業を研究した。
八田 信之(はった のぶゆき、1944年11月6日 - )は… 八田 信之(はった のぶゆき、1944年11月6日 - )は、日本の重量挙げ選手、政治家。メキシコオリンピック重量挙げライト級4位。1970年北海道新聞スポーツ賞受賞。1990年から北海道ウエイトリフティング協会会長代行、1992年から同会長。 札幌市の西区選出市会議員を4期務めたほか、1995年第17回参議院議員通常選挙で青年自由党の比例区名簿1位、2000年の第42回衆議院議員総選挙では北海道1区の自由党候補(重複立候補)として出馬したものの落選した。2011年の統一地方選挙の北海道議会議員選挙にて札幌市西区選挙区より無所属で出馬し、初当選を果たした。北海道議会では会派「フロンティア」に所属した。
金野 昭次(こんの あきつぐ、1944年9月1日 - 201… 金野 昭次(こんの あきつぐ、1944年9月1日 - 2019年9月5日)は、北海道札幌市西区出身の元スキージャンプ選手。母方の血縁に大倉山ジャンプ競技場初代バッケンレコード保持者の浜謙二がいる。 小学3年生の時にスキージャンプを始める。北海高校から日本大学に進学し、同大スキー部監督の八木祐四郎の指導を受ける。卒業後は北海道拓殖銀行に入行。 1968年グルノーブルオリンピックで五輪初出場。しかし、70m級で24位、90m級で20位に終わる(4年後に札幌オリンピックの開催が決まっていた日本は、この大会に過去最高の62選手を送り込んだが、メダルはおろか6位入賞すら果たせなかった)。 1972年の札幌オリンピックで2度目の五輪出場を果たし、70m級で銀メダルを獲得。
木村 俊光(きむら としみつ、1944年(昭和19年)6月2… 木村 俊光(きむら としみつ、1944年(昭和19年)6月28日 - 2026年4月17日)は、日本の声楽家(バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者。桐朋学園大学名誉教授。 北海道札幌市生まれ。 1967年(昭和42年)桐朋学園大学卒業。声楽を伊藤武雄に、指揮法を齋藤秀雄に師事。 1968年(昭和43年)に渡欧。ウィーン国立音楽大学に入学。在学中に国際コンクールで連続優勝(後述の受賞歴の項を参照)。1970年(昭和45年)ウィーン国立音楽大学を首席で卒業。 1970年(昭和45年)からライン・ドイツ・オペラ(西ドイツ・デュッセルドルフ/デュースブルク)と契約し、16年にわたり専属歌手として、プッチーニ『ラ・ボエーム』マルチェロ役などで活躍。
石間 秀機(いしま ひでき、1944年3月21日 - )は、… 石間 秀機(いしま ひでき、1944年3月21日 - )は、日本のロックギタリスト。インド音階を駆使したラーガ奏法のシタール奏者。北海道札幌市出身。以前は、「石間秀樹」や「石間ヒデキ」の芸名で活動していた。 高校卒業後に本格的にギターを始め、札幌で「ジャローズ」というバンドを結成。その後上京し、1966年にGSグループ「ジ・アウトロウズ」(後にザ・ビーバーズと改名)を結成。1967年シングル「初恋の丘」でデビューしたが、1969年解散。 同年、内田裕也に誘われ、ロックバンド「フラワーズ」にリード・ギタリストとして参加する。同バンドはメンバー・チェンジを経て「フラワー・トラベリン・バンド」(通称:FTB)となり、翌年アルバム『anywhere』でデビュー。
佐々木 一樹(ささき かずき、1944年 - )は、日本のヴ… 佐々木 一樹(ささき かずき、1944年 - )は、日本のヴァイオリニスト。 札幌北高校出身、札幌音楽院で荒谷正雄に師事。1966年から札幌交響楽団コンサートマスター、1977年から東京交響楽団コンサートマスターを務めた。1980年、ヴェネツィア合奏団 (I SOLISTI VENETI)に招かれ、首席奏者及びソリストに就任。ソロ及び「クヮルテット・ロッシーニ」等の室内楽でも活躍。 長女はピアニストのウララ・ササキ、次女はチェロ奏者のマルモ・ササキで、父娘で「パドヴァ・トリオ」としても活動している。
