津曲 裕次(つまがり ゆうじ、1936年7月25日 - )は… 津曲 裕次(つまがり ゆうじ、1936年7月25日 - )は、障害者教育・福祉の歴史研究を専門とする研究・教育者。筑波大学名誉教授、高知女子大学名誉教授、長崎純心大学大学院教授を経て、現在、長崎純心大学客員教授。社会福祉法人滝乃川学園石井亮一・筆子記念館顧問。 本籍は鹿児島県。1961年東京教育大学教育学部特殊教育学科卒、1964年東京教育大学大学院教育学研究科修士課程修了、1966年東京教育大学大学院教育学研究科博士課程退学、奈良教育大学助教授、1972年東京教育大学講師、1975年東京教育大学助教授、1976年筑波大学助教授、1988年教授に就任。1996年筑波大学退官の後、1998年高知女子大学教授、2002年長崎純心大学大学院教授。
藤田 栄一(藤田 榮一、ふじた えいいち、1936年7月18… 藤田 栄一(藤田 榮一、ふじた えいいち、1936年7月18日 - )は、日本の英文学者、ビジネス英語教育者。 大阪府大阪市出身。1959年大阪府立大学経済学部卒、藤田鉄工所入社。1963年早川電機工業(シャープ)貿易部入社、大阪市立大学文学部英文科卒。1965年神戸大学大学院修士課程修了。1969年関西外国語大学専任講師となる。1972年助教授。1990年神戸女学院大学短期大学教授、神戸学院大学教授。専攻分野、英米文学(特にヘンリー・ジェイムズ)、英米文化、国際ビジネス、国際交渉・説得、国際普及学。
十文字 一夫(じゅうもんじ かずお、1936年4月13日 -… 十文字 一夫(じゅうもんじ かずお、1936年4月13日 - 2024年4月14日)は、日本の教育者。元学校法人十文字学園理事長。祖母は同創設者の十文字こと。母は同二代目理事長を務めた十文字良子、父は金門製作所社長の十文字俊夫。東京都出身。 1955年、東京教育大学附属高等学校を卒業。 1959年、慶應義塾大学法学部卒業。 1984年、学校法人十文字学園理事に就任。1987年に同学園の理事長に就任し、学園の運営に尽力した。 2024年4月14日に東京都内の病院で死去。一夫の死後は妻の十文字佑子が理事長に就任した。
鈴木 寛一(すずき かんいち、1936年(昭和11年)4月5… 鈴木 寛一(すずき かんいち、1936年(昭和11年)4月5日 - 2020年(令和2年)4月6日)は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者。妻は元うたのおねえさんの中川順子。 大阪生まれの京都育ち。1959年(昭和34年)東京藝術大学卒業。長坂好子、ロドルフォ・リッチに師事。はじめは古典と宗教音楽の研究及び演奏から活動を開始したという。1959年(昭和34年)捜真女学校の音楽教師に着任。同時に岩城宏之の推薦でモーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』ドン・オッタヴィオでオペラ界にデビュー。以来、プリモテノールとして数多くの舞台を経験。1977年(昭和52年)ウィーンに留学。海外ではリリー・コラーに師事。
木塚 晴夫(きづか はるお、1936年3月26日 - )は、… 木塚 晴夫(きづか はるお、1936年3月26日 - )は、日本の英語教育者。東京理科大学名誉教授。 東京出身。東京都立富士高等学校卒業後、渡米。カリフォルニア大学バークレー校卒業。政治(国際関係)を専攻した。帰国後、NHK国際局にて英語ニュース解説者、その後東京理科大学助教授、教授。2002年退職し、名誉教授となる。日本時事英語学会理事などを歴任した。
松野 茂(まつの しげる、1936年(昭和11年)3月8日 … 松野 茂(まつの しげる、1936年(昭和11年)3月8日 - 2017年(平成29年)4月3日)は、日本のコントラバス奏者、教育家、国立音楽大学名誉教授。 神奈川県川崎市生まれ。小学生の時からギターを習い始める。東京都立青山高等学校を経て、1956年に東洋音楽短期大学(現・東京音楽大学)声楽科を卒業する。 1956年4月、国立音楽大学器楽科(コントラバス)に入学し、寺田日瑳三(NHK交響楽団コントラバス首席奏者)に師事する。1959年8月から東京交響楽団に在籍する。1960年に器楽科(コントラバス)を卒業した後、同大学専攻科に入学する。1961年、専攻科を卒業した後、同年9月から1963年5月までマンハッタン音楽学校に留学し、ロバート・ベレナンド(ニューヨーク・フィルハーモニック)に師事する。
田村 哲夫(たむら てつお、1936年2月26日 - )は、… 田村 哲夫(たむら てつお、1936年2月26日 - )は、日本の教育者。学校法人青葉学園理事長、学校法人渋谷教育学園理事長 兼 学園長。渋谷教育学園幕張中学校・高等学校前校長、渋谷教育学園渋谷中学高等学校前校長。藍綬褒章受章。 1936年2月26日、東京府生まれ。麻布中学校・高等学校を経て、1958年に東京大学法学部を卒業し、住友銀行に入行。 1962年に同行を退き、学校法人渋谷教育学園理事に。1970年からは同学園理事長。1971年に株式会社日本コンピュータ学院研究所(現:ランドコンピュータ)を設立。学園経営においては、2000年以降、渋谷教育学園幕張中学校・高等学校を進学校に押し上げ、また、従来からあった、渋谷女子高等学校を廃止して渋谷教育学園渋谷中学校・高等学校を新設、進学校化に取り組んだ。
