はにべ あゆみ(1950年12月25日 - )は、劇団東京乾… はにべ あゆみ(1950年12月25日 - )は、劇団東京乾電池所属の女優。大阪府大阪市出身。旧芸名は土部 歩(はにべ あゆみ)。 大阪府立高津高等学校、桐朋学園大学演劇科卒業。大学卒業後の1973年、劇団民藝に入団。1976年、『俺たちの朝』(日本テレビ)でドラマ初レギュラー。 劇団民藝在団中に文化庁在外研修員として留学し、歌のレッスンを積むなどして、ミュージカルの道を志して劇団四季のオーディションを受ける。 2003年、劇団四季に入団。『アンデルセン』のセリーヌ役で初舞台。 2018年、劇団東京乾電池に入団。
ホーン・ユキ(1950年〈昭和25年〉12月16日 - )は… ホーン・ユキ(1950年〈昭和25年〉12月16日 - )は、神奈川県横浜市生まれ、東京都国立市育ちの元アイドル、女優。元夫は俳優の入川保則。身長166cm、B90cm、W60cm、H90cm(1975年5月)。 東京都立日野高等学校卒業(第1期生。1年後輩に忌野清志郎と三浦友和がいる)。父親はアメリカ人、母親は日本人。日本育ち。 元々、歌や踊りが好きで、大学受験に落ちて浪人中にスクールメイツの募集広告を見て、スクールメイツに入る。1971年に元からスクールメイツにいた3人と渡辺プロダクションの4人組アイドルグループ「ザ・シュークリーム」のメンバーとしてデビューした。同じナベプロのゴールデン・ハーフに対抗するグループだった。
江崎 英子(えざき えいこ、1950年12月12日 - )は… 江崎 英子(えざき えいこ、1950年12月12日 - )は、福岡県久留米市出身の日本の女優、歌手。別芸名・江崎 由梨。 宝塚音楽学校卒業。1960年代末に歌手としてデビュー。1969年に結成されたNHKのヤング101に第一期生として加入して、NHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』に第一回(1970年1月10日)から出演。江崎グリコに由来した「グリちゃん」の愛称で親しまれた。 1973年4月1日にヤング101を卒業した後は女優として活動し、テレビ東京系列の時代劇『大江戸捜査網』の不知火のお吉役、東宝映画『ルパン三世 念力珍作戦』の峰不二子役などで人気を博した。此の頃芸名を一時、江崎由梨に変えている。
新海 百合子(しんかい ゆりこ、1950年12月3日 - )… 新海 百合子(しんかい ゆりこ、1950年12月3日 - )は、日本の女優。本名、青井 百合子(あおい ゆりこ)。 東京都出身。自由学園卒業。MC企画を経て、舞プロモーション所属。東京演劇アンサンブル出身。 関西に移住後、テレビドラマの脇役などで活躍する。 フランス人女性から相談されたことがきっかけで、在日外国人が日本語劇に取り組む多国籍ボランティア演劇集団・不安透夢を結成、以来製作・演出を担当。関西を中心に活動し、1993年初の東京公演を計画、『四谷KAIDAN』を上演する。 特技は、ピアノ、ギター、フランス語、英語、スクーバダイビング。趣味は茶道、陶芸、料理、旅行。
渥美 マリ(あつみ まり、本名:渥美 まり恵、1950年11… 渥美 マリ(あつみ まり、本名:渥美 まり恵、1950年11月20日 - )は、日本の元女優。東京都目黒区自由ヶ丘出身。 別名義:渥美まり恵。改名歴は渥美マリ → 渥美まり恵 → 渥美マリ → 渥美まり恵。 父は大映第2期ニューフェイスの渥美進 で船越英二と同期。母も大映女優の若宮れいこ。兄弟は兄と弟が居り、弟は元俳優の渥美史朗で、1973年の映画『非情学園ワル 教師狩り』ではバーテン役を演じ、マリとの姉弟共演も果たした。 3歳から小学校6年生時まで、石井漠の下でバレエを習う。小学校6年生の時には、健康優良児として表彰されたことがあった。 大東学園高等学校の2年生だった1967年に、大映東京撮影所演技研究所19期生に合格。
三田 美枝子(みた みえこ、1950年11月19日 - )は… 三田 美枝子(みた みえこ、1950年11月19日 - )は、日本の女優。本名・小島 美枝子(こじま みえこ) 。旧姓名・三田 美枝子(さんだ みえこ)。夫は、コメディアン・俳優の小島三児。 神奈川県出身。相模女子大学高等部卒業。 高校卒業後に、歌手を志して和田弘の内弟子となる。その後、東京演劇アンサンブル養成所を経て、1970年にテレビドラマ『素足の女』でデビュー。1974年のプロフィールでは、芸能界入りの動機として、高校時代の同級生が劇団ひまわりに所属しており、その影響で演技に興味を持ったと答えている。 代表作は、1974年度放送の特撮テレビ作品『ウルトラマンレオ』(TBS)のMAC隊員・白川純子 役(ただし、第40話まで)。
