センス@(センス・アットマーク、本名 森川芳昭、1960年1… センス@(センス・アットマーク、本名 森川芳昭、1960年12月12日 - )は、大阪府茨木市出身の映画監督、プロデューサー、脚本家。映画団体エンドレスフィルム所属。 早稲田大学社会科学部を卒業後、1984年にクラリオン(株)に入社。2001年に脱サラし、デジタルビデオ映画制作に携わるようになる。 映画監督としては2000年に活動を開始し、映画監督名をハンドルネームのセンス@とし、2004年にデジタルビデオ処女作である「センチメンタルブルー」を下北沢トリウッドにて公開。スニークプレビュー枠にてロードショー権利を獲得し、同年2週間のロードショー公開を行った。翌年DVDを全国発売。また、本映画DVDに同時収録された短編映画「さよならのkiss」はmixiにて初めて、何も無いところから各スペシャリストを募集、話し合いながら進めるSNS型制作をした映画として話題を呼び、メジャー公開映画のクレジットロールに日本で初めて「mixi」という文字を表記(mixi公認)、雑誌等に取り上げられ掲載された。
中江 裕司(なかえ ゆうじ、1960年11月16日 - )は… 中江 裕司(なかえ ゆうじ、1960年11月16日 - )は、日本の映画監督。 京都府京都市出身。京都府立洛北高等学校から琉球大学農学部へ入学して以後、沖縄県で生活する。 学生時代から映画研究会で8ミリ作品を発表しており、自主映画の仲間とともにオムニバス映画『パイナップル・ツアーズ』を制作して商業映画デビュー。日本映画監督協会新人賞を受賞する。以降も、作品のほとんどは沖縄を舞台にしている。2000年に自ら監督・脚本を担当した映画『ナビィの恋』で芸術選奨新人賞、新藤兼人賞・金賞を受賞、2002年の『ホテル・ハイビスカス』では第15回東京国際映画祭審査員特別賞を受賞した。 また、2005年5月には真喜屋力らと、那覇市の閉館した映画館を「桜坂劇場」として復活(劇場支配人は真喜屋)。
横山 浩之(よこやま ひろゆき、本名 横山浩幸、1960年9… 横山 浩之(よこやま ひろゆき、本名 横山浩幸、1960年9月26日 - )は、映画監督。東京都葛飾区出身。 横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)を卒業後、ドラマの助監督として現場に入る。TVの連続ドラマや2時間ドラマを経験した後、映画に転向、ディレクターズ・カンパニーの作品(主に井筒和幸監督作品)や石井隆、竹中直人などのチーフ助監督を勤め、1995年に監督になる。劇場用全国公開作品「蝉祭りの島」では高い評価を得る。横山楽居の名前でも作品がある。2010年6月には日本初のUstreamを使ったネットドラマ『美人坂』(2010年7月2日 - 8月6日、JNC)すの企画、演出を担当した。2015年に岡田秀春と「it JAPAN イット・ジャパン」(映画の力で日本の魅力を国内外に発信するプロジェクト)を設立。
きうち かずひろ(1960年9月14日 - )は、日本の漫画… きうち かずひろ(1960年9月14日 - )は、日本の漫画家、漫画原作者、映画監督、脚本家。本名である木内 一裕名義で小説家としても活動。 福岡県福岡市南区出身。血液型B型。兄は漫画原作者の木内一雅。父親はSFマニア・ガンマニアで、幼少の頃から、兄弟でSF小説に読みふけっていた。福岡市立高宮中学校、福岡大学附属大濠高等学校を経て、東京デザイナー学院九州校卒業。 1983年、不良の高校生たちをテーマにした『BE-BOP-HIGHSCHOOL』で漫画家デビュー。『ビーバップ』は以後20年続く人気連載となり、不良漫画の代表的な作品の一つに数えられている。 1991年より映像にも手を広げ、『CARLOS/カルロス』『鉄と鉛』『共犯者』などを監督。
三池 崇史(みいけ たかし、1960年8月24日 - )は、… 三池 崇史(みいけ たかし、1960年8月24日 - )は、日本の映画監督。大阪府八尾市出身。「バイオレンスの巨匠」とも謳われている。既婚。 幼少時代を大阪府八尾市で過ごし、大阪工業大学高等学校時代はラグビー部に所属していたが、入部した瞬間にレベルの違いを思い知って挫折。ラグビーを断念してバイクサーキットのライセンス取得に挑戦したが、ただでさえ自分自身も走りづらいシチュエーションにおいて、前を走る人間を追い抜く欲求が生まれなかったことからこれも断念。 大学へ内部進学できなくなっていた三池は横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に進学し、大師匠である大庭秀雄の映画に対する心構えの講義を聞いた際に自分は場違いなんじゃないかと感じてしまう。
石岡 正人(いしおか まさと、1960年8月6日 - )は、… 石岡 正人(いしおか まさと、1960年8月6日 - )は、日本の映画監督。静岡県出身。日本映画監督協会会員。京都精華大学マンガ学部客員教授(専門:映画)。