國武 豊喜(くにたけ とよき、1936年(昭和11年)2月2… 國武 豊喜(くにたけ とよき、1936年(昭和11年)2月26日 - )は、日本の化学者・教育者・会社役員。理研ベンチャーである株式会社ナノメンブレン取締役および北九州産業学術推進機構の理事長。北九州市立大学元副学長。 福岡県久留米市に生まれ、久留米大学附設高等学校卒業後、九州大学工学部応用化学科に入学。大学4年時に秋吉三郎教授、麻生忠二助教授の高分子化学講座へと配属される。修士課程修了後、秋吉教授の「アメリカの大学院を範とする基礎研究重視の大学院教育システムの確立」のため、ペンシルベニア大学の博士課程へと進学する (Ph.D. Adviser, Charles. C. Price)。約2年半で博士学位を取得し、カリフォルニア工科大学のCarl G. Niemann Groupで博士研究員として研究を行う。
野口 芳宏(のぐち よしひろ、1936年2月17日 - )は… 野口 芳宏(のぐち よしひろ、1936年2月17日 - )は、日本の教育者。国語や道徳の「授業名人」と称され、「模擬授業」の名付け親の一人としても著名。NHK「わくわく授業」出演。専門分野は、国語教育、道徳教育、家庭教育、幼児教育。植草学園大学発達教育学部名誉教授、日本教育技術学会名誉会長、日本言語技術教育学会理事、(公財)モラロジー研究所教育者講師等を歴任。幼年国語教育会名誉会員。 千葉県君津市生まれ。1958年千葉大学教育学部卒業。公立小学校教諭、千葉大学附属小学校教諭を経て、公立小学校教頭・校長を務める。退職後、北海道教育大学教授、植草学園大学発達教育学部教授、のち名誉教授。研究分野は国語教育、家庭教育、道徳教育、幼児教育。
冨田 多嘉子(とみた たかこ、1936年2月5日 - 202… 冨田 多嘉子(とみた たかこ、1936年2月5日 - 2020年4月4日)は、日本の薬学者・環境学者(生物薬学・生物環境学)、教育者。位階は従四位。学位は薬学博士(大阪大学・1969年)。静岡県立大学名誉教授。「冨」は「富」の異体字のため、富田 多嘉子(とみた たかこ)と表記されることもある。 静岡薬科大学薬学部助教授、静岡県立大学薬学部教授、静岡県立大学大学院生活健康科学研究科教授、静岡英和女学院高等学校校長、学校法人静岡英和女学院理事長、静岡県公立大学法人監事などを歴任した。 大阪府出身の生物薬学を専攻する薬学者であり、生物環境学を専攻する環境学者でもある。小児の動脈硬化に関する研究や、内分泌攪乱化学物質の研究などで知られている。
中村 邦子(なかむら くにこ、1936年(昭和11年)1月2… 中村 邦子(なかむら くにこ、1936年(昭和11年)1月21日 - 1996年(平成8年)9月1日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。旧姓:大庭。 東京出身。青山学院中等部・高等部を経て、1959年(昭和34年)に東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。畑中良輔、畑中更予、伊藤京子、リリー・コラーに師事。 在学中の1958年(昭和33年)にデビュー。以後、二期会、東京室内歌劇場を中心に多数のオペラに出演しており、昭和音楽大学オペラ情報センターだけでも58回の出演歴が記録されている(大庭邦子3回、中村邦子55回)。 歌曲や宗教曲等でも活躍。特に日本歌曲においてリサイタル等で活躍し、多くの録音も残している。
上條 宏之(かみじょう ひろゆき、1936年1月17日 - … 上條 宏之(かみじょう ひろゆき、1936年1月17日 - 2023年2月7日)は、日本の歴史学者(郷土史家)・教育者。信州大学名誉教授。専攻は日本近代史。 長野県松本市出身。長野県松本深志高等学校を経て、1958年に東京教育大学文学部史学科を卒業。長野県内の公立高等学校教諭を経て、長野県県政史編纂室に勤務後、長野県短期大学助教授、信州大学教授を経て、長野県短期大学学長。 2018年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
野原 明(のばら あきら、1936年1月17日 - )は、日… 野原 明(のばら あきら、1936年1月17日 - )は、日本の教育者。文化学園大学名誉教授、日本教育文化研究所所長。 大阪府大阪市出身。大阪府立吹田高等学校卒業、1958年に京都大学経済学部卒業後、朝日放送記者、NHK社会部記者を務める。教育問題を専門とする。 1983年から2001年までNHK解説委員。2000年より学校法人文化学園の運営に関わり、2001年から2012年まで文化学園大学総合教養系教授兼文化学園大学附属杉並中学校・高等学校校長を務めた。 日本教育社会学会、日本カリキュラム学会、日本国際理解教育学会所属。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小宮路 敏(こみやじ さとし、1936年(昭和11年)1月8… 小宮路 敏(こみやじ さとし、1936年(昭和11年)1月8日 - 2018年(平成30年)11月14日)は、昭和・平成時代に活動した日本の教育者、作曲家。