佐々木 隆之(ささき たかゆき、1946年8月24日 - 2… 佐々木 隆之(ささき たかゆき、1946年8月24日 - 2020年2月20日)は、日本の実業家。JR西日本代表取締役社長、同社取締役会長等を務めた。 広島市出身。広島大学教育学部附属高等学校を経て、1970年に一橋大学経済学部を卒業し、日本国有鉄道に入社。当時、一橋大学から国鉄に就職する学生は毎年1、2名と少なかったが、情報学ゼミの教授の勧めで入社した。 研修では機関士として、寝台特急「みずほ」の運転に当たったこともある。その後企画・総務畑を歩み、大阪鉄道管理局総務部長等を務めた。 1987年国鉄分割民営化により新たに発足したJR西日本に移る。同社では主に営業部門、経営企画部門、人事部門、財務部門等を幅広く経験し、人事部長、取締役財務部長、取締役営業部長等を務めたのち、2002年にキヨスクやコンビニエンスストアの運営等を行う完全子会社のジェイアール西日本デイリーサービスネット社長に転出した。
桑原 秀範(くわばら ひでのり、1946年8月1日 - )は… 桑原 秀範(くわばら ひでのり、1946年8月1日 - )は、アマチュア野球選手、高校野球監督。元広島商業高校、堀越高校、穎明館高校野球部監督。広島県安佐郡川内村(現広島市安佐南区)出身。
吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年〈昭和21年〉4月5… 吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年〈昭和21年〉4月5日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、俳優。本名同じ。旧芸名は平仮名のよしだたくろう。鹿児島県伊佐郡大口町(現在の伊佐市)生まれ 、広島県広島市育ち。 竹田企画(事務所)、avex trax(レコードレーベル)に所属。フォーライフ・レコードの第2代社長を務めた。楽曲提供者としては入江剣のペンネームを用いることがある。 妻は森下愛子(1986年結婚)。元妻は四角佳子(1972年 - 1975年)→浅田美代子(1977年 - 1984年)。 日本のシンガーソングライターの草分け的存在であり、1970年代初頭、マイナーであったフォークとロックを、日本ポップス界のメジャーに引き上げた歌手である。
弘中 惇一郎(ひろなか じゅんいちろう、1945年10月16… 弘中 惇一郎(ひろなか じゅんいちろう、1945年10月16日 - )は、日本の弁護士。元自由人権協会代表理事。東京大学法学部卒業(1968年)。1967年司法試験合格。司法修習22期(同期に木村晋介や筒井信隆)を経て1970年弁護士登録。
阪本 昌成(さかもと まさなり、1945年8月2日 - )は… 阪本 昌成(さかもと まさなり、1945年8月2日 - )は、日本の憲法学者、弁護士。古典的自由主義者。オーストリア学派やリバタリアニズムに近い憲法学説で知られる。 学位は法学博士(京都大学・論文博士)。広島弁護士会所属。広島大学教授、広島大学法学部長、九州大学教授、立教大学教授・近畿大学教授を歴任。 広島市出身。原爆投下の4日前に生まれたが、母親が県北へ疎開していたため、被災は免れた[要出典]。1964年3月、広島大学教育学部附属高校卒業。同じく憲法学者の辻村みよ子と長谷部恭男は、広島大学附属高校の後輩である。 1968年3月、広島大学政経学部(現・法学部)卒業。1970年3月、神戸大学大学院法学研究科修士課程修了。
新保 生二(しんぽ せいじ、1945年〈昭和20年〉6月2日… 新保 生二(しんぽ せいじ、1945年〈昭和20年〉6月2日 - 2004年〈平成16年〉10月26日)は、日本の官僚。元経済企画審議官。広島市出身。
増原 義剛(ますはら よしたけ、1945年6月1日 - )は… 増原 義剛(ますはら よしたけ、1945年6月1日 - )は、日本の元政治家。自由民主党所属の元衆議院議員。広島県広島市出身。現在、広島経済大学経済学部教授。座右の銘は「人間至る所に青山あり」。
檜山 俊宏(ひやま としひろ、1944年(昭和19年)12月… 檜山 俊宏(ひやま としひろ、1944年(昭和19年)12月7日 - )は、日本の実業家、政治家。平和広告代表取締役。広島県議会議員(自由民主党所属)。第58、59、60代広島県議会議長。 広島県広島市出身。慶應義塾大学法学部卒業。南カリフォルニア大学を経て1970年に日本教育テレビ(通称NETテレビ。現:テレビ朝日)に入社。翌年に広島ホームテレビに入社。1973年に平和広告を設立し代表取締役社長、鴻治組監査役を兼任する。 1979年4月、広島県議会議員に初当選。1984年6月から1986年6月まで新空港建設特別委員会副委員長。1986年6月から1987年4月まで行財政改革特別委員会委員長。1987年7月から1988年7月まで交通対策特別委員会委員長。