由美 かおる(ゆみ かおる、1950年11月12日 - )は… 由美 かおる(ゆみ かおる、1950年11月12日 - )は、日本の女優。本名:西辻 由美子(にしつじ ゆみこ)。
南美川 洋子(なみかわ ようこ、本名:田島 薫、1950年1… 南美川 洋子(なみかわ ようこ、本名:田島 薫、1950年11月7日 - )は愛知県名古屋市出身の女優。 1950年11月7日、名古屋市千種区山門町に生まれる。父は名古屋市内で自動車学校を経営していた。 1954〜55年、椙山女学園大学附属幼稚園入園の時期に田島家は山門町から徒歩15分程度の山添町に転居。 1957年、自宅から徒歩5分の名古屋市立田代小学校入学。小学校3年生頃から児童劇団に所属、NHKの番組に出演した。 1963年3月、小学校卒業と同時に田島家は東京の杉並区和田に転居。4月から杉並区立和田中学校に入学、バレーボール部に入部して毎日日が暮れるまで厳しい練習に励んだ。二年時には部長に抜擢された。
堀越 陽子(ほりこし ようこ、女性、1950年(昭和25年)… 堀越 陽子(ほりこし ようこ、女性、1950年(昭和25年)11月4日 - )は、日本の女優。本名および旧芸名は堀越 光恵。東京都中野区出身。 1971年に『ミス着物』『ミス・アジア』に続けて選ばれる。 劇団四季の研究生を経て、1972年に東映入社。 「ポスト藤純子」として期待され、本名の堀越光恵名義で『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』、『仁義なき戦い 代理戦争』などに出演後、1974年(昭和49年)の『学生やくざ』から芸名を堀越陽子と改名。山下タダシ主演の『ザ・カラテ』シリーズで活躍。1976年(昭和51年)以降は以降はテレビドラマに活動の比重を移し、様々なジャンルの作品で活躍した。 1976年CX人間の條件で出征前の夫松平健に全裸を見せて欲しい、と言われオールヌードになった。
辺見 マリ(へんみ マリ、1950年〈昭和25年〉10月5日… 辺見 マリ(へんみ マリ、1950年〈昭和25年〉10月5日 - )は、日本の歌手・タレント・女優。本名:逸見 万里(読み同じ)。 神奈川県逗子市生まれで、2歳から京都府京都市育ち。消息不明となっている父親がスペイン系アメリカ人(陸軍将校)で母親が日本人。最終学歴は平安女学院高等学校卒業。 元夫は歌手の西郷輝彦で、西郷の籍へ入ったため婚姻期間中の戸籍上の姓は西郷の本名である「今川」(いまがわ)であった。長男はミュージシャンの辺見鑑孝(へんみのりたか)。長女はタレントの辺見えみり。 血液型はB型、身長162cm(または160cm)。B83cm、W60cm、H90cm(1982年2月時点)。 フジプランニングと営業預かり契約を結んでいる。
小林 千枝(こばやし ちえ、1950年9月30日 - )は、… 小林 千枝(こばやし ちえ、1950年9月30日 - )は、日本の元女優。出身地は東京都文京区本郷。 兄が一人いる。武蔵野高校2年在学中の1968年6月、第12期東映ニューフェイスに合格。同期に宮内洋や片山由美子らがいる。1969年高校を卒業。同年、マキノ雅弘監督「昭和残侠伝 唐獅子仁義」の脇役でデビュー。以後1975年までの7年間に、年平均8本強のプログラム・ピクチャーに出演。
菊 容子(きく ようこ、1950年9月26日 - 1975年… 菊 容子(きく ようこ、1950年9月26日 - 1975年4月29日)は、日本の女優。本名:菊池 洋子。 聖和学院高等学校卒業。 1950年9月26日、神奈川県横浜市に生まれる。 4歳の時から雑誌のモデル活動を開始。6歳の頃から少女雑誌『少女クラブ』(講談社)の表紙モデルを務める。小学校2年生のとき芸能界入り。 1959年の映画『城ヶ島の雨』で子役デビュー。中学に進学した時に一時芸能活動を止めるが、中学3年生の秋にNHK主催の新人オーディションに合格、テレビや映画に出るようになる。NHKのタレント·スカウト制度から生まれた新人の第一期生にあたる。この時、本名の菊池洋子ではさんずいの漢字が二つ並ぶため「水に流れる」という意味で縁起が悪いという意見があり、菊 容子の芸名に決まる。