犬童 一心(いぬどう いっしん、1960年6月24日 - )… 犬童 一心(いぬどう いっしん、1960年6月24日 - )は、日本の映画監督、CMディレクター、脚本家。ADKアーツ所属後、株式会社スカイドラム代表。現在も東京都在住。 東京都生まれ。法政大学第一高等学校(現:法政大学高等学校)在学中より自主制作映画の監督、製作をスタートする。1979年、『気分を変えて?』の脚本・監督を務め、ぴあフィルムフェスティバル入選。入選後、黒沢清、手塚眞らと知り合い、交友を深める。 自主制作時代、池袋文芸坐(現・新文芸坐)主催のMWC(マインド・ウェーブ・シネマ)に参加、1982年『赤すいか黄すいか』(16mmフィルム)、1983年『夏がいっぱい物語』(8mmフィルム)などのフィルムによる作品を手がけた。
和田 秀樹(わだ ひでき、1960年(昭和35年)6月7日 … 和田 秀樹(わだ ひでき、1960年(昭和35年)6月7日 - )は、大阪府出身の受験アドバイザー、評論家(教育・医療、政治・経済)、精神科医(川崎幸病院精神科顧問)、教育思想家(受験競争重視思想)、臨床心理士、国際医療福祉大学大学院教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)、映画監督、小説家、管理栄養士。
尾上 克郎(おのうえ かつろう、1960年6月4日 - )は… 尾上 克郎(おのうえ かつろう、1960年6月4日 - )は、日本の特撮映画・テレビの特撮監督。鹿児島県出身。 鹿児島県いちき串木野市生まれ。学生時代に自主制作映画へ携わったのをきっかけに、テレビ番組の装飾・小道具を手掛ける大晃商会でアルバイトを入る。以後、映画、コンサートを中心に美術、装飾、特殊効果マンとして活躍。1982年の映画『爆裂都市 BURST CITY』で美術スタッフとして映画キャリアをスタートした。 1985年に特撮研究所所属となる。スーパー戦隊シリーズやメタルヒーローシリーズなどで操演技師を務めた後、1994年『ブルースワット』で特撮監督としてデビュー。東映特撮のデジタル化を推進した。
石井 秀人(いしい ひでと、1960年5月31日 - )は、… 石井 秀人(いしい ひでと、1960年5月31日 - )は、日本の映画監督。8ミリ作品で名高い。群馬県渋川市出身、最終学歴は専修大学卒業。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
諏訪 敦彦(すわ のぶひろ、1960年5月28日 - )は、… 諏訪 敦彦(すわ のぶひろ、1960年5月28日 - )は、日本の映画監督。即興的演出技法という独特のスタイルで知られる。母校である東京造形大学学長を2008年から2013年まで務めた。東京藝術大学教授。 広島県広島市佐伯区出身。広島市立五日市中学校~広島県立廿日市高等学校卒業後、かわなかのぶひろの影響で東京造形大学デザイン学科に入学。大学在学中からインディペンデント映画を製作。 卒業後、石井聰亙や山本政志、松井良彦、山川直人らの作品に携わる傍ら、テレビドキュメンタリーの演出を手がける。1985年『はなされるGANG』で、ぴあフィルムフェスティバル入選。 1981年から数年にわたっては、映画の自主制作運動の拡大を目指して、この時期に参加していた自主制作映画を中心とする多数の作品の上映会を企画。
瀬々 敬久(ぜぜ たかひさ、1960年5月24日 - )は、… 瀬々 敬久(ぜぜ たかひさ、1960年5月24日 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家、俳優。 1960年5月24日、大分県真玉町(現:豊後高田市)に生まれる。 大分県立高田高等学校時代に数合わせで入部させられた物理部にたまたまビデオカメラが備えてあったために、自主制作映画を撮り始める。当時は大林宣彦、大森一樹、石井岳龍など学生の自主映画からすぐにデビューする映画監督が登場し、テレビや雑誌で多く紹介されていたことで影響を受けたという。大阪での予備校生活を経て京都大学文学部哲学科に入学後、映画部に入部。満25歳を迎える1985年、16mm映画『ギャングよ、向こうは晴れているか』を自主製作、監督する。
庵野 秀明(、1960年〈昭和35年〉5月22日 - )は、… 庵野 秀明(、1960年〈昭和35年〉5月22日 - )は、日本のアニメ監督、アニメーター、脚本家、映画監督、プロデューサー。 山口県宇部市出身。株式会社カラー代表取締役社長、株式会社プロダクション・アイジー・株式会社でほぎゃらりー・POPOPO株式会社取締役、株式会社プロジェクトスタジオQ創作管理統括、特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構理事長。山口県立宇部高等学校卒業。大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)除籍。妻は漫画家の安野モヨコ。 別名義として、アニメーションを手がける際のあんの ひであきやアンノ ヒデアキ、作詞家としての空母そ・そ・そ・そ、樋口真嗣との作詞コンビHIDE&シンディー♡などがある。