玉川学園小学部教諭、玉川大学講師(通信教育課程で音楽を担当)。元文部科学省認定小学校音楽教科書編集委員。名前は「こみやじ びん」と音読みで呼ばれることが多かった。 関東州大連市生まれ、内地引き揚げ後は鹿児島県に住む。現在の鹿児島大学教育学部附属中学校から鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、鹿児島大学教育学部音楽科で学ぶ。鹿児島大学卒業後、鹿児島県揖宿郡開聞町(現・指宿市)の開聞中学校で音楽教師を4年間勤めた後、玉川学園創設者小原國芳に導かれ、1962年(昭和37年)東京都町田市にある玉川学園に赴任。
尾澤 正毅(おざわ まさき、1936年 - 2010年)は、… 尾澤 正毅(おざわ まさき、1936年 - 2010年)は、日本の彫刻家、教育者、教育学者(美術教育)。福井大学名誉教授。姓の「澤」は「沢」の旧字体のため、新字体で尾沢 正毅(おざわ まさき)と表記されることもある。 東京都公立高等学校講師、福井大学教育学部教授、福井大学教育地域科学部教授などを歴任した。 長野県出身の彫刻家である。東京芸術大学美術学部を卒業後、彫刻家として活動した。また、並行して、東京都の公立高等学校にて非常勤で教鞭を執った。のちに福井大学に奉職し、教育学部にて助教授や教授を務め、さらに教育地域科学部の教授を務めるなど、後進の育成にも力を注いだ。2005年の国民文化祭では彫刻部門の審査員を務めており、福井県立美術館では実技講座専門彫刻の講師を務めるなど、地域社会の芸術の振興にも力を尽くした。
小平 克(こだいら まさる、1936年 - )は、日本の教育… 小平 克(こだいら まさる、1936年 - )は、日本の教育者。専門は、森鴎外研究。 茨城県出身。本籍は長野県であり、諏訪郡豊平村(現・茅野市)育ち。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京教育大学文学部倫理学専攻(現・筑波大学人文・文化学群)卒業。香川県立高等学校教諭、 東京都立両国高等学校など東京都立高等学校教諭を務め、倫理・社会を担当。森鴎外を研究。
高山 修(たかやま おさむ、1936年 - )は、日本の教育… 高山 修(たかやま おさむ、1936年 - )は、日本の教育者。リーフラス株式会社最高教育責任者。 1936年、長野県生まれ。『個別指導』『体験学習』の重要性を提唱した教育実践者。玉川大学文学部卒。玉川大学文学部講師就任。長野県小・中学校教諭、教頭・校長を歴任。退職後、フォレストパル王滝塾を創設し、全寮制の自然体験教育を実践する。特に、国際教育体験活動に力を入れ、オーストラリアの子どもたちとの交流を深める。その模様はNHKに放送され反響を呼んだ[要出典]。長野県王滝村教育委員会教育委員を8年間務めた。現在も教育のあり方を追究し続け、個別教育相談にも応じている。現在は、日本最大の子ども向けスポーツスクールを経営するリーフラス株式会社最高教育責任者。
坂上 昌子(さかがみ まさこ、1936年(昭和11年) - … 坂上 昌子(さかがみ まさこ、1936年(昭和11年) - )は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。木下保の長女。 東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。 中山悌一、大熊文子に師事。発声法を森明彦に師事。現在は小松英典に師事。 父、木下保に“やまとことばを美しく”の指導を受ける(“やまとことば”については「木下保」の項を参照)。1967年(昭和42年)第1回のリサイタルより2003年(平成15年)第10回のリサイタルまでを開催する。ほかに、玉川学園『第九』のソプラノソリストを3回務めている。 1986年(昭和61年)に論文『日本歌曲における“やまとことば”の歌唱法と発声法』を日本声楽発声学会誌に発表。
中野 三敏(なかの みつとし、1935年《昭和10年》11月… 中野 三敏(なかの みつとし、1935年《昭和10年》11月24日 - 2019年《令和元年》11月27日)は、日本の教育者・文学者(日本近世文学)。位階は従三位。学位は、文学博士(早稲田大学・1982年)。九州大学名誉教授。文化功労者。文化勲章受章。 正則高等学校教諭、愛知淑徳短期大学国文学科助教授、九州大学文学部教授、九州大学文学部長、福岡大学人文学部教授などを歴任。 福岡県生まれ佐賀県武雄市育ちの日本文学研究者である。江戸から明治期の近世文学を中心に研究する。九州大学文学部学部長などを務め、のちに名誉教授となった。 福岡県に生まれ佐賀県武雄市で育つ。父 中野敏雄は戦前、高額納税者で貴族院議員、戦時中は、海軍参与官で、戦後GHQにより公職追放にあったが、後1954年に合併によって誕生した佐賀県武雄市の初代市長に就任。