水口 洋次(みずぐち ようじ、1944年7月20日 - 20… 水口 洋次(みずぐち ようじ、1944年7月20日 - 2022年4月10日)は、広島県広島市出身のサッカー選手、サッカー指導者。 選手時代は、後のセレッソ大阪であるヤンマーディーゼルサッカー部の主力選手として活躍した。ガンバ大阪の前身・松下電器産業サッカー部の創設者で、ガンバ大阪の発足に向けた立ち上げに携わり、同クラブの基礎作りに尽力した。 広島県広島市出身。広島国泰寺高校から、中央大学法学部政治学科を経て1967年、ヤンマーディーゼル株式会社入社。小柄ながらボール扱いのうまさは日本最高ともいわれ、同社サッカー部の主力選手として活躍した。同い年で同期就職で親友の釜本邦茂のデビュー初得点のアシストを決めている。
上垣内 誠(かみごうち まこと、1944年6月30日 - )… 上垣内 誠(かみごうち まこと、1944年6月30日 - )は、広島市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手)。
田中 英夫(たなか ひでお、1944年(昭和19年)3月19… 田中 英夫(たなか ひでお、1944年(昭和19年)3月19日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の京都府議会議員(通算7期)。衆議院議員(1期)、京都府亀岡市長(2期)を務めた。 広島県広島市生まれ。1945年8月6日、広島市への原爆投下により被爆を経験する。修道中学校、1962年洛星高等学校、1966年京都大学経済学部卒業。1975年、田中石油株式会社代表取締役に就任。1982年、亀岡青年会議所理事長に就任した。1983年、谷口義久亀岡市長の下で亀岡市助役に起用される。 1991年、京都府議会の保守系会派である新政会の公認を受けて京都府議会議員選挙に亀岡市選挙区から出馬し、初当選した。1995年、再選。
松本 紀彦(まつもと のりひこ、1944年(昭和19年)3月… 松本 紀彦(まつもと のりひこ、1944年(昭和19年)3月5日 - )は、日本のフィールドホッケー選手、プロゴルファー。 広島県広島市出身。明治大学卒。1968年メキシコシティーオリンピックで男子トーナメントに出場した。その後、プロゴルファーに転じ、阿山カンツリー倶楽部に所属した。 井出信夫 | 大塚智万 | 恩田昌史 | 加奥成雄 | 上村幸夫 | 河村一夫 | 工藤明朗 | 高島昭男 | 田中博司 | 長屋恭一 | 松本紀彦 | 安田善治郎 | 勇崎勝弘 | 勇崎恒也 | 西村省三 | 吉村実 | 和田明仁 | 監督: 市川日出男 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
結城 忠(ゆうき まこと、1944年- )は、日本の教育行政… 結城 忠(ゆうき まこと、1944年- )は、日本の教育行政学者。国立教育政策研究所名誉所員、元白鷗大学教授、元日本教育行政学会会長。 広島市生まれ。広島大学政経学部卒業。大阪市立大学法学部を経て、広島大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。国立教育研究所研究員・主任研究官・室長、ドイツ国際教育研究所客員研究員、国立教育政策研究所総括研究官を経て、2009年上越教育大学教職大学院教授、白鷗大学教授。 2007年「生徒の法的地位に関する学校法学的研究」で広島大学より博士(教育学)の学位を取得。
田中 晋(たなか すすむ、1944年 - 2026年2月21… 田中 晋(たなか すすむ、1944年 - 2026年2月21日)は、英文学者。山口大学名誉教授、山口学芸大学名誉教授。エドマンド・スペンサーが専門。 広島市出身。九州大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了。京都大学助手、九州大学助教授、京都大学助教授を経て山口大学教授・人文学部長・大学院人文科学研究科長。2006年定年退官、名誉教授。山口学芸大学教授。 2026年2月21日、心不全のため山口市内の自宅で死去。81歳没。
