大浪 妙博(おおなみ たえひろ、1908年9月1日 - 19… 大浪 妙博(おおなみ たえひろ、1908年9月1日 - 1985年7月7日)は、秋田県南秋田郡戸賀村出身で高島部屋に所属した力士。本名は石川 三治。187cm、101kg。最高位は東前頭3枚目。 1926年5月場所初土俵、1932年2月場所春秋園事件により幸運な十両昇進。十両では新十両の場所で8戦全勝優勝を果たすなど負け越しがなく、翌1933年1月に新入幕を果たした。連続6場所幕内を務めたのち、一度十両に陥落したが、再度十両優勝を果たしている(1936年1月場所)。1936年5月に再入幕、1940年1月場所には最高位である東前頭3枚目に進出、同年5月場所では横綱男女ノ川を倒して金星を獲得したが、翌1941年1月場所を全休してそのまま廃業した[要出典]。
金湊 仁三郎 (かねみなと にさぶろう、 1908年8月18… 金湊 仁三郎 (かねみなと にさぶろう、 1908年8月18日 - 1979年11月23日)は、現在の千葉県船橋市金杉町出身で湊川部屋に所属した大相撲力士。本名は石井 仁三郎。身長164cm、体重86kg。最高位は東前頭5枚目。1940年1月場所のみ金湊利三郎を名乗った[信頼性要検証]。 1927年1月場所に初土俵を踏む。1931年5月、双葉山定次とともに新十両を果たし、2場所連続して双葉山を破る。春秋園事件で一度は脱退するが、1933年1月に十両格別席で復帰、1934年5月場所に新入幕を果たした。 小兵ながら動きの早い相撲で、若手をいじめることが多く、「追いはぎ」とあだ名されている。大きな出羽ヶ嶽文治郎に初顔から連勝したり、新入幕の羽黒山政司に初日に土をつけたり、1939年1月には双葉山の連勝を止めた安藝ノ海節男を終盤に破って負け越しを味わわせたりと、大物食いで名をはせた。
三熊山 美夫(みくまやま よしお、1908年7月20日 - … 三熊山 美夫(みくまやま よしお、1908年7月20日 - 没年不明)は、現在の兵庫県洲本市出身で中川部屋、武蔵川部屋、鏡山部屋に所属した元大相撲力士。本名は小泉 美夫。167cm、102kg。最高位は西前頭12枚目。 1923年1月初土俵、1932年5月十両昇進。1936年1月新入幕。非力と評されながらも、ずんぐりとした体相当の相撲を見せ、評判はよかった。しかし幕内在位は3場所に終わり、1938年1月に廃業。廃業してからは消息が全く不明になっている。 四股名は故郷の山から。 大変器用な力士で、初っ切り・相撲甚句・弓取りと何でも務められたので巡業で重宝がられた。
綾曻 竹藏(あやのぼり たけぞう、1908年5月20日 - … 綾曻 竹藏(あやのぼり たけぞう、1908年5月20日 - 1969年7月14日)は、宮城県仙台市青葉区出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は大場 竹藏(おおば たけぞう)。最高位は西関脇。 1908年5月20日に宮城県仙台市青葉区で生まれる。当初は、日中を仙台の税務署で勤務しながら過ごして夜は学校に通って勉強する生活(現在で言えば定時制)を送っていたが、ある日近所の好角家から体格を見出されたことで千賀ノ浦部屋へ入門、1925年1月場所で初土俵を踏んだ。 1928年に部屋ごと出羽海部屋へ移籍してからは、当時角界一の強豪とも言われていた出羽海部屋の関取から激しい稽古を受けて成長し、1931年5月場所において双葉山定次と共に新十両昇進を果たした。
大邱山 高祥(たいきゅうざん たかよし、1907年9月5日 … 大邱山 高祥(たいきゅうざん たかよし、1907年9月5日 - 1983年6月14日)は、岡山県児島郡粒江村(現:岡山県玉野市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は臼井 悧(うすい さとし)。最高位は東関脇。 1907年9月5日に岡山県児島郡で陸軍御用商人の家に生まれる。角界で活躍している同郷の常ノ花寛市に憧れて、1924年秋に出羽海部屋へ入門、1925年1月場所で初土俵を踏んだ。四股名の「大邱山」は現在の大韓民国・大邱市に由来しており、このことから朝鮮半島出身のようにも見えるが、陸軍の御用商人であった父親の仕事の関係で一家で同地に居住していたことに因んだものである。初土俵からは順調に出世していき、1932年に勃発した春秋園事件による繰り上げ措置で十両へ昇進、同年5月場所には新入幕を果たした。
九紋龍 政五郎(くもんりゅう まさごろう、1907年7月10… 九紋龍 政五郎(くもんりゅう まさごろう、1907年7月10日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。時津風部屋→粂川部屋所属。本名は原 正一。188cm、85kg。最高位は十両2枚目。 大阪府交野市出身(生まれは愛媛県)。大阪相撲の時津風部屋に入門、その後、東西合併により1927年1月、序二段に付出される。1932年1月は幕下上位にあったが、春秋園事件による大量の脱退者の穴を埋めるために翌2月場所で東十両2枚目まで番付を上げた。この場所は4勝4敗の5分、翌場所は全休と幕下に落ちた。1933年1月と1934年1月に十両に復帰したが、いずれも負け越しに終わった。1935年5月に4度目の十両昇進で勝ち越したが翌場所は3勝8敗と負け越し、幕下に落ち、その場所(1936年5月)限りで廃業した。