小林 和男(こばやし かずお、1935年〈昭和10年〉10月… 小林 和男(こばやし かずお、1935年〈昭和10年〉10月30日 - 2018年〈平成30年〉1月26日)は、日本の政治家、地方公務員、教育者。北海道乙部町出身。北海道学芸大学旭川分校卒業。北海道三笠市市長(3期)。 8人兄弟の5番目として生まれる。大学卒業後、小中学校教諭、三笠市立博物館副館長を経て、1987年三笠市議会議員に当選。その後の市議選で落選し、1999年7月三笠市教育長に就任。市教育長を辞職して、2003年三笠市長選に立候補し初当選。2011年3期目当選。市長在職中は全国市長会理事も務めていた。2015年任期満了で市長を退任。 退任後は、後任の西城賢策市長の発案により、三笠市の特産品などをPRする目的で新設した特命大使第1号に任命された。
牧田 登之(まきた たかし、1935年(昭和10年)9月21… 牧田 登之(まきた たかし、1935年(昭和10年)9月21日 - 2012年(平成24年)2月13日)は、日本の教育者、獣医学者。農学博士(1966年、東京大学にて取得)。 滋賀県近江八幡市馬淵町に生まれる。東京大学大学院を修了後、山口大学農学部にて30年以上にわたり教鞭をとる。獣医学科(現共同獣医学部)の立ち上げにも深く関わり、長年その中心人物として活躍した。また農学部学部長を務めた。電子顕微鏡の第一人者。カナダをはじめとして各国への留学も積極的に行った。中国新聞社より中国文化賞受賞。山口大学退職後、長年にわたり動物看護士の育成に努めた。教え子に衆議院議員の山際大志郎がいる。 1966年、東京大学 農学博士。
菴谷 利夫(いおや としお、1935年8月28日 - 201… 菴谷 利夫(いおや としお、1935年8月28日 - 2011年2月28日)は、日本の文部官僚、教育者、松本大学第2代学長。 長野県東筑摩郡島内村(現・松本市)出身。長野県松本深志高等学校、東京大学教育学部教育行政学科卒業。東大在学中、野球に打ち込んだ。 1960年に文部省に入省した。同省では、財務課長、大臣官房審議官(人事課長)、教育助成局担当審議官(高等教育局担当審議官)、京都大学事務局長(官房審議官・教育助成局担当)、教育助成局長などを歴任した。 1991年6月11日付で文部省を退職した。その後、日本育英会理事を経て、1997年12月12日付で国立特殊教育総合研究所所長となった。 1999年に、長野県の学校法人佐久学園の理事長となったが、これは1996年に傘下の信州短期大学(後の佐久大学信州短期大学部の前身)の補助金不正受給問題が明るみに出た後、立て直しを図った北條舒正(信州大学元学長)の後任であった。
土屋 道雄(つちや みちお、1935年(昭和10年)8月22… 土屋 道雄(つちや みちお、1935年(昭和10年)8月22日 - )は、日本の国語教育者。編集者、文筆家。元横浜創英短期大学教授。 長野県生まれ。1958年防衛大学校土木工学科卒、在学中より福田恆存に師事。 1960年から16年間国語問題協議会の主事として機関紙「国語国字」の編集を担当。1969年に『評論』で自由新人賞を受賞。 1976年に横浜創英短期大学助教授に就任し、のち教授、同校図書館長を歴任。 ※:Amazon Kindleで再刊
有田和正(ありた かずまさ、1935年8月3日 - 2014… 有田和正(ありた かずまさ、1935年8月3日 - 2014年5月2日)は、日本の教育者・教育学者。 1935年 福岡県田川郡川崎町生まれ 1958年 玉川大学文学部教育学科卒業 1958年 福岡県の公立小学校の教諭となる。 1967~1976年 福岡教育大学附属小倉小学校教諭 1976~1992年 筑波大学附属小学校教諭 1976年より社会科・生活科の教科書(教育出版)を執筆。 1992~1999年 愛知教育大学教授 1999年 愛知教育大学教授退官・名誉教授 教材・授業開発研究所を立ち上げる(代表) 2006~2010年 東北福祉大学子ども科学部教授 2010年〜 東北福祉大学子ども科学部特任教授 2014年5月2日 逝去
玉置 勝彦(たまき かつひこ、1935年7月30日 - 20… 玉置 勝彦(たまき かつひこ、1935年7月30日 - 2014年9月21日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者、教育者。 東京藝術大学器楽科卒業、同専攻科修了。国内外各地のオーケストラでヴィオラ奏者を務め、ニュルンベルク交響楽団と東京フィルハーモニー交響楽団では首席奏者を歴任した。独奏や室内楽の分野においても、多岐にわたる演奏活動を展開した。1995年には、アルフレッド・ショッパー、デトマール・テツラフ、小林仁らと室内楽グループ「ニュールンベルグ・ムジーク・コレーゲン」を結成。国内各地で演奏会を開催したほか、ドイツとオーストリアへの演奏旅行も行った。 指揮法を渡邉暁雄に師事し、指揮者としても国内各地のプロオーケストラと共演した(日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、東京交響楽団など。
白岩 伸介(しろいわ しんすけ、1935年7月18日 - )… 白岩 伸介(しろいわ しんすけ、1935年7月18日 - )は日本画家、教育者。本名は圭介(けいすけ) 。 福島県常葉町生まれ。東京藝術大学日本画科卒・専攻科修了。青郁会、鎌倉会所属。前田青邨、平山郁夫、須田珙中に師事。日本美術院院友。魚と人との関係のテーマの作品多数、その他ヨーロッパ風景画等。昭和49年、高松塚古墳復刻プロジェクトに携わる(白虎担当)農林水産省分室会議室、長官室、ウズベキスタン・日本人材開発センター等に飾られている。
