桜井 淑敏(さくらい よしとし、英: Yoshitoshi … 桜井 淑敏(さくらい よしとし、英: Yoshitoshi Sakurai、1944年11月7日 - 2023年10月20日)は、日本の自動車技術者。東京都出身。株式会社レーシング・クラブ・インターナショナル(RCI)社長、桜井文化経済研究所代表、エイム株式会社会長。 1960年に慶應義塾普通部、1963年に慶應義塾高等学校、1967年に慶應義塾大学工学部を卒業後、本田技研工業(ホンダ)に入社。1970年代にはCVCCエンジンの開発に携わった他、後藤治らと共にシティ用のターボエンジンの開発などを手がける。 1984年9月、それまで桜井は研究所でエンジン開発部門のマネージメントをしており、F1エンジンもその中の一つのプロジェクトだったため知ってはいたが直接の関わりは無かった。
関 誠夫(せき のぶお、1944年9月21日 - )は、日本… 関 誠夫(せき のぶお、1944年9月21日 - )は、日本の技術者、実業家。千代田化工建設代表取締役社長や、同社取締役会長、エンジニアリング振興協会理事長、日本プロジェクトマネジメント協会会長などを歴任した。 埼玉県出身。埼玉県立浦和高等学校を経て、1968年東京工業大学工学部生産機械学科卒業。1970年同大学大学院工学研究科修士課程修了、千代田化工建設入社。米国千代田インターナショナル・コーポレーション副社長を経て、1997年千代田化工建設取締役に昇格。1998年常務取締役。2000年代表取締役専務。2001年から代表取締役社長を務め、新たに筆頭株主となった三菱商事の下、再建にあたった。 2005年エンジニアリング振興協会理事長。
伊村 晟(いむら あきら、1944年8月31日 - )は、日… 伊村 晟(いむら あきら、1944年8月31日 - )は、日本の技術者。豊田自動織機の代表取締役会長、愛知県公安委員会委員長などを務めた。 1968年に早稲田大学理工学部を卒業し、豊田自動織機製作所に入社する。 1993年豊田自動織機製作所コンプレッサー事業部技術部長。1997年豊田自動織機製作所取締役。2003年イヅミ工業代表取締役社長。 2006年豊田自動織機専務取締役。2007年豊田自動織機取締役副社長。2010年豊田自動織機代表取締役副会長。2011年豊田自動織機代表取締役会長。2013年豊田自動織機相談役。 2014年から愛知県公安委員会委員長。のち、更生保護法人愛知県更生保護協会理事長を務め、新型コロナウイルス感染症の世界的流行を受け、保護施設の利用者にマスクを寄贈するなどした。
服部 拓也(はっとり たくや、1944年6月17日 - )は… 服部 拓也(はっとり たくや、1944年6月17日 - )は、日本の技術者、実業家。東京電力副社長を経て、現在日本原子力産業協会理事長、原子力国際協力センター理事長。 東京電力で一貫して原子力部門の中枢を歩む。原子力を中心とした日本のエネルギー政策の充実、競争力のある原子力メーカーを生かした海外戦略を主張している。 2011年8月24日、衆議院外務委員会に参考人として出席し、福島第一原子力発電所事故について「地震、津波ということがあっても、原子力の場合、想定外ということは事故の性格から言って許されない」「大いに反省している」「福島での勤務が長かった者として、福島の地元のみなさまに大変申し訳ない気持ちでいっぱい」等と述べた。
鈴木 一行(すずき かずゆき、1944年5月23日 - 20… 鈴木 一行(すずき かずゆき、1944年5月23日 - 2010年7月17日)は、日本の技術者、実業家。サンデン株式会社代表取締役社長や、同社相談役を務めた。 群馬県出身。1968年群馬大学工学部卒業、三共電器入社。199年サンデン八斗島事業所カーエアコン工場長。1993年サンデン・インターナショナル・台湾社長。1997年サンデン八斗島事業所長。1999年サンデン取締役製造本部長。2003年サンデン常務執行役員、サンデン・マニュファクチャリング・ヨーロッパ社長。2006年サンデン取締役兼副社長執行役員。2007年からサンデン代表取締役社長を務め、経営改革を進めた。2010年サンデン相談役に退き、同年伊勢崎市内の病院で死去した。
原 恒雄(はら つねお、1944年5月14日 - )は、日本… 原 恒雄(はら つねお、1944年5月14日 - )は、日本の鉄道技術者、実業家、人事官。 人事院総裁(第24代)、東海旅客鉄道代表取締役副社長などを歴任。 東京都出身。1967年、東京大学工学部を卒業し、日本国有鉄道に入社。国鉄分割民営化(1987年)後はJR東日本で総合企画本部投資計画部長や取締役長野支社長を務めた後、鉄建建設(専務取締役)などを経て、JR東海の専務取締役総合技術本部長、代表取締役副社長を歴任。 2006年4月12日、佐藤壮郎(元工業技術院院長)の後任として人事官に任命された。2期目の途中である2012年4月12日、野田改造内閣の任命により第11代目の人事院総裁に就任した。同内閣により再任が認められず、1期で人事官を退任することとなった江利川毅の後任にあたる。
