黒獅子 勇蔵(くろじし ゆうぞう、1939年2月2日 - 没… 黒獅子 勇蔵(くろじし ゆうぞう、1939年2月2日 - 没年不明)は、大阪府泉南郡岬町出身で、二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は尾崎 勇(おざき いさむ)。最高位は東前頭12枚目(1963年9月場所)。現役時代の体格は174cm、95kg。得意手は右四つ、寄り。 岸和田市立産業高校在学時は、相撲部で活躍した。高校を卒業後上京し、元大関・佐賀ノ花が率いる二所ノ関部屋に入門。1957年3月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名でもある「尾崎」。 体格には余り恵まれていなかったが、速攻と寄りを武器に着実に出世し、1962年9月場所で十両に昇進した。そして同場所より「黒獅子」に改名したが、この四股名の名付け親は同部屋の横綱・大鵬や弟弟子の麒麟児(後の大関・大麒麟)の時と同じく、二所ノ関親方(元・佐賀ノ花)であった。
響矢 影男(ひびきや かげお、1939年1月20日 - 没年… 響矢 影男(ひびきや かげお、1939年1月20日 - 没年不明 )は、青森県八戸市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は新山 影男(しんやま かげお)。176cm、109kg。最高位は東十両10枚目。得意技は突っ張り、左四つ、寄り。 1955年3月場所に本名の「新山」で初土俵を踏む。翌場所序ノ口で「響矢」を名乗る。1960年7月場所に幕下で青錦大太郎と改名。改名の効果があったためか勝ち越しが続き、1961年1月場所に十両昇進。この場所は3勝12敗と大きく負け越し1場所で幕下へ陥落した。その後も負け越しが続いたが、1961年11月場所で四股名を「響矢」に戻し、1962年に入ってからは調子を取り戻し、1962年9月場所に十両に復帰した。
柏戸 剛(かしわど つよし、1938年11月29日 - 19… 柏戸 剛(かしわど つよし、1938年11月29日 - 1996年12月8日)は、山形県東田川郡山添村(現・鶴岡市)出身で伊勢ノ海部屋に所属した大相撲力士。第47代横綱。本名は富樫 剛(とがし つよし)。位階は従五位。 山形県で果樹園などを経営する豪農の次男として生まれた。山添村立山添小学校在籍時から相撲を始め、バスケットボールやサッカー、陸上競技などで万能選手として活躍し、山添村立山添中学校に入学した時には既に身長が180cmに達していた。県内でも有数の進学校である山形県立鶴岡南高等学校に進学するが、子供の頃から特に好きだった相撲を続けるうちに東田川郡大会で活躍したところ、噂を聞きつけた伊勢ノ海から熱心にスカウトされた。
松岡 巌鉄(まつおか がんてつ、1938年11月25日 - … 松岡 巌鉄(まつおか がんてつ、1938年11月25日 - )は、岡山県和気郡香登町(現・備前市)出身で間垣部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。大相撲時代の四股名は正剛山(せいござん)で、最高位は幕下33枚目。本名は、松岡 政雄(まつおか まさお)。 1958年、間垣部屋に入門して松岡山の四股名で1958年7月場所で初土俵、同年11月場所には四股名を正剛山と改め序二段優勝、1960年11月場所には三段目優勝して幕下昇進を果すが、1962年1月場所限りで廃業。 1962年、日本プロレスに入門し、大相撲時代の四股名である正剛山をリングネームとしてデビュー、後に松岡巌鉄に改名。 1968年1月18日には、国際プロレスのブッカーとして大木金太郎の引き抜きを画策したグレート東郷を、ユセフ・トルコとともに襲撃して負傷させた 。
吉ノ岩 義行(よしのいわ よしゆき、1938年10月29日 … 吉ノ岩 義行(よしのいわ よしゆき、1938年10月29日 -没年不明 )は、二所ノ関部屋に所属した元力士。本名は中村 義行(なかむら よしゆき)(旧姓吉村)。現在の長崎県大村市出身。168cm、79kg。最高位は東十両7枚目。得意技は左四つ、寄り。 長崎県立大村高等学校では野球部に所属し、ポジションは捕手を務めたが、毎年行われていた花相撲を観戦して力士を志し、元二所ノ関部屋の幕下小海山に紹介されて二所ノ関部屋に入門した。入門して約半年間は同郷で相撲解説者の玉の海が住む兵庫県尼崎市の家に住み込んで世話を受けた。1956年1月場所に初土俵。1962年5月場所に十両昇進。非常に軽量ながら7場所連続で十両を務めたが、幕下に陥落した1963年7月場所に24歳で廃業した。
若十勝 正雄(わかとかち まさお、1938年10月20日 -… 若十勝 正雄(わかとかち まさお、1938年10月20日 -没年不明 )は、北海道河西郡芽室町出身で花籠部屋に所属した元大相撲力士。本名は高島 正雄(たかしま まさお)。177cm、83kg。最高位は東十両10枚目。得意技は右四つ、寄り。 1954年9月場所に初土俵、1959年9月場所に十両昇進。芽室町からの関取昇進は史上初。新十両の場所から3場所連続で勝ち越したが、その後2場所連続で大きく負け越して1960年7月場所に幕下に陥落。幕下陥落以降は徐々に番付を下げていき、幕下下位で負け越した1962年1月場所に23歳で廃業した。息子も「若十勝」の四股名で三段目まで上がっている。 同郷の横綱・大乃国康は彼の紹介で角界入りした。