小島 朋之(こじま ともゆき、1943年9月9日 - 200… 小島 朋之(こじま ともゆき、1943年9月9日 - 2008年3月4日)は、日本の政治学者。専門は、中国政治。
大島 賢三(おおしま けんぞう、1943年〈昭和18年〉5月… 大島 賢三(おおしま けんぞう、1943年〈昭和18年〉5月14日 - 2021年〈令和3年〉5月29日)は、日本の外交官。外務省経済協力局局長、国際平和協力本部事務局長、国際連合事務次長(人道問題担当)、オーストラリア駐箚特命全権大使、国際連合政府代表部特命全権大使、国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会委員、原子力規制委員会委員などを歴任した。 広島県広島市東区牛田出身。1961年広島大附属高校時代にAFSでアメリカ合衆国に1年間留学。 1965年東京大学在学中サンケイスカラシップで英国留学、1967年、東京大学法学部を中退し、4月、外務省入省。 フランス語研修、在フランス大使館・在インド大使館・在オーストラリア大使館・在アメリカ大使館勤務などを経て、1990年在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1993年8月国際協力事業団総務部長 1995年8月アジア局審議官、国際社会協力部長、1997年経済協力局長、人間の安全保障・科学技術協力・国連改革担当大使を務めた。
桑原 楽之(くわはら やすゆき、1942年12月22日 - … 桑原 楽之(くわはら やすゆき、1942年12月22日 - 2017年3月1日)は、広島県広島市白島(現中区)出身 のサッカー選手。実兄は桑原弘之。1968年メキシコシティオリンピック銅メダリスト。 8人兄弟で男は弘之と楽之の二人だけ。1960年代の日本サッカーのメッカ・広島に生まれ、幼少期からサッカーに親しむ。広大付属小、広大付属中学の抽選をいずれも落ちて白島小、幟町中学に進む。白島小の隣りに広島市立基町高等学校があり、5年生の時に渡辺正と佐伯博司がプレーしていて、楽之はいのまにか同校でボール拾いを始める。入学した幟町中学にはサッカー部がなかったが、桑原を中心に創部。実兄の弘之がコーチを勤めた。
岡崎 洋一郎(おかざき よういちろう、1942年12月16日… 岡崎 洋一郎(おかざき よういちろう、1942年12月16日 - )は、日本の経営者。 広島県広島市出身。1965年に早稲田大学第一理工学部機械工学科を卒業し、同年に三菱重工業に入社。 1970年に三菱自動車工業に転職し、1999年6月に取締役に就任し、2001年6月に常務を経て、2004年4月に社長に就任した。同年6月に会長に就任し、2005年に辞任。
小城 得達(おぎ ありたつ、1942年12月10日 - )は… 小城 得達(おぎ ありたつ、1942年12月10日 - )は、広島県広島市千田町(現・中区)出身の元サッカー選手(FW、MF、DF)・コーチ・監督。 昭和40年代を代表する名選手の1人であり、釜本邦茂・杉山隆一・宮本輝紀と共に当時のスタープレイヤーの一人。現役時代はフォワードもミッドフィルダーもディフェンダーもこなしたオールラウンドプレーヤーで、日本代表として東京五輪およびメキシコ五輪でフル出場を果たし、メキシコでは銅メダル獲得に貢献。 前広島県サッカー協会会長。 実家は材木店を営んでいたが、2歳の夏に爆心地に近い千田町で被爆。倒れた柱と柱が隙間を作り、母と姉と共に助かる。広島大学附属小学校時代はサッカーを楽しむ程度であり、ちょうど広島カープが誕生したため野球が大好きになり、体もひ弱であったため野球に興じる。
溝手 顕正(溝手 顯正、みぞて けんせい、1942年〈昭和1… 溝手 顕正(溝手 顯正、みぞて けんせい、1942年〈昭和17年〉9月13日 - 2023年〈令和5年〉4月14日)は、日本の実業家、政治家。従三位。 幸陽船渠代表取締役社長、国家公安委員会委員長(第74代)、内閣府特命担当大臣(防災)、自由民主党参議院議員会長(第28代)、自由民主党参議院幹事長、参議院議員(5期)、参議院予算委員長・議院運営委員長・国家基本政策委員長・総務委員長・懲罰委員長・政府開発援助等に関する特別委員長、自由民主党広島県支部連合会会長を歴任した。 広島県広島市南区皆実町生まれ。その後は安芸郡や父方の郷里の賀茂郡原村(現東広島市八本松町原)を経て、日本通運に勤めていた父親の転勤に伴い三原市に転居した。
