青木 一彦(あおき かずひこ、1961年〈昭和36年〉3月2… 青木 一彦(あおき かずひこ、1961年〈昭和36年〉3月25日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、参議院議院運営委員長。内閣官房長官・自民党参議院議員会長を務めた青木幹雄の長男。 内閣官房副長官(政務担当)(第1次石破内閣・第2次石破内閣)を務めた。 島根県簸川郡大社町(現・出雲市)出身。少年時代、実家近くの出雲大社でよく遊んだ。島根県立大社高等学校を経て1985年3月、早稲田大学教育学部を卒業。 山陰中央テレビジョン放送社員を経て、1999年から内閣官房長官秘書官となる。2000年(平成12年)から父幹雄の公設秘書を務めた。あまり帰郷しない父に代わって頻繁に地元島根に入って支援者を回っていた。
長岡 秀人(ながおか ひでと、1951年(昭和26年)2月5… 長岡 秀人(ながおか ひでと、1951年(昭和26年)2月5日 - )は、日本の政治家。元島根県出雲市長(3期)、元平田市長(1期)。 島根県出雲市出身。岡山大学法文学部法律学科卒業。1975年(昭和50年)4月、法務省法務教官となる。1977年(昭和52年)9月、平田市役所に入庁。1999年(平成11年)7月、平田市助役に就任。 2003年(平成15年)、平田市長の太田満保が島根県知事選挙に立候補するため辞職。これに伴って行われた平田市長選挙に立候補し無投票で初当選した(4月20日確定)。 2005年(平成17年)3月22日、平田市は旧出雲市・佐田町・多伎町・湖陵町・大社町と合併し廃止となる。
西尾 理弘(にしお まさひろ、1941年〈昭和16年〉10月… 西尾 理弘(にしお まさひろ、1941年〈昭和16年〉10月19日 - 2024年〈令和6年〉11月15日)は、日本の官僚、政治家。位階は従四位。 元出雲市長。島根県出雲市出身。 島根県立出雲高等学校卒業。東京外国語大学外国語学部英米科卒業。ウィスコンシン大学教育行政学修士課程修了。文部省入省。 1995年(平成7年)3月2日付で文部省を高等教育局主任視学官の役職で辞職した。その後、同年の出雲市長選挙に無所属で立候補して、自民党、社会党の推薦で初当選を果たした。2003年(平成15年)に3選を果たした。合併に伴う(新)出雲市発足に伴い、2005年(平成17年)3月21日に市長を退任した。翌月の(新)出雲市の市長選挙に立候補して、無投票で当選した。
澄田 信義(すみた のぶよし、1935年(昭和10年)2月2… 澄田 信義(すみた のぶよし、1935年(昭和10年)2月20日 - 2009年(平成21年)6月13日)は、日本の政治家。元島根県知事(5期)。島根県出雲市出身。 1953年(昭和28年)島根県立出雲高等学校卒業。1957年(昭和32年)に東京大学法学部を卒業して日本国有鉄道に入社した。1980年(昭和55年)に和歌山県警察本部長、1982年(昭和57年)に日本国有鉄道監察局長、1986年(昭和61年)同常務理事などを歴任した。 1987年(昭和62年)4月の島根県知事選挙に自由民主党公認で出馬し当選。4月30日に就任した。2007年(平成19年)4月29日まで島根県知事として最長の5期20年務めた。
青木 幹雄(あおき みきお、1934年〈昭和9年〉6月8日 … 青木 幹雄(あおき みきお、1934年〈昭和9年〉6月8日 - 2023年〈令和5年〉6月11日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。 竹下登衆議院議員秘書、島根県議会議員(5期)、参議院議員(4期)、内閣官房長官(第64・65代)、沖縄開発庁長官(第38・39代)、自由民主党参議院幹事長、自由民主党参議院議員会長を歴任した。 長男に青木一彦参議院議員がいる。 1934年6月8日、島根県簸川郡大社町の漁師の家に誕生する。実家は網元で、大社漁協の組合長だった。漁師の息子だった青木は稲佐の浜で朝から暗くなるまで勉強もしないで真っ黒になって遊んだ。島根県立大社高等学校を経て早稲田大学に入学。