追風山 裕邦(おいてやま ひろくに、1938年6月16日 -… 追風山 裕邦(おいてやま ひろくに、1938年6月16日 - 2014年1月2日)は、青森県北津軽郡嘉瀬村(現・同県五所川原市)出身で立浪部屋(入門時は追手風部屋)に所属した大相撲力士。本名は山口 貢(やまぐち みつぐ)。最高位は東前頭6枚目(1962年11月場所)。現役時代の体格は181cm、 131kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。現在の追手風親方(元前頭2・大翔山直樹)の岳父。 なお、夫人は最初の師匠・8代追手風(元大関・清水川)の義理の姪(夫人の叔母が、師匠の後妻に当たる)である。 5人兄弟の末っ子として生まれ、子供の時から体格が大きく多くの相撲大会に出て活躍していた。その活躍ぶりが、同郷で追手風部屋に所属した元幕下力士・清水岩の目に止まり、中学校在学中に同部屋へ入門する事となった。
三瓶山 征夫(さんべやま まさお、1938年6月8日 - … 三瓶山 征夫(さんべやま まさお、1938年6月8日 - 没年不明)は、島根県大田市出身で中村部屋、二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は繁田 征夫。179cm、96kg。最高位は西十両4枚目。得意技は右四つ、押し。 建具屋の次男として生まれ、子供の頃は野球が最も好きだったが柔道や水泳も得意だった。それに加えて土地相撲にも加わっていたため、知人の紹介で二所ノ関部屋に入門した。1957年5月場所に初土俵。1963年1月場所に十両昇進。根は右四つだが、左四つでも相撲が取れた。1965年11月場所は勝ち越していたが左足首関節骨折により1途中休場、翌1966年1月場所も前場所の怪我の影響で初日から休場して幕下へ陥落。
大蛇川 覚(おろちがわ さとる、1938年4月10日 - 1… 大蛇川 覚(おろちがわ さとる、1938年4月10日 - 1985年12月2日)は、福岡県柳川市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は岡 覚(おか さとる)。183cm、124kg。最高位は西十両4枚目。得意技は左四つ、寄り。 1955年5月場所に初土俵。右肘関節を手術したり膝の怪我もあって三段目で苦戦するなど、出世は早いほうではなかったが、本来の右四つ相撲から左四つで右上手を浅く取って前に出る取り口にモデルチェンジしてからは、幕下へ定着していき、1963年3月場所に十両昇進。十両を25場所務めるも入幕はならず、1967年9月場所に廃業した。
扇山 民雄(おうぎやま たみお、1938年3月27日 - )… 扇山 民雄(おうぎやま たみお、1938年3月27日 - )は、宮城県栗原郡金成町(現役当時、現・同県栗原市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 民雄(たかはし たみお)。 プロレスラーとして国際プロレスに籍を置いていた時期もあり、レスラー時代のリングネームは扇山 大五郎(おうぎやま だいごろう)であった。 大相撲時代の体格は177cm、103kg。プロレスラー時代の体格は178cm、105kg。力士としての自己最高位は、東前頭5枚目(1963年1月場所・1967年1月場所)。 中学校卒業後はパン屋で働いていたが、錣山親方(元関脇・若葉山鐘)にスカウトされた事がきっかけで時津風部屋へ入門し、1955年1月場所にて16歳で初土俵を踏んだ。
栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし、1938年(昭和13年)… 栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし、1938年(昭和13年)3月13日 - )は、青森県南津軽郡光田寺村(現在の田舎館村)出身で春日野部屋所属の元大相撲力士、第49代横綱。身長177cm、体重110kg。得意技は左四つ、寄り、上手出し投げ、両前褌、足癖。本名は花田 茂廣(はなだ しげひろ)。花田という苗字で同じ青森津軽地方出身であるが、初代若乃花、貴ノ花との血縁はない。年寄・春日野時代、姓を『宮古』とするが停年(定年)退職後は再び花田に戻した。現在存命中の歴代横綱の中では最も古い代の横綱である。
佐田の山 晋松(さだのやま しんまつ、1938年2月18日 … 佐田の山 晋松(さだのやま しんまつ、1938年2月18日 - 2017年4月27日)は、長崎県南松浦郡有川町(現・新上五島町)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。第50代横綱。本名は市川(旧姓:佐々田)晋松(いちかわ しんまつ)。 南松浦郡有川町(現:長崎県南松浦郡新上五島町)で船大工を営む家に生まれる。子どもの頃から材木を運んだり、カンナをかけたりして体を作っていた。幼少期に大の相撲好きだった父親から、郷土の英雄とされている五ツ嶋奈良男の話を聞かされ、土地相撲に連れて行かれる内に相撲に憧れを抱き、角界入りを希望するが母親からは猛反対された。長崎県立上五島高等学校に進学後は相撲部に所属し、3年生で長崎県大会に参加を勧誘されて一度は辞退したものの、強引な説得に根負けして補欠選手として出場するが、いざ対戦してみるとほとんど負けなかったことから自信が付き、角界入りを強く望むようになった。
