星野 ひので(ほしの ひので、2005年4月18日 - )は… 星野 ひので(ほしの ひので、2005年4月18日 - )は、群馬県桐生市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 桐生市立新里中央小学校在学時は大間々東小リトルジャイアンツ、桐生市立新里中学校在学時は硬式野球のクラブチームである桐生ボーイズでプレーしていた。 群馬県立前橋工業高等学校では1年夏から3番打者を務めたが、2年夏の大会後に右肘の手術を受けて離脱。リハビリ中は柔軟性アップと下半身の強化に努め、体重を69kgから84kgまで増量した。その後復帰し、3年夏の群馬大会では常盤との2回戦で2本塁打を放ったが、続く3回戦で関東学園大附に敗れた。3年間で甲子園大会出場はなかった。
北村 流音(きたむら りお、2005年2月20日 - )は、… 北村 流音(きたむら りお、2005年2月20日 - )は、群馬県桐生市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 小学校1年時に野球を始める。桐生市立中央中学校では軟式野球部に所属し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスジュニアに選ばれた。 桐生第一高等学校に進学し、2年秋からエースとなった。3年夏の群馬県大会準々決勝では、本塁打を含む3安打を記録したが、準決勝では樹徳高等学校相手に9失点し敗戦した。また、10月9日にはチームメイトの三塚琉生とともに読売ジャイアンツの入団テストを受けた。 2022年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツから育成ドラフト8巡目で指名を受けた。
蛭間 拓哉(ひるま たくや、2000年9月8日 - )は、群… 蛭間 拓哉(ひるま たくや、2000年9月8日 - )は、群馬県桐生市出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 桐生市立相生小学校3年生の時に野球を始め、6年生時には埼玉西武ライオンズジュニアに選出された。桐生市立相生中学校在学時は硬式野球のクラブチームである前橋桜ボーイズでプレーし、関東大会で優勝した。 浦和学院高等学校に進学し、1年春からベンチ入りして4番を務めた。2年秋から主将に就任し、3年夏には第100回全国高等学校野球選手権記念大会に出場。仙台育英との1回戦でソロ本塁打を放った。しかし、準々決勝で藤原恭大、根尾昂、横川凱、柿木蓮を擁した大阪桐蔭に敗れ、チームはベスト8に終わった。
金子 将太(かねこ しょうた、1996年8月12日 - )は… 金子 将太(かねこ しょうた、1996年8月12日 - )は、群馬県桐生市出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 桐生市立広沢中学校時代には投手だったが、群馬県立大間々高等学校2年生の時に野手へ転向した。在学中には、春夏とも阪神甲子園球場の全国大会へ出場できなかったものの、対外試合で通算35本塁打を記録。そのうち10本を、木製のバットで放っていた。 2014年のドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスから育成6巡目で指名。支度金270万円、年俸300万円(金額は推定)の条件提示で入団した。 2015年には、ウエスタン・リーグ公式戦2試合に出場したが、2打数無安打1三振という成績でシーズンを終えた。
井野口 祐介(いのぐち ゆうすけ、1985年3月14日 - … 井野口 祐介(いのぐち ゆうすけ、1985年3月14日 - )は、群馬県桐生市出身の群馬ダイヤモンドペガサスに所属する日本のプロ野球選手(外野手)。ベースボール・チャレンジ・リーグの創設以来、10年以上にわたって1シーズンを除いてプレーを続けており、「独立リーグのレジェンド」とも評される。 桐生市立商高時代は、3年時の夏に第84回全国高等学校野球選手権大会に出場。その後、平成国際大学。 2007年に富山サンダーバーズに入団。同年は、79打点を挙げ、最多打点のタイトルを獲得した。 2008年、群馬ダイヤモンドペガサスに移籍。同年も47打点を挙げ、チームメイトの丹羽良太と共に最多打点のタイトルを獲得、ベストナインにも選出された。
