陣内 孝則(じんない たかのり、1958年〈昭和33年〉8月… 陣内 孝則(じんない たかのり、1958年〈昭和33年〉8月12日 - )は、日本の俳優、ミュージシャン、タレント、司会者、映画監督。ジェイ・オフィス所属(2013年12月よりオスカープロモーションと業務提携)。 福岡県大川市出身。妻は陣内恵理子。 実家は、家具の生産量日本一を誇る福岡県大川市で婚礼家具などを製造する木工所「陣内木工」を営んでいた。3兄妹の長男として生まれ、祖父母、両親、弟、妹、親戚、住み込みの弟子を含めた34人の大所帯で育つ。子供のころから成績は優秀で、中学受験で佐賀大学教育学部附属中学校に合格し、進学。高校は一年遅れで地元福岡の西南学院高等学校に進学した。 中学時代の同級生には元佐賀県知事で衆議院議員の古川康、高校時代の同級生には糸島市市長の月形祐二がいる。
鎌仲 ひとみ(かまなか ひとみ、1958年6月11日 - )… 鎌仲 ひとみ(かまなか ひとみ、1958年6月11日 - )は、日本のドキュメンタリー映画監督、テレビ演出家、多摩美術大学美術学部芸術学科非常勤講師。 富山県氷見市生まれ。富山県立氷見高等学校、早稲田大学第二文学部卒業。大学時代は早稲田大学探検部に所属。男友達の自主映画を手伝ううちに、ドキュメンタリー映画作家を志望する。 大学卒業後、「グループ現代」「岩波映画」等の契約助監督を経て、バリ島を舞台とした自主制作監督作品「スエチャおじさん バリ/夢/うつつ」により、1991年文化庁芸術家海外派遣助成金を受け、カナダ国立映画製作所へ渡る。その後ニューヨークでメディア・アクティビスト集団「ペーパー・タイガー・テレビ」に参加。
四ノ宮 浩(しのみや ひろし、1958年5月16日 - )は… 四ノ宮 浩(しのみや ひろし、1958年5月16日 - )は、日本の映画監督。宮城県仙台市出身。 宮城県仙台第二高等学校卒、日本大学経済学部中退。大学在学中は天井桟敷に入団。1986年に監督してデビューする。
五月 真理矢(さつき まりや、1958年5月3日 - )は、… 五月 真理矢(さつき まりや、1958年5月3日 - )は、日本の映画監督、プロモーションビデオ監督、コラムニスト、DJ、元・女優。旧名は五月マリア(さつき マリア)。 1958年、東京の広尾に生まれる。義父は詩人の金井直。1976年、洗足学園大学高等学校を卒業後、劇団昴の研究生になる。女優デビューし、多数のピンク映画に出演。1982年、23歳の時に小水一男監督の推薦により『変態若妻責め』で監督デビュー。プロモーションビデオの演出も手掛ける。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
黒田 秀樹(くろだ ひでき、1958年4月30日 - )は、… 黒田 秀樹(くろだ ひでき、1958年4月30日 - )は、日本のCMディレクター、映画監督。黒田秀樹事務所代表。信州大学特任教員。 大阪府豊中市出身。関西大学第一高等学校、関西大学社会学部卒業。 高校時代、大阪府豊中市内の中学同窓生を中心とした4人でロックバンド「銀童子」を結成し、ドラマーとして活動。1976年、高校3年生で大阪Aブロック代表のバンド「アラバマ」のドラマーとして8.8Rockday'76本大会に出場をはたしている。その後、人気バンド「ナッツベリーズ」に参加。CMディレクター・映画監督の中島信也とは高校時代の音楽仲間。 大学卒業後の1982年に電通映画社に入社。三共リゲインのCM「24時間タタカエマスカ」では自ら作詞したCMソング「勇気のしるし」が大ヒットした。
星 護(ほし まもる、1958年4月23日 - )は、日本の… 星 護(ほし まもる、1958年4月23日 - )は、日本のテレビドラマ演出家・映画監督。共同テレビジョン部長待遇ゼネラルディレクター。新潟県出身。 新潟市立上所小学校、新潟大学教育学部附属新潟中学校、新潟県立新潟高等学校を経て早稲田大学卒業。 映像に強いこだわりを見せる監督で、熱烈なファンが数多く存在する。代表作に『世にも奇妙な物語』、『僕の生きる道』、『名探偵金田一耕助』シリーズ、映画『笑の大学』、映画『僕と妻の1778の物語』など。2012年に6年ぶりに『高校入試』にて連続ドラマの演出を担当。これまで手掛けた連続テレビドラマではすべてパイロット演出を務めている数少ない監督の一人であったが、2015年放送の『癒し屋キリコの約束』では初のセカンドディレクターを務めた(チーフディレクターは星田良子)。
