宮平 秀治(みやひら ひではる、1973年12月21日 - … 宮平 秀治(みやひら ひではる、1973年12月21日 - )は、日本、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。小樽向陽中学校、北海道小樽工業高等学校を経てミズノで活躍した。ソルトレイクシティオリンピック日本代表。ノルディックスキー世界選手権銀メダリスト。
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宮平 秀治(みやひら ひではる、1973年12月21日 - … 宮平 秀治(みやひら ひではる、1973年12月21日 - )は、日本、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。小樽向陽中学校、北海道小樽工業高等学校を経てミズノで活躍した。ソルトレイクシティオリンピック日本代表。ノルディックスキー世界選手権銀メダリスト。
野呂田 義一(のろた よしかず、1972年3月9日 - )は… 野呂田 義一(のろた よしかず、1972年3月9日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 小樽ジャンプ少年団から小樽桜陽高校を経て1990年デサント入社。 1994年から登録名を野呂田 喜克援としていた。 1998年1月11日のワールドカップラムソー大会で日の丸飛行隊が上位6人中5人を占めたときに5位タイとなった。(ワールドカップでの自己最高位) 2003年3月現役を引退し八木弘和が設立したクラブチームWSCシュピッツのコーチに就任。 2015年に株式会社ecoaハウス(通称:神出設計エコアハウス)入社。戸建て住宅の営業マンとして勤務している。
川崎清司(かわさき せいじ、1966年4月23日 - )は、… 川崎清司(かわさき せいじ、1966年4月23日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。身長 180cmと、日本人としては大柄なジャンパーだった。 小樽市立住吉中学校、小樽北照高等学校から近畿大学を経て1989年東洋実業グループ入社した。同期で入社したジャンプ選手に竹内卓哉、二階堂学がいる。社会人になってから成績が振るわなかった為、1990年から当時注目され始めたV字スタイルに転向、日本人初のV字ジャンパーとなった。1994年に現役引退した。
須田 健仁(すだ けんじ、1966年2月26日 - )は、北… 須田 健仁(すだ けんじ、1966年2月26日 - )は、北海道小樽市出身の日本の元スキージャンプ選手。 小樽市立松ヶ枝中学校、北海道余市高等学校卒業。1984年東京美装興業入社。中学、高校時代は目立った実績は無かったが、社会人になって頭角を現す。1984年-1985年シーズンは誕生日の関係で各大会少年組にエントリーしたが、ここで優勝を重ねた。 ワールドカップに1990年から1998年まで参戦、通算12回ベスト10に入った。最高位は1994年3月のスウェーデンのエルンシェルツビクで行われた大会のノーマルヒル2位。 1992年のアルベールビルオリンピックに出場し、上原子次郎、原田雅彦、葛西紀明と共に団体4位になった。
川端 隆普美(かわばた たかふみ、1954年6月26日 - … 川端 隆普美(かわばた たかふみ、1954年6月26日 - )は日本の元スキージャンプ選手。名前は隆普実という表記も見られる。北海道出身。 北照高等学校→明治大学→北海道拓殖銀行 北照高校在学時、1972年札幌オリンピックにテストジャンパーとして参加した。 高校時代から多くのタイトルを獲得、明治大に進学して全日本学生スキー選手権で3年連続優勝を記録した。これは菊地定夫に次いで2人目の記録である。 1978年のノルディックスキー世界選手権(フィンランド・ラハティ)では70m級40位、90m級41位であった。また、1980年のレークプラシッドオリンピックで70m級29位、90m級32位の成績を残した。
杉本 政徳(すぎもと まさのり、1946年2月6日 - )は… 杉本 政徳(すぎもと まさのり、1946年2月6日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 北海道小樽潮陵高等学校→早稲田大学→国鉄北海道 1968年グルノーブルオリンピックの代表に選ばれたものの、競技では補欠に回り出場しなかった。
板垣 宏志(いたがき ひろし、1945年4月27日 - )は… 板垣 宏志(いたがき ひろし、1945年4月27日 - )は、北海道出身の元ノルディック複合・スキージャンプ選手。北海道小樽潮陵高等学校、明治大学商学部卒業後、国土計画入社。 1968年グルノーブルオリンピックから3大会連続出場。グルノーブルオリンピックは複合で出場し、得意のジャンプで2位につけたがクロスカントリーでは30位のタイムでトータル10位。 1972年札幌オリンピックでは笠谷幸生、金野昭次、青地清二、藤沢隆らと共に“7人の侍”と呼ばれたジャンプメンバーの1人で、70m級ジャンプは前日にメンバーが7人から4人に絞られ出場できなかったが、90m級ジャンプでは70m級銅メダルの青地に代わって出場。
青地 清二(あおち せいじ、1942年6月21日 - 200… 青地 清二(あおち せいじ、1942年6月21日 - 2008年8月14日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。
松井 孝(まつい たかし、1940年2月27日 - )は、日… 松井 孝(まつい たかし、1940年2月27日 - )は、日本の元スキージャンプ選手。 北海道小樽市出身。小樽潮陵高校-早稲田大学-羽幌炭鉱。 1960年のスコーバレーオリンピックに出場し30位。1962年のノルディックスキー世界選手権ザコパネ大会では65m級21位、90m級25位。同年のユニバーシアード冬季大会では5位入賞を果たした。
