内山 航(うちやま こう、1981年〈昭和56年〉6月11日… 内山 航(うちやま こう、1981年〈昭和56年〉6月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。元新潟市議会議員(3期)。 新潟市出身。新潟市立鳥屋野中学校、新潟県立新潟江南高等学校を経て、新潟大学経済学部経営学科を卒業。卒業後はパチンコ店勤務を経て24歳の時に森裕子参議院議員秘書に転ずる。 2012年11月19日、国民の生活が第一は次期衆院選新潟1区に内山を擁立すると発表。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では生活の合流先である日本未来の党公認で出馬し、落選。その後新聞配達員を経て2015年4月に新潟市議会議員に初当選。3期務め、最大会派の翔政会に所属した。 2025年7月、自由民主党新潟県連は新潟1区の次期衆議院選挙の候補者として内山を内定。
室岡 啓史(むろおか ひろし、1980年11月18日 - )… 室岡 啓史(むろおか ひろし、1980年11月18日 - )は、日本の政治家、建築学修士。佐渡市議会議員(2期)。 新潟県新潟市出身。新潟市立真砂小学校、新潟市立五十嵐中学校、新潟県立新潟高等学校、東京理科大学理工学部建築学科、同大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了。修了後に東京のITベンチャー企業へ就職。在職中に東京のコールセンターの佐渡への本社移転を後押し。自身も孫ターンとして佐渡へ移住し、コールセンターの社員として従事(2016年4月退職)。2016年4月執行の佐渡市議会議員選挙において1,519票を獲得し、初当選。2020年4月の同選挙において1,143票を獲得し現在2期目。2022年4月より佐渡市議会産業建設常任委員長に就任。
小林 一大(こばやし かずひろ、1973年6月12日 - )… 小林 一大(こばやし かずひろ、1973年6月12日 - )は、日本の政治家、僧侶(真言宗智山派)。自由民主党所属の参議院議員(1期)。 防衛大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第2次石破内閣)、新潟県議会議員(4期)などを歴任した。 新潟県新潟市出身。新潟県立新潟高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業後、東京海上火災保険株式会社に入社した。2004年に父で元新津市長の小林一三が県知事選で2度目の落選をしたことを転機に帰郷を考えるようになり、2005年に退職し、家業の普談寺の副住職を継いだ。 2007年4月に新潟県議会議員に初当選し、その後4期務めた。2022年7月10日執行の第26回参議院議員通常選挙で新潟県選挙区から立候補し、立憲民主党の現職・森裕子らを破り初当選した。
青島 健太(あおしま けんた、1958年〈昭和33年〉4月7… 青島 健太(あおしま けんた、1958年〈昭和33年〉4月7日 - )は、日本の政治家、元プロ野球選手。日本維新の会所属の参議院議員(1期)。元ヤクルトスワローズ内野手。野球解説者、スポーツライター、スポーツキャスター、鹿屋体育大学客員教授、流通経済大学客員教授、日本医療科学大学客員教授。日本クリケット協会理事。日本ペンクラブ会員。YouTuber。 新潟県新潟市(現在の同市中央区)八千代にあった新潟鉄道病院で生まれる。日立製作所に勤務していた父親(2017年夏に86歳で死去)の仕事の関係で5歳まで新潟市(現在の西区)小針で過ごす。6歳の時に家族(両親と妹)で埼玉県草加市の草加松原団地へ転居した。
森 裕子(もり ゆうこ、1956年4月20日 ‐ )は、日本… 森 裕子(もり ゆうこ、1956年4月20日 ‐ )は、日本の政治家。立憲民主党所属の参議院議員(4期)。文部科学副大臣(野田内閣・野田第1次改造内閣)、国民の生活が第一幹事長代行、日本未来の党副代表、生活の党代表、同代表代行、自由党幹事長、立憲民主党参議院幹事長などを歴任した。「森 ゆうこ」とも表記される。 新潟県新津市の出身で、新津市立新津第五中学校、新潟県立新津高等学校、新潟大学法文学部英文科を卒業した。大学在学中からディスカウントストアチェーンの創業に参画し、子供を育てながら英語塾を経営する。公民館に勤務しながら、介護ボランティアグループの組織作りに努め、町おこし塾「阿賀の里づくり・よこごし」会長、ミニコミ誌「夢がっと」初代編集長を務める。
