堂前 宣夫(どうまえ のぶお、1969年 - )は、日本の実… 堂前 宣夫(どうまえ のぶお、1969年 - )は、日本の実業家。山口県岩国市出身。マッキンゼー・アンド・カンパニー、ファーストリテイリング取締役などを経て、2019年良品計画に上席執行役員営業本部長として入社、2021年9月代表取締役社長、2024年11月より会長。2025年11月退任。 1993年 東京大学大学院修士課程(人工知能研究)修了後、マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパン入社。98年9月にファーストリテイリングに入社、同年11月に29歳で同社取締役に、翌7月に30歳で常務取締役に就任。2004年同社副社長。フランス、アメリカ子会社の代表を務め、海外事業をけん引した。ディー・エヌ・エー社外取締役やマネックスグループ社外取締役などを歴任し、2019年2月に良品計画入社。
上田 輝久(うえだ てるひさ、1957年5月14日 - )は… 上田 輝久(うえだ てるひさ、1957年5月14日 - )は、日本の経営者。島津製作所会長を務めている。 山口県岩国市出身。京都大学工学部工業化学科を経て、1982年に京都大学大学院工学研究科を修了し、同年に島津製作所に入社。2011年6月に取締役に就任し、常務執行役員、専務執行役員を経て、2015年6月に社長に就任。2022年4月から会長に就任した。1995年に農学博士号を取得。
石川 祝男(いしかわ しゅくお、1955年〈昭和30年〉4月… 石川 祝男(いしかわ しゅくお、1955年〈昭和30年〉4月15日 - 2024年9月9日)は、日本のゲームクリエイター、実業家。山口県岩国市出身。学位は文学士(関西大学・1978年)。栄典はレジオンドヌール勲章シュヴァリエ。 株式会社バンダイナムコゲームス(現・株式会社バンダイナムコエンターテインメント)代表取締役社長、株式会社バンダイナムコホールディングス代表取締役社長兼CEOなどを歴任した。 砂利の運送会社を営む家庭に生まれ、へその緒が首に巻きつく危険な状態から助産師に叩かれやっと産声を上げためでたさから、祖父により「祝男」と名付けられた。 年少期から中学時代までは岩国市で育ち、広島市の楽々園遊園地でゲーム機に親しんだ。
兼重 宏行(かねしげ ひろゆき、1951年〈昭和26年〉9月… 兼重 宏行(かねしげ ひろゆき、1951年〈昭和26年〉9月13日 - )は、日本の実業家、経営者。兼重オートセンター(のちの株式会社ビッグモーター)創業者。株式会社ヤクルト山口工場代表取締役社長、株式会社ハナテン取締役会長、株式会社ビッグモーター代表取締役社長などを歴任した。 1951年、山口県岩国市で、上に姉と兄2人がいる4番目の子として生まれた。実家は、畑仕事をしたり、近くの川でシロウオや貝、アサリなどを採って生計を立てていた。地元の小中学校を経て、岩国工業高校に進学。1970年に高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。隊所属時代に結婚し、程なく退職。その後、大手自動車ディーラーで勤務した。 1976年1月に出身地の山口県岩国市南岩国町において兼重オートセンターを創業。
十時 啓視(ととき けいし、1936年4月25日 - 200… 十時 啓視(ととき けいし、1936年4月25日 - 2001年9月27日)は、光写真印刷株式会社の元社長。プロ野球選手。引退後の姓は「惟村(これむら)」。 山口県岩国市出身。岩国高校では、1953年秋季中国大会準決勝に進むが、広島観音高に延長13回サヨナラ負け。翌1954年夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが、萩高に延長16回敗退、甲子園には出場できなかった。 卒業後、1955年に読売ジャイアンツに入団。1956年に一軍に上がり、8月から右翼手として16試合に先発出場。同年の西鉄との日本シリーズは4試合に出場し2四球を選ぶ。1957年の西鉄との日本シリーズでは第1戦、第4戦に代打で起用され連続安打。
嘉屋 實(かや みのる、1917年1月1日 - 2002年1… 嘉屋 實(かや みのる、1917年1月1日 - 2002年12月3日)は、日本の経営者。 山口県岩国市出身。広島高等学校を経て1939年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年、日本鉱業に入社した。短期現役海軍主計科士官(3期)を志願。同年10月、海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。1940年3月に経理学校を卒業。1941年10月、主計大尉、1944年11月、海軍主計少佐に進み終戦を迎えた。 1965年8月に共同石油に転じ、取締役に就任し、常務、専務を経て、1978年6月に副社長に就任し、1983年6月には社長に昇格した。1985年11月に会長に就任し、1990年6月から相談役を務めた。