嶋田 正義(しまだ まさよし、1935年4月6日 - 202… 嶋田 正義(しまだ まさよし、1935年4月6日 - 2021年11月30日)は、日本の教育者、政治家。兵庫県神崎郡福崎町長(通算5期)。兵庫県町村会理事。全国小さくても輝く自治体フォーラム呼びかけ人。 福崎町出身。神戸大学教育学部卒業後、郷里の中学校での15年間に及ぶ教員生活を経て、福崎町議会議員(日本共産党公認)に転じる。町議は5期20年にわたり務めた。 1995年12月3日投開票の町長選挙に無所属(「明るい福崎町をつくる会」推薦)で立候補、現職の松岡忠能を破り初当選を果たす。当時、共産党籍を持つ首長は山田兼三兵庫県南光町(現佐用町)長、関口荘六新潟県三和村(現上越市)長に次いで3人目となった。
豊田 裕(とよだ ゆたか、1935年(昭和10年)3月8日 … 豊田 裕(とよだ ゆたか、1935年(昭和10年)3月8日 - 2021年(令和3年)5月28日)は、日本の研究者・教育者。帯広畜産大学名誉教授。栃木県芳賀郡二宮町出身。 1953年栃木県立真岡高等学校、1957年東京大学農学部畜産学科を卒業、1962年同大学院生物系研究科(現・理学系研究科)博士課程を修了(農学博士)。同年東北大学農学部助手(家畜繁殖学講座・竹内三郎教授)。1967年~1968年米国・ウースター実験生物学研究所(英語版)に留学し、M.C.チャン(英語版)の指導を受ける。1968年北里大学畜産学部助教授、1971年教授、1987年東京大学医科学研究所教授、1995年定年退職、帯広畜産大学原虫病分子免疫研究センター教授、1998年名誉教授。
齋藤 龍 (さいとう りゅう、女性、1935年3月 - 20… 齋藤 龍 (さいとう りゅう、女性、1935年3月 - 2025年7月28日)は、日本の音楽学者、音楽教育者、文筆家。旧姓は渡邊。 横浜市で初の女性助役に任命された。財団法人横浜市芸術文化振興財団理事長も務めた。 教育者の渡邊潜龍・カツの一人娘として横浜市鶴見区に生まれる。横浜市立磯子国民学校(現・横浜市立磯子小学校)、鶴見女子中学校 から神奈川県立希望ヶ丘高等学校に進学。希望ヶ丘高等学校では男女共学実施後の女子1期生で、式典でピアノ演奏に起用されたりしたが、3年生のときに芸術科を新設した東京都立駒場高等学校に移る。ピアニストを志望し、石渡日出夫よりピアノの指導を受けた。東京芸術大学音楽学部楽理科に進み、音楽学を服部幸三に師事し、西洋音楽史を専攻する。
向井 正剛(むかい まさかた、1935年(昭和10年)2月1… 向井 正剛(むかい まさかた、1935年(昭和10年)2月11日 - )は、日本の教育者であり、高校野球監督でもある。岡山県下の高校野球監督として春夏通じて唯一の優勝経験者。岡山東商業高等学校の監督時代に、同郷のエース平松政次を擁して春の甲子園で優勝した。岡山県高梁市出身。 1935年(昭和10年)に岡山県高梁市で生まれる。戦後に地元の岡山県立高梁高等学校に進み、同期には富士銀行(現:みずほFG)頭取・日本政策投資銀行社長になる橋本徹、伊藤忠商事副社長になる森澤寛二、群馬大学医学部教授の伊吹令人、ノートルダム清心女子大学教授の南智、新宿で高級和食料理店「車屋」を起業する佐藤勇がいた。 高校時代は硬式野球部に所属したが、普通科高校であるため、野球部の人気が無く部員不足により2年秋で休部となった。
玉井 義臣(たまい よしおみ、1935年2月6日 – 202… 玉井 義臣(たまい よしおみ、1935年2月6日 – 2025年7月5日)は、日本の社会運動家、教育者。あしなが運動創始者。「あしなが育英会」前会長。 1935年2月6日、大阪府池田市に生まれる。大阪府立池田高等学校を卒業後、滋賀大学経済学部に入学し、1958年に卒業。証券会社勤務等を経て、経済評論家として文筆活動に入る。1963年、母親が交通事故に遭ったことを契機に「交通評論家」としての活動を開始(母親は昏睡状態のまま36日後に死去)。また、妻も20代で脊椎ガンにて下半身不随となり、2年半後に死別。これらふたつの「死」が、玉井の「あしなが運動」の原点となる。 「あしなが運動」開始後は、自賠責保険の支払限度額引き上げなどの問題提起を行い、1966年からは「桂小金治アフタヌーンショー」(NET)で週1回行われた「交通事故防止キャンペーン」コーナーにレギュラー出演し、各界関係者と議論を戦わせ刑法211条改正実現等に尽力した。
伊吹 令人(いぶき よしと、1935年(昭和10年)1月19… 伊吹 令人(いぶき よしと、1935年(昭和10年)1月19日 - 2015年(平成27年)12月19日)は、日本の医学者であり、教育者である。群馬大学医学部教授を務めた後、日本産婦人科学会名誉会員。岡山県高梁市出身。 1935年(昭和10年)岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)に生れる。母・三千子は、漢詩人・磯部杳坡の孫であり、磯部にとって初曽孫であった。親戚にUCLAに留学後、お茶の水女子大学名誉教授の伊吹知勢がいる。 その後、1950年(昭和25年)地元の岡山県立高梁高等学校へ進学する。同期には、富士銀行頭取になる橋本徹、伊藤忠商事副社長になる森澤寛二、岡山東商を甲子園優勝に導いた向井正剛、大学教授の南智、新宿で高級和食料理店「車屋」を起業する佐藤勇がいた。
