中村 融(なかむら とおる、1960年 - )は、日本のSF… 中村 融(なかむら とおる、1960年 - )は、日本のSF翻訳家、SF研究者、アンソロジスト。 愛知県豊橋市出身。幼少時からSF好きだったが、一方で中学、高校時代は陸上部に所属し、100m走で県の3位に入ったこともあった。 中央大学法学部卒業。大学時代から、中央大学SF研究会の他、多くのSFファングループに参加し、海外SFの研究、評論、翻訳活動を行う。 1984年に評論「鏡の国の反在士」でSFファンジン大賞・評論部門を受賞。1988年、『SFマガジン』主催の「SF評論コンテスト」佳作第二席(「ネクロマンティック・ニューロマンス」)。 大日本印刷に2年間の勤務後退社し、翻訳学校に通い翻訳家に。 古典SF作品の新訳も多い。
藤井 淑禎(ふじい ひでただ、1950年2月23日 - )は… 藤井 淑禎(ふじい ひでただ、1950年2月23日 - )は、日本近代文学の研究者。立教大学名誉教授。 愛知県豊橋市生まれ。1974年慶應義塾大学文学部卒業、1979年立教大学大学院博士課程満期退学、同年東海学園女子短期大学専任講師、1985年助教授、1990年立教大学文学部助教授、1992年教授。立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター長。2015年定年退任、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
牧野 圭一(まきの けいいち、1937年11月1日 - 20… 牧野 圭一(まきの けいいち、1937年11月1日 - 2022年8月14日)は、日本の漫画家、漫画文化の研究者。京都精華大学名誉教授。 愛知県豊橋市出身。4人きょうだいの長男。漫画家の牧野和子は実妹である。 愛知県立時習館高等学校卒業。上京して2度美術大学受験に失敗し、1958年に日本テレビジョン(TCJ)へ入社。アニメーターとして働く。27歳で博報堂へ転職し、テレビCMの絵コンテを手がける。1964年には独立して、島充とともにマキノプロダクションを設立。 1966年より近藤日出造に師事し、近藤没後の1976年3月から約15年間、近藤の後を継いで読売新聞に政治漫画を連載した。1976年11月に読売新聞社の嘱託に。
河合 修治(かわい しゅうじ、1934年(昭和9年) - )… 河合 修治(かわい しゅうじ、1934年(昭和9年) - )は、元官僚、犯罪研究者、翻訳家。 愛知県豊橋市生まれ。1956年(昭和31年)東京大学法学部卒。自治省に勤め、行政局など。欧米犯罪事件の翻訳、紹介を多く行っている。
伊藤 博(いとう ひろし、1930年 - 2004年1月)は… 伊藤 博(いとう ひろし、1930年 - 2004年1月)は、日本のコーヒー研究家。 愛知県豊橋市生まれ。名古屋大学岡崎高等師範学校(現名古屋大学教育学部)卒業。専攻は植物生態学。 中学・高校の教師を勤めながら、約30年間、コーヒーを科学的視野から研究。日本コーヒー文化学会の設立に尽力し、同学会副会長。日本のコーヒー研究の第一人者と評される。
将積 茂(しょうじゃく しげる、1926年10月9日-201… 将積 茂(しょうじゃく しげる、1926年10月9日-2014年1月22日)は、日本の哲学研究者。愛知教育大学名誉教授。 愛知県豊橋市出身。旧姓・高柳。1951年、名古屋大学文学部哲学科卒業。愛知学芸大学助教授、愛知教育大学教授。1989年7月1日から1995年6月30日まで同大学学長を務めた。同大学名誉教授。専門はヘーゲルだが、ヒトラーの『わが闘争』の翻訳で知られる。
小島 貞二(こじま ていじ、1919年3月21日 - 200… 小島 貞二(こじま ていじ、1919年3月21日 - 2003年6月24日)は、日本の著作家、相撲・プロレス・演芸評論家にしてそれらの歴史研究者、作詞家。 相撲関係の雑誌などでは大須 猛三(おおす もうさん)のペンネームを使っていたことがある。 愛知県豊橋市出身。旧制豊橋中学校(現:愛知県立時習館高等学校)を卒業後、漫画家を志して上京し、川原久仁於に師事して絵を描いていたが、身長182cmの体格を見込まれて大相撲の出羽海部屋に入門することになり、1938年5月場所に本名で初土俵を踏む。双葉山の70連勝を阻止した平幕時代の安芸ノ海の付け人を経験し、その70連勝阻止の瞬間を裏方からの目線で見た著作がある(別冊1億人の昭和史 昭和大相撲史)。
杉田 六一(すぎた ろくいち、1897年3月7日 - 197… 杉田 六一(すぎた ろくいち、1897年3月7日 - 1976年8月9日)は、古代オリエント研究者、実業家。 愛知県豊橋市出身。旧制中学時代、叔父にもらった英文の聖書を読み古代オリエントに興味を持ち、聖書研究の目的で青山学院大学に進学。1921卒業、同大講師を務めるが、奥日光の観光業者・南間久吉の娘と結婚、戦時中は奥日光に疎開し独学で古代イスラエルの研究に従事。戦後、奥日光で観光物産会社・杉田商事代表取締役となり、奥日光開発取締役などを務めた。日本イスラエル文化研究会理事長。