佐藤 耕一(さとう こういち、1931年9月21日 - )は… 佐藤 耕一(さとう こういち、1931年9月21日 - )は、1950年代に活躍した日本の元ノルディック複合、スキージャンプ選手。北海道小樽市出身。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)-明治大学卒業後、クロバー乳業入社。1958年会社合併により雪印乳業に移籍。 1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックでは2種目に出場、ノルディック複合で33位、ジャンプで39位の成績を残した。 1960年スコーバレーオリンピックではジャンプで22位。 1955年第33回全日本スキー選手権複合優勝。1959年第37回全日本スキー選手権ジャンプ競技優勝。
吉沢 広司(よしざわ ひろじ、1931年5月5日 - 201… 吉沢 広司(よしざわ ひろじ、1931年5月5日 - 2013年4月7日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 ジャンプの名門北海道小樽潮陵高等学校で本格的にジャンプを始め、早稲田大学教育学部卒業後、同和鉱業で競技を続ける。冬季オリンピックに2回連続で出場した。 初出場の1952年オスロオリンピックでは36位タイ。旗手を務めた1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックでは1本目9位に付けたものの2本目18位で結局13位に終わった。 全日本スキー選手権を1953年第31回、1955年第33回、1958年第36回、1960年第38回と合計4回制している。
藤沢良一(ふじさわ りょういち、1927年5月25日 - )… 藤沢良一(ふじさわ りょういち、1927年5月25日 - )は、北海道小樽市出身で1950年代に活躍した日本の元クロスカントリースキー、ノルディック複合、スキージャンプ選手。小樽水産高校から明治大学を経て松尾鉱山。1998年の長野オリンピックでは、聖火リレーの走者を務めた。
川島 弘三(かわしま こうぞう、1926年9月26日 - )… 川島 弘三(かわしま こうぞう、1926年9月26日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 スキーの名門旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)入学時は野球の選手で1年からセカンドのレギュラーとなったが、3年の冬にスキー部へ移り本格的にジャンプを始める。戦後明治大学に進学し、1948年の全日本学生スキー選手権大会(インカレ)で優勝、1952年のオスロオリンピック代表(42位)。
久保 登喜夫(くぼ ときお、1921年10月2日 - 194… 久保 登喜夫(くぼ ときお、1921年10月2日 - 1945年4月28日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ、ノルディック複合選手。大日本帝国海軍軍人。神風特別攻撃隊隊員として戦死した悲劇のジャンプ選手として有名である。 1921年10月2日に北海道小樽市で生まれた。実家近く(小樽市奥沢・眞栄地区)にゲレンデが多かった影響もあり、少年時代よりスキーの才能を開花させた。1935年に旧制小樽中学(現・北海道小樽潮陵高等学校)入学後は、校内にジャンプ台・山小屋風ヒュッテ・夜間照明など恵まれた環境を活かし、メキメキ実力を上げていった。そして4年生だった1939年の第17回全日本スキー選手権大会ノルディックスキー・スペシャルジャンプ少年の部で65.5m,60mのジャンプを見せ、総合点222.5の成績で優勝を果たした。
龍田 峻次(たつた しゅんじ、1914年12月23日 - 1… 龍田 峻次(たつた しゅんじ、1914年12月23日 - 1991年1月1日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。「竜田」という表記もあり。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)を経て、早稲田大学専門部商科卒業。 1936年のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックに出場し、73.5m、77.0mを飛ぶがいずれも転倒、46位に終わる。2本目の77.0mはこの大会最長の飛距離だった。 引退後はスコーバレー・グルノーブル両オリンピックでスキーチームの監督をつとめ、その後も全日本スキー連盟の常任理事を務めるなど、スキー界に携わった。実弟の龍田鳳三も元ジャンパーでスキー連盟常任理事などを歴任。
宮嶋 巌(みやじま いわお、1914年5月2日 - 2005… 宮嶋 巌(みやじま いわお、1914年5月2日 - 2005年6月21日)は、北海道小樽市出身のスキージャンプ選手。宮島の表記もある。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)4年時にジャンプを始めた。中学卒業後、小樽高等商業学校(現:小樽商科大学)に進む。 高等商業学校在学中の1936年にガルミッシュ・パルテンキルヒェンオリンピックに出場、31位だった。本人は「恥ずかしいばかりの成績」と不本意な結果だった。 当時主流だった両腕を前に伸ばして前傾するフォームではなく、現在において主流になっている両腕を身体に添えるフォームを用いていたという。
関口 勇(せきぐち いさむ、1910年10月28日 - 未詳… 関口 勇(せきぐち いさむ、1910年10月28日 - 未詳)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ、ノルディック複合、アルペンスキー選手。 旧制北海商業学校 → 札幌鉄道管理局 → 北海道帝国大学若労会 中学時代からジャンプの選手として知られ、卒業後はノルウェースキー連盟副会長のオラフ・ヘルセット中尉の指導を受けた。飛型の美しさには定評があり、日本で初めて本場北欧のジャンプを身につけた選手と言われる。1930年の第8回全日本スキー選手権大会ジャンプ競技で優勝。1932年レークプラシッドオリンピックの日本代表に選出されるが、大会直前に病気で途中帰国した。 その後ノルディック複合に転向し、1935年の全日本スキー選手権大会ノルディック複合で優勝、翌1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックの代表に選出される。