亀井 肇(かめい はじめ、1943年 - )は、兵庫県神戸市… 亀井 肇(かめい はじめ、1943年 - )は、兵庫県神戸市生まれの新語アナリスト。 1969年、法政大学大学院社会科学研究科修士課程修了の後、同年、自由国民社入社。「現代用語の基礎知識」編集部に所属し、退社までの10年間を編集長として活躍する。編集長時代の1984 年に「新語・流行語大賞(現・ユーキャン新語・流行語大賞)」を創設。1986年5月より朝日放送テレビ「ナイト・in・ナイト」火曜日(桂三枝[現・桂文枝]司会)にワード・プロフェサーとして出演。編集長時代から九州朝日放送ラジオ「ナウナウミニ事典」など数多くのテレビ・ラジオ番組で新語・流行語の解説者として活躍。1988年に自由国民社を退社、「新語アナリスト」として独立した。
小川 甲子(おがわ かつこ、旧姓:井戸、1942年7月8日 … 小川 甲子(おがわ かつこ、旧姓:井戸、1942年7月8日 - )は、元宝塚歌劇団花組主演男役・元女優。 兵庫県神戸市出身。公称身長は162センチ。出身校は親和学園。宝塚歌劇団時代の芸名は甲 にしき(こう にしき)、愛称はコウちゃん。 中学時代、腎炎にかかり長期の療養生活を強いられる。状態が落ち着いた時、気分転換にと宝塚コドモアテネを利用し始めたことが、歌劇団志望のきっかけになる。 1960年、宝塚歌劇団入団。宝塚歌劇団46期生。宝塚入団時の成績は首席。初舞台の公演演目は星組公演『春の踊り(日本の恋の物語)/ビバ・ピノキオ』。同期に山吹まゆみ(女優)、上月晃(女優)、古城都(本郷功次郎夫人)、振付師司このみらがいる。
土井 正三(どい しょうぞう、1942年6月28日 - 20… 土井 正三(どい しょうぞう、1942年6月28日 - 2009年9月25日)は、プロ野球選手(内野手)・監督、野球解説者。兵庫県出身。
王 一郎(おう いちろう、1942年5月 14日 - )は、… 王 一郎(おう いちろう、1942年5月 14日 - )は、兵庫県神戸市出身 の実業家。北海道函館市を中心としたハンバーガーショップチェーン・ラッキーピエロの創業者である。 両親は神戸市で呉服商や化粧品店を営んでいた華僑。兵庫県立神戸商業高等学校卒業後、千葉で叔父の仕事を手伝う。21歳で独立して中華料理店を経営した後、27歳より函館に移住。パブを数店経営したのち、1987年にラッキーピエロ1号店・函館ベイエリア本店を開店した。看板メニューの「チャイニーズチキンバーガー」は年間55万食を超える人気を誇り、ご当地バーガーとして認知されている。経営理念は「愛を込めた社員教育とお客様主導の顧客満足型経営」。
小室 豊允(こむろ とよちか、1942年4月27日 - 20… 小室 豊允(こむろ とよちか、1942年4月27日 - 2013年6月13日)は、日本の法学者・政治評論家・政治学者。姫路獨協大学名誉教授・社団法人国際経済労働研究所常任理事。神戸市出身。 兵庫県神戸市出身。1965年中央大学法学部卒業、1969年立命館大学大学院法学研究科修士課程修了。1974年大阪社会事業短期大学専任講師。1979年コーネル大学客員研究員、1981年大阪府立大学社会福祉学部助教授。1989年姫路獨協大学経営情報学部教授、同地域センター長。1997年同経営情報学部長、1998年同大学院経営情報研究科長。1999年同学長。2002年同名誉教授、大手前大学社会文化学部教授。2007年同退職。
塚本 哲夫(つかもと てつお、1942年2月13日 - )は… 塚本 哲夫(つかもと てつお、1942年2月13日 - )は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1964年に関西学院大学商学部を卒業し、同年に六甲バターに入社。1974年2月に取締役を就任し、1977年3月に常務、1979年3月に副社長を経て、1985年3月には社長に就任。2015年1月から2021年3月までに会長を務めた。
鈴木 寛(すずき ひろし、1942年2月1日 - 2026年… 鈴木 寛(すずき ひろし、1942年2月1日 - 2026年4月25日)は、日本のハイテク音楽教育家、音楽教育学者。国立大学法人兵庫教育大学大学院名誉教授。神戸市生まれ。 1983年より兵庫教育大学実技教育研究指導センターで24年間、ピアノ等の鍵盤実技を指導すると共にハイテクによる音楽指導を研究。 オーディオ機器とピアノに頼る従来の音楽教育にとらわれることなく、70年代にはシンセサイザーを、80年代にはコンピュータを導入。「DTM」という和製英語を最初に使った。現在は“連れオケ”なる自動伴奏ソフトの利用を提案するなど、常に音楽教育界に新風を吹き込んでいる。 神戸市立高羽小学校→私立六甲学院 中高卒業。
