竹田 現照(たけだ げんしょう、1924年1月8日 – 20… 竹田 現照(たけだ げんしょう、1924年1月8日 – 2006年4月18日)は、日本の政治家、参議院議員(2期)。 北海道夕張市出身。1944年(昭和19年)逓信官吏講習所外国通信語学科を卒業後、札幌郵便局に入り、郵政事務官として勤務する。全逓北海道地方本部書記長を経て、1965年(昭和40年)参議院議員選挙に北海道地方区から日本社会党で立候補し当選。以後2期12年務める。1994年(平成6年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章。 2006年(平成18年)4月18日、肺炎のため札幌市内の病院で死去、82歳。死没日をもって従四位に叙される。 新東京国際空港(現成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった。
安田 健(やすだ けん、1922年4月16日 - )は、日本… 安田 健(やすだ けん、1922年4月16日 - )は、日本の農学者。 北海道夕張市生まれ。本籍・石川県志雄町。1946年北海道帝国大学(現・北海道大学)農学部卒業。1961年『わが国稲作技術の地域的展開に関する文献的研究』で九州大学農学博士。1950年から農業発達史調査会(盛永俊太郎編集長、東畑精一会長)で稲作史の部門を担当。朝日新聞東京本社企画部に勤務。山階鳥類研究所でトキの研究。1959年『日本農業発達史』(農業発達史調査会)で朝日賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
木下 重教(きのした しげのり、1922年(大正11年)4月… 木下 重教(きのした しげのり、1922年(大正11年)4月10日 - 2008年(平成20年)12月5日)は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。専門は資源開発工学。北海道大学名誉教授・北海道情報大学初代学長。北海道夕張市出身。恩師は佐山総平。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
久保 赳(くぼ たけし、1920年 <大正9年> 4月1日 … 久保 赳(くぼ たけし、1920年 <大正9年> 4月1日 - 2011年 <平成23年> 4月1日)は、日本の建設技官。初代建設省下水道部長や、日本下水道事業団理事長、日本下水道協会理事長を務め、日本の下水道行政の基礎を築いた。1994年には日本人として初めてストックホルム水賞を受賞した。勲二等瑞宝章受章。位階は正五位。 北海道夕張市生まれ。北海道庁立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)を経て、1944年北海道帝国大学工学部土木工学科卒業。満洲国政府高等官試補、神戸市復興本部を経て、建設省が発足した1948年に同省に入省し、水道課に配属された。建設省下水道課長を経て、初代建設省下水道部長や、日本下水道事業団理事長、日本下水道協会理事長を務め、流域下水道計画を推進し、長與專齋、關一、ウィリアム・K・バートン、中島鋭治らと並んで、日本の下水道事業を軌道に乗せた技術者と評された。
達ノ里 寿弥(だてのさと としや、1920年3月19日 - … 達ノ里 寿弥(だてのさと としや、1920年3月19日 - 没年不明)は、北海道夕張市出身の元大相撲力士。振分部屋→玉ノ井部屋→振分部屋所属。本名は工藤 寿弥(くどう としや)。最高位は西十両5枚目。得意技は投げ、捻り。 振分部屋に入門し、1936年1月場所に初土俵を踏む。1941年1月場所に十両に昇進。再十両の1943年5月場所に応召される。1946年11月場所に復帰するが、その後は十両の地位にあるも勝ち越すことなく1947年11月場所に27歳で廃業した。非常に柔軟な体格で足腰も良く、軽量だが投げや捻りを駆使した激しい取り口が持ち味のの相撲巧者であった。
森下 節(もりした せつ、1920年(大正9年)3月5日 -… 森下 節(もりした せつ、1920年(大正9年)3月5日 - 1984年(昭和59年)8月11日)は、日本の作家。北海道夕張市紅葉山生まれ。本名・裕(ゆたか)。新聞・雑誌記者をへて作家生活に入る。1962年(昭和37年)から文芸同人誌『藝文』主宰。全国同人雑誌協会副会長。中河与一に師事し、戦時中、中河が左翼作家のリストを情報局に流したというデマを平野謙が流したと指摘した(『ひとりぼっちの戦い』)。
