弦本 悠希(つるもと ゆうき、1989年6月16日 - )は… 弦本 悠希(つるもと ゆうき、1989年6月16日 - )は、大阪府和泉市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 和泉市立池上小学校・和泉市立富秋中学校と、地元の小中学校で学び、高校は徳島県の生光学園高校へと進学した。 生光学園では、3年次にはエースナンバーを背負う。最後の夏は徳島大会で準決勝へ進出するも、この年の優勝校である徳島商高に延長13回にも及ぶ激闘の末に敗退した。高校卒業後は大阪商業大学に入学するも中退。 2009年に四国・九州アイランドリーグの徳島インディゴソックスに入団。2009年は12試合に登板して勝敗・セーブなしで防御率2.38、2010年は主にリリーフとして37試合に登板し、1勝3敗13セーブ、防御率2.32の成績だった。
東明 大貴(とうめい だいき、1989年6月15日 - )は… 東明 大貴(とうめい だいき、1989年6月15日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。 小学生時代に地元の厚見スポーツ少年団に所属したが、チームは6年間に3回しか勝てなかった。厚見中学校で軟式野球部に所属した後に、富田高へ進学。1年の秋からエースになったが、高校時代は地方大会で一度も初戦を突破できなかった。 スポーツ推薦ではなくAO入試で桐蔭横浜大学へ進学すると、神奈川大学野球のリーグ戦に1年時の春から登板。後に球速を大きく伸ばすなど急成長を遂げ、同年の秋季リーグ戦では、ベストプレーヤー賞を受賞した。2年時の春には、チームをリーグ戦初優勝と全日本大学野球選手権大会への進出に導いたが、故障のため選手権大会では登板の機会はなかった。
渥美 万奈(あつみ まな、 1989年6月15日 - )は、… 渥美 万奈(あつみ まな、 1989年6月15日 - )は、静岡県浜松市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。元トヨタ自動車レッドテリアーズ所属。元ソフトボール日本代表。2021年開催の東京オリンピック金メダリスト。 浜松市立曳馬中学校、常葉学園菊川高等学校卒業。 2008年、トヨタ自動車に入団。 2013年にCanada Cup International Softball Championship、2016年にカナダのサレーで開催された第15回世界女子ソフトボール選手権と2018年に千葉県で開催された第16回世界女子ソフトボール選手権に出場した。第15回と第16回世界女子ソフトボール選手権では銀メダルを獲得した。
中溝 雄也(なかみぞ ゆうや、1989年6月14日 - )は… 中溝 雄也(なかみぞ ゆうや、1989年6月14日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(捕手)。現在は千葉ロッテマリーンズの球団職員。 小学2年生の時、中山ヤンガースで野球を始める。 横浜市立中山中学校時代は軟式野球部に所属し、主将として活躍。また4年上には高校の先輩でもある加藤幹典が、2年上には大学でもバッテリーを組む加藤貴大の加藤兄弟も所属していた。 川和高校時代には、1年生秋よりレギュラーとして活躍する。3年生夏の第89回全国高等学校野球選手権大会では 横浜高校の俊足打者・髙濱卓也の盗塁を刺すなど活躍し、川和高校野球部の創部以来初となる神奈川県大会ベスト8進出に貢献した。 高校卒業後は、一般入試で明治学院大学に進学。
武藤 祐太(むとう ゆうた、1989年6月14日 - )は、… 武藤 祐太(むとう ゆうた、1989年6月14日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。
石田 隆司(いしだ たかし、1989年6月13日 - )は、… 石田 隆司(いしだ たかし、1989年6月13日 - )は、大阪府枚方市出身の元プロ野球選手(投手)。
清原 大貴(きよはら だいき、1989年6月11日 - )は… 清原 大貴(きよはら だいき、1989年6月11日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学校時代の同級生にはフリークライマーの野口啓代がいる。 小学校3年時に竜ケ崎リトルで野球を始める。 中学生(竜ヶ崎シニア)時代には投手として関東シニア三羽烏と呼ばれるまで成長し、卒業後は2学年上の兄を追い常総学院高校へ進学。下級生の時は主に三塁手として主軸を打ち、2年春に投手に転向。同年夏に投手兼内野手として第88回全国高等学校野球選手権大会に出場し、初戦の対今治西戦で代打として安打を放ちリリーフとして好投するも敗北。エースとなった3年時には部内暴力や野球特待生問題で約半年間の活動停止処分を受けながらも、処分明けの練習試合では強豪校相手に6試合連続完封勝利を収め、プロ注目の選手として名が挙がるようになる。