中村 哲夫(なかむら てつお、1942年2月 - )は、日本… 中村 哲夫(なかむら てつお、1942年2月 - )は、日本の近現代中国史学者。中国・華東師範大学歴史系客座教授。 兵庫県神戸市生まれ。1967年神戸大学文学部史学科東洋史専攻卒業。1970年7月大阪大学大学院文学研究科史学東洋史専攻博士課程中退。大阪大学文学部助手、富山大学教養部助教授を経て、神戸学院大学教養部助教授、1984年教授。1994年「同盟の時代-:中国同盟会の成立過程の研究」で大阪大学より博士(文学)の学位を取得。1996年同人文学部・人間文化学研究科教授(後期博士課程)。2007年、学校法人・神戸学院を退職。日本孫文研究会代表理事、社会経済史学会評議員を経歴。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
川道麟太郎(かわみち りんたろう、1942年- )は、日本の… 川道麟太郎(かわみち りんたろう、1942年- )は、日本の建築学者、歴史学者。 神戸市生まれ。1966年京都工芸繊維大学卒、大阪大学大学院工学研究科修士課程修了。1980年「高密度生活空間における集団密度の影響に関する研究」で工学博士。関西大学工学部助教授、教授を務める。2006年依願退職。建築論・建築計画学専攻。退職後は西郷隆盛について調べ著作をなしている。
田端 泰子(たばた やすこ、1941年12月20日 - )は… 田端 泰子(たばた やすこ、1941年12月20日 - )は、日本の歴史学者。文学博士(京都大学・論文博士・1989年)(学位論文「中世村落の構造と領主制」)。京都橘大学名誉教授、同学長。専門は日本中世史(中世後期の村落構造)・女性史。 兵庫県神戸市生まれ。1964年京都大学文学部卒業、同大学院博士課程中退、橘女子大学助教授、1980年教授、校名変更で1988年京都橘女子大学教授、1989年「中世村落の構造と領主制」で文学博士(京都大学)の学位を取得。2004年より学長、2005年校名変更で京都橘大学学長。2010年退任、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岩井宜子(いわい よしこ、1941年12月18日- )は、日… 岩井宜子(いわい よしこ、1941年12月18日- )は、日本の法学者、弁護士、専修大学名誉教授。 神戸市生まれ。1960年兵庫県立神戸高等学校卒業、1964年東京大学法学部卒業、東京大学法学部助手、1967年法務総合研究所研究官補、1972年弁護士登録、1977年神奈川大学短期大学部助教授、1982年金沢大学法学部助教授、1984年教授、1994年専修大学法学部教授、2004年同法務研究科教授。2012年定年退任、名誉教授。
生田 暉雄(いくた てるお、1941年〈昭和16年〉10月2… 生田 暉雄(いくた てるお、1941年〈昭和16年〉10月2日 - 2024年〈令和6年〉6月10日)は、日本の弁護士。元裁判官。 1941年、兵庫県神戸市生まれ。関西大学卒業後、高校教師や市役所職員として働きながら司法試験に合格、修習生時代は青法協に所属する。1970年、裁判官任官後、1987年に大阪高等裁判所判事となる。1992年に退官し弁護士登録する。 弁護士としては、高知白バイ衝突死事故、愛媛教科書裁判などの弁護を担う。自らの著書にて裁判所の実態を告発する一方、裁判を「主権実現の手段」と位置付け、市民の手に取り戻す術を提案している。その一方、2020年までに9回の懲戒を受けた経験があり、当時所属していた香川県弁護士会の会長は現役最多記録ではないかとしている。
伊藤 正視(いとう まさみ、1941年9月20日 - )は、… 伊藤 正視(いとう まさみ、1941年9月20日 - )は、日本の経営者。伊藤ハム社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1964年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年に伊藤ハムに入社。1970年に取締役に就任し、1977年5月に常務、1986年3月に専務を経て、2002年10月に社長に就任。2006年5月に取締役に降格。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