栗家山 惠三(くりけやま けいぞう、1938年2月15日 -… 栗家山 惠三(くりけやま けいぞう、1938年2月15日 - 没年不明)は、北海道沙流郡門別町(現・日高町)富川出身で1956年から凡そ8年間、佐ノ山部屋・高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は橘井 恵三(きつい けいぞう)。最高位は西前頭5枚目(1962年5月場所)。現役時代の体格は175cm、88kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り。 中学校在学時は野球で活躍したが、苫小牧工業高校に進学すると、相撲へ転向した。 高校在学中は、創設されたばかりの相撲部で活躍。3年生時の1955年には、全国高校相撲大会の予選などに出場している。 高砂一門が北海道へ巡業に来た際に角界入りを勧められ、高校卒業後に上京。
開錦 豪藏(かいにしき ごうぞう、1938年2月11日 - … 開錦 豪藏(かいにしき ごうぞう、1938年2月11日 - 没年不明)は、現在の秋田県横手市出身で錦島部屋、時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は土田 房三。183cm、104kg。最高位は東十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。 1954年9月場所初土俵、1965年1月場所に十両昇進を果たすも、4勝11敗と大敗して翌場所に幕下陥落。そして新十両から1年後の1966年1月場所後に廃業した。廃業後は茨城県水戸市堀町1163-13で料理屋「ちゃんこ錦」を経営した。
宮ノ花 秀輝(みやのはな ひでてる、1938年1月30日 -… 宮ノ花 秀輝(みやのはな ひでてる、1938年1月30日 - 没年不明)は、愛媛県八幡浜市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は宮脇 邦義(みやわき くによし)。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭12枚目(1962年9月場所)。現役時代の体格は176cm、110kg。 中学校卒業後に二所ノ関部屋へ入門し、1953年5月場所にて、15歳で初土俵を踏んだ。 序ノ口に付いた時の四股名は、本名と同じ「宮脇」。その後、「宮ノ花」→「八幡濱(故郷の地名に因んだ)」→「宮ノ花」と3度改名している。 左四つからの寄りという正攻法を得意としたが、立ち合いの鋭さに欠け、取り口は地味であった。 また、極度の近視であったため、速攻相撲の力士に対しては苦戦した。
天津風 征夫(あまつかぜ まさお、1937年12月1日 - … 天津風 征夫(あまつかぜ まさお、1937年12月1日 - 2013年4月30日)は、石川県鳳至郡門前町(現・同県輪島市)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は宮永 征夫(みやなが ゆきお)。最高位は西前頭3枚目(1962年9月場所)。得意手は右四つ、寄り。現役時代の体格は179cm、124kg。 輪島高校定時制課程門前分校(現・門前高校)では、相撲部に所属し、2年生の時には県大会で個人優勝という実績を残した。この年(1954年)には、国民体育大会や全国高等学校総合体育大会相撲競技大会にも出場している。 1955年、時津風部屋の関係者からの勧誘を受けた。間も無く、高校を中退して同部屋へ入門し、同年5月場所で初土俵を踏んだ。
豊國 範(とよくに すすむ、1937年11月30日 - 20… 豊國 範(とよくに すすむ、1937年11月30日 - 2022年2月23日)は、大分県中津市出身(出生地は滋賀県、もしくは朝鮮民主主義人民共和国平安北道(旧朝鮮平安北道))で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は大塚 範(おおつか すすむ)。最高位は東張出小結(1962年5月場所)。現役時代の体格は176cm、131kg。得意手は左四つ、寄り、突き、押し、内掛け。 大分県立中津南高等学校から中央大学に進学し、同大学の相撲部では、主将を務めるなど活躍した。在学中の1960年、周囲の反対を押し切って、同郷の元横綱・双葉山が率いる時津風部屋に入門。同年5月場所に於いて、幕下付出で初土俵を踏んだ。 学生相撲出身者の角界入りは、紅陵大学(現・拓殖大学)出身の吉井改め吉井山(出羽海部屋、最高位・前頭11枚目)以降も、幾人かあった。