小野 武彦(おの たけひこ、1944年4月29日 - )は、… 小野 武彦(おの たけひこ、1944年4月29日 - )は、日本の土木技術者、実業家、工学博士。清水建設代表取締役副社長や、土木学会会長を務めた。 北海道伊達市出身。1968年北海道大学工学部土木工学科卒業、清水建設入社。1995年「コンクリート工事における型枠工法の合理化に関する研究」により北海道大学博士(工学)の学位を取得。 2000年清水建設執行役員北海道支店長。2003年常務執行役員北海道支店長。2004年常務執行役員土木事業本部営業本部長。2005年取締役専務執行役員土木事業本部土木営業統括。2006年取締役専務執行役員土木事業本部長。2007年代表取締役専務執行役員土木事業本部長。2008年代表取締役副社長土木事業本部長。
石山 喬(いしやま たかし、1944年3月9日 - )は、日… 石山 喬(いしやま たかし、1944年3月9日 - )は、日本の技術者、実業家。日本軽金属ホールディングス代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本アルミニウム協会会長、国立大学法人北海道大学総長選考会議議長などを務めた。 静岡県静岡市駿河区出身。静岡県立静岡高等学校を経て、1967年北海道大学工学部卒業、日本軽金属入社。1997年取締役に昇格。2001年取締役兼常務執行役員。2003年取締役兼専務執行役員。2006年取締役兼副社長執行役員。 2007年から日本軽金属代表取締役社長を務め、日本軽金属ホールディングス設立にあたり、2012年日本軽金属ホールディングス代表取締役社長に就任。2014年日本アルミニウム協会会長。
原田 武彦(はらだ たけひこ、1944年〈昭和19年〉 - … 原田 武彦(はらだ たけひこ、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の自動車技術者、実業家。中央発條代表取締役社長や、八戸市八戸特派大使を務めた。 愛知県刈谷市生まれ。父は、豊田自動織機専務を務めた原田梅治。1968年東北大学工学部卒業、トヨタ自動車工業入社。機械部長、生産調査部主査、本社工務部長、國瑞汽車総経理、トヨタ自動車アジア本部アジア部主査、トヨタ自動車理事等を歴任し、2005年から中央発條代表取締役社長を務め、2007年には八戸市に中発テクノを設立。翌2008年八戸特派大使に任命された。2010年中央発條顧問。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
深谷 紘一(ふかや こういち、1943年12月3日 - )は… 深谷 紘一(ふかや こういち、1943年12月3日 - )は日本の技術者、実業家。デンソー代表取締役社長や、同社代表取締役会長、NHK経営委員などを務めた。 愛知県立明和高等学校を経て、1966年東京工業大学(のちの東京科学大学)理工学部機械工学科卒業、日本電装(現デンソー)入社。1990年生産技術部長。1994年ニッポンデンソー・マニュファクチャリング・USA取締役副社長。1995年取締役兼ニッポンデンソー・マニュファクチャリング・USA取締役社長。1998年常務取締役。2002年専務取締役。2003年代表取締役社長。 2006年デンソー取締役副会長、ジェイテクト監査役。2009年デンソー代表取締役会長。
冨田 務(とみた つとむ、1943年10月14日 - )は、… 冨田 務(とみた つとむ、1943年10月14日 - )は、日本の自動車技術者。愛知県出身。愛知県立岡崎高等学校卒業、東北大学大学院工学研究科修了。 トヨタ・モータースポーツ(TMG、後のトヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ)会長、トヨタF1チーム代表、富士スピードウェイ代表取締役会長などを歴任した。
伊佐 功(いさ いさお、1943年10月12日 - )は、日… 伊佐 功(いさ いさお、1943年10月12日 - )は、日本の技術者、実業家。日本カーリット株式会社代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本保安炎筒工業会会長などを務めた。電気化学協会棚橋賞受賞。 1967年北海道大学理学部化学科卒業。1972年日本カーリット入社。1990年チップ形アルミニウム固体電解コンデンサの開発により電気化学協会棚橋賞受賞。日本カーリット中央研究所主任研究員等を経て、1992年日本カーリットファインケミカル部長。1996年日本カーリット取締役機能材料部長。2000年日本カーリット常務取締役電子材料事業本部長。2004年日本カーリット専務取締役研究開発本部長兼電子材料事業本部長。