君塚 良一(きみづか りょういち、1958年4月21日 - … 君塚 良一(きみづか りょういち、1958年4月21日 - )は、日本の脚本家、映画監督、放送作家。 東京都港区出身。日本大学芸術学部卒業。 妻は、女性アイドルグループ・トライアングルのメンバーで元タレントの藤本あき(加藤明恵)。 学生時代は映画監督を志していたが東宝撮影所でのアルバイト経験で映画界の不況を目の当たりにして、次第に映画界への興味を失う。倉本聰、山田太一、向田邦子などのシナリオライターが脚光を浴びているのを見て、テレビドラマの世界に関心を抱くようになった。大学の教授の紹介で、卒業後は萩本欽一に弟子入りし、萩本お抱えの放送作家集団である「パジャマ党」に加入。『欽ちゃんの週刊欽曜日』『欽ちゃんのどこまでやるの!?』『ライオンのごきげんよう』など、バラエティ番組に構成作家として携わる。
野村 精司(のむら せいじ、1958年4月3日 - 2020… 野村 精司(のむら せいじ、1958年4月3日 - 2020年3月30日 )は、石川県金沢市出身の映画監督、演出家、ストーリーデザイナー、地域活性プロデューサー、作詞家、作家、料理デザイナーである。小説、エッセイなど文芸関係ペンネームは野村生一、作詩、シナリオ、絵本原作などペンネームは海野セイウチとしている。 映画俳優で、伝説のテレビ番組 11PM(藤本義一司会)のサントリーオールードのバーテンとして登場していた父(飲食店経営)の影響を受け、映像関係に興味を持ち、大阪芸術大学映像計画学科に入学。シナリオライターの依田義賢や、黒澤組カメラマンの宮川一夫、映画評論家の滝沢一らに師事。その影響を大きく受け、東映京都撮影所でのアルバイトから、卒業後は、制作や美術を担当。
中野 裕之(なかの ひろゆき、1958年1月22日 - )は… 中野 裕之(なかの ひろゆき、1958年1月22日 - )は、日本の映像作家、ミュージックビデオ(MV、PV)監督、映画監督。広島県福山市出身。ピースデリック有限会社所属。一般社団法人PEACE NIPPON PROJECT 理事。 広島県立福山誠之館高等学校(昭和51年卒)、早稲田大学商学部卒業。 1980年によみうりテレビ入社、CM業務部に配属され、搬入されたCM素材のチェックや放送、CM制作業務などをする。まもなく制作に転じ、『どんぶり5656』や『AV GARDEN』など、主に深夜番組で宮沢章夫、中島らも、竹中直人らと共に多くのコントを制作。一方でCM制作などにも関わる。 よみうりテレビ退社後、1987年に日本初のミュージックビデオ(MV、PV)制作会社、タイレルコーポレーションを設立。
三上 康雄(みかみ やすお、1958年1月20日 - )は、… 三上 康雄(みかみ やすお、1958年1月20日 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。 株式会社三上康雄事務所の代表取締役社長。 大阪市東区(現中央区)生まれ。近畿大学商経学部経営学科卒業。大学4年生時に米国フォートライトカレッジに留学。 中学から大学まで剣道をしていた。このことが後の作品に影響を与える。 1974年、高校時代に、自主映画の製作グループ「BJcc」を結成する。数本の短編を監督、近畿大学在学時には1年に1作品のペースで時代劇やアクション映画を4本監督する。 当時の自主映画は青春や日常を描いた作品が多かったが、時代劇や活劇を作っていたため、新作完成の度、テレビやラジオ、新聞、キネマ旬報のグラビア、小型映画(玄光社)の記事、シネアルバム(芳賀書店)のグラビア、雑誌の記事等で紹介された。
佐々部 清(ささべ きよし、1958年1月8日 - 2020… 佐々部 清(ささべ きよし、1958年1月8日 - 2020年3月31日)は、日本の映画監督。山口県下関市出身。 山口県立豊浦高等学校、明治大学文学部演劇科を経て横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)卒業。1983年より映画およびテレビドラマの助監督となり、主に和泉聖治、降旗康男などの監督に師事した。映画現場デビューは、戸塚ヨットスクールを描いた青春ドラマ『スパルタの海』(1983年)だったが、公開前にスクール生の死亡事故が発生し、校長の戸塚宏が逮捕される事態となったため、お蔵入りとなってしまった。 2002年に『陽はまた昇る』で監督デビュー。以降、2003年『チルソクの夏』、2004年『半落ち』、2006年『カーテンコール』、2007年『夕凪の街 桜の国』、2011年『ツレがうつになりまして。
明石 知幸(あかいし ともゆき、1958年1月4日 - )は… 明石 知幸(あかいし ともゆき、1958年1月4日 - )は、日本の映画監督、映画プロデューサー。
