門田 正経(かどた まさつね、1862年(文久2年)1月 -… 門田 正経(かどた まさつね、1862年(文久2年)1月 - 1924年(大正13年)12月8日)は、日本のジャーナリスト、東洋協会幹事長、拓殖大学学友会初代会長。 伊予国松山生まれ。松山中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)から慶應義塾に入り、朝野新聞、馬場辰猪の國友会に入り、山陰新聞、海南新聞、大阪毎日新聞創立に参加。台湾協会専門学校の幹事となり、毎日新聞の特派員として台湾に渡り、台湾統治の一翼を担う。墓所は多磨霊園。
辻 寛(つじ ゆたか、文久元年10月24日(1861年11月… 辻 寛(つじ ゆたか、文久元年10月24日(1861年11月26日) - 昭和4年(1929年)9月24日)は、衆議院議員(立憲政友会→立憲同志会→憲政会)、ジャーナリスト。 伊勢国三重郡水沢村(現在の三重県四日市市)に辻武平治の長男として生まれる。東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業後、三重県山田郡立中学校の教諭に任じられた。その後、三重新聞社の社長として経営にあたり、また雑誌「三重県人」の主幹となった。 三重県会議員を経て、1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第11回・第12回でも再選された。 その他、三重県農工銀行の監査役も務めた。
森田 思軒(もりた しけん、1861年8月26日(文久元年7… 森田 思軒(もりた しけん、1861年8月26日(文久元年7月21日) - 1897年(明治30年)11月14日)は、日本のジャーナリスト・翻訳家・漢文学者。本名は文蔵。別号に埜客(やきゃく)、羊角山人(ようかくさんじん)、白蓮庵主人(びゃくれんあんしゅじん)、紅芍園主人(こうしゃくえんしゅじん)など。 1861年(文久元年)、備中国小田郡笠岡(現・岡山県笠岡市西本町)に岡山県議会議員や窪屋郡長を務めた森田佐平の子として生まれる。1874年(明治7年)、大阪慶應義塾に入塾し、1875年(明治8年)に徳島慶應義塾に移動し、1876年(明治9年)に三田の慶應義塾本校で英文学を学ぶ。1879年(明治12年)には岡山の興譲館で坂田警軒について漢学を修めた。
三木 愛花(みき あいか、1861年5月14日(文久元年4月… 三木 愛花(みき あいか、1861年5月14日(文久元年4月5日) - 1933年(昭和8年)2月6日)は、明治・大正期の新聞記者、ジャーナリスト。本名、三木貞一。 1861年(文久元年)、上総国大網町(現在の千葉県大網白里市)生まれ。田中従吾軒の門下で「朝野新聞」「東京公論」記者などを経て、1893年(明治26年)に萬朝報に入社、1923年(大正12年)まで活動した。相撲通として知られ相撲雑誌に記事を執筆するなど相撲記者の先駆けでもあった。 将棋通でもあり、初めて新聞に「将棋欄」を設けたことでも知られる。「萬朝報」1898年(明治31年)1月1日付に指し将棋の棋譜を初めて新聞に掲載した。また三木の発案により、おなじく「萬朝報」において棋戦が初めて企画され、1908年(明治41年)9月11日付から「高段名手勝継将棊」が掲載された。
初見 八郎(はつみ はちろう、1861年4月14日(文久元年… 初見 八郎(はつみ はちろう、1861年4月14日(文久元年3月5日) - 1930年(昭和5年)5月31日)は、仏語教授、日本の政治家、ジャーナリスト。国会議員衆議院議員。自由民権運動の中心人物。 常陸国猿島郡東山田村(現在の茨城県古河市)出身。東山田村名主の豪農、茨城県多額納税者である初見吉左衛門の四男で土浦五十銀行の頭取を務めた初見敬二郎の長男。明治維新前初見家は代々北山田(きたやまた)の名主でした。農業を中心に大規模な土地経営を行い、地域の有力な地主として知られていました。東山田村は藍の生産地であり、利根川水運を通じて深谷や江戸方面に送られる流通ルート上にあったため、渋沢栄一の藍染業務時代から直接関わっていました。
