木村 朱里(きむら じゅり、2008年7月11日 - )は、… 木村 朱里(きむら じゅり、2008年7月11日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。女流棋士番号は79。滋賀県高島市出身。小林健二九段門下。光泉カトリック高等学校在学中。将棋棋士・将棋女流棋士としては初の滋賀県出身者である。 父と兄が将棋を指しているのを見て興味を持ち、小学1年生の時に兄と共に近所の将棋クラブで教わった。 2019年、小学5年生の年に第13回小学生女子将棋名人戦の全国大会で準優勝を果たした。 2020年の小学6年生の年も第14回小学生女子将棋名人戦の全国大会に出場し3位となった。 光泉カトリック中学校に進み、2021年、中学1年生にして、第42回全国中学生選抜将棋選手権大会(女子の部)で優勝を果たした。
落合 晃(おちあい こう、2006年8月17日 - )は、日… 落合 晃(おちあい こう、2006年8月17日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は中距離走。2025年3月時点で男子800メートル (m)の日本記録保持者。駒澤大学在学。 滋賀県高島市出身。幼少時は各種のスポーツに取り組んだが、中学生になって陸上競技に絞る。滋賀学園高等学校に進学する。1年生時に、全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)近畿大会800mで1分50秒19の1年生最高記録を樹立する。同年秋の国民体育大会の少年共通の部では8位だった。2年生時はインターハイ全国大会で800mを制覇、1500mでも6位に入賞し、国体少年共通の部では2位入賞を果たす。 3年生となった2024年4月の第21回U20アジア陸上競技選手権大会の代表選手に選ばれ、800mで優勝した。
吉本 ひかる(よしもと ひかる、1999年2月25日 - )… 吉本 ひかる(よしもと ひかる、1999年2月25日 - )は、滋賀県高島市出身の、日本の女子プロゴルファーである。所属はマイナビ。 滋賀短期大学附属高等学校卒業。 9歳からゴルフを始める。中学生時代に「IMGアカデミー世界ジュニアゴルフ選手権」女子13~14歳の部に2年連続日本代表として出場(2012年、2013年)。 2013年フジサンケイレディスクラシックにおいてLPGAツアー初出場(予選落ち)。 2015年12月より中島敏雅に師事。2016年にステップ・アップ・ツアー「ルートインカップ上田丸子グランヴィリオレディース」に出場、アマチュアとしては史上4人目となる優勝を果たす。 2017年LPGA最終プロテストに進出し7位で合格、LPGA89期生となる。
吉本 百花(よしもと ももか、1997年〈平成9年〉12月2… 吉本 百花(よしもと ももか、1997年〈平成9年〉12月20日 - )は、日本の女子プロゴルファー、ティーチングプロ。滋賀県高島市出身。JLPGAティーチングプロフェッショナルA級資格を持ち、レッスン活動やメディア出演でも知られる。 滋賀県で育ち、10歳からゴルフを始める。滋賀短期大学付属高校に進学し、競技ゴルフに取り組む。 高校卒業後はゴルフから距離を置くが、競技への情熱が再燃しゴルフ界に復帰。復帰後は、妹・吉本ひかるや男子プロ・時松隆光のキャディーを務め、ツアー現場で経験を積む。 2025年にJLPGAティーチングプロA級資格を取得し、レッスン活動を開始。大阪・肥後橋の「Owner's Golf Club」でプライベートレッスンを担当するなど、指導者としての活動が注目されている。
瀧中 瞭太(たきなか りょうた、1994年12月20日 - … 瀧中 瞭太(たきなか りょうた、1994年12月20日 - )は、滋賀県高島市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 高島市立新旭北小学校3年時に新旭スポーツ少年団で野球を始め、高島市立湖西中学校では軟式野球部に所属。 滋賀県立高島高等学校進学後、2年秋からエースとして活躍。3年の夏の滋賀県大会1回戦の滋賀県立長浜農業高等学校戦では9回2安打無四球の完封勝利を収め、107球中変化球は僅か1球のみという投球だった。2回戦の近江高等学校戦では0-4で敗れた。 龍谷大学進学後、1年の5月に右肘靭帯の手術を行い、2年春からリーグ戦に登板。2年春はリリーフとしてリーグ優勝。
