島田 満(しまだ みちる、1959年5月19日 - 2017… 島田 満(しまだ みちる、1959年5月19日 - 2017年12月15日)は、日本の脚本家。女性。日本脚本家連盟理事。 テレビアニメを執筆の中心にし、1980年代前半のデビューから、2000年代まで30年以上第一線で活躍したベテラン。代表作はテレビアニメ『ロミオの青い空』など。一時期“しまだみちる”名義で活動していた時期があった。 東京都出身のO型。幼い頃からディズニーや東映動画の長編アニメーションを好んでいたという。 早稲田大学教育学部国文科卒業。大学在学中には、オリエンテーリングクラブに所属、その一方で映画研究会の実写の自主製作映画に3本出演した。1981年、大学3年の時に東映動画が10年ぶりに新人採用を行なうことを知り、演出家の新人研修生の試験を受験。
大橋 志吉(おおはし ゆきよし、1959年4月10日 - )… 大橋 志吉(おおはし ゆきよし、1959年4月10日 - )は、日本の脚本家。静岡県出身。横浜放送映画専門学院卒業(4期)。松竹シナリオ研究所1期生。 主にアニメの脚本、シリーズ構成を中心に担当している。劇場版『ポケットモンスター』シリーズの併映短編のシナリオは大橋のものであることが多い。 かつては日本放送作家協会に所属しており、規約委員副委員長を務めた。2025年現在は退会している。日本脚本家連盟所属。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
関島 眞頼(せきじま まより、1959年3月8日 - )は、… 関島 眞頼(せきじま まより、1959年3月8日 - )は、日本の男性脚本家。神奈川県横浜市出身。明治大学商学部卒業。ABO式血液型O型。初期は関島 真頼の表記を使用していた。 1970年代のアニメ雑誌創刊前からのアニメファンとして知られる。アニメ以外にも多種多彩な趣味を持つ。日本酒に凝っている。。 当初はアニメ演出家を志望していたが、大学卒業後に竜の子プロダクションや手塚プロダクションの企画文芸部に配属され、キャリアを変更した。この時期、アニメ演出家のうえだひでひとに師事し、アニメ制作のノウハウを学ぶ。 その後、脚本家の小山高生と出会い、その指導を受ける。本人は小山の「妖術」によって脚本家になったと語っており、小山に私淑していた。
飯田 譲治(いいだ じょうじ、1959年3月1日 - )は、… 飯田 譲治(いいだ じょうじ、1959年3月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家、テレビドラマの演出家。小説家。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、明治大学中退。自主映画出身の映画監督。1980年、8ミリ映画『休憩』でぴあフィルムフェスティバルに入選。友人に、『世にも奇妙な物語』などの作曲で知られる蓜島邦明がいる。 『世にも奇妙な物語』シリーズでは、「中村功一」のペンネームでいくつか脚本を書いている。そのうち、『常識酒場』、『トラブルカフェ』は『NIGHT HEAD』の原型となった。 今井雅之、東根作寿英、豊川悦司、武田真治等、出演当時ほぼ無名であった役者をキャスティングして細かな演技指導を行って彼らをスターダムに押し上げた。
鈴木 聡(すずき さとし、1959年〈昭和34年〉3月1日 … 鈴木 聡(すずき さとし、1959年〈昭和34年〉3月1日 - )は、演出家、脚本家、劇団主宰である。東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒業。 父親はテレビドラマなどの演出家だった鈴木利正。 早稲田大学在学中に劇団「てあとろ50'」に入団し、脚本・演出を担当する。卒業後の1982年、博報堂に入社し、コピーライターとして勤務する一方、劇団「サラリーマン新劇喇叺屋」(現・劇団ラッパ屋)を結成。 1990年大阪・近鉄劇場にて上演された朝日放送創立40周年記念ミュージカル「阿国 OKUNI」で脚本・演出を担当した。同舞台の演出を担当した栗山民也と共に、「ソングデイズ」、「バルセロナ物語」(共に1991年上演)、「下町のショーガール」(1992年上演)などの作品を製作。
岡田 惠和(おかだ よしかず、1959年2月11日 - )は… 岡田 惠和(おかだ よしかず、1959年2月11日 - )は、日本の脚本家、漫画原作者。東京都三鷹市出身。岡田恵和とも表記される。 所属事務所はU.F.O.カンパニー(2016年暮れに参加)。 和光高等学校卒業。和光大学人文学部文学科中退。企画会社勤務後、フリーライターとなる。音楽評論家・FMのDJを経て、1990年に脚本家としてデビューした。 シナリオ修業は、東京・青山のシナリオ・センターで行った。同校卒業生としては内館牧子と並ぶ出世頭の一人である[独自研究?]。 2014年には自身による初戯曲『スタンド・バイ・ユー〜家庭内再婚〜』を執筆。2015年1月よりシアタークリエで上演。Webドラマ「さよならのつづき」は2023年9月時点で製作を発表した。