阿部 宇之八(あべ うのはち、1861年4月7日〈文久元年2… 阿部 宇之八(あべ うのはち、1861年4月7日〈文久元年2月28日〉 - 1924年〈大正13年〉11月14日)は、大正期の札幌区長、ジャーナリスト。 阿波国板野郡木津村(現在の徳島県鳴門市)に、名主阿部猪蔵の次男(三男とも)滝本五郎の長男として生まれ、叔父阿部興人の養子となった。旧制徳島中学(現在の徳島県立城南高等学校)卒業後、1877年(明治10年)に東京に出て、三菱商業学校と慶應義塾で学んだ。1881年(明治14年)帰郷し、阿部興人の娘の恒と結婚する(いとこ婚)。 1882年(明治15年)、『大阪新報』の記者となり、のち『大阪毎朝新聞』に転じ、『大阪毎朝新聞』は『郵便報知新聞』に吸収された。
天野 為之(あまの ためゆき、1861年2月6日(万延元年1… 天野 為之(あまの ためゆき、1861年2月6日(万延元年12月27日) - 1938年(昭和13年)3月26日)は、明治・大正・昭和期の経済学者、ジャーナリスト、政治家、教育者、法学博士。衆議院議員、東洋経済新報社主幹、早稲田大学学長、早稲田実業学校校長を歴任した。勲三等瑞宝章受章。
赤羽 萬次郎(あかばね まんじろう、1861年 - 1898… 赤羽 萬次郎(あかばね まんじろう、1861年 - 1898年)は、日本の新聞記者・自由民権派ジャーナリスト。北國新聞社初代社長・主筆。雅号は「痩鶴(そうかく)」。 1861年、信濃国松本にて、商家の次男として誕生。 18歳の時に地元の自由民権運動の政治結社「奨匡社」の設立に加わり、新聞・雑誌に政論を発表する。 1881年に上京、日本最初の日刊新聞である「東京横浜毎日新聞」の記者となる。社主が主催する演説団体「嚶鳴社」同人として各地を遊説。大隈重信の立憲改進党にも参加した。 1886年、金沢の改進党系の新聞「北陸新報」に主筆として招かれるも、5年後に社長が自由党系に身売りしたことに反発し退社。 1893年8月5日に「北國新聞社」を興し自ら社長・主筆となる。
山田 一郎(やまだ いちろう、1860年7月16日(安政7年… 山田 一郎(やまだ いちろう、1860年7月16日(安政7年5月28日) - 1905年(明治38年)5月27日)は、明治時代の日本のジャーナリスト。号は愛川。 1860年(万延元年)、安芸国安芸郡府中村(現在の広島県府中町)に生まれる。藩校修道館(現・修道中学校・修道高等学校)、広島外国語学校で学ぶ。1876年(明治9年)に上京し、東京開成学校に入学。東京開成学校時代の同級生には、高田早苗・三宅雪嶺・有賀長雄・田中舘愛橘らがいる。1878年9月、東京大学文学部に入学。高田早苗・市島謙吉らとともに小野梓が主宰する鷗渡会に加わり、さらに立憲改進党の結党に参加。1882年7月、東京大学を卒業。同年10月、東京専門学校創立に参加し講師に就任、「政治学原論」の初代担当者を務める。
斎藤 珪次(さいとう けいじ、1860年4月15日(万延元年… 斎藤 珪次(さいとう けいじ、1860年4月15日(万延元年3月25日) - 1928年(昭和3年)3月21日)は、明治期の政治家、衆議院議員(8期)、ジャーナリスト、勲四等旭日小綬章。 武蔵国(現在の埼玉県羽生市喜右衛門新田)に斎藤喜右衛門の長男として生まれる。埼玉中学を経て大学予備門に入学するが中退。その後慶應義塾に入って政治経済を学び、自由民権運動に参加し、自由党に加盟。 1885年(明治18年)に埼玉県会議員改選に当選し、矢部忠右衛門・堀越寛介らと「埼玉倶楽部」を結成。県会議員を辞任し、1890年(明治23年)に大同協和会の結成に参画。秩父暴動の暴動で放免、その後再選し、東京倶楽部の設立委員。
市島 謙吉(いちしま けんきち、1860年3月9日(安政7年… 市島 謙吉(いちしま けんきち、1860年3月9日(安政7年2月17日) - 1944年(昭和19年)4月21日)は、日本のジャーナリスト、衆議院議員(3期)、文化事業家、随筆家、初代早稲田大学図書館長。号は春城。 安政7年(1860年)2月17日、越後国蒲原郡水原村(現在の新潟県阿賀野市)に角市市島家五代目直太郎の長男として生まれた。幼名は雄之助といい、これは病弱のため八幡宮より一時的に貰ったものである。のちに郷土の英雄・上杉謙信にあやかって謙吉と改名した。 市島家は丹波国発祥で、慶長3年(1598年)越後に移り、商業で財を成した豪農一族で、角市家は宗家三代目喜右衛門の二男次郎吉から始まる筆頭分家である。