古本 ゆうや(ふるもと ゆうや、1992年1月17日 - )… 古本 ゆうや(ふるもと ゆうや、1992年1月17日 - )は、日本の漫画家。滋賀県高島市出身・在住。 中学生の頃から月刊コロコロコミックのコンテストに作品を応募し始める。高校2年生の時に『ライブコンダクターBELL』が冬季コロコロ漫画大学校で銅メダルを受賞、成安造形大学芸術学部に入学。2012年に『コンバットデリバー』が小学館新人コミック大賞児童部門で佳作を受賞した。 その後、インターネット上で『カラーペインターズ』などを連載、『謎解きハンターQ』シリーズの漫画を担当する。 月刊コロコロコミック2021年10月号から2022年11月号まで『逆襲スパイ Xキャリバー』を連載した。 月刊コロコロコミック2023年9月号から2024年10月号まで『豆狸のバケル』を連載した。
立石雷(たていし らい、英語: Rai Tateishi、1… 立石雷(たていし らい、英語: Rai Tateishi、1988年12月10日 - )は、滋賀県高島市出身の日本の篠笛奏者、作曲家、実験音楽家。篠笛を基盤に、尺八、ケーン(タイ・ラオスの伝統楽器)、アイリッシュ・フルート、ネイティブアメリカンフルート、フヤラ(スロバキアの伝統楽器)など多様な管楽器を取り入れ、伝統音楽とエレクトロニクスによる即興演奏を融合させた独自の演奏スタイルを確立している。 日本を代表する太鼓芸能集団「鼓童」に所属し、振付師シディ・ラルビ・シェルカウイ(Sidi Larbi Cherkaoui)、歌舞伎俳優で人間国宝の坂東玉三郎、市川團十郎らと共演。また、打楽器アンサンブル「goat」、韓国・チベット・日本の伝統音楽家による多民族芸能楽団「わたら」、パフォーマンスアーティストコレクティブ「ANTIBODIES Collective」、青森県八戸市の「八太郎えんぶり組」にも所属し、舞台芸術や伝統音楽の分野で幅広く活動している。
井保 三兎(いほ さんと、1975年6月6日 - )は、日本… 井保 三兎(いほ さんと、1975年6月6日 - )は、日本の劇作家、役者、演出家。滋賀県高島市出身。 滋賀県立高島高等学校、桃山学院大学卒業。「劇団21世紀FOX」に所属した後、劇団「演劇制作体V-NET」を小金丸大和と共に旗揚げ。また、劇団「ラビット番長」の主宰でもある。日本劇作家協会所属。 訪問介護員養成研修2級課程修了資格(ヘルパー2級)を持っており、介護士として在宅介護7年、特別養護老人ホームで3年勤務した経験を元に2010年から特別養護老人ホームを舞台にした「ギンノキヲク」シリーズを上演し続けている。 滋賀県高島市出身。高島高等学校在学中、高校演劇近畿大会に出場。桃山学院大学では演劇サークルに在籍。
小多章裕(おだ あきひろ、1975年1月14日 - )は、日… 小多章裕(おだ あきひろ、1975年1月14日 - )は、日本の財務官僚。財務省主税局参事官兼国際租税総合調整官。 滋賀県高島市出身。滋賀県立安曇川高等学校、京都大学法学部卒業。1998年 大蔵省入省(理財局総務課)。2000年7月からタフツ大学フレッチャー法律外交大学院へ留学。国際関係論を専攻する。2002年7月 財務省国際局国際機構課通貨基金係長。2003年7月 国際局国際機構課企画係長。IMF(国際通貨基金)に関する政策とサミット、G7を担当。その後は法務省刑事局、主税局、関税局関税課参事官室、IDB(米州開発銀行)、大臣官房政策金融課などで勤務。2015年6月 関税局第一参事官室関税地域協力室長。
八田 浩司(はった こうじ、1970年10月13日 - )は… 八田 浩司(はった こうじ、1970年10月13日 - )は、日本の俳優である。滋賀県高島市出身。株式会社リコモーション所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