天沢 彰(あまさわ あきら、1959年1月18日 - )は、… 天沢 彰(あまさわ あきら、1959年1月18日 - )は、愛媛県出身の日本の脚本家、小説家である。劇団歴史新大陸の座付き作家。 日本大学を卒業。その後アニメの企画会社において多数のアニメ脚本を手がける。現在、脚本だけでなく小説、漫画原作、舞台、ゲームシナリオも手がけている。天沢彰のほか、八田朗、ORCA名義でも作品を発表している。アンドリーム(&REAM)所属。 1995年、小説『8マン ニュージェネレーション』でデビュー。『ランドロック』『ガンドレス』などの小説がアニメ化されている。映画『大帝の剣』の脚本、ドラマ『満福少女ドラゴネット』(TVK)、『幻星神ジャスティライザー』(TX)の脚本を手がけている。
石川 均(いしかわ ひとし、1959年1月17日 - )は、… 石川 均(いしかわ ひとし、1959年1月17日 - )は、日本の映画監督、脚本家。茨城県結城市出身。 1959年生。大阪芸術大学映像学科卒業。自主映画の監督を経て映画監督の中村幻児、廣木隆一に師事。1984年、ミリオンフィルムより商業映画監督デビュー。1987年、ズームアップ映画祭で監督賞、作品賞、脚本賞を受賞。1990年「パンツの穴 本牧ベイでクソくらえ」を監督。以降多数の作品を発表している。脚本も多く手がけ、ときおり俳優として出演もする。 2021年6月、映画雑誌「シネ★マみれ」主催・ピンク映画ベストテンにおいて監督賞および桃熊脚本賞を受賞。
金田一 仁志(きんだいち ひとし、1959年 - )は、主に… 金田一 仁志(きんだいち ひとし、1959年 - )は、主に北海道で活躍するローカルタレント・俳優・脚本家・演出家。 北海道紋別市出身。芸能事務所「キンダイチィーズ・パフォーミング・アーツ・グループ」(劇団「金田一探偵事務所」)主宰。さっぽろ市民ミュージカル代表・日本俳優連合・日本演劇教育連盟全国委員。 生後間もなくは「タカオ」という名前も候補とされていたが、助産師が皇太子ご成婚にあやかり「天皇家から一文字貰ったほうが良い」と発言したことから「仁」を用いて仁志と命名される。 赤面症をなおすべく高校で演劇部に入り脚本の面白さを知り、在学中から戯曲を執筆し学校演劇脚本集に収録され、東京での演劇活動を見据えて東京都内の劇団にも脚本を送り評価されたものの「なぜ北海道で活動しないのか」と懐疑的な反応があり、その後1978年に「劇団さっぽろ」に入団。
榎本 憲男(えのもと のりお、1959年 - )は、日本の映… 榎本 憲男(えのもと のりお、1959年 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、小説家、シナリオアナリスト、元劇場支配人である。脚本家としてのペンネームにEN(イー・エヌ)がある。ENBUゼミナール映画監督コース講師(講座「脚本入門」)。株式会社CRG(クリエイティブ・ガーディアン)所属。 1959年(昭和34年)、和歌山県に生まれる。和歌山県立田辺高等学校、青山学院大学卒業後、西友に入社。 1987年(昭和62年)、銀座テアトル西友(現在の銀座テアトルシネマ)のオープンを手がけ、1988年(昭和63年)、同劇場支配人に就任する。同劇場を経営する東京テアトルの各劇場に勤務のかたわら、脚本を独学で学び、1991年(平成3年)、日本アート・シアター・ギルドの名を冠した脚本賞に応募、ATG脚本賞特別奨励賞を受賞する。
蒔田 光治(まきた みつはる、1959年 - )は、日本の映… 蒔田 光治(まきた みつはる、1959年 - )は、日本の映画プロデューサー・テレビプロデューサー・脚本家。千葉県出身。 京都大学法学部在学中、「劇団そとばこまち」の座付作家「安田光堂」として数々の舞台脚本を手がける。卒業後、東宝に入社。さまざまな映画・テレビドラマの脚本・企画・プロデュースなどに参加。推理物を得意とすることから、一部[誰?]で「日本のアガサ・クリスティー」と言われる。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
遠藤 明範(えんどう あきのり、1959年 - )は日本の脚… 遠藤 明範(えんどう あきのり、1959年 - )は日本の脚本家、作家。神奈川県出身。同志社大学文学部心理学科卒業。旧ペンネームは遠藤明吾。 『機動戦士Ζガンダム』や『ミスター味っ子』のTVシリーズや、『銀河英雄伝説』や『創竜伝』のOVA作品、『ファイブスター物語』や『はじまりの冒険者たち レジェンド・オブ・クリスタニア』等の劇場版アニメといったアニメーション作品の脚本や原案を手がける。また『3×3 EYES』や『電脳都市OEDO808』、『攻殻機動隊』のノベライズや『成層圏ファイター』シリーズや『シャドーハンター』シリーズといったオリジナル作品も執筆している。近年は漫画原作も手がけている。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。