尾崎 将也(おざき まさや、1960年4月17日 - )は、… 尾崎 将也(おざき まさや、1960年4月17日 - )は、日本の脚本家、映画監督。アンドリーム(&REAM)所属。妻は小説家の佐伯紅緒。 兵庫県西宮市出身。六甲高等学校、関西学院大学文学部を卒業後、広告制作会社に就職するも脚本家の夢を諦められず、1992年に『屋根の上の花火』で第5回フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞し頭角を現した。 代表作に『アットホーム・ダッド』『結婚できない男』『特命係長 只野仁』『白い春』『梅ちゃん先生』 『僕の初恋をキミに捧ぐ』がある。妻は小説家の佐伯紅緒。 2010年、初監督映画『ランデブー!』で映画監督デビューを果たした。
森岡 利行(もりおか としゆき、1960年4月1日 - )は… 森岡 利行(もりおか としゆき、1960年4月1日 - )は、日本の脚本家・映画監督・演出家。 大阪府八尾市出身。20代の頃は舞台俳優として、状況劇場、ブリキの自発団、劇団離風霊船といった劇団を転々とした。1993年に劇団「ストレイドッグ」を結成する。1995年に「新・悲しきヒットマン」で脚本を書き、2000年に「クラヤミノレクイエム」で映画を監督し、2004年に映画化企画『路地裏の優しい猫』が第3回日本映画エンジェル大賞を受賞したのちに映画化されて、2008年に「子猫の涙」として公開された。第20回東京国際映画祭「日本映画 ある視点」部門で特別賞を受賞した。現在は脚本、映画監督、舞台演出などの活動が主である。
岡本 英郎(おかもと ひでお|1960年〈昭和35年〉3月2… 岡本 英郎(おかもと ひでお|1960年〈昭和35年〉3月28日 - )は、日本のデザイナー、メカニックデザイナー、イラストレーター、映画監督。東京都葛飾区亀有出身。別名義に島本高雄がある。 高校当時にイラストに熱中していたところをアニメプロデューサーの野崎欣宏に才能を認められ、18歳で彼からの初仕事としてテレビアニメ『宇宙大帝ゴッドシグマ』の玩具のミニカードを描く。その後、デザイン会社「デザインメイト」への就職を経て独立し、同社のサブマリン、伸童舎、3Dプラネッツなどのスタジオに出入りしていた。『機動戦士Ζガンダム』や『機動戦士ガンダムΖΖ』、『桃太郎伝説 PEACHBOY LEGEND』などのデザインに関わった後、『鎧伝サムライトルーパー』の鎧デザインコンペに「負けたら業界から身を引くつもりで」参加し、採用される。
上坂 浩光(こうさか ひろみつ、1960年2月23日 - )… 上坂 浩光(こうさか ひろみつ、1960年2月23日 - )は日本の映画監督、フルドームCGクリエーター、CGアーティスト、日本のアニメーション監督、CGプロダクション有限会社ライブ経営、プログラマー、天体写真家として撮影した天体写真が天文ガイド、星ナビで数回受賞している。小惑星探査機はやぶさ、はやぶさ2(宇宙航空研究開発機構)に関わる映像作品を製作。 学生の頃から天体に興味を持ち、中学生時代は自宅裏で星空を観察してノートに記録し続けた。大学ではデザインを専攻し、卒業後は映像制作会社に入社。一時天体への興味は薄れるが、1990年代にカメラ技術の発達によって天体を高画質で撮影できるようになると、再び天体観測を始めるようになった。
井坂 聡(いさか さとし、1960年1月2日 - )は、日本… 井坂 聡(いさか さとし、1960年1月2日 - )は、日本の映画監督。アンドリーム(&REAM)の所属で、現在は相模女子大学の人間社会学部で教授も務める。 長男の井坂肇は元プロ野球選手(投手)で、東京大学から日本の独立リーグでのプレーを経験した初めての選手。 東京都世田谷区出身で、都立戸山高校を経て、1978年に東京大学文科三類に入学。1983年に東京大学文学部美学芸術学専修課程を卒業。大学時代には運動会硬式野球部に所属していた。 東京大学を卒業後に、フリーの助監督として、『特捜最前線』などに関わる。東京大学野球部の先輩・瀬川昌治に師事し、テレビドラマで監督デビューを果たした後に、1996年公開の実写映画「[Focus]」で劇場用映画に進出した。