福本 晃(ふくもと あきら、1935年(昭和10年) - )… 福本 晃(ふくもと あきら、1935年(昭和10年) - )は松下電器(現・パナソニックホールディングス)の元副理事であり、教育者でもある。鳥取大学客員教授を務めた。岡山県出身。 1935年(昭和10年)に岡山県で生まれる。小学校時代から電気工作が好きであり、高梁市内にあるラジオ屋に出入りしていた。地元の岡山県立高梁高校へ進学し、高校時代には、放送機を自作し高校の友人と通信していた。1954年(昭和29年)に同校を卒業。同年、大阪大学理学部へ入学した。その後、同大学を1958年に卒業し、マサチューセッツ工科大学へ入学、Ph.D in Physics(理学博士)を取得し1960年(昭和35年)に卒業したと同時に松下電器へ入社した。
南 智(みなみ さとる、1935年(昭和10年) - )は、… 南 智(みなみ さとる、1935年(昭和10年) - )は、日本の教育者であり、歴史家である。郷土史家として活動し、岡山県教育史編集委員、岡山県文化財保護審議会会長、元ノートルダム清心女子大学文学部教授を務めた。岡山県高梁市出身。 1935年(昭和10年)岡山県高梁市で生まれる。1950年(昭和25年)岡山県立高梁高等学校へ進学する。同期には、富士銀行頭取・日本政策投資銀行社長になる橋本徹、伊藤忠商事副社長になる森澤寛二、岡山東商を甲子園優勝に導いた向井正剛、群馬大学医学部教授の伊吹令人、新宿で高級和食料理店「車屋本店」を起業する佐藤勇がいた。1953年(昭和28年)岡山県立高梁高等学校を卒業し、岡山大学法文学部へ進学する。
佐治 薫子(さじ しげこ、1935年 - )は、日本の音楽教… 佐治 薫子(さじ しげこ、1935年 - )は、日本の音楽教育者。千葉県少年少女オーケストラ現音楽監督。公益財団法人千葉県文化振興財団特別参与。白井誠・星野保由両氏の勧めで、リード合奏の指導に情熱を傾け、J.S.バッハの音楽を中心に演奏活動をし「山の中のバッハ先生」として全国放送された。音楽教員時代の40年間の間に赴任先の学校にて40回以上の全国優勝に導き、すべての赴任先の学校をTBSこども音楽コンクールやNHK全国合奏コンクールなどにおいて、文部大臣(現・文部科学大臣)奨励賞(日本一)に導いた。この過程で、千葉県の小中学校のオーケストラを全国レベルに高めた。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
生野 善応(いくの ぜんのう、1935年 - )は、浄土宗僧… 生野 善応(いくの ぜんのう、1935年 - )は、浄土宗僧侶、仏教学者、教育者。ビルマ仏教。 東京生まれ。1963年東京大学文学部宗教学科卒、1968年同大学院人文科学研究科博士課程満期退学。浄土宗光福寺住職。芝中学校・高等学校教諭。
尾木 和英(おぎ かずあき、1935年- )は、日本の教育者… 尾木 和英(おぎ かずあき、1935年- )は、日本の教育者・教育学者、東京女子体育大学名誉教授。 東京学芸大学卒。東京都公立学校教諭、東京都教育委員会指導主事、同多摩教育事務所指導課長などを経て東京女子体育大学教授。同理事をへて名誉教授。その間に文部省の高等学校総則指導資料作成協力者、中学校国語指導資料作成協力者、中央教育審議会専門委員、学習指導要領改善調査研究協力者(中学校総則)等を務める。
芝 竹夫 (しば たけお、1935年 - 2013年10月2… 芝 竹夫 (しば たけお、1935年 - 2013年10月2日)は、日本の教育者。福岡県田川郡内の小学校、中学校教諭。社会運動家。 愛知県名古屋市に生まれる。1943年に福井県小浜市に疎開。同時期に俳優の山城新伍、俳人の島田玲子も同市に疎開していた。1947年福岡県筑豊にて育つ。 1958年北九州市立大学外国語学部米英科卒業。のちに福岡県田川郡内の小学校、中学校教諭を務め、1995年定年退職。 2013年10月2日死去。
小倉 肇 (おぐら はじむ、1935年(昭和10年) - 2… 小倉 肇 (おぐら はじむ、1935年(昭和10年) - 2016年(平成28年)3月5日)は、日本の教育者、児童文学作家、民俗学者、郷土史家。 三重県紀北教育研究所長、みえ熊野学研究会運営委員長、紀北民俗研究会長、熊野古道語り部友の会顧問などを務める。日本児童文学者協会員。 三重県長島町(後の紀伊長島町、現紀北町)東長島生まれ。 1957年に国立三重大学教育学部二部甲類を修了し、三重県教員となり県下各地の小学校教員を務める。教員在職中は教育事務所社会教育主事、三重県尾鷲教育事務所長、各地の小中学校長を歴任した後、1996年の紀伊長島町立西小学校長を最後に退職する。退職後は紀伊長島町教育長を同年から2005年まで務め、11月の紀伊長島町と海山町の合併に伴い誕生した紀北町教育長に続けて就任した。
