木村 恒久(きむら つねひさ、1928年5月30日 - 20… 木村 恒久(きむら つねひさ、1928年5月30日 - 2008年12月27日)は、日本のグラフィックデザイナー。東京造形大学客員教授。 大阪市出身。1946年に大阪市立工芸学校(現・市立工芸高校)図案科卒。1950年代にかけて大阪で精力的にデザイン制作や批評活動を展開、永井一正、片山利弘、田中一光らとともに「若手四天王」と称された。 1960年に上京し日本デザインセンターに入社、1964年に独立する。この間の1962年、日本建築家協会主催の「モデュール展」で原弘と共同制作を行い、ADC銅賞を受賞している。1964年の東京オリンピックではピクトグラムの制作に携わっている。 1966年には、前年に宇野亜喜良、永井一正、和田誠らとともに開催した展覧会「ペルソナ」で毎日産業デザイン賞を受賞している。
山上 達人(やまがみ たつんど、1928年3月26日 - 2… 山上 達人(やまがみ たつんど、1928年3月26日 - 2004年)は、日本の会計学者。商学博士(論文博士・1971年)(学位論文「生産性会計論」)。大阪市立大学名誉教授、奈良産業大学名誉教授。 大阪市出身。大阪商科大学卒業。1960年大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。1971年「生産性会計論」で商学博士の学位を取得。関西大学商学部講師、助教授、大阪市立大学商学部助教授、教授。1991年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授。2003年退任、名誉教授。
山下 艶子(やました つやこ、旧姓:生田、1928年3月19… 山下 艶子(やました つやこ、旧姓:生田、1928年3月19日 - 2021年2月12日)は、日本のフィギュアスケート選手、コーチ。大阪府大阪市出身。大手前高等女学校(現・大阪府立大手前高等学校)、関西学院大学卒。155cm。長女は元フィギュアスケート選手で1968年グルノーブルオリンピック、1972年札幌オリンピック女子シングル日本代表の山下一美(現姓・大西)。 6歳のとき、大阪・中之島にあった朝日会館内のリンクで永井康三に師事し、スケートを始めた。 1938-1939年と1939-1940年シーズンの全日本フィギュアスケートジュニア選手権で2連覇を果たし、1940-1941年の全日本フィギュアスケート選手権で3位となった。
吉上 昭三(よしがみ しょうぞう、1928年2月27日 - … 吉上 昭三(よしがみ しょうぞう、1928年2月27日 - 1996年1月28日)は、日本のロシア・ポーランド文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 大阪市出身。1951年早稲田大学露文科卒業後、ラヂオプレス通信社入社。1964年より1年間ポーランドに留学。1973年、東京大学教養学部講師、1975年、助教授。1980年、教授。1988年定年退官後、創価大学教授となる。1990年、ポーランドに関する総合文化誌「ポロニカ」を創刊。1991年、ポーランド功労黄金勲章。自宅の火事により焼死。 妻は児童文学者・内田莉莎子(父は洋画家・内田巌。祖父は評論家・内田魯庵)。息子は翻訳家の吉上恭太。
秋山 信子(あきやま のぶこ、1928年〈昭和3年〉2月24… 秋山 信子(あきやま のぶこ、1928年〈昭和3年〉2月24日 - 2024年〈令和6年〉4月9日)は、日本の人形作家、人間国宝(重要無形文化財である衣裳人形の保持者)。本名は今井 信子(いまい のぶこ)。 1928年、大阪市天王寺区にて誕生。幼い頃から病弱であったため屋外よりも室内で過ごすことが多かったという。樟蔭東高等学校を卒業後、1955年に人形作家の大林蘇乃に師事し、 桐塑・和紙貼・木目込等の伝統的な人形制作技法などを学ぶ。1960年第7回日本伝統工芸展に初入選、大阪府教育委員会賞を受賞するなどし、1963年に日本工芸会正会員に認定される。その後1996年に重要無形文化財「衣裳人形」の保持者に認定され、人間国宝となった。
赤木 昭三(あかぎ しょうぞう、1928年2月23日 - 2… 赤木 昭三(あかぎ しょうぞう、1928年2月23日 - 2013年10月26日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 大阪市生まれ。1952年京都大学法学部卒業、1956年大阪大学文学部仏文科卒、1959年同大学院文学研究科修士課程修了、パリ大学博士(哲学)。大阪大学教養部助教授、文学部仏文科教授。1991年定年退官、名誉教授。妻の赤木冨美子は大阪外国語大学名誉教授。