江崎 勝久(えざき かつひさ、1941年(昭和16年)8月2… 江崎 勝久(えざき かつひさ、1941年(昭和16年)8月27日 - )は、日本の実業家。江崎グリコの社長。灘中学・灘高等学校同窓会会長。
西條 笑児(さいじょう しょうじ、 本名:河内弘、1941年… 西條 笑児(さいじょう しょうじ、 本名:河内弘、1941年〈昭和16年〉8月8日 - 1996年〈平成8年〉4月3日)は、元漫才師、タレント。 兵庫県神戸市出身。甲南大学文学部卒業。父は西条凡児。兄は西條遊児。娘は元宝塚歌劇団の西條三恵。 1966年、それまで勤務していた広告代理店をリストラされたことを機に兄とコンビを結成し漫才師デビュー。神戸を中心にラジオのパーソナリティーを長年勤めた。 1996年4月3日、死去。55歳没。 西條の没後、日本映画批評家大賞内の舞台ミュージカル大賞に西條笑児賞の副名称がつけられている。
倉岡 伸太朗(くらおか しんたろう、1941年5月16日 -… 倉岡 伸太朗(くらおか しんたろう、1941年5月16日 - )は、日本の元俳優。兵庫県神戸市出身。旧芸名:倉丘伸太郎。 兵庫県立兵庫高等学校在学中の1959年に東映ニューフェイスの第6期生に合格、高校を中退して役者となる。1963年4月、日本電波映画に入社。同年10月から放送されたテレビドラマ『姿三四郎』の三四郎役で人気を博し、以降柔道モノのドラマに相次いで出演する。その人気は高く、1965年度のブロマイド売上男性俳優部門で2位となっている。1970年代半ば頃に芸名を「倉丘伸太郎」から「倉岡伸太朗」に改名した。1970年代以降はテレビ時代劇へのゲスト出演が主となり、1981年の映画出演を最後に芸能界を引退する。
倉岡 伸太朗(くらおか しんたろう、1941年5月16日 -… 倉岡 伸太朗(くらおか しんたろう、1941年5月16日 - )は、日本の元俳優。兵庫県神戸市出身。旧芸名:倉丘伸太郎。
井上 堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2… 井上 堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2018年5月2日)は、日本のギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサー。本名は同じ。別名は井上 孝之。愛称はイノヤン。兵庫県神戸市出身。 兵庫県立星陵高等学校卒業後は、滝の茶屋駅前の「すしひろ」で板前だったが、TVのオーディション番組をきっかけに、歌の世界に入る。 ザ・スパイダース結成時代は、「スリージェット」という3人組のコーラス&ダンスグループの一員として活躍したが、リバプールサウンド編成に伴い、ギターを独学し、ボーカルと、リード・ギターを担当するまでになった。ザ・スパイダース時代は井上 孝之と名乗っていた。 1970年のザ・スパイダース解散後、1971年にPYGに参加し、「花・太陽・雨」「自由に歩いて愛して」などを作曲した。
井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - )は… 井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - )は、日本のミュージシャン・ギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサー。兵庫県神戸市出身。本名は同じ。別名は井上 孝之。愛称はイノヤン。
小嶋 博(こじま ひろし、1941年 - )は、日本の経営学… 小嶋 博(こじま ひろし、1941年 - )は、日本の経営学者。元名古屋学院大学学長。元日本経営財務研究学会会長。 兵庫県神戸市生まれ。福岡県立修猷館高校卒業。1968年神戸大学経営学部卒業。1974年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。1978年名古屋学院大学経済学部助教授。1982年ケルン大学客員教授。1985年名古屋学院大学経済学部教授。1992年名古屋学院大学商学部長。2005年名古屋学院大学学長。2011年名古屋学院大学商学部教授。2012年名古屋学院大学大学院特任教授。2013年日本経営財務研究学会会長。2014年名古屋学院大学名誉教授。2020年瑞宝中綬章受章。
