石田 充冴(いしだ じゅうざ、2006年7月21日 - )は… 石田 充冴(いしだ じゅうざ、2006年7月21日 - )は、北海道旭川市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 旭川市立啓明小学校で1年生の時に啓明ライオンズで野球を始める。投手を務め、同学年のウメビンユオオケム明とバッテリーを組んでいた。 北星学園大学附属高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。初めて背番号1を背負った2年秋の全道大会では、駒大苫小牧との初戦で6回まで無安打無失点と好投したが、7回に3失点し敗れた。3年夏の南北海道大会は大会直前に左足首を捻挫した影響で先発を回避し、チームは札幌支部代表決定戦で敗れた。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、読売ジャイアンツから4位指名を受けた。
ウメビンユオ オケム明(ウメビンユオ オケムめい、2006年… ウメビンユオ オケム明(ウメビンユオ オケムめい、2006年4月10日 - )は、長野県松本市出身、北海道旭川市育ちのプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 NPBでの登録名はオケム。 小学校入学前に松本市から旭川市に転居。旭川啓明小1年の時に啓明ライオンズで野球を始め、当時のポジションは捕手であった。旭川東光中では軟式野球部に所属。旭川志峯高校での最高成績は3年夏の北北海道大会4強であった。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、埼玉西武ライオンズから育成7位指名を受けた。11月18日には支度金350万円・年俸280万円(金額はいずれも推定)で仮契約を締結。
田中 楓基(たなか ふうき、2003年8月23日 - )は、… 田中 楓基(たなか ふうき、2003年8月23日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 旭川市立新富小学校1年生の時から所属した新富野球少年団では、松浦慶斗と一緒にプレー。旭川市立明星中学校では軟式野球部に所属した。 旭川実業高等学校では1年春から背番号1を付けてベンチ入りし、2年秋の全道大会ではエースとしてチームを準優勝に導いた。3年夏の北北海道大会は1回戦で帯広大谷高等学校と対戦し、自己最速タイの148km/hを記録するなど奮闘したが、延長13回タイブレークで敗れて初戦で敗退した。後に、この登板について「一番記憶に残っている。ああいう経験はしたくない。
持丸 泰輝(もちまる たいき、2001年10月26日 - )… 持丸 泰輝(もちまる たいき、2001年10月26日 - )は、北海道旭川市出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。広島東洋カープ所属。 旭川市立永山西小学校2年時に永山西クラブで野球を始め、旭川市立永山中学校ではエースで4番を務めた。 高校は旭川大学高等学校に進学し、1年春からベンチ入り。2年夏には甲子園大会に出場し、1回戦の佐久長聖戦に「4番・左翼手」で先発出場。一時勝ち越しとなる適時打を放ったが、チームは大会史上初となるタイブレークの末に敗れ、初戦敗退した。新チームでは捕手にコンバートされ、3年夏も甲子園大会に出場。1回戦の星稜戦では「2番・捕手」で先発出場し、相手エースの奥川恭伸から1安打を放ったが、チームは0-1で惜敗した。
沼田 翔平(ぬまた しょうへい、2000年6月24日 - )… 沼田 翔平(ぬまた しょうへい、2000年6月24日 - )は、北海道旭川市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 旭川市立神居小学校では4年生時に野球を始めるも、シラカバアレルギーを発症し、バレーボールに転向。6年生時に永山ウィングのスパイカーとして全道優勝を経験。旭川市立神居中学校で再び野球に転向し、軟式野球部に所属した。 旭川大高校では1年春からベンチ入りし、主力投手として活躍。3年夏はエースとして北北海道大会を勝ち抜き9年ぶりの優勝に貢献した。第100回全国高等学校野球選手権記念大会では初戦の佐久長聖高校戦に先発し、8回4失点(自責0)と粘投したが、チームはタイブレークの末敗れた。