塚本 晋也(つかもと しんや、1960年1月1日 - )は、… 塚本 晋也(つかもと しんや、1960年1月1日 - )は、日本の映画監督、俳優。 東京都渋谷区出身。渋谷区立渋谷小学校、渋谷区立原宿中学校、日本大学鶴ヶ丘高等学校、日本大学芸術学部卒業。有限会社海獣シアター代表取締役。コマーシャルのナレーターとしては大沢事務所所属。既婚。 映画監督としては、自ら製作・監督・脚本・撮影・美術・編集・出演を兼ねる自主制作スタイルを貫いている。 下北沢で生まれ原宿で育つ。幼少の頃から観ていた「ウルトラQ」(その他)に衝撃を受け、中学時代から自主映画を作り始める。当時は怪獣映画に夢中で、円谷一の著書『特撮のタネ本』をバイブルにしていた。中学2年生(当時14歳)の時に水木しげるのマンガ『原始さん』を原案にして、父が持っていた8ミリカメラで映画製作をする。
初山恭洋(はつやま やすひろ、1960年 - )はテレビドラ… 初山恭洋(はつやま やすひろ、1960年 - )はテレビドラマ演出家、映画監督。 北海道出身。北海道倶知安高等学校時代はテニス部所属。深町幸男監督に師事。数多くの地上波ドラマの監督、助監督を務めている。
中村和彦(なかむら かずひこ、1960年 - )は、日本の映… 中村和彦(なかむら かずひこ、1960年 - )は、日本の映画監督である。 福岡県大牟田市出身。福岡県立三池高等学校卒業。早稲田大学第一文学部東洋史専攻在学中に助監督を経験、そのまま映画の路に進み大学を中退。池田敏春、森安建雄、細野辰興、望月六郎、石井隆等の助監督、奥田瑛二の監督補等につく。 2002年に『棒-Bastoni-』で劇場用映画監督デビュー。その後サッカー日本代表のオフィシャルドキュメンタリーDVD『日本代表激闘録』シリーズ(2004〜2017)のディレクターを担当しつつ、2007年に知的障害者サッカー日本代表チームのドキュメンタリー映画『プライド in ブルー』(文化庁映画賞優秀賞受賞)を発表。
冨樫 森(とがし しん、1960年 - )は、日本の映画監督… 冨樫 森(とがし しん、1960年 - )は、日本の映画監督。映画24区スクール講師、元日本映画学校映像科講師。山形県鶴岡市(旧藤島町)出身。 山形県立鶴岡南高等学校卒業。立教大学文学部に進学し、剣道部に所属。在学中に受講した蓮實重彦の「映画表現論」の講義をきっかけに映画に興味を持ち、大学卒業後はフリーの助監督として相米慎二、井筒和幸、中原俊、平山秀幸らの作品に参加、オムニバス映画「ポッキー坂恋物語・かわいいひと」の一編で監督デビューし、「非・バランス」では高い評価を得た。 2013年には、故郷の山形が舞台でNHK朝の連続テレビ小説で人気を博した「おしん」を映画化した。
田中 誠(たなか まこと、1960年 - )は、日本の映画監… 田中 誠(たなか まこと、1960年 - )は、日本の映画監督、脚本家。東京都浅草出身。 成城大学在学中の1983年に『すしやのロマノフ』でヤングジャンプ・シネマフェスティバル入賞。フリーの映像ディレクターとしてテレビ番組等の演出をした後、鈴木清順監督作品『ピストルオペラ』、紀里谷和明監督作品『CASSHERN』に関わる。『タナカヒロシのすべて』(2004年)で映画監督デビュー。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
安井 豊作(やすい ほうさく、1960年 - 2025年)は… 安井 豊作(やすい ほうさく、1960年 - 2025年)は、日本の映画批評家、映画監督である。 アテネ・フランセ文化センターのキュレーター、『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』の編集委員、映画美学校の初代事務局長などを歴任。 2011年、著書『シネ砦 炎上す』を刊行し、『映画芸術』『東京新聞』『週刊読書人』で取り上げられた。そのほか、共著に『黒沢清の映画術』がある。 2011年、法政大学学生会館の解体を捉えた灰野敬二出演の長編映画『Rocks Off』を監督した。
松浦 雅子(まつうら まさこ、1960年 - )は、日本の映… 松浦 雅子(まつうら まさこ、1960年 - )は、日本の映画監督・脚本家。跡見学園女子大学文学部コミュニケーション文化学科教授。 石川県金沢市出身。思春期を金沢で過ごし、金沢大学附属高等学校を卒業。その後上京し、横浜国立大学教育学部卒業。大学在学中より、シナリオセンター、松竹シナリオ研究所でシナリオを学ぶ。大学4年生の時、松竹映画『シングルガール』の共同脚本として、脚本家デビュー。大学卒業後、東北新社CM本部に所属。CMディレクターとして演出家デビューする。当時は数少ない女性CMディレクターとして活躍、数百本のCM演出を手がけ、その名を知られる。 その後、CM演出をしながら映画脚本も書き続け、1995年の松竹映画『人でなしの恋』(阿部寛・羽田美智子主演)で脚本・監督デビュー。