馬淵 烈(まぶち つよし、1989年6月5日 - )は、高知… 馬淵 烈(まぶち つよし、1989年6月5日 - )は、高知県須崎市出身の元社会人野球選手、野球指導者。 父親は高校野球の名将としても知られる、明徳義塾高校硬式野球部監督の馬淵史郎。 父が監督を務める明徳義塾高校ではエースで主将として活躍。 高校卒業後は東都大学野球連盟所属の拓殖大学に進学。三塁手として活躍し、4年秋には24年ぶりのリーグ2部優勝を果たす。 大学卒業後は岡山県の自動車販売店・シティライトに入社し、同社の野球部・シティライト岡山に入部。ここで4シーズンプレーし、2014年にはチーム主将も務めたが、同年のシーズン終了後に退部。 2015年からは再び母校の拓殖大学に戻り、コーチを務める。
副島 浩史(そえじま ひろし、1989年5月31日 - )は… 副島 浩史(そえじま ひろし、1989年5月31日 - )は日本の元アマチュア野球選手(内野手)・高校野球指導者。 北川副小学校4年生のときから野球を始め、城南中学校では軟式野球部に所属し、全国大会3位となる。小中学校時代のチームメイトに髙濱卓也がいる。 佐賀北高校の1年秋にレギュラーを勝ち取り、2007年の3年時に第89回全国高等学校野球選手権大会に出場し、3番・三塁手を務める。決勝戦では8回裏に対戦相手であった広陵高校の野村祐輔から左翼席へ逆転満塁本塁打を放ち、佐賀北高校の夏の甲子園初優勝に大きく貢献した。 また同年の日米親善高校野球大会の代表選手にも選出された。 高校卒業後は福岡大学に進学し、2012年に同大学のスポーツ科学部スポーツ科学科を卒業した。
金伏 ウーゴ(かなぶし ウーゴ、1989年5月22日 - )… 金伏 ウーゴ(かなぶし ウーゴ、1989年5月22日 - )は、ブラジルパラナ州アルト・パラナ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 日系三世で、ブラジル国籍を有する。ただし、日本国内の大学(白鷗大学)に4年間在籍した後に、ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズへ入団した。そのため、NPBでは外国人枠が適用されず、日本人選手と同じ扱いを受けている。 2012年と2016年以降は、名前の「ウーゴ」を登録名に使用していた。 5歳から野球を始め、14歳の時に硬式野球世界大会のブラジル代表に4度選出された。2004年に日本で開催された大会では、団体3位、個人ではベストナインに選出され、その活躍をスカウトに認められ来日した。
阿部 和成(あべ かずなり、1989年5月19日 - )は、… 阿部 和成(あべ かずなり、1989年5月19日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学1年時に大牟田イーグルスで軟式野球、5年時に投手を始める。6年時には、エースとして福岡県大会へ出場した。 田隈中学校への進学後に軟式野球部に所属すると、2年時の秋にチームを福岡県大会準決勝へ導いた。当時から県内屈指の好投手として評価されていたため、複数の高校から入学を勧誘されたが、実際には地元の大牟田高等学校へ進学。1年時の夏からエースとして活躍した。2年時の秋に福岡県大会優勝・九州大会準優勝を成し遂げたことから、3年時の春に第79回選抜高等学校野球大会へ出場。佐野日本大学高等学校との1回戦では、先発で8回3分の1を投げて7失点で敗れたものの、自責点は0であった。
斉藤 彰吾(さいとう しょうご、1989年5月14日 - )… 斉藤 彰吾(さいとう しょうご、1989年5月14日 - )は、埼玉県春日部市出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 小学2年から野球を始める。葛飾中学時代は庄和シニアで1番・中堅手としてプレーし、3年夏に全国大会ベスト8。また、中学時代には砲丸投で全国大会に出場している。 春日部共栄高等学校へ進学後は1年春の関東大会で早くも左翼手のレギュラーとなり、夏の埼玉県大会決勝で木村文和に4三振を喫すものの、8番・左翼手で第87回全国高等学校野球選手権大会に出場。しかし初戦で中田翔、辻内崇伸、平田良介らを擁する大阪桐蔭高等学校に敗退した。中軸として迎えた2006年は、春夏ともに県大会準々決勝で増渕竜義を擁した埼玉県立鷲宮高等学校に無安打に抑え込まれ敗北。