石浜 みかる(いしはまみかる、女性、1941年 - )は、日… 石浜 みかる(いしはまみかる、女性、1941年 - )は、日本のノンフィクション作家、翻訳家。神奈川県藤沢市在住。 神戸市生まれ。戦時中、キリスト教を信仰していた父親が治安維持法違反で投獄された経験を持つ。 1965年神戸女学院大学卒。在学中イスラエルを訪れキブツに暮らす。卒業後は英語教師、専門学校教師などのかたわら文筆活動を行う。 1966年当時映画監督の高橋治と結婚、二児を儲ける。子は文月涼。
伊勢 功一(いせ こういち、1941年〈昭和16年〉-202… 伊勢 功一(いせ こういち、1941年〈昭和16年〉-2022年〈令和4年〉4月21日 - )は、日本の歌手。兵庫県神戸市出身。
太田 紘一(おおた こういち、1940年12月23日 - )… 太田 紘一(おおた こういち、1940年12月23日 - )は兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)。 兵庫高では甲子園に出場できなかったが、コールドゲーム参考記録を含め3度のノーヒットノーランを記録した。卒業後は立教大学に進むが中退し、1960年11月に大阪タイガース入団。 翌1961年にリリーフで初登板、9月には初先発を果たす。1962年には中継ぎとして一軍に定着し、リーグ優勝に貢献した。同年の東映フライヤーズとの日本シリーズでも2試合に登板。その後も毎年20~30試合程度に登板し、防御率も2点台から3点代前半と安定していた。落ちるシュートとカーブが武器の投手だった。 1965年頃から登板数が減り始め、1967年には登板機会もなく自由契約になる。
なかえよしを(1940年7月27日 - )は、日本の児童文学… なかえよしを(1940年7月27日 - )は、日本の児童文学作家、絵本作家。本名・中江嘉男。 兵庫県神戸市生まれ。日本大学芸術学部卒。広告デザイナーをへて、妻の上野紀子の絵、中江の文で「ねずみくん」シリーズのほか多くの絵本を刊行。1973年、国際青年美術家展外務大臣賞受賞。1974年『ねずみくんのチョッキ』で講談社出版文化賞、1987年『いたずらララちゃん』で絵本にっぽん賞、2005年上野とともに巖谷小波文芸賞受賞。 (上野との共著以外)
継谷 昌三(つぎたに しょうぞう、1940年6月25日 - … 継谷 昌三(つぎたに しょうぞう、1940年6月25日 - 1978年6月2日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。ポジションはMF。 神戸市出身で実家は材木商を営んでいて、裕福であったとされる。関西学院中学部サッカー部では3年次の1955年に主将を務めた。関学高等部でもサッカー部に所属して関学高等部の黄金時代の中心的な役割を担った。 1959年に関西学院大学に入学しサッカー部に所属し、この年に開催されたAFCユース選手権1959の日本代表に選出された。また、大学3年次の1961年8月15日にはインドネシア代表戦で日本代表として初出場した。大学4年次は主将を務めた他、1962年のアジア大会の代表に選出され出場も果たした。
高口恭行(正確には髙口恭行。たかぐち やすゆき(僧侶としては… 高口恭行(正確には髙口恭行。たかぐち やすゆき(僧侶としては"きょうぎょう")1940年6月13日 - )は、大阪にある浄土宗寺院一心寺の長老。工学博士。大阪を代表する建築家の一人であったが、現在は引退。元奈良女子大学家政学部教授。長男は現住職の高口恭典(元獣医)。次男は早稲田大学教授の高口洋人。三男は俳優の高口真寤。
湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日 - )は、… 湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日 - )は、日本の植物学者、文筆家。前東京農業大学教授。 神戸市生まれ。1963年、兵庫農科大学(現・神戸大学)農学部農林生物学科卒業。1968年、東京農業大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士。1968年、同大学育種学研究所所員、1975年、進化生物学研究所研究員、2000年、東京農業大学短期大学部教授、2005年、東京農業大学農学部バイオセラピー学科教授、2011年、退任。一般財団法人進化生物学研究所理事長・所長、生き物文化誌学会会長。1994年松下幸之助花の万博記念奨励賞受賞。村田源とともにベンケイソウ科のセトウチマンネングサをツシママンネングサの新変種 Sedum yabeanum var. setouchiense として記載した(後に大場秀章によるツシママンネングサに対応する学名の変更に伴い Sedum polytrichoides var. setouchiense と改められた)。