岩切 門二(いわきり もんじ、万延元年(1860年)3月 -… 岩切 門二(いわきり もんじ、万延元年(1860年)3月 - 明治29年(1896年)11月24日)は、日本の政治家、ジャーナリスト。川越進らと宮崎県再置運動で活躍した。 日向国宮崎郡柏原村(宮崎県宮崎郡生目村を経て現宮崎市大字柏原)出身。慶應義塾で法制を学ぶ。 1873年(明治6年)1月に誕生した宮崎県は、1876年(明治9年)8月に鹿児島県に合併されてしまう。この鹿児島県から分離しようという分県運動に門二は参加し、1883年(明治16年)5月の宮崎県再置に貢献した。 運動中には弾劾演説で、鹿児島県令渡辺千秋を罵倒して検挙されたこともあるという。分県の議決をした同年2月の鹿児島県通常県会では、議長である川越進のもと書記長となった。
石河 幹明(いしかわ かんめい、安政6年10月17日(185… 石河 幹明(いしかわ かんめい、安政6年10月17日(1859年11月11日) - 昭和18年(1943年)7月25日)は、日本のジャーナリスト。新聞『時事新報』主筆、茨城県会議員。慶應義塾理事および評議員。交詢社常議員長。徳川家評議員。千代田生命取締役。 号は碩果生(せきかせい)。福澤諭吉の伝記『福澤諭吉伝』全4巻を執筆し、大正版『福澤全集』全10巻、昭和版『続福澤全集』全7巻を編纂した。 『慶應義塾豆百科』 No.80 『福澤諭吉傳』の復刊
桜田 百衛(さくらだ ももえ、1859年〔安政6年〕 - 1… 桜田 百衛(さくらだ ももえ、1859年〔安政6年〕 - 1883年〔明治16年〕1月18日)は、岡山県出身で明治初期に活躍した自由民権派のジャーナリスト。政治小説の創始者の一人としても知られる。別号に百華園主人がある。 1859年(安政6年)、備前国(現在の岡山県備前市)に生まれた。1872年(明治5年)頃上京し、東京外国語学校でドイツ語を学んだが中退。竹内正志や栗原亮一らの影響でと自由民権運動に関わるようになり、1874年(明治7年)に愛国公党に参加した。しかし、病気のため1880年(明治13年)に一時帰郷した。 1881年(明治14年)再上京し、自由党の結党に参加。党の最初の機関紙だった『自由新聞』の記者となり、政治小説を連載するようになる。
島田 保之助(しまだ やすのすけ、安政5年10月12日(18… 島田 保之助(しまだ やすのすけ、安政5年10月12日(1858年11月17日) - 昭和2年(1927年)2月21日)は、衆議院議員(立憲政友会→中正会→憲政会)、ジャーナリスト。 近江国野洲郡中洲村大字新庄(現在の滋賀県守山市)出身。郷里で漢学を修めた後、京都に遊学した。1880年(明治13年)、滋賀県医学校に入学したが、翌年に東京に遊学した。東京で自由民権運動に参加し、1884年(明治17年)に自由党に入党。その後も立憲自由党の設立に尽力し、1892年(明治25年)から自由党滋賀県支部幹事を務めた。1894年(明治27年)、「淡海民報」を創刊し、1902年(明治35年)には「江州新聞」を創刊した。
小室 重弘(こむろ しげひろ、1858年(安政5年9月)- … 小室 重弘(こむろ しげひろ、1858年(安政5年9月)- 1908年(明治41年)6月13日)は、明治期のジャーナリスト、政治家、詩人。衆議院議員。号・屈山。 武蔵国江戸、のちの東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(東京市渋谷区を経て現東京都渋谷区)の宇都宮藩江戸藩邸で同藩士の家に生まれる。漢籍を修めた。 佐久山で自由民権運動を進めた。田中正造の要請で栃木新聞(現下野新聞)幹事に就任し、栃木県会書記となる。国会開設運動に加わる。1881年(明治14年)自由新聞に転じ、新中新報に移った。その後、長野県で活動。1889年(明治22年)新愛知新聞主筆に就任した。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(愛知県第2区、自由党)で初当選し、その後、第5回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した。
