郷右近 浩(ごうこん ひろし、1965年〈昭和40年〉3月2… 郷右近 浩(ごうこん ひろし、1965年〈昭和40年〉3月25日 - )は、日本の政治家。岩手県奥州市長(1期)。岩手県議会議員(5期)、奥州市議会議員(1期)、水沢市議会議員(1期)を務めた。 岩手県水沢市(現在の奥州市)出身。岩手県立水沢商業高等学校を卒業。卒業後は京都の和菓子店で4年間修業し、帰郷後は家業の菓子職人を経て、2003年、水沢市議会議員に当選。当選後、「憧れた政治家」という小沢一郎衆議院議員の後援会に入会。水沢市は2006年に奥州市となり、合併後の奥州市議会議員選挙に立候補し、当選し、1期務める。2007年の岩手県議会議員選挙に民主党から立候補し、当選。以後、県議を5期務める。
小沢 昌記(おざわ まさき、1958年(昭和33年)6月16… 小沢 昌記(おざわ まさき、1958年(昭和33年)6月16日 - )は、日本の政治家、実業家。元岩手県奥州市長(3期)、元奥州市議会議員(1期)、元水沢市議会議員(2期)。 岩手県水沢市(現・奥州市)出身。水沢市立水沢小学校、水沢市立水沢中学校卒業。1977年3月、岩手県立水沢高等学校卒業。1983年3月、東京経済大学経営学部経営学科卒業。同年4月、婦人服地の小売店である株式会社モミジに就職(本店・東京都武蔵野市)。1985年12月、家業の婦人服地の小売業、有限会社小沢幸に入社。1989年厄年連「戊戌会」会長、1992年水沢青年会議所副理事長、1993年日本青年会議所東北地区岩手ブロック協議会専務、1995年水沢青年会議所理事長。
倉成 淳(くらなり じゅん、1956年8月20日 - )は、… 倉成 淳(くらなり じゅん、1956年8月20日 - )は、日本の政治家。元岩手県奥州市市長(1期)。 岩手県水沢市(現・奥州市)出身。水沢市立姉体小学校(現・奥州市立姉体小学校)、水沢市立南中学校(現・奥州市立水沢南中学校)を経て、1975年岩手県立水沢高等学校卒業。卒業後は北海道大学農学部農芸学科に入学し、1979年に卒業。卒業後はカルピスに入社し、研究開発、生産、国際事業分野に従事し、国立予防衛生研究所などに研究生として出向した。2003年アメリカのカルピスの現地法人CALPIS USA INC.社長に就任する。2011年カルピス社発酵応用研究所長。2011年カルピス執行役員、2016年アサヒカルピスウエルネス常務取締役となる。
相原 正明(あいはら まさあき、1948年(昭和23年)3月… 相原 正明(あいはら まさあき、1948年(昭和23年)3月1日 - )は、岩手県の政治家。江刺市長(1期)、奥州市長(1期)を歴任。 2006年の奥州市誕生を機に初代市長を目指し立候補。旧水沢市長の高橋光夫、元衆議院議員の高橋嘉信を破り当選する。 2010年の市長選挙には、再選(2期目)を目指して出馬したが、新人で前奥州市議会議長の小沢昌記に12,600票差で破れ、再選はならなかった。 奥州市長選では副県都構想、金ケ崎町・平泉町との合併(いわゆる「平泉市構想」)、四年制大学の誘致などを提唱した。 第二回「マニフェスト大賞2007」で、自身の「みんなで創ろう豊かな奥州市」が、首長部門審査委員会特別賞に選ばれた。
小沢 一郎(おざわ いちろう、1942年〈昭和17年〉5月2… 小沢 一郎(おざわ いちろう、1942年〈昭和17年〉5月24日 - )は、日本の政治家。自由党所属の衆議院議員(16期)、自由党代表。
後藤 晨(ごとう あきら、1930年〈昭和5年〉3月3日 -… 後藤 晨(ごとう あきら、1930年〈昭和5年〉3月3日 - 2022年〈令和4年〉6月15日)は、日本の政治家。元岩手県水沢市(現・奥州市)長(3期)。 岩手県胆沢郡水沢町(のち水沢市、現・奥州市)出身。1946年(昭和21年)、岩手県立花巻中学校(現・岩手県立花巻北高等学校)卒。岩手県庁に入り、児童婦人、地方の各課長補佐、金ケ崎町助役、県成人福祉、人事の各課長、東京事務所長、県議会事務局長、土地開発公社副理事長、住宅供給公社理事長を歴任した。 1992年(平成4年)の水沢市長選挙に立候補し、無投票で当選した。同年1月に市長に就任した。1996年(平成8年)の市長選挙も無投票で当選。 2000年(平成12年)の市長選挙では新人との選挙戦になったが、これを破って3選を果たした。