君 夕子(きみ ゆうこ、1950年9月19日 - )は、日本… 君 夕子(きみ ゆうこ、1950年9月19日 - )は、日本の演歌歌手、女優。本名は浅本美代子。大阪府出身。旧芸名は千麻田玲子。 高校卒業後、上京して作曲家・船村徹に師事し、3年間レッスンを受ける。1970年「神様がまちがったのね」で歌手デビューする。粋な和服姿で人気があがりドラマ・時代劇「遠山の金さん」、「右門捕物帖」などに出演したが、1979年一時芸能界を引退し、赤坂にてサパークラブを経営。1985年に復帰し、レコード「昭和仁侠伝」で復帰した。 1996年に再度引退。出身地の大阪に戻り、緑橋でカラオケスナックを開店。現在はものまねショーパブも経営している。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。
城 恵美(じょう えみ、1950年9月10日 - )は元女優… 城 恵美(じょう えみ、1950年9月10日 - )は元女優。千葉県佐倉市生まれ。東京都出身。身長162 cm。B85 cm、W58 cm、H87 cm(1975年1月、城のインタビュー記事に記載されたプロフィール)。 私立菊華高等学校卒。1960年小学5年のときから東映児童研修所に通い(第4期)、2年間の研修後に東映児童劇団に入り多くの教育映画・児童映画に出演。研修所の1期後輩(第5期)に小倉一郎、片山由美子、児島美ゆき、後藤ルミらがいる。 東映児童教育映画『六年生の理科』でデビュー。1971年女番長(スケバン)シリーズ第1作『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』で本格的にデビュー。子役時代から本名の「河崎いち子」名義で活動し、1972年に「城恵美」に改名。
市毛 良枝(いちげ よしえ、1950年〈昭和25年〉9月6日… 市毛 良枝(いちげ よしえ、1950年〈昭和25年〉9月6日 - )は、日本の女優、登山家、タレント。NPO法人日本トレッキング協会理事。 静岡県田方郡修善寺町(現:伊豆市)出身、アミューズ所属。以前は、ハーキュリーズに所属していた。 医師でクリスチャンの父のもと、伊豆修善寺町で誕生し、小学校まで暮らす。20歳離れた二人の兄がいる。 立教女学院では松任谷由実の実姉とクラスメートであった。松任谷も市毛と姉は仲良しだったと自身のインターネットラジオ『ウィークエンドスペシャル 松任谷由実はじめました』で語っていて、市毛も松任谷は立教女学院当時から校内で目立っていたとインタビューで話している。 立教女学院中学校・高等学校卒業後、文学座や劇団俳優小劇場の養成所に入り、女優人生をスタートさせる。
八代 亜紀(やしろ あき、1950年〈昭和25年〉8月29日… 八代 亜紀(やしろ あき、1950年〈昭和25年〉8月29日 - 2023年〈令和5年〉12月30日)は、日本の演歌歌手、女優、タレント、画家。熊本県八代郡金剛村出身。 幼少の頃から父親の歌う浪曲を子守唄代わりに聴きながら育つ。この影響もあり歌が好きで、地元の歌唱コンクールに出場していた。 八代亜紀が小学5年生の時、たまたま父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き、そのハスキーボイスに魅せられる。ハスキーボイスの持ち主だった八代は、その声に若干のコンプレックスがあったが、ジュリーの声質に勇気づけられ、クラブ歌手になることを意識するようになる。 八代市立第六中学校卒業後、九州産業交通にバスガイドとして就職する。
久野 綾希子(くの あきこ、1950年8月24日 - 202… 久野 綾希子(くの あきこ、1950年8月24日 - 2022年8月22日)は、大阪府出身の日本のミュージカル女優。本名は中川秀子(なかがわ ひでこ)。最終所属事務所はヤザ・パパ所属。 帝塚山学院中学・高等部→愛知県立芸術大学声楽科卒業。大学在籍中『アプローズ』のオーディションに合格し、1972年劇団四季に入団。入団後1976年までは久野秀子名義として活動していた。 卓越した歌唱力と演技で『ジーザス・クライスト=スーパースター』のマリア役、『ウエストサイド物語』のマリア役、『キャッツ』のグリザベラ役、『エビータ』のエビータ、『コーラスライン』のディアナ役など、数多くのミュージカルで主役を演じ、劇団四季の看板女優として活躍した。