工藤 雅典(くどう まさのり、1958年 - )は、日本の映… 工藤 雅典(くどう まさのり、1958年 - )は、日本の映画監督。日本映画監督協会理事。 北海道夕張市出身。夕張北高校を経て、1983年法政大学法学部を卒業し、にっかつ入社。にっかつ撮影所で助監督となり、1991年、フジテレビ「世にも奇妙な物語」の1エピソード「ボタン」(伊武雅刀主演)で初監督。その後オリジナルビデオ作品の監督、Xces Filmなどのピンク映画で活躍。テレビ演出は30代、映画監督としては40代での遅咲きの監督デビューだが、多くのにっかつロマンポルノ作品、一般映画作品で助監督を務めた。 出自であるにっかつロマンポルノ作品に思い入れがあり、ポルノ作品、サスペンス作品に定評がある。
及川 善弘(おいかわ よしひろ、1958年 - )は、日本の… 及川 善弘(おいかわ よしひろ、1958年 - )は、日本の映画監督。日本映画監督協会会員、日活芸術学院主任専任講師。城西国際大学准教授。 青森県青森市出身。青森県立青森高等学校を経て1982年に早稲田大学教育学部を卒業後、にっかつ撮影所演出部に入り、加藤彰に師事。『白バラ学院 わいせつな放課後』(監督: 北村武司、出演: 麻生かおり、渡辺玖未、南理香子)などの助監督時代を経て、1990年にベルリン国際映画祭・アジア太平洋映画祭出品の児童向け作品『夏のページ』(出演: 三浦浩一、小林かおり、佐野史郎)で監督デビューを果たしたが評価は厳しく、その後の監督作はテレビやビデオの数作にとどまった。日活芸術学院主任講師となってからはそれもほとんど見られなくなったが、2000年にはその日活芸術学院の創立25周年記念作品『「紅の拳銃」よ永遠に』(出演: 黒部弘康、中丸シオン、宍戸錠、布施博)で実に10年ぶりの映画界復帰を果たした。
代島 治彦(だいしま はるひこ、1958年 - )は、日本の… 代島 治彦(だいしま はるひこ、1958年 - )は、日本の映画プロデューサー、映画監督、著作家である。 埼玉県に生まれる。埼玉県立熊谷高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。博報堂に勤務したのち、雑誌編集者、放送作家、広告プランナーなどを務める。1988年にはスコブル工房を設立する。 1992年、オムニバス映画『パイナップ・ツアーズ』の製作を手がける。1993年に開催された山形国際ドキュメンタリー映画祭では、世界先住民映画祭をプロデュースする。1994年から2003年まで、映画館BOX東中野(2004年以降は「ポレポレ東中野」)の代表を務めた。 2006年に監督したテレビ番組『戦争へのまなざし 映画作家・黒木和雄の世界』は、ギャラクシー賞奨励賞を受賞。
池谷 薫(いけや かおる、1958年 - )は日本の映画監督… 池谷 薫(いけや かおる、1958年 - )は日本の映画監督、ドキュメンタリー作家。甲南女子大学文学部メディア表現学科教授。 1958年、東京生まれ。同志社大学文学部美学及芸術学専攻卒業後、12本の『NHKスペシャル』を含む数多くのテレビ・ドキュメンタリーを演出する。 初の劇場公開作品となった映画『延安の娘』(2002年)は、文化大革命に翻弄された父娘の再会を描き、ベルリン国際映画祭など世界30数か国で絶賛され、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー映画賞、ワン・ワールド国際人権映画祭ヴァーツラフ・ハベル特別賞ほか多数受賞。2作目の『蟻の兵隊』(2005年)は中国残留日本兵の悲劇を描き、記録的なロングランヒットとなった。
加藤 到(かとう いたる、1958年(昭和33年) - )は… 加藤 到(かとう いたる、1958年(昭和33年) - )は、日本の映像学者、映像作家、映画監督、東北芸術工科大学教授、特定非営利活動法人山形国際ドキュメンタリー映画祭理事。山形県鶴岡市出身。
田口 トモロヲ(たぐち トモロヲ、1957年11月30日 -… 田口 トモロヲ(たぐち トモロヲ、1957年11月30日 - )は、日本の俳優、ナレーター、ミュージシャン、映画監督、元エロ劇画家。マッシュ所属。東京都武蔵野市出身。獨協大学経済学部中退(4年間一度も進級しなかった)。本名は田口 智朗(たぐち ともお)。パンク・ファンクバンドばちかぶりのボーカリストとしても活動。 2000年代前半に放送されたNHKのドキュメンタリー番組『プロジェクトX』のナレーションも担当していた。 在学中からアングラ演劇、自主映画、自販機本などに係わる。1978年、劇団「発見の会」入団。1979年、自販機本『劇画アリス』(アリス出版)に掲載した「愛虐の果て」で漫画家デビュー。