渋江 保(しぶえ たもつ、1857年9月14日(安政4年7月… 渋江 保(しぶえ たもつ、1857年9月14日(安政4年7月26日) - 1930年4月7日)は日本の翻訳家、著作家、教師、ジャーナリスト、自由民権家として明治期に活躍した人物である。渋江抽斎の実子で、本名は成善(しげよし)、幼名は三吉(さんきち)、通称は道陸(どうりく)である。森鷗外が小説『渋江抽斎』を執筆した際の情報提供者であるというのが一般的な評価である。 渋江は親交の深かった多くの民権家が民権運動後期に至り、アジアへの国権拡張を主張する中で、誰もが唱えなかった植民地問題について深い理解があった。多くの自由民権思想家が自国民の自由民権だけを意識してきたのに対して、渋江は代表作『万国戦史』の編纂をとおして戦史思想を展開し植民地政策に反対を唱えた。
関 直彦(せき なおひこ、1857年9月4日〈安政4年7月1… 関 直彦(せき なおひこ、1857年9月4日〈安政4年7月16日〉- 1934年〈昭和9年〉4月21日)は、日本のジャーナリスト、政治家、弁護士。東京日日新聞社長、衆議院議員、貴族院議員。 江戸で紀州藩士関平兵衛の次男として生まれる。築地の立教学校(立教大学の前身の一つ)で学ぶ。 1883年(明治16年)、東京大学法学部法律科を卒業後、東京日日新聞入社。東京専門学校・英吉利法律学校の各講師、東京日日新聞記者、日報社社長などを務め、後に弁護士となり東京弁護士会長も務めた。さらに、東京日日新聞・大阪日日新聞・帝国石油の各社長などを歴任。 政界にも進出し、麹町区会議員、東京市会議員、同参事会員、東京府会議員を歴任。
福本 日南(ふくもと にちなん、安政4年5月23日(1857… 福本 日南(ふくもと にちなん、安政4年5月23日(1857年6月14日) - 大正10年(1921年)9月2日)は、日本のジャーナリスト、政治家、史論家。
菅 了法(すが りょうほう、安政4年2月8日(1857年3月… 菅 了法(すが りょうほう、安政4年2月8日(1857年3月3日) – 昭和11年(1936年)7月26日)は、明治期のジャーナリスト、「グリム童話」の訳者、衆議院議員、僧(本願寺顧問)。号は桐南。筆名は桐南居士。 石見国邑智郡銀山領川本村(現・島根県邑智郡川本町川本)の浄土真宗本願寺派・壽國山光永寺に住職・菅了雲の長男として生まれる。 明治8年(1875年)、学制施行により設立された川本小学(現・川本小学校)の初代校長となる。明治9年(1876年)秋、川本小学を辞して、大阪英語学校(後の第三高等学校)に学び、明治10年(1877年)6月、本願寺からの援助を受けて慶應義塾「大人科」に入学。明治12年(1879年)暮れないし明治13年(1880年)春まで在学。
村上 定(むらかみ てい / さだむ、1857年(安政4年)… 村上 定(むらかみ てい / さだむ、1857年(安政4年) - 1932年)は、明治期の実業家・ジャーナリスト。共同火災保険株式会社設立者。三井銀行代表、三井倉庫社長兼支配人、東洋出版協会社長、熊本新聞主幹、神戸又新日報主筆などを歴任した。 安芸国竹原町に広島藩士として生まれる。村上家は代々同地の素封家として仕え、祖父の大井川改築の功により藩主から田地八十町を賜った大家であった。 家督を継いで東上し、大阪の集成中学に学んだ後慶應義塾に転じ、明治13年3月に卒業。直ちに熊本新聞に入社し主幹となる。神風連の乱に際して士族反乱を支持し、自由党系の志士とはかって東肥新聞を起こす。改進新聞、栃木新聞主筆を務め、時の県令・三島通庸の施政方針に反対して16回の発行停止を食らった。
千田 軍之助(せんだ ぐんのすけ、安政3年2月11日(185… 千田 軍之助(せんだ ぐんのすけ、安政3年2月11日(1856年3月17日) – 大正3年(1914年)3月2日)は、衆議院議員(自由党→憲政党→立憲政友会)、ジャーナリスト。 紀伊国那賀郡南志野村(現在の和歌山県紀の川市)の郷士の家に生まれた。1874年(明治7年)、副戸長となり、第三大区第二小区会議所に勤務した。1876年(明治9年)、地租改正にあたって県令神山郡廉に地価の不当を訴えたが、容れられなかったため副戸長を辞した。その後、児玉庄右衛門(児玉仲児の父)らとともに自由民権運動を展開したため、投獄された。これに対し数百の民衆が彼らを奪還しようと蜂起したため、神山は大阪鎮台に出兵を乞う事態となった(粉河騒動)。