青木 伊平(あおき いへい、1930年12月9日 - 198… 青木 伊平(あおき いへい、1930年12月9日 - 1989年4月26日)は、日本の議員秘書。竹下登の秘書として知られている。 島根県簸川郡大社町(現・出雲市)出身。島根県立大社高等学校、明治大学工学部卒業。大学卒業後、ベアリングメーカーに就職したが1953年に島根選出の高橋円三郎衆議院議員の秘書となって政界に職を得る。1956年に高橋が死亡したためやはり島根選出の小瀧彬の秘書となる。1958年に小瀧が死去すると、ほぼ同時期に高橋の地盤を継いで衆議院議員となった竹下登の秘書となる。以降、竹下が首相の座に上り詰めるまで、30年間にわたり秘書を勤める。 初当選当時の竹下は、県議時代から議員報酬の大半を政治活動に充てるなど、家計が自転車操業状態にあった。
成相 善十(なりあい ぜんじゅう、1915年(大正4年)12… 成相 善十(なりあい ぜんじゅう、1915年(大正4年)12月4日 - 1998年(平成10年)11月10日)は、日本の政治家、参議院議員を務める(2期)。柔道家。 島根県出雲市出身。慶應義塾大学法学部政治学科を1941年に卒業。島根県議会議員を経て、1977年の第11回参議院議員通常選挙に出馬し当選。同郷の櫻内義雄に近かったため中曽根派に所属し、参議院議院運営委員会筆頭理事、参議院農林水産委員長、自由民主党参院副幹事長などの要職を歴任した。1989年の第15回参議院議員通常選挙では自民党公認が得られず、無所属で出馬して落選、政界を引退した。 1998年11月10日、肺炎のため出雲市の島根医科大学医学部附属病院で死去、82歳。
原 良宗(はら よしむね、1915年〈大正4年〉3月9日 -… 原 良宗(はら よしむね、1915年〈大正4年〉3月9日 - 2004年〈平成16年〉9月22日)は、日本の政治家。島根県平田市(現・出雲市)長(5期)。位階は従四位。 島根県簸川郡平田町(のち平田市、現・出雲市)出身。1930年(昭和5年)、島根県立大社中学校(現・島根県立大社高等学校)中退。中退後は印刷所を経営。1941年(昭和16年)に島根合同印刷専務に就任し、のち報光社代表取締役となる。1955年(昭和30年)、平田市議会議員に当選する。1959年(昭和34年)、島根県議会議員選挙に平田市選挙区から自由民主党公認で立候補して初当選を果たした。県議を2期務めた後の1967年(昭和42年)、平田市長に当選する。
竹下 勇造(たけした ゆうぞう、1900年〈明治33年〉6月… 竹下 勇造(たけした ゆうぞう、1900年〈明治33年〉6月25日 - 1984年〈昭和59年〉3月21日)は、日本の実業家、政治家。掛合町名誉町民。島根県議会議員、掛合村長、竹下酒造代表取締役などを務めた。旧姓は武永(たけなが)。 第74代内閣総理大臣・竹下登の実父。漫画家・影木栄貴、ミュージシャン・DAIGOの曾祖父。 島根県簸川郡今市町(現:出雲市)出身。武永貞一の弟。掛合町(現:雲南市)竹下儀造の養子となった。旧制島根県立松江中学校(現・島根県立松江北高等学校)を経て、1923年(大正12年)早稲田大学専政科(現、政治経済学部)卒業。 竹下家は日本三大山林王の一家として出雲一円に権勢を誇っていた田部家の傘下で庄屋を務めており、掛合一の旧家であった。
木佐 徳之助(きさ とくのすけ、1890年〈明治23年〉10… 木佐 徳之助(きさ とくのすけ、1890年〈明治23年〉10月16日 - 1969年〈昭和44年〉6月7日)は日本の実業家、政治家。島根県平田市名誉市民。木佐家第9代当主。号は旅峰。島根県多額納税者。農業。位階は正六位。 徳三郎の男。慶大に学ぶ。農業を営む。 雲洋石油株式会社を創設し、1928年(昭和3年)社長となり、1945年(昭和20年)帰郷。 1948年(昭和23年)に平田町長に就任した。1954年(昭和29年)、町長を辞任した。1955年(昭和30年)2月5日から1967年(昭和42年)5月16日まで、平田市長を務めた。 宗教は大社教。住所は島根県平田市平田町。美術茶道など多方面で造詣深い風流人として知られた。
石橋 長右衛門(いしばし ちょうえもん、1878年〈明治11… 石橋 長右衛門(いしばし ちょうえもん、1878年〈明治11年〉11月10日 - 1937年〈昭和12年〉10月31日)は、日本の政治家、実業家、島根県の大地主。雲陽実業銀行取締役。松江銀行監査役。族籍は島根県平民。 出雲国簸川郡古志村に生まれる。石橋助市の長男。幼い頃に父母が亡くなり、祖父母の鞠育を受け成長する。1881年、家督を相続する。1899年、青年実業会を起し、その会長となる。 1901年、村民の輿望を受け、村長に選任され、村政を統治する。古志貸金合名会社を創起し、その社長となる。古志銀行、雲陽実業銀行各取締役、松江銀行監査役などをつとめる。 住所は島根県簸川郡古志村(現・出雲市)。 石橋家は旧幕時代に累代組頭及び下郡役を勤め、苗字帯刀を許された閥閲で、郷党に推重された。
