遠藤 成(えんどう じょう、2001年9月19日 - )は、… 遠藤 成(えんどう じょう、2001年9月19日 - )は、秋田県にかほ市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 にかほ市立平沢小3年で「平沢野球スポーツ少年団」に入団し野球を始め、にかほ市立仁賀保中学時代は「本荘由利リトルシニア」に所属。主に投手を務めた。 東海大相模高校に進学後、1年春からベンチ入り。秋季大会では完投勝利を記録、2年春の選抜大会でもリリーフ登板を経験した。2年夏には右手首を骨折した影響から一時ベンチ外となるも、同秋からは「二刀流」として3年春の県大会優勝・関東大会優勝などに貢献。背番号6で臨んだ3年夏の甲子園大会では初戦の近江戦に先発し7回1/3を投げて2安打8奪三振1失点(自責0)、自己最速タイの145km/hを記録するなど好投、打者としては2安打1盗塁の活躍でチームを勝利に導いた。
佐々木 遥希(ささき はるき、2000年1月27日 - )は… 佐々木 遥希(ささき はるき、2000年1月27日 - )は、秋田県にかほ市出身のサッカー選手、サッカー指導者。 秋田県立本荘高等学校を経て秋田大学に入学。2019年より、秋田大学サッカー部で学生監督を務め、2020年よりツエーゲン金沢のアナリストを務める。 2022年よりブラウブリッツ秋田の分析担当に就任。 2026年1月10日、ブラウブリッツ秋田の分析担当コーチを退任し、横浜F・マリノスのアナリストに就任。
齋藤 加奈子(さいとう かなこ、1994年6月3日 - )は… 齋藤 加奈子(さいとう かなこ、1994年6月3日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 秋田県にかほ市出身。小学3年生のとき、姉の影響でバレーボールを始めた。 秋田県立由利高等学校、東北福祉大学を経て、2016/17シーズン、V・プレミアリーグ(当時のVリーグ1部リーグ)に所属する日立リヴァーレ(現・日立Astemoリヴァーレ)の内定選手となった。内定選手としてV・プレミアリーグの試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2017年、大学卒業後に、日立リヴァーレに入団した。 2024年、現役引退が発表された。 V.LEAGUEの個人成績は下記の通り(交流戦・プレーオフを含む)。 Hitachi Automotive Systems Channel
藤本 タツキ(ふじもと タツキ、1992年〈平成4年〉10月… 藤本 タツキ(ふじもと タツキ、1992年〈平成4年〉10月10日 – )は、日本の漫画家。秋田県にかほ市出身。秋田県立仁賀保高等学校情報メディア科CGデザインコース卒、東北芸術工科大学美術科洋画コース卒。 幼少期からよく絵を描いていた。高校1、2年頃よりウェブコミック投稿サイト「新都社」に長門は俺名義でウェブコミックをアップしていた。後に石田スイやONEから単行本の帯に寄稿されたのは、同じ新都社出身の縁であると藤本は考えている。美大を目指すも、地元には美大の予備校が無かったため、高齢者が通う絵画教室の隅で油絵を描いていた。AO入試で油絵学科に進学したが、油絵を描いてても絵が上手くならないと、図書館でひたすらクロッキーを描いた。
三浦 サリー(みうら サリー、1987年6月27日 - )は… 三浦 サリー(みうら サリー、1987年6月27日 - )は、日本の女性歌手。本名は非公表。秋田県にかほ市(旧由利郡仁賀保町)出身。にかほ市立平沢小学校、にかほ市立仁賀保中学校、秋田県立本荘高等学校、フェリス女学院大学国際交流学部国際交流学科卒業。身長156cm、体重39kg。BEAUTIFUL GROUP所属。 秋田県にかほ市出身。幼少期に宮城県仙台市に住んでいた時期がある。 幼稚園からピアノ、9歳からフルートを始める。小学校から高校まで吹奏楽部に所属し、小学校時代には全国大会への出場経験がある。幼い頃はディズニー、ジブリ映画からも音楽の影響を受け、サウンドトラックを暗唱していた。大学入学後から「歌うこと」に関心を持ち始め、在学中は音楽ユニットのメンバーとして活動していた。
竹内 昌也(たけうち よしや、1971年5月25日 - )は… 竹内 昌也(たけうち よしや、1971年5月25日 - )は、秋田県由利郡象潟町(現:にかほ市)出身の元プロ野球選手(投手)。 小学3年の時に野球を始める。 秋田県立本荘高等学校の2年時にエースとして夏の甲子園に出場。3年夏は県大会準決勝で敗退した。NTT東北では1992年の都市対抗野球予選で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成、本大会では補強選手として出場すると同年ドラフト2位で阪神タイガースに入団。 1995年にはチームが低迷する中でチーム唯一の10勝をあげる。9月7日のナゴヤ球場の中日戦で平田洋から通算で唯一の本塁打を打った。 1997年は途中まで規定イニング不足ながら、開幕から防御率3点前後に抑えておりいわゆる「隠れ」防御率1位だった[いつ?]が、結局防御率5位に終わった。