佐藤 信秋(さとう のぶあき、1947年〈昭和22年〉11月… 佐藤 信秋(さとう のぶあき、1947年〈昭和22年〉11月8日 - )は、日本の政治家、建設・国土交通官僚(技官)。自由民主党新潟県支部連合会会長。 参議院議員(3期)、参議院決算委員長、同財政金融委員長、同地方創生及び消費者問題に関する特別委員長、同行政監視委員長、同環境委員長、第6代国土交通事務次官、技監、国土交通省道路局長、自由民主党国土強靭化推進本部長などを務めた。学位は工学修士(京都大学・1972年)。 新潟県新潟市出身。1966年、新潟県立新潟高等学校卒業。1970年、京都大学工学部土木工学科卒業。1972年、京都大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了。修士論文ではinteger programming(整数計画問題)を扱った。
栗原 博久(くりはら ひろひさ、1947年3月23日 - )… 栗原 博久(くりはら ひろひさ、1947年3月23日 - )は、日本の政治家。聖籠町議会議員(1期)。衆議院議員(3期)、環境政務次官(小渕内閣・小渕改造内閣)、農林水産副大臣(第1次小泉第2次改造内閣)などを歴任した。 新潟県新津市(現新潟市秋葉区)生まれ。農家の次男であり、新潟県立新津高等学校を経て新潟大学農学部卒業後、新潟県職員となる。その後、自民党衆議院議員であった旗野進一の秘書を務めた。1979年、第35回衆議院議員総選挙の旧新潟2区に無所属で立候補したが落選。以降5回連続で落選したが、1993年の第40回衆議院議員総選挙において初当選した。当選後は自民党に入党。 小選挙区比例代表並立制導入後は新潟4区で2回再選。
吉田 六左エ門(よしだ ろくざえもん、1939年(昭和14年… 吉田 六左エ門(よしだ ろくざえもん、1939年(昭和14年)12月15日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の元衆議院議員(3期)。
長谷川 義明(はせがわ よしあき、1934年(昭和9年)11… 長谷川 義明(はせがわ よしあき、1934年(昭和9年)11月2日 - )は、日本の政治家。元新潟県新潟市長(3期、第28代~第30代)。現在は特定非営利活動法人愛郷会理事長、全国良寛会会長を務める。
吉川 芳男(よしかわ よしお、1931年〈昭和6年〉10月2… 吉川 芳男(よしかわ よしお、1931年〈昭和6年〉10月25日 - 2018年〈平成30年〉4月6日)は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、労働大臣(68代)、参議院農林水産委員長などを務めた。 新潟県新潟市出身。父の平一は元新潟市議。 早稲田大学第一政治経済学部卒業。新潟県議会議員を5期務め、副議長(第59代)にも就任した。1983年の参議院議員選挙に出馬し初当選。 自民党内では田中派に所属。1987年7月に竹下登らが経世会を結成した際は残留し、二階堂進らの二階堂グループに属した。1990年の衆院選で二階堂グループは解散状態に追い込まれるが、選挙翌日の同年2月19日、吉川の宏池会(宮澤喜一派)入りが内定した。
川上 喜八郎(かわかみ きはちろう、1920年(大正9年)5… 川上 喜八郎(かわかみ きはちろう、1920年(大正9年)5月22日 - 1983年(昭和58年)1月20日)は、日本の政治家。1975年から1982年まで新潟県新潟市長を務めた。 新潟市出身。1938年(昭和13年)新潟県立新潟中学校(現・県立新潟高等学校)卒業後、県局長、県職労委員長をへて、1975年(昭和50年)の新潟市長選に日本社会党、日本共産党の推薦を得て立候補。「人間都市新潟」をスローガンに初当選を果たし、新潟市では初、新潟県内では6番目の革新市政となる。1982年(昭和57年)12月14日、体調不良により2期目の任期を約4ヶ月残し辞任する。 1983年1月20日、食道癌により新潟市の新潟市民病院で死去。
渡辺 浩太郎(わたなべ こうたろう、1904年(明治37年)… 渡辺 浩太郎(わたなべ こうたろう、1904年(明治37年)2月17日 - 1994年(平成6年)11月28日)は、日本の政治家。新潟市長、全国市長会会長。
大島 秀一(おおしま ひでいち、1897年〈明治30年〉2月… 大島 秀一(おおしま ひでいち、1897年〈明治30年〉2月28日 - 1965年〈昭和40年〉4月8日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(3期)、主婦と生活社創業者。 新潟県西蒲原郡峰岡村(巻町を経て現新潟市西蒲区)で生まれる。1922年(大正11年)信愛学院を卒業した。 1921年(大正10年)太陽印刷を設立。太陽印刷工業取締役社長に就任。1946年(昭和21年)太陽印刷を新元社に変更し『主婦と生活』を創刊。1948年(昭和23年)新元社を主婦と生活社に改名し社長に就任。1957年(昭和32年)河出書房(現河出書房新社)から『週刊女性』を引き継いだ。その他、主婦と生活文化学園長、日本出版販売取締役、日本出版協会会長などを務めた。
