酒井 忠順(さかい ただより、1974年(昭和49年)7月1… 酒井 忠順(さかい ただより、1974年(昭和49年)7月14日 - )は、旧庄内藩主酒井家宗家19代目、荘内藩代表取締役社長。公益財団法人致道博物館代表理事館長。一般社団法人荘内酒井歴史文化振興会代表理事。父は酒井忠久、母は酒井天美、姉は大沼賀世、祖父は酒井忠明、曾祖父は酒井忠良、大叔父は酒井忠治、高祖父は酒井忠篤。 1974年、酒井忠久の長男として山形県鶴岡市に生れる。 1997年、獨協大学経済学部卒業。その後、同大大学院経済学研究科修士課程修了。2001年、立教大学学芸員課程を修了。 その後、東京信用保証協会勤務を経て、荘内銀行に入行。同行の地域振興部門に携わり、2009年松岡物産(現・荘内藩/2016年11月に社名変更)代表取締役社長に就任。
加藤 恵子(かとう けいこ、本名:尾形 恵子(おがた けいこ… 加藤 恵子(かとう けいこ、本名:尾形 恵子(おがた けいこ)、1968年(昭和43年) - )は、日本の起業家、経営コンサルタント、著作家、有限会社ティップス代表取締役社長。山形県鶴岡市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山田 茂(やまだ しげる、1965年11月7日 - )は、日… 山田 茂(やまだ しげる、1965年11月7日 - )は、日本の実業家。コスモエネルギーホールディングス代表取締役社長。山形県鶴岡市出身。 成城大学経済学部卒業後の1988年4月コスモ石油入社。コスモ石油では主に供給部門を担当し、2015年6月に供給部長となる。 2018年4月にコスモ石油の持株会社体制移行に伴い2015年に設立されたコスモエネルギーホールディングスの執行役員経営企画部長となり、洋上風力発電などの大規模プロジェクトへの投資や新規事業に携わる。 2020年4月に常務執行役員となり、同年6月に取締役に就任。 2023年4月より前任の桐山浩(代表取締役会長に就任)に代わり代表取締役社長となる。
長南 収(ちょうなん おさむ、1956年5月16日 - )は… 長南 収(ちょうなん おさむ、1956年5月16日 - )は、日本の実業家である。キユーピー代表取締役社長や、全国マヨネーズ・ドレッシング類協会会長を務めた。食品産業功労賞受賞。 山形県鶴岡市出身。1980年鹿児島大学水産学部卒、キユーピー入社。2001年仙台支店長。2006年広域家庭用営業部長。2008年大阪支店長。2012年東京支店長。2013年執行役員。2014年取締役。2016年常務執行役員サラダ・惣菜事業担当。2017年2月からキユーピー代表取締役社長執行役員。2021年キユーピーみらいたまご財団理事長。中島董商店取締役。2022年キユーピー相談役。同年食品産業功労賞受賞。元全国マヨネーズ・ドレッシング類協会会長。
浅賀 正治(あさか まさじ、本名:浅賀正二、1953年 - … 浅賀 正治(あさか まさじ、本名:浅賀正二、1953年 - )は、日本の彫刻家(石彫家)、一般社団法人日本美術家連盟会員、日本ブルガリア協会理事、羽黒石材商工業協同組合理事、日本石材産業協会会員、株式会社綜合美術工房代表取締役社長。一級技能士 石材施工(石材加工作業)資格取得。いばらき観光マイスタ―S級資格取得。山形県東田川郡藤島町(現・鶴岡市)出身で、茨城県桜川市在住。 キリル・メスキン展開催 ブルガリア派遣交流団現地石材での石匠7人制作建立事業 同国外務省での交流展 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