皆川 妙子(みながわ たえこ、1950年8月18日 - )は… 皆川 妙子(みながわ たえこ、1950年8月18日 - )は、日本の元女優。本名同じ。 東京都出身。杉野学園女子大学短期大学部中退。 宝仙学園高等学校在学中、モデルとしてスカウトされるが、家族の反対により断念する。大学進学とともにCMモデルとして活動後、1969年の映画『華麗なる闘い』出演を経て、1970年に東宝テレビ部に所属する。 1970年のテレビドラマ『アテンションプリーズ』に、ヒロインの紀比呂子が演じる美咲洋子のライバル役である香川妙子役でレギュラー出演。『アテンションプリーズ』当時のプロフィールでは「香川妙子の役は自分とは正反対で、最初は「あまりいじめないで」という手紙も来ましたが、最近は「妙子の立場になれば理解できます」という手紙も来るようになり、一生懸命この作品に取り組んでいます」と述べている。
伊佐山 ひろ子(いさやま ひろこ、1950年〈昭和25年〉8… 伊佐山 ひろ子(いさやま ひろこ、1950年〈昭和25年〉8月18日 - )は、日本の女優、作家。本名:伊佐山 博子。 福岡県福岡市出身。福岡女学院高等学校卒業。植物園を経て、女優となる。 1971年、高校卒業後に上京。俳優小劇場付属養成所に入所する。 1972年、村川透監督の『白い指の戯れ』で映画初主演を果たし、神代辰巳監督の『一条さゆり 濡れた欲情』での演技と合わせて高く評価され、第46回(1972年度)キネマ旬報日本映画主演女優賞を受賞。 当初は日活ロマンポルノを中心に活動していたが、徐々に一般作品へも進出。 岡本喜八監督作品には昭和50年代に3本で助演し、遺作となった『助太刀屋助六』(2002年)にも出演した。
原田 千枝子(はらだ ちえこ、1950年8月8日 - )は、… 原田 千枝子(はらだ ちえこ、1950年8月8日 - )は、日本の女優。神奈川県出身。身長160cm、血液型はO型。夫は俳優の沢美鶴[要出典]。
水原 まき(みずはら まき、1950年8月5日 - )は、日… 水原 まき(みずはら まき、1950年8月5日 - )は、日本の元女優。本名は星野 宣子。旧芸名、萩原 宣子→水原 真記→水原 麻記。 東京都世田谷区出身。東映児童研究所に所属し、1963年に萩原宣子名義で子役としてデビューする。東横学園高等学校(現・東京都市大学等々力高等学校)卒業。 後に芸名を水原麻記に変え、1970年代から、テレビドラマや時代劇に多数出演した。 1990年代半ば以降の芸能活動は確認されていない。 水原まき - テレビドラマデータベース
田中 世津子(たなか せつこ、1950年〈昭和25年〉7月1… 田中 世津子(たなか せつこ、1950年〈昭和25年〉7月11日 - )は日本の女優。 富山県中新川郡立山町出身。生家は芸者の置屋。三人姉妹の長女。 中学生時代はバレーボールの選手。富山県立富山高等学校では、顧問の先生が素敵だったという理由で演劇部に入り活動。 成蹊大学文学部に入学、大学在学中に前進座付属俳優養成所(1期)に入所し、修了。前進座の舞台『左の腕』で初舞台。 趣味は日本舞踊、三味線。特技は富山弁。
市地 洋子(いちじ ようこ、1950年6月21日 - )は、… 市地 洋子(いちじ ようこ、1950年6月21日 - )は、日本の元女優・元歌手。本名同じ。別名義、安芸 晶子 (あき まさこ)。 広島県東広島市出身。上野学園高等学校卒業。芸映に所属していた。 1968年、広島県立賀茂高等学校在学中に、埼玉県に住んでいた姉を頼って上京して、上野学園高等学校に転校。1969年の高校卒業後に東京音楽学院に入学、スクールメイツに入団する。同年、NHKのテレビドラマ『若い日』でデビューし、松竹映画『ミヨちゃんのためなら全員集合!!』で映画初出演。 1970年、東映映画『三匹の牝蜂』に、大原麗子、夏純子とともに主役に抜擢される。その後、NETのバラエティ番組『びっくり大ショック』のアシスタントや、特撮テレビドラマ『ミラーマン』のレギュラー出演を経て、1973年に安芸晶子に改名し、東宝映画『狼の紋章』に出演。
女屋 実和子(おなや みわこ、1950年6月1日 - )は、… 女屋 実和子(おなや みわこ、1950年6月1日 - )は、日本の女優。神奈川県大和市出身。 私立富士見丘高校を卒業後、東急百貨店に就職するが、東映ニューフェイス第13期に応募し合格。同期には成瀬正孝、岩本良子がいる。 1970年、『温泉こんにゃく芸者』(中島貞夫監督)の主役に抜擢されてデビュー。その後は、東映京都撮影所脇役女優陣の代表格として中島貞夫監督作品を中心に、ピンキー・バイオレンス作品に数多く参加。『まむしの兄弟』シリーズでは川地民夫の愛人役でレギュラー出演した(その他の出演作品は後述)。
