中村 奈一輝(なかむら ないき、2006年8月16日 - )… 中村 奈一輝(なかむら ないき、2006年8月16日 - )は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 小学校3年時に「小戸第二レッドソックス」でソフトボールを始め、宮崎市立宮崎西中学校時代は「県央宮崎ボーイズ」でプレーをした。 宮崎県立宮崎商業高等学校では1年時夏よりベンチ入りし、遊撃手として活躍する一方で投手としても最速146km/hを記録するなど、二刀流の選手として話題になる。3年時夏の宮崎県大会では、決勝戦の富島高戦において4回よりリリーフ登板し、4回2/3を1安打無失点に抑える活躍で勝利に貢献し胴上げ投手となった。甲子園では初戦の中京大中京高戦にて「1番・遊撃手」で先発出場するも、5打数1安打の結果でありチームも4-3で敗退した。
平野 大和(ひらの やまと、2001年8月7日 - )は、 … 平野 大和(ひらの やまと、2001年8月7日 - )は、 宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 兄の影響から小学2年生から軟式野球を始め、中学から中高一貫校である日章学園中学校・高等学校に進学し、同校の野球部の1期生として入部した。 高校では1年生の夏から左翼手のスターティングメンバーとして出場。2年生の秋には、秋季宮崎大会の準決勝において、左膝に自打球を当てて剥離骨折と診断されるも、秋季九州大会では痛み止めの薬を飲みながら出場し、春の選抜出場を果たした。3年生春の第91回選抜高等学校野球大会に4番・中堅手として出場するが、習志野高等学校に敗れた。3年生の夏の第101回全国高等学校野球選手権宮崎大会では、2回戦で都城工業高等学校に敗退し、2季連続の甲子園出場はならなかった。
武田 翔太(たけだ しょうた、1993年4月3日 - )は、… 武田 翔太(たけだ しょうた、1993年4月3日 - )は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。KBO・SSGランダース所属。 大分県別府市生まれ。6歳で宮崎市に転居し、小学校でソフトボールを始める。宮崎市立住吉中学校時代は、軟式野球部に所属。3年夏には県大会決勝戦で延岡市立西階中学校に判定戦の末、勝利し優勝、続く九州大会では初戦で三好匠を擁する北九州市立大谷中学校に敗れる。その後、Kボールの宮崎県選抜チームに選出されて全国大会に出場し、近藤健介を擁する千葉県選抜チームと対戦した。当時から球速は142kmあった。 宮崎日大高等学校では1年秋からエースとなり、長身を活かした投球スタイルから「九州のダルビッシュ」と呼ばれる。
浜田 智博(はまだ ともひろ、1992年10月1日 - )は… 浜田 智博(はまだ ともひろ、1992年10月1日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 「チーム内に(濱田達郎と)浜田が2人いる」という事で、「九州の浜田」という理由から、現役時代のニックネームは「ハマ九(ハマキュウ)」だった。 宮崎工業高等学校では3年の選抜大会で甲子園に出場。1回戦では前橋工業を相手に2安打完封勝利。2回戦では広陵高等学校の有原航平と投げ合い、0-1でサヨナラ負けを喫した。 九州産業大学に進学後、3年春の九州工業大学戦で無安打無得点試合を達成。4年春の全日本大学野球選手権大会ではベスト8入りし、秋には明治神宮野球大会にも出場した。大学通算24勝8敗。
横山 弘樹(よこやま ひろき、1992年3月12日 - )は… 横山 弘樹(よこやま ひろき、1992年3月12日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 実父は高校野球の経験者。小学生時代から軟式野球を始めると、宮崎市立赤江東中学校時代には宮崎リトルシニアに所属した。宮崎日大高への進学後は、九州大会で準々決勝にまで残ったものの、甲子園球場との全国大会と縁がなかった。 桐蔭横浜大学への進学後は、神奈川大学野球リーグ戦へのデビューが3年時の春にまで持ち越されるほど、制球難の克服に時間を要した。3年秋にはチームが明治神宮大会で優勝するが同級生の右投手・小野和博(SUBARU)がフル回転して本大会での登板はなし。4年時に頭角を現すと、チームの春秋連覇に貢献して大学選手権では2回戦の愛知大戦では先発7回1/3を無失点に抑えるも準々決勝・亜大戦で延長10回から救援登板するもサヨナラ負け。
信樂 晃史(しがらき あきふみ、1991年12月26日 - … 信樂 晃史(しがらき あきふみ、1991年12月26日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属する宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(投手)。
