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池端 清一(いけはた せいいち、1929年〈昭和4年〉8月2… 池端 清一(いけはた せいいち、1929年〈昭和4年〉8月20日 - 2007年〈平成19年〉2月28日)は、日本の政治家。 国土庁長官(第27代)兼研究・学園都市担当大臣兼土地対策担当大臣兼阪神・淡路復興対策担当大臣(村山改造内閣)、衆議院懲罰委員長、同災害対策特別委員長、衆議院議員(7期)、社会民主党国会対策委員長(初代)などを歴任。 北海道室蘭市生まれ、釧路市出身。旧制釧路中学校、旧制弘前高校を経て、早稲田大学法学部卒業。大学卒業後は北海道日高支庁管内の学校教員に奉職し、北海道教職員組合の書記長も務めた。 1976年、第34回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧北海道4区から立候補し、初当選。
高野斗志美(たかの としみ、男性、1929年7月7日 - 2… 高野斗志美(たかの としみ、男性、1929年7月7日 - 2002年7月9日)は、日本の文芸評論家、旭川大学名誉教授、新日本文学会会員。 北海道鷹栖村(現鷹栖町)生まれ。旧制富良野中学校、旧制弘前高校、東北大学文学部哲学科卒、同大学院文学研究科修士課程修了。 旭川北高等学校ほか北海道立高校教員(地方公務員)を務める。1964年にサルトル論で第4回新日本文学賞。北海道士別高等学校教諭だった1966年、旭川ベ平連代表となる。1971年旭川大学経済学部助教授、1974年旭川大学経済学部教授。1980年~1982年旭川大学学長代行、1985年~1988年旭川大学学長。三浦綾子と親交が深く、三浦作品の13編に解説を寄せるなど三浦文学の研究者。
工藤 圭章(くどう よしあき、1929年1月18日 - 20… 工藤 圭章(くどう よしあき、1929年1月18日 - 2008年4月4日)は、日本の建築史学者。 青森県南津軽郡大鰐町大鰐で大鰐温泉の湯元の家系に生まれた。弘前高等学校、海軍兵学校76期を経て、日本の降伏後弘前高等学校に戻り、1954年横浜国立大学工学部建築学科卒、1956年東京大学大学院数物系研究科修士課程修了、奈良国立文化財研究所建造物研究室臨時筆生。59年同庁務員。62年文部技官任官。64年奈良国立文化財研究所平城宮発掘調査部第二調査室長。65年「ナラの街区変遷過程の研究」で工学博士の学位を取得。67年文化財保護委員会事務局建造物課文化財調査官。1968年文化庁文化庁文化財保護部建造物課文化財調査官。
前島郁雄(まえじま いくお、1929年(昭和4年)1月11日… 前島郁雄(まえじま いくお、1929年(昭和4年)1月11日 - 2020年(令和2年)3月9日)は、日本の地理学者・気候学者。旧・東京都立大学名誉教授。社団法人東京地学協会名誉会員、公益社団法人日本地理学会名誉会員。 長野県小諸市で出生。青森県青森市出身。旧制弘前高等学校理科甲類を経て、1951年に旧制東京大学理学部地理学科を卒業、1956年に東京大学理学部大学院修了。その後1966年に"Natural Seasons and Weather Singularities in Japan" 「日本の自然季節と天候特異日」により理学博士の学位を取得。 1956年より早稲田大学教育学部助手となり、1958年より講師、1962年より助教授。
箕輪 成男(みのわ しげお、1926年(大正15年)2月11… 箕輪 成男(みのわ しげお、1926年(大正15年)2月11日 - 2013年(平成25年)8月30日)は、日本の出版学者。神奈川大学名誉教授。 東京生まれ。旧制弘前高等学校から1950年東京大学卒業、同大学院を経て、1951年東京大学出版会に勤務。1958年財団法人東京大学出版会理事、1962年同専務理事、1975年同相談役。1976年国際連合大学教授(出版部長)、1986年愛知学院大学教授、1989年神奈川大学経営学部教授、1994年名誉教授。1990年日本出版学会会長、1994年名誉会長。初代・国際学術出版協会会長。2002年「新聞学序説 (Introduction to publishing studies)」で新聞学博士(上智大学)。