珠 めぐみ(たま めぐみ、1950年5月22日 - 2013… 珠 めぐみ(たま めぐみ、1950年5月22日 - 2013年8月23日)は、日本の女優、歌手。 東京都新宿区出身。生前は松竹、東京俳優生活協同組合、蛭川企画に所属していた。東京都立鷺宮高等学校卒業。姪はタレントの小川菜摘。 六人兄弟の末っ子として育つが、小学校一年の時に父を病気でなくす。高校在学中よりテレビドラマなどに出演。中学三年の夏頃、フジテレビの見学に行って放送作家の寺田信義の目に止まり、寺田が脚本した1964年の『中之島ニッポン』(TBS)でテレビ初出演。その時の役名・珠子から芸名がつけられた。「めぐみ」は恵まれるようにと名づけられた。 デビュー当初の円谷プロ作品『ウルトラQ』の第20話「海底原人ラゴン」では、周囲の人々が躊躇する中、怯えながらも意を決して海底原人の赤ん坊をラゴンに渡し終えてから気絶してしまうという難しい役を演じた。
岡田 由紀子(おかだ ゆきこ、1950年5月20日 - )は… 岡田 由紀子(おかだ ゆきこ、1950年5月20日 - )は、主に1960年代〜1990年代に活動していた日本の元女優。 東京都杉並区出身。3人兄弟の末っ子(姉と兄がいる)。父親は企業経営者。5歳の時に劇団若草に入って芸能界入り、子役から活動。その後東映児童研修所に移って学ぶ 。 東京都立荻窪高等学校卒業、東京富士大学短期大学部企業経営科卒業。短大在学中に出演したテレビドラマ『セブンティーン -17才-』(日本テレビ、東映)で初主演。なお、一時期「岡田由起子」の名前で出演していたこともある。 身長は154cm(1970年当時)。なお、1967年4月2日生まれの同姓同名の女優(、)とは別人である。
中野 良子(なかの りょうこ、1950年5月6日 - )は、… 中野 良子(なかの りょうこ、1950年5月6日 - )は、日本の女優。愛知県常滑市出身。愛知県立常滑高等学校卒業。身長160cm。B83cm、W57cm、H88cm(1975年2月)。 オイスカ・インターナショナル総裁の中野良子(なかのよしこ、1933年 - )とは別人である。 反戦女優として知られたジェーン・フォンダに憧れ、女優を志す。高校卒業後、名古屋市のアマチュア劇団に入ったが。本格的に演技者の道を歩みたいと1969年4月に上京し、大映東京撮影所演技研究所に入所。しかし僅か6ヶ月の研修で大映が倒産。1970年1月、知人の紹介で三船プロに所属(デビューのきっかけは『われら高校生』(NHK))。
和田 アキ子(わだ アキこ、1950年4月10日 - )は、… 和田 アキ子(わだ アキこ、1950年4月10日 - )は、日本の歌手、タレント、女優、司会者、ラジオパーソナリティである。所属芸能事務所は、株式会社ホリプロ。テイチクエンタテインメント / ユニオンレコード所属。
大谷 直子(おおたに なおこ、1950年4月3日 - )は、… 大谷 直子(おおたに なおこ、1950年4月3日 - )は、日本の女優。東京都出身。東京都立赤羽商業高等学校卒業。フロム・ファーストプロダクション所属。元夫は松山政路および清水綋治。娘は女優の華子。
望月 眞理子(もちづき まりこ、1950年3月13日 - 2… 望月 眞理子(もちづき まりこ、1950年3月13日 - 2000年4月5日 )は、日本の女優。本名は中大路 眞理子。東京都中野区出身。 特技はピアノ、声楽。 東京都立西高等学校卒業後、18歳の時に三島由紀夫主宰の浪曼劇場に入団。もともと三島のファンであった。浪曼劇場は三島が亡くなったのをきっかけに退団。 1980年から女優活動を一時休止していたが、1982年に活動を再開。 1987年頃に一時、“夏まり子”に改名する。 1993年結婚し、黒水眞理子となるが、2000年4月5日死去。50歳没。
麻実 れい(あさみ れい、1950年(昭和25年)3月11日… 麻実 れい(あさみ れい、1950年(昭和25年)3月11日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団雪組トップスター。東京都千代田区出身。身長172cm。血液型O型。愛称ターコ(本名の孝子から)。梅田芸術劇場所属。日本芸術院会員。 1968年3月、東京家政学院高等学校卒業。同年4月、宝塚音楽学校入学。1970年、56期生として宝塚歌劇団に入団。同期には萬あきら、条はるき、東千晃(元星組トップ娘役)、小柳ルミ子(当時は夏川るみ)らがいる。雪組公演『四季の踊り絵巻/ハロー!タカラヅカ』で初舞台を踏み、翌年3月8日、星組に配属。入団時の成績は70人中35位。 1972年、『花の若武者』新人公演にて主役・鬼若(若き日の弁慶)に大抜擢。