野依 美幸(のより みゆき、1959年 - )は、日本のテレ… 野依 美幸(のより みゆき、1959年 - )は、日本のテレビドラマの脚本家。東京都出身。立教大学経済学部卒業。 フリーライターとして書籍企画や映画・ドラマのノベライズを手がけたのち、脚本家となる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
森田 繁(もりた しげる、1959年 - )は日本の脚本家、… 森田 繁(もりた しげる、1959年 - )は日本の脚本家、設定考証・特殊設定担当者。スタジオぬえ所属。東京都練馬区出身。早稲田大学法学部卒業。 元々SFファンで、『宇宙戦艦ヤマト』に影響を受け、慶応義塾高校時代より同窓の河森正治・美樹本晴彦らとスタジオぬえ関連のファンダム「SFセントラルアート」に通い始める。大学4先生の頃、ぬえが手がけたムック本『ガンダムセンチュリー』の編集に参加し、そのままぬえに入社した。『超時空要塞マクロス』では前身企画『メガロード』の立ち上げから、アイデア出しのミーティングに参加していた。 ガンダムシリーズをはじめとするSFアニメにおいて、登場するメカニック、世界観、その他科学的概念の設定を、現実の知見を取り入れて考証しつつ形作るのがおもな仕事である。
井上 尚登(いのうえ なおと、1959年 - 2019年2月… 井上 尚登(いのうえ なおと、1959年 - 2019年2月25日)は、日本の小説家、推理作家、脚本家。 スポーツ通としても知られ、夕刊紙にコラムを連載していたことがある。 神奈川県相模原市出身。相模原市立上鶴間中学校、東海大学付属相模高等学校、東海大学工学部卒業。 会社員を経て放送作家となり、1999年に「T.R.Y.」が第19回横溝正史ミステリ大賞の大賞を受賞し、推理作家デビュー。 2012年に公開されたアニメ映画『チベット犬物語 〜金色のドージェ〜』では脚本を手掛けた。 2019年2月25日に逝去していたことが、東京創元社のホームページで報告された。
望月 智充(もちづき ともみ、1958年12月31日 - )… 望月 智充(もちづき ともみ、1958年12月31日 - )は、日本の男性アニメーション監督、演出家、脚本家。北海道出身。妻はアニメーターの後藤真砂子。坂本郷名義で脚本や演出を担当することもある。 亜細亜堂に入社し、アニメーターを経て演出家、監督となる。その後、フリーに。 東京都立小松川高等学校卒業後、早稲田大学に進学。入学の年に始まった『機動戦士ガンダム』に影響を受け、早稲田アニメーション同好会に入る。自主制作アニメや同人誌を制作していたが、あまりにものめり込みすぎて大学を留年してしまう。普通の就職をする気が無くなり、アニメーターになることを思い立つ。 1981年、動画のアルバイトをきっかけに、大学を中退してベテランアニメーターの芝山努、小林治が経営するアニメ制作会社「亜細亜堂」へ入社。
池田 政之(いけだ まさゆき、1958年11月28日 - )… 池田 政之(いけだ まさゆき、1958年11月28日 - )は、日本の脚本家、劇作家、演出家。兵庫県西脇市出身。劇団NLT文芸演出部所属。日本演劇協会会員(1995年)。日本劇作家協会会員(2011年)。日本舞踊藤間流名取。 兵庫県立西脇高等学校、京都産業大学を卒業。劇団NLT入団。1985年『物言へぬ鸚鵡の兄弟』で劇作家デビュー。 1989年(平成元年)にNLT退団、フリーとなり、主に商業演劇で活躍。東西ほとんどの大劇場から、新劇、小劇場、時代劇、現代劇、喜劇、悲劇などジャンルを一切問わない幅の広さがある。その後、2006年(平成18年)にNLT文芸演出部に復帰。 2011年(平成23年)に地元である兵庫県西脇市より西脇市文化賞、2016年(平成28年)に中村美律子『長編浪曲歌謡・無法松の恋〜松五郎と吉岡夫人』で第58回日本レコード大賞企画賞(作詞担当)、2019年(平成31年)『やっとことっちゃうんとこな』他の作・演出で第20回テアトロ演劇賞を受賞、2025年(令和7年) 演劇論文『弁慶の足 ~十三代目市川團十郎白猿はなぜ左足を上げたのか』にてシアターアーツ賞佳作受賞。
神山 由美子(かみやま ゆみこ、1958年11月18日 - … 神山 由美子(かみやま ゆみこ、1958年11月18日 - )は、日本の脚本家。兵庫県出身。昭和女子大学卒業。松竹シナリオ研究所卒業。第14回(昭和63年)城戸賞入賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
龍居 由佳里(たつい ゆかり、1958年11月11日 - )… 龍居 由佳里(たつい ゆかり、1958年11月11日 - )は、日本の脚本家。東京都出身。 東洋大学文学部卒業後、にっかつ撮影所に入社。テレビドラマのプロデューサーを経て、脚本家となる。1995年、連続テレビドラマ『星の金貨』で本格脚本家としてデビュー。 漫画の脚本は断り続けてきたが、2016年、デビュー20年目で初めて漫画を原作とした映画『四月は君の嘘』を手掛ける。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
