勝沼 栄明(かつぬま しげあき、1974年11月26日 - … 勝沼 栄明(かつぬま しげあき、1974年11月26日 - )は、日本の政治家、医師、元陸上自衛隊予備自衛官(予備一等陸尉)。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。 自民党北海道連の主催するHOKKAIDO政治塾の第2期生である。 香川県高松市生まれ(現住所は宮城県石巻市中央一丁目)。私立聖光学院中学校・高等学校卒業。2000年北海道大学医学部医学科卒業後、北海道大学病院形成外科に入局した。専門は形成外科である。 2011年の第17回統一地方選挙において、北海道議会議員選挙に札幌市西区より自民党公認で立候補するが、落選。 2012年の第46回衆議院議員総選挙では、自民党の比例北海道ブロックの比例単独候補となった。
薗浦 健太郎(そのうら けんたろう、1972年6月3日 - … 薗浦 健太郎(そのうら けんたろう、1972年6月3日 - )は、日本の政治家、新聞記者。選挙活動ではそのうら健太郎の表記も用いる。 衆議院議員(5期)、衆議院財務金融委員長、内閣総理大臣補佐官(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣・第4次安倍第1次改造内閣)、外務副大臣(第3次安倍第2次改造内閣)、外務大臣政務官(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、自由民主党総裁外交特別補佐を務めた。 香川県高松市生まれ(現住所は千葉県市川市市川1丁目)。香川県立高松高等学校、東京大学法学部卒業。 1996年、読売新聞社に入社。千葉支局に配属された後、市川通信部で市川市や浦安市を担当。東京本社の社長室広報部、政治部などで勤務する。
古本 伸一郎(ふるもと しんいちろう、1965年3月11日 … 古本 伸一郎(ふるもと しんいちろう、1965年3月11日 - )は、日本の政治家。愛知県副知事。 衆議院議員(6期)、財務大臣政務官(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員長、民主党組織委員長などを歴任した。 香川県高松市生まれ。和歌山県和歌山市、大阪府高石市にて育つ。高石市立加茂小学校、高石市立取石中学校、上宮高等学校、立命館大学法学部卒業。1987年、トヨタ自動車に入社する(配属は管財部)。同社では労働組合活動にも取り組み、全トヨタ労働組合連合会やトヨタ自動車労働組合で専従の職員を務める。 2003年2月、トヨタグループ労使が中心となって運営するシンクタンク「中部産業・労働政策研究会」に主任研究員として出向。
池田 豊人(いけだ とよひと、1961年〈昭和36年〉7月1… 池田 豊人(いけだ とよひと、1961年〈昭和36年〉7月15日 - )は、日本の建設・国土交通技官、政治家。香川県知事(公選第20代)。無所属。 香川県高松市出身。香川県立高松高等学校を経て、東京大学工学部土木工学科を卒業。1986年3月、東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻修了。大学時代は橋梁を専攻した。国家公務員採用I種試験(土木)に合格し、1986年4月に建設省に入省。 2018年7月31日から国土交通省道路局長を務め、2020年8月1日退官。 2020年より京都大学客員教授。 2022年3月まで、日本製鉄顧問を務める。 2022年3月、同年夏の香川県知事選挙に自由民主党香川県連が池田を擁立する方針を決定。
住谷 幸伸(すみたに ゆきのぶ、1954年〈昭和29年〉8月… 住谷 幸伸(すみたに ゆきのぶ、1954年〈昭和29年〉8月7日 - )は日本の実業家、社会起業家、元政治家。平成レッグス株式会社代表取締役社長、日本スポーツ少年団常任委員。元高松市議会議員(4期、元議長)。元カマタマーレ讃岐代表取締役社長。 香川県高松市出身。高松商業高校ではサッカー部に所属し、高校総体に3年連続出場。3年生時は主将。1976年に弦打サッカースポーツ少年団を創設し、後身の指導に当たる一方、高松商高OBサッカークラブ(高商OBクラブ)の選手として第1回四国サッカーリーグ出場(その後、第2回、第5回に出場)。1980年、スポーツ少年団指導者協議会指導者研修で訪欧し先進的なスポーツクラブについて学ぶ。
喜岡 淳(きおか じゅん、1952年〈昭和27年〉9月19日… 喜岡 淳(きおか じゅん、1952年〈昭和27年〉9月19日 - )は、日本の政治家、人権活動家。 日本社会党参議院議員(当選1回)。香川県高松市出身。 1971年 - 高松第一高等学校卒業。1975年 - 大阪市立大学商学部卒業。 1976年 - 日本社会党に入党。香川県本部副委員長などを務める。 1983年6月 - 第13回参議院議員通常選挙で香川県選挙区から出馬し落選。1986年7月 - 第14回参議院議員通常選挙で落選。 1989年7月 - 第15回参議院議員通常選挙で初当選。1994年6月 - 村山内閣で環境政務次官に就任。 1995年7月 - 第17回参議院議員通常選挙で落選。1998年7月 - 第19回参議院議員通常選挙で比例区に転出し落選、政界引退。