橋本 孝久(はしもと たかひさ、1943年9月21日 - )… 橋本 孝久(はしもと たかひさ、1943年9月21日 - )は、日本の液晶技術者、実業家。株式会社ジャパンディスプレイ代表取締役会長、副会長を務めた。 1967年東京工業大学電子工学科卒業、日本アイ・ビー・エム入社。1990年日本アイ・ビー・エム野洲工場長。1991年ディスプレイテクノロジーディレクター。1997年IBMディスプレイ事業部長。2000年IBMディスプレイ事業部長兼日本アイ・ビー・エム取締役。2001年インターナショナルディスプレイテクノロジー社長。2005年Info Vision Optoelectronics President & CEO。2011年Info Vision Optoelectronics Vice Chairman。
上村 雅之(うえむら まさゆき、1943年6月20日 - 2… 上村 雅之(うえむら まさゆき、1943年6月20日 - 2021年12月6日)は、日本の技術者。任天堂統合開発本部アドバイザー。 任天堂開発第二部部長として「ファミリーコンピュータ」や「スーパーファミコン」などの開発に携わり、2003年から立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。東京都生まれ。 子供の頃はラジオ少年だったが、小学校高学年の頃にテレビという新メディアが登場して心奪われる。テレビ技術者を志し、1967年に千葉工業大学工学部電子工学科を卒業し、早川電機(現:シャープ)に入社。電子回路の技術者を志しての入社だったが、「これからはコンピュータや半導体の時代だ」といわれ、コンピュータや半導体の技術者としてキャリアを積み始める。
柘植 綾夫(つげ あやお、1943年6月13日 - 2021… 柘植 綾夫(つげ あやお、1943年6月13日 - 2021年4月8日)は日本の技術者。工学博士。 三菱重工業常務、日本学術会議会員兼総合科学技術会議常勤議員を経て芝浦工業大学学長に就任した。また、2004年から日本混相流学会会長を、2007年から日本伝熱学会会長、2011年から日本工学会会長を務めた。2021年に脳リンパ腫で死亡した。 1967年3月 東京大学工学部舶用機械工学科卒業。1969年3月 東京大学大学院工学系研究科修士課程を修了し、同年4月 三菱重工業(株)入社。1973年3月 東京大学大学院工学研究科博士課程修了。1987年11月 ハーバード・ビジネス・スクール アドバンスト・マネージメント・プログラム AMP101修了。
石田 義雄(いしだ よしお、1943年5月24日 - )は、… 石田 義雄(いしだ よしお、1943年5月24日 - )は、日本の鉄道実業家、鉄道技術者。JR東日本代表取締役副社長や、同社取締役副会長、日本人初の国際鉄道連合会長、日本鉄道運転協会会長などを歴任した。 東京都生まれ。1967年東京工業大学理工学部機械工学科卒業、日本国有鉄道入社。1983年静岡鉄道管理局経理部長。1985年九州総局運転車両部長。1986年首都圏本部次長。同年東日本旅客鉄道設立準備室次長。1987年東京南鉄道管理局運転部長。同年東日本旅客鉄道入社、東京圏運行本部運輸部長。1989年鉄道事業本部安全対策部長。1991年鉄道事業本部運輸車両部担当部長。1992年取締役高崎支社長。1994年取締役鉄道事業本部運輸車両部長。
林 南八(はやし なんぱち、1943年5月2日 - 2025… 林 南八(はやし なんぱち、1943年5月2日 - 2025年6月21日)は、日本の自動車技術者。 トヨタ自動車取締役や、同社技監、同社顧問、中部インダストリアル・エンジニアリング協会会長等を歴任した。 東京府東京市で日本軍大本営参謀を務めた林太郎元陸軍中将の三男として生まれた。 武蔵工業大学工学部機械工学科で古濱庄一研究室に所属しエンジンの研究を行い、1966年に大学卒業後、トヨタ自動車工業(のちのトヨタ自動車)入社。元町工場機械部技術員室配属。 大野耐一や鈴村喜久男に師事し、生産現場や流通などでのトヨタ生産方式の整備にあたり、後進技術者の育成も行った。 1982年トヨタ自動車工業製造課長に昇格。
森本 浩志(もりもと ひろし、1943年(昭和18年)3月2… 森本 浩志(もりもと ひろし、1943年(昭和18年)3月28日 - )は、日本の原子力技術者。関西電力副社長原子力事業本部長として、部落解放同盟元幹部の森山栄治から金品を受け取った。 昭和18年3月28日生まれ。高知県の出身。土佐中学校・高等学校36回生。 1965年京都大学工学部卒業。1965年4月関西電力株式会社に入社。1999年6月関西電力取締役に就任。2001年6月関西電力常務取締役に就任。2003年6月関西電力取締役副社長に就任。2008年4月にはエネルギー総合工学研究所の理事(非常勤)となっている。。 2009年6月日本原子力発電株式会社取締役社長に就任。2009年7月原子力発電環境整備機構(NUMO)監事(非常勤)に就任。