安田 南(やすだ みなみ、1943年11月14日 - 200… 安田 南(やすだ みなみ、1943年11月14日 - 2000年代初頭?/2008年頃?/2009年?/2018年12月25日?)は、日本の女性ジャズシンガー。 北海道札幌市生まれ。12歳まで札幌で過ごし、中学の時、東京都目黒区の目黒第十中学校に転入する。同級生に佐藤信(劇作家・演出家)がいた。一人で演劇部を創設するなど、活動的な生徒であった。東京都立広尾高等学校では授業をさぼってジャズ喫茶に入り浸り、サラ・ヴォーンやアート・ブレイキーに夢中になる。同校卒業後の1961年、18歳でテレビ番組「勝ち抜きジャズ」ボーカル部門に出演し優勝、世界一周をした実力派。20歳のとき俳優座養成所に16期生として入所するが2年で中退(養成所同期に古谷一行、鶴田忍、峰岸徹、大林丈史、大出俊、太地喜和子などがいる)。
石川 鷹彦(いしかわ たかひこ、1943年7月16日 - )… 石川 鷹彦(いしかわ たかひこ、1943年7月16日 - )は、北海道札幌市生まれの編曲家、ギタリスト、スタジオ・ミュージシャンである。 北海道札幌市生まれ。小学生のときに東京に移る。1968年に同じ多摩美術大学の小室等とともに六文銭を結成。その後吉田拓郎・かぐや姫・イルカ・アリスらの演奏を担当。1970年代のフォーク・ニューミュージックシーンにおいて多くの演奏を残し、編曲家としても数々のヒット曲を生み出した。 1992年にさだまさしのアルバム『ほのぼの』をプロデュースして以来、さだのサポートメンバーとしての活動が多かった。『第47回NHK紅白歌合戦』においても、さだのサポートメンバーとして出演した。 1996年9月から10月にかけて、NHK趣味百科「アコースティック・ギター入門」に加藤和彦とともに講師として出演。
竹島 一彦(たけしま かずひこ、1943年3月16日 - )… 竹島 一彦(たけしま かずひこ、1943年3月16日 - )は、大蔵官僚。主計局主計官、主計局次長、大蔵省大臣官房総務審議官、経済企画庁長官官房長、第30代国税庁長官、初代内閣官房副長官補。第20代公正取引委員会委員長などを歴任。 村井七郎(三和銀行副頭取、大蔵省国際金融局長、財務参事官)は、義父にあたる。 首相官邸で政策調整に当たる内閣官房副長官補時代に、個人情報保護法の制定に携わり、法案の黒幕と名指しされた。また当時、被用者健康保険の本人負担2割から3割への引き上げに精力し、猛反発を乗り越え、制度改正する。 2002年7月より公正取引委員会委員長に就任。 在任中、独占禁止法の改正や談合や優越的地位の濫用等の監視・摘発の強化に尽力し、「吠えない番犬」から「戦う公取委」に脱皮させた人物と評価される。
加森 公人(かもり きみひと、1943年 - )は、日本の実… 加森 公人(かもり きみひと、1943年 - )は、日本の実業家。加森観光取締役相談役。元代表取締役社長。 1943年、北海道札幌市に生まれる。札幌北高校を卒業、同高校時代の修学旅行で後楽園遊園地のジェットコースターに乗ったことをきっかけに遊園地好きとなり、その後の遊園地開発へと繋がる。 大学は教師を志望し東京教育大学を第一志望としていたものの不合格となり、1968年に学習院大学経済学部を卒業、立教大学大学院ホテル観光学科修了。大学卒業後は日本ケーブル浦安工場に出向し索道の安全輸送について学んだ後、大学院修了後に父の加森勝雄が第三セクター方式で設立した「登別温泉ケーブル」に就職。夏の濃霧の頃が事実上のオフシーズンになっていたさなか「のぼりべつクマ牧場」の運営にたずさわり、ヒグマを飼育し観光客を呼び込むとともにヒグマの人工飼育や計画出産への挑戦、博物館の建設、ヒグマに芸を覚えさせてのショーの開催といったヒグマに特化した積極策を取り、クマ牧場の収益を元手に札幌市の都心で中古ビルを買収し収益を強化した。