天願 大介(てんがん だいすけ、本名:今村 大介、1959年… 天願 大介(てんがん だいすけ、本名:今村 大介、1959年12月14日 - )は、日本の脚本家、映画監督。日本映画大学映画学部長を経て2017年より学長。「天顔大介」という表記は誤りである。三池崇史監督とのコンビで知られている。 映画監督今村昌平の長男として東京都に生まれる。今村昌平が設立した日本映画学校で専任講師をし俳優科担任も受け持つ。 東京都立秋川高等学校卒業後、琉球大学法文学部に入学。卒業後の1983年、寺山修司監督の『さらば箱舟』に美術スタッフとして参加する。高校時代の同級生にミュージシャンの直枝政広、先輩に浅野祥之がいる。 1984年新潮社に入社後は雑誌編集などをしていたが、1990年、初めて脚本・監督をつとめた『妹と油揚』でぴあフィルムフェスティバル(PFF)審査員特別賞などを受賞し、バンクーバー国際映画祭などから招待を受け、高評価を受ける。
今関 あきよし(いまぜき あきよし 、本名:今関 明好(読み… 今関 あきよし(いまぜき あきよし 、本名:今関 明好(読み同じ)、1959年11月19日 - )は、日本の映画監督、演出家。東京都出身。日本大学豊山高等学校卒業、日本大学経済学部中退。 学生時代の1975年頃から自主制作により8ミリ映画の製作を開始し、1979年に三留まゆみ主演の自主映画『ORANGING'79』がオフシアター・フィルムフェスティバル'79(のちのぴあフィルムフェスティバル)で大林宣彦の推薦により入選。1982年には文芸坐を中心とする自主映画プロジェクトマインド・ウェーブ・シネマに参加し、『フルーツ・バスケット』『MILK○MILK』を発表する。 1983年に富田靖子主演の劇場映画『アイコ十六歳』で商業映画デビュー。
今村 悦朗(いまむら えつろう、1959年10月26日 - … 今村 悦朗(いまむら えつろう、1959年10月26日 - )は、日本のテレビプロデューサー、ディレクター、映画監督。女性アイドルグループSKE48およびNGT48の元劇場支配人。鹿児島県出水市出身。 約30年間に渡ってテレビ業界で活躍し、プロデューサー、ディレクターとして関わった番組は300本を数える。また、映画制作にも関わり、2006年公開の「調布空港」では監督・脚本を手がけている。 2014年3月、恩師である秋元康の命を受け、SKE48劇場支配人に就任。翌2015年4月には新たに結成されたNGT48の初代劇場支配人に就任した。 2019年1月8日にNGT48のメンバーである山口真帆が前年12月に暴行被害に遭っていたことを告発すると、今村はNGT48の管理責任者の立場でありながらかかる事態に対する説明を行わないまま公の場から姿を晦ましてしまい、その姿勢に世間から批判が集中した。
石井 竜也(いしい たつや、1959年〈昭和34年〉9月22… 石井 竜也(いしい たつや、1959年〈昭和34年〉9月22日 - )は、日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、芸術家、映画監督。茨城県北茨城市出身。米米CLUBメンバーでメインボーカル・MC。バンドではカールスモーキー石井の名義で活動する。所属事務所は、自らが代表取締役社長を務める株式会社ウェルストーン・ヴォイス。 1982年、ジェームス小野田らと米米CLUBを結成し、1985年にメジャーデビュー。楽曲制作やステージセット、コスチュームのデザインなどを総合的にプロデュースし、『浪漫飛行』、『君がいるだけで』などが大ヒットした。 その一方、米米CLUBとは方向性の異なる創作活動への志向を強め、本名の石井竜也名義で映画制作などに傾注するようになり、1997年に米米CLUBを解散。
中島 哲也(なかしま てつや、1959年9月2日 - )は、… 中島 哲也(なかしま てつや、1959年9月2日 - )は、日本の映画監督、CMディレクター。福岡県出身。 福岡県立筑紫高等学校を経て、明治大学卒業。大学在学中は、映画演劇研究会の騒動舎に属し、1982年に制作した『はの字忘れて』が、ぴあフィルムフェスティバルで長谷川和彦の推薦により入選。長谷川は「優れて構成的な毒のある笑いを提供してくれた。作家がこれ見よがしの下手な小細工をする作品が多い中で、中島君の正攻法は清々しい」と評した。 大学卒業後、CM制作会社の日本天然色映画に所属。1987年にフリーとなり手掛けたCMデビュー作のフジッコ漬物百選では、山口美江の「しばづけ食べたい」のセリフが話題になる。
雨宮 慶太(あめみや けいた、1959年〈昭和34年〉8月2… 雨宮 慶太(あめみや けいた、1959年〈昭和34年〉8月24日 - )は、日本の映画監督、イラストレーター、キャラクターデザイナー。有限会社クラウド代表。国際SFアートコンテストなど、数々の受賞歴を持つ。 1978年、阿佐ヶ谷美術専門学校に入学。同校を中退後、1981年にデン・フィルム・エフェクトに入社。その間に自主制作映画『スウィートホーム』を発表し話題となる。1983年に有限会社クラウドを設立。篠原保や阿部統などといった人材を輩出した。 その後雑誌『宇宙船』編集長の村山実の紹介で『巨獣特捜ジャスピオン』(1985年)にて初めてキャラクターデザインを担当、翌年の『時空戦士スピルバン』よりメインでキャラクターデザインを手がけるようになる。
