上田 正造(うえだ しょうぞう、1975年2月5日 - )は… 上田 正造(うえだ しょうぞう、1975年2月5日 - )は、山口県宇部市出身の元プロ野球ゼネラルマネージャー、事業家。家庭内の事情から姓の変更をしたため、現在の名前は竹下 正造。 2008年に設立された野球チーム紀州レンジャーズ(2009年より関西独立リーグ (初代)に加入)の運営母体、株式会社紀州レンジャーズの取締役兼任ゼネラルマネージャー就任。 2009年2月20日、同じリーグの新球団である神戸9クルーズへ執行役員常務として移籍した。これは関西独立リーグから球団運営の経営手腕を評価されてのものだったが、同年6月、神戸を運営する株式会社神戸ベースボールクラブから解任される。 2011年4月、四国アイランドリーグplusに所属する徳島インディゴソックスの事業統括兼任ゼネラルマネージャーに就任。
三浦 昇(みうら のぼる、1970年7月5日 - )は、日本… 三浦 昇(みうら のぼる、1970年7月5日 - )は、日本の政治家、実業家。テリンクスドットコム代表取締役。衆議院議員(1期)、山口県議会議員(1期)を務めた。 山口県宇部市生まれ。宇部市立琴芝小学校、宇部短期大学付属中学校(のちの宇部フロンティア大学付属中学校)を経て、1989年(平成元年)3月に同香川高等学校(のちの宇部フロンティア大学付属香川高等学校)を卒業。早稲田大学に進学したいと考えていたため同大学を受験したものの不合格に終わる。のちに、「一浪したのに大学受験に失敗し、しかも、当時付き合っていた彼女と駆け落ち同然の『恋の逃避行』まで演じたあげく結局は、専門学校へ入学」したと述べている。
峯 一雄(みね かずお、1961年9月26日 - )は、構成… 峯 一雄(みね かずお、1961年9月26日 - )は、構成作家で放送作家集団カンケリクラブの社長。山口県宇部市出身。法政大学卒業。 そのほか、NHK「サッカー日本代表特番」、TBS「あの人はいま特番」、DVD「横峯さくら・良郎 娘をプロゴルファーにする方法」などを手がける。
花岡 利夫(はなおか としお、1951年〈昭和26年〉4月6… 花岡 利夫(はなおか としお、1951年〈昭和26年〉4月6日 - )は、日本の政治家、和洋菓子店経営者。長野県東御市長(5期)。 山口県宇部市出身。山口県立宇部高等学校卒業。信州大学農学部中退。大学在学中に知り合った妻の実家の菓子店に入る。地元産クルミを使った商品で事業を拡大したという。また、参議院議員の秘書や東御ロータリークラブの会長などをつとめたこともある。 2008年(平成20年)4月13日に行われた東御市長選挙に出馬し、現職の土屋哲男を破り初当選。4月25日、市長に就任。2012年(平成24年)、無投票で2期目の当選。2016年(平成28年)、3選。2020年(令和2年)の同選挙で元市議の若林幹雄を破り4選。
千葉 泰久(ちば やすひさ、1944年〈昭和19年〉3月22… 千葉 泰久(ちば やすひさ、1944年〈昭和19年〉3月22日 - )は、日本の経営者。宇部興産(現:UBE)相談役、日本化学会フェロー(元副会長)、日本商工会議所監事、宇部商工会議所会頭。 宇部市出身。山口県立宇部高等学校を経て東京大学工学部を卒業後、1968年(昭和43年)4月に宇部興産入社。1997年(平成9年)4月に化学・樹脂事業本部開発部長となり、同年6月、取締役に選任。 2001年(平成13年)6月の株主総会で取締役を退任し、常務執行役員化学生産本部長に就任。その後2003年(平成15年)6月に再び取締役(専務待遇)に選任、専務執行役員化学生産本部長および研究開発本部長兼次世代事業開発室担当となる。
藤野 清(ふじの きよし、1931年〈昭和6年〉 - )は、… 藤野 清(ふじの きよし、1931年〈昭和6年〉 - )は、日本の実業家、技術コンサルタントである。元宇部興産(現・UBE)専務取締役。 1931年(昭和6年)、山口県宇部市に生まれる。 終戦間近の1944年(昭和19年)、広島県広島市の広島陸軍幼年学校へ入校するが、翌1945年(昭和20年)6月に阿南惟幾陸軍大臣(当時)の命を受けて広島から疎開し、2ヶ月後の広島市への原子爆弾投下による被爆を免れた。藤野はこれを「お前たちは敗戦後の日本の復興に努力せよ」との遺言と受け止めている。 終戦後、九州大学工学部機械工学科へ進学し、1953年(昭和28年)に卒業。同年宇部興産に入社し、同社機械部門に配属される。
二木 謙吾(ふたつぎ けんご、1897年〈明治30年〉1月1… 二木 謙吾(ふたつぎ けんご、1897年〈明治30年〉1月1日 - 1983年〈昭和58年〉12月22日)は、日本の政治家、教育者、実業家。初代学校法人宇部学園理事長、宇部興産顧問、山口県議会議長、参議院議員(3期)、大蔵政務次官、自由民主党両院議員総会長。 1897年(明治30年)、宇部村(現宇部市)に生まれる。福岡県で炭鉱業に参画するが経営的には失敗し帰郷、山口師範学校本科第一部を卒業し教員に転身する。教育者としての頭角を現した二木は、公立学校長など要職を務めるうちに宇部市の教育界で信頼を得、1942年(昭和17年)12月に蔵原経智から宇部女子商業学校の学校運営を受託、同校の理事長兼校長に就任し学校経営に参入する。