笠井 崇正(かさい たかまさ、1994年8月7日 - )は、… 笠井 崇正(かさい たかまさ、1994年8月7日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 旭川市立共栄小学校3年時から軟式野球を始めると、東陽中学校時代には軟式野球部に所属していた。 旭川西高校への進学後に硬式野球部へ入ると、2年時の春からベンチ入り。夏の選手権大会では、旭川支部の予選を勝ち抜いた末に、チーム44年ぶりの北北海道大会出場を果たした。3年時の春には、チーム史上初めて全道大会へ出場すると、野球部創部後の対外試合では初めての完封勝利(9回5安打11奪三振)を1回戦で達成した。後に2回戦まで進出したが、在学中には春夏共に、阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。
成瀬 功亮(なるせ こうすけ、1992年8月19日 - )は… 成瀬 功亮(なるせ こうすけ、1992年8月19日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 小学3年の時、野球を始める。中学時代は、旭川北陵シニアに所属し三塁手兼投手としてプレー。 旭川実業高時代は、3年時の春にエースナンバーを背負ったが、その後故障もあり夏には同期の鈴木駿平にエースの座を譲り控え投手になった。北北海道予選では1試合の登板に留まったが、甲子園では初戦の佐賀学園高戦にリリーフで登板、キレの良い投球で3回と2/3を3奪三振1失点、最速145km/hを記録する快投を見せるもチームは敗退。その他の同期に玉井大翔がいる。 2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツから育成6位指名を受ける。
浅沼 寿紀(あさぬま としのり、1989年7月21日 - )… 浅沼 寿紀(あさぬま としのり、1989年7月21日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(外野手)。
田沢 由哉(たざわ ゆうや、1987年4月17日 - )は、… 田沢 由哉(たざわ ゆうや、1987年4月17日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 旭川大高に入学すると、1年生にして早くも甲子園の舞台で登板し141km/hという速球を投げて注目された。 2005年夏、旭川商高に北北海道大会旭川地区代表決定戦で敗れ、甲子園出場を逃した。同年のドラフトで西武ライオンズに3巡目に指名され、投手として入団。 2006年は2軍で7試合に投げて防御率6.63、2007年は15試合に投げて防御率8.29、30四球、被本塁打8本とまだまだ荒削りなピッチングであった。 2009年シーズン終了後に内野手へ転向した。 2010年はファームで主に三塁手、外野手として出場するも打率.108と結果を残せず10月1日、球団から戦力外通告を受けた。
明石 健志(あかし けんじ、1986年1月9日 - )は、北… 明石 健志(あかし けんじ、1986年1月9日 - )は、北海道旭川市出身の福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(内野手)。
牧谷 宇佐美(まきたに うさみ、1980年5月1日 - )は… 牧谷 宇佐美(まきたに うさみ、1980年5月1日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。2010年より北海道日本ハムファイターズ・ベースボールアカデミーのコーチ(野球教室講師)を務めている。 小学校4年生の時に野球を始めると、小学校6年生の時には、軟式野球の全国大会へ出場した。中学校時代には、野球部に所属。2年生の時に、旭川市の大会で砲丸投の最長投擲記録を樹立している。 旭川実業高校への進学後は、投手として対外試合で20勝以上を記録。3年生の夏には、最速で140km/hの速球を投げることで注目されたものの、地区予選で旭川北高校に惜敗した。高校通算18本塁打を記録し、100mを11秒台で走るなど、俊足強打の野手としても高い評価を受けていたが、在学中には春夏とも阪神甲子園球場の全国大会出場はならなかった。