飯野 矢住代(いいの やすよ、1950年3月9日 - 197… 飯野 矢住代(いいの やすよ、1950年3月9日 - 1971年12月28日)は、日本のモデル、タレント、女優である。本名は飯野 裕代(読み同じ)。 1968年(昭和43年)のミス・ユニバース日本代表として知られるほか、ジャニーズ事務所として初めての女性タレントであったものの、21歳で死去した。なお、彼女はジャニーズ事務所出身のすべてのタレントの中で最初にこの世を去った人物である。 東京都文京区駒込に生まれる。1960年、渋谷区円山町に移る。 1965年3月31日、渋谷区内の中学校を卒業する。苦しい家計を考えて高校には進学しなかった。「何でもやってみよう、ぶつかってみよう(本人による)」とファッションモデルのアルバイトや作詞に手を染める。
今野 ひろみ(こんの ひろみ、1950年3月9日 - )は、… 今野 ひろみ(こんの ひろみ、1950年3月9日 - )は、日本の女優、声優。山形県山形市出身。身長154cm、血液型はA型。プロダクション・タンク所属。 特技は日舞、狂言、手話、三味線、唄。方言は山形弁。
川口 晶(かわぐち あきら、1950年3月1日 - )は、日… 川口 晶(かわぐち あきら、1950年3月1日 - )は、日本の元女優、陶芸家。東京都出身。身長163cm(1976年2月)。 父は作家で大映専務の川口松太郎、母は女優の三益愛子、兄は俳優の川口浩、川口恒、弟は元俳優の川口厚。母方の叔母は元タカラジェンヌで宝塚歌劇団24期生の紀川瑠璃子。 1966年、聖心女子学院初等科、聖心女子学院中等科を経て、聖心女子学院高等科を中退後に新派に入り、舞台を踏むようになる。 1970年代のテレビドラマに出演作が多数あり、三枚目的なやんちゃな役柄が多い。1971年、長沢純と結婚して1男を儲けるが、1974年に離婚する。1978年、兄の恒、弟の厚とともに大麻取締法違反に問われ、TVから姿を消す(兄弟2人と異なり、晶は不起訴処分となっている)。
井波 ゆき子(いなみ ゆきこ、1950年2月16日 - )は… 井波 ゆき子(いなみ ゆきこ、1950年2月16日 - )は、日本の女優、元リポーター。本名、井波いく代。旧芸名は茜夕子、井波由起子。 栃木県出身、神奈川県横須賀市育ち。兄がいる。 横須賀市立第二高等学校卒業。18歳の時に鎌倉市で行われた「ミス静御前コンテスト」で優勝。東京アナウンスアカデミー(1968)を経て、現在は東京俳優生活協同組合(俳協)(1970年より)に所属。 日本舞踊と生け花は免許皆伝、エレクトーン演奏もプロ級と紹介されている。
三浦 真弓(みうら まゆみ、1950年2月13日 - )は… 三浦 真弓(みうら まゆみ、1950年2月13日 - )は、日本の女優。本名同じ。 岩手県下閉伊郡岩泉町出身。貞静学園高等学校卒業。文学座、フリーを経て、リューカンパニーに所属していた。 妹は、女優の三浦リカ。 中学時代に家族とともに埼玉県に転居。 高校卒業後、証券会社のOLとなるが半年で退社して、1969年に文学座付属研究所に入所。舞台『地の群れ』でデビュー後、NHK大河ドラマ『新・平家物語』などのテレビドラマに出演。その後、文学座の座員に昇格する。 1974年、花王 愛の劇場『五番町夕霧楼』でヒロインの片桐夕子を演じる。当時のプロフィールでは、「女優ならば一度は演じてみたい役です。原作のイメージが強いので、無我夢中で役に取り組んでいます」と述べている。
植木 まり子(うえき まりこ、1950年1月27日 - )は… 植木 まり子(うえき まりこ、1950年1月27日 - )は日本の元女優。本名、植木 マリ子(読み同じ)。 東京都出身。出生地は群馬県沼田市。中央大学文学部卒業。西岡昭事務所に所属していた。 4歳の時に劇団若草に入団。その後劇団こまどりに移籍して、子役として活動。 1970年に劇団を退団してフリーとなり、NHK『おかあさんといっしょ』の1コーナー「これなあに?」で司会を担当する。当時の紹介記事では「いつも子供と一緒にいるので楽しい」と述べている。 1972年にNHKドラマ『霧の旗』で正式デビュー。以来、1974年のポーラテレビ小説『やっちゃば育ち』(TBS)などのテレビドラマに出演。『やっちゃば育ち』では、当初はシリーズ途中で難産のために死亡する設定であったが、演技が認められてシリーズ終了まで出演することになった。