日比野 達郎(ひびの たつろう、1957年9月25日 - )… 日比野 達郎(ひびの たつろう、1957年9月25日 - )は、日本の元AV男優。愛称は「ひびやん」。 ビニ本時代からの最古参で、1993年時点で1000本近くの出演があったとされ、分け隔てなく接する人柄の良さも業界内で評判で、加藤鷹、橘直樹の2人とともに当時のAV男優御三家だった。 この項目は、性風俗関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:性/PJ:性)。
佐藤 真(さとう まこと、1957年9月12日 - 2007… 佐藤 真(さとう まこと、1957年9月12日 - 2007年9月4日)は、日本のドキュメンタリー映画監督。 東京都立富士高等学校、東京大学文学部哲学科卒業。 青森県弘前市で生まれる。 2歳で家族が上京。千葉県松戸市のマンモス団地で物心付き、東京都練馬区石神井で育つ。 東京大学在学中より水俣病の運動に関わり、香取直孝監督の『無辜なる海 1982年・水俣』の助監督となる。1984年に、その映画の自主上映の途中で、阿賀野川とそこに暮らす人々と出会い、映画作りを決意する。 各務洋一監督に私淑した後、1989年からスタッフ7人と新潟に2年間移り住んで住民と密着して暮らし、1992年に初の監督作品『阿賀に生きる』を完成させ、絶賛される。
林 海象(はやし かいぞう、1957年7月15日 - )は、… 林 海象(はやし かいぞう、1957年7月15日 - )は、日本の映画監督・映画プロデューサー・脚本家。男性。株式会社映像探偵社代表取締役社長、元京都造形芸術大学芸術学部映画学科教授、元東北芸術工科大学デザイン工学部映像学科教授。 1986年にモノクロサイレント映画という異色の作品『夢見るように眠りたい』でデビューした。代表作は永瀬正敏主演の『私立探偵 濱マイク』シリーズなど。 京都府京都市生まれ。立命館中学校・高等学校を経て1977年立命館大学経済学部を中退。。 19歳で上京。27歳までの間、20数種のアルバイトをし、10数回の引っ越しをした。毎日500円以上使わないと決め、社会の底辺をその日暮らしの生活で徘徊していた。
山科 薫(やましな かおる、本名:山梨 貢、1957年7月1… 山科 薫(やましな かおる、本名:山梨 貢、1957年7月14日 - )は、日本の俳優、ピンク映画監督、AV監督、小説家。風組日本党評議委員。東京都生まれ。武蔵大学経済学部卒業。早稲田実業時代は野球漬けの日々を送る。 田中角栄の甥と紹介されることが多いが、実際は角栄の愛人辻和子の兄の息子にあたるため、親族、血縁、どちらの関係でも甥ではない。 1978年6月キャバレー「ハリウッド」のホステスと池袋で酒席を共にした。この場に同店勤務の田口八重子が遅れて加わった。翌週、田口は北朝鮮工作員によって拉致された。後に「李恩恵」と名乗り、特殊工作員金賢姫の教育係を務めさせられることになる。 野球の道を怪我で断念したのち、演劇の世界にのめり込む。
関口 祐加(せきぐち ゆか 1957年5月28日 - )は、… 関口 祐加(せきぐち ゆか 1957年5月28日 - )は、日本の映画監督。神奈川県横浜市出身。 国際商科大学卒業後、20歳代前半でオーストラリアに渡り、オーストラリア国立大学大学院で国際関係論を学ぶ。この時期に映画と運命的な出会いをする。1989年、本名の関口典子の名前で第1回監督作品「戦場の女たち」(英題:SENSO DAUGHTERS)でデビュー。この作品(英語版)が海外で高く評価され、メルボルン国際映画祭ドキュメンタリー部門グランプリ、サンフランシスコ国際映画祭ベスト・ドキュメンタリー歴史部門など数多くの賞を受賞する。 1992年に『When Mrs. Hegarty Comes to Japan』(日本未公開)を監督。
後藤 大輔(ごとう だいすけ、1957年5月24日 - )は… 後藤 大輔(ごとう だいすけ、1957年5月24日 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。 1957年(昭和32年)5月24日、熊本県熊本市に生まれる。 早稲田大学文学部英文学科に入学、在学中に学生映画の監督として活動、1980年(昭和55年)に自ら製作、監督を務めた45分の短編「休暇の前提」を発表した。 大学を卒業後、にっかつ(現在の日活)に入社し、「にっかつロマンポルノ」の助監督として、西村昭五郎、小沼勝、滝田洋二郎に師事したほか、プロデューサーとしても活動した。1988年に『ベッド・パートナー』で監督デビュー。ズーム・アップ映画祭で新人監督賞を受賞するが、この作品が「にっかつロマンポルノ」にとって最後の作品となった。
山川 直人(やまかわ なおと、1957年4月10日 - )は… 山川 直人(やまかわ なおと、1957年4月10日 - )は、日本の映画監督、東京工芸大学芸術学部映像学科教授。