竹脇 直巳(たけわき なおみ、1964年(昭和39年)5月1… 竹脇 直巳(たけわき なおみ、1964年(昭和39年)5月18日 - )は、日本のボブスレー代表選手。カルガリー・アルベールビル・リレハンメル・長野オリンピック大会に出場した。 1964年(昭和39年)5月18日に滋賀県安曇川町高島郡(現滋賀県高島市)に生まれ、滋賀県立高島高等学校時代は陸上短距離選手として100m10秒90の記録を持つ。1983年(昭和58年)に仙台大学に入学し、ボブスレー部に入部した。大学2年生の時に日本ジュニアチーム遠征メンバーに選ばれ、1988年(昭和63年)仙台大研究生でカルガリー五輪に初出場し、同年北野建設に就職し、長野市に移住する。以降1992年(平成4年)アルベールビル、1994年(平成6年)リレハンメル、1998年(平成10年)長野オリンピックに連続出場した。
水澤 心吾(みさわ しんご、1950年2月17日 - )は、… 水澤 心吾(みさわ しんご、1950年2月17日 - )は、日本の俳優、心理トレーナー。旧芸名、三沢 慎吾(読み同じ)。本名、永谷 吉美。 滋賀県高島市出身。高島高等学校卒業。 19歳の時に歌手を目指して上京の後、役者に転向。1974年に「劇団俳少」に入団し舞台に立つ。1977年、舞台『天守物語』で坂東玉三郎の相手役に抜擢され本格的に俳優としての道を歩む。1978年にはNHK連続テレビ小説『わたしは海』に出演、ヒロインの恋人役を演じる。以降はNHK大河ドラマなどテレビドラマや映画、舞台に出演。 1990年に三沢 慎吾から水澤 心吾へと改名。 36歳で離婚。40歳の時に自身が出演したテレビドラマを見て自らの演技に疑問を抱き、俳優活動を休業。
河本 英典(かわもと えいすけ、1948年7月3日 - 20… 河本 英典(かわもと えいすけ、1948年7月3日 - 2025年11月29日)は、日本の実業家、元政治家。元参議院議員(2期)。滋賀県を代表する綾羽株式会社代表取締役社長、滋賀経済同友会代表幹事、滋賀経済団体連合会会長、滋賀県防衛協会会長、滋賀県スポーツ協会会長、滋賀県販売士協会会長、大津商工会議所会頭などを務めた。 滋賀県高島市出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、1972年綾羽に入社。1983年に社長に就任。父は元参議院議員、綾羽グループ創業社主の河本嘉久蔵。曾祖母の河本にわは、かつて長寿世界一だった人物で、確かな記録が残る人物としては江戸時代生まれ最後の生き残りであった。 1992年に行われた第16回参議院議員通常選挙において自由民主党から滋賀県選挙区に立候補し初当選。
澤田 軍治郎(さわだ ぐんじろう、1940年 - )は、大阪… 澤田 軍治郎(さわだ ぐんじろう、1940年 - )は、大阪教育大学名誉教授。 滋賀県高島市生まれ。滋賀県立高島高等学校卒業。1964年大阪外国語大学ロシア語学科卒業。1967年京都大学大学院修士課程社会学専攻修了。高野山大学を経て、1972年から2005年まで大阪教育大学にて教鞭を執る。その後、大阪総合保育大学教授を歴任。
福岡 道雄(ふくおか みちお、1936年2月4日 - 202… 福岡 道雄(ふくおか みちお、1936年2月4日 - 2023年11月15日)は、日本の彫刻家。晩年は「つくらない彫刻家」を名乗っていた。 1936年、大阪府堺市に生まれる。幼少時に中華民国北平市(現:北京市)に渡り、終戦後に帰国。中学2年まで滋賀県高島郡(現高島市)海津で過ごした。建築家を志し堺市立工業高等学校建築科に入学。京都市立芸術大学の彫刻科を受験するが失敗したことから、デッサンをやり直すために、1955年に堺市立工業高等学校を卒業後、大阪市立美術研究所に入所した。デッサンを学ぶために入所したものの、誤って彫刻室に入る。大阪市立美術研究所では、今村輝久、保田龍門に師事。 1958年の自身初の個展では、砂浜に石膏を流し込む技法を用いた独自の抽象彫刻を発表した。