吾妻 健三郎(あづま けんざぶろう、安政3年(1856年)‐… 吾妻 健三郎(あづま けんざぶろう、安政3年(1856年)‐ 大正元年(1912年)10月26日)は、明治時代の銅版画家、石版画家、印刷技術者、出版者、ジャーナリスト。 出羽国米沢(現山形県米沢市)に米沢藩医の吾妻寿庵の三男として生まれた。明治6年(1873年)、親戚などから受け取った餞別を元手にして東京へ出て大学南校で学び、ゴットフリード・ワグネルによって銅版画を知った。明治9年(1876年)に日本橋に出版社『東陽堂』を開店する。明治14年(1881年)頃から3色使用の銅版転写石版画を工夫しており、これを万筋と名づけた。明治20年(1887年)に雑誌『絵画叢誌』、明治22年(1889年)に日本初のグラフィック雑誌『風俗画報』を発行したほか、尾形月耕による絵本、画集などを出版している。
桐原 捨三(きりはら すてぞう、1855年12月17日(安政… 桐原 捨三(きりはら すてぞう、1855年12月17日(安政2年11月9日) - 1926年(大正15年)8月25日)は、明治期の教育者、ジャーナリスト。大阪商業講習所所長。旧姓・河野(こうの)。桐原式と呼ばれる新聞販売法で業績を残した。 武蔵国足立郡糠田村(現・埼玉県鴻巣市)に河野家の四男として生まれ、桐原家に養子に入る。浦和中学に学び、1874年(明治7年)慶應義塾に入り、1878年(明治11年)の卒業後に駅逓局に入る。 1880年(明治13年)三菱商業学校を卒業し、福澤諭吉の紹介で大阪商業会議所の五代友厚に聘せられ大阪商業講習所所長となる。府立になると共に大阪高等商業学校に改編。次いで大阪新報に入り、神戸新報、改進新聞を経る。
高橋 健三(たかはし けんぞう、1855年10月27日(安政… 高橋 健三(たかはし けんぞう、1855年10月27日(安政2年9月17日) - 1898年(明治31年)7月22日)は、明治期のジャーナリスト・官僚・政治家。英吉利法律学校(中央大学の前身)創立者の一人。岡倉天心とともに『国華』を創刊のほか、『官報』の創刊(1883年)にも尽力した。別称に自恃居士(じじこじ)。 江戸で元尾張藩士、書道家になった高橋石斎の子として生まれる。後に父が戸田氏に仕官して下総国曾我野藩士となる。明治3年(1870年)曾我野藩の貢進生に選ばれて大学南校(東京大学の前身の一つ)に入学し、法律を学ぶ。明治11年(1878年)、東京大学を中退し、翌年官途につく。以後、駅逓局・文部省を経て、明治16年(1883年)に太政官官報報告掛に任じられて官報の創刊に参画する。
末松 謙澄(すえまつ けんちょう、1855年9月30日〈安政… 末松 謙澄(すえまつ けんちょう、1855年9月30日〈安政2年8月20日〉- 1920年〈大正9年〉10月5日)は、日本の明治から大正期のジャーナリスト・政治家・歴史家。正二位勲一等子爵。帝国学士院会員。幼名は千松(または線松)、号は青萍。 豊前国京都郡前田村(現在の福岡県行橋市前田)に大庄屋役末松房澄と伸子の4男として生まれる。1865年(慶応元年)より地元の碩学村上仏山の私塾水哉園にて漢学・国学を学んだ。1866年(慶応2年)の第二次長州征討(小倉戦争)時には、末松家は戦火で焼け出された。 1871年(明治4年)に上京、佐々木高行宅の書生となり、佐々木の娘・静衛がグイド・フルベッキの娘に英語を教わっていた縁で、フルベッキ家に居候していた高橋是清と親交を結んだ。
栗原 亮一(くりはら りよういち、1855年5月6日(安政2… 栗原 亮一(くりはら りよういち、1855年5月6日(安政2年3月20日)- 1911年(明治44年)3月13日)は、明治期の日本の政治家、ジャーナリスト。衆議院議員。旧姓は中村。 志摩国鳥羽藩士中村武市の三男として生まれ、同藩士・栗原亮休の養子となる。藩校で漢学を修める。明治の初めに上京し同人社で学んだ。 1876年、自主社を創立し『草莽雑誌』『莽草雑誌』を刊行して政府批判を行う。自由民権運動に加わり自由党の結党に参加。『自由新聞』の主筆を務め、1882年、板垣退助の渡欧に随行した。『東雲新聞』の主筆となり、大同団結運動に加わった。 1890年7月、第1回衆議院議員総選挙において三重県第一区から出馬し当選。