加藤 倫朗(かとう のりお、1943年3月24日 - )は日… 加藤 倫朗(かとう のりお、1943年3月24日 - )は日本の技術者、実業家、工学博士。日本特殊陶業代表取締役社長や、同社代表取締役会長、涼仙ゴルフ倶楽部理事長などを務めた。藍綬褒章受章。自動車技術会賞技術開発賞受賞。 愛知県出身。1961年愛知県立旭丘高等学校卒業。1965年名古屋工業大学工学部窯業工学科卒業、日本特殊陶業入社。1987年セラミックターボチャージャの開発で自動車技術会賞技術開発賞を受賞。2001年「構造材料としての窒化ケイ素とエンジン部品への応用に関する研究」で名古屋工業大学博士(工学)の学位を取得。 日本特殊陶業 総合研究所開発部長、取締役、常務取締役を経て、2003年専務取締役。
竹下 克彦(たけした かつひこ、1943年1月10日 - )… 竹下 克彦(たけした かつひこ、1943年1月10日 - )は、日本の技術者、実業家。ノーリツ代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本ガス石油機器工業会会長などを務めた。 兵庫県明石市出身。1965年大阪府立大学工学部金属工学科卒業。1967年能率風呂工業(現ノーリツ)入社。1985年取締役技術研究所副所長に昇格。1995年常務取締役。1997年専務取締役営業本部長。1999年から代表取締役社長を務め、「地球環境と人へ配慮する」を理念に、ゼロ・エミッション に向けた取り組みにあたった。2004年代表取締役会長。2007年日本ガス石油機器工業会会長。2009年ノーリツ取締役。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
今井 郁次(いまい ゆうじ、1943年1月8日 - )は日本… 今井 郁次(いまい ゆうじ、1943年1月8日 - )は日本の技術者、実業家。前NTTコムウェア代表取締役社長。三重県生まれ。 NTTコムウェアが発行するコーポレートマガジン誌上で2004年から2008年まで行われた対談企画である。
園田 邦之(そのだくにゆき、1943年1月6日 - )は、日… 園田 邦之(そのだくにゆき、1943年1月6日 - )は、日本の建築技術者。大成建設常任顧問。 大成建設代表取締役副社長、営業総本部長兼社長室副室長兼安全担当を歴任した。 横浜市民プラザ会長。株式会社シーク建築研究所相談役。一級建築士。 1965年3月、日本大学理工学部建築学科を卒業し、同年4月、大成建設に入社した。 1997年6月に取締役に就任し、以後執行役員(1999年6月)、常務役員(2001年6月)、専務役員(2003年4月)、取締役専務役員(2005年6月)を経て、2005年10月に取締役副社長に就任した。
長島 徹(ながしま とおる、1943年1月2日 - )は、日… 長島 徹(ながしま とおる、1943年1月2日 - )は、日本の技術者・実業家。帝人代表取締役社長や、同社取締役会長、経済同友会副代表幹事、日本化学繊維協会会長、イオン取締役報酬委員会議長などを務めた。 日本統治時代の朝鮮の馬山で生まれる。 日本の降伏後引き揚げ、広島県を経て、英語教師だった父の仕事の関係で、小学校3年のときに京都府から兵庫県篠山町に移り、1955年篠山町立篠山小学校卒業。1958年篠山町立篠山中学校卒業。1961年兵庫県立篠山鳳鳴高等学校卒業。中学・高校では軟式テニスに打ち込んだ。 1965年名古屋工業大学工学部繊維工学科卒業、帝人入社。パラ型アラミド繊維テクノーラの開発などを経て、セールスエンジニアとなる。
柿沼 博彦(かきぬま ひろひこ、1943年 - )は、日本の… 柿沼 博彦(かきぬま ひろひこ、1943年 - )は、日本の技術者・実業家。元会社経営者。
末松 征比古(すえまつ ゆきひこ、1942年12月8日 - … 末松 征比古(すえまつ ゆきひこ、1942年12月8日 - ) は、日本の化学技術者。成形加工技術の第一人者として知られ、三井石油化学工業ポリマー市場開発センター所長や、プラスチック成形加工学会会長を務めた。 千葉県立千葉高等学校を経て、千葉大学大学院工学研究科修士課程修了。1967年三井石油化学工業入社。1985年三井石油化学工業ポリマー市場開発センター所長。 成形加工技術の第一人者として知られ、2004年から2006年までプラスチック成形加工学会会長を務めた。三井化学退社後、2011年天昇電気工業取締役技術本部長兼海外事業部副事業部長。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