佐藤 進(さとう すすむ、1942年11月26日 - )は、… 佐藤 進(さとう すすむ、1942年11月26日 - )は、北海道札幌郡豊平町豊羽鉱山(現札幌市南区)出身の元プロ野球選手(投手)。 中学時代は卓球の選手。北海高校ではエース、四番打者として1960年に春夏連続で甲子園に出場。春の選抜では準決勝まで勝ち上がるが、高松商の左腕エース松下利夫(明大-四国電力)に抑えられ0-2で完封負け。高松商には山口富士雄がおり、この大会で優勝している。夏の選手権は準々決勝で静岡高に惜敗。しかし秋の熊本国体では、決勝で米子東高の宮本洋二郎に3-0で投げ勝ち初優勝を飾る。高校の1年上には荻野一雄、茅野智行がいた。 高校卒業後は、社会人野球の富士製鐵室蘭に入団。1963年の都市対抗に出場。
三井 辨雄(みつい わきお、1942年〈昭和17年〉11月2… 三井 辨雄(みつい わきお、1942年〈昭和17年〉11月24日 ‐ 2021年〈令和3年〉4月2日)は、日本の政治家、実業家、薬剤師。 衆議院議員(4期)、国土交通副大臣(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、厚生労働大臣(第15代)などを歴任し、青山会(樽床伸二グループ)代表世話人を務めた。報道等では新字体で三井 弁雄(みつい わきお)の表記も用いられる。 北海道札幌市生まれ。札幌市立柏中学校、北海高等学校、昭和薬科大学薬学部卒業。薬剤師免許を取得し、1967年登録。1975年、三井薬品株式会社を設立し、同社代表取締役に就任。その後医療法人交雄会の理事長に就任し、北海道内に3病院・2介護福祉施設を開設。
清川 雪彦(きよかわ ゆきひこ、1942年11月22日 - … 清川 雪彦(きよかわ ゆきひこ、1942年11月22日 - )は、日本の経済学者。経済学博士(一橋大学・論文博士・1996年)。一橋大学名誉教授。東京国際大学教授。日本学士院賞、日経・経済図書文化賞等受賞。 北海道札幌市出身。2004年労働関係図書優秀賞、1996年日経・経済図書文化賞、1976年アジア経済研究賞。アジア政経学会理事、中国経営管理学会常任理事等を歴任。『アジアにおける近代的工業労働力の形成―経済発展と文化ならびに職務意識―』により2005年日本学士院賞受賞。指導学生に杜進など。2018年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。 この間ロンドン大学東洋アフリカ研究学院客員研究員、デリー大学中国日本研究科客員教授、台湾大学経済研究所客員研究員等も務めた。
上杉 尹宏(うえすぎ たかひろ、1942年11月3日 - )… 上杉 尹宏(うえすぎ たかひろ、1942年11月3日 - )は、元全日本スキーノルディック複合ヘッドコーチ、監督。北海道札幌市生まれ。北海道東海大学(2008年に東海大学に統合され同校の札幌キャンパスとなっている)国際文化学部教授、同大学国際文化学部長を経て、東海大学特任教授。北海道スキー連盟専務理事。北海道体育協会理事。全日本スキー連盟評議員。北海道体育協会競技力向上委員。息子の上杉宏樹は元スキージャンプ選手。 北海道札幌東高等学校を経て、日本体育大学卒業。全日本ノルディック複合チームで、1988年カルガリーオリンピック、1992年アルベールビルオリンピック、1994年リレハンメルオリンピックにヘッドコーチ、1998年長野オリンピックでは監督として計4度の五輪に参加。
鷲田小弥太(鷲田小彌太、わしだ こやた、1942年(昭和17… 鷲田小弥太(鷲田小彌太、わしだ こやた、1942年(昭和17年)3月13日 - )は、日本の哲学者、札幌大学名誉教授。