伊達錦 一成(だてにしき かずなり、1937年11月12日 … 伊達錦 一成(だてにしき かずなり、1937年11月12日 - 没年不明 )は、宮城県遠田郡涌谷町出身(生まれは東京府)で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は廣瀬 一成(ひろせ かずなり)。173cm、102kg。最高位は東十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。 入門する前は農業を営んでいた。1954年5月場所に初土俵。1963年7月場所に十両昇進。新十両の場所は8勝7敗と勝ち越すが、翌9月場所は5勝10敗と負け越し、2場所で幕下に陥落。1964年5月場所に再度十両に昇進するも、十両下位に甘んじて再び2場所で幕下に陥落。1965年5月場所限りで27歳で廃業した。
若三杉 彰晃(わかみすぎ あきてる、1937年(昭和12年)… 若三杉 彰晃(わかみすぎ あきてる、1937年(昭和12年)9月24日 - 1983年(昭和58年)11月2日)は、香川県丸亀市土居町出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は杉山 昇(すぎやま のぼる)。最高位は東関脇(1963年(昭和38年)5月場所、同年7月場所など)。現役時代の体格は188cm、133kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。若乃花幹士 (初代)の義弟であり、貴ノ花利彰の義兄である。 香川県立丸亀高等学校では柔道部に所属していたが、花籠親方(元前頭3・大ノ海)に勧誘され、高校を2年で中退して花籠部屋へ入門。1955年(昭和30年)3月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同じ「杉山」。
勝己(かつみ、1937年(昭和12年)8月31日 - 200… 勝己(かつみ、1937年(昭和12年)8月31日 - 2004年(平成16年)4月13日)は、大相撲の三役呼出。本名は加藤 克己。東京都江戸川区出身。高島部屋→吉葉山道場→宮城野部屋所属。 12年先輩の3代目立呼出米吉と生年月日が一緒である。
豊山 勝男(ゆたかやま かつお、1937年8月18日 - )… 豊山 勝男(ゆたかやま かつお、1937年8月18日 - )は、新潟県新発田市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は内田 勝男(うちだ かつお)。最高位は東大関。現役時代の体格は189cm、137kg。得意手は突っ張り、右四つ、吊り、寄り、上手投げ。元日本相撲協会理事長(第8代)。 母子家庭に育ち、苦学しながら文武両道に励んだ。新潟県立新発田商工高等学校定時制在学中は陸上(投擲競技)や野球で活躍。一時はプロ野球の有名球団からの誘いもあったが、OBである先生の勧めにより東京農業大学農学部農芸化学科に進学し、相撲部に入部。相撲の経験は無かったが4年次には学生横綱となり、その実績が認められて1961年3月場所に時津風部屋から、異例の幕下10枚目格付出という破格待遇で初土俵を踏んだ。
大心 昇(だいしん のぼる、1937年8月2日 - 2012… 大心 昇(だいしん のぼる、1937年8月2日 - 2012年3月20日)は、北海道山越郡長万部町出身で宮城野部屋(入門時は高嶋部屋)に所属した大相撲力士。本名は長田 留雄(ながた とめお)→長田 留男( - とめお)。最高位は東前頭8枚目(1966年9月場所)。得意手は右四つ、寄り、蹴手繰りなど。現役時代の体格は179cm、115kg。 18歳の時上京し、高嶋部屋に入門。1956年9月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の横綱・大鵬(当初、納谷)や小結・沢光(同、沢向)などがいる。翌年1月場所にて、「長葉山」の四股名で序ノ口に付いた。同場所では5勝3敗と勝ち越し、上々の「大相撲デビュー」となったが、2勝目は納谷から挙げている(因みに納谷(大鵬)との対戦は、同場所以降、2度と叶わなかった)。
大野咲 慎祐(おおのさき しんすけ、1937年7月21日 -… 大野咲 慎祐(おおのさき しんすけ、1937年7月21日 - 没年不明)は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 晋。現在の秋田県北秋田市出身。174cm、92kg。最高位は西十両4枚目。得意技は左四つ、寄り。 1951年9月場所に初土俵。当初は序ノ口、序二段で勝ち越せずに苦戦したが、1954年9月場所で入門して初めての勝ち越しを決めると、そこから勝ち越しを続けていき、1961年5月場所に十両昇進。1961年11月場所には自己最高位となる十両4枚目まで番付を上げるも入幕は果たせなかった。1962年9月場所で幕下陥落すると、以降十両へ復帰できずに幕下下位で3勝4敗と負け越した1963年9月場所限りで廃業した。
照ノ海 十二(てるのうみ じゅうじ、1937年7月18日 -… 照ノ海 十二(てるのうみ じゅうじ、1937年7月18日 - 没年不明 )は、荒磯部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 十二(すずき じゅうじ)。現在の秋田県横手市出身。174cm、96kg。最高位は西十両17枚目。得意技は左四つ、寄り。 平鹿町立浅舞中学校(現在は横手市立平鹿中学校へ統合)で相撲を始めたが、平鹿郡大会で負けたので一時的に止め、野球部に転向した。ポジションは一塁手を務めた。秋田県立大曲農業高等学校に進学してからは相撲を再開し、2年生の時には青年相撲で優勝し、北海道巡業から帰る途中で立ち寄っていた5代伊勢ヶ濱から照國杯を貰った時に素質を見出されて入門した。ある年の巡業先で預かった酒を宿に忘れ、発車寸前の汽車から慌てて飛び降り、酒を取りに戻った。