雷山 勇吉(らいざん ゆうきち、1907年5月17日 - 1… 雷山 勇吉(らいざん ゆうきち、1907年5月17日 - 1973年1月7日)は、東京都荒川区出身で伊勢ノ海部屋に所属した大相撲力士。本名は豊田 光三。身長167cm、体重101kg。最高位は東前頭12枚目(1933年5月場所)。引退後は一時期年寄として後進の指導につとめた。 伊勢ノ海部屋に入門して、1923年1月場所初土俵を踏む。出世は遅く、三段目から序二段に陥落したり、幕下から三段目に陥落したこともあったが、1931年5月・10月と三段目上位で好成績を残し(10月場所は全勝して三段目優勝をとげた)、1932年1月に幕下に復帰したところに、春秋園事件で大量の脱退者が出たため、2月場所では繰り上がって幸運な新十両昇進となった。
桂川 質郎(かつらがわ しちろう、1907年〈明治40年〉3… 桂川 質郎(かつらがわ しちろう、1907年〈明治40年〉3月29日 - 2003年〈平成15年〉10月24日)は、宮城県名取郡(現在の名取市)出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は楯山部屋)に所属した大相撲力士。本名は檀崎 質郎(だんざき しちろう)。現役時代の体格は身長170cm、体重88kg。得意手は右四つ、突っ張り、吊り。最高位は、西前頭筆頭(1937年(昭和12年)1月場所)。 引退後は夢想神伝流居合の修行に没頭し、檀崎 友彰(だんざき ともあき)と名乗った。段位は居合道範士九段、杖道範士七段、剣道教士七段。 1927年(昭和2年)10月場所に於いて、20歳で初土俵。四股名ははじめ、出身地の宮城県名取郡に因んだ「名取川」を名乗った。
常盤野 藤兵衛(ときわの とうべえ、1907年1月27日 -… 常盤野 藤兵衛(ときわの とうべえ、1907年1月27日 - 1974年12月10日)は、長崎県長崎市出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は鳥越 藤兵衛。174cm、94kg。最高位は東前頭8枚目。 草相撲で鳴らし、同郷の6代出羽ノ海(元小結両國)にスカウトされ入門。1925年5月初土俵、1929年5月十両昇進。1931年1月新入幕。やせ型だが、肩幅が広く、若さあふれる突っ張りを得意とした。四つは左四つで、非力だが動きが速く、活気があった。春秋園事件に加担し、1932年1月脱退(実質的最終場所は1931年10月)し、新興力士団に加わり、そのまま復帰しなかった。廃業後は常陸嶌朝次郎と運送業を起こした。
伊達ノ花 静(だてのはな しずか、1907年1月1日 - 1… 伊達ノ花 静(だてのはな しずか、1907年1月1日 - 1944年12月11日)は、宮城県遠田郡涌谷町出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は深山 静。170cm、120kg。最高位は西前頭15枚目。 1923年1月初土俵、1932年2月十両昇進。1935年5月新入幕したが、わずか2場所の在位で1936年1月廃業し、茨城県日立市で割烹を経営、のちに北海道に渡ったが、戦時中に若くして亡くなった。 色白の肥満体で玉のようにきれいで(本名も女性っぽい静)、明治の横綱・小錦のようとも言われたが、小錦と違い出足に欠けて勝ち味が遅かった。
和歌嶌 三郎(わかしま さぶろう、1906年9月22日 - … 和歌嶌 三郎(わかしま さぶろう、1906年9月22日 - 1961年3月4日)は、和歌山県日高郡川辺町(現:和歌山県日高郡日高川町)出身の元大相撲力士。本名は松井 三郎(まつい さぶろう)。 「和歌嶋」と表記する文献が多いが、番付上では「和歌嶌」の表記である。 1906年9月22日に和歌山県日高郡川辺町(現:和歌山県日高郡日高川町)で生まれる。和歌山県立田辺中学校に通っていたが、相撲の強さを同郷の高ノ山三郎に見出されたため、3年生で中途退学して入間川部屋へ入門、間もなく出羽海部屋へ転属した。四股名は郷里・和歌山県に因んで「和歌嶌」とした。 1923年1月場所で初土俵を踏むと、スピード出世で1928年5月場所で新十両昇進、その十両も僅か2場所で通過し、1929年1月場所で新入幕を果たした。
肥州山 栄(ひしゅうざん さかえ、1906年8月25日 - … 肥州山 栄(ひしゅうざん さかえ、1906年8月25日 - 1980年9月11日)は、長崎県佐世保市東浜町出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は松本 栄(まつもと さかえ)。最高位は東関脇(1941年1月場所、同年5月場所)。得意手は左四つ、吊り、突っ張りなど。現役時代の体格は180cm、109kg。 1906年8月25日、長崎県佐世保市東浜町で漁師を営む家に生まれる。1926年の秋に上京し、明治神宮競技大会の相撲部門に青年団の部の長崎県代表として出場したところ、出羽海親方から見い出されて勧誘されたため、同年の年末に出羽海部屋へ入門した。 1927年1月場所で初土俵を踏むと序ノ口で2場所続けて全勝優勝したことで自信を付け、1929年9月場所では西幕下14枚目でありながら6勝0敗で全勝優勝を果たし、1930年1月場所では新十両昇進を果たした。
