板垣 吉則(いたがき よしのり、1972年9月3日 - )は… 板垣 吉則(いたがき よしのり、1972年9月3日 - )は、地方競馬の岩手県競馬組合・水沢競馬場の調教師、元騎手である。勝負服の柄は胴黒・袖桃。山形県山形市出身。血液型はB型。 幼少時より父に競馬場に連れられて行った事で競馬の世界に興味を持ち、上山競馬所属の騎手としてデビュー、初騎乗は1990年10月21日(ロンブエイト)、初勝利は1990年11月19日(マーチアゲン)、1992年に3歳優駿(ミヤカツエース)で重賞初勝利。 1997年のオフに水戸賢二騎手の紹介で自費でオーストラリア・クインズランド州へ研修に行き、12月7日にコーボールド競馬場で開催された未勝利戦 (1000メートル)で、現地所属馬インザキャッシュに騎乗して海外初勝利を収めた。
清水 久詞(しみず ひさし、1972年7月4日 - )は、日… 清水 久詞(しみず ひさし、1972年7月4日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属している調教師。 父はカルストンライトオなどを所有した経験を持つ馬主の清水貞光。 妻は元JRA騎手の押田純子、義理の父は元JRA騎手の押田年郎、義理の兄は自厩舎の調教助手である押田道郎。 大阪府大阪市城東区生まれ。父親が馬主ということもあり、「子供の頃から乗馬に通ったり、馬と接する機会が多かったため、将来は馬に携わる仕事がしたいと思っていました。」と語るように、競走馬や競馬に対しての興味を幼少期より持ち、兄弟の中で唯一騎手を志望していた。中学校は大阪市立城陽中学校に進学し、部活は当時大阪市内はおろか大阪府下でも強豪であった陸上部に所属していた。
高橋 文雅(たかはし ふみまさ、1972年4月28日 - )… 高橋 文雅(たかはし ふみまさ、1972年4月28日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。静岡県沼津市出身。 1991年に北里大学獣医学部へ入学し馬術部に所属する。獣医師免許を取得し大学卒業後は早田牧場へ就職する。牧場を訪れた調教師から「獣医師免許を取得しているなら調教師を目指すべき」と助言された事をきっかけに調教師を目指すようになる。 2000年4月にJRA競馬学校厩務員課程に入学。同年10月に大久保洋吉厩舎の厩務員となり、2011年3月から同厩舎の調教助手を務める。 2012年にJRA調教師免許試験に合格し、同年美浦トレセンで開業した。2019年5月19日の東京12Rで勝利しJRA通算100勝を達成。
石井 勝男(いしい かつお、1972年1月20日 - )は、… 石井 勝男(いしい かつお、1972年1月20日 - )は、船橋競馬場所属の調教師、元騎手。東京都江戸川区出身。 父親が馬主で函館喜弘厩舎に預託していて幼稚園時代より競馬場に行っていた。小学校時代には体も小さかったことから函館からも騎手になるよういわれており、本人も動物好きでもあったことから騎手を志す。中学時代には函館の紹介で中山競馬場の乗馬クラブに通ったほか、休みには函館厩舎で手伝いなどをしていた。中学卒業とともに地方競馬教養センターに入る。 初騎乗は1989年4月19日の船橋競馬第3競走(フミノアスター)、初勝利は同日の第10競走(ミヤマビクトリー)。NARグランプリ優秀新人騎手賞を獲得した。
尾関 知人(おぜき ともひと、1971年12月17日 - )… 尾関 知人(おぜき ともひと、1971年12月17日 - )は、日本中央競馬会(美浦トレーニングセンター)所属の調教師。日本調教師会・第16代会長。 日本調教師会サイトでは「尾關 知人」と表記されている。 1971年12月17日、千葉県八千代市出身。 岩手大学農学部獣医学科卒業。1999年4月にJRA競馬学校厩務員課程に入学。同年10月に藤沢和雄厩舎に調教厩務員として所属し、1か月後の同年11月から2002年5月まで藤原辰雄厩舎に調教厩務員として所属。その後、調教助手として和田正道厩舎(2000年 - 2002年)、大久保洋吉厩舎(2002年-2008年)に所属した。 2008年に調教師試験に合格し、免許を取得。
小手川 準(こてがわ ひとし、1971年11月16日 - )… 小手川 準(こてがわ ひとし、1971年11月16日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。東京都出身。 東京都町田市出身。私立駒場東邦中学校・高等学校卒業。一橋大学社会学部中退。 小学6年から中学1年にかけて、何気なくテレビの競馬中継で見たミスターシービーやシンボリルドルフをきっかけに競馬に興味を持ち始める。次第に競馬の世界のドラマ、ロマンに強く惹きつけられるようになり、毎週の競馬を欠かさずに見るようになった。寺山修司の競馬エッセイを愛読していたせいか主役より脇役の馬を応援することが多く、当時好きだった馬は「G1を勝てそうで勝てなかった」スダホークだという。高校、大学時代には友人たちと自らが編集長となりミニコミ誌を発行するほど、さらに競馬にのめり込んでいった。
