泰 勝利(たい かつとし、2003年11月11日 - )は、… 泰 勝利(たい かつとし、2003年11月11日 - )は、鹿児島県大島郡瀬戸内町出身のプロ野球選手(投手)。左投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 小学校4年生の時から野球を始める。進学した瀬戸内町立阿木名中学校には野球部がなかったため、野球経験のない父と、ソフトボール経験者である母のサポートのもとで練習していた。 姉がかつて神村学園高等部の女子野球部に所属していた縁もあり、同校に進学。1年夏にチームは第101回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、自身はベンチ外であった。2年秋からベンチ入りしてエースとなる。3年夏は鹿児島県大会でベスト4まで勝ち上がり、準決勝で鹿児島実業と対戦。初回に自己最速を更新する150km/hを記録したが、1点リードの9回裏に追いつかれ、3点リードで迎えた延長10回裏に2失点しこの回途中で降板。
明生 力(めいせい ちから、1995年7月24日 - )は、… 明生 力(めいせい ちから、1995年7月24日 - )は、鹿児島県大島郡瀬戸内町出身で、立浪部屋所属の現役大相撲力士。本名は川畑 明生(かわばた めいせい)。身長180.0cm、体重157.0kg、血液型はO型。最高位は西関脇(2021年9月場所 - 11月場所)。好物は白米、鶏飯。嫌いなものはトマト、果物。お気に入りのリラックス方法はガム。趣味はサウナ。同部屋に所属した浪満力は再従弟。 相撲が盛んな土地で相撲好きの父親の下に生まれた川畑少年は5歳の時、地元の相撲道場に通い始めた。ところが、瀬戸内町立篠川小学校に入学したばかりの1年生の頃に道場は活動停止となり、一旦は相撲を離れることになった。
里 歩寿(さと ありす、1993年10月25日 - )は、日… 里 歩寿(さと ありす、1993年10月25日 - )は、日本の奄美シマ唄の唄者(民謡歌手)、歌手。 奄美大島の南西部に位置する瀬戸内町はシマ唄の二大流派の内の東唄(ひぎゃうた)の中心地である。古仁屋で3歳からヤマハ音楽教室に通い、4歳からは兄朋樹とともに、中野律紀、元ちとせらの奄美民謡大賞受賞者をした輩出した唄者中野豊成(律紀の叔父)の教室「あさばな会」でシマ唄と三味線を習い始めた。毎日兄妹2人の掛け合いでシマ唄を歌うことで、みるみる上達し、2003年には小学生にして兄妹のCD『大樹のうた』が発売された。 2010年、高校2年生の時に「嘉徳なべ加那節」で奄美民謡大賞を受賞。1996年に高校3年生の元ちとせが同じ「嘉徳なべ加那節」を唄って樹立した最年少受賞記録を更新して、注目を浴びた。
里 朋樹(さと ともき、1990年6月6日 - )は、日本の… 里 朋樹(さと ともき、1990年6月6日 - )は、日本の奄美シマ唄の唄者(民謡歌手)。奄美大島在住。 奄美大島の南西部に位置する瀬戸内町はシマ唄の東節(ひぎゃぶし)の中心地である。夏祭りで聴いたシマ唄に惹かれて、7歳からは妹歩寿(ありす)とともに、中野律紀、元ちとせらの奄美民謡大賞受賞者をした輩出した唄者中野豊成(律紀の叔父)の古仁屋の教室「あさばな会」でシマ唄と三味線を習い始めた。毎日兄妹2人の掛け合いでシマ唄を歌うことで、みるみる上達した。病床にあった師匠は若い弟子へ口伝の唄を託すべく、一心に教え、ほどなく亡くなったが、権威ある奄美民謡大賞少年の部で最優秀賞を受賞するまでに、師匠の唄を見事に受け継いだ。
慶天海 孔晴(けいてんかい こうせい、1990年3月10日 … 慶天海 孔晴(けいてんかい こうせい、1990年3月10日 - )は、鹿児島県大島郡瀬戸内町出身で阿武松部屋に所属した元大相撲力士。本名は慶 孔晴(けい こうせい)。身長175.0cm、体重115.8kg。得意技は左四つ・寄り・下手投げ。最高位は東十両11枚目(2012年9月場所)。 地元の奄美大島は「男子に生まれたらだれもが廻しを締める」ほど相撲が盛んな地域であり、慶は3歳の頃から相撲を始めていた。幼少期より小柄であった慶は地元の古仁屋相撲クラブで「廻しを取ったらとにかく動きまくれ」という指導を受け、瀬戸内町立古仁屋中学校卒業まで日曜を除いて夕方5時から8時まで相撲クラブでの稽古に打ち込んでいた。