佐藤 寿保(さとう ひさやす、1959年8月15日 - )は… 佐藤 寿保(さとう ひさやす、1959年8月15日 - )は、日本の映画監督。静岡県静岡市出身。東京工芸大学卒業。 主にピンク映画を量産していた向井寛が主宰の獅子プロダクション出身で、滝田洋二郎らの助監督を務めた。 1985年、映画「狂った触覚(劇愛!ロリータ密猟)」で監督デビューをした。同年ズームアップ映画祭新人監督賞を受賞。以後、サトウトシキ、佐野和宏、瀬々敬久とともに「ピンク四天王」と称される。別名義・幡寿一でも数作品の監督作がある。これは佐藤寿保の監督作は抜けないと成人映画ファンから反感を持たれ、劇場側から一時排斥をされたため。
飯田 譲治(いいだ じょうじ、1959年3月1日 - )は、… 飯田 譲治(いいだ じょうじ、1959年3月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家、テレビドラマの演出家。小説家。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、明治大学中退。自主映画出身の映画監督。1980年、8ミリ映画『休憩』でぴあフィルムフェスティバルに入選。友人に、『世にも奇妙な物語』などの作曲で知られる蓜島邦明がいる。 『世にも奇妙な物語』シリーズでは、「中村功一」のペンネームでいくつか脚本を書いている。そのうち、『常識酒場』、『トラブルカフェ』は『NIGHT HEAD』の原型となった。 今井雅之、東根作寿英、豊川悦司、武田真治等、出演当時ほぼ無名であった役者をキャスティングして細かな演技指導を行って彼らをスターダムに押し上げた。
石川 均(いしかわ ひとし、1959年1月17日 - )は、… 石川 均(いしかわ ひとし、1959年1月17日 - )は、日本の映画監督、脚本家。茨城県結城市出身。 1959年生。大阪芸術大学映像学科卒業。自主映画の監督を経て映画監督の中村幻児、廣木隆一に師事。1984年、ミリオンフィルムより商業映画監督デビュー。1987年、ズームアップ映画祭で監督賞、作品賞、脚本賞を受賞。1990年「パンツの穴 本牧ベイでクソくらえ」を監督。以降多数の作品を発表している。脚本も多く手がけ、ときおり俳優として出演もする。 2021年6月、映画雑誌「シネ★マみれ」主催・ピンク映画ベストテンにおいて監督賞および桃熊脚本賞を受賞。
中島 信也(なかじま しんや、1959年1月15日 - )は… 中島 信也(なかじま しんや、1959年1月15日 - )は、日本のCMディレクター、映画監督、ソングライター。東北新社元代表取締役社長。日本ネーミング協会理事。武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科およびデザイン情報学科客員教授。宣伝会議講師。 福岡県八女市(旧・八女郡黒木町)で生まれ、大阪で育つ。大阪府立豊中高等学校を経て武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科を卒業。在学中は芸術祭の実行委員長を務めるなど硬派な学生だった。大学時代の同級生にみうらじゅん、工業デザイナーの奥山清行がおり当時から親交があった。 同校卒業後の1982年4月、博報堂の入社試験を受けるも途中で辞退。その背景に中島の父が博報堂勤務だったことがあると語っている。
田代 廣孝(たしろ ひろたか、1959年 - )は、日本の映… 田代 廣孝(たしろ ひろたか、1959年 - )は、日本の映画監督、テレビディレクター。 宮城県仙台市出身。仙台市立五橋中学校、東北学院榴ケ岡高等学校、日本大学芸術学部卒業。イギリス留学を経て新藤兼人監督の助監督となる。一方、テレビのバラエティ、ドキュメンタリー、衛星放送、ビデオ作品等の演出も手掛ける。 漫画家荒木飛呂彦、フリーライター永沢光雄とは、東北学院榴ケ岡高等学校の同期生である。 二作とも国際的な鋭い視点から社会を切り取り、また繊細かつリアルな人間描写や独特なフレーミングと濃厚な色彩感覚が作品を特徴付けている。非メジャーで寡作ながら、海外にも通用する数少ない監督と評価する映画マニアも少なくない。
榎本 憲男(えのもと のりお、1959年 - )は、日本の映… 榎本 憲男(えのもと のりお、1959年 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、小説家、シナリオアナリスト、元劇場支配人である。脚本家としてのペンネームにEN(イー・エヌ)がある。ENBUゼミナール映画監督コース講師(講座「脚本入門」)。株式会社CRG(クリエイティブ・ガーディアン)所属。 1959年(昭和34年)、和歌山県に生まれる。和歌山県立田辺高等学校、青山学院大学卒業後、西友に入社。 1987年(昭和62年)、銀座テアトル西友(現在の銀座テアトルシネマ)のオープンを手がけ、1988年(昭和63年)、同劇場支配人に就任する。同劇場を経営する東京テアトルの各劇場に勤務のかたわら、脚本を独学で学び、1991年(平成3年)、日本アート・シアター・ギルドの名を冠した脚本賞に応募、ATG脚本賞特別奨励賞を受賞する。