船本 幸路(ふなもと こうじ、1942年8月12日 - )は… 船本 幸路(ふなもと こうじ、1942年8月12日 - )は、広島県広島市草津出身の元サッカー日本代表選手(GK)・指導者。 広大付属高校2年の時、ゴールキーパーとして桑田隆幸や野村尊敬、同級の小城得達、桑原楽之、溝手顕正らと全国高校サッカー選手権大会に出場して準優勝、国体も準優勝、3年時はベスト8。 高校を卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社、東洋工業蹴球部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)へ入団。同チームの監督となった下村幸男の後を受け正ゴールキーパーとなる。石井義信、小沢通宏、今西和男、丹羽洋介、桑原弘之、大野毅、川野淳次、国枝強らとゴールを守り、日本サッカーリーグ(JSL)4連覇と3度の天皇杯制覇に貢献した。
天野 勝(あまの まさる、1942年8月9日 - 2006年… 天野 勝(あまの まさる、1942年8月9日 - 2006年7月28日)は、広島県広島市出身のプロゴルファー。 学生時代は東京で卓球の個人チャンピオンになり、広島修道大学を2年で中退した後は珠算一級・簿記二級の資格を生かして沖電気工業とウテナの経理課に勤務し、全日本実業団選手権(軟式)団体2位の戦績を持つ。 1968年には「もっと給料が欲しい」と思って退社し、職業安定所から帰る途中にたまたま寄ったゴルフ練習場で初めてクラブを握ったのがきっかけとなり、26歳からゴルフを始める。 ゴルフを始めた時には2番アイアン1本で練習していたが、後にアイアンは全て打てるようになり、始めて僅か4ヶ月でハンディ4となって練習場の先生に採用されると、5年目の1972年春に30歳でプロテストに合格。
唐須 教光(とうす のりみつ、1942年 (昭和17年) 4… 唐須 教光(とうす のりみつ、1942年 (昭和17年) 4月30日 - )は、日本の英語学者。慶應義塾大学名誉教授。 広島市生まれ。修道中学校から慶應義塾志木高等学校を経て、1964年慶應義塾大学文学部哲学科卒。1968年東京大学教養学部教養学科卒。1970年米国ブラウン大学大学院修士課程修了。1973年エール大学大学院博士課程修了 Ph.D。1976年玉川大学専任講師、1977年広島大学総合科学部専任講師。1978年助教授。1980年慶應義塾大学文学部助教授。1985年教授。2008年定年、日本大学藝術学部教授、2012年退職。
安芸の國 一典(あきのくに かずのり、1942年4月11日 … 安芸の國 一典(あきのくに かずのり、1942年4月11日 - 没年不明)は、広島県広島市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は真藤 和典(しんとう かずのり)。184cm、98kg。最高位は西十両9枚目。得意技は 右四つ、吊り。 1959年3月場所に初土俵。1965年5月場所の幕下優勝によって、翌7月場所に十両昇進。十両連続在位11場所目の1967年3月場所、東十両12枚目で8勝7敗と勝ち越したにもかかわらず、場所後に関取の人数を16人削減する方針のため、続く5月場所では東幕下筆頭に降格させられた。勝ち越したにもかかわらず幕下降格となった力士は安芸の國含め3人いた中、安芸の國が最高位であった。
新井 英治(あらい えいじ、1941年12月23日 - )は… 新井 英治(あらい えいじ、1941年12月23日 - )は、日本のトロンボーン奏者。スタジオ・ミュージシャン。広島県広島市出身。 武蔵野音楽大学在学中にプロとしてデビューする。 東京ユニオン、ニューブリード等のバンド活動を経て、1969年からフリーの音楽家としてコンサートや公演等への参加を開始する。主に1970年代から80年代にかけては、スタジオ・ミュージシャンとして膨大な数のレコーディングに参加するようになる。また、トロンボーン音楽教室やビッグバンドのコーチなども積極的に行っている。ほか、東京ディズニーランドの音楽監督や「夜のヒットスタジオ」の音楽監督および指揮、アレンジ等も担当している。 演奏家のあいだでは″チャンピオン″の愛称で知られる。
