野崎 菜美(のさき なみ、1996年5月15日 - )は、島… 野崎 菜美(のさき なみ、1996年5月15日 - )は、島根県隠岐の島町出身の元女子競輪選手。現役時代は日本競輪選手会山口支部所属、ホームバンクは防府競輪場。日本競輪選手養成所(以下、養成所)第118期生。師匠は鈴木啓一(55期)。 なお、選手登録名では名字は『野崎』としているが、本名は『野﨑』(つくりが「立」)である。 中学時代はバレーボールと陸上競技を掛け持ちし、2010年と2011年ジュニアオリンピック陸上競技大会に砲丸投種目で出場。益田高校では陸上競技部に所属し投擲種目に専念、島根大学教育学部進学後も陸上競技を続けた。 2016年の岩手国体から自転車競技で女子が正式種目となったが、同大会では県内に選手がおらず島根県からは不参加となったため、翌年の愛媛国体に出場できる女子選手を探しているという話を聞きつけ、国体に出られるなら、と自転車競技に取り組むようになる。
隠岐の富士 和也(おきのふじ かずや、本名:竹谷和也(たけだ… 隠岐の富士 和也(おきのふじ かずや、本名:竹谷和也(たけだに かずや)、1988年1月26日 - )は、島根県隠岐郡隠岐の島町出身の元大相撲力士。現在は世話人。八角部屋所属。最高位は西幕下11枚目(2021年1月場所)。部屋公式プロフィールによると、好物はちゃんこ、趣味は昼寝、ゲーム。 2004年9月、テレビ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画「ソーラーカー 一筆書きで日本一周」で隠岐古典相撲のアマチュア選手として登場。長瀬智也と対戦し、寄り切りで勝利した。長瀬曰く「16歳には見えなかった」という。 漁師の息子であったが、致命的に船酔いしやすいので幼い頃から家業を継ぐ見込みがなく、八角部屋のマネージャーが勧誘に来たこともあって入門を決意した。
平野 甲斐(ひらの かい、1987年8月16日 - )は、島… 平野 甲斐(ひらの かい、1987年8月16日 - )は、島根県隠岐郡隠岐の島町出身の元サッカー選手。ポジションはMF。 小学校4年生のときにサッカーチームが島に誕生し、同年にサッカーを始める。さらにチームの監督にトレセンを受けないかと薦められ県選抜にまで合格。月に2回、本島と離島を練習のために往復した。 小学校卒業時に親元を離れサッカーすることを決意し、出雲市立浜山中学校へ入学。同時にサンフレッチェ広島F.Cの提携スクールであるサンフレッチェくにびきFCに入団。同期に川上典洋がいる。 その後立正大学淞南高等学校を経て、びわこ成蹊スポーツ大学に進学。3年次には関西学生サッカーリーグ大会優秀選手およびアシスト王に輝いた。
隠岐の海 歩(おきのうみ あゆみ、1985年7月29日 - … 隠岐の海 歩(おきのうみ あゆみ、1985年7月29日 - )は、島根県隠岐郡隠岐の島町出身で八角部屋所属の元大相撲力士。身長191cm、体重167kg、血液型はO型。島根県立隠岐水産高等学校出身。本名は福岡 歩(ふくおか あゆみ)。愛称はあゆみ。最高位は、西関脇(2015年3月場所・2016年11月場所)。現在は年寄・君ヶ濱。 島根県隠岐郡西郷町(現:隠岐の島町)で生まれる。出身の隠岐島には、神社の改修などの慶事があれば夕方から翌日の昼まで相撲を取り続ける「古典相撲」の風習があり、本人もそれに親しみ4歳から廻しをつけていた。本格的に相撲を始めたのは西郷小学校4年生からで、兄や周囲の友達が始めた影響で中学3年まで近くの相撲クラブに通った。
平田 俊子(ひらた としこ、1955年6月30日 - )は、… 平田 俊子(ひらた としこ、1955年6月30日 - )は、日本の詩人、小説家、劇作家。ブラックユーモアを多用した乾いた作風。 島根県隠岐島生まれ。父親が海上保安官であったことから、鳥取県境港市、福岡県北九州市、山口県徳山市などを転々とした。山口県立徳山高等学校、立命館大学文学部日本文学科卒業。大阪文学学校に学ぶ。1982年、「鼻茸」で第1回現代詩新人賞受賞。1998年、『ターミナル』で第39回晩翠賞受賞。1999年、「詩のボクシング 第3回世界ライト級王座決定戦」で白石かずこを破り第3代チャンピオン。2000年、舞台芸術創作奨励賞(現代演劇部門)。2001年、「甘い傷」で第45回岸田國士戯曲賞候補。