光益 公映(みつます きみあき、1958年10月30日 - … 光益 公映(みつます きみあき、1958年10月30日 - )は、日本の脚本家、作家。日本シナリオ作家協会会員。 静岡県浜松市出身。和光大学人文学部人間関係学科卒業。在学中は和光大学映画研究会に所属していた。1979年『下落合焼き鳥ムービー』(山本晋也監督)のロケーションが和光大学で行われた際には、エキストラとして出演している。 2000年の映画「さくや妖怪伝」(製作トワーニ 配給ワーナー・ブラザース、主演は安藤希)にて脚本家としてデビュー。日本人脚本家として初めてアメリカメジャー映画会社、ワーナー・ブラザースのリーディング・スタッフによる脚本査定を五段階評価のトップの成績で通過する。作品は世界12カ国で上映された。
阪本 順治(さかもと じゅんじ、1958年10月1日 - )… 阪本 順治(さかもと じゅんじ、1958年10月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家。『大鹿村騒動記』や『北のカナリアたち』などを手がけたことで知られている。 大阪府堺市出身[リンク切れ]。実家は仏具店で、家の前に東映の封切館「堺銀座東映パール」があった。子どもの頃は東映ヤクザ映画の全盛期で、お客が映画館に押し寄せ、紛れてタダ見した。もし家の前の映画館が東映ではなく松竹だったら、人情喜劇でデビューしていたと思うと話している。東映作品を一本だけ選ぶなら『森と湖のまつり』という。大阪府立三国丘高等学校時代は家に閉じこもり、友達は一人もいなかったという[リンク切れ]。大きな影響を受けたのが大島渚で、大島のシナリオを読み漁っていたら、学生運動をしないといけないと思うようになった。
丸尾 みほ(まるお みほ、1958年9月27日 - )は、日… 丸尾 みほ(まるお みほ、1958年9月27日 - )は、日本の脚本家である。本名・旧名義は丸尾 未歩(読みは同じ)。東京都出身。日本脚本家連盟会員。 少女時代の将来の夢は漫画家、または小説家、画家だったという。 國學院高等学校在学時代、この高校がどうしても好きになれず、登校拒否ばかりの生活を送っていたそんな時、テレビドラマ『前略おふくろ様』(日本テレビ)を好きになって魅了されたことが脚本家になるきっかけだったと話している。高校卒業後、日本脚本家連盟ライターズスクールに第34期生として入る(同期には『土曜ワイド劇場』の原教子 、『はぐれ刑事純情派』の荻原美和子など)。後に同スクールの講師だった池田一朗(隆慶一郎)に『ドラえもん』などを制作するシンエイ動画を紹介され、間もなく脚本家デビューに至った。
松村 あゆみ(まつむら あゆみ、1958年9月22日 - )… 松村 あゆみ(まつむら あゆみ、1958年9月22日 - )は、日本テレビ制作局ドラマセンター調整担当副部長所属のテレビプロデューサー、脚本家、演出家である。東京都出身。 1982年、早稲田大学仏文科卒業後、日本テレビに入社。入社後はテレビドラマのアシスタントディレクター・アシスタントプロデューサーを経て1987年、若手ディレクターの登用のフレッシュドラマシリーズ『ガラスの観覧車』で演出デビュー。 以後は、火曜サスペンス劇場や2時間ドラマなどのプロデューサーを担当している。
砂本 量(すなもと はかる、1958年8月29日 - 200… 砂本 量(すなもと はかる、1958年8月29日 - 2005年12月21日)は、日本の脚本家、映画監督である。本名鈴木良紀(すずき よしのり)名義で映画プロデューサーであった。 1958年、神奈川県横須賀市生まれ。神奈川県立横須賀高等学校を経て立教大学文学部卒業。大学時代は黒沢清、森達也、塩田明彦らを輩出したサークル「パロディアス・ユニティー」に所属、黒沢の8ミリ映画でその姿を観ることができる。 1983年から1995年まで本名の「鈴木良紀」で、大映映像の社員プロデューサーとして『ジャズ大名』、『はいすくーる仁義』などの映画の企画をてがけた。同社在籍中の1991年、『ボールパークで夢を見て』で、脚本家登竜門である第17回「城戸賞」を受賞(準入賞)。
二代目 一条 さゆり(にだいめ いちじょう さゆり、1958… 二代目 一条 さゆり(にだいめ いちじょう さゆり、1958年8月9日 - )は、日本の女優、新劇女優、ストリッパー、コラムニスト、著作家、作家、脚本家、演出家、香港映画研究家、中国問題評論家。 1980年代初め頃から萩尾なおみ名義でピンク映画を中心に活躍。その後ストリッパーに転身して、その世界では伝説的な存在であった、一条さゆりの二代目を襲名した。本名は萩尾菜穂美。 ストリップとしての出し物は、ろうそくを片手に持ち、自らの体に蝋を振りかけるという初代から受け継いだろうそくショー、縄による縛りなどのSMパフォーマンスの他、水割りの入った巨大なワイングラスの中に入って、グラスをレンズ代わりにして下半身を客に大きく見せて、わかめ酒は観客にふるまうという芸があった。