山根 秀夫(やまね ひでお、1940年4月19日 - 201… 山根 秀夫(やまね ひでお、1940年4月19日 - 2016年1月18日)は、日本の経営者。神戸新聞社、デイリースポーツ各社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1964年早稲田大学第一政治経済学部卒業後、神戸新聞社入社。1993年取締役、1995年常務を経て、1997年社長就任。2003年会長を経て、2005年相談役。1995年阪神淡路大震災の際には本社屋に大きな被害が出る中で、編集局長として京都新聞社の協力を得た上で新聞の発行を継続した。1997年から2003年までにデイリースポーツ社長も務めた。 2016年1月18日腎不全のために死去。75歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
河口 龍夫(かわぐち たつお、1940年2月15日 - )は… 河口 龍夫(かわぐち たつお、1940年2月15日 - )は、日本の前衛美術、現代美術家。筑波大学名誉教授。 兵庫県神戸市出身。1958年に多摩美術大学(絵画科)に入学。卒業後は神戸を拠点に作家活動を開始。1965年にグループ<位>を結成。 1960年代から作品の発表を始める。関係をテーマに制作活動を実施。芸術表現を単にひとつのスタイルにすることや、視覚にのみ依存する芸術のあるように抗する芸術表現を模索し、作品を精力的に発表する。 1983年より筑波大学芸術学系助教授、1991年教授。2003年3月退官。筑波大学名誉教授。2003年4月より、京都造形芸術大学客員教授及び倉敷芸術科学大学教授。 2016年度毎日芸術賞受賞。
矢田 立郎(やだ たつお、1940年2月7日 - )は、日本… 矢田 立郎(やだ たつお、1940年2月7日 - )は、日本の政治家。兵庫県神戸市長(第15代)。
松原 新一(まつばら しんいち、1940年1月22日 - 2… 松原 新一(まつばら しんいち、1940年1月22日 - 2013年8月13日)は、文芸評論家。久留米大学文学部名誉教授。本名・江頭肇(えがしら はじめ)。 兵庫県神戸市出身。京都大学教育学部卒業。1964年、「亀井勝一郎論」で第7回群像新人文学賞評論部門受賞。1993年久留米大学教授。2010年定年、名誉教授。左翼的な立場にたち、内向の世代論争では内向の世代の自閉を批判した。 2013年8月13日、膵臓癌のため福岡県久留米市の病院で死去。73歳没。 長女は脚本家の江頭美智留。 大阪文学学校チューター、神戸大学教育学部助教授を経て、2010年まで久留米大学文学部教授。 1993年から96年まで読売新聞で文藝時評を担当した。
東 君平(ひがし くんぺい、1940年1月9日 - 1986… 東 君平(ひがし くんぺい、1940年1月9日 - 1986年12月3日)は、日本の絵本作家、童話作家。代表作に『のぼるはがんばる』、『くんぺい魔法ばなし』や『おはようどうわ』のシリーズがある。将棋観戦記者の東公平は兄であり、フリージャーナリストの東晋平は甥にあたる。また、妻の英子は、作家・ミュージシャンの辻仁成の母と従姉妹にあたる。娘・東菜奈も同じく絵本作家。 兵庫県神戸市出身。医師の子として生まれながらも、父の逝去と破産で家族は散り散りになり、不幸な子供時代を過ごす。秋山カメラ店の店員など職業を転々としながら御茶の水美術学院で絵の勉強を続け、谷内六郎と出会い、彼の後押しで童話のイラストレーターとしてデビュー。
入川 保則(いりかわ やすのり、1939年〈昭和14年〉11… 入川 保則(いりかわ やすのり、1939年〈昭和14年〉11月10日 - 2011年〈平成23年〉12月24日)は、日本の俳優、司会者、声優、ナレーター、タレント。 兵庫県神戸市東灘区出身。関西学院高等部卒業。関西学院大学中退。身長は171cm。体重は70kg。 学生時代から俳優活動を在阪のテレビにて開始。数年後に活躍の場を広げるために上京した。現代劇と時代劇の両方で、主に脇役として活躍。刑事ドラマや時代劇の悪役、男性的な役どころが多かったが、喜劇的な役も洒脱にこなしていた。初期と中期は地元関西でのタレント・俳優活動が多かった。 3度の離婚歴があり、2度目の妻との間には娘が2人、3度目の妻であるホーン・ユキとの間には3人の息子がいる。