山下 威士(やました たけし、1941年11月6日 - )は… 山下 威士(やました たけし、1941年11月6日 - )は、日本の憲法学者・法哲学者。新潟大学名誉教授。 広島県広島市出身。1945年広島市への原爆投下を経験し、その後の法学者としての思想に影響を与える。1960年広島県立広島観音高等学校卒業。1964年中央大学法学部卒業。1966年同大学院法学研究科修士課程修了。1970年早稲田大学大学院法学研究科公法学博士課程中退。 1987年「カール・シュミット研究 危機政府と保守革命運動」で法学博士(早稲田大学)の学位を取得。 1970年埼玉大学教養部講師(社会思想史担当)、中央大学法学部通信教育課程インストラクターを兼任。1971年教養部助教授、1982年新潟大学法学部教授(憲法・比較憲法学)、1993年同大学院現代社会文化研究科教授、1995年同法学部長、2000年同学長補佐、2004年同大学院実務法学研究科(法科大学院)長・同教授(法学概論・正義論など担当)、2007年同定年退官、同名誉教授。
有本 章(ありもと あきら、1941年10月26日 - )は… 有本 章(ありもと あきら、1941年10月26日 - )は、日本の教育社会学者、広島大学名誉教授。元日本高等教育学会会長。専門は教育社会学(高等教育論)。 広島県広島市生まれ。1964年広島大学教育学部卒業。1969年広島大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。1985年「マートン科学社会学の研究 そのパラダイムの形成と展開」で広島大学より教育学博士の学位を取得。第1次新渡戸フェロー、大阪教育大学助教授、教授、1988年広島大学高等教育研究開発センター教授、2001年日本高等教育学会会長、2004年定年退官、特任教授、センター長、文部科学省21世紀COEプログラム拠点リーダー等、名誉教授、比治山大学高等教育研究所長・教授、日本学術会議連携委員。
深山 英樹(ふかやま ひでき、1941年(昭和16年)10月… 深山 英樹(ふかやま ひでき、1941年(昭和16年)10月25日 - )は、広島県広島市出身の実業家。広島ガス社長、広島商工会議所会頭などを務める。
小島 秀夫(こじま ひでお、1941年8月13日 - 202… 小島 秀夫(こじま ひでお、1941年8月13日 - 2022年5月13日)は、日本のヴァイオリニスト、指揮者。広島県広島市出身。元広島交響楽団首席コンサートマスター。 広島市東雲に生まれ、3歳の頃に広島市への原爆投下で被曝する。流しのギターに憧れを抱いて楽器をせがんでいたところ、学校の先生の勧めで8歳の頃よりヴァイオリンを始める。中学時代はスポーツに夢中になり、一時期楽器から離れるが、高校は広島音楽高等学校に進学。 高等卒業後、武蔵野音楽大学で福元裕、ヴォルフガング・シュタフォンハーゲンに師事。大学卒業後、1964年にNHK交響楽団に入団。ベルリン国立音楽大学室内楽科へ入学し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団第1コンサートマスター、レオン・シュピーラー(フィンランド語版)に師事。
上 久雄(かみ ひさお、1941年6月28日 - )は、広島… 上 久雄(かみ ひさお、1941年6月28日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手(DF、MF)・監督。 広島市立国泰寺中学校を経て、広島山陽高校では渡部英麿監督の指導を受けた。卒業後は寺西忠成監督に誘われ、1960年に八幡製鉄サッカー部へ入部。身体能力に優れ、ハードタックルと空中戦に強さを発揮。渡辺正・宮本輝紀らと共に主力選手として活躍し、ストッパーとして相手チームのエースのマークを任され、1966年と1967年には2年連続で「年間優秀11人賞」に選出される。日本代表では主にハーフバックとして活躍し、東京五輪では代表初のベスト8進出に貢献。メキシコシティ五輪は予選こそレギュラーとして出場したが、本戦では登録メンバーから外れた。
桑田 隆幸(くわた たかゆき、1941年6月26日 - )は… 桑田 隆幸(くわた たかゆき、1941年6月26日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー日本代表選手・指導者(JFA公認C級コーチ)。日本サッカーリーグ(JSL)初代アシスト王。 父親がハルビンの商社に勤務していたため満洲で生まれた。1945年終戦に伴い帰国、母の郷里・広島市で育つ。父もサッカー選手、母もバレーボールの選手で、父は後に広島サッカー友の会理事長を務め、当地の小学生のサッカー普及に尽力した。1947年、戦後復活第一回の全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)で、広島高等師範学校附属中学(現・広島大学附属高校)が超中学級の長沼健、木村現、樽谷恵三の三羽烏を擁して圧倒的な強さをみせ初優勝した。