山崎 正貴(やまざき まさたか、1989年5月9日 - )は… 山崎 正貴(やまざき まさたか、1989年5月9日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 市立船橋高校では当初は内野手であり、1年秋には内野手としてベンチ入りしていたが、2年春に地肩の強さを活かして投手へ転向、最速147キロをマークし、岩嵜翔との2枚看板として活躍する。3年夏には背番号10番で第89回全国高等学校野球選手権大会に出場。文星芸大附属高校戦では4番に座り先発のマウンドに上るも、佐藤祥万の前に0-5で初戦敗退。 秋に行われた2007年の高校生ドラフトでオリックス・バファローズから4巡目指名を受け入団。この際、チームメイトの岩嵜は外れ1巡目指名で福岡ソフトバンクホークスに入団している。
伊藤 隼太(いとう はやた、1989年5月8日 - )は、愛… 伊藤 隼太(いとう はやた、1989年5月8日 - )は、愛知県瀬戸市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。右投左打。 小学1年時から野球を始め、投手・遊撃手としてプレー。中学時代から愛知長久手ボーイズにて外野手を務める。 愛知県名古屋市の中京大中京高校へ進学。1年秋からレギュラーに定着すると、2年時の秋から4番を務めた。3年生夏の全国大会には、愛知県予選決勝で愛工大名電高に敗れた。高校通算で29本塁打を記録した。野球部の2年後輩に堂林翔太(広島東洋カープ)がいる。 慶應義塾大学環境情報学部に進学後は、1年春から東京六大学野球のリーグ戦に出場する。2年時には、春のリーグ戦からレギュラーに定着。
坂本 大空也(さかもと たくや、1989年5月7日 - )は… 坂本 大空也(さかもと たくや、1989年5月7日 - )は、茨城県稲敷市出身の元プロ野球選手(外野手)。 稲敷市立新東小学校3年から、あずま東部イーグルスで投手兼外野手として野球を始める。稲敷市立東中学校時代は軟式野球部に所属。 市立柏高へ進学すると、1年時の夏から外野手のレギュラーとして活躍。2007年、夏の千葉大会は準々決勝敗退。高校生としては群を抜く打球の飛距離で、高校通算55本塁打をマーク。100m11秒台の俊足であった。 2007年10月3日の高校生ドラフトで横浜ベイスターズに5巡目指名を受け、契約金3000万円、年俸460万円で入団。 1年目の2008年は二軍で8試合に出場したのみ。
杉本 昌都(すぎもと まさと、1989年4月28日 - )は… 杉本 昌都(すぎもと まさと、1989年4月28日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 兵庫県姫路市出身。中学校時代は、兵庫播磨リトルシニアで全国大会で準優勝している。 水戸短大附高では、強肩強打の大型捕手として活躍するも、2007年夏の茨城県大会では2回戦敗退。同年のドラフト会議にて横浜ベイスターズから育成2巡目指名を受け、支度金200万円、年俸240万円で契約を結んだ。横浜では関口雄大とともに初の育成選手である。 恵まれた体格から右方向にも打てる長打力と遠投115メートルの強肩による正確なスローイングが自慢。高校通算本塁打26本。 水戸短大附高からのプロ野球選手輩出は春田剛、会澤翼に次いで3年連続となった。
荒張 裕司(あらはり ゆうじ、1989年4月24日 - )は… 荒張 裕司(あらはり ゆうじ、1989年4月24日 - )は、大阪府高石市出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手、二塁手)。
伊藤 光(いとう ひかる、1989年4月23日 - )は、オ… 伊藤 光(いとう ひかる、1989年4月23日 - )は、オリックス・バファローズに所属する愛知県岡崎市出身のプロ野球選手(捕手、内野手)。
中田 翔(なかた しょう、1989年4月22日 - )は、広… 中田 翔(なかた しょう、1989年4月22日 - )は、広島県広島市中区出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズに所属。
丹羽 将弥(にわ まさや、1989年4月18日 - )は、愛… 丹羽 将弥(にわ まさや、1989年4月18日 - )は、愛知県海部郡佐屋町(現:愛西市)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 愛知県海部郡佐屋町(現:愛西市)出身。永和小3年時に永和クラブで投手として野球を始める。永和中学時代には硬式野球の西尾張ドリームスに所属。岐阜城北高時代は1年生から中軸を打ち、2年生では選抜高等学校野球大会に4番打者として出場し、岐阜県勢としておおよそ半世紀ぶりとなるベスト4進出に貢献した。 3年夏は県大会の準決勝で敗退したものの、5月に対戦したブラジル高校選抜と対戦し長良川球場で140メートル越えの場外HRを放ったことがスカウトの目に止まった。 2007年に高校生ドラフト1位(中田翔の外れ1位)で入団。