村山 明(むらやま あきら、1971年8月18日 - )は、… 村山 明(むらやま あきら、1971年8月18日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師、元騎手、元調教助手。東京都東村山市出身。 1990年に競馬学校第6期生として卒業し、騎手免許を取得。同期には江田照男、浜野谷憲尚らがいる。斉藤義美厩舎所属として騎手デビュー。初騎乗は同年3月3日阪神競馬第3競走のユーワコスモスで11着、初勝利は同年4月22日福島競馬第8競走のヤマノオリオンであった。 3年目からは障害競走にも騎乗するようになり、1994年には中京障害ステークスをキンセンアラシで制して重賞初勝利を挙げた。平地競走の重賞は2000年の武蔵野ステークスをサンフォードシチーで優勝している。
小笠 倫弘(おがさ みちひろ、1971年7月19日 - )は… 小笠 倫弘(おがさ みちひろ、1971年7月19日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。大阪府出身。 阪神競馬場の近くで育ち、高校生のころにサッカーボーイやオグリキャップの活躍を見て競馬に興味を持つ。東京大学文学部卒で在学中は馬術部に所属した。東大馬術部の先輩に現在競馬評論家として活動している須田鷹雄が居る。 東京競馬場で放馬止めのアルバイトをするうちに、段々と競馬への思いが強くなり周囲の反対を押し切って1997年にJRA競馬学校厩務員課程に入学する。同年10月から山田要一厩舎で調教厩務員を務め、1999年6月から2005年2月まで嶋田潤厩舎で調教助手を務めた。
武市 康男(たけいち やすお、1971年7月9日 - )は、… 武市 康男(たけいち やすお、1971年7月9日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。千葉県出身。 叔父の武市弘、父の武市進吾は「タケデン」の冠名で馬主として活動していた。幼い頃は競馬に興味無かったが攻め馬を見るのは好きで、船橋競馬場に行っては調教をよく見学していた。高校3年の時に競馬の世界に進むことを決め、酪農学園大学短期大学部へ入学する。大学では牛の勉強が中心で馬の事は独学で勉強を行っていた。 1996年7月にJRA競馬学校厩務員課程に入学。1997年1月から森安弘昭厩舎で厩務員となり12月に鈴木康弘厩舎に移籍して調教助手を務める。 2006年に3度目の挑戦でJRA調教師免許試験に合格し、同年美浦トレセンで開業した。
鈴木 孝志(すずき たかし、1971年4月20日 - )は、… 鈴木 孝志(すずき たかし、1971年4月20日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属している調教師。 1994年、7月よりJRA競馬学校厩務員課程に入学する。羽月友彦は競馬学校同期入学の同級生である。 1995年、競馬学校卒業後の1月から栗東・岩元市三厩舎所属の厩務員となるが、同月すぐに調教厩務員に転向した。 1996年、6月より調教助手に転向。ポレールらを担当する。 「30歳までは調教師になろうという気持ちが少なかった」というが、岩元の勧めを受け調教師を志す。 2009年、2月12日にJRA調教師免許試験に合格したことが発表され、3月1日付で調教師免許免許を取得した。
小牧 毅(こまき つよし、1971年4月13日 - )は、兵… 小牧 毅(こまき つよし、1971年4月13日 - )は、兵庫県競馬組合の元騎手、調教師である。騎手時代は曾和直榮、花村通春厩舎所属であった。 鹿児島県曽於郡有明町(現・志布志市)出身。 1989年10月31日に初騎乗、同日に初勝利。生涯成績は10328戦1009勝。 兄である小牧太と共に曾和厩舎に所属していたが、有力馬はほとんど太に回されていた。騎乗技術は「小牧おもし」などと呼ばわりされるほどには低くなかったが、曾和の毅に対する評価は低く、曾和厩舎に出戻った当時も騎乗数の少なさは顕著であった。 太の移籍で騎乗数も増えるかと期待されたが、曾和は岩田康誠を主戦騎手に据えたために騎乗数は逆に減少、さらに2006年には川原正一が曾和厩舎の所属騎手となるに至り、同年4月1日付けで花村通春厩舎に所属変更したが、2007年4月1日より曾和厩舎に戻っている。
小崎 憲(こざき けん、1971年3月30日 - )は、日本… 小崎 憲(こざき けん、1971年3月30日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属している調教師。愛知県豊明市出身。星城高等学校卒。長男はJRA騎手の小崎綾也。 1991年9月、高校卒業後サラリーマン生活を経て、JRA競馬学校厩務員課程に入学する。 1992年1月、栗東・飯田明弘厩舎所属の厩務員となり、同年3月には調教厩務員となる。1994年6月に調教助手となる。 1997年2月、栗東・森秀行厩舎の所属となる。 2006年2月、調教師免許を取得する。 2007年3月、厩舎を開業する。初出走は、3月10日でノーモアクライが2着となり、翌11日、ワンダープロが勝利し、のべ3頭目での初勝利となった。
田中 勝春(たなか かつはる、1971年2月25日 - )は… 田中 勝春(たなか かつはる、1971年2月25日 - )は、北海道三石郡三石町(現・日高郡新ひだか町)出身の調教師、元騎手。愛称は「カッチー」。シンクバンク所属。 1986年JRA競馬学校騎手課程入学。同期に佐藤哲三、角田晃一らがいる。 初騎乗は1989年3月4日に中京競馬の第2競走でチャンピオンミナミに騎乗し6着。その後ストレスからバセドウ病を患い半年間休養している。その年にデビューした新人騎手の中で初勝利はもっとも遅く、10月21日の東京競馬の第6競走、セキテイボーイだった。なお同馬の勝利が、大種牡馬テスコボーイ産駒の最後の勝利ともなった。 重賞初勝利は1990年9月9日の京王杯オータムハンデキャップでオラトリオに騎乗しての勝利だった。