2代目桂 枝雀(かつら しじゃく、本名:前田 達(まえだ と… 2代目桂 枝雀(かつら しじゃく、本名:前田 達(まえだ とおる)、1939年(昭和14年)8月13日 - 1999年(平成11年)4月19日)は、兵庫県神戸市生まれの落語家。3代目桂米朝に弟子入りして基本を磨き、その後2代目桂枝雀を襲名して頭角を現す。古典落語を踏襲しながらも、超人的努力と空前絶後の天才的センスにより、客を大爆笑させる独特のスタイルを開拓する。出囃子は『昼まま』。実の弟はマジシャンの松旭斎たけし。長男は桂りょうば。
片上 公人(かたかみ こうじん、1939年〈昭和14年〉6月… 片上 公人(かたかみ こうじん、1939年〈昭和14年〉6月28日 - 2010年〈平成22年〉)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。キャッチコピーは『地球人・未来人・片上公人』 神戸市出身。神戸大学経済学部卒業。神戸市職員、創価学会の地元役員、聖教新聞記者などを経て1986年の第14回参議院議員通常選挙に兵庫県選挙区より公明党公認で出馬し、当選。1992年の選挙で再選を果たす。 1995年秋、女性秘書に対するセクハラで告訴される。1995年11月16日には自民党、日本社会党、新党さきがけ、日本共産党の全女性議員22人が事実関係の調査と片上議員の議員辞職を求める超党派の声明を出した。22日には、自民党の石井道子、南野知惠子、社会党の千葉景子、日下部禧代子、大脇雅子、栗原君子、さきがけの堂本暁子、共産党の吉川春子、阿部幸代が参院議長に対して「多くの女性の憤りや疑問に答えるためにも速やかな事実の解明を求める」との申し入れ書を手渡した。
荒川 康男(あらかわ やすお、1939年6月12日 - )は… 荒川 康男(あらかわ やすお、1939年6月12日 - )は、日本のジャズ・ベース奏者、作曲家である。 1939年6月12日、神戸市に生まれた。御影に住んでいたが、第二次世界大戦のあおりで鳥取県との県境に近い日本海側の美方郡諸寄に疎開していた。小学校に上がるころに終戦を迎え、芦屋山手小学校に通った。そこでの同窓生にジャズ・ミュージシャンの清水閏、木村新弥らがいる。 戦後はラジオでFENをよく聴いていた。中学のときにジャズに興味を持ち、高校に入りベニー・グッドマンのレコードを入手した。 本格的な楽器の演奏経験がなかったにもかかわらず、高校3年のときに神戸のジャズ喫茶でベースを担当する羽目になったのが演奏活動の始まりであった。
六本 佳平(ろくもと かへい、1939年3月10日 - )は… 六本 佳平(ろくもと かへい、1939年3月10日 - )は、日本の法学者。東京大学名誉教授。専門は法社会学。法学博士。神戸市出身。1970年助教授として、日本の国立大学最初の「法社会学講座」担当者となる。俳人の六本和子は母親。 「弁護士業務の経済的基盤に関する実態調査票」1980年実施(日本弁護士連合会、全国調査、自由と正義32巻10号所載)
たかとう 匡子(たかとう まさこ、1939年2月16日 - … たかとう 匡子(たかとう まさこ、1939年2月16日 - )は、日本の詩人。兵庫県神戸市生まれ。本姓・高藤(たかふじ)。1961年武庫川女子大学卒。1961年から2004年まで高校の国語教師。詩人・歌人の野田かおりは、教え子。2006年詩集『学校』で第8回小野十三郎賞受賞。2015年、第39回井植文化賞受賞。2018年『私の女性詩人ノートⅡ』で第39回日本詩人クラブ詩界賞受賞。詩誌「イリプス」同人。
佐々木 赫子(ささき かくこ、1939年1月16日 - )は… 佐々木 赫子(ささき かくこ、1939年1月16日 - )は日本の児童文学作家。日本児童文学者協会会員。 兵庫県神戸市生まれ。岡山大学教育学部卒業。 教職を経て子育て中、巡回図書館の蔵書のなかで児童文学に出会った。1970年夏、日本児童文学者協会主催「幼児教育と幼年文学の講座」を受講して創作活動を開始。1971年大石真らが主宰する 同人誌「子どもの町」掲載の「あしたは雨」が翌年の日本童話会賞を受賞。1973年関英雄を師とする 同人誌「てんぐ」に掲載された「旅しばいの二日間」は日本児童文学者協会新人賞を受賞した。「旅しばいの二日間」を長編化した『旅しばいのくるころ』が処女出版となった。 岡山の農村での疎開体験を素材にした上記2作は、逆境のなかでたくましく生きる子どもたちを描いて感動を呼ぶ作品であるが、一方であっけらかんとしたユーモアを見せる『きらくにいこうぜキックオフ』『勉強しないでいい点とれます』、怪談集「月夜に消える」などの作品もあり、創作の幅は広い。