中上川 彦次郎(なかみがわ ひこじろう、嘉永7年8月13日〈… 中上川 彦次郎(なかみがわ ひこじろう、嘉永7年8月13日〈1854年10月4日〉 - 1901年〈明治34年〉10月7日)は、明治時代の官吏、実業家、ジャーナリスト。三井財閥の工業化と三井銀行の不良債権処理を推進し、三井家の最高議決機関である「三井家同族会」を設置。「三井中興の祖」として高く評価されている。従五位。三井合名理事長。福澤諭吉の甥(母・婉が諭吉の姉)にあたる。三女はタレント・参議院議員の藤原あき。名字の読みは「なかかみがわ」とされたものもあるが、正しくは「なかみがわ」である。 現在の大分県中津市金谷森ノ丁に豊前中津藩士・中上川才蔵・婉夫妻の長男として生まれる。婉は福澤百助の娘で、諭吉の姉にあたる。
加藤 政之助(かとう まさのすけ、嘉永7年7月18日(185… 加藤 政之助(かとう まさのすけ、嘉永7年7月18日(1854年8月11日) - 昭和16年(1941年)8月2日)は、明治期、大正期、昭和期の政治家、ジャーナリスト、実業家、衆議院議員、貴族院議員、大東文化学院総長(第7代)などを歴任した。 武蔵国足立郡滝馬室村(現・埼玉県鴻巣市)加藤唯右衛門の長男として生まれる。1869年、英漢私塾を開く。16歳で父を亡くす。。馬室村の村長に就任した。糠田学校の教員時代に白根多助埼玉県令に見出され、県の学務課に就職したが、友人の桐原捨三の誘いで、1875年(明治8年)11月、慶應義塾に入学。在学中より、東京日日新聞や東京曙新聞に寄稿していた。福沢諭吉の紹介で五代友厚が経営する大阪新報記者となり、同紙にて、福沢が提唱していた商業学校設立の啓蒙キャンペーンを行い、大阪での商業講習所設立に尽力する。
高瀬 羽皐(たかせ うこう、本名: 高瀬 真卿(たかせ しん… 高瀬 羽皐(たかせ うこう、本名: 高瀬 真卿(たかせ しんきょう)、嘉永6年(1853年)-大正13年(1924年)11月17日)は、明治時代から大正時代にかけてのジャーナリスト、社会事業家、刀剣研究家。幼名・政吉。号は羽皐隠史、往生庵、菊亭静、茂顕、茂卿など。ほかに、高瀬真之助(介)、高瀬松吉、高瀬恭助、高真卿、高瀬鉄窓、高瀬紫峯、鉄窓学人、天賜苑、東台隠士、柳窓外史、茂湿、春雨、春雨静、藤原静、藤原茂、藤の舎茂、高瀬真藁、高瀬巳之吉、佐野尚、近藤東之助、春秋堂、萩村など、約30もの筆名を使った。 茨城県水戸市下市に米穀炭商・高瀬儀平次の長男・政吉として生まれ、水戸学派の川崎巌雄、庄司春村の塾で漢籍を学ぶ。
鹿島 秀麿(かしま ひでまろ、1852年10月10日(嘉永5… 鹿島 秀麿(かしま ひでまろ、1852年10月10日(嘉永5年8月27日) - 1932年(昭和7年)3月27日)は、日本の武士(徳島藩士)、明治期の政治家、ジャーナリスト、実業家。勲四等旭日小綬章。 近江国甲賀郡水口(現滋賀県甲賀市)で水口藩医師大村純道の次男として生まれた。幕末には徳島藩侍医鹿島家の養子となり、徳島藩に仕えた。明治維新後稲田騒動 (徳島藩家老の稲田邦植が淡路島の分藩を求めたことに対し、徳島藩士が激発した事件)に巻き込まれて藩職を去ったのち、上京して慶應義塾に学ぶ。神戸新報を立ち上げる。 帰淡後、教育・新聞出版事業に携わるとともに、立憲改進党に参加して兵庫県の自由民権運動の中心的存在となっていった。
石黒 磐(いしぐろ いわお、嘉永5年8月21日(1852年1… 石黒 磐(いしぐろ いわお、嘉永5年8月21日(1852年10月4日) - 昭和2年(1927年)4月13日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 尾張国中島郡、のちの愛知県中島郡長岡村(祖父江町を経て現在の稲沢市)出身。漢学・英学・法学を学ぶ。東京市で家塾を開き、英学・漢学を講義するかたわら、翻訳業に従事した。のち愛岐日報、愛知新聞の記者となった。愛知県会議員、同副議長、名古屋市会議員、同参事会員に選ばれた。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
牛場 卓蔵(うしば たくぞう、1851年1月29日(嘉永3年… 牛場 卓蔵(うしば たくぞう、1851年1月29日(嘉永3年12月28日) - 1922年(大正11年)3月5日)は、明治期から大正期のジャーナリスト、官僚、実業家、政治家。慶應義塾出身、衆議院議員、山陽鉄道取締役会長などを務めた。 伊勢国安濃郡渋見村(後の安東村、現三重県津市)の井草家に生まれる。伊勢国一志郡(後の七栗村、現三重県津市)の牛場圭次郎の養子となる。慶應義塾に学び、島田三郎らと共に陸奥宗光の家に寄食する。 『郵便報知新聞』記者、兵庫県庁の勧業課長を経て、内務省に出仕。1881年(明治14年)、明治十四年の政変で罷免され下野。1882年(明治15年)、新聞『時事新報』の創刊に参画し記事を執筆。