河本 浩之(かわもと ひろゆき、1958年8月5日 - )は… 河本 浩之(かわもと ひろゆき、1958年8月5日 - )は、日本の男性俳優、声優、脚本家。兵庫県西宮市→大阪府出身。遊々団ブランシャメンバー。血液型RH-O型。 玉川大学文学部芸術学科中退。旧芸名は浅川 レオ(あさかわ れお)。 以前は劇団21世紀FOXに所属していた。 特技は、ラグビー。趣味は、麻雀、ゲーム、スポーツ観戦。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
君塚 良一(きみづか りょういち、1958年4月21日 - … 君塚 良一(きみづか りょういち、1958年4月21日 - )は、日本の脚本家、映画監督、放送作家。 東京都港区出身。日本大学芸術学部卒業。 妻は、女性アイドルグループ・トライアングルのメンバーで元タレントの藤本あき(加藤明恵)。 学生時代は映画監督を志していたが東宝撮影所でのアルバイト経験で映画界の不況を目の当たりにして、次第に映画界への興味を失う。倉本聰、山田太一、向田邦子などのシナリオライターが脚光を浴びているのを見て、テレビドラマの世界に関心を抱くようになった。大学の教授の紹介で、卒業後は萩本欽一に弟子入りし、萩本お抱えの放送作家集団である「パジャマ党」に加入。『欽ちゃんの週刊欽曜日』『欽ちゃんのどこまでやるの!?』『ライオンのごきげんよう』など、バラエティ番組に構成作家として携わる。
青木 研次(あおき けんじ、1958年1月31日 - )は、… 青木 研次(あおき けんじ、1958年1月31日 - )は、日本の脚本家。 20代後半よりテレビの放送作家となり、多くのテレビ番組を手掛ける。30代後半より映画の脚本を書きはじめ、『いつか読書する日』で菊島隆三賞(日本シナリオ作家協会)、第27回ヨコハマ映画祭脚本賞、芸術選奨新人賞受賞。 山形県米沢市生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業後、在日米軍ホテル勤務を経て、諸国放浪の末、テレビの放送作家となる。 「新世界紀行」(TBS)、「サンデープロジェクト」(テレビ朝日)「驚きももの木20世紀」(朝日放送)「美の巨人たち」(テレビ東京)など多くの番組に携わる。 その後、緒方明監督作品『独立少年合唱団』で映画脚本、原作を手掛けた。
三上 康雄(みかみ やすお、1958年1月20日 - )は、… 三上 康雄(みかみ やすお、1958年1月20日 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。 株式会社三上康雄事務所の代表取締役社長。 大阪市東区(現中央区)生まれ。近畿大学商経学部経営学科卒業。大学4年生時に米国フォートライトカレッジに留学。 中学から大学まで剣道をしていた。このことが後の作品に影響を与える。 1974年、高校時代に、自主映画の製作グループ「BJcc」を結成する。数本の短編を監督、近畿大学在学時には1年に1作品のペースで時代劇やアクション映画を4本監督する。 当時の自主映画は青春や日常を描いた作品が多かったが、時代劇や活劇を作っていたため、新作完成の度、テレビやラジオ、新聞、キネマ旬報のグラビア、小型映画(玄光社)の記事、シネアルバム(芳賀書店)のグラビア、雑誌の記事等で紹介された。
笠原 邦暁(かさはら くにあき、1958年 - )は、日本の… 笠原 邦暁(かさはら くにあき、1958年 - )は、日本の脚本家。アニメ、ドラマの脚本を手がける。 愛知大学卒業。システム・エンジニアを経て、1989年に『パラソルヘンべえ』で脚本家としてデビュー。妻はシャンソン歌手の笠原千恵美。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
まるお けいこ(1958年 - )は、日本の脚本家、作詞家、… まるお けいこ(1958年 - )は、日本の脚本家、作詞家、小説家。本名、丸尾 恵子。静岡県出身。白百合女子大学卒業。 魔法騎士レイアースやうる星やつら、地獄先生ぬ〜べ〜などのアニメで脚本を担当している。きんぎょ注意報!では脚本のほか『遠足に行きた~い!!』や『あなたが好き』などの作中曲の作詞も務めた。小説は小寺真理名義で発表している。
吉本 昌弘(よしもと まさひろ、1957年〈昭和32年〉12… 吉本 昌弘(よしもと まさひろ、1957年〈昭和32年〉12月19日 - )は、日本の脚本家。日本放送作家協会会員、日本脚本家連盟会員。東北学院大学経済学部中退。 福岡県福岡市博多区出身、6歳から宮城県石巻市育ち。19歳で上京。ピンク映画専門の映画館・新宿名画座でもぎりのアルバイトをしていたある日、当時助監督だった岡孝通を通して中村幻児監督へ自作のシナリオを見て貰い、それが1980年(昭和55年)の脚本家デビューへと繋がる。1980年代は、にっかつ、ミリオンフィルム(後のジョイパックフィルム、現在のヒューマックスシネマ)、東映セントラルフィルム、新東宝映画などの作品で日活ロマンポルノ・ピンク映画の脚本を多数担当。