戸部 浩(とべ ひろし、1974年7月15日 - )は、群馬… 戸部 浩(とべ ひろし、1974年7月15日 - )は、群馬県桐生市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 樹徳高校2年夏に背番号11で第73回全国高等学校野球選手権大会に同校初出場に導き、2回戦の大阪桐蔭に敗戦。続いて3年夏に第74回全国高等学校野球選手権大会に出場して初戦の近江高に完投勝利するが、2回戦で天理高にサヨナラ負けを喫した。 日本大学へ進学。4年時は2部リーグとなった。東都大学1部リーグ通算25試合登板、6勝12敗、防御率3.33、85奪三振。 東芝府中ではチーム最終年となった都市対抗野球で初戦先発勝利、その後は統合された東芝から1999年のドラフトで千葉ロッテマリーンズから3位指名され、入団。
渡辺 久信(わたなべ ひさのぶ、1965年8月2日 - )は… 渡辺 久信(わたなべ ひさのぶ、1965年8月2日 - )は、群馬県勢多郡新里村(現:桐生市)出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、元プロ野球監督、野球解説者、野球評論家。 前橋工業高校から1983年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)に1位指名されて入団。最多勝利を3回獲得するなどパシフィック・リーグを代表する本格派右腕として活躍した。現役時代の通算成績は125勝110敗27セーブ。引退後は2005年から2007年まで西武二軍の監督、2008年から2013年まで一軍監督を務めた後、2019年から2024年まで同球団のゼネラルマネージャー (GM) を務めた。2024年5月27日から同シーズン終了までは、成績不振で休養した松井稼頭央監督に代わって監督代行を務めた。
福田 治男(ふくだ はるお、1961年11月4日 - )は、… 福田 治男(ふくだ はるお、1961年11月4日 - )は、高校野球指導者。 群馬県桐生市出身。桐生市立昭和中学校、埼玉県立上尾高等学校、東洋大学経営学部卒業。 高校進学に際して、地元の名門・桐生高校ではなく上尾高校を選んだのには、野本喜一郎監督の熱心な誘いがあった。野本は「高校野球指導者になるにあたり、稲川さんに全て教えてもらった。だから桐生の子は大事にするよ」と福田に話していた。 第61回全国高等学校野球選手権大会に、1番遊撃手でエース・仁村徹らと共に甲子園出場。初戦で牛島和彦、香川伸行らを擁する浪商と対戦、延長戦の末に敗れている。 仁村とともに進学した東洋大学では内野手としてメンバー入り、1年学下に山口敏弘がいた。
神長 英一(かみなが ひでいち、1960年6月24日 - )… 神長 英一(かみなが ひでいち、1960年6月24日 - )は、群馬県桐生市出身の元社会人野球指導者、元大学野球指導者。 作新学院高時代、第49回選抜高等学校野球大会及び第60回全国高等学校野球選手権大会に出場。3年次には主将を務める。 1979年に高校卒業後、法政大学経済学部へ進学。東京六大学野球連盟に加盟する同校野球部では3度のリーグ優勝を経験。4年次の1982年春季リーグで完全優勝を果たし、神長も遊撃手としてベストナインに選出された。続く全日本大学野球選手権大会でも決勝で東洋大学を下し優勝を果たした。大学時代の同期に田中富生、木戸克彦、西田真二、手嶋浩、1年上に中葉伸二郎、川端順と池田親興両投手、1年下に小早川毅彦、銚子利夫、飯田孝雄、和田護・樽井徹両投手らがいる。
向田 佳元(むかいだ よしもと、1956年4月11日 - )… 向田 佳元(むかいだ よしもと、1956年4月11日 - )は、群馬県桐生市出身の元アマチュア野球選手(投手)である。 前橋工業高校では1973年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で福井商に完封負け。この試合はリリーフで甲子園初登板を果たす。翌1974年夏の甲子園にエースとして連続出場。準々決勝では静岡商の高橋三千丈と投げ合い1-0で完封勝ち。準決勝に進むが、銚子商の土屋正勝に完封負けを喫する。 早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは1年生から起用される。1976年の明治神宮野球大会では、決勝で法大の江川卓と投げ合うが完封負けを喫する。北口勝久(松下電器)との二本柱で1978年秋季リーグ優勝に貢献。
河原井 正雄(かわらい まさお、1954年(昭和29年)7月… 河原井 正雄(かわらい まさお、1954年(昭和29年)7月26日 - )は、群馬県桐生市出身の元アマチュア野球選手、野球指導者。青山学院大学硬式野球部監督・大学野球日本代表監督等を歴任。 桐生市本町に生まれる。子どものころから稲川東一郎率いる群馬県立桐生高等学校硬式野球部に憧れ同校へ入学、1年生から中心選手として活躍する。投手として1972年夏の甲子園県大会を勝ち抜き、北関東大会準決勝に進出。足利工の石田真と投げ合うが9回サヨナラ負け、甲子園には出場できなかった。 1973年に卒業後、青山学院大学に進学し同大学硬式野球部に所属。東都大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、同1973年春季リーグでは1年上のエース金沢真哉を擁し、深沢進(のち東芝)らとともに打線の中心となり活躍。