鈴木 貴志(すずき あつし、1979年3月1日 - )は、北… 鈴木 貴志(すずき あつし、1979年3月1日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。 旭川工では2年夏、秋の全道大会ベスト4。1996年、第78回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦で前川克彦投手擁するPL学園高の前に敗退。 1999年、王子製紙苫小牧で第70回都市対抗野球大会に出場。その後、チーム統合で移籍した王子製紙で2002年第73回都市対抗野球大会に出場。 2002年のドラフト5巡目で千葉ロッテマリーンズに入団。 2004年、一軍試合登板がないまま、球団から戦力外通告を受ける。 2005年、社会人チーム・旭川グレートベアーズに入団し、投手兼任コーチを経て兼任監督を務める。
杉山 俊介(すぎやま しゅんすけ、1977年6月5日 - )… 杉山 俊介(すぎやま しゅんすけ、1977年6月5日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 小学3年の時に野球を始める。 砂川北高校では1年生の時からレギュラーとなり、2年生の時に正捕手として甲子園(第76回選手権大会)に出場(北北海道代表)。1回戦の島根県代表・江の川高校(現・石見智翠館高校)戦に6-5で勝利。同校の甲子園初勝利に貢献した。2回戦は南北海道代表の北海高校と対戦し、史上初の北海道対決として注目を集めたが1-10で大敗。 1995年、副キャプテンとして臨んだ最後の夏は北北海道大会まで進出するも、最終的に代表校となった旭川実業高校に2-4で敗れた。この試合で杉山は2点本塁打を放っている。
石田 威仁(いしだ たけひと、1974年7月30日 - )は… 石田 威仁(いしだ たけひと、1974年7月30日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(内野手)、指導者。 旭川市立啓明小学校4年時に、旭川中央リトルで野球を始める。旭川市立東光中学校に進学。 旭川龍谷高校時代は、2年時の1991年に第63回選抜高等学校野球大会に4番・三塁手として出場。 高校卒業後は、北海道教育大学旭川校に進学。1年春には北海道六大学野球1部のベストナインにも選ばれた。 大学卒業直前の1997年1月に渡米し、アメリカ合衆国アリゾナ州で行われる合同入団テストに最終選考まで残り、独立リーグであるプレーリー・リーグのサスカトゥーン・スモーキンガンズ(英語版)に入団。その後、同リーグ内のウェストマニトバ・ラングラーズに移籍した。
伊林 厚志(いばやし あつし、1972年8月16日 - )は… 伊林 厚志(いばやし あつし、1972年8月16日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学3年で野球を始め、中学時代には旭川中央シニアのエースとして全国大会に出場するも清原幸治に打たれて惜敗。 旭川竜谷高では、1990年の北北海道大会初戦の帯広農業高戦でノーヒットノーランを達成し、決勝まで進出するも中標津高に敗れ甲子園出場は果たせなかった。 1990年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから6位指名を受け入団。 プロ4年目の1994年に一軍登板を果たす。左の変則フォームからカーブ、シュート、フォークを投げ、ワンポイント中心で起用されるが、投球内容に安定を欠き、一軍定着できず膝に故障を負ったこともあり、1998年限りで現役を引退。
大内 貴志(おおうち たかし、1971年6月7日 - )は、… 大内 貴志(おおうち たかし、1971年6月7日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 東海大四高時代、1989年に第61回選抜高等学校野球大会に出場。初戦の八幡商業高戦では8失点ながら完投勝利を収めるも、2回戦の横浜商業高戦では5失点で敗戦した。 1989年オフ、ドラフト外で読売ジャイアンツに入団。同期には柏田貴史、出口雄大などがいる。背番号は91。 しかし、右肩の故障もあり一軍登板のないまま1994年シーズン限りで現役を引退する。 引退後は横浜市のハンズゴルフにて、ゴルフのティーチングプロになる。
本間 哲郎(ほんま てつろう、1968年5月7日 - )は、… 本間 哲郎(ほんま てつろう、1968年5月7日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(投手)。 旭川東高から、1986年オフにドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。入団時、旭川出身ということで母校の先輩「スタルヒン2世」と期待されていた。 一軍公式戦への出場がないまま、1990年限りで現役を引退。 その後、地元の社会人野球・クラブチームの旭川グレートベアーズに在籍した。また旭川北稜リトルシニアで指導している。