金井 昭雄(かない あきお 1942年〈昭和17年〉10月9… 金井 昭雄(かない あきお 1942年〈昭和17年〉10月9日 - )は、日本の実業家、眼鏡技術者。 富士メガネ会長・社長兼任、日本眼鏡技術者協会副会長、ワールドオプチカルフェア理事、アジア太平洋オプトメトリー会議理事。カリフォルニア州オプトメトリスト(O.D.)。父は富士メガネ創業者の金井武雄。樺太豊原市生まれ。 樺太豊原市生まれ。終戦時に北海道に引き上げる。北海道札幌南高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。 1966年、アメリカ留学。留学中に視力と視機能補正を学び、授業内容を全てテープに録音し帰宅後も書き写すなどし過酷な留学生活を送る。 1972年、サザン・カリフォルニア・カレッジ・オブ・オプトメトリー(Southern California College of Optometry)より博士号取得。
岡田 和生(おかだ かずお、1942年<昭和17年>10月3… 岡田 和生(おかだ かずお、1942年<昭和17年>10月3日 - )は、日本の実業家、技術者。ユニバーサルエンターテインメント創業者・元代表取締役社長。 大阪府で6人兄弟の6人目として生まれる。京都府福知山市育ち。1952年(昭和27年)東京都板橋区に転居。幼少時に父親を胃がんで亡くす。1962年(昭和37年)に東京テレビ技術専門学校(現東京電子専門学校)卒業後、テレビ修理業に就く。1969年(昭和44年)ジュークボックスリース業のユニバーサルリースを設立、代表取締役社長就任。1973年(昭和48年)、販売部門を分離し、ユニバーサル技研設立。1979年(昭和54年)、開発部門をユニバーサルテクノス(現ユニバーサルエンターテインメント)として分離し、代表取締役社長就任。
花木 義麿(はなき よしまろ、1942年9月8日 - )は、… 花木 義麿(はなき よしまろ、1942年9月8日 - )は、日本の技術者、実業家。オークマ代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本工作機械工業会会長などを歴任した。 愛知県中島郡(現稲沢市)で教員の家に生まれる。愛知学芸大学附属名古屋中学校(現愛知教育大学附属名古屋中学校)、愛知県立旭丘高等学校を経て、1965年、名古屋大学工学部電気工学科卒業。高校・大学ではサッカー部の活動に熱中した。同年、大隈鐵工所(現オークマ)入社。1972年に世界初となるコンピューターによる数値制御装置を開発。 電装事業部長、オークマ アメリカ社長等を経て、2006年、代表取締役社長。2013年、日本工作機械工業会会長。
杉山 尚志(すぎやま なおし、1942年7月17日 - )は… 杉山 尚志(すぎやま なおし、1942年7月17日 - )は、日本の実業家、半導体技術者。株式会社RVH創業者。元一般社団法人日本半導体ベンチャー協会副会長。 横浜市鶴見区生まれ。1967年東京工業大学理工学部応用物理学科卒業、日本電気入社、集積回路設計本部配属。日本電気回路技術部長を経て、1977年から超LSI技術研究組合共同研究所に参画。1980年日本電気に復帰。同年東京大学工学博士。1991年イノテック常務取締役。同年イノテックの子会社としてエクセレント・デザインを設立し取締役に就任。1992年北京大学指導教官。1993年イノテック代表取締役常務。1996年図研の出資を得て、リアルビジョン(のちのRVH)を設立し、同社代表取締役社長に就任。
本田 博俊(ほんだ ひろとし、1942年〈昭和17年〉4月1… 本田 博俊(ほんだ ひろとし、1942年〈昭和17年〉4月11日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。株式会社「無限」(現:M-TEC)の創業者。本田技研工業創業者・本田宗一郎の長男。 本田技研工業の創業者である本田宗一郎の長男として生まれる。 中学から高校時代に、父を介して浮谷東次郎に出会う。浮谷は、博俊が宗一郎から与えられた発売されたばかりのスーパーカブを乗り回しているのを記事で目にして興味を持ち、宗一郎に「あなたの息子の本田博俊さんと友人になりたい」との手紙を、私家版『がむしゃら1500キロ』に添えて送ったという。 日大豊山高校から日本大学理工学部へ入学後、芸術学部に転部し、工業デザイナーを志望する。
宮原 諄二(みやはら じゅんじ 1942年4月9日 - )は… 宮原 諄二(みやはら じゅんじ 1942年4月9日 - )は、日本の工学者、技術者、経営学者。元東京理科大学専門職大学院総合科学技術経営研究科教授、元一橋大学イノベーション研究センター長、元富士フイルム研究部長、機器事業本部部長。静岡県出身。 富士フイルム在職中に、放射線画像センサー「イメージング・プレート」を発明し、世界初の医療用デジタルX線画像診断システム開発に成功するとともに、同社の研究部長、機器事業本部部長等を歴任。その後、経営学系の研究者に転身し、一橋大学、東京理科大学の教授としてイノベーションに関する研究に従事。2010年、イノベーション・ファクター研究会を設立し、代表に就任。