松本 英孝(まつもと ひでたか、1939年 - )は、社会福… 松本 英孝(まつもと ひでたか、1939年 - )は、社会福祉学者。 神戸市生まれ。1963年大阪市立大学家政学部社会福祉学科卒業、大阪市中央児童相談所児童福祉司となる。その後、新見女子短期大学教授、県立広島女子大学生活科学部教授、広島国際大学医療福祉学部教授、神戸学院大学教授、日本福祉大学教授。
荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6… 荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6月5日)は日本画家、抽象画家。 兵庫県神戸市生まれ。東京都立駒場高等学校芸術科を経て、1963年に東京芸術大学日本画科を卒業。高校の非常勤講師として絵画を教える傍ら制作活動に取り組み、新制作協会日本画部に出品、1973年と1974年には春季展賞を受賞した。1971年に結婚、夫の母である日本画家の荘司福とは共に取材旅行を行い制作に励む。1974年に結成された創画会にも出品を重ね、4年連続で春季展賞を受賞するなどしたが、1979年に腸癌で死去。享年39歳。 その作品は、加山又造により「稀有の才能に満ち」「日本画という制約の多いとも思える素材、技法で、日本画のみが可能と思える抽象作品を、地道に、しかも才能豊かに、一貫して発表しぬいて居られ」「胸をときめかして見たのである」と評された。
和田 憲昌(わだ のりまさ、1938年12月7日- )は、… 和田 憲昌(わだ のりまさ、1938年12月7日- )は、日本の経営者。和田興産社長、会長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1962年に慶應義塾大学法学部を卒業。三ツ星ベルトでの勤務を経て、1966年に和田興産に転じ、1982年には社長に就任。2008年5月に会長に就任。 2019年5月に旭日双光章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高 丈二(こう じょうじ、1938年(昭和13年)11月22… 高 丈二(こう じょうじ、1938年(昭和13年)11月22日 - )は、日本の声楽家、テノール歌手、オペラ歌手、音楽教育者。沖縄県立藝術大学・聖徳大学名誉教授。旧名 黄 耀明と書かれた記録が存在する。 兵庫県神戸市出身。1958年(昭和33年)兵庫県立神戸高等学校卒業。1963年(昭和38年)、東京藝術大学卒業。1965年(昭和40年)、同大学院オペラ科修了。渡邊高之助に師事。1965年(昭和40年)モーツァルト『魔笛』タミーノ役で声楽家としてデビュー後、1968年(昭和43年)イタリアに留学。ヴェルディ音楽院に入学し、エットレ・カンポガッリアーニに師事。1970年(昭和45年)ミラノ・レオーネⅩIII劇場でロッシーニ『セヴィリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵を歌い、好評を博す。
東後 勝明(とうご かつあき、1938年〈昭和13年〉11月… 東後 勝明(とうご かつあき、1938年〈昭和13年〉11月16日 - 2019年〈平成31年〉8月14日)は、英語教育者、早稲田大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。空襲で兵庫県小野市(当時小野町)に疎開。兵庫県立小野高等学校を経て早稲田大学教育学部英語英文学科卒業、同大学専攻科修了。ロンドン大学大学院教育研究科修士課程修了、博士課程修了。早稲田大学教授、2008年定年退職、名誉教授。東京YMCAインターナショナルスクール校長。1972年から1985年9月までの長きに渡りNHKラジオ「英語会話」の講師を務めた。1995年キリスト教に入信。英語学・英語教育に関する著書多数。英語音声学、英語教育学専攻。
清水 一嘉(しみず かずよし、1938年11月8日 - )は… 清水 一嘉(しみず かずよし、1938年11月8日 - )は、日本のイギリス文学者。愛知大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。岡山県立岡山朝日高等学校卒、1962年東北大学文学部英文科卒、1964年同大学院修士課程修了。同年愛知大学教養部講師、1969年助教授、1980年教授、1998年文学部教授。2009年定年退任、名誉教授。専攻は英文学、英国文化史。 2018年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