花井 哲郎(はない てつろう、1924年3月13日 - 20… 花井 哲郎(はない てつろう、1924年3月13日 - 2007年10月26日)は、日本の地球科学者。専門は古生物学。神奈川県生まれ。 地理学者・花井重次(はない しげじ、1900年3月18日 - 1981年6月9日)の長男として生まれる。1943年に弘前高等学校へ入学、1945年に東京帝国大学理学部地学科地質学科に進学し、1948年に大学を卒業。卒業論文は三陸海岸の宮古層群の研究。卒業演習は中国中生代の貝形虫。2年間の大学院特別研究生を経て、燃料地質学講座の助手。1953年より3年間フルブライト交換留学生としてアメリカ・ルイジアナ州立大学に留学。H. V. Howe教授に貝形虫研究を学ぶ。1956年、ルイジアナ州立大学で博士の学位を取得。
杉井 六郎(すぎい むつろう、1923年6月13日 - 20… 杉井 六郎(すぎい むつろう、1923年6月13日 - 2011年10月8日)は、日本の人文学者。専門は日本キリスト教史。同志社大学名誉教授。 静岡県藤枝市生まれ。静岡県立静岡中学校卒業。1942年、第二早稲田高等学院入学、翌年3月退学。1943年、弘前高等学校 (旧制)文科二類入学、同年12月、学徒出陣により中部第三部隊に入隊。1947年、シンガポールより復員、弘前高校に復学。1949年、弘前高等学校文科乙類卒業。同年4月、京都大学文学部史学科国史学専攻入学、1952年、同専攻卒業。同年4月、京都大学大学院(旧制)入学。1961年3月、京都大学非常勤講師に就任するため大学院を退学。 1952年、京都府立園部高等学校教諭、1953年、同志社高等学校講師、1955年同校教諭。
降旗 武彦(ふりはた たけひこ、1922年6月9日-2002… 降旗 武彦(ふりはた たけひこ、1922年6月9日-2002年8月8日)は、日本の経営学者。 長野県南安曇郡三郷村(現安曇野市)出身。旧制弘前高等学校卒、京都帝国大学に入るが兵役で入隊し、1945年 軽巡洋艦 矢矧に乗り込み大和を護衛して出撃するが撃沈されて負傷する。1947年京都帝国大学経済学部卒、同大学院をへて、1971年「経営管理過程論の新展開 Management Theory Jungleへの一試論」で経済学博士。1951年京都大学経済学部講師、1957年助教授、1970年教授。1986年定年退官し、名誉教授となり、朝日大学教授、1989年大阪国際大学教授を務め、95年退職。70年「経営管理過程論の新展開」で日経・経済図書文化賞受賞。
中田剛直(なかた たかなお、1920年11月8日 - 198… 中田剛直(なかた たかなお、1920年11月8日 - 1980年1月21日)は、日本文学研究者、国文学者。 秋田県大館市生まれ。父は教育者。弘前高等学校卒、1943年東京帝国大学文学部国文科卒。池田亀鑑に師事。東京高等学校講師、48年要書房編集長。1957年獨協高等学校講師、1959年上智大学文学部助教授、66年教授。 『竹取物語』研究の新井信之の義弟。池田亀鑑没後、『池田亀鑑選集』、随筆集『花を折る』(いずれも至文堂刊)を、長野嘗一、木田園子らとともに編集・刊行した。 ・『古本竹取物語』 大修館書店 1968 ・『影印本紫式部日記』新典社、1968