西海 和久(にしがい かずひさ、1950年(昭和25年)7月… 西海 和久(にしがい かずひさ、1950年(昭和25年)7月29日 - )は、日本の実業家。ブリヂストンエクスターナルアドバイザー。三井海洋開発取締役。山形県鶴岡市出身。 1994年に飯塚周平と共同で発明した特許、「高分子複合材料とその製造方法および使用方法」が公開されている。 2012年5月25日、津谷正明CEOと共にロシアにタイヤ工場を新設することを発表した。
上野 隆一(うえの りゅういち、1948年〈昭和23年〉12… 上野 隆一(うえの りゅういち、1948年〈昭和23年〉12月 - )は、山形県東田川郡藤島町(現・鶴岡市)出身の実業家。株式会社ウエノ代表取締役社長。NPO法人庄内みずほの郷理事長、出羽商工会会長を歴任した。 1948年(昭和23年)、山形県東田川郡藤島町大字三和に農家の16代目として生まれる。長男であったことから「農業をやるのが当然」と考え、山形県立庄内農業高等学校に入学。高校卒業後は農業者大学校へ進学した。その後、山形へ戻って家業である農業や畜産関係の仕事に従事した。 田畑を引き継いだ際、土地は上野の叔父の名義である上、さらに3,000万円近い借金があることが発覚。利息の支払いだけで1日1万円が消えていった。
新田 嘉一(にった かいち、1933年〈昭和8年〉10月6日… 新田 嘉一(にった かいち、1933年〈昭和8年〉10月6日 - )は、日本の実業家、馬主。平田牧場会長、東北公益文科大学理事長、自由民主党酒田支部最高顧問、平田町名誉町民(現:酒田市名誉市民)。 山形県飽海郡平田町楢橋(現:酒田市)において16代にわたり続く地主に生まれる。 父である嘉助は名士で通るも、農業より政治に現を抜かすことが多かったという。 山形県立藤島農業高校を卒業後、大学進学を希望するも父から「農家に学は必要ない」と断言され、進学を断念。 戦後の高度経済成長において、和食中心から洋食へ食文化が変遷し、庄内地方においては離農し都会に出る人々が増えつつある現状を鑑みた新田は、田畑を処分した上で就労の途につく方が暮らしも楽になるのではないかと父に進言するも聞き入れられなかった。
石川 義吉(いしかわ よしきち、1918年(大正7年)- 2… 石川 義吉(いしかわ よしきち、1918年(大正7年)- 2002年(平成14年)は、日本の軍属、事業家。 太平洋戦争において東京外語大学インド語科在学中にF機関に通訳として従事、インド国民軍の編成や戦後のインド独立に影響を与えた藤原岩市を補佐した。戦後は三菱商事のインド駐在員として日印関係に尽力した。晩年は東京大学で長崎暢子教授と共にインド学の研究をしていた。 山形県鶴岡市大山町にて粂太郎、元江の子として生まれる。兄弟は12人、妹1人の大家族であった。1935年上京。この頃大川周明やA.M.サーハエの影響を受ける。東京外語大学進学時、インド人教師バルラースからヒンズー語、ウルドゥ語を学ぶ。1941年10月中旬、在学中に参謀本部からの命令により急遽タイへ送られる。
秋山 太一郎(あきやま たいちろう、1915年〈大正4年〉8… 秋山 太一郎(あきやま たいちろう、1915年〈大正4年〉8月16日 - 2006年〈平成18年〉1月5日)は、日本の医学者、医学博士(東京大学)、実業家。補綴材(エピテーゼ、プロテーゼ)の研究者。株式会社高研の創業者。株式会社荘内日報社元社長・元会長。鶴岡市行政顧問。勲四等瑞宝章。山形県鶴岡市出身。「世界にさきがけ、独創に生きる」を座右の銘とした。 医療用高分子の研究の分野で活躍し、血液樹脂、合成高分子、医用シリコーン、医療用の生体モデルなどを開発し、医療技術の向上に貢献した。略歴は以下のとおり。