高橋 隆一(たかはし りゅういち、1875年(明治8年)10… 高橋 隆一(たかはし りゅういち、1875年(明治8年)10月31日 - 1943年(昭和18年)2月7日)は日本の大地主、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 島根県神門郡稗原村(簸川郡稗原村を経て現出雲市)で大地主・高橋守衛の長男として生まれる。松江修道館を修了した。1906年(明治39年)3月に家督を相続した。 1904年(明治37年)稗原三等郵便局を開設して同局長に就任。稗原村会議員、同村区会議員、同村農会長、同村学務委員、島根県地方森林会議員、簸川郡教育会長などを務めた。 実業界では、1906年、簸川銀行取締役に就任。その他、簸上鉄道取締役、出雲電気取締役社長、島根県農工銀行頭取などを務めた。
伊藤 啓一郎(いとう けいいちろう、1866年(慶応2年4月… 伊藤 啓一郎(いとう けいいちろう、1866年(慶応2年4月) - 1965年(昭和40年)11月21日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 出雲国神門郡神西村(のち島根県簸川郡神西村、現・出雲市)生まれ。1889年、島根尋常師範学校(のち島根師範学校)卒。農業の傍ら、南画を田能村直入と塩田鉄香に学び、書画を作成する。1939年に神武天皇聖徳奉体会を提唱し、橿原神宮聖域画讃を頒布する。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において島根3区から無所属で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党から立候補して落選した。1965年に死去した。
江角 千代次郎(えずみ ちよじろう、1864年12月16日(… 江角 千代次郎(えずみ ちよじろう、1864年12月16日(元治元年11月18日)- 1934年(昭和9年)6月19日)は、明治から大正期の地主、農業経営者、政治家、銀行家。衆議院議員。号・楽所、有所。 出雲国出雲郡坂田村(島根県出雲郡坂田村、出東村、簸川郡出東村、斐川村、斐川町を経て現出雲市)で、大地主・江角権蔵、すい の長男として生まれる。普通学を学び、黒田龍二から漢学を、雨森精斎から和漢の歴史を学んだ。 村会議員、町村組合会議員、簸川郡会議員、徴兵参事員、所得税調査委員などを務めた。1898年(明治31年)8月、第6回衆議院議員総選挙(島根県第3区)で初当選し、その後、第9回総選挙まで3回再選され、最後は大同倶楽部に所属し衆議院議員に連続4期在任した。
北島 斉孝(齊孝、きたじま なりのり、1863年9月11日〈… 北島 斉孝(齊孝、きたじま なりのり、1863年9月11日〈文久3年7月29日〉- 1918年〈大正7年〉11月9日)は、日本の神職、政治家、華族。出雲大社北島国造家76代、貴族院男爵議員。旧名・殿若丸。 出雲国出雲郡(現島根県出雲市大社町)で北島国造家75代・北島脩孝の長男として生まれる。父の死去に伴い1893年(明治26年)4月7日、男爵を襲爵した。 1882年(明治15年)出雲大社権宮司に就任。同禰宜、大教正、神道出雲教(現出雲教)大教主を務めた。 1908年(明治41年)7月1日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し、死去するまで在任した。
高橋 久次郎(たかはし きゅうじろう、1858年8月25日(… 高橋 久次郎(たかはし きゅうじろう、1858年8月25日(安政5年7月17日)- 1926年(大正15年)6月11日)は、明治から大正時代の政治家。衆議院議員(5期)。 高橋佐十郎の子として、出雲松江藩領神門郡稗原村(島根県神門郡稗原村、簸川郡稗原村を経て現出雲市)に生まれる。奉緘斎の門に入り漢籍を修めた。農業を営む傍ら、1876年(明治9年)第四十八区戸長に就任し、1881年(明治14年)稗原村戸長に転じた。1884年(明治17年)郡民より推され、島根県会議員に当選し、同常置委員を務めた。ほか、簸川郡会議員、同議長、道路会議議員、郡農会長、郡蚕業同業組合長、郡青年農業団総裁を歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では島根県第3区から出馬し当選。