ジュディ・オング (本名・帰化名:翁ジュディ、帰化当時は翁玉… ジュディ・オング (本名・帰化名:翁ジュディ、帰化当時は翁玉恵「おきな たまえ」)、旧名・台湾名:翁倩玉(Ong Chhèng-gio̍k)、英語名:Judy Ongg、1950年1月24日 - )は、台湾出身の歌手、女優、版画家。上智大学国際学部卒業。出生地は台北市、貫籍(本籍地)は台南県柳営郷。語学が得意で、母語である台湾語のほか、日本語、英語、標準中国語の4言語を話すことができる。血液型はA型。 1950年1月24日、台湾台北市にて翁家の長女として誕生し、倩玉と名づけられた。上に兄が1人いる。 1952年、自身が2歳のときに父の仕事(米軍GHQ報道工作)の都合で一家そろって訪日。小学校は東京中華学校に入学、学校で国語(標準中国語)を勉強しつつ、家庭教師について英語を勉強するようになる。
本阿弥 周子(ほんあみ ちかこ、1950年1月23日 - )… 本阿弥 周子(ほんあみ ちかこ、1950年1月23日 - )は、日本の女優。 実家は元々足利将軍家の同朋衆で刀剣の鑑定や研磨を担当していた名門・本阿弥家。 川村学園高校卒業後、青山杉作記念俳優養成所、俳優小劇場付属養成所に在籍。 ドラマでは時代劇(主にゲスト出演)と2時間ドラマ(特に「木曜ゴールデンドラマ」)への出演が多いが、ポーラテレビ小説『吉井川』、ライオン奥様劇場『片隅の二人』では主演を務めた。 「秋月佐江子」と改名していた時期がある。 特技は日舞、スキー。B級ライセンス保持者。 明確な引退発表はなかったものの、1999年以降は出演作品が確認されていない。
音無 美紀子(おとなし みきこ、本名:村井 美紀子、1949… 音無 美紀子(おとなし みきこ、本名:村井 美紀子、1949年〈昭和24年〉12月26日 - )は、日本の女優。所属事務所はオフィスのいり。 東京都出身。夫は俳優・声優の村井國夫、妹は元女優の音無真喜子。 服飾業を営む両親の6人姉妹の四女として生まれる。 頌栄女子学院高等学校卒業。在学中の1966年に幼なじみの地井武男の勧めで劇団若草に入団。1967年、『これが青春だ』最終回でデビュー。続けて『でっかい青春』ではレギュラーとなる。 1971年、『お登勢』の主演に抜擢される。TBSホームドラマに数多く起用され、石井ふく子および橋田壽賀子作品の常連役者(石井組)として活躍。 1975年、村井國夫と結婚。
渡辺 とく子(わたなべ-、1949年12月19日 - )は、… 渡辺 とく子(わたなべ-、1949年12月19日 - )は、日本の女優。 兵庫県出身。兵庫県立伊丹高等学校卒業後、文学座に所属。1972年、23歳の時、渡辺督子の名で新藤兼人監督の、谷崎潤一郎『春琴抄』を原作とした『讃歌』に春琴役で主演する。1976年よりとく子(外久子)となり主として日活ロマンポルノなどに数多く出演、1984年以後映画から遠ざかる。
今出川 西紀(いまでがわ にしき〔本名:久保田 正子[要出典… 今出川 西紀(いまでがわ にしき〔本名:久保田 正子[要出典]、別名義:久保 にしき〕、1949年12月11日 - )は、神奈川県川崎市出身の日本の元女優。 長野県須坂市に出生。4歳のとき神奈川県川崎市に移住する。 幼稚園の先生になるつもりで國學院大學付属幼稚園教員養成所を卒業するが、芝居にかぶれて民芸の女優になった。 かつては竹内事務所、ヤナセプロに所属していた[要出典]。 2016年より映像コンテンツ権利処理機構において連絡の取れない権利者として掲載されている。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
隅田 和世(すみた かずよ、1949年12月5日 - )は、… 隅田 和世(すみた かずよ、1949年12月5日 - )は、日本の女優。父は東映京都の映画監督だった隅田朝二。母は女優の藤枝久江。 京都府京都市生まれ。京都市家政学園高等学校卒業。高校卒業直後の1968年に、父の仕事の都合で東京都町田市に転居する。父の仕事のフィルム編集の助手をしていたが、女優への思いを募らせる。両親に内緒で応募したこの年の日活ニューフェースに合格し、反対する両親を強引に説得して研究生となる。同年10月から翌1969年6月まで水の江滝子タレント・センターの1期生として基礎を学んだ。 1969年(昭和44年)にTBS『新・流氷の女』、日活映画『涙でいいの』でデビュー。この時は隅田和江という名前だった。