土井 利忠(どい としただ、1942年2月2日 - )は、兵… 土井 利忠(どい としただ、1942年2月2日 - )は、兵庫県出身の技術者・経営者。「ホロトロピック・ネットワーク」代表。ペンネームは天外 伺朗(てんげ しろう)。 ソニー取締役、同社業務執行役員上席常務、ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所所長兼代表取締役社長、ソニーコンピュータサイエンス研究所取締役ファウンダーを務めた。 1960年、愛知県立旭丘高等学校卒業、弓道部。1964年、東京工業大学電子工学科卒業。1972年、東北大学工学博士(国内留学)。 東京工業大学卒業後ソニーに入社し、アンテナ、CAD、コンパクトディスクなどデジタル・オーディオ技術、ワークステーション「NEWS」、エンタテインメントロボット「AIBO」「QRIO」の開発を手がけたことで知られている。
苅谷 道郎(かりや みちお、1942年1月5日 - )は、日… 苅谷 道郎(かりや みちお、1942年1月5日 - )は、日本の技術者、実業家。ニコン代表取締役社長兼最高経営責任者兼最高執行責任者や、同社代表取締役会長を務めた。 神奈川県横浜市出身。1960年関東学院高等学校卒業。1965年横浜国立大学工学部応用化学科卒業。体育会ヨット部出身。無機化学を専攻し、1967年横浜国立大学大学院工学研究科修士課程修了、日本光学工業(現ニコン)入社。技術者としてレンズ開発などに携わった。1995年取締役相模原製作所長、1999年映像カンパニープレジデント。2001年常務。2002年精機カンパニープレジデント。2003年専務。2004年副社長。2005年社長兼CEO兼COO。
山内 康仁 (やまうち やすひと、1942年1月2日 - )… 山内 康仁 (やまうち やすひと、1942年1月2日 - )は、日本の技術者、実業家。アイシン精機代表取締役社長や、同社代表取締役副会長、日本鋳造工学会会長などを務めた。藍綬褒章受章。 愛知県出身。1968年東北大学大学院工学研究科修士課程修了、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社、鋳造担当に配属。1995年取締役。1999年常務取締役。2001年専務取締役。2005年からアイシン精機代表取締役社長を務めたが、2008年にリーマン・ショックが発生。2009年3月期には上場以来初の営業赤字となり、豊田幹司郎代表取締役会長の下で、アイシン精機代表取締役副会長に退いた。同年藍綬褒章受章。2011年アイシン精機相談役。
小方 武雄(おがた たけお、1942年 <昭和17年> - … 小方 武雄(おがた たけお、1942年 <昭和17年> - )は、日本の地方公務員、土木技術者。神奈川県県土整備部長、神奈川県都市整備技術センター理事長を歴任。勲位は瑞宝小綬章。 1942年 神奈川県相模原市生まれ。1961年 神奈川県立湘南高等学校卒業。1966年 東京大学工学部土木工学科卒業。同年 神奈川県庁に入庁し、土木部道路建設課、1988年 横浜国立大学非常勤講師、1989年 (平成元年) 厚木土木事務所道路都市課長、1991年 同部道路管理課長、1993年 小田原土木事務所長、1996年 同部道路整備課長。1998年 同部技監、2001年 県土整備部長。2003年 財団法人神奈川県都市整備技術センター理事長。
大場 宏(おおば ひろし、1942年 - )は、日本の電気技… 大場 宏(おおば ひろし、1942年 - )は、日本の電気技術者、住友電装元専務執行役員。 大阪工業大学工学部電気工学科を卒業後、住友電装に入社。主に技術部門や海外事業開発の要職を経験後、同社常務執行役員を経て、専務執行役員として経営に参画。特にワイヤーハーネス事業のグローバル展開において重要な役割を果たし、2002年にはヨーロッパ拠点のSumitomo Electric Wiring Systems Europe取締役を兼務するなど、海外戦略の推進を担った。2006年に専務執行役員を退任し、同社顧問に就任。長年にわたり、電気工学の専門知見を活かして自動車用配線システムの技術向上と事業拡大に貢献した。
加藤 眞(かとう しん、1941年12月13日 - )は、日… 加藤 眞(かとう しん、1941年12月13日 - )は、日本の実業家、エンジン技術者、レーシングカーデザイナーである。 株式会社サードの会長兼社長、株式会社シグマオートモーティブ会長、株式会社シグマ商事会長。父はトヨタ自動車販売社長加藤誠之。 1941年12月千葉県市川市に生まれる。 1965年日本大学理工学部工業経営学科(現・生産工学部)を卒業し、この当時父誠之()がトヨタ自動車販売で副社長であり「トヨタでもレースをやるようだから、そっちへ行ったらどうか」と入社を勧め、1965年4月トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に入社し試作課(後に車両試験課に改名)配属となった。トヨタ社員時代の研修で、キャロル・シェルビーの元でレースシリーズに同行しエンジニアリングとレースチーム運営のノウハウを学ぶ。