鎌田 守恭(かまだ もりやす、1948年6月27日 - )は… 鎌田 守恭(かまだ もりやす、1948年6月27日 - )は日本の政治家。自民党所属の香川県議会議員。当選9回。 高松中心市街地を地盤としている数少ない県議会議員の一人。高松中央商店街の再開発を始めとした市街地活性化や観光振興に積極的に取り組んでいる。香川漆器にも造詣が深く漆芸振興策を訴えている。
増田 昌三(ますだ しょうぞう、1942年(昭和17年)8月… 増田 昌三(ますだ しょうぞう、1942年(昭和17年)8月12日 - )は、日本の政治家、地方公務員。1995年から2007年までの3期12年にわたり高松市長を務めた。 香川県高松市出身。1965年早稲田大学法学部卒。在学中は港区三田にある香川県の県人寮・香川育英会東京学生寮から通学した。同年高松市役所に入る。市図書館長、市教育委員会文化部長などを歴任。1992年に市助役に就任。 1995年の市長選挙では高松市長脇信男の後継者として全国では異例の自民・共産2党の推薦で立候補して、新進・社会・さきがけの3党が推薦する元県議の候補らを破って初当選した。1999年(無投票)と2003年の選挙でも再選した。
藤本 孝雄(ふじもと たかお、1931年〈昭和6年〉1月17… 藤本 孝雄(ふじもと たかお、1931年〈昭和6年〉1月17日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(10期)、沖縄開発庁長官、厚生大臣、内閣官房副長官、農林水産大臣などを歴任した。 香川県高松市出身。香川県立高松高等学校、東京大学法学部卒業。証券会社、日本電信電話公社勤務を経て、1963年衆院選に初当選。(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。通算当選10回。自民党内では三木→河本派に属し沖縄開発庁長官、厚生大臣、内閣官房副長官、農林水産大臣などを歴任。農水大臣時代は、諫早干潟事業続行決定に対して環境破壊との批判があった。
前川 旦(まえかわ たん、1930年〈昭和5年〉3月10日 … 前川 旦(まえかわ たん、1930年〈昭和5年〉3月10日 - 1986年〈昭和61年〉5月11日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(3期)。香川県高松市出身。 新東京国際空港(現成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった。
二宮 文造(にのみや ぶんぞう、1920年〈大正9年〉1月1… 二宮 文造(にのみや ぶんぞう、1920年〈大正9年〉1月1日 - 2006年〈平成18年〉1月27日)は、日本の政治家。香川県高松市出身。東北帝国大学法文学部中退。参議院議員(4期)。 香川県高松市錦町に生まれた。1941年(昭和16年)早稲田大学専門部政治経済科を卒業。1944年(昭和19年)東北帝国大学法文学部を中退した。同年、朝日新聞東京本社に入社し、前橋支局勤務、札幌支局勤務を経て政治経済部記者となり、1951年(昭和26年)に退社した。 1959年(昭和34年)高松市議会議員に当選。1962年(昭和37年)7月1日、第6回参議院議員通常選挙で全国区から無所属で立候補し、初当選する(以降、連続4期在任)。
脇 信男(わき のぶお、1919年(大正8年)9月1日 ‐ … 脇 信男(わき のぶお、1919年(大正8年)9月1日 ‐ 1997年(平成9年)12月12日)は、日本の政治家。1971年から1995年までの6期24年にわたり高松市長を務めた。日本社会党県副委員長、全国革新市長会会長などを歴任。高松市名誉市民。 高松市出身。旧制高松中学(現・香川県立高松高等学校)を経て中央大学法学部を卒業。戦後は帰郷し、同郷の成田知巳(後の日本社会党委員長)の秘書を16年間務める。 前市長・三宅徳三郎の1期限りでの引退表明を受け行われた1971年の高松市長選挙に、社会党と共産党の推薦を受け立候補。自身としては3回目の挑戦であったが、当時全国各地で革新自治体が誕生していたことや、保守陣営が分裂したことも手伝い初当選。
成田 知巳(なりた ともみ、1912年〈大正元年〉9月15日… 成田 知巳(なりた ともみ、1912年〈大正元年〉9月15日 - 1979年〈昭和54年〉3月9日)は、日本の政治家。衆議院議員、日本社会党政策審議会長・書記長・委員長を歴任した。 香川県高松市出身。肥料商で高松市議会議員をつとめた成田鷹次の子として生まれる。旧制高松中学(現・香川県立高松高等学校)を経て、第四高等学校(現・金沢大学)、東京帝国大学(現・東京大学)法学部へと進む。高松中では野球部のマネージャーも務めており、1学年上に梶原英夫、三原脩がいた。大学卒業後、三井鉱山に入社する。1941年、三井化学に転属となり、1943年には文書課長に昇進した。第四高等学校時代には後に社会党の参議院議員となる亀田得治と同じクラスだった。