角田 晃一(つのだ こういち、1970年11月18日 - )… 角田 晃一(つのだ こういち、1970年11月18日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の調教師で元騎手。 1970年鳥取県西伯郡名和町にて4人兄妹の長男として出生。長兄でありながら体躯が小さかったものの、運動が得意であった角田に父は騎手になることを進路の一つとして提案。競馬とは無縁の環境であった鳥取で生まれ育ち、競馬サークルにも知人のいなかった角田であったが、父の勧め通り競馬学校に進学、1989年栗東・渡辺栄厩舎所属の騎手としてデビュー。同期には田中勝春、佐藤哲三らがいる。 デビュー当初「うちの馬は全てお前に任せる」と告げた渡辺は、他厩舎からも騎乗馬を回してもらうよう手配するなど角田を支援。
松山 将樹(まつやま まさき、1970年6月2日 - )は、… 松山 将樹(まつやま まさき、1970年6月2日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属している調教師。 学生時代は馬主にあこがれ、公認会計士か税理士になろうと思ったことがあったという。神奈川県立川和高等学校を経て明治大学法学部卒業後は牧場で勤務していた。 1997年、7月に日本中央競馬会競馬学校厩務員課程に入学した。 1998年、1月に同校を卒業し、美浦・成宮明光厩舎所属の厩務員となり、のちに調教厩務員となった。 1999年、4月から美浦・平井雄二厩舎所属となり、6月に調教助手に転身した。 2007年、2月に調教師免許を取得する。 2008年、3月1日付で厩舎を18馬房で開業した。
庄野 靖志(しょうの やすし、1970年3月2日 - )は、… 庄野 靖志(しょうの やすし、1970年3月2日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターに所属する調教師である。主な管理馬に2010年のJBCスプリントなどの優勝馬サマーウインド、2018年大阪杯・2019年ジャパンカップ優勝馬スワーヴリチャードなどがいる。 北海道沙流郡門別町(現・日高町)で競走馬生産を営む庄野牧場に、次男として生まれる。少年の頃は馬生産を将来の目標とし、日本大学獣医学部に進学。卒業後は実家に戻り、引退調教師の大叔父・庄野穂積の指導を受けながら、繋養馬の管理をしていた。 その後調教師に目標を改め、1996年にJRA競馬学校の厩務員課程に入った。半年の履修後は栗東・高橋隆厩舎で厩務員となり、直後調教助手資格も取得し、約10年を過ごした。
大竹 正博(おおたけ まさひろ、旧姓:大崎(おおさき)。19… 大竹 正博(おおたけ まさひろ、旧姓:大崎(おおさき)。1969年12月30日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の調教師(美浦トレーニングセンター)、元調教助手、元厩務員。麻布大学獣医学部卒業。東京都出身。 大竹の父は中央競馬の元騎手・大崎昭一である。1985年に大崎は八百長を行ったという疑いをかけられ、無期限の騎乗停止処分を受けた。最終的に八百長行為は認められないという結論が下され騎乗停止処分は解除されたものの、騒動の影響で栗東の一部の厩舎をのぞきほとんどの厩舎から騎乗依頼が来なくなるなど大崎の騎手生活は大きく狂わされることとなった(新潟事件)。事件の影響から大竹は競馬によい印象を抱いておらず、当初は獣医師を志していたが、1992年に大崎がレッツゴーターキンに騎乗して天皇賞(秋)を優勝したことをきっかけに中央競馬で働くことを考えるようになった。
倉地 学(くらち まなぶ、1969年11月27日 -)とは、… 倉地 学(くらち まなぶ、1969年11月27日 -)とは、地方競馬の名古屋競馬場所属の調教師、元騎手である。 1988年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得。レース初騎乗は同年4月17日、名古屋競馬第1競走ウメノキタカミ(6着)。同年5月5日、通算13戦目となる中京競馬第1競走でエルムに騎乗し、初勝利を挙げる。 1989年8月27日、高知競馬場で行われた第4回全日本新人王争覇戦に出場(10人中9位)。 1999年9月12日、阪神競馬第10競走の西脇特別(サラ系4歳以上500万円以下)でレディーグラスに騎乗し、中央競馬初騎乗(15頭立て11番人気14着)。 2002年、シンガポールで短期免許を取得し、同年11月2日第2競走で初騎乗(14頭立て11着)。
和田 雄二(わだ ゆうじ、1969年8月14日 - )は、日… 和田 雄二(わだ ゆうじ、1969年8月14日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。鹿児島県鹿屋市出身。 同郷の騎手である吉永正人(同郷には他に瀬戸口勉の他郷原洋行や梅内忍、現役騎手では幸英明らがいる)に憧れ、騎手になるため競馬学校を3度受験するも全て不合格となり、その後は調教師を目指すことになる。鹿屋農業高校、日本大学農獣医学部畜産学科を卒業し1994年10月にJRA競馬学校厩務員課程に入学。翌1995年4月に保田隆芳厩舎の厩務員となる。 1996年4月から憧れていた吉永正人厩舎で厩務員となり1997年6月から調教助手を務める。 2006年9月11日に吉永が病死し厩舎解散となったため松山康久厩舎に移籍する。