坂本 二郎(さかもと じろう、1928年2月11日 - 19… 坂本 二郎(さかもと じろう、1928年2月11日 - 1985年4月17日)は、日本の経済学者。 大阪市生まれ。一橋大学卒業、1962年同助教授、1969年教授、中央教育審議会臨時委員となったが、批判を集め、1970年大学を退官しNHK解説委員に転じた。1984年国際商科大学教授。高度経済成長期に未来学者として活躍し、「二十一世紀論」を提言した。日本未来学会理事。ゼミナールの指導学生に寺西重郎など。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
下村 隆一(しもむら りゅういち、1928年 - 1969年… 下村 隆一(しもむら りゅういち、1928年 - 1969年11月)は日本のスウェーデン文学研究者、翻訳家。 大阪市出身。東京大学経済学部2年生のときに結核性脳髄炎を発症。一部麻痺が残り、薬の副作用による障害も抱えながら、スウェーデン語を独学で学び、翻訳を始める その後兵庫県宝塚市に在住し、神戸在住のスウェーデン人にスウェーデン語を学び、山室静に相談してスウェーデンの児童文学の翻訳を始める。 1968年より、トーベ・ヤンソンの代表作『ムーミン』シリーズ二作のほか、いくつかのスウェーデン児童文学を翻訳したが、散歩している最中に自動車事故に遭い、41歳で急死した。このとき進めていたエディト・ウンネルスタード作の『すえっ子Oちゃん』の訳は未完に終わったが、下村の遺族から依頼を受けた石井桃子による加筆・修正が施された上で、1971年に出版された。
山田 和夫(やまだ かずお、1928年 - 2012年8月1… 山田 和夫(やまだ かずお、1928年 - 2012年8月11日)は、日本の映画評論家、映画史家、映画運動家。
木元 進一郎(きもと しんいちろう、1927年12月2日 -… 木元 進一郎(きもと しんいちろう、1927年12月2日 - 2012年5月25日)は、日本の経営学者。明治大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。1950年明治大学商学科卒、1972年「経営参加制度研究」で経営学博士の学位を取得。明治大学経営学部講師、助教授、1962年教授となり、1996年退任、名誉教授となり、浜松大学教授、同大学学長を務めた。 労務管理が専門で、労務理論学会の創設(1991年)に尽力し、同学会第二代会長、最高顧問。2004年 旭日中綬章叙勲。
吉田 寛(よしだ ひろし、1927年11月6日 - 2023… 吉田 寛(よしだ ひろし、1927年11月6日 - 2023年5月14日)は、日本の会計学者、兵庫県立大学名誉教授。 大阪市生まれ。1949年兵庫県立神戸経済専門学校(現・兵庫県立大学)卒業 (西洋経済史専攻)。1956年同志社大学商学部卒業(会計学専攻)、1958年神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了、大分大学経済学部専任講師(会計学)、1960年兵庫県立神戸商科大学商経学部専任講師、1962年助教授、1968年教授。1988年神戸商科大学を退任、名誉教授、流通科学大学商学部教授、1992年商学部長、1996年九州産業大学経営学部教授。 1966年日本会計研究学会賞受賞(受賞論文「会計における集合と同質性」『会計』1965年12月号)、シアトルのワシントン大学客員助教授、1970年「企業会計の基礎理論に関する情報論的研究」で経営学博士(神戸大学)。
藤島 桓夫(ふじしま たけお、1927年10月6日 - 19… 藤島 桓夫(ふじしま たけお、1927年10月6日 - 1994年2月1日)は、日本の演歌歌手。本名:坂本 義明。愛称はオブさん。藤島恒夫と表記されることがあるが誤り。鼻から頭の先に抜けるような独特の高音と渋みのある低音を織り交ぜた歌唱、粋なマドロス姿や着流し姿で多くのファンに愛された。 大阪府大阪市西成区出身。大鉄高校卒業後、大阪府内の電話局勤務を経て、1950年に「あゝ東京へ汽車は行く」でタイヘイレコードからデビュー。1954年、「初めて来た港」がヒット。以後、「かえりの港」「さよなら港」などの港シリーズで一世を風靡。 1956年、「かえりの港」で『NHK紅白歌合戦』に初出場。『紅白歌合戦』には7回連続出場している(詳細は下記参照)。