國ノ濱 源逸(くにのはま げんいつ、1906年7月3日 - … 國ノ濱 源逸(くにのはま げんいつ、1906年7月3日 - 1986年12月20日)は、鹿児島県姶良郡(現・霧島市)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は中馬 源逸(ちゅうま げんいつ)。現役時代の体格は身長170cm、体重109kg、得意手は押し。最高位は西前頭5枚目(1932年2月場所、3月場所)、血液型はB型。 同郷の9代井筒(第25代横綱・西ノ海嘉治郎 (2代))の勧めで入門、1923年5月場所初土俵。1924年5月場所序二段。病気のため1926年5月場所一旦序ノ口に陥落したが、その後は順調に昇進した。1928年10月場所、三段目で6戦全勝の優勝同点の成績を挙げて幕下入り。1931年5月場所は幕下筆頭で4勝4敗の五分、10月場所は3勝3敗のこれまた五分の成績だったが、1932年1月の春秋園事件で協会に残ったために2月場所でラッキーな新入幕を果たした。
越ノ海 東治郎(こしのうみ とうじろう、1906年7月1日 … 越ノ海 東治郎(こしのうみ とうじろう、1906年7月1日 - 1973年1月24日)は、新潟県西頸城郡根知村(現:新潟県糸魚川市)出身の元大相撲力士。本名は渡邊 東治郎(わたなべ とうじろう)(旧姓:加藤)。 1906年7月1日に新潟県西頸城郡根知村(現:新潟県糸魚川市)で生まれる。1925年1月場所で若藤部屋から初土俵を踏んだ。1931年5月場所で新十両昇進を果たすも1場所で幕下に陥落したが、1932年1月6日に勃発した春秋園事件によって、2月場所の改正番付では十両に格上げされ、1932年5月場所で新入幕を果たした。右四つからの上手投げは豪快かつ強力だったが、連敗癖のために幕内上位へは上がれなかった。
呉錦 三郎(くれにしき さぶろう、1906年4月6日 - 1… 呉錦 三郎(くれにしき さぶろう、1906年4月6日 - 1944年5月16日)は、広島県呉市出身で出羽海部屋に所属した昭和時代の元大相撲力士。本名は金谷 三郎。最高位は十両6枚目。 出羽ノ海部屋に入門し、1922年1月で初土俵を踏む。1931年1月十両に昇進したが、2勝9敗と負け越し、同地位にあった翌3月も2敗9休と連続で負け越して幕下に落ちた。1933年5月十両に復帰し6勝5敗と勝ち越し、翌1934年1月は全休で再び幕下に落ちてからは十両に復帰できなかった。1940年1月に廃業。1944年死去。 1933年に沖ツ海福雄がフグ中毒で急死したとき同席していたが、彼は一命をとりとめた。
大八洲 晃(おおやしま あきら、1906年3月10日 - 1… 大八洲 晃(おおやしま あきら、1906年3月10日 - 1975年4月27日)は、富山県西礪波郡(現・高岡市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は坂本 多喜知(さかもと たきち、旧姓:東爪)。最高位は西前頭10枚目(1936年5月場所)。現役時代の体格は192cm、120kg。得意手は左四つ、寄り。 入門前に松竹で映画俳優をしていたという異色の経歴の持ち主。ほぼ同時期に立浪部屋に入門した双葉山と出世を争い、その体格から双葉山よりも有望視されていた。しかし、相手を引っ張り込むだけで技能に乏しい取り口だったため伸び悩んだ。 双葉山は幕下時代に大八洲に「右目が全然、見えないんだ」と打ち明けたが、それは引退するまで2人だけの秘密となった。
吉野岩 畄吉(よしのいわ とめきち、1906年3月8日 - … 吉野岩 畄吉(よしのいわ とめきち、1906年3月8日 - 1954年1月30日)は、徳島県那賀郡見能林村(現在の阿南市)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は高島 留吉(たかしま とめきち)。最高位は西前頭5枚目(1933年5月場所)。身長173cm。体重82kg。 土地相撲で大関を務めていたことがきっかけで、幕下付出で初土俵を踏む。しかし負け越して翌場では序二段に降下する。その後着実に昇進し、1931年5月場所に十両に昇進するがすぐに陥落、1932年1月場所は幕下で迎えた。しかし、春秋園事件で出羽海部屋の関取のほとんどが脱退、穴埋めとして1932年2月場所の番付では十両に返り咲き、それをきっかけにして1933年1月場所で幕内昇進を果たした。