嬉 勝則(うれし かつのり、1969年7月20日 - )は、… 嬉 勝則(うれし かつのり、1969年7月20日 - )は、地方競馬の高知競馬場所属の調教師で元騎手である。広島県福山市神辺町出身、血液型A型、身長165cm。 福山時代は数多くの重賞レースで勝利を収め、4度のリーディングジョッキーに輝いた。地方競馬教養センター長期騎手課程第45期生で、同期に西川敏弘、東川公則、吉田稔、中西達也がいる。 福山競馬場・白津壽己厩舎からデビュー。1987年6月27日第1回福山競馬1日目第2競走にコウヨウジヤガーで初騎乗(9頭立て9番人気8着)。翌6月28日第1回福山競馬2日目第3競走でアサフリツグに騎乗(9頭立て2番人気)し初勝利。 1994年・1995年・1996年・2008年(下半期のみ)、福山競馬リーディングを獲得。
梅田 智之(うめだ ともゆき、1969年4月20日 - )は… 梅田 智之(うめだ ともゆき、1969年4月20日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターに所属している調教師である。父は元調教師の梅田康雄。 父、康雄が栗東トレーニングセンターで調教師をしていたこともあり、競馬が身近な環境にいた。元々は騎手を目指していたが、騎手を断念。栗東町立金勝小学校、栗東市立栗東中学校の同期に元騎手の岸滋彦がいる。 麻布大学獣医学部卒業後、1995年に競馬学校厩務員課程を経て、栗東・西橋豊治厩舎の厩務員、調教厩務員、調教助手を務めた。 2006年にJRA調教師免許試験に合格。翌07年に栗東で開業。伊藤雄二厩舎の一部を引き継ぐこととなった。 2007年3月10日の中京第11レースのファルコンステークスでエミネンツァベルタで初出走(14着)。
蛯名 正義(えびな まさよし、1969年3月19日 - )は… 蛯名 正義(えびな まさよし、1969年3月19日 - )は、JRA所属の元騎手で現在は調教師。2001年度の全国リーディングジョッキーであり、2012年に史上7人目のJRA2000勝を達成した関東のトップジョッキーである。 愛称は「エビショー」。夫人は元土曜競馬中継司会者の石森かずえ。調教師の蛯名信広は遠縁にあたる。 北海道札幌市白石区出身。グリーングラスが勝利した菊花賞を見て騎手を志す。 小学生のときに足の難病を発症するが、その時に入院していた病院に当時読売ジャイアンツに在籍していた王貞治が慰問、じゃんけんを勝ち抜き抱っこしてもらう。後に騎手となった際に王とは再会を果たすことになる。 その後、病気は奇跡的に回復し、札幌市立東白石中学校卒業後に競馬学校入り。
池江 泰寿(いけえ やすとし、1969年1月13日 - )は… 池江 泰寿(いけえ やすとし、1969年1月13日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の調教師。東山高等学校を経て同志社大学文学部卒業。栗東トレーニングセンター所属。 父は元調教師の池江泰郎、伯父に池江敏郎元厩務員がいる。同級生に武豊がおり、幼馴染みである。騎手を志したが、中学2年生時の1年間で身長が14cm伸びたため、騎手になるのを断念した。1年浪人後同志社大学に入学、大学4年の夏休みに6週間ケンブリッジの英語学校に通った。 1993年浅見国一厩舎所属の調教厩務員に、同年浅見国一厩舎所属の調教助手となる。 1994年池江泰郎厩舎に移籍。ステイゴールドなどを管理した。その後、1995年にはイギリスに、1996年からはアメリカに渡り、マイケル・スタウト厩舎やニール・ドライスデール厩舎で調教助手を勤め、腕を磨く。
安部 幸夫(あべ ゆきお、1968年6月20日 - )は、地… 安部 幸夫(あべ ゆきお、1968年6月20日 - )は、地方競馬の名古屋競馬場安部弘一厩舎に所属していた元騎手、現調教師である。 1987年10月18日に中京第2競走のキンコシングンで初騎乗を果たし、同年10月23日に中京第7競走でフリオンレディーに騎乗し1着となり、のべ14戦目で初勝利を挙げる。 1993年、名古屋競馬リーディングジョッキーを初獲得。 1994年8月23日、名古屋第10競走でイスズフォーリッドに騎乗し1着となり、4124戦目で地方競馬通算500勝達成。 1997年6月22日、福島4Rでブランドアラシに騎乗し、中央競馬(JRA)初騎乗を果たす(7着)。同年11月2日、京都6Rでスバルマドンナに騎乗し1着となり、JRA初勝利を挙げる。
堀 宣行(ほり のりゆき、1967年11月9日 - )は日本… 堀 宣行(ほり のりゆき、1967年11月9日 - )は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の調教師である。 千葉県市川市出身。日本大学の商学部に通っている時に、実家から近かった中山競馬場で、誘導馬の世話をするアルバイトをしていた。大学卒業後は、電気設備工事や情報通信工事などを手がける「関電工」で、経理関係の仕事をしていたが、1991年に退職し競馬学校の厩務員課程に入る。競馬学校を卒業し諏訪富三厩舎で厩務員として、その後は二ノ宮敬宇厩舎で調教助手として経験を積み、2002年に調教師免許を取得。 2003年に厩舎を開業。同年3月15日、エレガントレガーロで初出走。初勝利は同年5月17日ミスタータダヒロで達成。