福間 知之(ふくま ともゆき、1927年9月20日 - 20… 福間 知之(ふくま ともゆき、1927年9月20日 - 2000年1月7日)は、日本の政治家、参議院議員(3期)。日本社会党に所属し、派閥は政構研であった。 大阪府大阪市出身。旧制大阪府立市岡中学校卒業。1946年松下電器入社。1953年同労組書記長、同委員長、1962年電機労連中央執行副委員長、1964年初代IMF-JC(全日本金属産業労働組合協議会)議長を経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙全国区に無所属(電機労連の組織内候補)で立候補し、初当選。その後、日本社会党に入党。 1986年、日本社会党政策担当中執。 1992年、第16回参議院議員通常選挙に立候補せず政界引退。 1997年、秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。
高桐 真(たかぎり まこと、1927年9月8日 - )は、日… 高桐 真(たかぎり まこと、1927年9月8日 - )は、日本の俳優。本名、道下 真二。 東京俳優生活協同組合、芸峰制作、ワシオ企画、鳥プロを経て、大木由美子オフィスに所属していた。 大阪府大阪市出身。呉服屋を営む父と母の二男四女の次男。関西大学経済学部卒業。大学在学中の1948年、劇団制作座を結成し、中心俳優として『三人姉妹』『罪と罰』『ルノアール群島』などに出演する一方、ラジオドラマ、テレビドラマにも出演。映画にも劇団の資金集めのため、『江戸っ子野郎と娘たち』(1960年、第二東映)を皮切りに各社の作品に助演した。制作座はのちに解散し、関西芸術座の創立メンバーを経てフリーとなる。 テレビドラマでは、NHK大河ドラマ『太閤記』(1965年)、『新・平家物語』(1972年)、『元禄太平記』(1975年)や、特撮テレビドラマ『忍者キャプター』(1976年)などにレギュラー出演した。
乾 由明(いぬい よしあき、1927年8月26日 - 201… 乾 由明(いぬい よしあき、1927年8月26日 - 2017年7月17日)は、日本の美術史家。京都大学名誉教授、金沢美術工芸大学名誉教授。兵庫陶芸美術館名誉館長。 大阪府大阪市出身。実家は高級料亭の播半。1951年京都大学文学部西洋近代美術史専攻卒。京都国立近代美術館勤務、京都大学教養部助教授、1975年教授。1991年、定年退官、名誉教授。1997年金沢美術工芸大学長。2006年兵庫陶芸美術館館長、2012年、退任、名誉館長。 フランスを中心とする西洋近代美術の研究・紹介に務める一方で、日本の近・現代美術について活発な評論活動を繰り広げ、現代美術批評の最前線に立つ。現代陶芸の研究者としても活躍し、富本憲吉、楠部弥弌など日本の陶芸家のみならず、バーナード・リーチ、ルーシー・リーやハンス・コパーなど海外の陶芸家とも親交を深めた。
永田 文夫(ながた ふみお、1927年3月28日 - 201… 永田 文夫(ながた ふみお、1927年3月28日 - 2016年5月13日)は、日本の音楽評論家、訳詞家。妻はタンゴ歌手の前田はるみ。 大阪府大阪市出身。1948年京都大学工学部卒業。翌1949年上京、シャンソン社を設立、月刊誌『シャンソン』を刊行した。その後シャンソンを中心とする洋楽の訳詞をはじめ、並行して音楽評論家としても活動。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
瀬崎 博義(せざき ひろよし、1927年3月28日 - 20… 瀬崎 博義(せざき ひろよし、1927年3月28日 - 2000年12月2日)は日本の政治家。衆議院議員(日本共産党公認、5期)などを務めた。元三田木材工業企業組合理事長。 大阪府大阪市出身。東京大学工学部電気工学科を卒業後、旧石部町(現・湖南市)議、瀬崎林業取締役を経て、1972年の衆議院議員選挙(滋賀県全県区)に日本共産党から立候補。定数5のうち4位に滑り込み初当選を果たす。 連続5期務めるが、1986年の衆議院議員選挙にて落選。その後、日本共産党名誉幹部会顧問などを歴任するが、2000年12月2日、滋賀県内の病院で気管支喘息により死去。73歳。 瀬崎の落選以降、共産党は滋賀県全県区から当選者を出していない。
松本 仁助(まつもと にすけ、1927年3月8日 -2016… 松本 仁助(まつもと にすけ、1927年3月8日 -2016年11月3日 )は西洋古典学者、古代ギリシア文学研究者、大阪大学名誉教授。大阪市生まれ。1951年京都大学文学部卒業。同志社大学教授、大阪大学教授、大阪学院大学教授を経て2002年に退職。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