増田 盛(ますだ さかり、1913年4月11日 - 1991… 増田 盛(ますだ さかり、1913年4月11日 - 1991年9月23日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、自由民主党)、農林官僚。 岩手県胆沢郡前沢町(現奥州市)出身。 岩手県立一関中学校、京都帝国大学法学部卒。大学在学中滝川事件に対する教授らへの対応に抗議し、無期停学処分を受ける。 1937年大学卒業後、農林省に入省。振興局長などを務めて退官。 1963年、岩手県知事選に出馬するも落選。衆議院議員選挙にも落選し、5年間浪人生活を送る。 1968年の第8回参議院議員通常選挙に当選してから、参議院議員を3期、農水・行政管理・北海道開発各政務次官を務めた。1986年の第14回参議院議員通常選挙には無所属で出馬したが落選し、政界から引退。
佐藤 哲郎(さとう てつろう、1901年〈明治34年〉3月1… 佐藤 哲郎(さとう てつろう、1901年〈明治34年〉3月1日 - 1995年〈平成7年〉1月4日)は、日本の政治家。元岩手県水沢市(現・奥州市)長(3期)。 岩手県胆沢郡水沢町(のち水沢市、現・奥州市)出身。1920年(大正9年)、岩手県師範学校(現・岩手大学教育学部)卒。岩手県内の小学校の訓導や校長を経て、戦後、中学校校長となる。岩手県社会教育主事、水沢町教育長となった。 1956年(昭和31年)、水沢市長に立候補して新人1人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 同年1月29日に就任した。 1960年(昭和35年)の市長選も新人1人との争いになったが、これを破って再選を果たした。
小沢 佐重喜(旧字体: 小澤佐重喜、おざわ さえき、1898… 小沢 佐重喜(旧字体: 小澤佐重喜、おざわ さえき、1898年〈明治31年〉11月25日 - 1968年〈昭和43年〉5月8日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(10期)。栄典は正三位勲一等。 吉田茂の側近の一人。新進党、民主党代表などを歴任した小沢一郎の父。 『朝日人物事典』によると、 岩手県生まれ。馬車引きなどをしながら1923年に日本大学法学部法律学科を卒業。弁護士となり、三木武吉に師事して1929年から東京市議、府議を5期務める。1946年の戦後初の総選挙で岩手県から衆議院議員に当選(自由党)。選挙法改正の論功行賞で1948年に第2次吉田内閣の運輸大臣に抜擢され、以後も、郵政・電気通信大臣、行政管理庁長官、自由民主党国会対策委員長を歴任。
及川 規(おいかわ ただし、1893年(明治26年)5月26… 及川 規(おいかわ ただし、1893年(明治26年)5月26日 - 1981年(昭和56年)11月26日)は、大正から昭和期の教育者、弁護士、政治家。衆議院議員。 岩手県江刺郡岩谷堂町(江刺町、江刺市を経て現奥州市)で生まれる。岩手師範学校を経て、1917年(大正6年)東京高等師範学校(のち東京教育大学)を卒業。 岩手県師範学校教諭、島根県立杵築中学校(現島根県立大社高等学校)教諭を歴任。1920年(大正9年)高等試験行政科試験に合格。神奈川県視学官に就任。その後、横浜市で弁護士を開業し、横浜弁護士会副会長も務めた。その他、私立本牧中学校(のち現在の横浜中学校・高等学校に合併)校長兼理事長となった。
依田 養七(よだ ようしち、1889年〈明治22年〉10月2… 依田 養七(よだ ようしち、1889年〈明治22年〉10月28日 - 1976年〈昭和51年〉10月22日)は、岩手県の政治家。初代江刺市(現在の奥州市)長(1期)を歴任。 江刺郡岩谷堂町(のち江刺郡江刺町→江刺市、現在の奥州市)の味噌醤油醸造業の家に生まれる。1921年〈大正10年〉岩谷堂町会議員となり、3期務めたほか、学務委員となった。1934年〈昭和9年〉岩谷堂町長に当選する。1938年〈昭和13年〉まで務めた後、1945年〈昭和20年〉に再任。翌年まで務めた。 戦後、公職追放となり、追放解除後の1954年〈昭和29年〉岩谷堂町長に復帰。当時、「昭和の大合併」による岩手県が進めていた町村合併計画を実現するにあたり、江刺郡内では各町村の利害が対立し、その意向が極度にそろわない状態だった。