野口 勝一(のぐち かついち、1848年11月11日(嘉永元… 野口 勝一(のぐち かついち、1848年11月11日(嘉永元年10月16日)- 1905年(明治38年)11月23日)は、明治期のジャーナリスト、官吏、政治家。衆議院議員、茨城県会議長。号・北巌、珂北。 常陸国多賀郡、のちの茨城県多賀郡北中郷村(磯原町を経て現北茨城市磯原町)で水戸藩郷士・野口勝章、なかの長男として生まれる。茨城拡充師範学校(茨城師範学校)を卒業し、多賀郡大久保村(のち国分村、現日立市)などで小学校教員として勤務。 1875年(明治8年)福島県に移住し1878年(明治11年)水戸に戻り茨城新報主筆に就任し、自由民権運動に加わる。茨城県会書記、茨城県属を経て、1881年(明治14年)1月、茨城県会議員に選出され、同年2月、同議長に就任し、同常置委員も務めた。
池松 豊記(豐記、いけまつ とよき、1846年7月23日(弘… 池松 豊記(豐記、いけまつ とよき、1846年7月23日(弘化3年6月1日)- 1921年(大正10年)9月13日)は、明治期のジャーナリスト、農業経営者、政治家。衆議院議員、熊本県球磨郡上村長。 肥後国玉名郡上小田村(熊本県玉名郡上小田村、小田村を経て現玉名市上小田)で、医師・池松玄操の二男として生まれた。 明治の初めころに東京に出て自由民権運動に加わる。1875年(明治8年)評論新聞が創刊され、記者となる。西南戦争後に帰郷し、民権活動家に呼びかけ1878年(明治11年)5月、民権結社・相愛社を組織し社長に就任。1881年(明治14年)7月、その機関紙「東肥新報」発刊して民権思想を広めた。1882年(明治15年)2月、相愛社は実学党と公議政党を形成し、その後、九州改進党となった。
野村文夫(のむら ふみお、天保7年4月5日(1836年5月1… 野村文夫(のむら ふみお、天保7年4月5日(1836年5月19日) - 明治24年(1891年)10月27日)は、幕末の広島藩の武士、のち明治政府の官僚、のちジャーナリスト、自由民権活動家。戯画入り風刺雑誌『団団珍聞』・『驥尾団子』を発行した。幼名虎吉、通称文夫・文機。1842年から1872年まで、村田家の養子でいた。号に雨荘・簾雨・秋野人。
狩野 旭峰(かのう きょくほう、1832年(天保3年) - … 狩野 旭峰(かのう きょくほう、1832年(天保3年) - 1925年(大正14年))は、日本の漢学者・漢詩人・ジャーナリスト。 出羽国秋田郡大館町に狩野与十郎長安の子として生まれた。本名は良貴、通称は徳蔵。狩野氏は、山形を本拠地とする最上氏が江戸幕府によって改易されたのち、久保田藩(本城は久保田城)の支城のあった大館の佐竹西家に仕えた。1849年(嘉永2年)、18歳で江戸に出て、塩谷宕陰に学び、以降5年のあいだ、古賀謹一郎、藤森弘庵、田口江村らに学んだ。のち、久保田藩江戸邸の学問所「日知館」の教授を務めた。 内務省に入った兄狩野良知の推挙で、明治7年(1874年)、遐邇新聞(現在の秋田魁新報)の創刊にかかわり、その編集長(のち主幹)となって明治初年の秋田言論界をリードした。
デーモン閣下(デーモンかっか、紀元前98038年11月10日… デーモン閣下(デーモンかっか、紀元前98038年11月10日 - 、英語表記:His Excellency Demon Kakka)は、日本の音楽家、マルチタレント、ジャーナリスト。ロックバンド聖飢魔IIのボーカリスト。POWERPLAY所属。早稲田大学社会科学部卒業。デーモン小暮(1985年)、デーモン小暮閣下(2000年)、デーモン閣下(2010年以降)と名称を変更している。通称は、デーモン、閣下。自身は人間の体を借りた悪魔と自称しており、生年月日は「紀元前98038年11月10日」だとしている。「世を忍ぶ仮の姉」はTBSテレビ元報道キャスターの小暮裕美子。 「紀元前98038年11月10日に発生、地獄の都Bitter Valley地区出身」を称する、前地獄副大魔王にして悪魔教教祖。