赤川 克紀(あかがわ かつき、1990年7月31日 - )は… 赤川 克紀(あかがわ かつき、1990年7月31日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。2008年度のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから1位指名を受け入団、2012年にはオールスターゲームに監督推薦で出場した。2015年限りで引退。
有馬 翔(ありま しょう、1990年6月5日 - )は、宮崎… 有馬 翔(ありま しょう、1990年6月5日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、社会人野球のクラブチーム・新波に所属する。
金丸 将也(かねまる まさや、1987年3月19日 - )は… 金丸 将也(かねまる まさや、1987年3月19日 - )は、宮崎県宮崎郡清武町(現:宮崎市)出身の元プロ野球選手(投手)・監督。左投左打。 小学4年生から野球を始め、中学野球部を経て、佐土原高の野球部に入る。監督から体力不足を指摘され、走り込みに徹底して取り組んだ。3年夏の県大会では全試合に登板し、同高初の甲子園大会出場に貢献。本戦でも初戦で競り勝ち、チームに甲子園初勝利をもたらした。 その後、中部大学に進学。大学1年からリーグ戦に登板するも球速も130km/h前後であり、2年秋には左肩を故障。しかしこの故障を機に1日5食を課し10kg以上の増量を行い球速も140km/h台に上昇、大学4年時には先発投手として中部大初の全国大会進出の原動力となる。
下園 辰哉(しもぞの たつや、1984年11月22日 - )… 下園 辰哉(しもぞの たつや、1984年11月22日 - )は、宮崎県宮崎郡佐土原町(現・宮崎市)出身の元プロ野球選手(外野手)。愛称は「ゾノ」。 2025年から東北楽天ゴールデンイーグルス打撃コーチを務める。 宮崎日本大学高等学校では1年生から外野手の定位置を獲得し、2年生では九州地区の春季大会で優勝を果たす。高校のチームメイトに藤岡好明がいた。 九州国際大学に進学後は1年春からレギュラーとなり、秋は明治神宮大会出場。九州六大学リーグでベストナイン4回、打点王2回、首位打者1回、優秀選手賞1回を獲得したほか、リーグ通算114安打で当時の連盟新記録も樹立した。 2006年の大学生・社会人ドラフトで、横浜ベイスターズから4位指名を受け、入団。
寺原 隼人(てらはら はやと、1983年10月9日 - )は… 寺原 隼人(てらはら はやと、1983年10月9日 - )は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。
甲斐 雅人(かい まさひと、1982年4月12日 - )は、… 甲斐 雅人(かい まさひと、1982年4月12日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(内野手)。 高鍋高では2年秋に九州大会初戦で本塁打を放つが同期でプロ入りする石橋尚登のいた波佐見高に敗れる。3年夏の県大会は準々決勝で敗退した。2000年のドラフト4位で広島東洋カープに入団。入団前は強肩好打で守備範囲も広い大型遊撃手との評価を受け、また東出輝裕や新井貴浩と並ぶほどの素材と評された。 プロ1年目の2001年は二軍で66試合に出場し、打率.233、0本、17打点をマークし51安打を放った。守備面では三塁手として53試合に出場、遊撃手として21試合に出場した。 プロ2年目の2002年は二軍で71試合に出場し、打撃面では打率.252、3本、24打点をマークした。
川﨑 雄介(かわさき ゆうすけ、1982年2月17日 - )… 川﨑 雄介(かわさき ゆうすけ、1982年2月17日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は千葉ロッテマリーンズの打撃投手。 宮崎県宮崎市出身。宮崎県立宮崎南高等学校時代は内野手兼投手。投手として目立った成績はなかったものの、3年時にはエースとして君臨し、登板しない時もパンチ力のある打撃で中軸打線に名を連ねるなど、攻守ともに主力選手であった。人柄は非常に明るく、後輩の面倒見も良かったという。九州東海大学(現東海大学九州キャンパス)時代も一時期内野手をしていたが、上級生になって投手に専念するものの、全国大会とは縁がなく目立った実績はなかった。 2004年に社会人野球のホンダ熊本に入社。
川﨑 雄介(かわさき ゆうすけ、1982年2月17日 - )… 川﨑 雄介(かわさき ゆうすけ、1982年2月17日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。