RIKKI(りっき、本名:中野 律紀(なかの りつき)197… RIKKI(りっき、本名:中野 律紀(なかの りつき)1975年1月19日 - )は、鹿児島県・大島郡瀬戸内町(奄美大島)出身の女性唄者で、ポップス歌手。 15歳で、日本テレビの「第13回日本民謡大賞」にて、史上最年少でグランプリを獲得。 1993年にBMGビクターより本名の中野律紀でポップス系のアルバム『風の声』でデビュー。合計3枚のアルバムを出してフリーに。 1998年、「RIKKI」の名でアルバム『Miss you Amami』をリリース。中野律紀はデビュー当時、純島唄CD『むちゃ加那』を発表しており、久保田真琴プロデュースの『RIKKI』でもワールド系のアプローチをとったが、この自主制作アルバム『miss you amami』で改めて奄美の島唄とポップスの接点を探った。
重ノ海 博久(しげのうみ ひろひさ、1967年6月14日 -… 重ノ海 博久(しげのうみ ひろひさ、1967年6月14日 - )は、鹿児島県大島郡瀬戸内町出身で武蔵川部屋に所属した元大相撲力士。本名は重村 博久(しげむら ひろひさ)。182cm、126kg。最高位は西十両11枚目。得意技は左四つ、出し投げ、血液型はB型。 小学生時代は柔道を習ったが、瀬戸内町立古仁屋中学校では相撲部に所属して 2年生の時に全国中学校相撲選手権大会で団体優勝に貢献した。 3年生の全国大会で武蔵川に素質を見出されて勧誘された。当初は入門を迷ったが何度も武蔵川が訪ねて来るうちに熱意に動かされて入門を決意した。1983年3月場所に初土俵。初土俵から3年で幕下に昇進したが、負傷もあってなかなか定着することができなかった。
沙人(しゃと、本名 瀬本博之 1966年11月17日 - )… 沙人(しゃと、本名 瀬本博之 1966年11月17日 - )は日本の俳優である。 鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋(奄美大島)出身。身長170cm、体重70kg。 1989年より活動開始。エキストラ、スタントマンを経て俳優事務所へ移籍。 2011年には中国進出も果たし、2013年以降はフリーとなる。※「沙人」の芸名は2004年以降から。 俳優業の傍らシンガーソングライターとしても活動していた。 特技は空手(剛柔流→極真会館→首里手古伝→自流)、居合、アクション、拳技、剣技。 趣味はギター、カラオケ、オートバイ。 同じ奄美(瀬戸内町)出身のアーティスト元ちとせとは又従兄妹、俳優徳秀樹とは従兄弟の間柄でもある。
岡 秀子(おか ひでこ 1953年2月14日- )は、鹿児島… 岡 秀子(おか ひでこ 1953年2月14日- )は、鹿児島県瀬戸内町出身のフェンシング選手、指導者。 成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)卒業。日本体育大学卒業後、下北沢成徳高等学校教員となった。1976年モントリオールオリンピックのフルーレ団体に出場した。1980年のモスクワオリンピック代表にも選ばれていたが日本がボイコットしたことから出場できなかった悲運の選手である。モントリオールオリンピックのリベンジを誓い4年間猛練習をして、結果を残し日本代表に選出されるが夢は叶わなかった。現在、フェンシング部の後進の指導に携わっている。 全日本フェンシング選手権大会でも女子フルーレで1978年、1980年に優勝している。
叶 芳和(かのう よしかず、1943年1月28日 - )は、… 叶 芳和(かのう よしかず、1943年1月28日 - )は、日本の経済学者。元国民経済研究協会理事長。 鹿児島県大島郡瀬戸内町(奄美大島加計呂麻島)出身。瀬戸内町立薩川中学校卒業、東京都立江戸川高等学校卒業、1966年中央大学法学部第二部法律学科卒業。1969年財団法人国民経済研究協会研究員就任。1977年一橋大学大学院経済学研究科博士課程退学。指導教官は宮澤健一で、専攻分野は経済学。1983年5月から1996年まで国民経済研究協会理事長、1997年1月総合研究開発機構客員研究員、1997年から2006年まで拓殖大学国際学部教授、1998年9月シンガポール東南アジア研究所(lSEAS)客員研究員、2007年から帝京平成大学現代ライフ学部教授、健康メディカル学部作業療法学科教授。