大下 勝正(おおした かつまさ、1927年(昭和2年)2月1… 大下 勝正(おおした かつまさ、1927年(昭和2年)2月18日 - 2023年(令和5年)12月28日)は、日本の政治家。元東京都町田市長(5期)。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立北野中学校 (旧制)、大阪高等学校 (旧制)文科を経て、1948年京都大学法学部卒業。 日本社会党入党後、鈴木茂三郎元日本社会党委員長の秘書を経て、社会党中央本部政策審議会に勤務。1970年、町田市長選挙に出馬し、初当選を果たした。以後、1990年まで5期20年にわたり町田市長を務める。町田市長在任中、日本国有鉄道横浜線の原町田駅(当時)および小田急電鉄の新原町田駅(当時)の駅前再開発に着手し、約700メートル離れていた二駅を、国鉄の原町田駅の位置を移転させ、駅名をいずれも町田に統一させた。
中野 武彦(なかの たけひこ、1927年1月23日 - 20… 中野 武彦(なかの たけひこ、1927年1月23日 - 2004年9月5日)は、大阪市出身の日本の小説家。 1927年(昭和2年)、大阪市東区(現中央区)内淡路町にあった、古くから続く薬種問屋の三男坊として生まれる。1939年(昭和14年)、旧制大阪府立生野中学校入学と同時に、甲子園口に転居。その後、広島高等学校に進学する。この頃から甲子園口の自宅近くに住む、若き日の畔柳二美との親交が始まった。 1951年東京大学文学部仏文科を卒業し、電通に勤務する傍ら、佐多稲子、埴谷雄高ら作家と交友を深め、「新日本文学」などに文芸評論を寄せた。畔柳二美とは約20年間、共同生活を送った。二美は1965年死亡した。
蔭山 和夫(かげやま かずお、1927年1月16日 - 19… 蔭山 和夫(かげやま かずお、1927年1月16日 - 1965年11月17日)は、日本のプロ野球選手(内野手)。
沖浦 和光(おきうら かずてる、1927年1月1日 - 20… 沖浦 和光(おきうら かずてる、1927年1月1日 - 2015年7月8日)は、日本の社会学者、民俗学者。桃山学院大学名誉教授、同大学長。専攻は芸術論、社会思想史、比較文化論。もっぱら被差別民、被差別部落、マルクス主義的民族論などの研究を行う。 大阪府豊能郡箕面村半丁(現・箕面市)の生まれ。小学校2年生のころに大阪市内の紀州街道沿いにある下町の長屋に引っ越す。 箕面村牧落小学校、大阪市阿倍野区晴明丘小学校、住吉区田辺小学校と転校を繰り返したのち、私立桃山中学校、旧制浪速高等学校文科甲類を経て、1953年東京大学英文科でアメリカ文学を研究。東大卒業後、大学院に進学するかたわら、大田区立大森第八中学校で英語を教える。
竹尾 治一郎(たけお じいちろう、1926年12月31日 -… 竹尾 治一郎(たけお じいちろう、1926年12月31日 - )は、日本の哲学者、関西大学名誉教授。分析哲学・科学哲学が専門。 大阪府大阪市出身。1950年京都大学文学部哲学科卒。大阪教育大学助教授、関西大学文学部教授。1997年定年、名誉教授となり、南大阪大学教授。
西尾 正也(にしお まさや、1926年(大正15年)11月2… 西尾 正也(にしお まさや、1926年(大正15年)11月26日 - 1998年(平成10年)3月26日)は、日本の政治家、地方公務員、実業家。第15代大阪市長(2期8年)。大阪市東淀川区出身。
宇尾 淳子(うお じゅんこ、1926年10月12日 - 20… 宇尾 淳子(うお じゅんこ、1926年10月12日 - 2006年9月11日)は、日本の生物学者(専門は昆虫生理学、内分泌学)。 大阪府大阪市出身。男爵・西五辻光仲の三女。夫は核融合の研究で知られる宇尾光治。 1948年奈良女子高等師範学校卒業。1951年京都大学理学部動物学科卒。1952-1953年純心女子短期大学(長崎)講師。1957年京都大学大学院(旧制)修了。1961年「鱗翅目昆虫の神経分泌系の電子顕微鏡的研究」で理学博士。1955-1964年海星女子学院短期大学助教授、教授、1962-1967年アメリカ・プリンストン大学研究員、西ドイツ・ミュンヘン大学助手、イギリス・オックスフォード大学研究員、1967-1985年塩野義製薬研究所主任研究員、1975年オーストラリア・アデレード大学客員教授。