射水川 成吉(いみずがわしげきち、1906年2月10日 - … 射水川 成吉(いみずがわしげきち、1906年2月10日 - 1945年3月10日)は、愛媛県温泉郡(現:愛媛県松山市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は八木 成吉(やぎ しげきち)。 1906年2月10日に愛媛県温泉郡(現:愛媛県松山市)で生まれる。地元の土地相撲で大関を務め、その経歴を買われて高砂部屋へ入門し、1924年5月場所において幕下付け出しで初土俵を踏んだが、その場所を負け越してしまい、翌場所は一気に序二段まで降格された。1932年1月に勃発した春秋園事件の影響で十両を飛び越えて新入幕を果たすが、1938年5月場所において二度目となる十両降格を味わい、1939年1月場所を最後に現役を引退、年寄・大山を襲名した後、岩友・西岩の順に変更した。
陸奥錦 秀二郎(むつにしき しゅうじろう、1906年1月25… 陸奥錦 秀二郎(むつにしき しゅうじろう、1906年1月25日 - 1974年2月19日)は、振分部屋に所属した大相撲力士。引退後は12代玉ノ井を襲名し、年寄として後進の指導に当たった。本名は鎌田 修二郎(旧姓今井)。青森県南津軽郡平賀町(現平川市)出身。170cm、95kg。最高位は西十両筆頭。 1920年5月初土俵、1933年5月十両昇進。13場所在位し同部屋の鷹城山と長く十両を務めた。筆頭まで上がるも入幕はならず、1940年1月に引退、浪ノ音健藏の養子になり12代玉ノ井を襲名した。一時振分部屋を引き継ぎ玉ノ井部屋を経営したがすぐに弟子を返した。 その後は木戸主任などを務め、1971年1月定年退職。
旭川 幸之焏(あさひかわ ゆきのじょう、1905年8月18日… 旭川 幸之焏(あさひかわ ゆきのじょう、1905年8月18日 - 1978年1月31日)は、北海道上川郡旭川町(現:北海道旭川市、出生地は富山県下新川郡(現:富山県魚津市))出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は宮坂 幸吉(みやさか こうきち)。最高位は西関脇。 1905年8月18日、富山県下新川郡(現:富山県魚津市)で生まれる。2歳の時に家族で北海道上川郡旭川町(現:北海道旭川市)へ移住し、1921年の夏に友綱の一行が巡業で北海道へ来る際に、先乗りとして一足先に北海道へやって来た同郷の立浪親方(元小結・緑嶋)に見い出され、立浪部屋へ入門した。1922年1月場所で初土俵を踏み、1927年5月場所で新十両昇進を果たすが、ここから幕下との往復が5年以上繰り返されることとなる。
可愛嶽 実男(えのだけ さねお、1905年7月17日 - 没… 可愛嶽 実男(えのだけ さねお、1905年7月17日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋所属。本名は森 実雄。最高位は十両4枚目。 宮崎県延岡市出身。出羽海部屋に入門し、1926年1月「嶋和泉」の四股名で序ノ口に就く。番付を上げ、1932年1月には幕下上位だったが、春秋園事件による大量の脱退者が出たため、その穴埋めのため十両に昇進した。2場所続けて勝ち越すことなく同年5月に幕下に落ちた。この場所から「可愛嶽」と改名した。1933年1月再び十両に上がったが、2場所続けて負け越して幕下に落ち、1934年1月に廃業した。
幡瀬川 邦七郎(はたせがわ くにしちろう、1905年6月1日… 幡瀬川 邦七郎(はたせがわ くにしちろう、1905年6月1日 - 1974年5月12日)は、秋田県雄勝郡幡野村(現:秋田県湯沢市)出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は楯山部屋)に所属した大相撲力士。本名は大野 邦七郎(おおの くにしちろう)(旧姓:佐藤)。最高位は東関脇。 1905年6月1日に秋田県雄勝郡幡野村(現:秋田県湯沢市)で小作農家を営む家に生まれる。子供の時から骨太の体格で、運動神経が良いために動きも俊敏で度胸があり、幡野小学校で相撲を取り始めた。県内の小学校対抗試合でも高等科の生徒を向こうに回して圧勝したが、負けず嫌いの性格だったために決勝戦で敗れると悔しさのあまり泣くほどだった。小兵ながら宮相撲で圧倒的な強さを誇っており、家業でも大人顔負けの作業量を引き受けて周囲を驚かせた。
秋田嶽 由藏(あきただけ よしぞう、1905年3月27日 -… 秋田嶽 由藏(あきただけ よしぞう、1905年3月27日 - 1940年11月27日)は、秋田県横手市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は松岡 由蔵。最高位は十両4枚目。 春日野部屋に入門し、1925年1月初土俵を踏む。番付を上げ、1932年1月には幕下上位に上がった。番付発表直後に起きた春秋園事件で大量の幕内十両の脱退者が出たため、その穴埋めのため東十両7枚目に昇進した。新十両の場所とその翌場所はともに3勝止まりと振るわず、幕下に落ちた。1933年1月に再十両で6勝5敗と初めて勝ち越した。3場所連続十両にいて、一度幕下に落ちるが1935年1月に十両に復帰、4場所連続在位した。その後再び幕下に落ち、「千雄山」と改名したが、1939年1月に廃業。