西和美(にし かずみ、1942年(昭和17年)3月25日)は… 西和美(にし かずみ、1942年(昭和17年)3月25日)は鹿児島県大島郡瀬戸内町西古見生まれの島唄の歌い手。1978年頃義父の影響で島唄を初め、坪山豊を師匠とする。1981年頃『嘉徳なべ加那節』にて南海日日新聞主催の奄美民謡大賞 新人賞受賞。翌年同大会の民謡大賞受賞後舞台活動を開始。 自身や経営する店舗は、奄美大島を舞台としたドラマなどに度々登場している。
朝崎 郁恵(あさざき いくえ、1935年11月11日 - )… 朝崎 郁恵(あさざき いくえ、1935年11月11日 - )は鹿児島県大島郡瀬戸内町加計呂麻島生まれの唄者(奄美民謡歌手)。奄美島唄独特のこぶしや裏声で聞く者の心に訴えかける唄声を持ち、ひぎゃ唄と呼ばれる奄美大島南部の島唄伝承の第一人者と言われるベテランである。 加計呂麻島花富(けどみ)の鍼灸師で島唄の研究に情熱を傾けた父辰恕(たつじょ)や、母、祖母の影響を受けて島唄を覚え、10代で天才唄者として活躍。吟遊詩人福島幸義を師匠とし、加計呂麻島、奄美大島各地で唄を披露していた。結婚後は東京を中心に活動し、奄美島唄朝崎會を主宰して後進の育成を図るとともに、日本各地の芸能・各国の民族音楽とも交流し、新しい島唄の創作に力を注ぐ。
武下 和平(たけした かずひら、1933年8月1日 - 20… 武下 和平(たけした かずひら、1933年8月1日 - 2021年1月25日)は、昭和30年代から活躍した、戦後における島唄の先駆者。 奄美群島の加計呂麻島、瀬戸内町諸数出身。 島唄のレコードが普及し、武下の流暢な三線の音色と、独特の裏声にて唄われるヒギャ唄が人気を博し「百年に一人の唄者」と評された。 本土における島唄の知名度上昇にも貢献し、兵庫県尼崎市に移住後「奄美民謡武下流」を設立。関東、関西、地元において島唄の普及に尽力した。 なお、複数の発表会でも披露されているように、詩吟の名手でもあった。 2021年、食道がんのため87歳で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
金久 卓也(かねひさ たくや、1914年6月7日 - 200… 金久 卓也(かねひさ たくや、1914年6月7日 - 2008年6月26日)は、日本の医学者、内科学者。医学博士。内科疾患の精神身体医学的側面について研究した、日本における心身医学の草分け。鹿児島大学名誉教授。 鹿児島県瀬戸内町生まれ。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)四年修了を経て、第七高等学校造士館 (旧制)理科を1934年に卒業。1938年、九州帝国大学医学部を卒業。学部では操坦道のもとでデング熱やワイル病について研究した。金子廉次郎教授の第一内科に入局し九大講師。1945年11月、「黄疸出血性レプトスピラ病における出血の成因に関する実験的研究」で九州大学より医学博士取得。また戦後は稲田竜吉東京大学教授が主催するインフルエンザ研究会にも参加した。
金久 好(かねひさ よしみ、1911年4月1日 - 2010… 金久 好(かねひさ よしみ、1911年4月1日 - 2010年7月13日)は、日本の実業家。日興證券役員、日興證券投資信託委託副社長、日興ビルディング社長などを歴任。「奄美大島に於ける「家人」の研究」等、奄美の史料論文著者としても知られる。 鹿児島県瀬戸内町出身。奄美群島加計呂麻島の諸鈍生まれ。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1931年旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)文科卒業。1936年東京帝国大学経済学部卒業。三菱信託銀行から日興證券に転じる。日興證券本店債券部長(1957年)、金融法人部長(1959年)、取締役人事部長(1961年)、常務取締役(1963年)を歴任。