田中 正佐(たなか しょうすけ、1908年(明治41年)11… 田中 正佐(たなか しょうすけ、1908年(明治41年)11月2日 - 2000年(平成12年)1月8日)は、日本の実業家。大丸副社長を経て、東急グループの総帥である五島昇に招かれ、東急百貨店社長に就き、東光ストア(現・東急ストア)や東急エージェンシー社長も兼任し、グループの流通事業の発展に力を尽くした。 山形県鶴岡市出身。父正造、母こえだのもと7人兄弟の次男として生まれる。田中家は庄内藩の家臣で、母方は家老の家柄だった。 鶴岡中学校、新潟高等学校、京都帝国大学経済学部を卒業。山添直(小田急不動産社長)は幼友達。 満鉄への入社を希望していたが、知人のすすめもあって1933年、大丸に入社。入社5年後の1938年、大丸が進出していた中国の蘇州店支配人を任される。
太田 鉄太郎(鐵太郎、おおた てつたろう、1883年(明治1… 太田 鉄太郎(鐵太郎、おおた てつたろう、1883年(明治16年)4月5日 - 1958年(昭和33年)9月30日)は、日本の農業経営者、政治家。衆議院議員、北海道上川郡名寄町長。 山形県東田川郡東栄村(現:鶴岡市)で太田豊治の長男として生まれる。1900年5月、父と共に北海道天塩国上川郡上名寄村字名寄太に入植し開墾に従事。 学務委員、上名寄村会議員、名寄町会議員、北海道会議員、名寄町長、名寄町農業会長、北海道農業会理事、名寄信用購買販売生産組合理事、名寄信託商事取締役、北海道澱粉統制組合理事長、日本澱粉統制 (株) 監事などを務めた。 1946年4月の第22回衆議院議員総選挙で北海道第二区から出馬して当選。
斎藤 外市(さいとう といち、1865年(慶応元年) - 1… 斎藤 外市(さいとう といち、1865年(慶応元年) - 1926年(大正15年)1月31日)は、日本の発明家、実業家、政治家(鶴岡町町議会議員)、鶴岡ガス株式会社初代社長。 出羽国田川郡長沼村上新田(後の藤島町、現在の鶴岡市)出身。 主に軍用機器と織機(織物機械)の発明に取り組み、「発明は俺の命だ。俺のひとつの病気だ」と豪語し、数多くの発明を残した。現在でもその発明は高く評価されている。 トヨタグループの創業者の豊田佐吉と共に、織機の発明王と呼ばれ、絹の斎藤外市、綿の豊田佐吉と言われていた。1912年(明治45年)には、これまでの数々の発明の功績によりトヨタの創業者・豊田佐吉と共に藍綬褒章を受章している。
駒林 広運(こまばやし ひろゆき/こううん、1856年12月… 駒林 広運(こまばやし ひろゆき/こううん、1856年12月23日(安政3年11月26日) - 1935年(昭和10年)11月23日)は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家。衆議院議員(5期)。 庄内藩士駒林広明の長子として出羽国田川郡鶴岡大海町(西田川郡鶴岡町を経て現鶴岡市)に生まれ、1875年(明治8年)8月、戸主となる。和漢学を修めたのち1879年(明治12年)3月、三等准訓導となったのち山形県会書記に転じた。1883年(明治16年)には同県会議員に当選し、1886年(明治19年)条約改正に反対を掲げ上京する。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙まで通算5回当選した。
秋保 親兼(あきほ ちかかね、1856年(安政3年)5月13… 秋保 親兼(あきほ ちかかね、1856年(安政3年)5月13日 - 1915年(大正4年)5月29日)は出羽国田川郡鶴岡(現・山形県鶴岡市)出身の政治家、衆議院議員(2期)、済急社監査役、庄内煙草社長である。 1856年(安政3年)5月13日、庄内藩士・伴弥平の3男として生まれる。その後、庄内藩校致道館で学ぶ。 1872年(明治5年)、松ヶ岡開墾に参加。1880年(明治13年)、済急社(現・荘内銀行)の設立に関わる。 1889年(明治22年)、鶴岡町会議員就任。西田川郡会議員、山形県会議員に就任。1894年(明治27年)9月1日、第4回衆議院議員総選挙(旧山形3区・立憲革新党公認・2119票獲得)初当選。