七尾潟 直右エ門(ななおがた なおえもん、1905年3月11… 七尾潟 直右エ門(ななおがた なおえもん、1905年3月11日 - 1943年9月16日)は、現在の石川県七尾市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は浜田 兵吾。175cm、88kg。最高位は西十両筆頭。 1924年5月初土俵、1932年2月に春秋園事件の余波により、十両昇進。十両筆頭まで躍進したが、1933年5月に廃業した。
大鶴 多喜之助(おおつる たきのすけ、1905年1月1日 -… 大鶴 多喜之助(おおつる たきのすけ、1905年1月1日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。荒磯部屋→春日野部屋所属。本名は宮川→槙勇。最高位は十両7枚目。 北海道釧路市出身。荒磯部屋に入門し、1923年5月「大寉」の四股名で序ノ口に就く(のち春日野部屋に移籍)。1929年1月十両に昇進。2場所続けて負け越したため、5月に幕下に落ちた。1930年1月再十両。この場所は3勝8敗と負け越したが、翌3月は6勝5敗と勝ち越し、十両での唯一の勝ち越しとなる。当時は2場所の成績で番付を作成されたため、合計の成績が9勝13敗と負け越しとなったため再び幕下に落ちた。「大鶴」と改名した1931年1月三回目の十両昇進となったが、この場所と翌場所も負け越し、5月に幕下に落ちた。
石山 源治郎(いしやま げんじろう、1904年8月27日 -… 石山 源治郎(いしやま げんじろう、1904年8月27日 - 没年不明)は、滋賀県大津市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は武田 源次郎。最高位は十両6枚目。 春日野部屋に入門し、1923年1月に初土俵を踏む。1930年1月十両に昇進。2場所続けて負け越したため、5月に幕下に落ちた。1932年1月十両に復帰したが、番付発表直後に起きた春秋園事件により脱退し、新興力士団を経て、関西角力協会に入った。
羽後響 助枩(うごひびき すけまつ、1904年6月26日 -… 羽後響 助枩(うごひびき すけまつ、1904年6月26日 - 没年不明)は、秋田県北秋田郡森吉町(現北秋田市)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は武石 助松。身長167cm、体重90kg。最高位は西十両筆頭。 1921年1月初土俵、1928年1月十両昇進。十両では負け越したり休場したりと幕下に何度も落ちたりしたが、1931年1月に4回目の十両昇進で東十両7枚目に付いてから定着し、5月に西十両筆頭まで躍進した。この場所と翌10月場所で勝ち越し、次の場所での新入幕が確実とみられたが、1932年1月場所の新番付では入幕どころか1枚下の西十両2枚目にされた。番付発表当日に起きた春秋園事件に加担し、1932年1月脱退(番付上は削除、実質的最終場所は1931年10月)し、天竜三郎率いる新興力士団に加わった。
鳥ヶ峰 吉五郎(とりがみね きちごろう、1904年5月 - … 鳥ヶ峰 吉五郎(とりがみね きちごろう、1904年5月 - 没年不明)は、大正・昭和時代の大相撲力士。宮城野部屋所属。本名は天野 吉五郎(あまの よしごろう)。最高位は西十両2枚目。 現在の東京都北区出身。宮城野部屋に入門し、1921年1月場所、「鳥ヶ峰」の四股名で初土俵を踏む。1925年5月場所に十両昇進。1930年10月場所まで十両の地位を務めた。その後幕下に陥落し、1931年5月場所に十両に復帰したが、2場所続けて負け越し、1932年1月場所に再び幕下に陥落した。ところが、春秋園事件により、大量の幕内十両の脱退者が出たため、再び十両に上がることになった。再十両後は成績が振るわず、1933年1月場所、幕下に陥落した。
生汐 左衛門(いくしお さえもん、1904年4月26日 - … 生汐 左衛門(いくしお さえもん、1904年4月26日 - 没年不明)は、福岡県柳川市出身で、陸奥部屋に所属した元大相撲力士。本名は近藤 儀一郎。最高位は十両6枚目。 陸奥部屋に入門し、1923年1月序ノ口に就く。1932年5月十両に昇進。十両は2場所とも負け越しに終わった。1935年5月廃業。
上宮山 勇市(うえみややま ゆういち、1904年3月30日 … 上宮山 勇市(うえみややま ゆういち、1904年3月30日 - 没年不明)は、鹿児島県薩摩郡宮之城町(現さつま町)出身で井筒部屋に所属した元大相撲力士。本名は中間 勇一。最高位は十両11枚目(ただし、後述のように十両力士として土俵に上がらなかった)。 井筒部屋に入門し、1923年1月、初土俵を踏む。1932年1月、十両に昇進したが、番付発表直後に起きた春秋園事件で脱退し、革新力士団に加わった。その後は相撲協会に復帰することはなかった。