引間 博愛(ひきま ひろよし、1920年3月1日 - 201… 引間 博愛(ひきま ひろよし、1920年3月1日 - 2011年12月3日)は、日本の労働運動家。元全国貨物自動車労働組合委員長、統一労組懇常任代表委員、全労連顧問。 北海道夕張市生まれ。高等小学校卒。大夕張鉱業購買会・東京貨物運送統制組合勤務を経て、戦後の1946年に神田運送で労組を結成。同年東京貨物運送労働組合(東貨労)本部役員。1954年、全国貨物自動車労働組合(全自労)委員長。1977年、全日本運輸一般労働組合(全自労の後身)委員長。 1980年、統一労組懇常任代表委員。同団体の中心人物として、1989年の全労連結成に大きな役割を果たした。以後、全労連顧問、全日本年金者組合委員長(初代)、全国革新懇・東京革新懇各代表世話人などを歴任した他、原水爆禁止運動にも尽力した。
原 茂(はら しげる、1920年1月8日 - 2007年12… 原 茂(はら しげる、1920年1月8日 - 2007年12月23日)は、昭和から平成時代の労働運動家。日本炭鉱労働組合(炭労)委員長。 北海道夕張市生まれ。1935年夕張市鹿の谷高等小学校卒業。北海道の中小炭鉱に入り、兵役を経て、1944年北海道炭礦汽船平和鉱業所に入社。1946年平和炭鉱労組書記長、1947年同労組委員長。1950年北海道炭鉱汽船労働組合連合会(北炭労連)副委員長。1951年日本炭鉱労働組合(炭労)副委員長。1952年の破防法をめぐる炭労の左右対立では左派を代表する立場にたち、同年の炭労スト、1953年の三井炭鉱労連の「英雄なき113日の闘い」などを指導。1956年炭労委員長となり、1959年から1960年の三井三池闘争を指導したが、最終的に中労委の藤林斡旋案(会社は指名解雇を撤回し、該当者は自発的に退職する)を受諾して、炭労は敗北した。
不忍 鏡子(しのばず きょうこ、1919年10月29日 - … 不忍 鏡子(しのばず きょうこ、1919年10月29日 - 2008年5月23日[要出典])は、日本の女優である。戦後、不忍 郷子(しのばず きょうこ)とクレジットされた時期もあり、末期には本名の進藤 幸(しんどう こう)を名乗った。本名の読みを「さち」とするのは誤り。 1919年(大正8年)10月29日、北海道夕張郡夕張町(現在の夕張市)に生まれる。父の進藤誠三郎が鉄道省の技師であり、小学校時代だけでも、道内の釧路市、樺太庁豊原支庁豊栄郡落合町(現在のロシア連邦サハリン州ドリンスク)、東京府豊多摩郡大久保町(現在の東京都新宿区)と転校を繰り返した。1932年(昭和7年)3月、同町の大久保尋常高等小学校(現在の新宿区立大久保小学校)を卒業し、同年4月、当時角筈(現在の新宿区西新宿1丁目6番)にあった精華高等女学校(現在の東海大学付属市原望洋高等学校)に進学する。
竹田 淳照(たけだ じゅんしょう、1914年1月24日 - … 竹田 淳照(たけだ じゅんしょう、1914年1月24日 - 1998年4月20日)は、日本の中国文学者・教育者・学校経営者。専門は中国文学。北海道夕張市出身。 1939年大谷大学文学部専門部卒業。1944年北京大学研究院修了。北京大学研究員。1945年日本に引揚げ。 大阪商科大学高等商業部教諭。1951年大阪市立大学法文学部専任講師。1960年大谷大学文学部専任講師。1962年大谷大学学監・学校法人真宗大谷学園事務局長。1965年京都産業大学学監・学校法人京都産業大学事務局長。1968年京都産業大学常務理事・同副学長・同外国語学部教授。1973年学校法人札幌大谷学園理事長。1974年札幌大谷短期大学学長。
木村 謙二(きむら けんじ、1912年7月5日 - 没年不明… 木村 謙二(きむら けんじ、1912年7月5日 - 没年不明)は、日本の心理学者・教育者。稚内北星学園、北星学園女子短期大学の学長を務めた。専門は特殊児童心理学で、日本における障害児教育の先駆者の一人。 北海道夕張市出身。1935年、北海道札幌師範学校を卒業して深川尋常高等小学校の教員となる。しかしキリスト教徒のため天皇礼拝を拒んだ事などが原因で1937年に辞職し、同年に上京して東京市内の尋常小学校の代用教員などを務めながら1943年に法政大学法文学部を卒業した。 法政大学商業学校教員などを経て、1951年に北海道大学教育学部の助教授となる。1954年からは、北星学園が開設した一年制の幼児教育専修学校で教育心理学の講義を担当している。
佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう、1912年7月4日 - 2… 佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう、1912年7月4日 - 2011年3月30日)は、日本の彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。 生き生きとした女性像などをブロンズや木彫で表現した。本の装幀の仕事もこなし、福音館書店版の絵本『おおきなかぶ』の挿絵なども手がけた。出身地にある宮城県美術館には、「佐藤忠良記念館」が併設、日本で最も多い約600点の彫刻作品を収蔵。その他、滋賀県の佐川美術館の佐藤忠良記念館、札幌芸術の森「佐藤忠良記念子どもアトリエ」、国立近代美術館、国立国際美術館など、日本全国各地に佐藤忠良の作品が収蔵・展示されている。 女優の佐藤オリエは娘。作品のモデルを務めた彫刻家の笹戸千津子は弟子。
横路 節雄(よこみち せつお、1911年1月2日 - 196… 横路 節雄(よこみち せつお、1911年1月2日 - 1967年6月14日)は、日本の政治家。日本社会党所属の元衆議院議員(8期)、北海道議会議員(1期)。 北海道夕張市出身。札幌師範学校(北海道教育大学札幌校の前身)を卒業し、幌西小学校などで小学校教諭として勤務。北海道教職員組合委員長および日本教職員組合副委員長、北海道議会議員を経て、1949年第25回衆議院議員総選挙に北海道1区から日本社会党公認で立候補したが7位で落選。続く1952年10月第25回衆議院議員総選挙に立候補し初当選(通算8回当選。同じ北海道1区の社会党候補には道議会の後輩島本虎三もいた)。日本社会党の国対委員長や政審会長を歴任。
坊屋 三郎(ぼうや さぶろう、本名:柴田 俊英、1910年〈… 坊屋 三郎(ぼうや さぶろう、本名:柴田 俊英、1910年〈明治43年〉3月28日 - 2002年〈平成14年〉5月25日)は、日本の芸人、俳優。北海道夕張市出身。 出生時の氏名は石川博、生後数ヶ月で実相寺へ養子に出され、柴田俊英と改名。私立北海中学校に入学し、弓道部に所属した。日本大学専門部宗教科に進学するも、専門部芸術学科(現在の日本大学藝術学部の前身)に転科して声楽を学ぶ。 吉本興業(東京吉本)に入り、1937年に弟の芝利英・川田義雄(第二期は山茶花究)・益田喜頓(北海中学の同級生)とボーイズ演芸のあきれたぼういずを結成。1939年、新興キネマ演芸部に高額報酬を条件に引き抜かれ、吉本子飼いの芸人であった川田を除く3人で移籍した。
中村 テル(なかむら てる、1904年8月24日 - 200… 中村 テル(なかむら てる、1904年8月24日 - 2009年5月3日)は、日本の登山家、日本山岳会名誉会員。 鉱山経営をしていた父親のもと、北海道夕張市にうまれるものの、父親が事業に失敗、福島県喜多方市に移り住むことになった。さらにその後は東京へと移り住み、文京区の本郷にある桜井ちか子による桜井女塾に入塾し英語を学んだ。10代より登山を始め、夏の富士山に登頂を成功、1927年1月1日に女性として初めて冬の富士山登頂を果たした。1961年には早稲田大学の山岳部OGが中心となって結成されたニュージーランド日本女子親善隊の隊長を勤め、エグモント山、ルアペフ山などの登頂に成功した。 2009年5月3日、老衰のため死去。
相澤 次郎(あいざわ じろう、1903年 - 1996年)は… 相澤 次郎(あいざわ じろう、1903年 - 1996年)は、日本の技術者。北海道夕張市出身。 1914年、小学5年生の際に1860年のロンドンの博覧会に出展された人造人間「マシンボックス」の写真に感銘を受けロボットへの志向を高める。 1931年、日本初のロボット工作指南書「図解 人造人間の作り方」を著し、1933年には「ロボット管弦楽団」を展覧会に出品し1934年には「ロボット」「ROBOT」の登録商標を取得したが「ロボットはみな兄弟」の信念のもとに、その商標権を行使せずにロボットの普及に務める。 戦後は東京都立工芸高等学校の講師や安立電気の技師の傍らで子供向けの制作活動を再開、上野動物園のおサル電車や象型ロボット「多摩吉君」などを制作、また当時海外輸出で人気を博したブリキ製のロボット玩具についてのアドバイスも行った。
石黒 千尋(いしぐろ ちひろ、1月24日 - )は、日本の女… 石黒 千尋(いしぐろ ちひろ、1月24日 - )は、日本の女性声優。 高校の頃に地元で『銀河鉄道の夜』の影絵を見ており、声を当てていたのを見て、感激し、「声優になりたい」と思った。アニメもゲームも好きであったが、親は「東京に行くなら、自分でお金を貯めてからにしろ」と反対で、別途興味を持っていた介護福祉士を3年ほどして、ある程度お金を貯めてから上京したという。 青二塾東京校Ⅱ部第8期卒業。 2010年12月まで青二プロダクション(ジュニア)所属を経て、オフィスアネモネに所属。2019年6月30日、退所とともに個人事務所「ちひらぼっ!」を設立、代表取締役となる。 声優業を開始した当初は「声が低い」、「低音が響く」ということで、化粧品、クルマのCMなどのナレーションの仕事が多かった。