北芝 健(きたしば けん、生年未公表10月22日 - )は、… 北芝 健(きたしば けん、生年未公表10月22日 - )は、元警視庁刑事で日本の警察ジャーナリスト・漫画原作者・作家・空手家、犯罪心理学者。 日本経済大学大学院講師(「パブリックインテリジェンス研究」)。 生年は公表されていない。 東京都葛飾区出身。父は内科医、母は小児科医。早稲田大学卒業。貿易会社に勤務ののち警察官となる。 警察学校初任科を修了後、所轄署派出所を経て、刑事講習を受ける。その間に選挙取締本部、特別捜査本部での捜査を経験。 その後警視庁語学研修、公安講習を経て公安警察に配属され、外国要人の警護なども担当する。 早稲田大学大学院にて犯罪社会学研究のため退職。その後、警視庁OB団体に所属。
渡邉 裕二(わたなべ ゆうじ、8月28日 - )は、日本の芸… 渡邉 裕二(わたなべ ゆうじ、8月28日 - )は、日本の芸能ジャーナリスト、プロデューサー、経営者である。株式会社文化通信社及び、株式会社文化通信エンターテイメント代表取締役社長。 静岡県御殿場市出身。大学卒業後、タレント養成所、広告代理店を経て文化通信社に入社。 富士山で酒井法子ののりピーグッズ展開「のりピーハウス」を展開した。 ロシアのデュオ、T.A.T.u.の日本デビューに向けて動いた。モスクワでは赤の広場で無許可で行ったデモ行進の模様を日本に伝えたが、その際にT.A.T.u.は逮捕されたことを東京スポーツなどで報じる。 レディー・ガガやテイラー・スウィフトの日本デビューに向けて動いた人物としてレコード会社の信頼を得ている。
佐々木 恒美(ささき つねみ)は、日本のジャーナリスト。河北… 佐々木 恒美(ささき つねみ)は、日本のジャーナリスト。河北新報社論説委員長。
小池かおる(こいけかおる)は、ロサンゼルス在住の映画ジャーナ… 小池かおる(こいけかおる)は、ロサンゼルス在住の映画ジャーナリスト、レポーター。
上杉 隆 は、日本のジャーナリスト、実業家、政治活動家、作家… 上杉 隆 は、日本のジャーナリスト、実業家、政治活動家、作家、僧侶。 株式会社NOBORDER社主。NOBORDER NEWS TOKYO解説委員。
大矢 アキオ(おおや アキオ、Akio Lorenzo Oy… 大矢 アキオ(おおや アキオ、Akio Lorenzo Oya、本名:大矢 晶雄)は、イタリア・シエーナ在住の日本人ジャーナリスト、コラムニスト。大矢アキオ ロレンツォの筆名ももつ。
前田 有花(まえだ ゆか)は、日本の元経済ジャーナリスト。テ… 前田 有花(まえだ ゆか)は、日本の元経済ジャーナリスト。テレビ東京報道局、編成局宣伝部を経て総合マーケティング局総合プロモーション部副部長を務める。
有本 香 は、日本のジャーナリスト、政治活動家、編集プロダク… 有本 香 は、日本のジャーナリスト、政治活動家、編集プロダクション「ウィンウィン」代表。日本保守党代表代行・事務総長。
生駒芳子(いこまよしこ)は、日本のファッション・ジャーナリス… 生駒芳子(いこまよしこ)は、日本のファッション・ジャーナリスト、アート・プロデュース、工芸ブランドHIRUME総合プロデュース。 有限会社UNDERGROUND(モデル冨永愛個人事務所)代表。経済産業省:日本ものづくり大賞選考委員。内閣府:クール・ジャパン官民連携プラットフォーム構成員。内閣府・消費者委員会委員。カルチャービジョンジャパン アドバイザー。三重テラス クリエイティブ・ディレクター。東京都・江戸東京きらりプロジェクト委員。東京ブランドあり方検討会委員。石川県・伝統産業開発プロジェクトプロデューサー。LEXUS NEW TAKUMI PROJECTメンター。東京2020ブランドアドバイザリーグループ委員。
須田 桃子 は、日本のジャーナリスト。東京農工大学特任教授。… 須田 桃子 は、日本のジャーナリスト。東京農工大学特任教授。元毎日新聞記者、元NewsPicks副編集長。東京工業大学非常勤講師や東京農工大学客員准教授も務めた。科学、医療、科学技術行政などを取材し、多くの賞を受賞している。
陳 独秀(ちん どくしゅう)は、中華民国の革命家・ジャーナリ… 陳 独秀(ちん どくしゅう)は、中華民国の革命家・ジャーナリスト・政治家。字は仲甫、号は実庵。中国共産党の設立者の一人で、初代総書記に選出された。
太 勇次郎 は、日本のジャーナリスト。日本放送協会記者で同協… 太 勇次郎 は、日本のジャーナリスト。日本放送協会記者で同協会解説委員。ボーン・上田記念国際記者賞受賞。