新海 幸藏(しんかい こうぞう、1904年2月29日 - 1… 新海 幸藏(しんかい こうぞう、1904年2月29日 - 1976年2月17日)は、秋田県河辺郡新屋町 (現秋田市新屋)出身で出羽海部屋(入門時は入間川部屋)に所属した大相撲力士。本名は中野 幸藏(なかの こうぞう)。新海という四股名は「あらうみ」と読まれていたが、何故かいつの間にか「しんかい」と読まれるようになり、現在ではこちらのほうが通りがよい。最高位は東関脇。 日新小学校高等科を卒業後に、地元の高堂茶店に勤めた。最初、茶店に母に連れられて訪れた時に、体格を見た主人から幸蔵本人ではなく父と勘違いされた。1920年の暮れに単身で上京して、入間川部屋に入門した。1921年1月場所に初土俵を踏むが、その後に出羽海部屋へ移籍した。
愛ノ花 初義(あいのはな はつよし、1904年1月13日 -… 愛ノ花 初義(あいのはな はつよし、1904年1月13日 - 1944年11月11日)は、愛媛県宇和島市出身で押尾川部屋に所属した元大相撲力士。本名は宮川 初義。最高位は十両2枚目。 大阪相撲の押尾川部屋に入門。東西合併により、1927年5月三段目に付出され、その場所で三段目優勝を果たす。1931年5月十両に昇進したが、2場所続けて負け越し、1932年1月場所の番付では幕下に落ちた。ところが、番付発表直後に起きた春秋園事件により、大量の幕内十両の脱退者が出たため、一転して十両残留となった。以後6場所連続十両の地位にあった。1934年1月に幕下に落ち、翌5月三段目まで陥落したところで廃業した。1944年死去。
土州山 好一郎(としゅうざん こういちろう、1904年1月1… 土州山 好一郎(としゅうざん こういちろう、1904年1月1日 - 1977年5月4日)は、高知県香美郡赤岡町(現香南市)出身で二子山部屋に所属した大相撲力士。本名は武内 好春。最高位は東前頭4枚目(1934年5月場所)。 現役時代の体格は179cm、112kg。得意手は上突っ張り、出し投げ。 同郷の土州山役太郎の経営していた二子山部屋に入門、1922年5月場所に初土俵を踏む。三段目から幕下で苦労していたが、土佐ノ海から師名の土州山に四股名を改めた直後の1932年1月に起きた春秋園事件で大量の脱退者が出たので、繰り上がって同年2月の改正番付で新十両を果たした。その機会を生かして1933年1月場所に入幕、以後6年にわたって幕内中堅力士として活躍した。
太刀若 峯五郎(たちわか みねごろう、1903年(明治36年… 太刀若 峯五郎(たちわか みねごろう、1903年(明治36年)10月1日 - 1988年(昭和63年)8月13日)は、三重県度会郡宇治山田町(現在の伊勢市)出身で高砂部屋(入門時は友綱部屋)に所属した大相撲力士。本名は馬場 米藏(ばば よねぞう)。身長178cm、体重98kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は前頭6枚目(1937年1月場所)。 1917年(大正6年)に横綱・太刀山一行が伊勢に巡業に来た際に入門し、太刀山の内弟子として1918年(大正7年)1月場所に友綱部屋(前頭・海山太郎)から初土俵を踏んだ。この場所限りで太刀山が引退して年寄・東関を襲名して東関部屋を興したため移籍したが、1919年(大正8年)5月に行われた勝負検査役選挙での落選して廃業したため、高砂部屋(大関・2代朝潮)に移籍した。
男女ノ川 登三(みなのがわ とうぞう、1903年9月17日 … 男女ノ川 登三(みなのがわ とうぞう、1903年9月17日 - 1971年1月20日)は、茨城県筑波郡菅間村(現在のつくば市磯部)出身で佐渡ヶ嶽部屋(入門時は高砂部屋)に所属した大相撲力士。第34代横綱。本名は坂田 供次郎(さかた ともじろう(きょうじろう))。 1903年9月17日に茨城県筑波郡菅間村(現在のつくば市磯部)で農家を営む一家に三男として生まれる。元々は屋根の修理屋で働いていたが、ある時修理中の屋根を踏み抜いてしまい、その力の強さに驚いた周囲の勧めで地元の相撲大会に出場するといきなり優勝してしまった。そのまま筑波郡大会・茨城県大会でも優勝し、自信を持って力士を志すようになった。そんなある日、偶然茨城県へ巡業に来ていた阿久津川高一郎を訪ねて入門を志願するものの、最初は厳しい稽古の話に終始したため諦めて戻るが、力士を目指す気持ちが全く揺るがなかったために4度訪問して、ようやく入門を許可された。
三池山 大五郎(みいけやま だいごろう、1903年8月8日 … 三池山 大五郎(みいけやま だいごろう、1903年8月8日 - 1951年3月22日)は、昭和時代の大相撲力士。陸奥部屋所属。本名は松井 善次。最高位は十両9枚目。 福岡県大牟田市出身。陸奥部屋に入門し、1922年5月、「葉颪」の四股名で初土俵を踏む(のち「三池山」に改名)。1928年1月十両に昇進。この場所は2勝8敗1分と負け越した。昭和初期は東京場所と地方場所とで別々に番付が作成されたため、三池山の場合、東京場所では成績が良い反面、地方場所では不振となり、十両に昇進した次の場所の1928年3月では三段目の地位にあった。十両は在位1場所で終わり、復帰することはなかった。1930年10月に廃業。