島津 忠夫(しまづ ただお、1926年9月18日 - 201… 島津 忠夫(しまづ ただお、1926年9月18日 - 2016年4月16日)は、日本の国文学者。瑞宝中綬章受章。 1926年、大阪府大阪市生まれ。住吉中学校、大阪第一師範学校を経て、京都大学文学部に進学。1950年、同大学を卒業。 卒業後は、市岡高校、住吉高校で教諭を務め、その後、佐賀大学文理学部助教授に就いた。愛知県立大学助教授に転じ、後に教授に昇任。その後、大阪大学教授に就任。1978年、学位論文『連歌史の研究』を大阪大学に提出して文学博士の学位を取得。大阪大学を退任後は、名誉教授となった。その後は武庫川女子大学で教鞭をとった。 自身も歌人として歌を詠み、歌誌『マグマ』、『日本歌人』に所属。
岡崎 義人(おかざき よしひと、1926年5月28日 - 2… 岡崎 義人(おかざき よしひと、1926年5月28日 - 2005年2月25日)は、プロ野球球団阪神タイガースの元球団社長。大阪府大阪市出身。 1949年京都大学法学部を卒業し、1949年に阪神電気鉄道に入社した。 1976年には球団常務に就任し、1978年から球団代表を務め、1978年のドラフト会議では江川卓、翌年のドラフト会議では岡田彰布の抽選を引き当てた。1985年10月に日本航空123便墜落事故で死去した中埜肇の後継として球団社長に就任した。その年の11月には阪神タイガースは球団初の日本一を果たした。1988年に退任した。 2005年2月25日に心不全ため死去。78歳没。 大学時代には野球部に所属して二塁手として活躍しており、現場に理解がある球団幹部とも言われていた。
金山 康喜(かなやま やすき、1926年4月26日-1959… 金山 康喜(かなやま やすき、1926年4月26日-1959年6月16日)は、日本の洋画家である。
端田 泰三(はしだ たいぞう、1926年(大正15年)4月3… 端田 泰三(はしだ たいぞう、1926年(大正15年)4月3日 - 2008年(平成20年)11月2日)は、日本の実業家、銀行家、企業経営者。富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)元頭取、会長、相談役。大阪府大阪市東区(現中央区)瓦町(所謂船場地区)出身。
土田 衞(つちだ まもる、1926年3月23日 -2023年… 土田 衞(つちだ まもる、1926年3月23日 -2023年5月4日)は、日本の演劇研究者。専門は近世期の演劇。大阪女子大学名誉教授。河竹賞受賞。 大阪市生まれ。1948年京都帝国大学文学部国文科卒業、大阪府立池田高等学校教諭。1961年京都大学文学部大学院退学、愛媛大学文理学部助教授。1971年同教授。1975年大阪女子大学学芸学部教授、1989年退職、名誉教授、佛教大学教授。 1989年『歌舞伎絵尽し年表』(須山章信共編)で河竹賞受賞。2004年4月、瑞宝中綬章受章。
藤田 田(ふじた でん、1926年〈大正15年〉3月13日 … 藤田 田(ふじた でん、1926年〈大正15年〉3月13日 - 2004年〈平成16年〉4月21日)は、日本の実業家。大阪府大阪市東淀川区出身。輸入雑貨販売店「藤田商店」「日本マクドナルド」「日本トイザらス」「日本ブロックバスター」創業者。 大阪府大阪市東淀川区に生まれる。3歳の時に千里山へ移住した。通学した三島郡千里第二尋常小学校で、成績は優秀だが母が教師に付け届けをせず、内申書の表現が良く記されずに一浪して十三の旧制北野中学へ進学した。 卒業後に戦火が激しくなったことから大阪を離れ、1944年に旧制松江高校を経て東京大学法学部へ入学。光クラブを経営する山崎晃嗣が1級上におり、後述する関係であった。
中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 200… 中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 2001年3月18日)は、日本の経営者、工学博士。日本板硝子社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1947年に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年に逓信省に入社。1982年7月に日本板硝子に転じ、1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務を経て、1988年6月に社長に就任。1992年6月に副会長に就任し、1994年6月には相談役に就任。 1996年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2001年3月18日心不全のために死去。75歳没。
