南摩 綱紀(なんま つなのり、文政6年11月25日(1823… 南摩 綱紀(なんま つなのり、文政6年11月25日(1823年12月26日) - 明治42年(1909年)4月13日)は、日本の武士(会津藩士)、教育者。通称は八之丞、号は羽峯。 南摩家は元下野国南摩城主であった。会津藩においては家禄300石の上級藩士であったが、綱紀は次男で当主ではない。藩校日新館に学び、秋月悌次郎とともに秀才として知られた。昌平坂学問所に留学し、その後洋学も修めている。西国諸国を歴訪し、その見聞を『負笈管見』と題して著す。帰藩後は日新館教授を務め次いで蝦夷地代官として現地に赴任。現地でも藩士子弟の教育にあたり、その中に会津藩出身者として最初の海軍将官となる角田秀松がいた。蝦夷地代官としての手当ては5両3人扶持であった。
佐藤 元萇(さとう げんちょう、文政元年(1818年)- 明… 佐藤 元萇(さとう げんちょう、文政元年(1818年)- 明治30年(1897年)8月7日)は、日本の医師。江戸幕府医学館教授。森鷗外の漢詩、漢文の師である。号は応渠。 父は佐藤重俊である。陸奥国会津に生まれ、会津藩藩主松平容保の侍講を務めた高津淄川に学んだ。江戸詰御医師として五人扶持を給され、藩邸を拠点に多紀元堅(多紀茝庭)から医学を学ぶ。佐藤は多紀塾の塾頭に進んだ。黒船来航後に種痘を学び、郷里で施術を行っている。安政4年(1857年)に幕命によって医学館医書校正となり、講師を経て教授に進んだ。文久3年(1863年)には征夷大将軍徳川家茂に拝謁し、袋杖登城を許された。藩命により幕末の京へも赴いている。
大須賀 清光(おおすが せいこう、文化6年(1809年)4月… 大須賀 清光(おおすが せいこう、文化6年(1809年)4月 - 明治8年(1878年)6月17日)は、日本の江戸時代末期に活躍した町絵師。名は清光、通称は喜知松、号ははじめ蘭斎、のちに皎斎。地元・会津を題材にした郷土愛あふれる作品を数多く手掛けた。 先祖は蒲生家旧臣で、蒲生家が会津を去った後に商人となったという。清光も裕福な商人出身で、幼少から画を好み、旦那芸として佐藤香斎に書画を学んでいたが、後に画道に熱中するあまり家産を傾けたという。一方、漢学を山内穆斎、和歌を相川功垂に学んだという。 代表作としては、下記のように複数確認されている「若松城下絵図」が挙げられる。これらは作品ごとに書き込まれている武家屋敷の名称が変わっていたり、藩の施設や寺院の描写も変化が認められる。
江川 和花(えがわ わか、3月24日 - )は、福島県会津若… 江川 和花(えがわ わか、3月24日 - )は、福島県会津若松市出身、宮城県仙台市在住の料理研究家。2005年10月から始めた料理に関するブログが人気を集め、現在は宮城県を中心にテレビなどでも活動している。「お料理愛好家 わかちゃん」として知られる。食品衛生責任者、食育インストラクター、国際薬膳師の資格をもつ。 この項目は、芸能人一般(俳優/女優・歌手・お笑い芸人・アナウンサー以外のタレントなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:芸能人)。 この項目は、食品・食文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:食)。
伊藤 初代 は、川端康成の元婚約者。15歳の時に22歳の川端… 伊藤 初代 は、川端康成の元婚約者。15歳の時に22歳の川端と婚約し、その1か月後に突然婚約破棄を告げた女性である。その事件による失意が川端の生涯の転機となり、様々な作品に深い影響を与えたことで知られる。川端の永遠に満たされることのなかった青春の幼い愛は、清潔な少女への夢や、聖処女の面影への憧憬を残し、孤児の生い立ちの克服という命題と融合しながら独自の基盤をなして、川端文学の形成に寄与した。
鈴木 美咲 は、日本の女性声優。福島県会津若松市出身。Won… 鈴木 美咲 は、日本の女性声優。福島県会津若松市出身。Wonder Space所属。