海老名 保(えびな たもつ、1969年4月2日 - )は、有… 海老名 保(えびな たもつ、1969年4月2日 - )は、有限会社F2-ZONE(エフツーゾーン)代表取締役 、株式会社正義の味方代表。秋田県にかほ市(旧象潟町)出身。血液型、O型。ローカルヒーローの企画・制作に数多く携わり、第一人者とされる。 特撮ヒーローものにどっぷりとつかった少年時代を過ごし、小学生のときに観たプロレスラー、タイガーマスクに憧れ、県立仁賀保高等学校卒業後上京。1988年に前田日明率いる「第二次UWF」の第二回新人テストに合格し入門する(第一回入門生は田村潔司)が、練習中に後頭部を強打し脳挫傷でプロレスラーへの道を断念する。郷里に戻るが、脳挫傷の後遺症を止める薬の副作用で肝機能障害に陥り、「やりたいことをやらずに一度きりの人生を終えたくない。
市川 雄次(いちかわ ゆうじ、1967年(昭和42年)4月2… 市川 雄次(いちかわ ゆうじ、1967年(昭和42年)4月24日- )は、日本の政治家。秋田県にかほ市長(3期)。 秋田県象潟町(現・にかほ市)に生まれる。秋田県立本荘高等学校、防衛大学校卒業。象潟町議会議員、にかほ市議会議員などを務める。 2017年(平成29年)10月29日に行われたにかほ市長選挙に立候補。自由民主党・公明党推薦の元秋田県議会議員の渋谷正敏を僅差で破り初当選を果たした。11月13日、市長就任。※当日有権者数:21,736人 最終投票率:70.97%(前回比:+2.18pts) 2021年(令和3年)10月31日に行われたにかほ市長選挙で、元にかほ市議会議員の齋藤光春を破り再選を果たした。
齋藤 正直(さいとう まさなお、1960年4月3日 - )は… 齋藤 正直(さいとう まさなお、1960年4月3日 - )は、秋田県由利郡象潟町(現・にかほ市)出身の野球指導者。 6歳年上の兄の影響で野球を始める。友達を誘い、秋田市内の八橋に所在する日吉八幡神社近辺の空き地で野球を楽しんだ。通学していた秋田市立旭北小学校や秋田市立山王中学校の野球チームに所属していた。 秋田高校では、強打の左打者として1年時よりレギュラー。高校在学中の3年間で甲子園大会などの全国大会出場は叶わなかった。 進学した東都大学野球の専修大学では1年の春季リーグから四番を担う。リーグでは3年と4年の秋にそれぞれ優勝し、ベストナインにも2度選出されている。1981年の明治神宮野球大会では準優勝の成績を修める。
山中 律雄(やまなか りつゆう、1958年3月22日 - )… 山中 律雄(やまなか りつゆう、1958年3月22日 - )は日本の歌人、曹洞宗の僧侶。日本文藝家協会会員。現代歌人協会会員。日本歌人クラブ秋田県代表幹事。秋田魁新報読者文芸「短歌」選者。秋田県歌人懇話会会長。短歌結社「運河」所属。 秋田県にかほ市出身・在住。駒澤大学仏教学科時代に短歌を始め、1983年に「運河」に入会した。川島喜代詩に師事し、後に代表となる。 1996年、歌集『無窮より』(川島書店)を出版した。1997年、「現代短歌の新しい風」(ながらみ書房)に参加する。 2000年、歌集『刻ゆるやかに』(角川書店)を出版。同歌集にて「秋田県芸術選奨」「日本歌人クラブ東北地域ブロック優良歌集賞」を受賞した。
横山 忠長(よこやま ただなが、1947年(昭和22年)10… 横山 忠長(よこやま ただなが、1947年(昭和22年)10月8日 - )は、日本の政治家。元秋田県にかほ市長(3期)、元象潟町長(1期)。 秋田県象潟町(現・にかほ市)に生まれる。1966年(昭和41年)3月、秋田県立西目農業高等学校(現・秋田県立西目高等学校)農業土木科卒業。同年4月、象潟町役場に採用される。 2004年(平成16年)、象潟町長に就任。 2005年(平成17年)10月1日、象潟町は仁賀保町、金浦町と新設合併を行い廃止。にかほ市が発足。11月に行われた市長選に出馬し初当選した。 2016年(平成28年)6月13日、市町村合併前の旧3町の役場を活用した分庁方式を廃止し、象潟庁舎に一本化する考えを明らかにした。
斎藤 憲三(さいとう けんぞう、1898年2月11日 - 1… 斎藤 憲三(さいとう けんぞう、1898年2月11日 - 1970年10月31日)は、日本の実業家・政治家。TDKの創業者で衆議院議員・科学技術政務次官を務めた。 1898年(明治31年)斎藤宇一郎とミネの三男として、秋田県由利郡平沢村(現にかほ市)に生まれた。父の宇一郎は秋田の農業の発展に尽力し、代議士にもなった人である。憲三は地元の平沢小学校を卒業した後、本荘中学(現:秋田県立本荘高等学校)への進学を希望していたが、父の勧めにより大阪の私立学校である桃山中学(現:桃山学院高等学校)に入学した。 1922年(大正11年)早稲田大学商学部を卒業後、農家の副業奨励のため炭焼きや養豚などの事業に取り組むが、いずれも失敗する。