山川 直人(やまかわ なおと、1957年4月10日 - )は… 山川 直人(やまかわ なおと、1957年4月10日 - )は、日本の映画監督、東京工芸大学芸術学部映像学科教授。アプレ所属。 愛知県新城市東新町出身。父親は愛知県庁職員。中学生の時、ビートルズの解散(1970年4月)に触発されて周囲がギターを始める中、山川もギターを手に取る。ところが何度挑戦してもうまく弾けず、ちょうどその頃テレビで見たマカロニ・ウェスタンに衝撃を受け「映画の方向に進むこと」に決めたという。 1973年4月、愛知県立新城東高校に入学。すでに新城市には映画館がなくなっていたため、豊橋市や名古屋市の映画館に通い詰める。 早稲田大学教育学部に進学。同時に「早稲田大学シネマ研究会」に入会。
大川 俊道(おおかわ としみち、1957年4月2日 - )は… 大川 俊道(おおかわ としみち、1957年4月2日 - )は、日本の脚本家・映画監督である。茨城県出身。通り名は「おおかわ しゅんどう」。 茨城県立水戸第一高等学校を経て、1980年明治大学法学部卒業。後輩に室賀厚、松山鷹志、園田英樹らがいる。在学中は映画研究会で自主製作活動に没頭する傍ら、アルバイトとして東映本社7階の販促課に勤務。同時期に宣伝部でアルバイトをしていたのが尾形敏朗。販促課の前は東映セントラルフィルムの事務所だった。また文芸事務所ブローバック・プロにも出入りし、ドラマ『西部警察』の脚本製作に関わる。その後、日本テレビに持ち込んだシナリオが採用され、80年代の『太陽にほえろ!』で脚本家としてデビューした。
原村 政樹(はらむら まさき、1957年3月18日 - )は… 原村 政樹(はらむら まさき、1957年3月18日 - )は、日本の映画監督である。主に農業をテーマにしたドキュメンタリー映画の制作を行う。 1957年3月18日、千葉県に生まれる。上智大学を卒業したのち、フリーの助監督として、グループ現代やドキュメンタリージャパンで映像の仕事に携わる。1988年に桜映画社に入社。同年、東南アジアの熱帯雨林破壊をテーマとした短編映画『開発と環境』で監督デビュー。2004年に制作した『海女のリャンさん』は2004年度文化庁文化記録映画大賞、第78回キネマ旬報ベストテンにおいて文化映画ベスト・ワンを受賞した。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
香月 秀之(かつき ひでゆき、1957年2月4日-)は、日本… 香月 秀之(かつき ひでゆき、1957年2月4日-)は、日本の映画監督・脚本家。日本映画監督協会会員。 大阪府堺市出身。大阪府立登美丘高等学校、拓殖大学卒業。 ・1996年 KSS「仕切り屋五郎」 ・1996年 KSS「ワタシノカラダヲカエシテ」 ・1999年 映画『新宿やくざ狂犬伝』 ・ 2000年 映画「突破者太陽伝」原作:宮崎学 ・2000年 映画『借王/シャッキング -THE MOVIE 2000-』 ・2000年 映画 『平成金融道 マルヒの女』 ・2003年 映画「北海の虎.望郷』 ・1995年 「仕切り屋五郎」 マンガ原作/漫画サンデー ・2000年 「借金帝王学」 スタープレス ・2010年 「君が踊る、夏」 角川文庫 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。
鎮西 尚一(ちんぜい なおかず、1957年 - )は、日本の… 鎮西 尚一(ちんぜい なおかず、1957年 - )は、日本の映画監督である。 1957年、鹿児島県奄美大島に生まれる。中央大学文学部フランス文学科卒業。1990年に『パンツの穴 キラキラ星みつけた!』を監督し、2009年に『熟女 淫らに乱れて』を監督する。 1995年にアテネ・フランセ文化センターで開かれた「鎮西尚一特集」に際して、黒沢清によって、日本で唯一「最初からほとんど本能的に」「奇抜さと親しみやすさ、知性と不良性、商業主義と芸術至上主義」を兼ね備えた作家である、と評された。
筒井 武文(つつい たけふみ、1957年 - )は、日本の映… 筒井 武文(つつい たけふみ、1957年 - )は、日本の映画監督、映画評論家。東京芸術大学大学院映像研究科教授。 1957年、三重県に生まれる。東京造形大学在学中の1982年、『レディメイド』を発表する。2004年、長編監督作品としては『ゆめこの大冒険』(1987年)以来となる『オーバードライヴ』が公開される。2011年、竹厚綾と綾野剛と三村恭代を主演に迎えた『孤独な惑星』が公開される。