松永 幹夫(まつなが みきお、1967年4月10日 - )は… 松永 幹夫(まつなが みきお、1967年4月10日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する元騎手、現調教師。熊本県合志市(旧・菊池郡西合志町)出身。 1986年に騎手デビュー。同年最多勝利新人騎手となるなど早くから頭角を現す。1991年にイソノルーブルで優駿牝馬(オークス)でGI競走を初制覇したことをはじめとして牝馬限定競走で顕著な成績を挙げ、「牝馬の松永」の異名を取った。また、1980年代後半に勃興した第2次競馬ブーム期にあっては、端正な容姿と相俟って多くの女性ファンを獲得し、「ミッキー」の愛称と共にアイドル的な人気を博した。騎手通算成績は12607戦1428勝、うちGI競走11勝を含む重賞69勝(地方競馬成績含む)。
池田 孝(いけだ たかし、1967年2月21日 - 2024… 池田 孝(いけだ たかし、1967年2月21日 - 2024年4月27日)は、川崎競馬場に所属していた調教師。南関東、川崎開催リーディングトレーナー争いに毎年のごとく顔を出す川崎競馬場を代表する調教師の一人であった。 2007年南関東リーディングトレーナー、2006-2010年及び2012年川崎開催リーディングトレーナー。厩務員時代には東京大賞典や東京王冠賞を制したドルフィンボーイを担当した。 北海道岩見沢市出身。姉はホッカイドウ競馬の元騎手で調教師の角川秀樹の妻。 母子家庭の育ちで、母親が厩舎内の食堂に勤務していた縁から、中学生の時から騎手見習いとして厩舎の手伝いをしていたが、身体の急成長もあり騎手を断念。
渡辺 博文(わたなべ ひろふみ、1966年7月4日 - )は… 渡辺 博文(わたなべ ひろふみ、1966年7月4日 - )は、地方競馬の佐賀競馬場所属の調教師、元騎手。最終所属は柳井宏之厩舎。勝負服は胴青、袖赤、胴袖黄二本輪。 父は春木競馬場(1974年廃止)及び福山競馬場の厩務員。元騎手の渡辺勝行は実兄。 1986年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得し、福山競馬場・上原齊厩舎からデビュー。同年4月27日第2回福山競馬1日目第2競走でサツキオーカンに初騎乗(8頭立て7番人気6着)。同日の第2回福山競馬1日目第10競走でトスカイツバメに騎乗(9頭立て7番人気)し初勝利。 福山在籍時には4度リーディングを獲得(1997年・2000年・2005年・2007年)。
大久保 龍志(おおくぼ りゅうじ、1966年1月6日 - )… 大久保 龍志(おおくぼ りゅうじ、1966年1月6日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属する調教師。京都産業大学卒。 父はナリタブライアンなどを管理した大久保正陽、祖父はフレーモアに騎乗して第3回東京優駿(日本ダービー)に優勝した大久保亀治、その他の親戚もみな競馬関係者という一族に生まれる。10代前半のころは騎手を目指していたが、身長が急速に伸びたことにより断念。栗東高等学校を経て京都産業大学に進んだ。大学では馬術部に所属。卒業後、競馬学校厩務員課程に進み、その修了後は父・正陽の下で厩務員となった。その後厩務員から調教助手になる。 2001年に調教師免許を取得。
玉置 徹(たまおき とおる、英: Toru Tamaoki … 玉置 徹(たまおき とおる、英: Toru Tamaoki McCoy、1965年11月18日 - )は、日本の馬術家、馬術選手、調教師である。レイニング競技を専門とする。アメリカ・レイニング協会(英語版)(NRHA)認定プロフェッショナル。全国乗馬倶楽部振興協会より上級指導者資格を2019年に取得した。 2018年、アメリカ・ノースカロライナ州トライオン(英語版)で開催されたFEI WEG世界馬術選手権大会に日本代表として出場し、レイニング種目で個人15位に入賞した。 ブラジルで開催された世界大会に日本代表として出場した。 NRHAワールドレイニングユースカップでは、2019年および2023年にタイ王国代表チームのコーチを務め、18歳以下の部門で入賞、13歳以下の部門で優勝した。
清水 英克(しみず ひでかつ、1965年9月24日 - )は… 清水 英克(しみず ひでかつ、1965年9月24日 - )は、日本中央競馬会・美浦トレーニングセンターに所属している調教師。 家の近くに中山競馬場があり、小学6年の時に乗馬を始める。初めての競馬観戦は1978年の日本ダービーで、サクラショウリの小島太に憧れて騎手を目指したが、体格が大きくなりすぎて厩務員に路線変更をした。 土田稔厩舎で厩務員と調教助手を務め、2005年2月に調教師試験に合格し、調教師免許を取得。 前田禎調教師の死去に伴い、旧前田厩舎の一部を引き継ぐ形で厩舎を開業。管理馬の初出走は2006年1月22日、中山競馬第8競走のマイネルグロッソ(12着)。 初勝利は同年の4月16日、中山競馬第1競走のブンブンブン(のべ32頭目の出走だった)。