君錦 利正(きみにしき としまさ、1937年7月6日 - 2… 君錦 利正(きみにしき としまさ、1937年7月6日 - 2013年7月16日)は、千葉県木更津市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は五味 利正(ごみ としまさ)。現役当時の体格は177cm、125kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭3枚目(1963年5月場所)。 立浪部屋の元十両力士・桐ノ花の勧誘を受けて、地元の中学校を卒業後に角界入り。1953年(昭和28年)5月場所にて15歳で初土俵を踏み、翌9月場所、「房州山」の四股名で序二段に付いた(その後、「千葉ノ浪」を経て「君錦」に改名している)。 以来、徐々に番付を上げてゆき、1960年(昭和35年)3月場所で十両に昇進。そして、1961年(昭和36年)7月場所において、24歳で新入幕を果たした。
一乃矢 藤太郎(いちのや とうたろう、1937年6月30日 … 一乃矢 藤太郎(いちのや とうたろう、1937年6月30日 - 1977年4月19日)は、青森県南津軽郡田舎館村出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は須藤 良一(すどう りょういち)。最高位は西前頭4枚目(1962年3月場所)。現役時代の体格は173cm、86kg。得意手は右四つ、寄り。 明治時代初期から中期にかけて活躍した、大関・一ノ矢藤太郎の曾孫。 同郷で、後に十両まで出世した栃ノ森(後、栃ノ関に改名)の実兄が角界入りの橋渡し役となり、地元の公田寺中学校を卒業後に春日野部屋へ入門した。 なお、入門のために故郷・青森を発つ際には、栃ノ森本人が迎えに来てくれたという。 初土俵は、1953年5月場所。
三平(さんぺい、1937年4月1日 - )は、大相撲の呼出。… 三平(さんぺい、1937年4月1日 - )は、大相撲の呼出。本名:伊藤三平。三重県一志郡一志町(現・津市)出身、高砂部屋所属。 小父は呼び上げの名人・多賀之丞。長兄も呼出であった(光之助)。 1950年9月初土俵。裁縫が得意で、呼出の袴の修繕を一手に引き受けていたという。 最終場所の初日の結びの一番で、柝の音を間違ったタイミングで鳴らしてしまうというハプニングがあった。
栄太呂(えいたろ、1937年1月28日 - 2012年1月2… 栄太呂(えいたろ、1937年1月28日 - 2012年1月2日)は、大相撲の元呼出。本名:上田忠。栃木県宇都宮市出身、時津風部屋所属。師匠は従兄弟でもある栄吉。 1948年5月初土俵。呂太鼓の名人として知られる。また、角界有数の酒好きとしても有名。 1969年の九州場所中、酔っ払って横断歩道を横断中に車にはねられ、80メートルも飛ばされた結果、内臓破裂で2年間入院。再起が危ぶまれたが、根性で復活した。
四季の花 範雄(しきのはな のりお、1937年1月2日 - … 四季の花 範雄(しきのはな のりお、1937年1月2日 - 没年不明 )は、青森県弘前市出身(出生地は北海道稚内市)で高島部屋、宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は相内 範雄(あいうち のりお)。身長180cm、体重136kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は西十両13枚目(1964年3月場所)。甥に長谷川勝敏がいる(四季の花の姉が長谷川の母親)。 元々は漁師として働く傍らボクサーを目指していたが、漁で負傷した時にやって来た吉葉山率いる巡業の興行主が兄の友人であった関係で兄から誘われて巡業を観に行くと入門を勧められ、「遊んでてもしょうがないから相撲取りになろう」と考え、1955年1月場所に於いて初土俵を踏んだ。
及川 煌久(おいかわ てるひさ、1936年12月16日 - … 及川 煌久(おいかわ てるひさ、1936年12月16日 - 没年不明)は、岩手県胆沢郡前沢町(現役当時、現在の同県奥州市)出身で高砂部屋(入門時は尾上部屋)に所属した大相撲力士。本名は及川 耕貢(おいかわ こうぐ)。現役時代は、身長176cm、体重120kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭10枚目(1960年9月場所)。 中学在学中に尾上部屋へ入門し、1952年1月場所にて、15歳で初土俵。 初土俵の場所では途中から新序に昇格して相撲を取り、1勝2敗と負け越した。だが、次の場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 なお、初めて番付に付いた時より、本名でもある「及川」を名乗った(下の四股名は途中で「太郎」から「煌久」に変えたが、上の名は廃業まで「及川」で通している)。