三夏 紳(みなつ しん、1941年6月13日 - )は、日本… 三夏 紳(みなつ しん、1941年6月13日 - )は、日本の俳優、歌手である。広島県広島市出身。日本大学藝術学部卒業。大映ニューフェース第15期生。旧芸名は三夏 伸。本名は山田 義郎。1962年の映画『雪の降る町に』でデビュー。劇団三松座座長。 『座頭市物語』撮影時、ロングショットの場面で勝新太郎の代役(ノンクレジット)を務めたことがあり、その縁から『快傑ズバット』では座頭市のパロディ的な悪役・地獄市を演じている。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
皇 達也(すめらぎ たつや、1941年(昭和16年)5月4日… 皇 達也(すめらぎ たつや、1941年(昭和16年)5月4日 - 2021年(令和3年)3月20日)は、日本のテレビプロデューサー。ジャパン・コンテンツ・コンサルティング代表取締役社長。 テレビ朝日事業局長、取締役制作局長歴任後、テレビ朝日サービス代表取締役社長を務めた。テレ朝の天皇の異名で知られた。 父は元広島大学学長で教育学者の皇至道。叔父も東北大学名誉教授で、玉川大学文学部長を務めた教育学者の皇晃之。 広島県出身。広島大学附属中学校・高等学校、慶應義塾大学文学部卒業。慶應在学中からNETテレビ(日本教育テレビ。後のテレビ朝日)でアルバイトをしており、卒業後の1964年、社員に登用され正式に同局入社。
松尾 雅彦(まつお まさひこ、1941年2月20日 - 20… 松尾 雅彦(まつお まさひこ、1941年2月20日 - 2018年2月12日)は、日本の実業家。広島県広島市出身。 カルビー第3代社長。「カルビー中興の祖」。スマート・テロワール(農村自給圏構想)提唱者。 カルビー創業者松尾孝の三男。広島市楠木町(現西区)で生まれる。 1945年8月6日、4歳の時に広島市への原子爆弾投下により被爆。自宅近くで母と一緒に疎開する荷物を積んだ馬車の上にいた(爆心地から1.5km)ものの、両側の家屋が倒壊したことでそれに遮られて助かったという。松尾は被爆後の火の粉で軽い火傷をおったが怪我はそれだけで、三篠橋から旧太田川に入り夕方まで過ごした。母と一緒に筏につかまっていると、貴重品袋に入っていた砂糖が溶けて流れていった様子を鮮明に覚えている、とのちに回想している。
梁川 郁雄(やながわ いくお、1941年1月10日- )は、… 梁川 郁雄(やながわ いくお、1941年1月10日- )は、広島市出身で、1960年代に阪急ブレーブスと広島カープでプレーしたプロ野球選手である。現役時代のポジションは、外野手。
宮本 輝紀(みやもと てるき、1940年12月26日 - 2… 宮本 輝紀(みやもと てるき、1940年12月26日 - 2000年2月2日)は、広島県広島市宇品(現・南区宇品)出身(広島市段原山崎町生まれ)の元サッカー選手(MF)・コーチ・監督。日本代表の攻撃的ミッドフィールダーとしてメキシコ五輪銅メダル獲得に貢献し、日本最初のゲームメーカーとも呼ばれる。 1945年8月6日、4歳の夏に爆心地から約2kmの段原山崎町で被爆し、一緒に遊んでいた弟を亡くした。張本勲も近所で被爆している。終戦後は宇品に引越して広島市立千田小学校に入学し、千田小の同期に岡光龍三、一学年上に後に山陽高→八幡→新日鐵と同じ道を歩む大石信幸がいた。広島市立国泰寺中学校時代に大学生にサッカーを教えてもらったことがきっかけでサッカー部に転部し、国泰寺中の一学年上に野村六彦、同期に今西和男がいた。
丹羽 洋介(にわ ようすけ、1940年10月10日 - )は… 丹羽 洋介(にわ ようすけ、1940年10月10日 - )は、中国上海市生まれ、広島県広島市出身の元サッカー日本代表選手・指導者。 3人兄弟の末っ子。父親は上水道技師で、上海で、のち広島で水道事業に関わっている。そのため上海で生まれ、1944年4歳の時から広島で生活し、太平洋戦争末期に愛知県江南市に疎開していた。そのため広島市への原子爆弾投下からは逃れている。ただ父親は当時広島で働いており、被爆者となってしまった。 広島に戻り広島大学附属小学校へ進学するとサッカーを始める。小学校の1学年上が鬼武健二、1学年下が桑田隆幸と野村尊敬、2学年下が小城得達になる。その後広島大学附属中学校・高等学校と上がる。
