佐藤 紀明(さとう のりあき、1969年〈昭和44年〉5月1… 佐藤 紀明(さとう のりあき、1969年〈昭和44年〉5月13日 - )は、日本の総理府・総務官僚。 秋田県秋田市出身。秋田県立秋田高等学校を経て、東北大学法学部を卒業。1993年(平成5年)、総理府に入庁。入庁後、行政評価局調査官、総務省大臣官房企画課企画官、同課情報システム室長、総務省大臣官房参事官、復興庁統括官付参事官、内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付)、同(内閣人事局)、独立行政法人統計センター経営審議室長、同総務部長、統計局統計調査部調査企画課長、同局統計情報利用推進課長、統計企画管理官(政策統括官付)、統計改革実行推進室参事官(政策統括官付)、統計作成プロセス改善推進室室長(政策統括官付)、行政管理局企画調整課長、内閣府参事官(政策統括官(政策調整担当)付)、同地方分権改革推進室参事官などを歴任。
佐々木 伸彦(ささき のぶひこ、1955年〈昭和30年〉1月… 佐々木 伸彦(ささき のぶひこ、1955年〈昭和30年〉1月28日 - )は、日本の経済産業官僚。第13代日本貿易振興機構理事長。 秋田県秋田市出身。1979年(昭和54年)3月、東京大学法学部を卒業し、同年4月、通商産業省へ入省。配属先は資源エネルギー庁原子力産業課。1981年(昭和56年)4月、大蔵省銀行局中小金融課。1986年(昭和61年)6月、カリフォルニア大学バークレー校政治学修士課程を修了。 入省以来、通商政策における二国間、多国間の交渉等に携わり、外務省OECD代表部一等書記官、同参事官、経済産業省大臣官房審議官(貿易経済協力局担当)、日本貿易振興機構北京センター所長などを歴任。 2010年(平成22年)7月30日、通商政策局長に就任。
銭谷 眞美(ぜにや まさみ、1949年6月2日 - 、男性)… 銭谷 眞美(ぜにや まさみ、1949年6月2日 - 、男性)は、日本の文部官僚。第4代文部科学事務次官。2009年から2022年まで、東京国立博物館館長を務めた。 秋田県秋田市土崎港相染町出身。秋田大学附属中学校、秋田県立秋田高等学校を経て、東北大学教育学部卒業。 1973年に文部省に入省し、国際学術課に配属される。その後、施設助成課、総務課、小学校課を経て、1981年から約2年半、三重県教育委員会に出向する。文部省復帰後は中学校課や高等学校課に配属され、高等学校課ではJETプログラムの立ち上げに携わった。1991年、生涯学習局学習情報課長。その後小学校課長、学校健康教育課長、体育課長を歴任。1997年大臣官房総務課長。
藤原隆(ふじわら たかし、1948年11月8日 - )は日本… 藤原隆(ふじわら たかし、1948年11月8日 - )は日本の大蔵・金融官僚。東北財務局長、金融庁総務企画局長、(株)ジャスダック証券取引所会長などを歴任。血液型はB型。 秋田県秋田市出身(父母も秋田県)。秋田県立秋田高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。1972年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1977年7月 米沢税務署長。その後は和歌山県総務部財政課長、主計局総務課長補佐(歳入・国債係主査)、主計局主計官補佐(労働係主査)、主計局主計官補佐(厚生第三係主査)などを務める。1987年7月 大臣官房企画官兼大臣官房文書課。1990年7月 三重県総務部長。1996年7月12日 証券局総務課長。1998年7月1日 東北財務局長。
小畑 元(おばた はじめ、1948年(昭和23年)7月25日… 小畑 元(おばた はじめ、1948年(昭和23年)7月25日 - )は、日本の政治家、官僚。元大館市長(6期)。叔父は秋田県知事を6期(1955年~1979年)務めた小畑勇二郎。 スピーカー作りが趣味であり自宅に工房を持っている。大館市立中央公民館や大町商店街振興組合に自作の手作りスピーカーを寄贈している。 そして健康に気を使い夜遅い時間帯や土日の休日の朝早い時間帯には、大館市内をウォーキングをしている。 他にストレス解消に皿洗いもする。過去に国政選挙に出馬した際、リーフレットの趣味の欄に皿洗いと書き亡き母に怒られたというエピソードもある。また、市長時代は出勤前に「大館のために」と3回唱えてから出勤していた。
佐々木 満(ささき まん(実際の読みは、ささき ゆたか)、1… 佐々木 満(ささき まん(実際の読みは、ささき ゆたか)、1926年4月20日 - 2022年4月7日)は、日本の政治家、官僚。自由民主党所属で参議院議員(4期)を務めた。 秋田県雄勝郡山田村出身。秋田県立能代高等学校、東京大学法学部卒業。大学卒業後、自治省に入省。後に秋田県庁に移り、厚生部長などを歴任。山崎五郎の死去に伴う1976年の参議院議員補欠選挙に秋田県選挙区から自民党公認で立候補し初当選。連続当選4回。党内では中曽根康弘→渡辺美智雄派に属し、北海道開発政務次官、自民党参議院政策審議会長などを務めた後、1990年第2次海部改造内閣の総務庁長官として初入閣。1995年には政府が提出した宗教法人法改正案を審議する参議院宗教法人等に関する特別委員長に就任したが、創価学会を基盤とする野党の新進党の強い反発で審議は混乱し、精神的にも肉体的にも自信を失った佐々木は健康上の理由で委員長を辞任。