橋本 鉄男(はしもと てつお、1917年6月2日 - 199… 橋本 鉄男(はしもと てつお、1917年6月2日 - 1996年10月11日)は、滋賀県の民俗学者、地方史研究者。 滋賀県高島郡今津町(現高島市)生まれ。のち安曇川町(同)在住。1939年、関東局立旅順師範学校卒業。満洲・滋賀県で公立小・中学校の教諭、教頭、校長。滋賀県文化財保護審議会委員・副会長。 旅順師範学校在学中に柳田國男の著作に接し民俗学に開眼。戦後教職の傍ら県内での民俗調査を開始、再興直後の民間伝承の会や近畿民俗学会の会員となり成果を投稿、高島郡内の大将軍信仰の報告で柳田の激励を受ける。1959年、滋賀県臨時文化財専門員として木地屋の生活伝承の記録作成のため、「木地屋の本貫地」と称された永源寺町(現東近江市)蛭谷・君ヶ畑をはじめとして県内の木地屋伝承地の調査を実施、君ヶ畑では新たに「氏子狩帳」多数を確認した。
青木 文教(あおき ぶんきょう、 1886年(明治19年)9… 青木 文教(あおき ぶんきょう、 1886年(明治19年)9月28日 - 1956年(昭和31年)11月7日)は、日本のチベット研究者で僧侶。チベット=西本願寺間の交換留学生としてチベットのラサ市に派遣され、ダライ・ラマ13世の教学顧問を務めた。 1886年、浄土真宗本願寺派末寺正福寺(現在の滋賀県高島市)生まれ。京都府立第二中学校から京都仏教大学(現龍谷大学)に入学。在学中の1910年(明治43年)、西本願寺法主・大谷光瑞の命でインドで仏教遺跡調査に従事し、1911年(明治44年)、ロンドンで教育事情調査に従事する。同年、清国のチベット進軍を逃れてインドのダージリンに亡命していたダライ・ラマ13世に謁見し、学僧ツァワ・ティトゥーを日本への留学生として同行する。
中川 末吉(なかがわ すえきち、1874年(明治7年)11月… 中川 末吉(なかがわ すえきち、1874年(明治7年)11月6日 - 1959年(昭和34年)4月9日)は、大正・昭和時代の実業家。古河財閥の幹部として、古河電気工業社長、日本軽金属社長などを務めた。旧姓・赤塚。 滋賀県高島郡下古賀村(現在の滋賀県高島郡安曇川町字下古賀)の庄屋の五男として生まれる。地元の小学校を卒業後、隣村の村役場の雑用係として働いていたが、足尾銅山の調馬係・中川武三に請われて養子となり、1889年に琵琶湖疏水工事に従事していた人夫400人を足尾銅山に移す作業を武三と請け負い、その会計と日誌係を担当する。 銅山の経営者・古河市兵衛の誘いで、日本橋瀬戸物町の市兵衛の店で働きはじめ、23歳くらいの頃、向学心が認められて商工中学校や早稲田専門学校へも通ったが、井上公二、岡崎邦輔、山口熊野ら店の上司たち同様米国留学を希望し、中退して1903年に渡米、ペンシルベニア大学、エール大学で学び、6年間滞在する。
安原 仁兵衛(やすはら にへえ、1874年10月18日 - … 安原 仁兵衛(やすはら にへえ、1874年10月18日 - 1931年8月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 滋賀県出身。明治法律学校で学ぶ。滋賀県議、同議長となる。また、近江重布(株)、高島銀行各取締役を務めた。 1920年の第14回衆議院議員総選挙において滋賀2区から立憲政友会公認で立候補して当選。1924年の第15回衆議院議員総選挙では87票差で落選。1928年の第16回衆議院議員総選挙では滋賀県全県区から立候補して返り咲いた。衆議院議員を2期務めた。1930年の第17回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1931年死去。
鈴木 表朔(すずき ひょうさく、明治7年(1874年) - … 鈴木 表朔(すずき ひょうさく、明治7年(1874年) - 昭和18年(1943年))は、明治から昭和にかけての漆芸家。京塗表派の承継者。 鈴木表朔は、明治7年(1874年)に現在の滋賀県高島市安曇川町に生まれた。幼名井上捨吉と称し、明治17年(1884年)頃京都に出て、蒔絵師鈴木長真の養子となり鈴木表朔を名乗るが、後に髹漆(きゅうしつ)に転じ二代木村表斎に師事した。 表朔の塗り技術への評価は高かく、明治42年(1909年)伊勢神宮の神宝、また大正2年(1911年)御大礼に際して高御座、御帳台、万歳幡の塗を担当した。大正5年(1916年)には内務省御用となった。 京都で活発に活動し、大正8年(1919年)には、神坂雪佳主宰の佳都美村に参画し、意欲的に漆器の創作にも携わった。