小椋 悟(おぐら さとる、1957年11月20日 -)は、日… 小椋 悟(おぐら さとる、1957年11月20日 -)は、日本の映画プロデューサー・音楽家・脚本家。JAZZ FILM株式会社・チーフプロデューサー。2017/2021年度 京都芸術大学客員教授。株式会社小椋事務所元代表。 主な企画/プロデュース作品
園田 英樹(そのだ ひでき、1957年9月22日 - )は、… 園田 英樹(そのだ ひでき、1957年9月22日 - )は、日本の脚本家、演出家、小説家。佐賀県鳥栖市出身。 佐賀県立鳥栖高等学校卒業。私立探偵になるが、浮気調査に飽きて明治大学政治経済学部に入学。在学中はアングラ演劇に明け暮れ、のちに卒業。「天井桟敷」出身の童話作家・森忠明、劇団「日本」の演出家・三原四郎に脚本・演出を師事。系譜としては寺山修司の孫弟子となる。 テレビアニメの脚本を手がけるようになったのは、森忠明に小山高生を紹介されたことがきっかけである。当初は小山が構成を担当していた「手塚治虫のドン・ドラキュラ」(1982年)で脚本家デビューするはずだったが、担当広告代理店が倒産した影響で番組が打ち切りとなり、本作でのデビューにはならなかった(同じく脚本家の中弘子、照井啓治も園田と同様に当番組でデビューする予定だった)。
林 海象(はやし かいぞう、1957年7月15日 - )は、… 林 海象(はやし かいぞう、1957年7月15日 - )は、日本の映画監督・映画プロデューサー・脚本家。男性。株式会社映像探偵社代表取締役社長、元京都造形芸術大学芸術学部映画学科教授、元東北芸術工科大学デザイン工学部映像学科教授。 1986年にモノクロサイレント映画という異色の作品『夢見るように眠りたい』でデビューした。代表作は永瀬正敏主演の『私立探偵 濱マイク』シリーズなど。 京都府京都市生まれ。立命館中学校・高等学校を経て1977年立命館大学経済学部を中退。。 19歳で上京。27歳までの間、20数種のアルバイトをし、10数回の引っ越しをした。毎日500円以上使わないと決め、社会の底辺をその日暮らしの生活で徘徊していた。
鄭 義信(チョン・ウィシン/てい よしのぶ、정의신、1957… 鄭 義信(チョン・ウィシン/てい よしのぶ、정의신、1957年7月11日 - )は、劇作家、脚本家、演出家。兵庫県姫路市出身。韓国籍。 戦後、不法居住者が多く集まっていた姫路城の敷地内で生まれる。鄭の一家は現地で石垣を壊し、庭にするなどしていたという。姫路市立飾磨高等学校を経て同志社大学文学部中退後、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)美術科卒業。松竹で美術助手を務めた後、1987年劇団「新宿梁山泊」を旗揚げ、座付き作家となる。1994年、『ザ・寺山』で岸田國士戯曲賞受賞。1995年新宿梁山泊退団。邦画の脚本を担当するようになる。俳優として活動することもある。 2007年、新宿梁山泊が『それからの夏』を上演しようとし、鄭は自身の著作権を主張してこれを差し止めたが、金守珍を代表とする新宿梁山泊は、この戯曲が劇団の共同制作であることを主張し、自主上演権を求めて提訴した。
河原 よしえ(かわはら よしえ、1957年7月5日‐)は、日… 河原 よしえ(かわはら よしえ、1957年7月5日‐)は、日本の小説家、脚本家、作詞家。東京都杉並区阿佐ヶ谷出身。血液型はA型。本名は井上よしえ。旧創映社(後の日本サンライズ → サンライス → バンダイナムコフィルムワークス)時代より使用している別名として風間 洋(かざま ひろし)がある。夫は元サンライズ企画開発室室長の井上幸一。 1975年に創映社にアルバイトとして入社後、風間洋の名義で製作現場の各作業補佐及び広報素材整理などを担当。『無敵超人ザンボット3』や『ザ☆ウルトラマン』などで設定助手を務めた後、サンライズ企画部(後のバンダイナムコフィルムワークス サンライズ企画開発室)に正式に所属。
後藤 大輔(ごとう だいすけ、1957年5月24日 - )は… 後藤 大輔(ごとう だいすけ、1957年5月24日 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。 1957年(昭和32年)5月24日、熊本県熊本市に生まれる。 早稲田大学文学部英文学科に入学、在学中に学生映画の監督として活動、1980年(昭和55年)に自ら製作、監督を務めた45分の短編「休暇の前提」を発表した。 大学を卒業後、にっかつ(現在の日活)に入社し、「にっかつロマンポルノ」の助監督として、西村昭五郎、小沼勝、滝田洋二郎に師事したほか、プロデューサーとしても活動した。1988年に『ベッド・パートナー』で監督デビュー。ズーム・アップ映画祭で新人監督賞を受賞するが、この作品が「にっかつロマンポルノ」にとって最後の作品となった。