朝ノ海 正清(あさのうみ まさきよ、1936年11月22日 … 朝ノ海 正清(あさのうみ まさきよ、1936年11月22日 - 没年不明)は、鹿児島県大島郡宇検村出身で高砂部屋に所属した力士。本名は崎谷 正清(さきや まさきよ)。最高位は東前頭9枚目(1962年11月場所)。現役時代の体格は172cm、94kg。得意手は右四つ、寄り、出し投げなど。 16歳の時、上京し、同郷であり思慕していた朝潮がいる高砂部屋に入門。1953年1月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の前頭・清ノ森や同・宮柱らがいる。 同場所では番付外と新序でともに好成績を残したため、翌3月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 当初より「朝ノ海」を名乗り、以後、廃業までこの四股名で通した。
政弘(まさひろ、1936年(昭和11年)11月8日 - 19… 政弘(まさひろ、1936年(昭和11年)11月8日 - 1999年(平成11年)12月29日)は、大相撲の三役呼出。本名は佐藤 正博。徳島県美馬郡脇町(現・美馬市)出身。二所ノ関部屋所属。 政博→正博→政弘→正弘→政弘
常の松 寛(つねのまつ ひろし、1936年9月13日 - 没… 常の松 寛(つねのまつ ひろし、1936年9月13日 - 没年不明 )は、出羽海部屋に所属した元力士。本名は吉岡 寛(よしおか ひろし)(旧姓南口)。現在の福岡県嘉麻市(旧山田市)出身。178cm、102kg。最高位は西十両13枚目。得意技は左四つ、寄り。 1952年5月場所に初土俵、1960年7月場所に十両昇進。新十両の場所は8勝7敗と勝ち越したが、その後2場所連続で負け越し、わずか3場所で幕下陥落。1963年1月場所に26歳で廃業。
河内山 一夫(かわちやま かずお、1936年8月3日 - 1… 河内山 一夫(かわちやま かずお、1936年8月3日 - 1975年8月19日)は、大阪府堺市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は植田 一夫(うえた かずお)。179cm、118kg。最高位は西十両7枚目。得意手は左四つ、吊り。 1954年5月場所で初土俵、1961年9月場所では西幕下3枚目の地位で6勝1敗と好成績を残し、十両昇進が濃厚と思われたが、十両からの陥落者が少なかったため、翌11月場所では西幕下筆頭に据え置かれる不運に遭った。その場所では2勝5敗と負け越し十両昇進はならなかった。それでも腐らず精進し1963年7月場所にて十両昇進。十両には11場所連続で在位したが、右膝を負傷してからは不振が続き、幕下へ陥落の後、1965年7月場所限りで廃業した。
田代岩 弘道(たしろいわ ひろみち、1936年6月15日 -… 田代岩 弘道(たしろいわ ひろみち、1936年6月15日 - 没年不明 )は、北海道札幌市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は羽賀 弘道(はが ひろみち)。173cm、85kg。最高位は東十両18枚目。得意技は右四つ、寄り。 北海道札幌北高等学校では陸上競技で活躍して3年生で円盤投げや砲丸投げの記録を作り、その評判を聞いた立浪部屋の世話人中ノ島が訪ねて来て勧誘し、北光山と名乗って土地相撲で活躍した父は入門を承諾した。自身は小学校時代から絵画と漫画描きに熱中しており、それを活かせる商業デザイナーを志望していたが、相撲は嫌いではなかったので高校3年生で中途退学して入門した。1954年9月場所に初土俵。
若ノ國 豪夫(わかのくに たけお、1936年4月4日 - 没… 若ノ國 豪夫(わかのくに たけお、1936年4月4日 - 没年不明)は、岐阜県海津郡南濃町(※現役当時、現在の同県海津市)出身で花籠部屋(入門時は芝田山部屋)に所属した元大相撲力士。本名は伊藤 照夫(いとう てるお)。現役時代の体格は181cm、125kg。得意手は右四つ、突っ張り、寄り。最高位は東前頭8枚目(1960年7月場所、1963年7月場所など)。 16歳の時、元前頭3枚目・大ノ海が率いる芝田山部屋に入門し、1953年3月場所で初土俵を踏んだ(その後、師匠の年寄名変更に伴い、同年5月より所属の部屋名が花籠部屋となる)。 2年近く幕下10枚目以内にあって足踏みをしたが、四股名を「照錦」から「若乃國」に改めた1959年1月場所では東幕下2枚目で7勝1敗と大きく勝ち越し、翌3月場所で十両に昇進。
安伍朗(やすごろう、1936年(昭和11年)3月28日 - … 安伍朗(やすごろう、1936年(昭和11年)3月28日 - )は、大相撲の元幕内呼出。本名は高沢 安雄。東京都荒川区出身。二所ノ関部屋所属。 番付制度が導入されてから、後輩呼出にどんどん抜かれた。番付では秀男に抜かれ、呼び上げでは秀男、拓郎、琴二、次郎、克之、志朗、重夫に抜かれていった。停年直前の2001年3月場所の時点では、順席は幕内呼出2番手でありながら、呼び上げは十両取組担当であった。