手代木 勝任(てしろぎ かつとう)は、幕末の会津藩士。明治時… 手代木 勝任(てしろぎ かつとう)は、幕末の会津藩士。明治時代の地方官吏。 会津藩士・佐々木源八の長男として生まれ、源八の実兄で、百石取りの手代木勝富の養子となった。京都見廻組組頭である佐々木只三郎、隊員であった佐々木源四郎は実弟。妻は150石取の藩士、小川権次の次女、喜与子。江戸御聞番として出仕している。 会津藩主松平容保が京都守護職を務めていた際、手代木は公用方として京に赴任し、諸藩との折衝や、京都町奉行や京都所司代との連絡用務、新選組の指揮などを受け持った。元治元年には京都定詰公用人・御聞番御内用兼務となり、容保の名代として宮中に参内を行うこともあった。この際徳川慶喜から賞賜を受け、金、服地を賜っている。
深尾 弘(ふかお ひろし、? - 明治13年〈1880年〉)… 深尾 弘(ふかお ひろし、? - 明治13年〈1880年〉)は、日本海軍軍人。草創期の海軍にあって英国に留学した海軍少尉補である。 陸奥国・会津に生まれた会津藩士である。戊辰戦争の敗戦により斗南に移住したのち、同藩の雪下熊之助とともに海軍生徒兵学校に進む。 在校中に生徒から2名が英国留学を命ぜられたが深尾はその選に入る。ともに選ばれたのは、薩摩藩士・伊集院五郎で、両名の選抜理由は"学業進歩ニ付"である。1877年(明治10年)11月27日、深尾と伊集院は横浜から出帆した。しかし深尾は在英中に病に冒され帰国を考慮する事態となる。一度は全快と判定され伊集院とともに英国太平洋艦隊旗艦「トライアンフ」 (Triumph) に乗組んだが、ほどなく病が再発し帰国。
小澤 弘明(おざわ ひろあき、1958年 - )は、日本の歴… 小澤 弘明(おざわ ひろあき、1958年 - )は、日本の歴史学者。現在、千葉大学副学長(2014年-)および同理事(教育)(2023年-)。専門はハプスブルク帝国史、近代ドイツ・オーストリア史、中東欧現代史。 福島県会津若松市出身。福島県立会津高等学校を経て、1980年3月に 東京大学文学部西洋史学科卒業。1982年3月、同大学院社会学研究科修士課程修了。国際学(修士)の学位を得る。 1987年、東京大学大学院社会学研究科国際関係論専門課程を単位取得退学。日本学術振興会特別研究員を経て、1989年10月~東京外国語大学外国語学部助手。1996年4月~千葉大学文学部助教授。2003年2月、同教授。
小池 達哉(こいけ たつや)は、日本の弁護士。福島県弁護士会… 小池 達哉(こいけ たつや)は、日本の弁護士。福島県弁護士会会長や、日本弁護士連合会副会長、会津若松市外部評価委員等を歴任。 福島県会津若松市生まれ。福島県立会津高等学校を経て、東北大学法学部卒業。1994年最高裁判所司法研修所修了、仙台弁護士会弁護士登録。1997年福島県弁護士会弁護士登録。2013年福島県弁護士会会長。2019年には会津地区からは初となる日本弁護士連合会副会長に就任し、災害復興支援等を担当した。
星 洋二(ほし ようじ)は日本の声楽家(テノール)、音楽教育… 星 洋二(ほし ようじ)は日本の声楽家(テノール)、音楽教育者。父は作曲家で音楽教諭の星和男。 福島県会津若松市出身。福島県立会津高等学校卒業。高校では合唱部に所属し、3年時に全日本合唱コンクールで全国優勝。その際に演奏された湯山昭作曲『ゆうやけの歌』は名演奏として名高いが、そのテノールソロを務めている。 1984年(昭和59年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1986年(昭和61年)東京藝術大学大学院オペラ科修了。渡邊高之助、高丈二、高橋啓三、疋田生次郎に師事。1991年(平成3年)1月より1年間、アルド・プロッティのもとで、ヴェルディ(『リゴレット』『椿姫』など)の歌唱法と、ベルカント・オペラの発声法を学んだ。
中野 知美 は、フリーアナウンサー。かつてはTBSスパークル… 中野 知美 は、フリーアナウンサー。かつてはTBSスパークル 所属。
保志 総一朗 は、日本の男性声優、歌手。福島県会津若松市出身… 保志 総一朗 は、日本の男性声優、歌手。福島県会津若松市出身。アーツビジョン所属。