筧 栄一(かけい えいいち、1927年5月27日 - 201… 筧 栄一(かけい えいいち、1927年5月27日 - 2013年5月15日)は、日本の弁護士(登録番号:22838)。検事総長。位階は正三位。 島根県隠岐郡西郷町(現・隠岐の島町)出身。1940年 東京府立第一中学校入学。同期に山口光秀(大蔵事務次官)、杉山和男(通産事務次官)、手島冷志(外務審議官)、柳健一(駐韓大使)ら官界を中心に活躍した者のほかに出光昭介(出光興産会長)などがいる。その後一高を経て、1951年に東京大学法学部政治学科卒業。1953年に検察官となる。 1975年に法務省人事課長となり、以後、1978年に佐賀地方検察庁検事正、1979年に法務省大臣官房長、1982年、最高検検事、1983年、法務省刑事局長、1985年に法務事務次官に。
若林 快三(わかばやし かいぞう、明治11年(1878)1月… 若林 快三(わかばやし かいぞう、明治11年(1878)1月24日 ~ 大正10年(1921)7月6日)は、満蒙独立運動に関わった活動家である。 明治29年(1896)9月22日に原田村(現・島根県隠岐郡 隠岐の島町 原田)の秋庭源太の養嗣子となるが、明治30年(1897)5月24日離縁、父親・彰信の戸籍に戻る。 明治31年(1898)1月31日に彰信の戸籍より分家届出。 明治34年(1901)1月に設立された黒龍会(国家主義団体)に所属。第一次満蒙独立運動(大正元年・1912年)、第二次満蒙独立運動(大正5年・1916年)に関り、殉難した。 現在のモンゴル国にはいった最初の島根県人とされている。
吉岡 倭文麿(よしおか しずまろ、1849年(嘉永2年9月)… 吉岡 倭文麿(よしおか しずまろ、1849年(嘉永2年9月)- 1897年(明治30年)4月18日)は、明治時代の政治家。神職。衆議院議員(2期)。別名・要男、要人。 高橋権兵衛の四男として、隠岐国周吉郡矢尾村(島根県周吉郡西郷港町、中町、西郷町を経て現隠岐の島町)に生まれる。幼くして父母を亡くし、12歳の時に同郡西町(西郷町を経て現隠岐の島町)の吉岡家の養子となり、13歳にして家督を相続した。その後、15歳にして養父を失う。医師の野津徹斎や田中鼎助につき和漢学を修めた。1868年(慶応4年)隠岐騒動で自治政府の警護頭取を務めた。その後、戊辰戦争に従軍した。1871年(明治4年)水祖神社神官となり、八尾小学校訓導、神道教導職、郡書記、郡学務委員、戸長を歴任した。
八幡 信太(やわた しんた、1845年(弘化2年10月)- … 八幡 信太(やわた しんた、1845年(弘化2年10月)- 1925年(大正14年)12月20日)は、幕末の村役人、明治から大正期の農業経営者・政治家。衆議院議員。旧名・信左衛門。 隠岐国穏地郡代村(島根県穏地郡代村、五箇村、隠岐郡五箇村を経て現隠岐の島町)で生れた。和漢学を修め、庄屋を務めた。農林業を営む。 1868年(慶応4年)隠岐騒動では、自治政府の総会所・撃剣頭取を務めた。その後、区戸長、代村戸長、大区副区長、島根県会議員(5期)、徴兵参事員などを務めた。また三等郵便局長に在任した。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(島根県第6区、無所属)で当選し、湖月派に所属して衆議院議員に1期在任した。
中沼 了三(なかぬま りょうぞう、 1816年9月6日(文化… 中沼 了三(なかぬま りょうぞう、 1816年9月6日(文化13年8月15日)- 1896年(明治29年)5月1日)は隠岐国周吉郡中村(現在の島根県隠岐の島町中村)出身の儒学者。名は之舜。了三は通称。字は魯仲。号は葵園(きえん)。贈正五位。 文化13年8月15日(1816年9月6日)隠岐国(島根県隠岐の島)で医師の中沼養碩、母テツの三男として生まれる。天保6年(1835年)京都に上り、山崎闇斎の流れを汲む崎門学派浅見絅斎の学統である鈴木遺音(恕平)の門下として儒学を学んだ。天保14年(1843年)、鈴木遺音の没後に葵園浅見安正の学統を承け、京都で開塾。学習院講師、孝明天皇の侍講となる。門人には西郷従道、桐野利秋、川村純義、千葉貞幹、松田重助らがあり、中沼塾は薩摩藩士が多く、竹村東野門下でもあった中岡慎太郎も西郷隆盛との接触を図り入門している。