中舘 英二(なかだて えいじ、1965年7月22日 - )は… 中舘 英二(なかだて えいじ、1965年7月22日 - )は、東京都荒川区出身の元騎手・現調教師。 騎手時代には3度のJRA賞を受賞したヒシアマゾンなどに騎乗し、GI4勝、通算1869勝を挙げている。また、福島競馬場で歴代2位の425勝を記録している。 平成27年度新規調教師免許試験に合格し、2015年3月1日に厩舎を開業した。 父も母も荒川に生まれ育ち、中舘は小さい頃は、家の近くにあった東京スタジアムの無料券を貰って、よく野球を見に行った。 父は全然競馬をやらなかったが、競馬評論家の宮城昌康と親交があり、後に中舘は宮城の長女と結婚している。 母もパートタイムで中山競馬場内の馬券売り場に勤めるなど、競馬との繋がりを持つ家庭であった。
手塚 貴久(てづか たかひさ、1964年9月20日 - )は… 手塚 貴久(てづか たかひさ、1964年9月20日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属する調教師。慶應義塾大学商学部卒。元日本調教師会会長 (2022年2月 - 2024年2月) 、日本中央競馬会運営審議会委員。 父の佳彦は元足利競馬場の調教師。またライスシャワーなどを管理した調教師の飯塚好次は伯父(母の兄)。息子の手塚貴徳も美浦所属の調教師。 父・佳彦は足利競馬場の調教師であり厩舎に住んでいたが、競馬に興味を持ったのは学生の時からだという。 1989年5月、JRA競馬学校厩務員課程に入学し、10月より美浦・相川勝敏厩舎所属の厩務員となる。 1990年3月、美浦・佐藤林次郎厩舎所属となり、4月からは美浦・佐藤全弘厩舎所属の調教助手となる。
角居 勝彦(すみい かつひこ、1964年3月28日 - )は… 角居 勝彦(すみい かつひこ、1964年3月28日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師である。一般財団法人 ホースコミュニティ代表理事、認定NPO法人サラブリトレーニング・ジャパン理事長。 石川県金沢市出身。実家は競馬とは無縁の家庭であった。 石川県立金沢桜丘高等学校卒業後、大学受験の失敗などもありグランド牧場(北海道)に就職する。グランド牧場で3年ほど働いた後に「競馬場の馬たちの実際に触れてみたい」とする気持ちが強くなる。その後、JRA競馬学校を経て栗東トレーニングセンターの中尾謙太郎厩舎及び松田国英厩舎で調教助手を務め、2000年に調教師免許を取得した。
山口 竜一(やまぐち りゅういち、1964年1月26日 - … 山口 竜一(やまぐち りゅういち、1964年1月26日 - )は、ホッカイドウ競馬所属の元調教師、元騎手。 1981年、宇都宮競馬場所属騎手としてデビュー。4月25日に初騎乗、5月10日に初勝利を挙げる。 1995年、4月29日に東京競馬場で行われた青葉賞で、13番人気だったロードミライに騎乗。これが中央競馬(JRA)初騎乗でありJRA重賞初騎乗でもあったが、結果は14着に終わる。 2005年、3月で宇都宮競馬が廃止となり、6月にホッカイドウ競馬に移籍する。 2006年には中央から移籍してきたジンクライシスの主戦を務め、転厩初戦の赤レンガ記念を道中好位追走から直線楽に抜け出して圧倒的人気に応え、1年半ぶりの勝利を飾る。
戸田 博文(とだ ひろふみ、1963年10月1日 - )は、… 戸田 博文(とだ ひろふみ、1963年10月1日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属する調教師。専修大学卒業。 専修大学では馬術部に所属。1991年に高木嘉夫厩舎の厩務員としてキャリアをスタート。同年11月より八木沢勝美厩舎の調教助手となり、1995年に大久保洋吉厩舎へ移籍。2000年に調教師免許を取得し、2001年6月に厩舎を開業。初出走は同年6月24日福島競馬第4競走のケイアイミラクルで3着、初勝利は7戦目となる同年7月15日新潟競馬第4競走のケイアイミラクルであった。2002年のエーデルワイス賞をトーセンリリーで重賞初勝利。2006年のフラワーカップをキストゥヘヴンで制してJRA重賞初勝利。
友道 康夫(ともみち やすお、1963年8月11日 - )は… 友道 康夫(ともみち やすお、1963年8月11日 - )は、中央競馬・栗東トレーニングセンターに所属している調教師。 息子に高柳大輔厩舎所属の友道優一調教助手がいる。 兵庫県赤穂市坂越の出身。昭和57年(1982年)3月に兵庫県立赤穂高等学校を卒業。小動物の獣医を目指し大阪府立大学(現:大阪公立大学)の農学部獣医学科に入学し、大学の馬術部に入部する。馬術部の活動の一環として競馬場へ警備のアルバイトへ行くことで競馬に携わるようになる。 1989年5月にJRA競馬学校厩務員課程に入学し、9月より栗東・浅見国一厩舎所属の厩務員となり、11月からは調教助手となる。 1996年からは栗東・松田国英厩舎所属となり、松田の勧めもあり調教師を目指すようになり、2001年に6度目の挑戦で調教師免許を取得し、2002年11月21日付けで厩舎を開業(10馬房)する。