橋本 栄治(はしもと えいじ)は、国際協力機構(JICA)職… 橋本 栄治(はしもと えいじ)は、国際協力機構(JICA)職員、日本の外交官。2011年(平成23年)9月1日から2014年(平成26年)5月27日までモザンビーク駐箚特命全権大使を務めた。 福島県会津若松市出身。1974年(昭和49年)宇都宮大学農学部を卒業し、海外技術協力事業団に入る。国際協力事業団企画部企画課長、国際協力事業団ケニア事務所長、国際協力事業団アフリカ・中近東・欧州部長、2003年(平成15年)10月、国際協力機構理事長室長、2007年(平成19年)10月1日、国際協力機構理事(アフリカ部、社会開発部、青年海外協力隊事務局担当)を経て、2011年(平成23年)8月31日退職。同年9月1日から2014年(平成26年)5月27日までモザンビーク駐箚特命全権大使。
神村 栄一(かみむら えいいち、1963年9月 - 2025… 神村 栄一(かみむら えいいち、1963年9月 - 2025年10月は、日本の心理学者。新潟大学教授。 福島県会津若松市生まれ。1986年筑波大学第二学群人間学類卒業。1991年同大学院心理学研究科博士課程単位取得満期退学。1994年「ストレス対処の個人差に関する臨床心理学的研究」で筑波大学より博士(心理学)の学位を取得。1991年早稲田大学人間科学部助手、1994年筑波大学文部技官、助手、1995年新潟大学助教授、2008年准教授、2012年人文社会・教育科学系教授。臨床心理士・専門行動療法士。専門は認知行動療法。
佐藤栄助(さとう えいすけ)は、日本のヤクザ。松友会会長(二… 佐藤栄助(さとう えいすけ)は、日本のヤクザ。松友会会長(二代目松葉会会長)。四代目松葉会会長。福島県会津若松市出身。日本大学卒。 昭和43年(1968年)、旧松葉会の人間を集めて、松友会を結成した。 三代目松葉会・菊池徳勝会長の後、四代目松葉会会長に就任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐川 官兵衛(さがわ かんべえ)は、幕末の会津藩士。明治時代… 佐川 官兵衛(さがわ かんべえ)は、幕末の会津藩士。明治時代の警察官。字は勝、諱は直清。戊辰戦争では賊軍とされた会津藩の家老であったが、西南戦争では政府軍として戦い戦死したことから靖国神社に合祀されている。このような事例は佐川官兵衛ただ一人であるとされている。 会津藩士・佐川直道(家禄は300石)の子として生まれた。文久2年(1862年)には藩主・松平容保に従って上洛し、物頭を務めたのち学校奉行に任じられた。また、精鋭の藩士で構成された「別撰組」を率い、藩主の外出時などにはその護衛を行っている。 王政復古の大号令後、京都守護職を解かれて大坂城に退去した会津藩において、官兵衛は主戦派の先頭となり、非戦派の神保修理や山本覚馬らと対立している。
佐原 盛純(さはら もりずみ、天保6年頃〈1835年頃〉 -… 佐原 盛純(さはら もりずみ、天保6年頃〈1835年頃〉 - 1908年〈明治41年〉12月4日)は、江戸時代末期から明治時代の漢学者、役人、教育者。佐原貞一とも称した。号は豊山、晩年は蘇楳。旧名は金上佐輔(字は業夫)、金上盛備の子孫とされる。明治維新当時は上野国吉井藩の侍講・藩学教授。生年については諸説あり。 陸奥国会津藩若松城下馬場町の商人徳兵衛の長男に生れた。少年期より学問に没頭、18歳の頃から江戸へ遊学し、広島藩儒官の金子霜山、幕府儒官の杉原心斎、同郷の儒者添川廉斎に師事。この頃、祖先が蘆名氏末期の津川城主金上盛備であると知り、金上佐輔と名乗り始めたという。 文久2年(1862年)に外国奉行池田長発に侍講として招かれ、翌文久3年12月から元治元年7月(1864年2月から8月)には池田を正使とする横浜鎖港談判使節団(第2回遣欧使節団)に従者として加わり、第二帝政期のフランスへ渡った(後年、その日記を『航海日録』としてまとめた)。
新島 八重(にいじま やえ〈やゑ〉、1845年12月1日(弘… 新島 八重(にいじま やえ〈やゑ〉、1845年12月1日(弘化2年11月3日) - 1932年〈昭和7年〉6月14日は、江戸時代末期(幕末)から昭和初期の日本の教育者、茶道家。同志社創立者の新島襄の妻として知られる。旧姓は山本。一部の手紙などでは「八重子」と署名してあることから、史料によっては新島 八重子と書かれる場合もある。勲等は勲六等宝冠章。皇族以外の女性としてはじめて政府より受勲した人物である。 弘化2年(1845年)、会津藩の砲術師範(禄高は22石4人扶持)であった山本権八と妻である佐久の子として誕生。慶応元年(1865年)、川崎尚之助と結婚。川崎は、但馬出石藩出身で藩校日新館の教授を務めていた。