熊代 聖人(くましろ まさと、1989年4月18日 - )は… 熊代 聖人(くましろ まさと、1989年4月18日 - )は、愛媛県上浮穴郡久万高原町出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。
関口 将平(せきぐち しょうへい、1989年4月14日 - … 関口 将平(せきぐち しょうへい、1989年4月14日 - )は、香川県小豆郡小豆島町出身の元プロ野球選手(投手)。
柴田 章吾(しばた しょうご、1989年4月13日 - )は… 柴田 章吾(しばた しょうご、1989年4月13日 - )は、三重県いなべ市出身の元プロ野球選手(投手・育成選手)。
丸 佳浩(まる よしひろ、1989年4月11日 - )は、千… 丸 佳浩(まる よしひろ、1989年4月11日 - )は、千葉県勝浦市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 小学3年からソフトボールを始める。勝浦市立勝浦中学校時代は軟式野球で投手と遊撃手を兼任した。子供の頃は巨人ファン(父親が長嶋茂雄のファンでもあった)であり、東京ドームで見た川相昌弘の本塁打が印象に残ったという。 高校は千葉経済大学附属高等学校に進学。2年時の2006年夏に千葉大会を優勝。第88回夏の甲子園では、1回戦で八重山商工(沖縄)と対戦し、「3番・右翼手」で出場。延長戦で敗れたが、相手エースの大嶺祐太から安打を記録している。 その後は肩と精神面の強さを買われて投手に転向し、エースとしてチームを牽引。
三上 朋也(みかみ ともや、1989年4月10日 - )は、… 三上 朋也(みかみ ともや、1989年4月10日 - )は、岐阜県多治見市出身のプロ野球選手(投手)。横浜DeNAベイスターズ所属。
大平 成一(おおひら せいいち、1989年4月8日 - )は… 大平 成一(おおひら せいいち、1989年4月8日 - )は、長崎県東彼杵郡東彼杵町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 波佐見高時代は、高校通算31本塁打を記録。[要出典] 2007年のプロ野球高校生ドラフト会議にて、北海道日本ハムファイターズから4位指名を受け入団。 一軍出場のないまま、2011年11月10日に戦力外通告を受けた。 2012年1月25日、BCリーグの信濃グランセローズに入団した。2012年には最多本塁打のタイトルを獲得し、ベストナインにも2012年と2014年の二度選ばれた。なお2011年から6年連続で12球団合同トライアウトに参加している。 2017年のシーズン終了後、信濃を退団(任意引退)した。
木谷 良平(きや りょうへい、1989年4月7日 - )は、… 木谷 良平(きや りょうへい、1989年4月7日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身のプロ野球選手(投手)。
屋宜 照悟(やぎ しょうご、1989年3月29日 - )は、… 屋宜 照悟(やぎ しょうご、1989年3月29日 - )は、沖縄県うるま市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 中部商業高校時代には甲子園球場の全国大会と無縁で、3年夏の選手権沖縄大会決勝では、大嶺祐太擁する八重山商工高校に3 - 7というスコアで敗れた。 国士舘大学への進学後は、1年時の春から、東都大学野球の2部リーグ戦に登板。3年時には、春季に2部で最下位を経験しながら、秋季には2部優勝と入れ替え戦での勝利により、チームが30季ぶりの1部昇格を果たした。4年時には、春季に1部で5位にとどまったものの秋季の最下位と入れ替え戦での敗北により、チームは1年で2部へ降格。1部リーグ通算、10試合1勝4敗、防御率3.29。
福山 博之(ふくやま ひろゆき、1989年3月27日 - )… 福山 博之(ふくやま ひろゆき、1989年3月27日 - )は、島根県雲南市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 雲南市立大東中学校時代に、野球部の二塁手として島根県大会での優勝を経験。島根県立大東高等学校への進学後も、二塁手として1年春からレギュラーの座を確保すると、2年秋に県大会3位で中国大会へ出場している。しかし、高校在学中は、春夏とも甲子園球場の全国大会へ出場できなかった。 大阪商業大学に一般入試で進学すると、二塁手から投手へ転向。「高校時代は投手だった」と嘘をついた末の転向ながら、1年時の秋から関西六大学野球のリーグ戦で登板した。3年時には、春季リーグ戦を3勝無敗で終えると、秋季リーグ戦ではエースとして6勝3敗を記録。