神戸 一郎(かんべ いちろう、1938年(昭和13年)9月7… 神戸 一郎(かんべ いちろう、1938年(昭和13年)9月7日 - 2014年(平成26年)4月27日)は日本の元歌手、元俳優、実業家。本名:前原 正捷(まえはら まさかつ)。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立夢野台高等学校、神戸商科大学卒業[要出典]。芸名は、デビュー前にレコード店で芸名を募集したうえで、作曲家の上原げんとによって命名された。歌手の藤山一郎のような美声と歌の上手さから、「神戸の藤山一郎」…神戸一郎になった[要出典]。 高校時代から、のど自慢に出場し、1957年(昭和32年)、第8回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、コロムビアの専属歌手になる。 同年12月、「十代の恋よさようなら」でデビュー。
森滝 義巳(もりたき よしみ、1938年3月8日- )は、兵… 森滝 義巳(もりたき よしみ、1938年3月8日- )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)。 史上7人目の完全試合達成者。 兵庫高校では、1955年に春の選抜に出場。2回戦(初戦)で、後に立教大学同期となる浜中祥和のいた若狭高に敗退。同年夏は県予選準々決勝で長田高に敗れる。 1956年に立教大学に進学すると長嶋茂雄・杉浦忠らの2年後輩となる。杉浦卒業後の3年次からは、1学年下の五代友和と投の二本柱として活躍。東京六大学野球リーグで在学8シーズン中、5度の優勝に貢献した。1957年・1958年に全日本大学野球選手権大会連続優勝。1959年の第3回アジア野球選手権大会日本代表に選出され、日本の優勝に貢献。
中西 元男(なかにし もとお、1938年 - )は、日本の大… 中西 元男(なかにし もとお、1938年 - )は、日本の大学教員。東方設計大学栄誉教授。 兵庫県神戸市長田区生まれ。神戸市立西代中学校、兵庫県立長田高等学校、桑沢デザイン研究所を経て、早稲田大学第一文学部美術専修を卒業。早稲田大学大学院文学研究科修士課程中退。 在学中に、総合大学にこそデザイン教育の拠点を設けるべきと「早稲田大学デザイン学部設置への試案」を発表。また、浜口隆一とわが国最初の経営戦略デザイン書「デザイン・ポリシー/企業イメージの形成」を共著。大学時代は、デザインとマーケティング、経営学などの境界領域の研究に注力する。 1968年 株式会社PAOS設立。経営者に理解されるデザイン理論の確立とデザイン手法の開発をテーマに研究と実践を重ね、現在までに約100社のCI・ブランド、事業戦略デザインなどを手掛け、多くの成功例と代表事例を世に送り出す。
伊藤 研一(いとう けんいち、1937年12月27日 - 2… 伊藤 研一(いとう けんいち、1937年12月27日 - 2011年2月20日)は、日本の経営者。伊藤ハム社長、会長を務めた。創業者伊藤傳三の長男。 兵庫県神戸市出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業。1959年6月に伊藤ハム取締役に就任し、1965年に常務、1977年5月に専務を経て、1981年7月に社長に就任。2002年10月に会長に就任。 1994年4月に藍綬褒章を受章。 2011年2月20日、急性肺炎のために死去。73歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松田 英三郎(まつだ ひでさぶろう、1937年12月11日 … 松田 英三郎(まつだ ひでさぶろう、1937年12月11日 - )は、日本の経営者。阪急百貨店社長を務めた。 兵庫県神戸市出身、在住。1956年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に阪急百貨店に入社。若いころは営業を担当した。 1985年6月に取締役に就任して以降も開発を担当しており、現場との接点が多く、「現場の声を聴いて組み立てる」のが持論だった。量販店が周囲に多い川西阪急ではアクセサリーなど身の回り品の充実、商圏が狭い宝塚阪急では商品の絞り込みで成功した。その後は常務、専務に就任。1992年(平成4年)ごろ、当時社長の福光尚次からの要請で、次期社長の修行も兼ね、東京店舗事業本部長に就任。赤字が続いた首都圏3店舗(東京大井店=大井阪急、有楽町阪急=阪急百貨店#阪急メンズ東京、数寄屋橋阪急=現在は閉店)の問題を担当した。