三原 新二郎(みはら しんじろう、1940年7月20日 - … 三原 新二郎(みはら しんじろう、1940年7月20日 - )は、広島県広島市己斐(現西区己斐)出身の高校野球指導者である。広島県山陽高校野球部元監督。
張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、… 張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者・野球評論家、日本プロ野球名球会会員、韓国野球委員会(KBO)コミッショナー特別補佐官。在日韓国人二世であり、本名は張 勲(読みがな:チャン・フン、ハングル:장훈)。
松田 文子(まつだ ふみこ、1940年5月7日 - )は、日… 松田 文子(まつだ ふみこ、1940年5月7日 - )は、日本の心理学者。学校法人福山大学副理事長。福山大学人間文化学部心理学科元教授、同学元学長、同学元顧問。広島大学名誉教授。 広島県広島市生まれ。1963年3月、広島大学教育学部心理学科卒業。1971年3月、同大学大学院教育学研究科教育心理学専攻博士課程後期修了。 広島女子大学児童学科助教授、鳴門教育大学学校教育学部教授を経て、1993年4月に広島大学教育学部教授に就任。2001年4月、同大学大学院教育学研究科教授。 2004年4月、福山大学人間文化学部教授。2009年4月、同大学副学長に就任。2010年6月、同大学学長に就任。2021年4月、同大学顧問に就任。
北浦 昭義(きたうら あきよし、1940年〈昭和15年〉4月… 北浦 昭義(きたうら あきよし、1940年〈昭和15年〉4月10日 - )は、日本の俳優。本名同じ。身長174cm。芸映所属。柔道二段。 長崎県生まれ、広島県広島市育ち。1945年5歳の夏、広島市の爆心地から1.9キロ南の自宅で被爆。軽い火傷だけで一命を取りとめる。被爆者手帳を持つ。広島大学附属高等学校から一橋大学を目指すが失敗し、一浪後、日本大学芸術学部演劇科に入り同大学卒。在学中の1966年、森繁久彌主演の東宝「駅前シリーズ」『喜劇 駅前競馬』でデビューした。以降、様々な映画やテレビで地味な役に徹した。役柄はサラリーマン、刑事、教師、酒場のマスターなどが多く、1980年代に"中年男の哀愁を演じる俳優"としてマスメディアに取り上げられた。
野村 六彦(のむら むつひこ、1940年2月10日 - )は… 野村 六彦(のむら むつひこ、1940年2月10日 - )は、広島県広島市出身の元日本代表サッカー選手。元日立(現柏レイソル)所属。日本サッカーリーグ(JSL)初代得点王。ポジションはFW又はMF。 実家は老舗の文具店。広島市立袋町小学校を経て、広島市立国泰寺中学校へ進む。小学校6年までは野球をやっていたが、周りから、せっかくサッカーの名門国泰寺に入ったんだから男らしいサッカーをやろうと誘われ、サッカー部に入部。一年生は30数人いたが、基礎練習の反復が面白くなく3日で8人に減った。野村もその1人だったが、負けたようで悔しく再入部する。宮本輝紀、今西和男らも同中学出身。卒業後は、当時"広島三強"といわれた国泰寺高、広大附属、修道に負けないサッカー部をと強化していた広島舟入高校の校長に誘われ同校に進学。
岡光 龍三(岡光竜三、おかみつ りゅうぞう、1940年 - … 岡光 龍三(岡光竜三、おかみつ りゅうぞう、1940年 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手(FW)・指導者。 広島市立千田小学校時代の同級に宮本輝紀、一学年上に大石信幸がいる。 高校は宮本や大石とともに広島山陽高等学校に進学し、渡部英麿から指導を受ける。1957年、1958年国体準優勝に貢献。特に1958年大会決勝は杉山隆一がいた静岡県立清水東高等学校との対戦で、当時話題となった。 大学は中央大学に進学した。サッカー部に在籍し、同郷の野村六彦・小城得達・桑原楽之らと活躍した。第42回天皇杯全日本サッカー選手権大会で決勝進出、決勝の相手は長沼健・平木隆三・川淵三郎・宮本征勝・鎌田光夫・保坂司と日本代表を揃え三連覇を狙った古河電工で、岡光は決勝点を決め中大優勝に貢献した。