大川 俊道(おおかわ としみち、1957年4月2日 - )は… 大川 俊道(おおかわ としみち、1957年4月2日 - )は、日本の脚本家・映画監督である。茨城県出身。通り名は「おおかわ しゅんどう」。 茨城県立水戸第一高等学校を経て、1980年明治大学法学部卒業。後輩に室賀厚、松山鷹志、園田英樹らがいる。在学中は映画研究会で自主製作活動に没頭する傍ら、アルバイトとして東映本社7階の販促課に勤務。同時期に宣伝部でアルバイトをしていたのが尾形敏朗。販促課の前は東映セントラルフィルムの事務所だった。また文芸事務所ブローバック・プロにも出入りし、ドラマ『西部警察』の脚本製作に関わる。その後、日本テレビに持ち込んだシナリオが採用され、80年代の『太陽にほえろ!』で脚本家としてデビューした。
浪江 裕史(なみえ ひろし、1957年3月5日 - )は、日… 浪江 裕史(なみえ ひろし、1957年3月5日 - )は、日本の脚本家。 兵庫県西宮市生まれ。関西大学商学部卒業。横浜放送映画専門学院を経て、井手俊郎に師事。現在、日本シナリオ作家協会会員。 井上顕 - 川端竜太 - Kiyoka(MAパブリッシング) - 古庄未來(MAパブリッシング)- せきよしあき - 滝佳保子 - 竹内えり - 中上雅巳 - 森一 小澤俊介 - 加藤公平 - 木下草介 - 酒井雅秋 - 鈴木太一 - 高橋かづゆき - 田中孝治 - 浪江裕史 - 根津大樹 - 正岡謙一郎 - 丸茂周 - 宮脇卓也 阿久津朋子 - 阿相クミコ - 栗本志津香 - 白石まみ - 相馬来良 - 武井彩 - 土城温美 - 坂野裕子 - 女里山桃花 - 吉井三奈子 伊藤元 - 掛川浩司 - 上村奈帆 - 川口明日香 - 佐藤孝行 - 佐藤万里 - スギタクミ - 中島聡 - 龍樹 - 難波望 - 春名功武 - 政池洋佑 - 吉原れい - 山内晶 過去の在籍者及びマネージメント協力 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
藤本 信行(ふじもと のぶゆき、1957年3月 - 2015… 藤本 信行(ふじもと のぶゆき、1957年3月 - 2015年1月4日)は日本の脚本家。 宮城県塩竈市出身。日本工学院専門学校卒業。 主にドラマとアニメの脚本を手掛けた。子供向けアニメーションの仕事が多い。『神風怪盗ジャンヌ』では、比較的重い内容の脚本を書いている。 2015年1月4日午後2時25分、上縦隔腫瘍のため埼玉県越谷市の病院で死去。享年57歳。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
香月 秀之(かつき ひでゆき、1957年2月4日-)は、日本… 香月 秀之(かつき ひでゆき、1957年2月4日-)は、日本の映画監督・脚本家。日本映画監督協会会員。 大阪府堺市出身。大阪府立登美丘高等学校、拓殖大学卒業。 ・1996年 KSS「仕切り屋五郎」 ・1996年 KSS「ワタシノカラダヲカエシテ」 ・1999年 映画『新宿やくざ狂犬伝』 ・ 2000年 映画「突破者太陽伝」原作:宮崎学 ・2000年 映画『借王/シャッキング -THE MOVIE 2000-』 ・2000年 映画 『平成金融道 マルヒの女』 ・2003年 映画「北海の虎.望郷』 ・1995年 「仕切り屋五郎」 マンガ原作/漫画サンデー ・2000年 「借金帝王学」 スタープレス ・2010年 「君が踊る、夏」 角川文庫 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。
落合 正幸(おちあい まさゆき、1957年 - )は、日本の… 落合 正幸(おちあい まさゆき、1957年 - )は、日本のテレビドラマの演出家、脚本家、映画監督。共同テレビジョン所属を経てフリー。 東京都出身。日本大学藝術学部卒。星護とともに独特の演出方法で知られた。代表作のテレビドラマ『世にも奇妙な物語』では、35作(番組歴代最多演出数)を監督した。 2003年、共同テレビを退社し、映画監督活動を開始。『感染』はアメリカでも上映された。 共同テレビ退社以降同社とは全く関わりがなかったが、2012年に9年ぶりに『世にも奇妙な物語』の一話「ヘイトウイルス」でタッグを組みドラマのメガホンをとった。 2度結婚しており、元妻は共同テレビの親会社であるフジテレビでアナウンサーを務めた寺田理恵子と女性作家である梅田みか。
山川 元(やまかわ げん、1957年 - )は、日本の映画監… 山川 元(やまかわ げん、1957年 - )は、日本の映画監督、脚本家である。『卓球温泉』『東京原発』の監督として知られる。 1957年(昭和32年)、山形県上山市に生まれる。山形市立商業高等学校を卒業する。 大手証券会社に勤務したのちビデオ製作会社を経て26歳で映画界に入る。鈴木清順監督の『カポネ大いに泣く』(1985年)の製作助手からはじまり、降旗康男、崔洋一、伊丹十三、周防正行らの助監督を務める。 1994年、『唐獅子姉御』で初監督を果たす。監督デビュー後の1996年には、周防正行監督の『Shall we ダンス?』で監督補を務めている。 1998年、自ら企画・脚本を立ち上げた『卓球温泉』を監督。