金谷 治(かなや おさむ、1920年2月20日 - 2006… 金谷 治(かなや おさむ、1920年2月20日 - 2006年5月5日)は、日本の東洋学者。専門は、中国哲学、特に中国古代思想史)。2003年勲二等瑞宝章受章。 1920年、三重県阿山郡上野町(現・伊賀市)生まれ。早くに両親を亡くし、兄弟の庇護の下、関西大学第二商業学校、関西大学専門部国漢文専攻科で学んだ。在学中、石濱純太郎に師事。石濱の勧めにより武内義雄が在任していた東北帝国大学法文学部文科に進学し師事した。しかし太平洋戦争の戦況悪化を受け、1944年9月に学徒出陣で東北帝国大学を繰り上げ卒業し入隊、大陸に出征した。 復員後、大学院に復学、旧制弘前高等学校嘱託講師となった。1948年、東北大学法文学部講師となり、武内義雄が退官し、しばらく空席になっていた支那学第一講座を引き継いだ。
宮崎 道生(みやざき みちお、1917年10月13日 - 2… 宮崎 道生(みやざき みちお、1917年10月13日 - 2005年4月1日)は、日本史学者、新井白石の研究者。 三重県尾鷲市出身。1941年、東京帝国大学文学部国史学科卒業、文学部大学院、文学部副手・助手を経て、1945年、弘前高等学校教授。1949年、弘前大学文理学部助教授。1961年、文学博士。1965年、弘前大学人文学部教授、1972年、岡山大学法文学部教授。1978年、國學院大學教授。1988年、定年退任、講師となる。1991年退任。1997年春、勲三等瑞宝章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
川村 琢(かわむら みがく、1908年3月28日 - 199… 川村 琢(かわむら みがく、1908年3月28日 - 1993年3月19日)は、日本の農学者・経済学者。学位は、経済学博士(東北大学・論文博士・1961年)(学位論文「農産物の商品化構造」)。昭和期の農業経済学の大家。北海道大学名誉教授。1990年勲三等瑞宝章受章。秋田県大曲市(現・大仙市)生まれ。 1929年弘前高等学校卒業。1932年東北帝国大学法文学部経済学科卒業。 同法文学部助手。1934年北海道帝国大学農学部助手。1940年北海道農業研究会常任幹事。 1942年治安維持法違反容疑で拘禁(北海道農業研究会事件)。1945年GHQ指令で釈放。 北海道農業会農業経営調査課長。1948年北海道信用農業協同組合連合会参事。
赤川 孝一(あかがわ こういち、1908年2月 - 没年不詳… 赤川 孝一(あかがわ こういち、1908年2月 - 没年不詳)は、日本の映画プロデューサー。 岩手県西磐井郡涌津村(現・一関市)生まれ。旧制盛岡中学校、旧制弘前高等学校、東京帝国大学文学部哲学科卒業。京都帝国大学法学部中退。満洲国文教部社会教育課や満映製作課を経て、戦後に帰国。東横映画九州支社に合流し、1951年の東映発足で東京本社へ転じた後、教育映画自主製作配給委員会事務局長や教育映画部企画製作課長として、満州時代にも関与していた農村部への巡回映写事業や『白蛇伝』などの教育映画、アニメーション映画製作を行った。1961年、テレビ朝日に東映が出資した経緯から朝日テレビニュース社に移り、1965年頃に退社した。
門叶 宗雄(とが むねお、1906年5月8日 - 1969年… 門叶 宗雄(とが むねお、1906年5月8日 - 1969年12月4日)は、日本の内務・防衛官僚。官選最後の島根県知事、警視総監、防衛事務次官。旧姓・川村。位階は従三位。 秋田市出身。秋田藩士の川村宗治の二男として生まれ、母方の門叶家を継承した。奉天中学校、弘前高等学校 (旧制)を経て、1930年3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1929年10月、高等試験行政科試験に合格。1930年5月、内務省に入り京都府警部補として警察部警務課に配属された。 1932年1月、京都府警察部特別高等警察課に勤務。以後、京都府属・内務部地方課勤務、佐賀県警察部特別高等警察課長、静岡県警察部刑事課長、内務事務官・警保局勤務、内閣情報部情報官、情報局第四部第一課勤務、内務大臣秘書官兼内務事務官、警保局警務官、山梨県書記官・警察部長、茨城県部長・経済部長、同県部長・警察部長、内務省警保局警務課長、同経済保安課長などを歴任し、終戦を迎えた。