豊島 至(とよしま いたる、1900年10月10日-1947… 豊島 至(とよしま いたる、1900年10月10日-1947年9月20日)は、アメリカ統治下の奄美群島の首長。臨時北部南西諸島政庁知事。元は鹿児島県大島郡の教育者。 現在の鹿児島県大島郡瀬戸内町出身(奄美群島加計呂麻島芝地域生まれ)。1921年、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)卒業。管鈍尋常小学校(後の瀬戸内町立管鈍小学校)の代用教員となったのを皮切りに教育者としての道を歩み、諸鈍や小野津の校長を務める。大島郡教育会主事を経て、鹿児島県大島支庁総務課振興係主任となる。 1946年2月、奄美群島が日本と行政分離されアメリカ合衆国の統治下に入ったことに対応するため全大島連絡委員会が発足し、豊島は大島支庁振興主事として同会幹事に就任する。
山元 亀次郎(やまもと かめじろう、1894年〈明治27年〉… 山元 亀次郎(やまもと かめじろう、1894年〈明治27年〉5月12日 - 1962年〈昭和37年〉3月27日)は、大正から昭和期の政治家・実業家。衆議院議員。通称「山亀」と称された革新の闘士。 鹿児島県大島郡西古見村(焼内村、西方村を経て現瀬戸内町西古見)で、鰹漁業網元・山元十太郎の息子として生まれた。1909年(明治42年)大島郡古仁屋高等小学校を修了。熊本、長崎で船員として務め学費を貯めて、1915年(大正4年)大阪市の桃山中学校(現桃山学院中学校・高等学校)を卒業した。2年間の兵役を経て日本大学専門部法科に入学したが1918年(大正9年)に中退した。 1919年(大正10年)4月、全国学生同盟会、同年12月、日本労働党、1921年12月、対外青年革新協会などをそれぞれ結成して、学生運動、普選運動に尽力した。
瀬戸山 兼斌(せとやま けんびん、1885年(明治18年)4… 瀬戸山 兼斌(せとやま けんびん、1885年(明治18年)4月29日 - 没年不明)は、明治時代後期から昭和時代前期の台湾総督府官僚。旧姓は加藤。 加藤里志の三男として鹿児島県大島郡東方村(現・瀬戸内町古仁屋)に生まれ、瀬戸山瀬助の養子となる。1904年(明治37年)大島郡古仁屋村外12箇村立戸長役場に奉職し、学務係および衛生係主任を務めたのち、1905年(明治38年)渡台し、澎湖庁雇として通信事務員となり、1910年(明治43年)2月、府通信手に進んだ。 ついで基隆郵便局勤務に転じ、府属秘書課勤務、台北州勤務、台北州海山郡守、高雄州旗山郡守、新竹州中壢郡守を歴任し、1932年(昭和7年)3月、退官する。
昇 曙夢(のぼり しょむ、1878年7月17日 - 1958… 昇 曙夢(のぼり しょむ、1878年7月17日 - 1958年11月22日)は、日本のロシア文学者。正教会の信徒であり、ニコライ・カサートキンの門下生の一人としても知られる。晩年には奄美群島の本土復帰運動に尽力した。 奄美群島加計呂麻島実久村芝(現鹿児島県大島郡瀬戸内町)生まれ。本名・直隆。 島の小学校を出ると鹿児島に行き、鹿児島正教会に通い間もなく洗礼を受けた。聖名はパウェル。 1895年、上京。1896年、日本正教会の教育機関である東京の正教神学校に入学。1903年、同校を卒業。在学中から評伝『露国文豪 ゴーゴリ』を執筆し、明治37年(1904年)刊行。卒業と同時に正教神学校講師として心理学・論理学を講じた。
春山 万太郎 は、鹿児島県大島郡瀬戸内町出身で、尾上部屋所属… 春山 万太郎 は、鹿児島県大島郡瀬戸内町出身で、尾上部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長181.0cm、体重136.0kg。最高位は東幕下10枚目(2024年5月場所)。
元 ちとせ は、日本の歌手、奄美民謡歌手(唄者)。旧姓の本名… 元 ちとせ は、日本の歌手、奄美民謡歌手(唄者)。旧姓の本名同じ。