菅原 勲(すがわら いさお、1963年7月25日 - )は、… 菅原 勲(すがわら いさお、1963年7月25日 - )は、地方競馬の岩手県競馬組合・水沢競馬場所属の元騎手、現調教師。 勝負服の服色は胴青・白一文字。岩手県江刺市(現:奥州市)出身。 父は厩務員。1981年叔父である菅原和治厩舎(水沢)所属としてデビュー。デビュー2年目にして自厩舎のスーパーライジンで新潟で行われた東北ダービーなどに勝利するなど早くから活躍を見せた。1991年に初めて岩手のリーディングジョッキーとなっている。 2010年11月29日、水沢競馬場で行われたレースで通算4,000勝を達成、地方競馬の現役騎手で4番目となる快挙であり、2005年に小林俊彦に破られるまでは年間204勝という記録を持っていた。
伊藤 圭三(いとう けいぞう、1963年3月28日 - )は… 伊藤 圭三(いとう けいぞう、1963年3月28日 - )は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の調教師である。札幌光星高校、日本大学農獣医学部(現在の生物資源科学学部)卒業。馬術部出身。 実家は競走馬生産・育成牧場であるグランド牧場で、3代目社長の伊藤佳幸(故人)は実兄、4代目社長の伊藤佳洋は甥にあたる。 札幌光星高校馬術部在籍時の第35回国民体育大会の少年の部・障害飛越団体で優勝(この時の団体メンバーは現・吉澤ステーブル代表の吉澤克己)、同じく少年の部・障害飛越個人で準優勝の成績を挙げる。 日本大学在学中に調教師として競馬に関わっていくことを決意。卒業後の1985年に競馬学校厩務員課程に進み、修了後1986年よりJRA美浦トレセンの小林常泰厩舎に調教助手として所属。
菊川 正達(きくかわ まさたつ、1962年11月17日 - … 菊川 正達(きくかわ まさたつ、1962年11月17日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンター所属の調教師で、元騎手。 東京都足立区出身。北千住で育ち、親戚に浅草の場外馬券場に連れて行かれているうちに競馬に興味を持つ。1982年3月、美浦・尾形盛次厩舎の騎手としてデビュー。 1982年3月6日、アイズセンジュで初騎乗(8着)。同年6月5日、ベルクレールで初勝利。1983年11月20日、目黒記念のベルクレールで重賞初騎乗(15着)。 1998年4月30日に騎手を引退。騎手成績1116戦63勝。重賞勝利はなかった。柴崎勇厩舎で調教助手となる。 2000年に調教師試験に合格、翌年2001年に開業。
矢作 芳人(やはぎ よしと、1961年3月20日 - )は、… 矢作 芳人(やはぎ よしと、1961年3月20日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の栗東トレーニングセンターに所属している調教師。東京都出身。開成高等学校卒業。
堀 千亜樹(ほり ちあき、1961年1月8日 - )は、大井… 堀 千亜樹(ほり ちあき、1961年1月8日 - )は、大井競馬場所属の元騎手、現調教師。最終所属は佐々木忠昭厩舎。北海道浦河町出身、血液型O型。騎手時代の勝負服の柄は胴白・紫一本輪、袖紫。 1977年10月に地方競馬騎手免許を取得し、遠間波満行厩舎から騎手デビュー。1977年10月16日大井競馬第6競走ウインザヒーローで初騎乗(10頭立て9着)。同年11月1日大井競馬第5競走リユウジヤンボで初勝利。 1989年9月17日4回中山4日目第11競走第35回オールカマーでスーパーミストに騎乗のため遠征し、同日第1競走アラ系3歳未勝利戦をバーガンディで勝利し、中央競馬初騎乗初勝利。 1997年1月14日大井競馬第9競走ヨシカツタイコーで地方競馬通算1000勝達成。
鈴木 伸尋(すずき のぶひろ、1959年10月26日 - )… 鈴木 伸尋(すずき のぶひろ、1959年10月26日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。静岡県出身。 静岡県田方郡の農家に生まれる。幼い頃から動物と触れ合う生活をしており、その中で畑正憲の著書を読んだことをきっかけに野生動物や絶滅危惧種の保護を動物園で行いたいと思うようになり獣医を目指すようになる。 日本獣医畜産大学へ進学し、馬術部に入部する。馬術部で馬と関わる中で馬への興味が増していき馬の獣医を目指すことを決めるが、獣医の研修先だったシンボリ牧場で当時の場長から「調教師という道もある」というアドバイスを受け競馬の道へと進むことになる。 1988年4月から沢峰次厩舎で調教助手を務め、1997年にJRA調教師免許試験に合格する。
伊藤 伸一(いとう しんいち、1959年7月17日 - )は… 伊藤 伸一(いとう しんいち、1959年7月17日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。千葉県出身。実父はJRAの騎手、調教師だった伊藤竹男。 日本体育大学では相撲部に所属。卒業後は教員を目指す予定だったがJRA調教師だった父の仕事を手伝うと決めたタイミングと同時にJRA競馬学校が開校したため1982年に厩務員課程1期生として入学する。同年7月から見上恒芳厩舎で厩務員を務め、1983年7月から1985年2月まで矢倉玉男厩舎、1985年3月から1998年2月まで父竹男の厩舎で調教助手を務めた。 1998年にJRA調教師免許試験に合格し、同年竹男の厩舎を引き継ぐ形で美浦トレセンに厩舎を開業した。