大谷 仁兵衛(おおたに にへい、慶応元年8月3日(1865年… 大谷 仁兵衛(おおたに にへい、慶応元年8月3日(1865年9月22日) - 1956年(昭和31年)10月21日)は、明治から昭和期にかけて日本の出版業界を代表する実業家。日本タイプライターの創業者。 慶応元年8月3日(1865年9月22日)近江高島郡椋川村(現・滋賀県高島市今津町椋川)に栗田長五郎の3男として生まれ、幼名を捨吉と言った。1880年(明治13年)、京都の出版書店『大谷屋』に奉公し精励していたところ、1893年(明治26年)才覚と人物を認められ大谷家に入籍し、名を大谷仁兵衛と改めた。『十八史略摘註』などの歴史書、『日本旅行独案内』・『亰都名所案内』などの旅行書から詩集・工芸書・『歴世女装考』などのファッション誌と仁兵衛が出版・編集を行った書籍は多岐に及ぶ。
河本 にわ(かわもと にわ、 1863年9月17日〈文久3年… 河本 にわ(かわもと にわ、 1863年9月17日〈文久3年8月5日〉 - 1976年〈昭和51年〉11月16日)は、1975年5月31日から死去まで長寿日本一及び長寿世界一であった滋賀県の女性。また、生年に確証のある中では当時の日本歴代最高齢でもあり、生年に確証のある日本人としては初めて113歳を迎えた人物でもあった。 滋賀県高島郡安曇川町(現・高島市)で、より糸工場を経営していた河本家に嫁ぐ。20代で結婚して8人の子を産み、生前に80人以上の子孫ができた。元自由民主党参議院議員の河本嘉久蔵は孫である。100歳のときに河本嘉久蔵から隠居所を貰い、晩年まで居住していた。 1975年5月31日梅田ミトの死去に伴い、長寿日本一および世界一の座を引き継いだ。
中田 長茂(なかた ながしげ、1850年(嘉永3年7月) -… 中田 長茂(なかた ながしげ、1850年(嘉永3年7月) - 1929年(昭和4年)1月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 近江国高島郡勝野村(のち滋賀県高島郡大溝村→大溝町→高島町、現・高島市)生まれ。漢学を学ぶ。高島郡書記、滋賀県属、滋賀県会議員、同参事会員、所得税調査委員、地方森林会議員、地方衛生会委員、近江銀行取締役、滋賀県農工銀行監査役、近江貯蓄銀行頭取となる。 1892年の第2回衆議院議員総選挙において滋賀1区から同盟倶楽部所属で立候補したが落選した。1894年3月の第3回衆議院議員総選挙では立憲革新党所属で立候補して当選する。同年9月の第4回衆議院議員総選挙で落選した。衆議院議員は1期務め、1929年に死去した。
川島 宇一郎(かわしま ういちろう、1841年11月17日(… 川島 宇一郎(かわしま ういちろう、1841年11月17日(天保12年10月5日) - 1904年(明治37年)12月15日)は、明治時代の滋賀県の政治家。 1841年11月17日((旧暦)天保12年10月5日)、旗本(6,300余石)朽木之綱の家臣川島眞廣の一子として近江国高島郡長尾村(滋賀県高島郡広瀬村を経て現高島市)に生まれる。父は朽木家京都留守居役を勤め、宇一郎は京において巖垣月洲に漢学を修め、戸田栄之助に剣を習った。京より帰郷後自宅で近隣子弟に漢学を教えていたが、1875年(明治8年)高島郡第8区長となり、1879年(明治12年)4月20日、第一回滋賀県県議会開催に際し、宇一郎は高島郡選出県会議員として議員64名の一人に選ばれた。
須川 信行(すがわ のぶゆき、天保10年10月25日 (18… 須川 信行(すがわ のぶゆき、天保10年10月25日 (1839年11月30日)- 大正6年(1917年)11月13日)は、江戸時代末期・明治時代の歌人、医師。宮内省御歌所寄人(よりゅうど)、『明治天皇御集』の編纂委員を務めた。 須川信行は、天保10年10月25日(1839年11月30日)に近江高島郡西万木村(現滋賀県高島市)の医師清水玄孝の次男として生まれ、19歳の時に御所出入り医師須川覚性(須川検校)の養子となった。医業を修める傍らで早くから和歌に興味を覚え、香川景樹の高弟で故郷高島出身の歌人渡忠秋に入門し、同人死去後小出粲に師事した。養嗣子鶴吉に医業を譲り自身は歌道に専念し、明治23年(1890年)宮中御歌会始の勅題詠進歌『いにしへに 照して今を仰ぐにも 余るは国の光なりけり』が入選した。