落合 正幸(おちあい まさゆき、1957年 - )は、日本の… 落合 正幸(おちあい まさゆき、1957年 - )は、日本のテレビドラマの演出家、脚本家、映画監督。共同テレビジョン所属を経てフリー。 東京都出身。日本大学藝術学部卒。星護とともに独特の演出方法で知られた。代表作のテレビドラマ『世にも奇妙な物語』では、35作(番組歴代最多演出数)を監督した。 2003年、共同テレビを退社し、映画監督活動を開始。『感染』はアメリカでも上映された。 共同テレビ退社以降同社とは全く関わりがなかったが、2012年に9年ぶりに『世にも奇妙な物語』の一話「ヘイトウイルス」でタッグを組みドラマのメガホンをとった。 2度結婚しており、元妻は共同テレビの親会社であるフジテレビでアナウンサーを務めた寺田理恵子と女性作家である梅田みか。
山川 元(やまかわ げん、1957年 - )は、日本の映画監… 山川 元(やまかわ げん、1957年 - )は、日本の映画監督、脚本家である。『卓球温泉』『東京原発』の監督として知られる。 1957年(昭和32年)、山形県上山市に生まれる。山形市立商業高等学校を卒業する。 大手証券会社に勤務したのちビデオ製作会社を経て26歳で映画界に入る。鈴木清順監督の『カポネ大いに泣く』(1985年)の製作助手からはじまり、降旗康男、崔洋一、伊丹十三、周防正行らの助監督を務める。 1994年、『唐獅子姉御』で初監督を果たす。監督デビュー後の1996年には、周防正行監督の『Shall we ダンス?』で監督補を務めている。 1998年、自ら企画・脚本を立ち上げた『卓球温泉』を監督。
上田 義彦(うえだ よしひこ、1957年 - )は日本の写真… 上田 義彦(うえだ よしひこ、1957年 - )は日本の写真家、映画監督。2014年4月から2025年3月まで、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科教授。 兵庫県出身。1979年ビジュアルアーツ専門学校・大阪校卒業。1979 - 81年にかけ写真家の福田匡伸、有田泰而に師事。1982年に独立。主な仕事はサントリーのウーロン茶、伊右衛門、無印良品、資生堂、日本郵政グループ、NTTdocomo、UNIQLO、TOYOTA、Canon、の広告など。これまで日本写真協会 作家賞、東京ADC賞最高賞、ニューヨークADC賞、朝日広告賞など数多くの様々な賞を受賞。2025年に神奈川県立近代美術館葉山にて40年の大規模個展「いつも世界は遠く、」を開催。
周防 正行(すお まさゆき、1956年10月29日 - )は… 周防 正行(すお まさゆき、1956年10月29日 - )は、日本の映画監督、脚本家。太田出版監査役。妻は女性俳優の草刈民代。 東京都目黒区に生まれ、その後神奈川県川崎市で過ごす。幼少時は野球好きで、野球をするために中学はわざわざ遠方の武蔵工業大学附属中学校・高等学校に進学した。しかし中学2年生の時に肘を痛めて野球の道は断念した。高校卒業後に2年間浪人生活を送る。 1981年、立教大学文学部仏文科在学中に、非常勤講師として来ていた蓮實重彦の講義「映画表現論」に出会い、卒業後映画監督を目ざす。学生時代は、バイトで金を貯めては独自に8ミリ映画作りをする日々を送った。 当時映画界は斜陽産業で映画会社の社員採用試験がなかったが、そんな状況でもピンク映画が作品を量産していたことから、周防はどうにかその撮影現場に入る方法はないかと思案していた。
吉岡 敏朗(よしおか としろう、1956年10月25日 - … 吉岡 敏朗(よしおか としろう、1956年10月25日 - )は、日本の映画監督。 島根県松江市出身。 日本大学芸術学部映画学科で映画の監督法を学び卒業後、テレビ、ドキュメンタリー、PRビデオなど、様々なジャンルの映画・映像を制作し、作成本数は300を超える。福岡正信との出会いを契機に自然農法の援農も行うなど映画作法の原点には自然の哲理が息づく。受賞歴は、カルロヴィバリ映画祭(CILECT) 優秀賞、日本産業映画コンクール 奨励賞、リッチモンド国際映画祭 佳作、カナダ国際映画祭 優秀賞 など多数。 1956年10月25日 - 島根県松江市で生まれる。松江の宍道湖岸で育つ。湖岸に打ち寄せる瑪瑙(メノウ)を集めたり、湖に沈む夕陽を見つめる自然豊かな日常から色彩感覚を自ずと養う。
スクリーミング・マッド・ジョージ(1956年10月7日 - … スクリーミング・マッド・ジョージ(1956年10月7日 - )は大阪府出身、在住の日本人エフェクト・アーティスト、シュルレアリスト、映画監督、歌手、システマインストラクター。初芝高等学校(現・初芝立命館中学校・高等学校)卒業。アメリカ合衆国を中心に活躍。本名:谷 譲治 (たに じょうじ)。 1956年、大阪は心斎橋の理髪店で長男として生を受ける。父親である稔は国内の理容大会に出場すれば必ず優勝するというほどの理容師で、日本人で初めて海外大会に出場も果たしたと言う。その後、父は欧米で技術を習得するなど意欲的に海外で活動し、ジョージの将来を決定付ける下地となった。因みに姉が二人おり、ヘアースタイリストとして現在フランクフルトにいる。