高塩 将樹(たかしお まさき、1989年3月24日 - )は… 高塩 将樹(たかしお まさき、1989年3月24日 - )は、神奈川県横浜市保土ケ谷区出身のプロ野球選手(投手)。中華職業棒球大聯盟(CPBL)の統一ライオンズ所属。 横浜市立西谷中学校在学中は中本牧シニアに所属し、藤沢翔陵高等学校を経て神奈川大学に進学するも、野球部には所属せず4年次からクラブチームの横浜金港クラブに入り、2011年に開催された第36回全日本クラブ野球選手権大会準々決勝の関西メディカルスポーツ学院戦でノーヒットノーランを達成。 2011年のベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)のドラフトで富山サンダーバーズから1巡目指名を受け、入団。2012年から2014年まで3シーズン在籍し、24勝18敗を記録した。
遠藤 一星(えんどう いっせい、1989年3月23日 - )… 遠藤 一星(えんどう いっせい、1989年3月23日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。 新宿区立大久保小学校1年の時に野球を始め、新宿区立新宿中学校時代は川崎中央リトルシニアに所属。 駒場学園高等学校では東東京大会ベスト4が最高で甲子園出場経験はなし。3年次の2006年にはプロ志望届を提出したがプロからの指名はなかった。 進学した中央大学では1部通算64試合に出場し、199打数42安打、打率.211、1本塁打、23打点、13盗塁の成績を残した。大学の同期に澤村拓一がいる。 大学卒業後は東京ガスに入社し野球部に入部。2014年は都市対抗野球でベスト8。9月、仁川アジア大会の野球日本代表に選ばれ出場。
山田 弘喜(やまだ ひろき、1989年3月23日 - )は、… 山田 弘喜(やまだ ひろき、1989年3月23日 - )は、大阪府東大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校4年生の時、少年野球チームジュニアコンドルズで外野手として野球を始める。 地元の東大阪市立高井田中学校に進学。軟式野球部に所属し、投手に転向。 自宅から近い、手に職をつけたいという理由で、大阪府立城東工業高等学校に進学。野球部に入ったのは、たまたま進学先にあったからという。1年生の秋から背番号18でベンチ入り。 2006年夏、地区予選1回戦ながら、対福泉高校との試合で準完全試合(8回コールドの参考記録)を達成。コールドにつながる打点は、自らのバットによるもの。この時の福泉のエースは宮田和希であった。
中村 恵吾(なかむら けいご、1989年3月23日 - )は… 中村 恵吾(なかむら けいご、1989年3月23日 - )は、山口県山陽小野田市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。NPBでは育成選手であった。 宇部鴻城高校を経て、神奈川大学に進学。高校時代には、3年時に主将を務めたが、春夏とも全国大会に出場できなかった。大学時代にも、ケガの影響で神奈川大学リーグ公式戦への登板が1試合にとどまった。 大学4年生の秋には、リーグ戦へのベンチ登録を果たせなかった。しかし、野球を諦められなかったことから、独立リーグであるBCリーグのトライアウトを受験。その結果、トライアウト後の2012年ドラフト会議で、富山サンダーバーズからの指名を受けて入団に至った。 2013年には、リーグ戦12試合に登板。
秋吉 亮(あきよし りょう、1989年3月21日 - )は、… 秋吉 亮(あきよし りょう、1989年3月21日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学1年生の時に足立ジュニアヤンガースに入団。6年生の時に関東大会優勝を果たしている。足立区立江北中学校へ進学後は、同校の軟式野球部と軟式クラブ足立ヤンガースに所属。内野手、外野手をこなしつつ、2年生の時には捕手に指名されたという。 中学卒業後は「試合に出ることを考えて選んだ」という理由として東京都立足立新田高等学校へ進学。1年時の頃から一塁手としてスタメンへ定着、後に投手へ転向しエースとして活躍。2年生の秋の大会では早稲田実業高校と対戦し1対3で敗れはしたが、中盤まで早実打線をノーヒットに抑える好投。