大矢崎 信哉(おおやざき しんや / のぶや、1903年5月… 大矢崎 信哉(おおやざき しんや / のぶや、1903年5月20日 - 没年不明)は、大正・昭和時代の大相撲力士。峰崎部屋→片男波部屋→伊勢ノ海部屋→花籠部屋所属。本名は木越 信哉。最高位は十両2枚目。 秋田県北秋田郡田代町(現大館市)出身。1920年5月初土俵を踏む。1925年1月十両に昇進。番付を上げ、1926年1月には西十両2枚目まで進んだが、この場所で負け越してからは番付を下げ、1927年1月に幕下に落ちた。1927年10月再十両、この場所と翌場所も負け越し、再び幕下に落ちた。1928年5月に十両復帰。連続6場所務めた後、1930年1月幕下に落ち、同年10月に廃業した。 甥は伊勢ヶ濱部屋の元十両力士の大矢崎武男。
立汐 唯五郎(たてしお ただごろう、1903年4月11日 -… 立汐 唯五郎(たてしお ただごろう、1903年4月11日 - 1935年4月28日)は、青森県西津軽郡木造町(現在のつがる市)出身で振分部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤本 唯五郎(旧姓長谷川)。最高位は西十両5枚目。兄は幕内力士の立汐祐治郎。 浪ノ音の振分部屋に入門。1918年5月場所で「鷹城山」の四股名で初土俵を踏む。1920年1月場所「鷹ヶ汐」に改名。1924年5月場所から兄の四股名の「立汐」を名乗った。1927年5月場所新十両。10月場所では幕下のままのため、東京場所と地方場所では番付の地位が異なるという珍現象を起こした。十両で勝ち越すことはなく、1930年3月場所限り廃業した。十両在位は4場所に終わり、兄に続く入幕は果たせなかった。
浪ノ音 藤美(なみのおと ふじみ、1903年4月 - 193… 浪ノ音 藤美(なみのおと ふじみ、1903年4月 - 1934年)は、青森県南津軽郡平賀町(現平川市)出身で振分部屋に所属した元大相撲力士。本名は奈良岡 藤美。最高位は十両10枚目。 同郷の浪ノ音健蔵の振分部屋に入門し、師匠の四股名の「浪ノ音」の名で1920年5月序ノ口に就く。1928年5月十両昇進。この場所と翌場所2場所続けて負け越した。幕下に落ちた1929年3月に廃業。1934年死去。
若瀬川 栄蔵(わかせがわ えいぞう、1903年2月19日 -… 若瀬川 栄蔵(わかせがわ えいぞう、1903年2月19日 - 1990年3月20日)は、秋田県平鹿郡雄物川町(現・横手市)出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は楯山部屋)に所属した大相撲力士。本名は佐藤 永藏(さとう えいぞう)→ 中川 永藏(なかがわ えいぞう)。身長167cm、体重90kg。最高位は東前頭筆頭。得意手は左四つ、突き、押し。引退後は一時期、年寄として後進の指導に尽力した。 同郷の縁で清瀬川敬之助のもとに入門、1921年5月場所に初土俵を踏む。丁度この場所より、清瀬川が所属していた熊ヶ谷部屋を出て、楯山部屋預かりの状態になっていたため、書類上は楯山部屋所属となっていた。 1925年1月には三段目で全勝するなど、下位でも力を発揮し、幕下では少しもたつくも1929年1月に十両昇進、1930年の1月場所に新入幕を果たした。
常陽山 正治(じょうようざん まさじ、1903年1月25日 … 常陽山 正治(じょうようざん まさじ、1903年1月25日 - 1972年1月25日)は、新潟県中頸城郡(現妙高市)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は楡井 正次。引退後は9代稲川を襲名し、後進の指導につとめた。身長174cm、体重88kg。最高位は東十両筆頭。 1919年1月初土俵、1932年2月十両昇進。東筆頭まで躍進するが入幕はならず、1938年5月に引退し9代稲川を襲名した。平年寄で役職には就けず、1968年1月定年退職。1972年心臓衰弱で死去。なお、生没同日である。
出羽ヶ嶽 文治郎(でわがたけ ぶんじろう、1902年12月2… 出羽ヶ嶽 文治郎(でわがたけ ぶんじろう、1902年12月20日 - 1950年6月9日)は、山形県南村山郡(現:山形県上山市)出身の元大相撲力士。本名は斎藤 文次郎(さいとう ぶんじろう)(旧姓:佐藤)。
高ノ花 武也(たかのはな たけや、1902年12月7日 - … 高ノ花 武也(たかのはな たけや、1902年12月7日 - 1960年5月25日)は、現在の新潟県上越市出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は倉田 武也(旧姓藤田)。183cm、120kg。最高位は西前頭8枚目(ただし、春秋園事件に加担した為に番付が削除され、番付上の最高位は東前頭14枚目) 1921年5月場所に「高田川」の四股名で初土俵を踏む。着実に番付を上げていき、1929年1月場所で十両昇進。1931年5月新入幕、恵まれた体格で常陸山に後継者として期待されるが、その後春秋園事件に加担したことで大成できず、1933年1月に幕内格別席で復帰した場所を全休し、そのまま廃業した。廃業後は新宿で相撲料理店「つたや」を経営した。