重宗 雄三(しげむね ゆうぞう、1894年(明治27年)2月… 重宗 雄三(しげむね ゆうぞう、1894年(明治27年)2月11日 - 1976年(昭和51年)3月13日)は、日本の政治家、実業家。 参議院議長(第8-10代)、参議院副議長(第4代)、運輸大臣(第24代)を歴任。 山口県岩国市出身。1912年(明治45年)3月、東京高等工業学校附属工業補習学校(現東工大附属高専攻科)を卒業して兄重宗芳水が創業した明電舎に入社、1938年(昭和13年)社長。1946年(昭和21年)8月14日、貴族院議員に勅選され、交友倶楽部に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任。同郷の岸信介、佐藤栄作兄弟に懇請される形で1947年4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し、当選する。
中嶋 勝一(なかしま かついち、1892年(明治25年)9月… 中嶋 勝一(なかしま かついち、1892年(明治25年)9月23日 - 1965年(昭和40年)9月27日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。中島と表記する事例がある。 山口県玖珂郡川越村(周東町を経て現岩国市周東町)で、中嶋佐吉の長男として生まれる。小学校を卒業した。 下関唐戸乾物商業組合理事、日満大豆製粉工業取締役社長、中嶋重石鉱業取締役社長、日満食品工業取締役社長、仁田鉱山取締役などを務めた。 政界では、下関市会議員に選出され、同副議長も務めた。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で山口県第2区から民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。この間、民主党山口県支部長などを務めた。
嶋谷 徳三郎(島谷 徳三郎、しまたに とくさぶろう、1867… 嶋谷 徳三郎(島谷 徳三郎、しまたに とくさぶろう、1867年12月2日〈慶応3年11月7日〉 - 1928年〈昭和3年〉5月20日)は、日本の実業家、資産家、山口県多額納税者。嶋谷汽船株式会社の創立者で社長を務めた。族籍は山口県平民。 周防国玖珂郡由宇村(現・山口県岩国市)に、廻船業を営む徳右衛門の長男として生まれる。若い頃から父の下で家業を習得する。 1889年、父・徳右衛門が亡くなり、徳三郎は22歳で家督を相続して家業を継承した。徳三郎は1895年に、それまで保有していた和式帆船を売却して、日本郵船から中古の蒸気船「浦門丸」(元はイギリス製で土佐藩が購入)を購入する。当時、由宇の廻船業者はすべて和式帆船を使い、高額な蒸気船の導入をためらっていた中で、徳三郎は親族の反対を押し切って実行した。
藤岡 市助(ふじおか いちすけ、安政4年3月14日〈1857… 藤岡 市助(ふじおか いちすけ、安政4年3月14日〈1857年4月8日〉 - 大正7年〈1918年〉3月5日)は、日本の工学者・実業家。東京電気株式会社(後の東芝)創業者。日本に電気および電球灯を普及させた功績があり、「日本のエジソン」、「電力の父」と評される。 安政4年3月14日(1857年4月8日)、周防国岩国(現在の山口県岩国市)に生まれた。父は岩国藩士の藤岡喜介、母はウメであり、市助は長男だった。慶応元年(1865年)には岩国藩藩校の養老館に入った。 14歳だった1871年(明治4年)には新設された岩国兵学校に入学し、1872年(明治5年)には岩国英国語学所に移った。1873年(明治6年)には英語教師がいなくなったことで、しばらく藤岡が英語の授業を担当したという逸話もある。
松下 秀司(まつした しゅうじ)は日本の実業家である。そごう… 松下 秀司(まつした しゅうじ)は日本の実業家である。そごう・西武、阪急阪神百貨店などに在籍し、そごう神戸店最後の店長、神戸阪急(2019年以降)の初代店長を務めた。 山口県岩国市出身。1980年(昭和55年)3月に広島修道大学を卒業後、株式会社そごう(社長:水島廣雄)に入社し、神戸店に配属された。広島からやってきた当時、雑誌には神戸在住の読者モデルが多数登場してエレガンスなスタイルが掲載されており、おしゃれな街に驚いたという。婦人服の担当が長く、ほぼ全ての婦人服アイテムを担当した。当時は珍しかった自主編集売場を2か所作ったこともある。それまで問屋から商品を仕入れていたので慣れないながら、この自主編集売場を作るため、商品のタグの裏にある電話番号に電話して自らで商品を仕入れたのが一番大変な仕事だったという。