渡 忠秋(わたり ただあき、1811年3月4日(文化8年2月… 渡 忠秋(わたり ただあき、1811年3月4日(文化8年2月10日) - 1881年(明治14年)6月5日)は、幕末から明治初期の歌人。御歌所御用掛。本姓は鳥居氏。通称は新太郎、楊園・桂蔭と号した。 1811年3月4日((旧暦)文化8年2月10日)近江国高島郡舟木(現滋賀県高島市安曇川町南舟木)に生まれ、鳥居家より渡家を継いだ。楊園の号は、『万葉集』のあど川柳の歌(霰降り遠江のあど川柳、刈れどもまたも生ふちう あど川柳)にちなんで名付けたと伝えられる。同郷の国学者 中江千別に学び、のちに和歌の道を志し、京都に出て香川景樹の門に入る。 家を弟に譲り京都に住み、時の右大臣三条実万に仕え、香川景樹の没後は桂園派を守った。
岡本 美歌(おかもと みか、9月20日 - )は、日本の声優… 岡本 美歌(おかもと みか、9月20日 - )は、日本の声優、舞台女優。滋賀県高島市出身。アミュレート所属。 声優を目指したきっかけの作品は『NARUTO -ナルト-』。また、洋画を多く見ていたことから「吹き替えってこの世界の人物になれるのか!」と思ったこともそのきっかけだという。 高校時代は寮生活をしており、部活動をしていた。両者とも上下関係が厳しかったこともあり、声が枯れるまで挨拶をしていたという。 2014年2月、ラビット番長「天召し〜テンメシ〜」にて舞台デビュー。以後、女優として舞台で活躍する他、後に声優としても活躍。 2018年4月よりアミュレートに所属。 趣味として1人カラオケと観劇、特技としてゆるい似顔絵とクラリネットをそれぞれ挙げている。
岸 誠二(きし せいじ)は、日本のアニメーション監督、演出家… 岸 誠二(きし せいじ)は、日本のアニメーション監督、演出家。滋賀県高島市出身。株式会社ロジスティックス取締役、同社アニメーション事業部チームティルドーン代表。 幼少の頃から映画や漫画、アニメ、ゲームに親しみ、小学校2年生の頃に描いた絵が数々の賞を受賞したことがきっかけで、アニメーション監督を目指すようになる(本人曰く、「勘違いの始まり」)。学生時代は絵画をたしなみ、自ら漫画を描いていたこともあった。 アニメーションをやるには技術を専門学校で学ぶべきだと思い、代々木アニメーション学院アニメ学部に入学。当初は宮崎駿のような絵を描く監督になりたいと考えていたが、業界のレベルの高さを知り、演出へ転向する。
中川 源吾(なかがわ げんご、弘化4年8月18日(1847年… 中川 源吾(なかがわ げんご、弘化4年8月18日(1847年9月27日) - 大正12年(1923年5月26日)は、琵琶湖の水産業者、水産資源保護のため養殖を推進した。 中川源吾は、弘化4年8月18日(1847年9月27日)近江高島郡百瀬村大字知内(現滋賀県高島市マキノ町知内)の農家に生まれた。幼少時より水産に興味を持ち、明治8(1875年)知内川漁場取締人になった。明治14年(1881年)滋賀県高島郡に高島郡水産蕃殖会を設立に参加し、後年近江水産組合の取締役になった。 明治以降琵琶湖水産資源の乱獲から漁獲高が次第に減少するに及び、源吾は漁獲制限と水産資源の繁殖の必要性を説いてまわり、初めは多くの漁民から漁獲制限に対し反対していたが、組合規約を定め、禁漁区を設けることで徐々に禁漁を実行していった。
山形 明(やまがた あきら)はオウム真理教の信徒。 1984… 山形 明(やまがた あきら)はオウム真理教の信徒。 1984年に高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。千葉県の習志野駐屯地でパラシュート降下やレンジャー訓練などを受ける。1987年自衛隊除隊後に超能力などに興味がわいて軽い気持ちでオウム真理教に入信。警備会社に勤務しながら中国拳法や空手を習っていたが退職、1989年12月に出家。配属された「建築班」では過酷な労働を強いられ、嫌気がさして1990年5月と1993年10月に教団から脱走している。2回目に脱走した際は都内の警備会社に勤め身を隠したが、住まいを突き止められ、平田信が車で連れ戻しに来た。亀戸道場で麻原彰晃に「やめたい。セキュリティ関係の仕事をしたい」と直訴したところ「給料を出すから教団でセキュリティ関係の仕事をしたらどうだ」と打診された。