錦城山 勇吉(きんじょうざん ゆうきち、1902年11月18… 錦城山 勇吉(きんじょうざん ゆうきち、1902年11月18日 - 1987年12月18日)は、兵庫県津名郡(現:兵庫県洲本市)出身で小野川部屋に所属した大相撲力士。本名は村上 幸作(むらかみ こうさく)。 1902年11月18日に兵庫県津名郡(現:兵庫県洲本市)で生まれる。草相撲が盛んであった淡路島は小野川部屋の勢力基盤であり、宮相撲で活躍したことで若者頭に見出され、小野川部屋(大坂相撲)に入門した。当初の四股名は小鳴門だったが、大阪城の別名が「錦城」であることに因んで「錦城山」と改名した。 1923年5月場所が龍神事件によって同年6月へ延期、さらに片番付での開催となった影響で、1924年1月場所で新入幕を果たした際はいきなり前頭2枚目になった。
栃ノ花 善治郎(とちのはな ぜんじろう、1902年5月4日 … 栃ノ花 善治郎(とちのはな ぜんじろう、1902年5月4日 - 1992年4月23日)は昭和時代の大相撲力士。春日野部屋所属。本名は原→秋山善治郎。最高位は十両2枚目。 現在の東京都渋谷区出身。旧制錦城中学に入り、相撲部で主将をつとめ、1919年の全国大会で活躍した。翌1920年卒業後に春日野部屋に入門し、5月に初土俵を踏む。1927年1月十両昇進。十両を4場所連続在位したが、幕下に落ちた。1928年3月再十両を果たしたが、全休してそのまま25歳で廃業した。1992年に満89歳で死去した。
鏡岩 善四郎(かがみいわ ぜんしろう、1902年5月4日 -… 鏡岩 善四郎(かがみいわ ぜんしろう、1902年5月4日 - 1950年8月6日)は、青森県上北郡四和村(現:青森県十和田市)出身で粂川部屋に所属した大相撲力士。本名は佐々木 善四郎(ささき ぜんしろう)。最高位は西大関。 1902年5月4日に青森県三戸郡猿辺村(現:三戸町)に生まれる。幼いころに父親と死別し、母親の再婚に伴い上北郡四和村に移り住む。 子供の時から草相撲に出場し、怪力として鳴らした。そんな善四郎少年を見つけた粂川から勧誘されて粂川部屋に入門、1922年1月場所で初土俵を踏んだ。入門が遅かったために昇進も遅く、1927年10月場所で新十両昇進、1928年3月場所で新入幕を果たしたが、入幕時で既に25歳と決して速くなかった。
霞ヶ浦 忠男(かすみがうら ただお、1902年4月23日 -… 霞ヶ浦 忠男(かすみがうら ただお、1902年4月23日 - 1945年)は、茨城県行方郡牛堀町(現・潮来市)出身で、出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は今泉 忠。最高位は十両5枚目。 出羽ノ海部屋に入門し、1919年1月「諏訪錦」の四股名で序ノ口に就く。1929年1月、十両に昇進する。この場所と翌場所も2場所続けて負け越したため幕下に落ちた。1930年1月、再び十両に昇進して四股名を「霞ヶ浦」と改めた。5月に幕下に落ち、1931年1月に十両に復帰する。1932年1月、春秋園事件が起こり、霞ヶ浦は天竜三郎に従い、相撲協会を脱退した。その後、新興力士団、関西角力協会に所属し、同協会が1937年に解散した後も相撲協会に復帰しなかった。
銚子灘 傳右エ門(ちょうしなだ でんえもん、1902年3月1… 銚子灘 傳右エ門(ちょうしなだ でんえもん、1902年3月12日 - 1935年1月5日)は、千葉県銚子市出身で出羽海部屋(入門時は中立部屋)に所属した大相撲力士。本名は網中 仙太郎(あみなか せんたろう)。最高位は西前頭14枚目。 1902年3月12日に千葉県銚子市で生まれ、1922年1月場所において中立部屋から千ヶ岩の四股名で初土俵を踏む。1928年1月場所で新十両昇進を果たすが、師匠の死によって二子山部屋を経て出羽海部屋へ転籍した。幕下に陥落していた1930年1月場所から銚子灘と改名し、同年5月場所で十両に復帰し、1931年1月場所で新入幕を果たした。翌年に勃発した春秋園事件によって脱退するも1933年1月場所で復帰、十両格別席となり、翌年5月場所を最後に現役を引退、年寄・稲川を襲名した。
荒山 宇三郎(あらやま うさぶろう、1902年2月13日 -… 荒山 宇三郎(あらやま うさぶろう、1902年2月13日 - 没年不明)は、鳥取県西伯郡淀江町(現米子市)出身の元大相撲力士。花籠部屋→峰崎部屋→片男波部屋→伊勢ノ海部屋→花籠部屋所属。本名は小泉 宇三郎。最高位は十両6枚目。 同郷の大関荒岩の花籠部屋に入門、1920年1月に初土俵を踏む。1928年1月十両昇進。翌場所幕下に落ちるが、5月に再十両。十両は3場所務め、1930年10月に廃業した。
片ノ濱 軍平(かたのはま ぐんぺい、1902年 - 没年不明… 片ノ濱 軍平(かたのはま ぐんぺい、1902年 - 没年不明)は、大分県別府市出身で千田川部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾割 軍平。最高位は十両9枚目。 大阪相撲の千田川部屋に入門する。1924年5月に新入幕、翌1925年1月には西前頭筆頭まで進んだ。1927年1月、東西合併により西十両9枚目に付出されたが、この場所と翌3月場所は全休し、5月に幕下に落ちて廃業した。