今泉 喜一郎(いまいずみ きいちろう、1937年6月24日 … 今泉 喜一郎(いまいずみ きいちろう、1937年6月24日 - )は、群馬県桐生市出身の元プロ野球選手。右投げアンダースロー。 群馬県立桐生高等学校ではエースとして活躍。1953年秋季関東大会に進むが、1回戦で水戸農に敗退。1955年には同期の田辺義三とバッテリーを組み、春夏の甲子園に出場。春の選抜は準々決勝で明星高を相手にノーヒットノーランを達成。決勝まで勝ち上がり浪華商と対戦した。浪華商の四番打者坂崎一彦に対し、桐生高監督の稲川東一郎は徹底敬遠を指示する。しかし全打席敬遠はノーヒッターとしてのプライドが許さず、第3打席に勝負を決意するも2点本塁打を喫し逆転を許す。9回に同点に追いつくが、延長11回裏にスクイズを決められ3-4でサヨナラ負け、準優勝にとどまった。
浦田 直治(うらた なおじ、1936年9月8日 - )は、群… 浦田 直治(うらた なおじ、1936年9月8日 - )は、群馬県桐生市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 桐生市立境野中学校では主将を務め、2年次の1950年には東京六大学秋季リーグ戦試合開始前の神宮に行き、法政大でプレーする根本陸夫を訪ねた。 監督が日大出身で根本の2年先輩であり、主将の浦田に「後輩に根本っていう選手がいた。今は法政大学でキャッチャーをしている。俺が頼むから、みんなを連れて六大学を見に行き、野球の勉強をしてきなさい」と言ったのが、根本と会ったきっかけである。浦田は根本宛に手紙を書くよう命じられ、野球部全員で行くことや試合観戦の希望を記して投函していたが、根本という選手について先生は何も教えてくれなかった。
毒島 章一(ぶすじま しょういち、1936年〈昭和11年〉1… 毒島 章一(ぶすじま しょういち、1936年〈昭和11年〉1月14日 - 2023年〈令和5年〉5月14日)は、群馬県桐生市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。戸籍上の登録は「毒嶌」。 「ミスターフライヤーズ」と称された。 桐生高校では1951年夏の甲子園に控え投手として出場するが、1回戦で西山和良のいた県和歌山商に敗退。2年上のチームメートに一塁手の中静唯八(西鉄)がいた。 1953年夏の甲子園予選では北関東大会1回戦に進むが、宇都宮商に日没コールド負け。高校ではノーヒットノーランを達成したこともあるが、肘を痛めてしまう。また左打者になったのも高校時代である。 1954年に東映フライヤーズへ入団。
常見 忠(つねみ ただし、1930年11月11日 - 201… 常見 忠(つねみ ただし、1930年11月11日 - 2011年11月30日)は、日本の元プロ野球選手、釣り師。群馬県桐生市出身。
木暮 英路(こぐれ えいじ、1927年1月30日 - )は、… 木暮 英路(こぐれ えいじ、1927年1月30日 - )は、群馬県桐生市出身の元プロ野球選手。巨人などでプレーした木暮力三は実兄。 桐生中学から1944年に阪急軍へ入団。投手兼内野手としてプレーする。 終戦後はアマチュアの全桐生でプレーし、1950年に西鉄クリッパースでプロ復帰。同年で退団し、その後は大生相互銀行でプレーした。
木暮 力三(こぐれ りきぞう、1923年2月21日 - 没年… 木暮 力三(こぐれ りきぞう、1923年2月21日 - 没年不詳)は、群馬県桐生市出身のプロ野球選手。左投左打。西鉄などでプレーした木暮英路は実弟。 桐生中学(現群馬県立桐生高等学校)では、1939年の夏の甲子園に一塁手として出場。1942年に読売ジャイアンツに入団。強打者として期待され、1943年には応召した川上哲治に代わって一塁手のレギュラーとなり、巨人の第9代4番打者も務めた。 戦後の1946年に、かつて巨人監督だった藤本定義が監督に就任したパシフィックに入団。外野手のレギュラーとなり、打率.246を打ってリーグ33位に入った。しかし、同年限りでパシフィックを退団して、1947年は全桐生に参加し、都市対抗野球にも出場している。
稲川 豪一(いながわ ごういち、1920年1月11日 - 没… 稲川 豪一(いながわ ごういち、1920年1月11日 - 没年不明)は、群馬県桐生市出身のプロ野球選手。稲川東一郎は実兄。 桐生中学校から全桐生を経て、1950年に東急フライヤーズへ入団。同年で退団し、その後は大昭和でプレーした。