鬼武 健二(おにたけ けんじ、1939年9月19日 - )は… 鬼武 健二(おにたけ けんじ、1939年9月19日 - )は、広島市西区天満町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)専務理事、同第3代目理事長(Jリーグチェアマン)。 ヤンマーディーゼルサッカー部の攻撃サッカーを築いた名将で、日本サッカーリーグ(JSL)で通算93勝を挙げたJSL最多勝監督。 また、セレッソ大阪の創設、Jリーグ入りを総責任者として尽力した。 広島大学附属高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。 現役時代は162センチの俊足フォワードとして活躍、主にウィンガーとしてプレーした。高校時代の同級生は高重清純、一つ下は丹羽洋介、2つ下は桑田隆幸、野村尊敬がいた(ちなみに鬼武をサッカー部へ誘ったのが高重と野村である。
大石 信幸(おおいし のぶゆき、1939年9月12日 - )… 大石 信幸(おおいし のぶゆき、1939年9月12日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手。ポジションはFW。 広島市立千田小学校の一学年下の宮本輝紀、岡光龍三らと山陽高等学校に進学し1957年、主将として国体準優勝。八幡製鉄サッカー部でも1963年、1964年度全日本実業団サッカー選手権大会2連覇、1964年度の天皇杯優勝に貢献。1965年創設された日本サッカーリーグ(JSL)一年目は桑田隆幸(東洋工業)と並んで11得点を挙げ、得点王・野村六彦(日立)に次ぐ得点2位と、初年度の得点王争いは全員広島出身者だった。
迫田 穆成(さこた よしあき、1939年7月3日 - )は、… 迫田 穆成(さこた よしあき、1939年7月3日 - )は、高校野球の指導者(監督)である。
山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2… 山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2016年9月17日)は、広島県広島市出身のプロ野球選手(外野手)・監督、野球評論家。
三宅 一生(みやけ いっせい、Issey Miyake、19… 三宅 一生(みやけ いっせい、Issey Miyake、1938年〈昭和13年〉4月22日 - 2022年〈令和4年〉8月5日)は、日本のファッションデザイナー。広島県広島市東蟹屋町(現在の同市東区)出身。 広島市立尾長小学校在学中7歳のとき被爆。広島大学附属東雲中学校~広島県立広島国泰寺高等学校卒業。小学校高学年のときの担任が絵の先生で、絵を描く楽しさを教えてもらう。広島の美術館や岡山県倉敷の大原美術館にもよく通った。ルオーが好きだったという。周囲から「将来は絵描きになるの?」とよく聞かれたが、絵描きは貧乏イメージがあったから、大人になってからの職業にしようとは考えなかった。また当時は被爆都市を励ますという意味での宝塚の広島公演がよくあり、5歳上の姉に連れて行ってもらった。
天野 正子(あまの まさこ、1938年3月10日 - 201… 天野 正子(あまの まさこ、1938年3月10日 - 2015年5月1日)は、日本の社会学者。お茶の水女子大学名誉教授。前東京家政学院大学・大学院学長。専攻はジェンダー社会学、歴史社会学、新しい社会運動論。現代生活者論。教育社会学者の天野郁夫(東京大学名誉教授)は夫。政治学者の天野拓(熊本県立大学准教授)は長男。 1938年、広島市生まれ。1961年、お茶の水女子大学文教育学部(教育社会学専攻)卒業、1970年、東京教育大学文学研究科社会学専攻(修士課程)修了(社会学修士)、1973年、東京教育大学文学研究科(博士課程)中途退学。1973年、南山短期大学専任講師、1978年、金城学院大学文学部助教授、1983年、金城学院大学文学部教授。
上田 由美子(うえだ ゆみこ、1938年1月23日 - )は… 上田 由美子(うえだ ゆみこ、1938年1月23日 - )は、日本の詩人、エッセイスト、画家。 広島県広島市に生まれる。1945年、原爆投下の数日後に広島市内を横切り入市被曝。詩「一枚のハガキ」で第7回白鳥省吾賞の最優秀賞受賞。詩集『八月の夕凪』の著者。 2017年 戦争や災害による犠牲者を追悼する「レクイエム・プロジェクト」の混声合唱曲「生きとし、生けるものへ」の作詞を手がける。作曲は、上田益。同曲は、3月5日に広島県民文化センターで、また8月6日に長崎市民会館文化ホールで公演された。8月6日、上田由美子は詩朗読と講演を1000に近い参加者の前で行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。