佐藤秀三(さとう ひでぞう、1897年2月20日 - 19… 佐藤秀三(さとう ひでぞう、1897年2月20日 - 1978年9月8日)は日本の建築家。旧住友家俣野別邸、日光プリンスホテルなどを手掛ける。 秋田県生まれ。1914年、山形県工業学校(現在の山形県立米沢工業高等学校)建築科卒業後、住友総本店営繕課に入社し、上司であった建築家・長谷部鋭吉(日建設計創業者)の薫陶を受ける。1929年、佐藤秀三建築工務所(現在の株式会社佐藤秀)を創業。16代住友吉左衞門をはじめ、住友系列企業・経営首脳の後援を足掛かりに、設計施工会社としての基盤を固めた。日本の木造住宅に西洋建築の作風を取り入れ、主に木造住宅、別荘、保養所などを設計施工した。また建築をトータルデザインするため、家具や建具、照明、装飾金物なども製作。
村上 清治(むらかみ せいじ、1895年(明治28年)3月1… 村上 清治(むらかみ せいじ、1895年(明治28年)3月19日 - 1955年(昭和30年)10月13日)は、大正から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、秋田県由利郡上郷村長。 秋田県由利郡上郷村横岡(象潟町を経て現にかほ市)で、素封家の家に生まれる。秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)を経て、1916年(大正5年)東北帝国大学農科大学農学実科(現北海道大学農学部)を卒業。農業に従事した。 不動建物取締役社長、上郷村農業会長、同農会評議員、同信用組合理事、同森林組合長、上郷文化協会長、由利郡農業会長会副会長、象潟上郷上浜信用購買販売利用組合監事などを務めた。 政界では、上郷村会議員(3期)、秋田県会議員(1期)、上郷村長、由利郡仁賀保町村長会長、秋田県町村長会評議員などを務めた。
佐々木 平次郎(ささき へいじろう、1873年(明治6年)4… 佐々木 平次郎(ささき へいじろう、1873年(明治6年)4月22日 - 1935年(昭和10年)4月21日)は、日本の漁業家、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・北能。 秋田県由利郡、後の金浦町(現:にかほ市)で北能喜吉の二男として生まれる。1895年2月、由利郡塩越村(現:にかほ市)の呉服商・佐々木小治郎の養子となる。1897年にロシア帝国沿海州を視察し、その地の漁業の有望なことを見極め、樺太を含めた同地方での漁業を経営。函館に根拠を置き、倉庫業、船舶業、米穀海産物委託問屋なども営んだ。函館区会議員、函館商業会議所特別議員、樺太建網漁業水産組合組長、露領水産組合評議員、函館慈恵院監事、北日本汽船重役、北海道鉄道重役、樺太漁業社長、佐々木倉庫社長、寿都鉄道社長などを務めた。
白瀬 矗(しらせ のぶ、1861年7月20日〈文久元年6月1… 白瀬 矗(しらせ のぶ、1861年7月20日〈文久元年6月13日〉- 1946年〈昭和21年〉9月4日)は、日本の陸軍軍人、南極探検家。最終階級は陸軍輜重兵中尉。幼名は知教(ちきょう)。 「白瀬中尉」と呼ばれることが多い。 文久元年(1861年)、出羽国由利郡金浦村(現在の秋田県にかほ市)出身。浄蓮寺の住職、白瀬知道・マキエの長男、知教(ちきょう)として生まれた。 南極探検以後になって出版した自伝によると、幼年時代は非常にわんぱくだったという。「金浦の浜辺に漁師が捨てた小魚を狙ってきた狐の尻尾をちぎった」「海に潜って300トンもある千石船の底を潜り抜けようとしたが、抜けられずに溺れて死にかけた」「本堂に引っかった凧を取ろうとして落っこちた」のほか、狼退治や150人と血闘を行ったなどと列挙している。
惣助(そうすけ、1603年生誕。没年月日不明。) 通称「惣助… 惣助(そうすけ、1603年生誕。没年月日不明。) 通称「惣助翁」(渡辺姓を名乗ったという説もある。)秋田県にかほ市象潟町(旧中塩越村)の一百姓。貧しい村の将来を憂い、田に水を引くための灌漑用水路の完成のために心血を注ぐ。 その様子は鬼気迫る有様で、「満三年不眠不休の努力と全私財を投じて開通せられたるものにして・・・」と現在の「にかほ市象潟町象潟島」にある蚶満寺の碑に記されている。 時は江戸時代初期、度重なる飢饉にさらされる村を救うためには荒地を開墾し、稲作の拡張をする必要があった。 しかしそこに水を運ぶための水路が必要となる。荒地開墾を望む声は幾たびもあがっていたが、水路完成の見込みがないとして掘削許可が下りたことはなかった。