相沢 郁(あいざわ いくお、1959年6月19日 - )は日… 相沢 郁(あいざわ いくお、1959年6月19日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンター所属の調教師。 主な管理馬に1999年の優駿牝馬(オークス)優勝馬ウメノファイバーなどがいる。 1959年、北海道に生まれる。麻布大学獣医学部在籍時代に牧場でアルバイトをしてから競走馬に惹かれるようになり、当初は日本中央競馬会の獣医師を志していた。北海道の白井牧場に入り、牧場を回りながら獣医師としての研修を詰んだが、現役の競走馬に携わりたいとの思いを強くして目標を調教師に改め、競馬学校を経て美浦トレーニングセンターの前田禎厩舎に調教助手として入った。「40歳までに調教師免許を取得」という目標を自らに課し、果たせなかった場合は獣医師資格を活かして開業医になろうと考えていたという。
森 秀行(もり ひでゆき、1959年3月12日 - )は、日… 森 秀行(もり ひでゆき、1959年3月12日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンター所属の調教師。 戸山為夫厩舎の調教助手を経て、1993年より厩舎を開業。1990年代半ばより盛んとなった日本馬の国外遠征を牽引した調教師のひとりであり、1995年にはフジヤマケンザンが香港国際カップに優勝し、日本馬36年ぶりの国外重賞勝利を達成。1998年にはシーキングザパールがフランスのモーリス・ド・ゲスト賞に優勝し、日本調教馬として初めてヨーロッパG1競走制覇を達成した。また1999年から2000年にはアグネスワールドがフランスのアベイ・ド・ロンシャン賞とイギリスのジュライカップに優勝している。
田原 成貴(たばら せいき、1959年1月15日 - )は、… 田原 成貴(たばら せいき、1959年1月15日 - )は、日本の元騎手、元調教師、現競馬評論家。 島根県鹿足郡柿木村(現吉賀町)出身。卓越した騎乗技術と端正な容姿で、騎手時代には「天才」、「競馬界の玉三郎」と呼ばれた。騎手通算8649戦1112勝(うち重賞65勝、GI級15勝)。1983年・1984年のJRA全国リーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)。騎手引退後の1999年より調教師として活動を始めたものの、2001年に銃砲刀剣類所持等取締法違反・覚せい剤取締法違反容疑で逮捕されたため調教師免許を剥奪された。以降も薬物所持、傷害などで複数回に渡って逮捕されており、JRAから無期限の関与停止処分を言い渡されている。
的場 均(まとば ひとし、1957年3月25日 - )は、日… 的場 均(まとば ひとし、1957年3月25日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の元騎手で、現在は調教師。 1975年に騎手デビュー。若手のころより頭角を現し、関東所属の上位騎手として定着。1989年にドクタースパートで皐月賞を制したことを皮切りに、1990年代に入り数々のGI競走を制する。特にGI競走3勝のライスシャワー、同4勝のグラスワンダーとは名コンビを謳われた。また、なんらかの記録が懸かった馬を破る例が多かったことから「ヒットマン」などとも称された。2001年2月に引退。騎手通算成績は12387戦1454勝(うちJRA12309戦1440勝)、GI競走13勝を含む重賞68勝(同前63勝)。
上原 博之(うえはら ひろゆき、1957年1月25日 - )… 上原 博之(うえはら ひろゆき、1957年1月25日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する調教師。主な管理馬にGI競走で5勝を挙げたダイワメジャーがいる。所属場は美浦トレーニングセンター。茨城県土浦市出身、茨城県立土浦第三高等学校を経て中央大学法学部卒。 同じく美浦トレーニングセンター所属の調教師・上原佑紀は息子。 1957年、千葉県我孫子市に生まれる。1歳の時に茨城県土浦市に転居し、以後土浦で育った。父親は農協系の団体職員で獣医師資格を持ち、この影響もあって幼少の頃から動物好きだった。土浦第三高等学校では父の勧めで馬術部に所属。3年次には主将を務め、1974年の茨城国体では県代表選手として個人準優勝、団体で優勝を経験している。
谷 潔(たに きよし、1957年1月11日 - )は、日本中… 谷 潔(たに きよし、1957年1月11日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する調教師。 主な管理馬に2014年の菊花賞に優勝したトーホウジャッカルがいる。 1957年、当時日本中央競馬会の騎手であった谷八郎の長男として生まれる。京都競馬場の厩舎地区で育ち、幼少の頃から馬に親しんだが自身は騎手を目指すことはなかった。同志社中学校・高等学校を経て同志社大学と進んだが、この間、調教師として開業した父のもとに弟子入りした田島良保、田原成貴といった騎手たちの華々しい活躍に触発され、競馬界に入ることを志す。大学卒業後に父の厩舎に厩務員として入ったが、当時は乗馬経験もなかった。1年の訓練を経て調教助手の資格を取得、1983年には研修のため渡米し、西海岸のリチャード・マンデラ厩舎でエクササイズライダー、次いでケンタッキー州のゲインズウェイファームで厩務作業に従事した。