松本 与右衛門(與右衞門、まつもと ようえもん、1868年4… 松本 与右衛門(與右衞門、まつもと ようえもん、1868年4月10日(明治元年3月18日)- 1920年(大正9年)8月10日)は、明治から大正期の酒造家、実業家、政治家。衆議院議員。 陸奥国胆沢郡塩竃村(岩手県胆沢郡水沢町、水沢市を経て現奥州市水沢中上野町)で、庄屋・松本元助、きさ の長男として生まれた。1888年(明治21年)明治法律学校(現明治大学)に入学した。 1889年(明治22年)帰郷して条約改正反対運動を進めた。その後、岩手自由青年会を組織して幹事に就任。1897年(明治30年)憲政党岩手支部幹事となる。また、胆沢郡会議員、水沢町会議員、岩手県会議員にも在任した。 1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(岩手県郡部、立憲政友会)で当選し、1903年(明治36年)3月、第8回総選挙(岩手県郡部、立憲政友会)でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
高橋 金治(たかはし きんじ、1859年6月4日(安政6年5… 高橋 金治(たかはし きんじ、1859年6月4日(安政6年5月4日)- 1917年(大正6年)8月22日)は、明治から大正期の地主、実業家、政治家。衆議院議員。 陸奥国胆沢郡、のちの岩手県胆沢郡水沢町(水沢市を経て現奥州市)で、大地主、仙台藩水沢伊達家家臣・高橋万右衛門の二男として生れ、1893年(明治26年)1月、兄・敬章の跡を継承した。藩校立生館で学んだ。1875年(明治8年)水沢県に出仕したが廃県後に辞職した。 その後、商業に従事したが事業に失敗して各地を放浪した。宮城県下で教師をしていたフランス人と出会い、日本語教授、翻訳助手となり、仏学を学んだ。 1895年(明治28年)同志と水沢銀行の設立に参画した。
大内 貞三郎(おおうち ていたろう、1857年(安政4年7月… 大内 貞三郎(おおうち ていたろう、1857年(安政4年7月)- 1916年(大正5年)12月24日)は、明治期の公吏、教育者、政治家。衆議院議員、岩手県胆沢郡古城村長。 陸奥国胆沢郡関村(水沢県胆沢郡稲置村、磐井県胆沢郡稲置村、岩手県伊沢郡古城村、前沢町を経て現奥州市)で、仙台藩士・大内行雄の二男として生まれた。仙台中教院で学んだ。 松川村・門崎村戸長、胆沢郡・江刺郡書記を務めた。上京して遊学した。西磐井郡・東磐井郡書記を務めた。 1890年(明治23年)岩手県会議員に選出され、同常置委員も務めた。同年7月、第1回衆議院議員総選挙(岩手県第4区、国民自由党)で落選したが、1892年(明治25年)2月の第2回総選挙(岩手県第4区、中央交渉会)では当選し、衆議院議員に1期在任した。
鈴木 文三郎(すずき ぶんざぶろう、1853年1月30日(嘉… 鈴木 文三郎(すずき ぶんざぶろう、1853年1月30日(嘉永5年12月21日)- 1926年(大正15年)11月9日)は、明治から大正期の公吏、実業家、政治家。衆議院議員、岩手県東磐井郡生母村長。 陸奥国磐井郡赤生津村(岩手県岩井郡赤生津村、東磐井郡生母村大字赤生津、前沢町を経て現奥州市前沢生母)で肝入・鈴木兵之助の長男として生まれた。漢学を修めた。1886年(明治19年)3月、家督を相続した。 1873年(明治6年)水沢県地租改正掛勤務となる。1876年(明治9年)2月、磐井県15等出仕となり同年4月まで在任。同年8月、岩手県等外1等出仕となり、同県17等出仕、同10等警部を経て、1879年(明治12年)7月、新潟県9等属に転じ、1880年(明治13年)9月に退官した。
猪狩 八郎(いかり はちろう、1846年(弘化3年7月) -… 猪狩 八郎(いかり はちろう、1846年(弘化3年7月) - 1905年(明治38年)8月23日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 陸奥国江刺郡片岡村(のち岩手県江刺郡岩谷堂町、江刺町、江刺市を経て現・奥州市)生まれ。農業を営む。片岡村戸長、胆沢江刺郡書記、西根三ヶ尻村戸長を経て、1889年の町村制施行による岩谷堂町発足により、初代町長に就任し、1897年まで務めた。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において岩手4区から進歩党公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政本党から立候補したが落選した。1899年から再び岩谷堂町長に就任。1905年8月に退任し、間もなく死去した。