高橋 守衛(守衞、たかはし もりえ、1857年(安政4年5月… 高橋 守衛(守衞、たかはし もりえ、1857年(安政4年5月) - 1906年(明治39年)3月31日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 出雲国神門郡稗原村(のち島根県簸川郡稗原村、現・出雲市)生まれ。漢学を学ぶ。稗原村長、同村会議員となる。また、簸川銀行を創立し、取締役となった。 1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において島根3区から無所属で立候補して当選する。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では国民協会から立候補したが落選した。衆議院議員は1期務め、1906年に死去した。
8代 木佐 徳三郎(きさ とくさぶろう、旧姓・勝部、雅号・平… 8代 木佐 徳三郎(きさ とくさぶろう、旧姓・勝部、雅号・平疇、1853年7月11日(嘉永6年6月6日)- 1941年(昭和16年)10月23日)は、日本の地主、実業家、政治家。衆議院議員。木佐家8代当主。平田銀行頭取。族籍は島根県平民。 出雲国出雲郡坂田村(島根県簸川郡斐川町を経て現出雲市)で、地主、7代・勝部本右衛門栄忠の六男として生まれ、楯縫郡平田村(現出雲市)の7代・木佐徳三郎の養子となり、後に家督を継承し徳三郎を襲名した。幕末には最後の楯縫郡下郡役(したごおりやく)を務めた。 明治維新後、楯縫郡仮郷校取締、島根県第五十三・五十四両区戸長、兼学区取締心得、平田町会議員などを務め、1892年2月の第2回衆議院議員総選挙で島根県第三区から出馬して当選し、弥生倶楽部に所属して衆議院議員を一期務めた。
岡崎 運兵衛(おかざき うんべえ、1850年8月5日(嘉永3… 岡崎 運兵衛(おかざき うんべえ、1850年8月5日(嘉永3年6月28日)- 1919年(大正8年)12月17日)は、日本の地主、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・高橋、幼名・権作、雅号・雲隣。 出雲国神門郡稗原村(現島根県出雲市)で、豪農・高橋佐十郎の二男として生まれ、10歳で松江堅町の豪商・先代岡崎運兵衛の養子となる。江戸の昌平坂学問所で学び、帰郷後、藩儒・澤野修輔、中村守手などに師事し、さらに南画を天野漱石に学んだ。慶応3年(1867年)養父の死去に伴い18歳で家督を継承し、運兵衛を襲名した。 維新後、自由民権運動に加わり自由党に入党。松江町会議員、松江市会議員、同議長、島根県会議員、同副議長、同議長を歴任。
10代 桜井 三郎右衛門(櫻井 三郎右衛門、さくらい さぶろ… 10代 桜井 三郎右衛門(櫻井 三郎右衛門、さくらい さぶろうえもん、1849年7月31日〈嘉永2年6月12日〉 - 1908年〈明治41年〉1月27日)は明治時代の政治家、実業家、島根県の大地主。貴族院多額納税者議員。旧姓は神田。諱は直達。族籍は島根県平民。 出雲国神門郡下古志村(現・島根県出雲市下古志町)出身。神田猪蔵の三男。仁多郡上阿井村(現・奥出雲町上阿井)・桜井源兵衛の養子となる。 家業の製鉄は明治10年代に入ると、洋鉄の流入その他により経営が次第に苦しくなり、秦、絲原、田部の各鉄師と連盟して島根県に対して鉄山炉の経営資金拝借方を願い出たが、聞き入れられなかった。これにくじけず、施設の近代化に努力し地方製鉄業の模範となる改革を行う。
西山 関一郎(關一郎、にしやま かんいちろう、1848年11… 西山 関一郎(關一郎、にしやま かんいちろう、1848年11月7日(嘉永元年10月12日)- 1903年(明治36年)7月4日)は、明治期の医師、政治家。衆議院議員、島根県会議長。 出雲国神門郡荻杼村(島根県簸川郡川跡村、出雲町を経て現出雲市)で、医師、2代・西山沙保、やゑの長男として生まれる。儒学を今市の伊藤宜堂に学んだ。その後、神戸洋学館で英語を学び、1870年(明治3年)大阪医学校(現大阪大学医学部)に入学し4年間修学。その後上京し、佐々木東洋の私塾主幹に就任。1874年(明治7年)に帰郷し開業した。 1876年(明治9年)9月に公立松江病院が開設され院医に就任。1977年(明治10年)12月、院長心得となり1881年(明治14年)まで在任。