羽黒花 統司(はぐろはな とうじ、1936年3月28日 - … 羽黒花 統司(はぐろはな とうじ、1936年3月28日 - 1984年6月3日)は、北海道紋別郡西興部村出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は千葉 進(ちば すすむ)。最高位は東関脇(1963年3月場所・1964年7月場所)。現役時代の体格は181cm、125kg。得意手は左四つ、吊り、上手投げ。大相撲の黄金時代の1つである「柏鵬時代」に、幕内力士として活躍した。 地元の高校を卒業後、農業に従事していたが、安念山(後の羽黒山。引退後、年寄・追手風→同・立浪を襲名)の親戚に大相撲入りを勧められて上京。1955年9月場所にて、19歳で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同一の「千葉」。 初土俵の場所では番付外と新序でいずれも好成績を収めたため、翌年1月場所では序ノ口を飛び越して、いきなり序二段に付いた。
若美山 三雄(わかみやま みつお、1936年1月11日 -没… 若美山 三雄(わかみやま みつお、1936年1月11日 -没年不明 )は、花籠部屋に所属した元力士。名は土井 三雄(つちい みつお)。北海道紋別郡丸瀬布町(現在の北海道紋別郡遠軽町)出身。身長173cm、体重86kg。最高位は東十両15枚目。得意技は左四つ、上手投げ。 1954年9月場所に初土俵。幕下までは順調に出世したが、幕下では長い間上位に進出できずに苦戦していた。しかし、1960年9月場所に7戦全勝で幕下優勝を果たし、翌11月場所に十両に昇進した。新十両の場所は6勝9敗と負け越し、1場所で幕下に陥落した。十両を3場所務めたが勝ち越したのは1961年3月場所の1場所だけであった。十両から陥落した後も幕下上位で相撲を取っていたが、1962年1月場所限りで26歳で廃業した。
愛宕山 武司(あたごやま たけし、1936年1月11日 - … 愛宕山 武司(あたごやま たけし、1936年1月11日 - 2000年5月5日)は、愛媛県八幡浜市幸町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は大澤 慶吉(おおさわ よしきち)。最高位は西前頭3枚目(1959年11月場所)。身長177cm、体重117kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り。 愛宕中学校を卒業後、前ノ山の口利きで高砂部屋へ入門し、1951年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の前頭・起雲山らがいる。 初土俵の場所では番付外と新序で続けて好成績を収めたため、翌場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 なお、当初の四股名は、本名でもある「大澤」。その後、1952年5月場所より、故郷・八幡浜市にある山に因んだ「愛宕山」へ改名した。
房錦 勝比古(ふさにしき かつひこ、1936年(昭和11年)… 房錦 勝比古(ふさにしき かつひこ、1936年(昭和11年)1月3日 - 1993年(平成5年)7月21日)は、東京府東京市(現:東京都大田区)生まれで千葉県東葛飾郡南行徳村(現:市川市相之川)出身で若松部屋(一時期、西岩部屋)に所属した大相撲力士。本名は櫻井 正勝(さくらい まさかつ)→松崎 正勝(まつざき -)。現役時代の体格は176cm、118kg。得意手は右四つ、寄り、押し、いなし。“褐色の弾丸”と異名を取った。最高位は西関脇(1959年(昭和34年)7月場所・同年9月場所)。 小学校入学後に終戦を迎えたが戦時中はスポーツ自体を行う余裕が社会に無かったため、幼少期に経験したスポーツと言えばかけっこ程度であった。
長八(ちょうはち、1935年(昭和10年)12月15日 - … 長八(ちょうはち、1935年(昭和10年)12月15日 - )は、大相撲の元三役呼出。本名は川村 健治。青森県青森市出身。高島部屋→友綱部屋所属。
小城ノ花 正昭(おぎのはな まさあき、1935年11月29日… 小城ノ花 正昭(おぎのはな まさあき、1935年11月29日 - 2006年12月16日)は、佐賀県小城郡三日月村(現・同県小城市)出身で、出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は本村 正昭(もとむら まさあき)→小岩井 正昭(こいわい -)。最高位は西関脇(1962年11月場所、1963年1月場所、同年3月場所)。現役時代の体格は174cm、124kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げ。 小城中学校を卒業後は、実家の佐賀新聞販売店を手伝っていた。 父が大の相撲好きだった事もあり、以前よりその勧めで度々、地元の村相撲に参加していたが、そこで飲食店を営んでいた元十両・佐賀ノ山の目に留まり、角界入りを打診される。
時浪 春樹(ときなみ はるき、1935年11月20日 - 没… 時浪 春樹(ときなみ はるき、1935年11月20日 - 没年不明)は、時津風部屋に所属した元力士。本名は石丸 春樹(いしまる はるき)。現在の愛媛県新居浜市出身。178cm、97kg。最高位は東十両3枚目。得意技は右四つ、寄り。 1953年5月場所に初土俵。1959年9月場所に十両昇進。21場所十両を務め、1963年5月場所に27歳で廃業。巡業では初っ切りや弓取りを務めており、大田山の後継候補に挙げられたことがある。