八方 隆邦(はっぽう たかくに、1941年11月22日 - … 八方 隆邦(はっぽう たかくに、1941年11月22日 - )は、日本の技術者。東京急行電鉄元取締役副社長。東急建設元取締役会長。国土交通省中央建設業審議会委員を歴任。 1964年 大阪工業大学工学部土木工学科(現在の都市デザイン工学科)卒業後、東京急行電鉄に入社。 1992年 交通事業部工務部土木課長、1998年 交通事業部長。1999年 取締役鉄道事業本部長。2001年 常務取締役。2005年 専務取締役。2006年 同社代表取締役副社長。2012年 系列グループの東急建設取締役相談役、2014年 同社取締役会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
野嶋 孝(のじま たかし、1941年10月22日 - )は、… 野嶋 孝(のじま たかし、1941年10月22日 - )は、日本の電気技術者。中部電力代表取締役副社長や、ファインセラミックスセンター理事長、電気学会会長を務めた。 1964年東北大学工学部電気工学科卒業、中部電力入社。1993年中部電力支配人工務部長。1995年中部電力取締役工務部長。1997年中部電力取締役企画部長。1999年中部電力常務取締役技術開発本部長。2000年豊橋技術科学大学運営諮問会議委員。2001年中部電力代表取締役副社長。2003年ファインセラミックスセンター理事長、名古屋テレビ放送番組審議会委員。2005年電気学会会長代理。2006年電気学会会長。中部科学技術センター会長、グレーター・ナゴヤ・イニシアティブ協議会副会長なども務めた。
横井 軍平(よこい ぐんぺい、1941年〈昭和16年〉9月1… 横井 軍平(よこい ぐんぺい、1941年〈昭和16年〉9月10日 - 1997年〈平成9年〉10月4日)は、日本の技術者、ゲームクリエイター。ゲーム業界に多大な貢献を行ったことから「ゲームの父」や「携帯ゲームの父」の異名で知られる。 京都府京都市出身。同志社大学工学部電気工学科卒。 任天堂開発第一部部長として『ゲーム&ウオッチ』、『ゲームボーイ』、『バーチャルボーイ』等の開発に携わり、宮本茂と並んで任天堂を世界的大企業へと押し上げる原動力となった。 趣味は鉄道模型で、小学3年生でOゲージを買ってもらい、中学2年生でHOゲージに転向、高校時代に完成させたレイアウト「SPライン(Sはsilk=絹、Pはparasol=傘、絹傘→きぬかさ→衣笠、当時の住所から使ったとのこと)」を専門誌『鉄道模型趣味』に投稿し、1958年1月号に掲載されている。
服部 重彦(はっとり しげひこ、1941年8月21日- )は… 服部 重彦(はっとり しげひこ、1941年8月21日- )は、日本の技術者、実業家。島津製作所代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、日本航空宇宙工業会副会長、京都工業会会長等を歴任した。
石原 廣司(いしはら ひろし、1941年8月1日 - )は、… 石原 廣司(いしはら ひろし、1941年8月1日 - )は、日本の実業家、電気通信主任技術者。古河電気工業代表取締役社長CEO兼COO、日本電線工業会会長などを務めた。旭日重光章受章。前島密賞受賞。 1965年北海道大学工学部電子工学科卒業、日本電信電話公社入社。1994年日本電信電話取締役設備企画部長。1995年日本電信電話取締役関東支社長。1996年日本電信電話常務取締役関東支社長。1999年古河電気工業専務取締役。2003年古河電気工業代表取締役社長、日本電線工業会会長。2004年古河電気工業代表取締役社長CEO兼COO。2008年古河電気工業代表取締役会長CEO、通信電線線材協会会長。2009年古河電気工業代表取締役会長。
小早川 隆治(こばやかわ たかはる、1941年〈昭和16年〉… 小早川 隆治(こばやかわ たかはる、1941年〈昭和16年〉3月8日 - )は、東京都出身の自動車技術者、モータージャーナリスト。小早川家当主。 日産自動車の自動車技術者の小早川元治の長男として誕生。 学習院大学理学部物理学科を卒業後、広島県の東洋工業(現:マツダ)に入社。RX-7&モータースポーツ担当主査、北米マツダ副社長などの役職を務める。 マツダを退職後はモータージャーナリストとしても活動。日本自動車研究者ジャーナリスト会議監事を務める。 出典が無い限り霞会館 1996, p. 608を参照している。
上田 恵一郎(うえだ けいいちろう、1941年1月19日 -… 上田 恵一郎(うえだ けいいちろう、1941年1月19日 - )は、日本の土木技術者、実業家。前田建設工業代表取締役副社長土木本部長を経て、同社取締役会長や、日本経団連むつ小川原開発推進委員会委員長を務めた。 1965年名古屋工業大学土木工学科卒業、前田建設工業入社。1996年九州支社長。1998年取締役に昇格。1999年常務取締役。2002年専務執行役員。2004年代表取締役副社長土木本部長。2006年には取締役会長及び日本経団連むつ小川原開発推進委員会委員長に就任したが、福島県知事汚職事件を受け辞任した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