中安 閑一(なかやす かんいち、1895年〈明治28年〉4月… 中安 閑一(なかやす かんいち、1895年〈明治28年〉4月5日 - 1984年〈昭和59年〉1月31日)は、日本の経営者。宇部興産株式会社(現:UBE株式会社)会長、経済団体連合会常任理事、日本経営者団体連盟常任理事、経済企画庁経済審議会専門委員、産業機械統制会理事技術部長。 山口県宇部市出身である。宇部尋常高等小学校を卒業後、山口中学校に入学。中学時代は模型飛行機作りに熱中しながら勉学に励んだといい、卒業後は機械工学を学ぶため東京高等工業学校機械科(現・東京工業大学工学部)に入学した。 1918年(大正7年)3月に東京高等工業を卒業すると、三菱重工業に入社した。当時は戦争景気に沸き高給を約束してくれる会社も多かったが、当時三菱がイスパノシーザーと呼ばれる飛行機を製造していたことから入社を決めたという。
俵田 明(たわらだ あきら、1884年〈明治17年〉11月1… 俵田 明(たわらだ あきら、1884年〈明治17年〉11月13日 - 1958年〈昭和33年〉3月21日)は、日本の実業家、UBE (旧・宇部興産)初代社長。 山口県宇部市出身。士族・俵田勘兵衛の二男。俵田家は宇部領主福原氏家臣の家であったが、他の士族と同様に没落の一途を辿っていた。 興成義塾卒業後は、高輪の大村徳敏の家に書生として住み込みながら築地の工手学校を卒業。その後、電気技術者として陸軍砲兵工廠に職を得るが、1915年(大正4年)、渡辺祐策の誘いを受け沖ノ山炭鉱に入社。炭鉱技師として炭鉱経営に携わる。1928年(昭和3年)に専務に就任し、1942年(昭和17年)に沖ノ山炭鉱、宇部窒素工業、宇部鉄工所、宇部セメント製造を統合して宇部興産を設立し、同社の初代社長に就任した。
秋田 寅之介(あきた とらのすけ、旧姓・秋富、1875年〈明… 秋田 寅之介(あきた とらのすけ、旧姓・秋富、1875年〈明治8年〉4月1日 - 1953年〈昭和28年〉9月11日)は、日本の政治家(衆議院議員、下関市会議員・同議長)、資産家、実業家。秋田商会社長。族籍は山口県平民。 山口県厚狭郡藤山村(現・宇部市)生まれ。秋富傳五郎の二男。秋富久太郎の弟。11歳の時叔父の許に小僧となり追い使われるが、忠実に働いて僅かな暇にも『立志伝』を読む。 1893年、19歳で先代松次郎の養子となる。1917年、家督を相続する。家業の海運業に従事する傍ら、海陸産物の売買にも事業を拡げる。日清戦争中には食糧・雑貨などを朝鮮、満州方面へ輸送し、戦後は台湾へ木材や食糧を販売して大きな利益を得る。
高良 宗七(こうら そうしち、1872年2月15日(明治5年… 高良 宗七(こうら そうしち、1872年2月15日(明治5年1月7日)– 1946年(昭和21年)8月13日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。 山口県厚狭郡小串村(宇部村を経て現宇部市)で、農業、鉱山業・高良政右衛門の長男として生まれる。山口西鄙黌で学んだ。1904年(明治37年)家督を相続した。 山陽採炭 (株) を設立し、1900年(明治33年)に第二鵜ノ島炭礦、1907年(明治40年)西沖ノ山炭礦、1913年(大正2年)大正炭礦を起業して各頭取となり、1925年(大正14年)採掘完了に伴い辞任した。また、1912年(明治45年)6月、広島の矢部銀行を買収して宇部銀行に改称して取締役となり、1927年(昭和12年)頭取に就任し、1944年(昭和19年)他行と合併して山口銀行が設立されるまで在任した。
藤本 閑作(ふじもと かんさく、1867年11月26日(慶応… 藤本 閑作(ふじもと かんさく、1867年11月26日(慶応3年11月1日)- 1936年(昭和11年)12月12日)は、明治から昭和初期の政治家、実業家、銀行家。宇部銀行頭取。貴族院多額納税者議員。族籍は山口県士族。 藤本蔓平の長男として後の長門国厚狭郡宇部村(現在の山口県宇部市)に生まれた。岩国の東沢瀉塾で学んだ。漢学を修めた。1877年(明治10年)7月に家督を相続する。 1896年(明治29年)以降、石炭鉱業を経営し、宇部電気、宇部銀行、宇部鉄工所各取締役、宇部村信用購買販売組合理事のほか、宇部商工会議所議員、防長林業、宇部セメント(後の宇部興産、現在のUBE/UBE三菱セメント)各取締役、大和護謨栽培監査役などを務める。
渡邊 祐策(渡辺 祐策、わたなべ すけさく/ゆうさく、元治元… 渡邊 祐策(渡辺 祐策、わたなべ すけさく/ゆうさく、元治元年6月16日(1864年7月19日) - 昭和9年(1934年)7月20日)は、日本の実業家、政治家(立憲政友会)。UBE(旧・宇部興産)の前身である冲ノ山炭鉱組合の創業者。旧姓・國吉。 幕末の長門国厚狭郡船木宰判の小串村(現在の山口県宇部市)で國吉恭輔(その後、福原家家臣渡邊詠蔵の渡邊家を継いだため、渡邊姓となる)の次男として生まれる。國吉家は畔頭ながらも苗字帯刀を許された家柄であったが、祖父に当たる國吉藤輔が周辺集落一体を焼き尽くす火事を起こしたために財産を失い、また明治維新以降他の士族と同様に俸禄を失ったことにより生活は苦しかったという。