江口 慎一郎(えぐち しんいちろう、1984年3月11日 -… 江口 慎一郎(えぐち しんいちろう、1984年3月11日 - )は、福岡県みやま市出身の元アメリカンフットボール選手である。 西南学院大学を卒業後、2007年に兵庫県尼崎市に本拠地を置くアサヒ飲料チャレンジャーズに入団。2008年からOLとして選手登録。背番号は56番。2012年2月には他強豪チーム所属選手らとともにハワイで開催されたNFLリージョナルコンバインに挑戦した。しかし出場機会に恵まれず2012年シーズンを最後に退団した。 2013年に千葉県八千代市に本拠地を置くIBMビッグブルーへ移籍。IBMではすぐにスターティングメンバーに定着。米国UCLA出身のQBケビン・クラフトや日本代表WR小川道洋らとともにライスボウル制覇を目指すが、ファーストステージ第2戦の相模原ライズ戦は21対24で敗退。
杵屋 勝国(きねや かつくに、1945年(昭和20年)3月2… 杵屋 勝国(きねや かつくに、1945年(昭和20年)3月28日 - 2023年(令和5年)2月9日)は、日本の長唄三味線奏者。位階は正五位。人間国宝。2020年(令和2年)、日本芸術院賞・恩賜賞受賞。本名は牟田口 照國(むたぐち てるくに)。福岡県みやま市出身。 実家は料理屋を営んでおり、父は長唄を唄い、母は三味線を弾く家庭に育ち、幼い頃から長唄に親しんだ。6歳の6月6日に隣に住む杵屋寿太郎に入門し、三味線を始める。14歳で七代目家元、杵屋勝三郎から名取を認められ、杵屋勝国を名乗るようになる。その後東京藝術大学邦楽科に進学、1967年(昭和42年)に卒業。1980年(昭和55年)には坂東玉三郎が踊る「鷺娘」、5世中村勘九郎(後の18世中村勘三郎)が踊る「供奴」で、歌舞伎公演での立三味線を初めて務めた。
古賀 誠(こが まこと、1940年〈昭和15年〉8月5日 -… 古賀 誠(こが まこと、1940年〈昭和15年〉8月5日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(10期)、運輸大臣(第72代)、新東京国際空港担当大臣、総合交通対策担当大臣、自由民主党国会対策委員長、同幹事長、同選挙対策委員長、宏池会会長、日本遺族会会長を歴任した。 福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)出身。2歳の時に第二次世界大戦に従軍中だった父がフィリピン・レイテ島で戦死。女手一つで苦労する母親の姿を見て、政治家を志す。自民党の鬼丸勝之参議院議員の秘書を経て、1980年に衆議院議員に旧福岡3区から初当選(当選同期に久間章生・森田一・川崎二郎・平沼赳夫・高村正彦・柿沢弘治など)。以来、小選挙区制での福岡7区を含めて連続10回当選。
青栁 豊(あおやぎ ゆたか、1917年(大正6年)3月8日 … 青栁 豊(あおやぎ ゆたか、1917年(大正6年)3月8日 - 1942年(昭和17年)6月23日)は、大日本帝国陸軍の軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍中尉。 日本陸軍のエース・パイロット。青栁惣吉(村会議員)の次男として福岡県三池郡高田村(現みやま市高田町)に生まれる。 少年飛行兵として1935年(昭和10年)11月に所沢陸軍飛行学校を卒業し、明野で戦技教育を受け、飛行第11連隊に配属された。 1939年(昭和14年)5月からノモンハン事件に参加。7月25日、不時着した篠原弘道准尉を救出しようと着陸したが、敵戦車の砲撃を受けて機体が炎上、腰に貫通銃創を受けるが、岩瀬孝一曹長に救出された。そしてハルピン陸軍病院に入院したが、停戦前に部隊に復帰。
与田 凖一(よだ じゅんいち、1905年6月25日(戸籍上は… 与田 凖一(よだ じゅんいち、1905年6月25日(戸籍上は8月2日生まれ) - 1997年2月3日)は、日本の児童文学者・詩人。昭和期の日本の児童文学界において指導的役割を担った。作詞家を担当、巽聖歌らと親交を結びその後も本格的な執筆活動を開始し、1929年に初の童謡集「旗・蜂・雲」を出版した。作詞家橋本淳の父。ドイツ文学翻訳の与田静(1942- )は長女。與田凖一、与田準一の表記もある。日本ペンクラブ会員。 1905年、福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市瀬高町)に浅山与太郎、スエの次男として生まれた。翌年、親戚の与田家の養子となり、以降は与田姓を名乗った。養父母を相次いで亡くしたため、実家である浅山家で育つ。