緒方 明(おがた あきら、1959年 - )は、日本の映画監… 緒方 明(おがた あきら、1959年 - )は、日本の映画監督、演出家である。佐賀県出身。日本映画大学教授。 1959年、佐賀県に生まれる。その後、長崎市で過ごす。福岡大学在学中に石井聰亙監督と出会い、石井作品の助監督を務めるようになる。1981年、監督作品の『東京白菜関K者』が第4回ぴあフィルムフェスティバルで入選を果たした。 その後は高橋伴明、大森一樹の助監督を経て、フリーのテレビディレクターとしてCM、ミュージック・ビデオ、ドラマ、ドキュメンタリーなどを多数演出。 2000年に『独立少年合唱団』で劇場映画デビューし、第50回ベルリン国際映画祭にてアルフレッド・バウアー賞を受賞した。『いつか読書する日』でモントリオール映画祭審査員特別賞受賞。
山崎 幹夫(やまざき みきお、1959年 - )は、日本の映… 山崎 幹夫(やまざき みきお、1959年 - )は、日本の映画監督。東京都立川市生まれ、東村山市育ち。 主に8ミリフィルムを使って、自主制作映画を80本以上制作。1994年には商業映画『プ』を監督。2007年にはシングル8の製造中止を理由に一旦作品制作を中止するが、2009年からHDVを使って再開。 缶コーヒー収集家でもある。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
国本 雅広(くにもと まさひろ、1959年 - )は、日本の… 国本 雅広(くにもと まさひろ、1959年 - )は、日本の映画監督、TVドラマのディレクター、テレビプロデューサー。 愛媛県松山市出身。1979年東放学園卒業。在学中からドラマの世界にアルバイトのADとして参加し、テレメイト、テレキャスト、カノックスを経て1993年メディアミックス・ジャパン入社、現在はケイファクトリーの取締役も務める。1989年『小春の春』で監督デビュー。
高橋 がなり(たかはし がなり、本名:高橋 雅也、1958年… 高橋 がなり(たかはし がなり、本名:高橋 雅也、1958年12月15日 ‐ )は、日本の実業家、AV監督。佐川急便のセールスドライバーを経てIVSテレビ制作のADとして勤務後に起業家に転身。 株式会社ソフト・オン・デマンド(SOD)の創業者で元代表取締役、国立ファーム有限会社の代表取締役。 大学受験に二度失敗。「スーパーの店員ぐらいならなれるだろう」と、ダイエーに電話するも、「今年の募集は終わっています」と断られてしまう。この時から、高橋は自分を負け犬だと自覚する。 貿易関係の専門学校を経て、負け犬である自分を戒めるため、「迷った時は厳しい道を進むべき」という信念のもと、当時、一番過酷な仕事と言われていた佐川急便にセールスドライバーとして就職。
川崎 博嗣(かわさきひろつぐ、1958年(昭和33年)12月… 川崎 博嗣(かわさきひろつぐ、1958年(昭和33年)12月7日 - )は、日本のアニメーター、映画監督。 東京芸術大学卒業、OH!プロへ入社。スタジオジブリを経て、現在はぴえろを中心に活動。 C1571 - 1596:前田真宏のラピュタ崩壊の破片の手伝い(宮崎駿全書より) この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
山内 ケンジ(やまうち ケンジ、1958年11月2日 - )… 山内 ケンジ(やまうち ケンジ、1958年11月2日 - )は、日本のCMディレクター、舞台演出家、劇作家、映画監督。本名は山内 健司(読み同じ)で、かつてはこの名義で活動。 1958年東京都生まれ。早稲田大学卒業。1983年、電通映画社入社。1992年フリーを経て、黒田秀樹事務所所属(2019年まで)。CMのみならず、ショートフィルムや舞台の作・演出もこなす。 演劇公演を行う際のユニット名は、城山羊の会。2008年に深浦加奈子が死去するまで、脚本・演出=山内ケンジ、主演=深浦加奈子、を定則に公演を行ってきた。 演劇に携わるようになってからは、劇団青年団に同姓同名の役者がいるため、名義を「山内ケンジ」と片仮名表記するようになった。