堤内 健(つつみうち たけし、1980年7月20日 - )は… 堤内 健(つつみうち たけし、1980年7月20日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 宮崎日大高2年夏に甲子園に出場し、登板するも敗退。日大では、大野隆治とバッテリーを組み、同期の館山昌平がエースであった。東都大学リーグで通算45試合に登板し5勝11敗、防御率2.84。4年生秋の専修大戦で当時のリーグタイの1試合18奪三振を記録した。ドラフト9巡目で横浜ベイスターズに入団。同年自由獲得枠で共に入団した村田修一は大学のチームメイト。 8月7日の巨人戦で初登板、8月16日の広島戦でプロ初勝利。 肘の手術を受けたこともあって一軍登板はなし。二軍の湘南シーレックスでもわずか2試合の登板に終わった。
榊原 聡一郎(さかきばら そういちろう、1962年9月3日 … 榊原 聡一郎(さかきばら そういちろう、1962年9月3日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 宮崎日大高では、1979年秋季九州大会県予選決勝に進むが、延岡学園に敗退。翌1980年夏の甲子園県予選は準決勝で延岡高に敗れる。 1980年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け入団。 ウエスタン・リーグで1985年に打点王、1988年に17本塁打・58打点で二冠王を獲得。プロ8年目となった1988年に初めて一軍出場を果たし、6試合に右翼手として先発出場を果たした。 しかしその後は出場機会に恵まれず、1990年途中に西清孝・松井隆昌との2対2の交換トレードで本村信吾と共に福岡ダイエーホークスに移籍し、背番号00を着けた。
池田 親興(いけだ ちかふさ、1959年5月17日 - )は… 池田 親興(いけだ ちかふさ、1959年5月17日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球解説者、野球評論家、YouTuber。 愛称はチカドン、チカ、チカさん。 高鍋高等学校入学時より野球を始める。 1976年、2年生の時にエースとして夏の甲子園県予選準決勝に進出するが、日南高に敗退。翌年も県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。 1977年のドラフト会議では阪神タイガースに4位指名されるが、進学を理由に入団拒否し、スポーツ推薦入学で法政大学に進学。2年上に住友一哉、2年下に和田護(日産自動車)と好投手がおり、東京六大学野球リーグでは4年次の秋季リーグで2勝するにとどまった。
鳥原 公二(とりはら こうじ、1954年8月29日 - )は… 鳥原 公二(とりはら こうじ、1954年8月29日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
高橋 博士(たかはし ひろし、1946年3月10日 - )は… 高橋 博士(たかはし ひろし、1946年3月10日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(捕手・内野手)。1966年から1973年までの登録名は「高橋 博」。
小川 亨(おがわ とおる、1945年8月1日 - )は、宮崎… 小川 亨(おがわ とおる、1945年8月1日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、野球解説者、野球指導者。
武上 四郎(たけがみ しろう、1941年4月8日 - 200… 武上 四郎(たけがみ しろう、1941年4月8日 - 2002年8月23日)は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 中学時代から子分を40人も持つガキ大将で、進学校の宮崎大宮高校では100m走を10秒9で走る俊足であった。1年次の1957年に夏の甲子園に出場しているが、自身の出場はなかった。 高校卒業後は1961年に中央大学へ進学し、東都大学野球リーグでは3年次の1963年秋季リーグ、4年次の1964年秋季リーグと2度の優勝を経験。3年時のエースは三浦宏(北海道拓殖銀行)であった。1964年10月には東京五輪デモンストレーションゲームとして開催された日米大学野球選抜試合に二塁手として出場している。
岩下 光一(いわした こういち、1940年3月4日 - )は… 岩下 光一(いわした こういち、1940年3月4日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。
大戸 雄記(おおと ゆうき、1930年4月1日 - 2018… 大戸 雄記(おおと ゆうき、1930年4月1日 - 2018年6月4日)は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手。 宮崎大淀高校から鹿児島鉄道管理局を経て、1954年に南海ホークスへ入団。 南海では代走、守備固め要員として試合途中からの出場がほとんどで、1955年は111試合出場で110試合、1956年は97試合全て途中出場という記録だった。 1957年に引退。引退後は鹿児島鉄道管理局に指導者として復帰し、NHK鹿児島放送局の野球解説者としても活動した。