扇澤 延男(おおぎざわ のぶを、1956年11月29日 - … 扇澤 延男(おおぎざわ のぶを、1956年11月29日 - )は日本の脚本家。本名は同じ。北海道出身。早稲田大学第二文学部出身。一時期「扇沢延男」の名でも活動。 シナリオセンターで師事していた金子成人の紹介によりテレビ朝日で企画書やプロットの執筆などを手掛けた後、同局のプロデューサー・小関明を通じ『超人機メタルダー』で脚本家デビュー。その後久世光彦率いるKANOXに参加し、1時間ドラマや月9ものを手掛ける傍ら、子供向けの特撮番組や刑事ドラマなどのジャンル物も多数手掛ける。弱者の悲哀や公権力の腐敗・暴走などにスポットを当てた社会性の強い作風が多い。系譜上は倉本聰の孫弟子にあたる。 一方で後進の育成にも尽力し、日本脚本家連盟講師としてトムス・エンタテインメント運営のシナリオライター養成塾にも関わった。
周防 正行(すお まさゆき、1956年10月29日 - )は… 周防 正行(すお まさゆき、1956年10月29日 - )は、日本の映画監督、脚本家。太田出版監査役。妻は女性俳優の草刈民代。 東京都目黒区に生まれ、その後神奈川県川崎市で過ごす。幼少時は野球好きで、野球をするために中学はわざわざ遠方の武蔵工業大学附属中学校・高等学校に進学した。しかし中学2年生の時に肘を痛めて野球の道は断念した。高校卒業後に2年間浪人生活を送る。 1981年、立教大学文学部仏文科在学中に、非常勤講師として来ていた蓮實重彦の講義「映画表現論」に出会い、卒業後映画監督を目ざす。学生時代は、バイトで金を貯めては独自に8ミリ映画作りをする日々を送った。 当時映画界は斜陽産業で映画会社の社員採用試験がなかったが、そんな状況でもピンク映画が作品を量産していたことから、周防はどうにかその撮影現場に入る方法はないかと思案していた。
ときた ひろこ(本名:時田 広子、1956年10月24日 -… ときた ひろこ(本名:時田 広子、1956年10月24日 - )は、日本の女性アニメーション監督、脚本家。東京都板橋区出身。日本脚本家連盟会員。 日本大学理学部物理学科在学中に、アルバイトでテレビアニメの彩色の仕事を行なったのがアニメ業界入りのきっかけ。和光プロダクションのテレビアニメ『激走!ルーベンカイザー』で監督の布川ゆうじと知り合い、1978年のスタジオぴえろ発足に誘われ、事務として設立に参加。1980年の『ニルスのふしぎな旅』などの動画などを担当した。1981年に退社してフリーとなり、『あしたのジョー2』などの動画を担当。 しかし原画への昇格を待たずに、自らのアニメーターの才能に見切りをつけて演出家を志向。
菅 良幸(すが よしゆき、1956年10月20日 - 202… 菅 良幸(すが よしゆき、1956年10月20日 - 2024年5月25日)は、日本の男性脚本家。兵庫県明石市[要出典]出身。立命館大学卒業。主にアニメの脚本、シリーズ構成を中心に担当した。日本脚本家連盟会員。 1982年10月、後述するテレビアニメ『一ツ星家のウルトラ婆さん』(よみうりテレビ製作・日本テレビ系列)で脚本家デビュー。 主に少年誌の漫画を原作とするアニメの脚本を担当した。 豪快な逸話が多く、自己紹介の際は「不良の良に不幸の幸で良幸」を持ちネタとしていた。 2024年5月25日、死去。67歳没。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
宮下 隼一(みやした じゅんいち、1956年8月12日 - … 宮下 隼一(みやした じゅんいち、1956年8月12日 - )は、日本の脚本家である。長野県長野市出身。旧筆名は宮下 潤一(読みは同じ)。主に刑事ドラマや特撮、アニメーションなどの脚本を手がけている。 横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)卒業。同窓に岸間信明、平野靖士らがいる。元々は監督志望で、テレビ映画の助監督として活動していたが、石原プロモーションにプロットを持ち込んだ事がきっかけで永原秀一の門下に入り、1979年に『西部警察』第7話「暴走刑事を撃て」で脚本家としてデビューした。1981年よりテレビ朝日プロデューサーの紹介で『特捜最前線』に参加し、シリーズ後半では中心ライターとして活動する。
村松 利史(むらまつ としふみ、1956年8月5日 - )は… 村松 利史(むらまつ としふみ、1956年8月5日 - )は、新潟県長岡市出身の俳優、脚本家、演出家、構成作家。身長170 cm、体重55 kg。趣味は読書、散歩、喫茶店巡り。 新潟県立六日町高等学校卒業。学生時代から『MBSヤングタウン』『オールナイトニッポン』などのラジオ番組でハガキ職人として活躍。 大学へ進学したものの舞台俳優を志して中退し、劇団東京ヴォードヴィルショーに入団(在籍中には『山口良一のオールナイトニッポン』に構成作家として参加しており、愛称は「ヘンリー」「モンリー(ニソクサンモンリー)」だった)。 『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』も担当し、鶴光とはMBSヤングタウン以来、DJとはがき職人としての縁があり、構成作家として参加する様になり「感慨無量です」と村松自身が話していて、鶴光からは「役者くずれの放送作家」と呼ばれていた。