森岡 敞(もりおか たかし、1926年頃 - 1981年5月… 森岡 敞(もりおか たかし、1926年頃 - 1981年5月8日)は自治官僚。大阪府大阪市出身。義兄は首藤堯。 1948年に東京大学法学部を卒業し、自治省の前身である全国選挙管理委員会に入る。 財政、税務畑が長く、市町村税課長、固定資産税課長、府県税課長、財政課長、財政担当審議官、税務局長、財政局長を経て、1979年10月に自治事務次官となる。 自治事務次官在任中の1981年5月に小脳膿瘍で急死した。享年55歳。 浪花節的な人情家の親分タイプで先輩への義理は厚く、部下思いであったことから、自治省内で慕う者が多かった。ただ、3代前の次官であった松浦功とはソリが合わなかった。
浅茅 しのぶ(あさじ しのぶ、1925年11月14日 - )… 浅茅 しのぶ(あさじ しのぶ、1925年11月14日 - )は、日本の女優。本名:木全鈴子。大阪府大阪市出身。志母沢事務所に所属していた。 宝塚歌劇団出身(28期生。在団1938年 - 1954年)。同期に1963年から1976年まで月組組長を務めた美山しぐれがいる。宝塚入団時の成績は29人中16位。 宝塚歌劇団在団中の1953年6月13日、ベルリン国際映画祭に出席の為に山口淑子・川喜多長政・稲垣浩監督・五所平之助監督とともに西ドイツへ出発。約1ヶ月半後の同年7月29日に稲垣監督と共に帰国。当時はまだ海外渡航自由化の遥か前で、大変貴重なヨーロッパ訪問となった。日本出発時の飛行機のタラップ(屋根なし)での写真が現存する。
阪田 寛夫(さかた ひろお、1925年10月18日 - 20… 阪田 寛夫(さかた ひろお、1925年10月18日 - 2005年3月22日)は、日本の詩人、小説家、児童文学作家として、小説・詩・作詞など幅広く執筆した。 大阪府大阪市に生まれた。阪田家は、代々紺屋の屋号であり安芸国忠海(現:広島県竹原市忠海)で海運業を営んでいた。寛夫の祖父・阪田恒四郎が38歳の時、広島から大阪に出て興したのが阪田インキ製造所(後のサカタインクス)。寛夫の父・素夫は同社の二代目社長であった。600坪の屋敷で3人兄弟の末弟として育つ。 熱心なキリスト教徒の家庭に育ち、母・京は同志社女子専門学校英文科の卒業生で、アメリカから来た教師に西洋料理をたくさん学んだハイカラな女性だった。
小野 一一郎(おの かずいちろう、1925年10月10日 -… 小野 一一郎(おの かずいちろう、1925年10月10日 - 1996年12月7日)は、経済学者。京都大学名誉教授。 大阪市出身。1949年京都帝国大学経済学部卒、大阪市立大学経済研究所に入所。1951年京都大学助手、1956年助教授、1970年教授。1989年定年退官、名誉教授、阪南大学教授。
長谷川 卓也(はせがわ たくや、1925年9月17日 - 2… 長谷川 卓也(はせがわ たくや、1925年9月17日 - 2021年7月27日)はフリーライター、出版史研究者。 日本推理作家協会会員。現代風俗研究会、雑学倶楽部、書皮友好協会各会員。 大阪市生まれ。旧制官立大阪工専(現大阪公立大学工学部)卒業。元東京新聞記者。元東京田辺製薬役員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
森 英雄(もり ひでお、1925年4月1日 - 2001年5… 森 英雄(もり ひでお、1925年4月1日 - 2001年5月10日)は、日本の実業家。住友化学社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1947年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に住友化学工業に入社。 1977年3月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1985年3月から1993年3月までに社長を務め、1993年3月から会長を務めた。 1990年5月から1994年5月までに日本化学工業協会会長を務め、大阪商工会議所副頭取も務めた。 1999年に勲二等旭日重光章を受章。 2001年5月10日、肺炎のために死去。76歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