福家 俊一(ふけ としいち、1912年〈明治45年〉3月3日… 福家 俊一(ふけ としいち、1912年〈明治45年〉3月3日 - 1987年〈昭和62年〉4月17日)は、日本の政治家。勲二等従四位。衆議院議員総選挙に15回立候補し、当選は6回。ニックネームは「政界の寝業師」、「政界の怪物」。 香川県高松市出身。旧制大阪府立生野中学校(現大阪府立生野高等学校)卒業、早稲田大学専門部中退。少年時代に東京憲兵隊本部で甘粕正彦の給仕を務めたことを機に、満洲に渡って満洲国の機関紙「斯民」の記者となる。満洲人脈のメンバーとなり、岸信介と深い仲を築く。軍部と外務省興亜院の肝いりによって上海に国策新聞「大陸新報」が創設され、1937年に25歳で社長就任。白根松介男爵や美濃部達吉の嘆願を受け、同社では美濃部亮吉(達吉の長男で、後の東京都知事)や向坂逸郎、高橋正雄など人民戦線事件で検挙された左派知識人たちを積極的に雇い入れた。
加藤 常太郎(かとう つねたろう、1905年〈明治38年〉4… 加藤 常太郎(かとう つねたろう、1905年〈明治38年〉4月30日 - 1990年〈平成2年〉10月11日)は、日本の実業家、政治家。位階は正三位。加藤海運社長、宇部工業短期大学初代学長、参議院議員(1期)、衆議院議員(13期)、労働大臣(第34代)。 香川県高松市出身。先代・常太郎の長男として生まれ、襲名する。高松商業を経て、奉天外国語学堂支那語科を卒業。 父が急逝したため、24歳で家業を継ぎ、機帆船を主にした加藤海運社長となる。海運業に慣れてくると神戸に乗り出し、小型汽船70隻を統合し、日本近海汽船(現:川崎近海汽船)を設立。代表取締役になった。しかし、太平洋戦争が激しくなったことを受け、会社経営を友人に任せ帰郷した。
上原 平太郎(うえはら へいたろう、1872年12月20日(… 上原 平太郎(うえはら へいたろう、1872年12月20日(明治5年11月20日)- 1950年(昭和25年)10月8日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。衆議院議員。 香川県香川郡一宮村(現高松市)で上原秀次郎の長男として生まれる。1896年5月27日、陸軍士官学校(7期)を卒業し、1897年1月25日、陸軍歩兵少尉に任官。義和団の乱、日露戦争に出征。陸軍大学校(17期)で学び、1903年11月28日に卒業した。 以後、参謀本部部員、陸軍大学校教官、第4師団参謀、歩兵第62連隊長、第11師団参謀長、陸軍航空部附、航空部員などを歴任。1921年7月20日、陸軍少将に進み近衛歩兵第1旅団長に就任。
大場 長平(おおば ちょうへい、1859年1月28日(安政5… 大場 長平(おおば ちょうへい、1859年1月28日(安政5年12月25日)- 1916年(大正5年)8月10日)は、明治から大正初期の実業家・政治家。衆議院議員、香川県会議長。 讃岐国山田郡、のちの香川県山田郡林村(木田郡林村を経て現高松市)で、大場吉次郎の二男として生まれる。漢学を修めた。1889年(明治22年)6月、家督を相続した。 1889年、讃岐鉄道取締役に就任。その他、讃岐農工銀行頭取、韓国実業監査役、東讃電気軌道(現高松琴平電気鉄道)社長などを務めた。 政界では、六条村戸長、林村会議員、木田郡四ケ池普通水利組合常設議員などを務めた。香川県会議員に選出され、1899年(明治32年)10月21日、同議長に就任し同月27日まで7日間在任した。
植場 平(うえば はかる、安政2年3月2日(1855年4月1… 植場 平(うえば はかる、安政2年3月2日(1855年4月18日) – 昭和4年(1929年)8月17日)は、衆議院議員(立憲政友会→政友本党→立憲民政党)。 讃岐国香川郡、のちの香川県香川郡百相村(仏生山町を経て現高松市)出身。1882年(明治15年)、大阪府警部補に任じられた。1887年(明治20年)、島上・島下両郡連合会議員となり、淀川改良工事の請願に取り組んだ。1897年(明治30年)、自由党大阪支部幹事となり、大阪府会議員に当選した。その後、憲政党・立憲政友会の創設に参加し、幹事となった。 1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は8回を数えた。その間、高槻町長、大冠村長を務めた。
小田 知周(おだ ともちか、1851年9月6日(嘉永4年8月… 小田 知周(おだ ともちか、1851年9月6日(嘉永4年8月11日)- 1919年(大正8年)7月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・十河。 讃岐国香川郡宮脇村(香川県香川郡宮脇村を経て現高松市)で十河憲武の子として生まれ、9歳で伯父・小田辰右衛門の養嗣子となる。高松藩校弘道館で学ぶ。 高松市会議員、同参事会員、愛媛県会議員、香川県会議員、高松商業会議所会頭、高松市長を歴任する。また、高松商業銀行取締役、高松電気軌道、香川新報各(株)社長となる。 1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙において高松市選挙区から無所属で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1915年(大正4年)第12回総選挙には立候補しなかった。