荒 道子(あら みちこ、本名:田中 道子(たなか みちこ)、… 荒 道子(あら みちこ、本名:田中 道子(たなか みちこ)、1934年(昭和9年)11月20日 - )は、日本の声楽家(メゾソプラノ・アルト)、音楽教育者。海外経験が豊富であり、欧州の歌劇場と専属契約する日本人歌手の草分けとして、オペラの重要な役柄を務めた。また、数多くのコンサートでも活躍している。現在は音楽教育者として後進の育成に注力している。 愛知県豊橋市出身。愛知県立時習館高等学校卒業。1961年(昭和36年)東京藝術大学声楽科卒。 藝大在学中にモーツァルト『フィガロの結婚』マルチェリーナでデビュー。1964年(昭和39年)には2月16,18日 日生劇場 ストラヴィンスキー『放蕩者のなりゆき』(指揮:森正)トルコ女ババ、続いて3月20日 NHK歌劇の夕べ・東京文化会館大ホール 石井歓『役の行者』(指揮:若杉弘)葛城の魔女を演じた後、留学に出発する。
升田 重蔵(ますだ じゅうぞう、1934年11月6日-200… 升田 重蔵(ますだ じゅうぞう、1934年11月6日-2001年10月5日)は、日本の政治家・教育者。北海道島牧郡島牧村出身。北海道寿都町町長(1996年-2001年、2期)。位階は正六位。勲五等瑞宝章受章。 漁師の家に生まれる。北海道小樽水産高等学校卒業。1952年、島牧村の小学校助教諭に就く。日本大学文理学部通信教育課程卒業。日本大学で教員免許を取得し、歌棄中学校や寿都中学校などで教諭を務めた。寿都中学校長を経て、1992年寿都町教育委員会勤務。1994年寿都町教育長。1996年寿都町町長選挙に出馬し、同じ新人の岡部武を破って初当選。2000年も無投票で再選したが、2001年10月 在職中に逝去。
三隅 佳子(みすみ よしこ、1934年〈昭和9年〉9月7日 … 三隅 佳子(みすみ よしこ、1934年〈昭和9年〉9月7日 - 2018年〈平成30年〉9月7日)は、日本の地方公務員、教育者である。専門は家政学、ジェンダー問題。 福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高校、共立女子大学を卒業後、5年間小学校の教員を務めた。退職後は子育てに専念する中でPTAや母の会の活動を始め、1978年(昭和53年)、北九州市社会教育指導員となる。 その後短大講師を経て1982年(昭和57年)、北九州市役所で初めて民間出身の女性管理職となり、翌1983年(昭和58年)には初代の婦人対策室室長に就任。1990年(平成2年)には市民局女性行政推進部長、併せて財団法人アジア女性交流・研究フォーラムの専務理事にも就任した。
奥本 務(おくもと つとむ、1934年(昭和9年)7月3日 … 奥本 務(おくもと つとむ、1934年(昭和9年)7月3日 - 2024年(令和6年)1月15日)は、日本の政治家、教育者。元大阪府高槻市長(3期)。 1934年京都府京都市南区にて出生。滋賀大学学芸学部(現教育学部)卒業。1960年より大阪府内の公立小学校に奉職し、高槻市立第三中学校教諭、教育委員会管理部長、市民福祉部長、市長公室長などを歴任。1988年高槻市助役に就任(3期)。 1999年、高槻市長に初当選。2011年4月30日に任期満了にともない市長を退任。2018年、旭日小綬章を受章。 2024年1月15日、誤嚥性肺炎のため、死去した。89歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
戸部 実之(とべ みゆき、1934年6月27日- )は、日本… 戸部 実之(とべ みゆき、1934年6月27日- )は、日本の語学書ライター、教育者(大学教授)。 岐阜県出身。東京外国語大学英米学科卒。NHK国際局報道部、東海大学外国語教育センター教授を歴任。 1986年から1998年までの間に、泰流社(1998年に廃業)から文法書や辞書などの語学書を出版していた。語学書の対象とした言語は非常に多く、アラビア語やイタリア語といったメジャーな言語はもとより、ミウォク語やパパゴ語(英語版)といったマイナーな言語までカバーしていた。これらの語学書の出版点数は、1998年には83点を数えるに至ったが、同年の泰流社の廃業により出版元を失って以降は出版されていない。そのほか、評論社から国木田独歩や二葉亭四迷の作品の英訳を出版した。
飯山 恵巳子(いいやま えみこ、1934年〈昭和9年〉4月1… 飯山 恵巳子(いいやま えみこ、1934年〈昭和9年〉4月16日 - )は日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。東京都港区[要出典]出身。 (ヤマハ新人演奏会) (神奈川県立音楽堂) ピアノ伴奏:小池ふさ (銀座ヤマハホール) ピアノ伴奏:小池ふさ “Ah,lo previdi” K272 ピアノ伴奏:小池ふさ (オーストリア放送局) ピアノ伴奏:Walter Moore (コンツエルトハウス定期演奏会) (Konzerthaus) オーケストラ:ウイーン室内管弦楽団合唱:ウイーン室内合唱団指揮:Hanns Gillesberger (コンツエルトハウス定期演奏会) (Konzerthaus) (ソプラノソロと室内楽) アンサンブル:die reihe 指揮:Friedrich Cerha (20世紀美術館ホール) アンサンブル:die reihe指揮:F.Cerha (オーストリア放送局) (クラーゲンフルト) Drei Lieder Op.23 Rudenaue: Lieder “Tanka” ピアノ伴奏:Walter Moore ↓ 29日 Russe(1/23)Stara Zagola(1/25,1/30,2/1)Bourgas(1/29) 蝶々夫人役で5回の客演 (Musikverein grober Saal) オーケストラと合唱:Wiener Kluturgesellschaft-Orchester u.Chor 指揮:Josef.M.Muller (20世紀美術館ホール) B.Dimov:“Incantaziones Ⅱ”M.Rudenauer:Lieder “Tanka”アンサンブル:die reiheピアノ:K.Wittlich指揮:F.Cerha アムステルダム(コンセルトヘボウ) ブリュッセル(フィルハーモニーホール) マインツアクイラ(テアトロ・オリンピコ)
島村 宜伸(しまむら よしのぶ、1934年〈昭和9年〉3月2… 島村 宜伸(しまむら よしのぶ、1934年〈昭和9年〉3月27日 - )は、日本の政治家、教育者。衆議院議員(9期)、文部大臣(第118代)、農林水産大臣(第26・36代)、自由民主党国会対策委員長(第40代)、自由民主党総裁特別補佐、志帥会名誉会長、学校法人杉並学院(杉並学院高等学校)理事長等を歴任した。元日本プロスポーツ協会会長。 元衆議院議員で石橋派や宏池会に属した島村一郎の六男。 東京都江戸川区生まれ。東京都立両国高等学校、学習院大学政経学部政治学科卒業。学習院大学入学後、学習院院長の安倍能成から頼まれ、皇太子(明仁親王)の学友になった。また島村は唯一、自身の同級生たる天皇から国務大臣に認証された政治家である。
米田 憲三(よねだ けんぞう、1934年(昭和9年)3月12… 米田 憲三(よねだ けんぞう、1934年(昭和9年)3月12日 - )は、日本の歌人、文学者、教育者。富山県歌人連盟名誉会長。1997年、「神苑の森厳寒」で第15回とやま文学賞を受賞。2004年、春の叙勲で瑞宝小綬章を受章。 教職の傍ら作歌を続け、越中万葉や富山県や石川県の郷土文学に関する調査研究に携わる。1962年、戦後歌壇を代表する女性歌人・齋藤史が設立した短歌結社「原型歌人会」にて、歌誌「原型富山」の創刊にかかわり、「原型歌人会」の活動に尽力。1968年に歌集『海蝕』でデビュー。代表作に歌集『ロシナンテの耳』(2004年、角川書店)、『風を抱く』(2024年、青磁社)、エッセイ集『風の落とし文』(2004年、短歌時代社)などがある。
黒羽 清隆(くろは きよたか、1934年(昭和9年)2月25… 黒羽 清隆(くろは きよたか、1934年(昭和9年)2月25日 - 1987年(昭和62年)6月19日)は、日本の歴史学者・教育者。静岡大学教育学部教授。東京都杉並区出身。 歴史教育や日中戦争・太平洋戦争についての著作がある。教科書の自由発行、自由選択を支持し、家永教科書裁判当事者を支援した。 東京教育大学文学部史学科卒業。 中学教諭として新宿区立東戸山中学校、同四谷第一中学校で教鞭をとった後[要出典]、東京都立大学附属高等学校・東京学芸大学教育学部附属高等学校教諭となる。この間、和歌森の後任として1969年から10年間、NHK通信高校テレビ講座で日本史を担当した。 1975年から1977年まで東京学芸大学・中央大学の非常勤講師を併任、1979年に静岡大学教育学部助教授となる。
笠 耐(りゅう たえ、女性、1934年2月24日 - 202… 笠 耐(りゅう たえ、女性、1934年2月24日 - 2025年3月6日)は、日本の物理教育者。元上智大学助教授。 福岡県生まれ。檀一雄の母と、高岩勘次郎の娘で、兄に高岩淡がいる。福岡県立修猷館高等学校を経て、お茶の水女子大学理学部物理学科卒業。上智大学理工学部専任講師、助教授。2002年、IUPAP-ICPE(国際純粋応用物理学連合-国際物理教育委員会)メダルを受賞。2004年上智大学定年。2025年3月6日死去。 夫は笠啓一(1928年広島県生まれ、1950年旧制第一高等学校卒業、文芸評論家)。 子は笠浩一郎(1958年生、(株)グリーンデザイン&コンサルティング代表取締役)、潤平(1959年生、香川大学教授)。
足立 明男(あだち あけお、1934年(昭和9年)1月13日… 足立 明男(あだち あけお、1934年(昭和9年)1月13日 - 2023年7月)は、日本の美術教育者。山口県立美術館副館長、山口県立萩美術館・浦上記念館館長、山口情報芸術センター館長などを歴任した。 1934年、山口県生まれ。山口大学教育学部卒業後、山口県内の小学校・中学校の教員として16年働いた後、1973年には山口県立美術館設立準備室にスタッフとして着任。その後、東京国立近代美術館での研修を経て、1979年の山口県立美術館開館から学芸課課長に着任、1989年から副館長を兼任。1991年からは山口県立萩美術館・浦上記念館の設立準備に着手し、1996年の開館から館長に就任。2007年4月から山口情報芸術センターの館長を務めた後、2018年4月からは顧問に就任している。