江崎 玲於奈(えさき れおな、1925年〈大正14年〉3月1… 江崎 玲於奈(えさき れおな、1925年〈大正14年〉3月12日 - )は、日本の物理学者。日本国外においてはレオ・エサキ(Leo Esaki)の名で知られる。 1973年(昭和48年)、トンネル効果の研究に関連して、アイヴァー・ジェーバー、ブライアン・ジョゼフソンとともにノーベル物理学賞を受賞し、日本人としては4人目となるノーベル賞受賞者となった。 文化勲章受章者、勲一等旭日大綬章受章者。学位は理学博士(東京大学・1959年)。学位論文は「薄いp-n接合における新現象」。 大阪府中河内郡高井田村(後の同郡布施町、さらに布施市、現在の東大阪市布施地区)で生まれ、1947年に東京帝国大学を卒業し、川西機械製作所(後の神戸工業株式会社、現在のデンソーテン)に入社、真空管の陰極からの熱電子放出の研究を行った。
武部 利男(たけべ としお、1925年2月11日 - 198… 武部 利男(たけべ としお、1925年2月11日 - 1981年2月22日)は、日本の古典中国文学者、漢文学者。 大阪市出身。京都大学文学部中国文学科卒、奈良女子大学助教授、福井大学教育学部教授、立命館大学文学部教授。在職中に56歳で死去。『Viking』同人。
佐竹 一雄(さたけ かずお、1925年1月28日 - 201… 佐竹 一雄(さたけ かずお、1925年1月28日 - 2017年3月12日)は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手。右投げ右打ち。パシフィック→太陽→松竹、国鉄でプレイ。ポジションは捕手・一塁手。 京阪商(現:大阪府立芦間高等学校)を卒業後、宮崎県でゼロ戦の整備に従事していたが、第二次世界大戦終戦後のある日、新聞を見ていたところ、プロ野球球団・パシフィックの選手募集広告を見つけたことがきっかけで1946年にパシフィックへ入団。1年目から34試合出場するも、捕手としては18試合しか出場しておらず、専ら代打として出場し37打数5安打5打点1本塁打と特に目立った活躍はしなかった。 しかし、太陽ロビンスとチーム名を変えた2年目、佐竹は正一塁手を獲得。
高城 淳一(たかぎ じゅんいち、1925年1月20日 - 2… 高城 淳一(たかぎ じゅんいち、1925年1月20日 - 2011年8月18日)は、日本の俳優、声優。演出家。本名:依田 郁夫(よだ いくお)。妻は女優の西乃砂恵(再婚)。 大阪府大阪市出身。東京府立第三中学校卒業。日本大学芸術科(現:日本大学藝術学部)中退(戦況悪化のため)。 1943年、劇団文芸劇場に入団。1945年に大学を中退した後、青年演劇集団に参加。1947年12月に劇団創造座に入団し、1949年12月まで所属、1950年6月、田中明夫、前沢迪雄、西乃砂恵、真木恭介、三島雅夫とともに劇団七曜会を設立に参画。1956年に劇団が分裂した後は七曜会の代表となり、演出家として活動も開始。1963年6月に七曜会を解散し、フリーランスで活動。
山本晴義(やまもと はるよし、1925年 - 2017年4月… 山本晴義(やまもと はるよし、1925年 - 2017年4月2日 )は、日本の哲学者、大阪経済大学名誉教授。専攻は社会思想史・哲学。 大阪市生まれ。1948年早稲田大学文学部卒業。大阪経済大学助教授、教授、96年定年退任、名誉教授、大阪哲学学校校長。
守田 比呂也(もりた ひろや、1924年12月21日 - 2… 守田 比呂也(もりた ひろや、1924年12月21日 - 2016年6月16日)は、日本の俳優。本名:森田 寛弥。大阪市出身。最後の所属事務所は夏木プロダクション。妻は元女優の新井麗子。血液型はA型。 大阪府立生野中学校卒業。 神戸高等商業学校(現・兵庫県立大学)在学中に学徒動員。 大日本帝国海軍少尉、映画業界紙記者を経て、1957年にサスペンス映画『三十六人の乗客』でデビュー。 1950年頃には大映京都企画部の入社試験を受けたこともあったという。 『事件記者』で当たり役を得て、ドラマや映画で脇役として活躍した。 2016年6月16日に死去。満91歳没。
大須賀 二朗(おおすが じろう、1924年12月6日 - 2… 大須賀 二朗(おおすが じろう、1924年12月6日 - 2008年11月4日)は、日本の経営者。ダイハツ工業社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1937年に京都帝国大学工学部応用物理科を卒業し、同年にダイハツ工業に入社。 1971年12月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1986年9月に副社長を就任。1988年6月に社長に昇格し、1992年6月には会長に就任。 1989年4月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2008年11月4日心不全のために死去。83歳没。