出口 廣光(でぐち ひろみつ、1925年11月17日 - 2… 出口 廣光(でぐち ひろみつ、1925年11月17日 - 2000年10月30日)は、日本の政治家、官僚、地方公務員。参議院議員(1期、自由民主党)。 秋田県秋田市出身。1949年東北大学法文学部経済学科卒。自治庁に入り、三重県児童課長、青森県広報文書、労政各課長を経て、経済企画庁に出向。福岡県医務、地方各課長、自治大学校教務部長、労働省大臣官房付、大分県企画部長、自治省大臣官房調査官を歴任。1971年に秋田県庁に出向し、総務部長、出納長、副知事を歴任する。1983年の第13回参議院議員通常選挙で秋田県選挙区から自由民主党公認で立候補し当選。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。落選後は秋田県信用保証協会会長や県交通安全協会会長などを務めた。
谷藤 正三(たにふじ しょうぞう、1914年1月6日 - 2… 谷藤 正三(たにふじ しょうぞう、1914年1月6日 - 2004年6月3日)は、日本の建設官僚。元北海道開発事務次官。工学博士(京都大学、1949年)(学位論文「路盤に関する土質力学的研究」)。秋田県河辺郡浜田村(のちの秋田市)出身。
佐々木 義武(ささき よしたけ、1909年4月3日 - 19… 佐々木 義武(ささき よしたけ、1909年4月3日 - 1986年12月13日)は、日本の政治家、官僚。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(9期)、科学技術庁長官・通商産業大臣を歴任した。 秋田県河辺郡河辺町(後の秋田市)生まれ。秋田中学(後の秋田県立秋田高等学校)時代は野球部員として甲子園出場の経験がある。1933年東京帝国大学経済学部を卒業後、南満州鉄道に入社し、調査部に配属される。その後興亜院に転じ、ここで大蔵省出身の大平正芳、農林省出身の伊東正義らと知り合い、第二次世界大戦後も「九賢会」と称する会合を持って交流を深めた。以後企画院、大東亜省、内閣調査局にて調査官を歴任した。 戦後の1947年、経済安定本部に転じ、初代経済復興計画室長として、傾斜生産方式による政策の遂行に辣腕を振るった。
門叶 宗雄(とが むねお、1906年5月8日 - 1969年… 門叶 宗雄(とが むねお、1906年5月8日 - 1969年12月4日)は、日本の内務・防衛官僚。官選最後の島根県知事、警視総監、防衛事務次官。旧姓・川村。位階は従三位。 秋田市出身。秋田藩士の川村宗治の二男として生まれ、母方の門叶家を継承した。奉天中学校、弘前高等学校 (旧制)を経て、1930年3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1929年10月、高等試験行政科試験に合格。1930年5月、内務省に入り京都府警部補として警察部警務課に配属された。 1932年1月、京都府警察部特別高等警察課に勤務。以後、京都府属・内務部地方課勤務、佐賀県警察部特別高等警察課長、静岡県警察部刑事課長、内務事務官・警保局勤務、内閣情報部情報官、情報局第四部第一課勤務、内務大臣秘書官兼内務事務官、警保局警務官、山梨県書記官・警察部長、茨城県部長・経済部長、同県部長・警察部長、内務省警保局警務課長、同経済保安課長などを歴任し、終戦を迎えた。
長崎 惣之助(ながさき そうのすけ、明治29年(1896年)… 長崎 惣之助(ながさき そうのすけ、明治29年(1896年)6月25日 - 昭和37年(1962年)11月7日)は、日本の鉄道官僚、実業家。第3代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1951年-1955年)。日本エアウェイ開発社長(在任1961年-1962年)。 秋田県南秋田郡川尻村(後の秋田市川尻上野町)で村長の長崎惣太郎の長男として生まれる。幼少の頃から成績優秀で長身でもあり、川尻小学校・牛島高等小学校を経て秋田中学校へと入る。中学校ではボート部に所属し、その後第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部独法科を卒業。 1920年鉄道省入省。1926年在外研究員として欧米に派遣され、その後1930年に設置された国際観光局の庶務課長に任命され、1932年経理局会計課長となる。
田中 隆三(たなか りゅうぞう、1864年11月14日〈元治… 田中 隆三(たなか りゅうぞう、1864年11月14日〈元治元年10月15日〉- 1940年〈昭和15年〉12月6日)は、明治から昭和初期の農商務官僚・政治家である。衆議院議員。文部大臣。族籍は秋田県士族。 出羽国楢山(のち秋田県秋田市)出身。田中隆世の長男。秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)、大学予備門、1889年(明治22年)7月に帝国大学法科大学卒業。農商務省鉱山局長・農商務次官を経て、その後実業界に入り秋田鉱山専門学校(現:秋田大学工学資源学部)の設立に尽力した。ついで政界に転じ、1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙で当選した。濱口内閣・第2次若槻内閣で文部大臣を務め、議員を7期務めて1932年(昭和7年)に引退した。
青木 定謙(あおき さだかね、安政3年8月4日(1856年9… 青木 定謙(あおき さだかね、安政3年8月4日(1856年9月2日) - 昭和5年〈1930年〉4月10日)は、内務官僚、札幌区長。 秋田市角館出身。1875年(明治8年)に小学校教員となり、その後仙北郡書記、山形県警部、秋田県警部、秋田県属を歴任した。1890年(明治23年)、秋田県参事官に任じられ、高知県参事官、島根県警部長、和歌山県警部長、新潟県警部長、広島県警部長、広島県事務官・第四部長を歴任した。 1906年(明治39年)、札幌区長に選出され、1912年(大正元年)まで在任した。 1922年(大正11年)より義勇財団海防義会の理事を務めた。