大場 達也(おおば たつや、1989年3月10日 - )は、… 大場 達也(おおば たつや、1989年3月10日 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 中学時代は肩が強い外野手であり、ハンドボールの強豪高校から誘いを受けたこともあった。 市立川崎高に進学すると投手に転向。最速144km/hを記録するも、制球難もあり全国的には無名であった。3年時の夏は神奈川県予選3回戦で慶應藤沢高に3-8で敗れた。甲子園出場経験は無し 高校卒業後は、母親の負担を考え、実家から通えてアルバイトもできるという理由から鶴見大学に進学。神奈川大学野球連盟に加盟している野球部に入部する。1年時の秋から公式戦に登板するが、2年時までアルバイトに明け暮れ、野球には真面目に取り組んでいなかった。
西嶋 一記(にしじま かずき、1989年2月28日 - )は… 西嶋 一記(にしじま かずき、1989年2月28日 - )は、神奈川県出身の元野球選手(投手)。
矢野 みなみ(やの みなみ、1989年2月26日 - )は、… 矢野 みなみ(やの みなみ、1989年2月26日 - )は、福岡県出身で、日本女子プロ野球機構(JWBL)に所属する女子プロ野球選手。ポジションは投手。右投右打。
福田 秀平(ふくだ しゅうへい、1989年2月10日 - )… 福田 秀平(ふくだ しゅうへい、1989年2月10日 - )は、神奈川県横浜市緑区(現:青葉区)出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。 神奈川県横浜市で生まれ、3歳から水泳を始め、10歳の時に背泳ぎ部門でジュニアオリンピック代表候補になるほど成長した。同時期にサッカー部にも所属し、サッカー・水泳の指導者からの引き留めに会ったが最終的に野球を選択した。野球は佐賀県唐津市出身で唐津東高校で3年時に佐賀県大会ベスト4に進んだ父からも厳しい指導を受けた。横浜市立谷本小学校1年生の時に、藤が丘ファイヤーズに入り軟式野球を始め、投手と遊撃手を兼任し、6年生では主将も務めた。横浜市立緑が丘中学校在学中は、世田谷ボーイズで硬式野球を始め、主に遊撃手を守った。
柴田 健斗(しばた けんと、1989年2月8日 - )は、愛… 柴田 健斗(しばた けんと、1989年2月8日 - )は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学3年から野球を始め、一宮北部中時代は愛知江南ボーイズに所属していた[要出典]。 中京大中京高校では1年時からベンチ入り。1年夏には控え捕手として甲子園に出場し、準々決勝進出を経験している。その後は内野手・投手として起用され、3年春の大会後に正捕手の座を獲得。3年夏は愛知高に2対4で敗れ県大会4回戦敗退に終わった[要出典]。 中京大学進学後1年時は捕手を務め、その後投手として活躍。中継ぎ・抑えで1部リーグ通算10試合に起用された。4年春に最下位転落、入替戦連敗を喫し、同年秋は15季ぶりの2部リーグで救援1試合に登板。
延江 大輔(のぶえ だいすけ、1989年2月3日 - )は、… 延江 大輔(のぶえ だいすけ、1989年2月3日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(投手)。
土井 健大(どい けんた、1989年1月24日 - )は、兵… 土井 健大(どい けんた、1989年1月24日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元プロ野球選手(捕手・内野手)。
小林 寛(こばやし ひろし、1989年1月21日 - )は、… 小林 寛(こばやし ひろし、1989年1月21日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(投手)。2018年シーズンからは、社会人野球のJFE西日本硬式野球部でプレーを続けた。 広島県福山市立西深津小学校2年時にソフトボールを始めた。大阪府内への転居を経て、大阪市立生魂小学校3年生の時から天王寺リトル、堺市立浜寺小学校6年生の時に浜寺ボーイズでプレー。堺市立浜寺南中学校への進学後は、高石ボーイズに所属した。 島根県の江の川高校に進学後は、2年生の春からベンチ登録。2年生の夏に控え投手として第87回全国高等学校野球選手権大会で甲子園出場を果たすと、初戦(1回戦)の静清工業高校戦に救援で登板した。
南 昌輝(みなみ まさき、1989年1月18日 - )は、千… 南 昌輝(みなみ まさき、1989年1月18日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属する和歌山県海南市出身のプロ野球選手(投手)。妻は歌手の柴田あゆみ[2]。