星野 伸之(ほしの のぶゆき、 1966年1月31日 - )… 星野 伸之(ほしの のぶゆき、 1966年1月31日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)。現在は野球解説者、野球評論家、YouTuberとして活動している。 タイトル獲得は多くないものの、11年連続2桁勝利を記録し通算176勝を挙げるなど、パ・リーグを代表する投手として活躍した。その実績と端正な顔立ち、およそ野球選手らしくない細身な体型から同リーグの、西崎幸広、阿波野秀幸、渡辺久信らと共に「トレンディエース」と呼ばれ、「星の王子さま」の愛称で親しまれた(「トレンディエース」の時代背景などは西崎の項を参照)。 北海道旭川市出身。幼少期から野球が好きで、北海道という土地柄から読売ジャイアンツ(巨人)のファンであった。
鈴木 貴久(すずき たかひさ、1963年11月20日 - 2… 鈴木 貴久(すずき たかひさ、1963年11月20日 - 2004年5月17日)は、北海道旭川市出身のプロ野球選手(外野手)。 旭川大高2年時の1980年に、北北海道代表として夏の選手権に出場。同大会では、北北海道代表校として初めて2勝を挙げた。 高校卒業後、社会人野球の電電北海道を経て、1984年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから5位指名を受け入団した。 1985年はウエスタン・リーグで打率.296、8本塁打を記録。 1986年に頭角を現す。 1987年にレギュラーを獲得。以後、4年連続で20本塁打以上を記録するなど近鉄の主力として活躍し、「北海の荒熊」の異名をとった。 1988年10月19日に川崎球場で行われたロッテオリオンズとのダブルヘッダーでは、第1試合の9回表二死二塁の場面で二塁走者として梨田昌孝の適時打でホームインし、決勝点となる得点を挙げた(第2試合に引き分け優勝は逃した)。
石鉢 勝美(いしばち かつみ、1931年7月26日 - )は… 石鉢 勝美(いしばち かつみ、1931年7月26日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(投手)。 旭川商業高校から旭川鉄道管理局を経て、1953年に名古屋ドラゴンズへ入団。同年退団。 1956年から1964年まで旭川協会に所属した。
水野 忠彦(みずの ただひこ、1926年8月15日 - 19… 水野 忠彦(みずの ただひこ、1926年8月15日 - 1998年3月1日)は、長野県出身のプロ野球選手。
別府 隆彦(べっぷ たかひこ、1926年2月27日 - 20… 別府 隆彦(べっぷ たかひこ、1926年2月27日 - 2010年12月25日)は、北海道旭川市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは内野手。 旧制明治中学校では内野手としてプレーし、明治大学に進学。大学3年生の時にマネージャーをする傍らに、島岡吉郎監督の後を受けて母校の明治中学の野球部監督を務めた。大学卒業後は大和証券に入社し、同社の軟式野球部の監督も務め、硬式への切り替えに取り組んだ。 1988年から1995年までに島岡吉郎の後任として、明治大学の監督を務めた。監督在任時には、東京六大学野球リーグでは、4回優勝を果たし、1995年の明治神宮野球大会では、エースの川上憲伸を擁して、日本一を果たした。
干場 一夫(ほしば かずお、1924年4月29日 - 201… 干場 一夫(ほしば かずお、1924年4月29日 - 2013年11月12日)は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。 旧制北海道庁立旭川中学校(現:北海道旭川東高等学校)、日本製鐵輪西、旭川鉄道局を経て、1950年に大阪タイガースに入団。初年度である同年に10勝を挙げる活躍をする。オーソドックスなアンダースローの投手であった。1951年も先発陣の一角として期待されたが4勝に終わり、1952年に肩を故障して退団。わずか3年のプロ野球生活であった。 2013年11月12日、89歳で死去した。 予告先発制度の導入前によく行われていた投手による偵察メンバーであるが、干場はその第1号である。1950年4月22日、熊本市水前寺野球場での対中日ドラゴンズ戦で、中日の先発投手が左の清水秀雄か右の服部受弘で迷った松木謙治郎選手兼任監督は、前日の対広島カープ戦で完投勝利を挙げた干場を1番・レフトとして出場させる。