江角 柳四郎(えすみ りゅうしろう、1848年4月10日(嘉… 江角 柳四郎(えすみ りゅうしろう、1848年4月10日(嘉永元年3月7日)- 1906年(明治39年)3月22日)は日本の地主、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 出雲国出雲郡、のちの原鹿村(簸川郡久木村を経て現島根県出雲市斐川町原鹿)で、豪農の家に生まれる。機業を営み、簸川銀行取締役などを務めた。また、島根県元出雲郡連合村戸長、島根県会議員、久木村会議員、同村長などを歴任。1904年、貴族院多額納税者議員に選出され、同年9月29日に就任し、死去するまで在任した。 公益事業にも関心が高く、貧民救済、公共建築・道路修繕・衛生事業、居村児童への奨学金支給などに多額の寄付を行った。
石橋 孫八(いしばし まごはち、1847年〈弘化4年〉 - … 石橋 孫八(いしばし まごはち、1847年〈弘化4年〉 - 1915年〈大正4年〉5月7日)は、日本の政治家、島根県の地主。島根県会議員。衆議院議員(島根県第三区選出、当選1回)。族籍は島根県平民。 出雲国楯縫郡平田村(島根県楯縫郡平田町、簸川郡平田町、平田市を経て現出雲市)出身。家は代々農業を営む。漢学を修める。治水を以て大いに名がある。 1894年、第4回衆議院議員総選挙で島根県第3区より選ばれて衆議院議員となる。国民協会、大手倶楽部に所属。第11議会解散後候補を伊藤啓一郎に譲る。 住所は島根県簸川郡平田町(のちの平田市、現・出雲市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
千家 尊福(せんげ たかとみ、弘化2年8月6日〈1845年9… 千家 尊福(せんげ たかとみ、弘化2年8月6日〈1845年9月7日〉 - 大正7年〈1918年〉1月3日)は、日本の宗教家、政治家。80代出雲国造、出雲大社宮司。神道大社教(1946年出雲大社教に改称)創立者で初代管長、元老院議官、貴族院議員、埼玉県知事(第4代)、静岡県知事(第4代)、東京府知事(第17代)、司法大臣(第14代)、東京鉄道株式会社社長などを歴任した。位階は従二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。 出雲大社の宮司を務める出雲国造家に生まれ、神道大社派を創始する。その後、神道大社教に改称し管長に就任するなど、教派神道たる出雲大社教の礎を築いた。元老院議官を経て、第1回貴族院男爵議員選挙にて貴族院議員に選出される。
7代 遠藤 嘉右衛門(えんどう かえもん、1844年10月2… 7代 遠藤 嘉右衛門(えんどう かえもん、1844年10月2日(弘化元年8月21日)- 1914年(大正3年)11月29日)は日本の地主、銀行家、政治家。貴族院多額納税者議員、遠藤嘉右衛門家7代当主、旧姓・神田。 のちの島根県で神田助左衛門の二男として生まれ、簸川郡今市町(現出雲市)の地主、6代・遠藤嘉右衛門の養子となる。後に家督を継承し嘉右衛門を襲名した。 1877年以降、島根県会議員、簸川郡会議員などを務め、補欠選挙で当選し1911年6月2日、貴族院多額納税者議員に任じられ、同年9月28日の任期満了まで一期在任した。その他、簸川銀行頭取などを務めた。 公益事業にも関心が高く、災害救援、貧民救済、公衆衛生・学校建設・道路修繕事業などに多額の寄付を行った
小野 尊光(おの たかてる)は、明治から昭和期の神職、政治家… 小野 尊光(おの たかてる)は、明治から昭和期の神職、政治家、華族。貴族院男爵議員。天葺根命95代。 出雲国神門郡日御碕(現島根県出雲市大社町日御碕)で日御碕神社神職、94代天葺根命・小野尊安の長男として生まれる。明治5年3月12日(1872年4月19日)父の隠居に伴い家督を継承し尊光と改名。1873年(明治6年)10月、華族に列し、1884年(明治17年)7月8日に男爵を叙爵した。 家督継承後、日御碕神社権宮司に任じられ、以後、同社権中講義、同宮司・権大講義、兼権少教正を歴任。この間、遷宮を行った。 1901年(明治34年)4月27日、日御碕神社宮司を辞任。同年6月6日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、1911年(明治44年)7月9日まで2期在任した。