雑賀 俊朗(さいが としろう、1958年10月25日 - )… 雑賀 俊朗(さいが としろう、1958年10月25日 - )は、日本の映画監督。 かつては名義を「雑賀俊郎」としていたが、2014年より本名の[要出典]「雑賀俊朗」を用いている。 福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高等学校、早稲田大学社会科学部卒。泉放送制作を経て、株式会社サーフ・エンターテイメント社長。映画監督、TV番組プロデューサー、ディレクター、企画立案・脚本も多く手がける。 数多くのTVドラマや番組の企画立案、プロデューサー、ディレクターを務めてきたが、2001年『クリスマス・イヴ』で劇場映画監督デビュー。2008年『チェスト!』(主演:松下奈緒)角川日本映画エンジェル大賞受賞、香港フィルマート日本代表。
阪本 順治(さかもと じゅんじ、1958年10月1日 - )… 阪本 順治(さかもと じゅんじ、1958年10月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家。『大鹿村騒動記』や『北のカナリアたち』などを手がけたことで知られている。 大阪府堺市出身[リンク切れ]。実家は仏具店で、家の前に東映の封切館「堺銀座東映パール」があった。子どもの頃は東映ヤクザ映画の全盛期で、お客が映画館に押し寄せ、紛れてタダ見した。もし家の前の映画館が東映ではなく松竹だったら、人情喜劇でデビューしていたと思うと話している。東映作品を一本だけ選ぶなら『森と湖のまつり』という。大阪府立三国丘高等学校時代は家に閉じこもり、友達は一人もいなかったという[リンク切れ]。大きな影響を受けたのが大島渚で、大島のシナリオを読み漁っていたら、学生運動をしないといけないと思うようになった。
田中 光敏(たなか みつとし、1958年9月24日 - )は… 田中 光敏(たなか みつとし、1958年9月24日 - )は、日本の映画監督、CMディレクター、大阪芸術大学映像学科教授である。
五十嵐 匠(いがらし しょう、1958年9月16日 - )は… 五十嵐 匠(いがらし しょう、1958年9月16日 - )は、日本の映画監督。 青森県出身。青森県立弘前高等学校卒業後、立教大学に入学。在学中に自主製作映画『幻影肢』が長谷川和彦の目に留まり池袋の映画館で上映されることとなった。卒業後は、テレビ業界入りしてTBSのドキュメンタリー番組『兼高かおる世界の旅』の製作に携わった。映画界入りした後は四宮鉄男に師事する。
砂本 量(すなもと はかる、1958年8月29日 - 200… 砂本 量(すなもと はかる、1958年8月29日 - 2005年12月21日)は、日本の脚本家、映画監督である。本名鈴木良紀(すずき よしのり)名義で映画プロデューサーであった。 1958年、神奈川県横須賀市生まれ。神奈川県立横須賀高等学校を経て立教大学文学部卒業。大学時代は黒沢清、森達也、塩田明彦らを輩出したサークル「パロディアス・ユニティー」に所属、黒沢の8ミリ映画でその姿を観ることができる。 1983年から1995年まで本名の「鈴木良紀」で、大映映像の社員プロデューサーとして『ジャズ大名』、『はいすくーる仁義』などの映画の企画をてがけた。同社在籍中の1991年、『ボールパークで夢を見て』で、脚本家登竜門である第17回「城戸賞」を受賞(準入賞)。
水田 伸生(みずた のぶお、1958年8月20日 - )は、… 水田 伸生(みずた のぶお、1958年8月20日 - )は、テレビドラマ演出家、映画監督。元日本テレビ放送網執行役員情報・制作局専門局長、元日テレアックスオン執行役員。 広島県広島市南区出身。広島市立舟入高等学校(28期生)時代はバレーボール部で全国大会にも出場した。原田真二は高校の同級生。日本大学芸術学部演劇学科卒業後、1981年に日本テレビに入社した。入社後はテレビドラマの制作に携わる。『池中玄太80キロ』等の助監督を経て、明石家さんまと組んだ『恋も2度目なら』(1995年)、『恋のバカンス』(1997年)、『甘い生活。』(1999年)のチーフ演出等で注目を集め、『奇跡のロマンス』(1996年)、『お熱いのがお好き?』(1998年)等、主にホームコメディを得意とした。
河崎 実(かわさき みのる、1958年8月15日 - )は、… 河崎 実(かわさき みのる、1958年8月15日 - )は、日本の映画監督、ライター、ラジオDJ。東京都出身。南郷勇一の名義で自らの作品に出演することもある。 ふぐ料理屋の息子として生まれ、『ウルトラマン』など特撮ものや、加山雄三の若大将シリーズに親しんで育つ。明治大学農学部に在学中、映画研究会CINEMAZOにおいて1977年から8ミリ映画を自主製作。『フウト』『√ウルトラセブン~放浪の果てに』『イキナリ若大将』などを製作して高い評価を得る。卒業後、CMプロデューサーを経て1984年にフリーとなりテレビ・映画・オリジナルビデオを監督。ソフトオンデマンドの大ヒット「全裸」シリーズの開拓者。主な作品に『地球防衛少女イコちゃん』『電エース』『いかレスラー』『コアラ課長』『日本以外全部沈没』『兜王ビートル』『ヅラ刑事』『かにゴールキーパー』『ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発』など。