中堀 一郎(なかほり いちろう、1941年-)は、日本の実業… 中堀 一郎(なかほり いちろう、1941年-)は、日本の実業家、技術者、工学博士。三菱電機を経て2000年に独立。創発システム研究所を設立。道路トンネル向けの「換気制御用ソフトウェア」「インバータ換気動力盤」「レーザー式車両検知器」などの開発で知られる。 1941年、京都府生まれ。 京都大学大学院修士課程(電気工学専攻)修了。工学博士。 1967年、三菱電機入社。中央研究所、制御製作所勤務を経て産業システム研究所所長、開発本部理事などを歴任し58歳にて早期退職。創発システム研究所を設立し、社長に就任。 1967年、入社。中央研究所で10年間研究開発に従事。 上水道・下水道の設備のシステム、さらに道路トンネルの換気制御システムを手掛ける。
中田 睦(なかた あつし、1941年(昭和16年) - )は… 中田 睦(なかた あつし、1941年(昭和16年) - )は、日本の土木技術者。 東京都出身。太田区立六郷小学校、品川区立大崎中学校、日本工業大学付属駒場高等学校(旧東京工業高等学校・機械科)、拓殖大学商学部貿易学科を卒業後に攻玉社短期大学土木科を卒業。その後(株)東京建設コンサルタントに入社。元同社取締役で、専門は河川構造物の計画・設計。2012年に慶應義塾大学文学部(人間関係学専攻)を卒業。 野球が好きで、中学・高校時代は野球部に属し、大学時代は明大OBで野球殿堂入り、三沢高校の甲子園主審等アマチュア野球界の名審判である郷司裕の下で、東京都高等学校野球連盟の審判員を約6年間務めた。当時は後のプロ野球選手、法政一校に田淵、早実に大矢、修徳高校には成田文男が居た。
菊地 洋一(きくち よういち、1941年 - )は、日本の土… 菊地 洋一(きくち よういち、1941年 - )は、日本の土木技術者。反原発活動家。 岩手県釜石市生まれ。1961年日本大学短期大学卒業後、建設コンサルタントとして様々な施設設計に携わる。知人から「原子力平和利用に力を貸してほしい」と請われて、1973年、アメリカ合衆国の電機メーカーゼネラル・エレクトリック(GE)の原発関連会社に入社。 1973年3月-1980年6月、GEの原子力事業部極東東京支社企画工程管理スペシャリストとして、東海第二発電所、福島第一原子力発電所6号機の建設の全体を統括し期限までに完成させる仕事に従事。 1980年にGEを退社。1981年よりアブダビで石油関連施設の建設(設計・施工管理)に従事。
市田 行則(いちだ ゆきのり、1940年〈昭和15年〉12月… 市田 行則(いちだ ゆきのり、1940年〈昭和15年〉12月27日 - )は、日本の電気技術者。元日本原子力発電社長、同会長。 宮城県出身。1964年(昭和39年)東京大学工学部卒業。東京電力に入社し、系統運用部長より1997年(平成9年)6月に取締役、ついで常務、副社長、技術開発本部長を経て、2004年(平成16年)6月、日本原子力発電社長に就任した。2009年(平成21年)6月、同会長に就任した。
岩崎欣二(いわさき きんじ、1940年12月22日 - 20… 岩崎欣二(いわさき きんじ、1940年12月22日 - 2006年6月28日)は、日本の無線通信技術の技術者、実業家。 大阪府大阪市出身。1963年東京大学工学部を卒業し、KDDに入社し、同年の日米初のテレビ衛星中継に関わった。1986年には通信分野の研究開発に対して与えられる前島密賞を受賞、同時受賞者には同じくKDDの村谷拓郎がいた。KDDI副社長・IP事業統括本部長兼研究開発本部管掌を務めた。 2006年6月28日に脳腫瘍のため死去した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
白水 宏典(しらみず こうすけ、1940年8月28日 - )… 白水 宏典(しらみず こうすけ、1940年8月28日 - )は、日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長や、ダイハツ工業代表取締役会長を務めた。 佐賀県鳥栖市出身。福岡県立明善高等学校を経て、1963年九州大学工学部造船科卒業。同年トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。田原工場第2製造部長を経て、1992年湯野川孝夫らとともに取締役に昇格。1997年常務取締役。2000年専務取締役。2001年取締役副社長。 2005年からダイハツ工業代表取締役会長を務め、系列の解体や軽自動車専用ラインの整備などを進めて、軽自動車販売台数で30年以上トップの座にあったスズキを抜き業界トップとした。トヨタ自動車の意向でグループ定年の68歳を超えても続投していたが、2011年相談役技監に退いた。