阿部 俊人(あべ としひと、1988年12月23日 - )は… 阿部 俊人(あべ としひと、1988年12月23日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球解説者。右投左打。 両親の地元である仙台市内の病院で出生後に、東京都練馬区で育った。練馬区立田柄中学校時代は、和光シニアに所属。花咲徳栄高校では3年の夏に埼玉県大会準々決勝で赤坂和幸がいた浦和学院高校に敗れた。 東北福祉大学へ進学すると1年春から出場機会を得て、ショートで4度のベストナインに輝き、6度の全国大会出場に貢献。日本代表として国際大会へも出場しており、4年次には主将を務めた。2010年の仙台六大学野球秋季リーグ戦では、打率.424、12盗塁を記録し、東北福祉大学9季連続59度目の優勝に貢献し、最優秀選手賞を受賞した。
山中 達也(やまなか たつや、1988年12月23日 - )… 山中 達也(やまなか たつや、1988年12月23日 - )は、香川県坂出市出身のプロ野球選手(投手)。
島崎 望(しまさき のぞみ、1988年12月18日 - )は… 島崎 望(しまさき のぞみ、1988年12月18日 - )は、佐賀県出身の女子ソフトボール選手(外野手)。元Honda所属。 中学時に全国中学校ソフトボール大会で3位、佐賀女子短期大学付属佐賀女子高等学校では2006年にインターハイ優勝。 卒業後の2007年に、高校のチームメイトであった又吉薫と共にホンダに入団。日本リーグでは2010年にベストナイン、2014年からは3年連続で盗塁王に輝いた。 日本代表には2013年に初招集。東アジアカップやUSAワールドカップなどに出場した。 2016年のシーズン終了をもって現役引退した。
中元 勇作(なかもと ゆうさく、1988年12月12日 - … 中元 勇作(なかもと ゆうさく、1988年12月12日 - )は、広島県竹原市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 近畿大学工学部に進学すると、4年秋に3完封6勝、防御率0.35の成績を残し、MVP、投手ベストナインの2冠を獲得する。大学卒業後、伯和ビクトリーズに入社。 2014年のドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズから5位指名を受けて入団。 2015年5月1日に一軍初昇格が予定されたが、怪我のため昇格は見送られた。また、7月7日のイースタンリーグ対楽天戦では、チーム内で怪我人等が相次ぎ、野手が不足したため投手登録ながら代走として出場している。 2016年10月1日、戦力外通告を受け引退した。
宮﨑 敏郎(みやざき としろう、1988年12月12日 - … 宮﨑 敏郎(みやざき としろう、1988年12月12日 - )は、佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 小さいころから父とキャッチボールをし、長松小6年生のときから本格的に野球を始める。硬式でのプレーを望み、小学6年生のときからボーイズリーグに所属する唐津スカイヤーズに入団し、唐津第一中時代も同チームでプレーした。 佐賀県立厳木高等学校在学中には、1年生の春から投手でベンチ登録。2年生の夏から「4番・投手」を務めるとともに、公式戦で通算24本塁打を記録したが、春夏秋を通じて全国大会と縁が無かった。 日本文理大学への進学後には、1年生の秋から三塁手のレギュラーに定着。
宮﨑 敏郎(みやざき としろう、1988年12月12日 - … 宮﨑 敏郎(みやざき としろう、1988年12月12日 - )は、佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。現在は横浜DeNAベイスターズに所属。
丸山 和馬(まるやま かずま、1988年12月10日 - )… 丸山 和馬(まるやま かずま、1988年12月10日 - )は、東京都世田谷区生まれの元プロ野球選手(内野手、外野手)、野球指導者。 中学時代は目黒西シニアに所属し、2003年には春季関東大会優勝・全国大会には春(大阪府)・夏(東京都)・記念大会(北海道)と3度出場。[要出典]2003年にはBFJ日本代表(東京城南ブロック選抜)の一人として選出され、オーストラリアで開かれた第2回KOALA CUPに参加する。この遠征に単独チームで参加した緑中央シニアには福田永将(現・中日ドラゴンズ)と下水流昂がいた。大会は全日本野球連盟とオーストラリア野球連盟が合同で主催し、運営はBFJインターナショナルとクイーンズランド州野球連盟と全日本リトル野球協会が合同でおこなった。