佐藤 芳男(さとう よしお、1896年9月 - 1967年8… 佐藤 芳男(さとう よしお、1896年9月 - 1967年8月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)。
石山 寅吉(いしやま とらきち、1890年(明治23年)1月… 石山 寅吉(いしやま とらきち、1890年(明治23年)1月25日 - 1937年(昭和12年)5月16日)は、大正から昭和前期の労働運動家、農民運動家、政治家。衆議院議員。 新潟県中蒲原郡沼垂町(現新潟市)の貧しい農家に生まれる。1896年(明治29年)同県北蒲原郡濁川村(現:新潟市北区濁川)の製綿業・石山家の養子となる。しかし養家が倒産したため、樺太、北海道へ出稼ぎに出たが過労のため帰郷。家業の再興を図るも不首尾で、1915年(大正4年)精練工として足尾銅山に入山した。 1917年(大正6年)足尾労働組合(のち大日本鉱山労働同盟会)の結成に参画した。1919年(大正8年)足尾銅山争議を指導。
石黒 長平(いしぐろ ちょうへい、1873年〈明治6年〉10… 石黒 長平(いしぐろ ちょうへい、1873年〈明治6年〉10月27日 - 1936年〈昭和11年〉10月8日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 新潟県中蒲原郡大鹿新田(小鹿村、小合村を経て現新潟市秋葉区大鹿)で、里正・石黒忠三郎の長男として生まれる。1893年(明治26年)新潟県農学校を卒業。 父・忠三郎が先に北海道に渡り、開墾に従事。1893年、岩見沢村に移住し開墾に従事し、その後、味噌醤油製造業、牧畜業を営んだ。 政界では、岩見沢村惣代人、徴兵参事員、学務委員、岩見沢村会議員、同町会議員、北海道会議員、同参事会員などを歴任。1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙で北海道第七区から出馬し当選した伊藤広幾が1923年(大正12年)4月に死去し、同年6月の補欠選挙に出馬して当選し衆議院議員を一期務めた。
内山 吉太(うちやま きちた、1862年4月13日(文久2年… 内山 吉太(うちやま きちた、1862年4月13日(文久2年3月15日 ) - 1935年(昭和10年)12月27日)は、日本の漁業家、政治家。衆議院議員(3期)。旧姓は金田。 越後国蒲原郡、のちの新潟県北蒲原郡南浜村(現新潟市北区)で里正・金田家に生まれ、慶応元年12月(1866年)同郷の内山タケの養子となる。漢学を修めた。1877年、函館に移り北海道、樺太で遠洋漁業を経営。1895年、サガレン(樺太)漁業組合総代に選出された。 また、北海道機械網(株)監査役、東洋捕鯨(株)取締役、函館商業倶楽部会頭などを務めた。 立憲政友会の結党に参画し、同函館支部創立委員、同支部幹事となる。1902年8月、第7回衆議院議員総選挙の北海道庁函館区において平出喜三郎と戦い落選。
歌川 秋南(うたがわ しゅうなん、本名:兼太郎、文久2年1月… 歌川 秋南(うたがわ しゅうなん、本名:兼太郎、文久2年1月18日(1862年2月16日) - 昭和2年(1927年)10月18日)は、新潟県出身の教育者、政治家。 越後国蒲原郡柄目木村(現在の新潟県新潟市秋葉区柄目木)に真柄家の子として生まれた。17歳で教員となった後に上京し漢学などを学んだ。帰郷後は五泉の歌川家に養子に入り、26歳で家を継いだ。 1902年、家塾『猶興社』を開設し、小学校を卒業したのち旧制中学に進めないような貧しい子供達への教育の場となった。1898年よりは当時の五泉町議会の政治家となり、織物業の振興を図り織物同志会を組織したり、五泉銀行の頭取を務めるなどした。1923年には五泉町教育会長となり、図書館を建設した。
小柳 卯三郎(おやなぎ / こやなぎ うさぶろう、1843年… 小柳 卯三郎(おやなぎ / こやなぎ うさぶろう、1843年(天保14年3月)- 1915年9月6日)は、幕末の庄屋、明治期の政治家。衆議院議員、新潟県西蒲原郡小吉村長。大河津分水路建設の功労者。 越後国蒲原郡東中村(現:新潟市西蒲区東中)で庄屋の家に生まれる。長善館で漢学を学び、京阪地方を遊学。15歳で家督を相続した。 明治2年(1969年)大河津分水路工事用弁掛に就任。その後、新潟県会議員、小吉村長などを歴任。1880年、国会開設懇望協議会で国会開設懇望上申書の起草委員、同本部長に就任。西蒲原郡自由党を組織し、北辰自由党理事、越佐同盟会評議員などを務め、山際七司を補佐して県内の自由民権運動などを推進した。