岡ノ山 喜郎(おかのやま よしろう、1935年11月3日 -… 岡ノ山 喜郎(おかのやま よしろう、1935年11月3日 - 没年不明)は、岡山県小田郡矢掛町出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は山部 喜一郎(やまべ きいちろう)。最高位は東前頭5枚目(1962年5月場所)。現役時代の体格は185cm、112kg。得意手は右四つ、寄り。 鮮魚商の家庭に生まれ、岡山県立矢掛高校に在学中は、ハンドボール部で活躍した。 高校卒業後、元横綱・双葉山が率いる時津風部屋に入門し、1955年5月場所で初土俵。 同場所では番付外と新序で、ともに好成績を残した。そのため、翌9月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 同場所より出身地の岡山県に因んだ四股名、「岡ノ山」を名乗る事になり、廃業までこの四股名で通した。
玉響 克巳(たまひびき かつみ、1935年10月3日 - 没… 玉響 克巳(たまひびき かつみ、1935年10月3日 - 没年不明 )は、大分県別府市向浜出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は新川 克巳(しんかわ かつみ)→灘 克巳(なだ -)。最高位は東前頭2枚目(1959年9月場所・1960年7月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げなど。現役時代の体格は178cm、98kg。 大分県立水産高校を中退後、同郷の玉乃海(後、年寄・片男波)がいた二所ノ関部屋に入門。なお、角界入りする前は、捕鯨船の乗組員を志していたという。1954年1月場所で初土俵を踏み、翌3月場所、本名でもある「新川」の四股名で序ノ口に付いた。 体格にはあまり恵まれていなかったが比較的順調に出世し、1958年5月場所で十両へと昇進。
松嶋 市平(まつしま いっぺい、1935年6月15日 -没年… 松嶋 市平(まつしま いっぺい、1935年6月15日 -没年不明 )は、東京都西多摩郡奥多摩町出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は松島 市平(まつしま いっぺい)。173cm、112kg。最高位は西十両7枚目。得意技は左四つ、寄り。 1953年5月場所に初土俵。初土俵から1度も負け越すことなく1957年5月場所に立武蔵の四股名で十両昇進するも4勝11敗と大きく負け越し、翌9月場所に幕下陥落。幕下陥落後もしばらく低迷していたが、1959年9月場所に幕下優勝を果たすと、1959年11月場所に松嶋の四股名で十両に復帰した。復帰した場所では11勝4敗の好成績を挙げた。その後は十両中位で相撲を取ることがほとんどであり、1961年7月場所に再度幕下へ陥落。
時津海 正男(ときつうみ まさお、1935年5月21日 - … 時津海 正男(ときつうみ まさお、1935年5月21日 - 没年不明 )は、時津風部屋に所属した元力士。本名は大島 真佐夫(おおしま まさお)。現在の富山県氷見市出身。176cm、79kg。最高位は東十両17枚目。得意技は右四つ、寄り。 1951年5月場所に初土俵、1957年3月場所に十両昇進し連続7場所務めた。1960年3月場所に廃業。
北葉山 英俊(きたばやま ひでとし、1935年5月17日 -… 北葉山 英俊(きたばやま ひでとし、1935年5月17日 - 2010年7月20日)は、北海道室蘭市出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は山田 英俊(やまだ ひでとし)。最高位は東大関。 1935年5月17日に北海道函館市で生まれ、すぐに室蘭市へ転居した。双葉山定次に憧れて中学校では相撲部の主将を務め、道内各地の大会で活躍していたが、卒業後は家計を助けるために3年間は富士製鉄の下請けをする管組で勤務しながら鍛冶屋へ奉公に出た。1954年3月に奉公が終わったことで角界入りする意思を伯父に伝えて相談すると、賛成されると同時に助言してくれたが、両親は許可を出しそうに無かったことで家出同然で親友の自宅で弁当を作ってもらい、それを持って職場の同僚に駅まで送ってもらって青函連絡船と列車に乗り、上京した。
清ノ森 政夫(きよのもり まさお、1935年4月8日 - 2… 清ノ森 政夫(きよのもり まさお、1935年4月8日 - 2019年4月20日)は、秋田県横手市(現役当時は平鹿郡大森町)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した大相撲力士。出生名は佐々木 政夫(ささき まさお)。後年、桂川(檀崎質郎)・春枝夫妻の婿養子となり、檀崎 政夫(だんざき -)に改名。現役時代の体格は183cm、92kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭9枚目(1960年9月場所)。大正時代の幕内力士、日本海忠藏は大叔父に当たる。 17歳の時、同郷の先輩でもある元関脇・清瀬川が師匠を務めていた伊勢ヶ濱部屋(一時期は荒磯部屋に改称)へ入門し、1953年1月場所で初土俵を踏んだ。 1957年5月場所で十両に昇進し、1959年3月場所で新入幕を果たした。