塩屋 俊(しおや とし、1956年8月5日 - 2013年6… 塩屋 俊(しおや とし、1956年8月5日 - 2013年6月5日)は、日本の俳優・映画監督。 大分県大野郡野津町(現・臼杵市)出身。本名 塩屋 智章(しおや のりあき)。 息子は俳優の塩屋准。実兄は英語指導者の塩屋孔章(しおや よしあき)。 慶應義塾大学文学部教育学科卒業。大学在学中、「モデル・プロダクション」(東京学生英語劇連盟)に参加し奈良橋陽子に師事する。元々演出家志望だったが、1977年に英語ミュージカル『ヘアー』で主役を演じ、その後芸能界へ進出。ネイバーフッド・プレイハウスのメソッド演技のレッスンを受け、以後国内外を問わず、テレビ、映画作品などへの出演を重ねる。 1994年、「塩屋俊アクターズクリニック」を設立(現「アクターズクリニック」)。
永山 耕三(ながやま こうぞう、1956年7月22日- )は… 永山 耕三(ながやま こうぞう、1956年7月22日- )は、日本のテレビドラマディレクター、映画監督。フジテレビジョン役員待遇制作局第1制作センター専任局次長。 東京都出身。父は元松竹会長の永山武臣。曾祖父は男爵永山武四郎。娘はサイバーエージェントのプロデューサーの永山瑛子。 学習院高等科を経て[要出典]、1981年成城大学文芸学部ヨーロッパ文化学科卒業後、フジテレビ入社。テレビディレクターとして多数のテレビドラマを手がけ『東京ラブストーリー』『ひとつ屋根の下』『ロングバケーション』など、フジテレビ月9ドラマを中心に多数のヒット作を演出した。 ドラマ制作センタープロデューサー、ゼネラルプロデューサーを経て、2013年6月27日から1年間編成制作局次長兼ドラマ制作部プロデューサー・ディレクター。
長崎 俊一(ながさき しゅんいち、1956年6月18日 - … 長崎 俊一(ながさき しゅんいち、1956年6月18日 - )は、日本の映画監督。妻は女優の水島かおり。 神奈川県横浜市出身。栄光学園の高校生だった頃から、8ミリ映画の製作に取り組み、文化祭で上映するなどしていた。小説家の保坂和志とは同級生であり、映画制作仲間でもあった。 日本大学藝術学部映画学科に在学中の1978年、『ユキがロックを棄てた夏』を監督する。同作は、現在のぴあフィルムフェスティバルの前身である第2回ぴあ展「自主制作映画展」で入賞した。 1980年、秋からATG作品『九月の冗談クラブバンド』の撮影に入るが、事故で負傷し撮影を中断する。1982年、劇場用映画の初監督作品『九月の冗談クラブバンド』が公開される。
鹿島 勤(かしま つとむ、1956年6月18日 - )は、日… 鹿島 勤(かしま つとむ、1956年6月18日 - )は、日本の映画監督である。東京都目黒区出身。 東放学園卒業後フリーの助監督となり、澤井信一郎、長谷部安春、村川透らに師事。1989年、『勝手にしやがれヘイ!ブラザー』で監督デビュー。 『静かなるドン』の撮影時、当時まだ若手俳優だった香川照之に対し100回NGを出した事がある。それ以来、香川は真剣に演技に向き合うようになったと語っている。
TOHJIRO(とうじろう、1956年6月17日 - )は、… TOHJIRO(とうじろう、1956年6月17日 - )は、日本のAV監督・映画監督・実業家。東京都港区六本木出身。株式会社オムプロダクション代表取締役。 すべてTOHJIRO名義
喜多 一郎(きた いちろう、1956年6月9日 - )は、日… 喜多 一郎(きた いちろう、1956年6月9日 - )は、日本の映画監督、テレビプロデューサー、音楽プロデューサー、作家、脚本家、大学客員教授。株式会社オフィスキタCEO。 1956年6月9日東京都出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。株式会社オフィスキタ代表取締役社長。テレビ、音楽業界を経て1997年に自社を設立。2002年より映画監督。 「人間再生」を一貫したテーマにオリジナル脚本で12本の映画を監督する。大ヒットした2005年公開の映画『Life on the longboard』(大杉漣、小栗旬 他)では日本中の海を、中年サーファーで一杯にした社会現象を生み出す。2013年公開映画『ヨコハマ物語』(北乃きい、奥田瑛二、市毛良枝 他)は神奈川県推薦映画第一号に指定され大ヒットを記録する。
森 達也(もり たつや、1956年5月10日 - )は、日本… 森 達也(もり たつや、1956年5月10日 - )は、日本のドキュメンタリー映画監督、テレビ・ドキュメンタリー・ディレクター、ノンフィクション作家。明治大学特任教授。