本田 創造(ほんだ そうぞう、1924年〈大正13年〉5月5… 本田 創造(ほんだ そうぞう、1924年〈大正13年〉5月5日 - 2001年〈平成13年〉1月7日)は、日本の歴史学者。専門はアメリカ史。一橋大学名誉教授。サンケイ児童出版文化賞受賞。 大阪市出身。1949年東京大学経済学部卒業。1954年一橋大学経済研究所アメリカ経済研究部門で、都留重人教授や小原敬士教授の下、佐藤定幸とともに助手に就任。 一橋大学経済研究所助教授、神戸大学文学部助教授、一橋大学社会学部教授を経て、1988年一橋大学を定年退官し、一橋大学より名誉教授の称号を受ける。同年桜美林大学教授に就任。その後桜美林大学学長補佐、桜美林大学副学長を務めた。2001年1月7日、虚血性心不全のため死去。
南都 雄二(なんと ゆうじ、1924年〈大正13年〉4月26… 南都 雄二(なんと ゆうじ、1924年〈大正13年〉4月26日 - 1973年〈昭和48年〉3月19日)は昭和後期の上方の漫才師、俳優。本名は戸田 朝治(とだ ちょうじ)。大阪府大阪市生まれ。大阪電機学校卒業。 ミヤコ蝶々との漫才コンビ「蝶々・雄二」として知られ、「夫婦善哉」の司会で人気を博した。 1941年に大阪電機学校を卒業した。戦後、大阪中央郵便局の電気係を経て、三遊亭柳枝主宰の柳枝劇団に参加し、照明部で裏方をしていた。その後演者側に回り、看板女優だったミヤコ蝶々の弟子となり「鈴夫」と名乗る。 1947年に柳枝と離婚した蝶々と結婚し、1948年、柳家三亀松の改名の提案で「蝶々・鈴夫改め上方トンボ」として夫婦漫才コンビを結成した。
高田 好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月3… 高田 好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22日)は、法相宗の僧。薬師寺元管主。法相宗管長。分かりやすい法話により「話の面白いお坊さん」、「究極の語りのエンタテイナー」とも呼ばれ、そこから百万巻写経勧進の道を切り開いて金堂、西塔など薬師寺の伽藍の復興に道筋をつけるなど、薬師寺の再生に生涯をささげた。 大阪市出身。俗名は高田好一。裕福な家庭に生まれたが、11歳のとき証券会社勤務の父を肺結核で失い困窮した。母方の実家は東大寺龍蔵院で、知人だった薬師寺の管主橋本凝胤が弟子として好胤を引き取った。凝胤の教育は厳しかった。幼少期、友人宅に呼ばれて遊びに行ったとき、レコードで浪曲の「清水港は鬼より怖い、大政・小政の声がする」というくだりを耳にして、薬師寺にはもっと怖い鬼(橋本凝胤)がいると思ったという。
左藤 恵(左藤 惠、さとう めぐむ、1924年2月28日 -… 左藤 恵(左藤 惠、さとう めぐむ、1924年2月28日 - 2021年1月9日)は、日本の政治家、弁護士(大阪弁護士会所属)。位階は正三位。 衆議院議員(10期)、国土庁長官、郵政大臣、法務大臣を歴任した。 大阪府大阪市出身。旧制大阪府立住吉中学校(現:大阪府立住吉高等学校)卒業。旧制高知高等学校を経て、1945年9月京都帝国大学法学部卒業。同年10月、逓信院入省。郵政省に所属し、大臣官房文書課長補佐、外務省出向(ジュネーブ領事)、貯金局国際業務部長、電波監理局放送部長、松山郵政局長などを歴任。 1969年、大阪府知事であった父・左藤義詮の在任中に旧大阪6区から自民党公認で立候補し初当選。衆議院議員連続当選10回(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
黒岩 重吾(くろいわ じゅうご、1924年2月25日 - 2… 黒岩 重吾(くろいわ じゅうご、1924年2月25日 - 2003年3月7日)は、日本の小説家。社会派推理小説、風俗小説、古代史を題材にした歴史小説で活躍した。 大阪市生まれ。父方の祖先は和歌山県新宮市の廻船問屋。父は大同電力の電気技師、母は植村正久の弟子の牧師で名古屋の金城女学校で教頭も務めた池田勤之助の娘で、重吾は安治川発電所の社宅で生まれた。小学生の頃はキリスト教の日曜学校に通わされたが、結局信者にはならなかった。大阪の府立中学受験に失敗し、旧制宇陀中学(現・奈良県立大宇陀高等学校)に入学し、4年で終了して同志社大学の予科に入学。同志社大学在学中に学徒出陣し、北満に出征する。 ソ連国境に近い綏芬河の町で終戦を迎え、厳しい逃避行の末、1946年に朝鮮に辿り着き、内地へ帰還した。