末次 留蔵(すえつぐ とめぞう、1893年(明治26年)2月… 末次 留蔵(すえつぐ とめぞう、1893年(明治26年)2月27日 - 1975年(昭和50年)6月15日)は、日本の剣道家。段位は剣道範士七段、居合道範士八段、銃剣道範士八段。夢想神伝流居合を九州に広めた。 福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)の農家に生まれる。少年の頃より剣道、柔道を学んだ。水上尋常小学校を卒業。 1913年(大正2年)、志願して陸軍歩兵第48連隊に入隊。1914年(大正3年)、日独戦争青島の戦いに出征。1918年(大正7年)及び1919年(大正8年)、第18師団長主催の銃剣術大会を連覇。 1919年(大正8年)3月、陸軍戸山学校に入校。同時に剣道を学ぶため高野佐三郎の修道学院に入門し、その5日後には居合を学ぶため中山博道の有信館に入門した。
伊藤 整一(いとう せいいち、1890年〈明治23年〉7月2… 伊藤 整一(いとう せいいち、1890年〈明治23年〉7月26日 - 1945年〈昭和20年〉4月7日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校39期。最終階級は海軍大将。 1890年(明治23年)7月26日、福岡県三池郡高田町(現・みやま市)に父・梅太郎の長男として生まれる。1911年(明治44年)7月海軍兵学校39期を15番で卒業。海軍兵学校同期に遠藤喜一、高木武雄、山県正郷、岡敬純、角田覚治、原忠一などがいる。 1927年(昭和2年)5月、少佐でアメリカに派遣。アメリカに滞在していた時、レイモンド・スプルーアンスと深い親交を結んだ。伊藤が戦死した坊ノ岬沖海戦の際、米指揮官として攻撃命令を下したのはスプルーアンスであった。
成清 博愛(なりきよ ひろえ、1864年11月13日(元治元… 成清 博愛(なりきよ ひろえ、1864年11月13日(元治元年10月14日)- 1916年(大正5年)1月18日)は、明治から大正前期の実業家、政治家。衆議院議員、福岡県山門郡小川村長。号・的山(てきざん)。金山王と称された。 筑後国山門郡、のちの福岡県山門郡小川村 (瀬高町を経て現みやま市)で生まれた。柳川藩儒者・西田麗川に師事し漢学を修めた。1887年(明治20年)慶應義塾に入塾したが、1888年(明治21年)病のため中退して帰郷した。 1890年(明治23年)小川村会議員に選出され、九州改進党の結成に尽力した。政治活動資金を捻出するため炭坑、金山の経営に乗り出したが失敗し財産を失うが、小川村長、山門郡会議員、福岡県会議員、瀬高銀行取締役などを務めた。
永江 純一(ながえ じゅんいち、1853年3月18日(嘉永6… 永江 純一(ながえ じゅんいち、1853年3月18日(嘉永6年2月9日)- 1917年(大正6年)12月9日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 筑後国三池郡江浦村(現:福岡県みやま市)で、永江藤次郎の長男として生まれる。中野南強から漢学を学び、西田幹治郎の私塾を経て、平戸に遊学。明治維新後、長崎で英学を東京で法律を学んだ。弟の死去に伴い帰郷した。野田卯太郎らの同志と自由民権運動に尽力。また、同志と筑後白日会を結成し国権主義を主張した。 1878年、永治村戸長に就任。その後、江浦村戸長を兼務し、三池郡町村連合会議員、福岡県会議員を歴任。1892年2月の第2回衆議院議員総選挙の選挙運動中に政敵の迫害を受け、大牟田川畔で襲撃を受けて足を負傷し歩行が困難となった。
田代 尚子 は、フジテレビ元社員、元アナウンサー。本名、堀江… 田代 尚子 は、フジテレビ元社員、元アナウンサー。本名、堀江 尚子 旧姓、田代。