竹中 直人(たけなか なおと、1956年〈昭和31年〉3月2… 竹中 直人(たけなか なおと、1956年〈昭和31年〉3月20日 - )は、日本の俳優、映画監督、声優、タレント、コメディアン、歌手。 神奈川県横浜市金沢区出身。多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。レディバード所属。多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科客員教授。妻は元アイドル歌手、女優の木之内みどり。 神奈川県横浜市金沢区富岡にて、横浜市役所に勤務する地方公務員夫妻の一人息子として誕生する。 幼少期は家で一人遊びすることを好む内気な性格であったが、両親と共にしばしば映画鑑賞に足を運んでいたことなどがきっかけで映画業界に関心を持つようになる。横浜市立富岡小学校後、関東学院六浦中学校入学を機に、内気な性格を克服すべく習得したモノマネ芸で同級生からの注目が集まるようになる。
ラッシャー みよし(Rusher Miyoshi, 1956… ラッシャー みよし(Rusher Miyoshi, 1956年2月1日 - )は、日本の作家、AV監督、実業家。アダルトビデオメーカー「RASH」主宰。フェチやマニア系と呼ばれるアングラな性ジャンルを文章や監督作品を通してメディアの表舞台に紹介した人物。ザーメン物、脚フェチ物の創始者。 京都府長岡京市出身。 1977年、京都産業大学外国語学部言語学科を卒業後、早稲田大学大学院文学研究科ロシア文学専攻修士課程に進学。在学中よりセルフ出版(現在の白夜書房)に出入りし、1983年、同社発行の風俗雑誌『元気マガジン』にてライター・デビュー。同誌編集長よりラッシャーみよしのペンネームを与えられ、風俗ライターとして活動を始める。
杉本信昭(すぎもと のぶあき、1956年(昭和31年) - … 杉本信昭(すぎもと のぶあき、1956年(昭和31年) - )は、日本の映画監督。新潟県新潟市出身。 新潟県の新潟高等学校時代に、ヤクザ映画に傾倒する。特に『仁義なき戦い』シリーズを貪るように見た。また、日活ロマンポルノにも傾倒した。映画を作るために東京に上京。法政大学文学部に入学。その後、映画のプロダクションでアルバイトをしながら映画の手法を学ぶ。その後、1977年(昭和52年)に大学を中退。ドキュメンタリーを専門に監督業を行っている。2003年(平成15年)の『自転車でいこう』は全国の小規模な映画館で興行されたが、ロングランとなった。
機本 伸司(きもと しんじ、1956年 -)は、兵庫県宝塚市… 機本 伸司(きもと しんじ、1956年 -)は、兵庫県宝塚市出身のSF作家、映画監督。本名は木本伸司(読みは同じ)。 1979年に甲南大学理学部応用物理学科を卒業後、出版社の編集者となる。1990年に映像制作会社に移籍し、1993年よりフリーランスのPR映画ディレクターとなる。 2002年、『神様のパズル』で第3回小松左京賞を受賞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
佐野 和宏(さの かずひろ、1956年 - )は日本の映画監… 佐野 和宏(さの かずひろ、1956年 - )は日本の映画監督、脚本家、俳優。静岡県出身。 監督作はドラスティックでメッセージ性の強い作品を作る作家として評価されピンク四天王の一人として挙げられている。1983年、自主製作映画『ミミズのうた』が、ぴあフィルムフェスティバルに入選。1989年『監禁 ワイセツな前戯』で監督デビュー。全部の監督作品で単独脚本と主演を兼ね(1989〜1994年の13作品では主演女優も岸加奈子で固定)、日本の商業映画では希少な自作自演作家に徹し作品世界を構築し続けた。並行して、俳優としての他監督作品への出演も多い。1997年『熟女のはらわた 真紅の裂け目』以降、監督作品は途絶えていた。
福岡 芳穂(ふくおか よしほ、1956年 - )は、日本の映… 福岡 芳穂(ふくおか よしほ、1956年 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、俳優である。 1956年、福岡県に生まれる。早稲田大学在学中より若松プロダクションに参加。若松孝二、高橋伴明に師事する。 1981年、『ビニール本の女 密写全裸』でズームアップ映画祭新人監督賞を受賞する。2010年、京都造形芸術大学映画学科の教授に就任する。2015年、岸部一徳を主演に迎えた監督映画『正しく生きる』が公開される。2021年、京都造形芸術大学映画学科の学生とプロの映画スタッフ、キャストが一丸となり劇場公開映画を製作するプロジェクト「北白川派」の第8弾となる監督映画『CHAIN/チェイン』が公開される。