宇佐美 毅(うさみ たけし、1903年〈明治36年〉12月9… 宇佐美 毅(うさみ たけし、1903年〈明治36年〉12月9日 - 1991年〈平成3年〉1月19日)は、日本の官僚。第2代宮内庁次長、第2代宮内庁長官。従二位勲一等旭日大綬章。クエーカー教徒。宮内庁長官在任中、天皇の政治利用については「政治不関与原則に反するもの」として断じて反対する姿勢を貫いた。 東京生まれ。京城中学校、麻布中学校、弘前高等学校卒業。弘前高校への進学は、山形県米沢出身の父から『郷里に近い弘前へ行って校風を作れ』と命じられたことによるもので、同校第1回生である。東京帝国大学文学部に進学したが、面白くないと感じ、法学部に転じる。 高等文官試験行政科試験合格後、1928年、内務省に入省。
大石 義雄(おおいし よしお、1903年1月8日 - 199… 大石 義雄(おおいし よしお、1903年1月8日 - 1991年4月29日)は、日本の法学者(憲法)。法学博士(立命館大学・論文博士・1947年)。京都大学名誉教授。従三位勲二等瑞宝章。山形県出身[要出典]。 戦後、押し付け憲法論、憲法無効論、改憲論を積極的に唱えた。 旧制弘前高等学校(弘前大学の前身)を経て、1929年に京都帝国大学法学部卒業。同大では佐々木惣一に憲法を学ぶ。1947年立命館大学より法学博士の学位を取得。 1930年、和歌山高等商業学校(和歌山大学経済学部の前身)講師、1939年、同教授。1947年、大阪府立淀川工業専門学校(大阪府立大学工学部の前身)校長、1947年12月京都大学法学部教授(国法学講座)、1950年から1956年まで大阪大学教授兼任、1956年9月京都大学法学部長(1958年12月まで)、1966年4月京都大学を定年退官し名誉教授となる。
牧野 政信(まきの まさのぶ、1898年 - 1948年3月… 牧野 政信(まきの まさのぶ、1898年 - 1948年3月9日)は日本の柔道家(講道館8段)、政治家。 秋田県山本郡浜口村の出身で講道館入門は1913年。1924年に明治大学政治経済科を卒業すると、設立されたばかりの旧制弘前高等学校(現・弘前大学)にて講師を約1年ほど務めた。 その後東京に戻ってからは職らしい職には就かず、柔道の稽古に明け暮れる毎日に。1930年に第1回全日本選士権大会が開催されると牧野は一般壮年後期の部に第2区(東京)代表で出場し、福岡の島井安之助5段に次ぐ準優勝という成績を残した。1931年に母校・明治大学の選手を引率して渡米しカリフォルニア州とハワイ州で柔道を紹介し、1937年の満州遠征には理事を務める東京学生連合会の監督として参加。
吉植 庄一郎(よしうえ しょういちろう、1865年10月27… 吉植 庄一郎(よしうえ しょういちろう、1865年10月27日(慶応元年9月8日) - 1943年(昭和18年)3月10日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党→立憲政友会)、ジャーナリスト。子は歌人・衆議院議員の吉植庄亮。義弟に弘前高等学校校長を務めた鈴木信太郎がいる。 下総国印旛郡、のちの千葉県印旛郡埜原村(本埜村を経て現印西市)出身。北海道に渡り開墾に従事したが、北海道時事新聞社を興し、社長に就任した。やがて他の新聞との合併で北海タイムス新聞社が成立すると、理事を務めた。 1904年(明治37年)、第9回衆議院議員総選挙に出馬し当選。以後、当選回数は9回を数えた。1917年(大正6年)4月、第13回総選挙で当選したが、衆議院議員選挙訴訟の結果、安房郡での選挙が無効となり、同年12月8日、千葉県知事により鵜澤總明・木村政次郎・関和知・津田毅一・鵜沢宇八・柏原文太郎・磯野敬・加瀬禧逸・土屋清三郎と共に当選証書が取消され議員を退職し、同月に実施された再選挙で当選した。