高橋 厚子(たかはし あつこ、1949年11月29日 - )… 高橋 厚子(たかはし あつこ、1949年11月29日 - )は、日本の映画、テレビ女優。東京都出身。
恵 とも子(けい ともこ、1949年11月23日 - )は、… 恵 とも子(けい ともこ、1949年11月23日 - )は、東京都品川区出身の元歌手、タレント、女優。渡辺プロダクション(ナベプロ)に所属していた。 本名は、鈴木 とも子。身長158cm。体重45kg。 アメリカ人の父と日本人の母を持つ。 1963年、東京音楽学院に入学し、スクールメイツの一員となる。 1966年、集英社の雑誌「週刊明星」の表紙で「可愛いエンゼル」として人気を博す。紙面での募集により、「モコちゃん」のニックネームで呼ばれた。 1968年、結婚して渡米し、芸能界を引退した。 歌手の髙橋真梨子とは所属していたナベプロの渡辺晋社長宅で同居していた。
松金 よね子(まつかね よねこ、本名;芦田 米子<あし… 松金 よね子(まつかね よねこ、本名;芦田 米子<あしだ よねこ>、1949年10月22日 - )は、日本の女優、声優。東京都出身。テアトル・エコー、劇団東京乾電池を経て、ノックアウト所属。身長154cm。体重43kg。戸板女子高等学校卒業。
小松 みどり(こまつ みどり、本名:大野緑(おおの みどり)… 小松 みどり(こまつ みどり、本名:大野緑(おおの みどり)、1949年〈昭和24年〉9月5日 - )は歌手、女優。おとめ座、東京都江戸川区出身。小松企画所属。 1967年『ポチャポチャ小唄』で歌手デビュー(「ポチャポチャ」は、姉・五月みどりの楽曲『温泉芸者』の一節「はぁジャブ、ジャブ、ジャブジャブ」をヒントに、より可愛らしい擬音にしたもの)。また『小松みどりの好きぼくろ』という日活ロマンポルノに出演し話題になる。 趣味はゴルフ。酒も大好きである。愛犬家であり、飼育している犬を溺愛している。 タレント業の傍ら、赤坂で『小松みどりの部屋』という会員制高級クラブを経営していた。2011年6月末日を以って、36年続けた店を閉店した旨を、2012年7月27日付けのブログ記事で明らかにした。
高樹 蓉子(たかぎ ようこ、本名:粟崎曄子(ようこ)、194… 高樹 蓉子(たかぎ ようこ、本名:粟崎曄子(ようこ)、1949年8月23日 - )は日本の女優。 東京都出身。神田の生まれだがのちに豊島区に引っ越す。 小学校、中学校時代はクラシックバレエをしており、その関係から運動神経は抜群だった。 1968年、富士見丘高等学校を卒業後して東映本社総務部へ就職するが、同年6月には女優として日活へ転じた。 1972年8月、日活を退社しフリーとなる。その後はテレビを中心に活躍した。 1977年頃に、芸能活動を引退した。
小鹿 みき(こじか みき、本名:畑田 由美子。、1949年〈… 小鹿 みき(こじか みき、本名:畑田 由美子。、1949年〈昭和24年〉8月8日 - )は、日本の女優。兵庫県神戸市出身。小鹿ミキの表記もある。 関西女子短期大学1年生在学中に、アルバイトでファッションモデルをしていた時に当時朝日放送(ABC)プロデューサーの澤田隆治にスカウトされたのをきっかけに芸能界入り。芸名は最初に所属した事務所の社長が名付け、当時公開されていたディズニーのアニメ映画『バンビ』に因み、彼女の目がそのバンビの目に似ていたことから「小鹿」、下の名前は語呂の良さを考えて最初「ミキ」と名付けられた。1977年にミキから「みき」に改名している。 19歳でNHKオーディションに合格。澤田隆治プロデュースの朝日放送ドラマ「あきれた学園」の他TBSドラマ「肝っ玉かあさん」「ありがとう」「みんなで7人」などに出演。
土田 早苗(つちだ さなえ、1949年〈昭和24年〉7月26… 土田 早苗(つちだ さなえ、1949年〈昭和24年〉7月26日 - )は、日本の女優。本名同じ。大阪府豊中市出身。アネモイエンタテインメント所属(メンバー)。業務提携:リゾコーポレーション。 1958年小学校3年生の時に児童劇団“ともだち劇場”に入り、1959年『がしんたれ』(菊田一夫 自叙伝・作演出、芸術座)で主人公の初恋の人美也子役に抜擢され6か月ロングランの初舞台(1960年)を踏む。 高校在学中の1965年、夏木陽介主演の『青春とはなんだ』にレギュラー女生徒・樋口育子として出演し、人気を得る。同作の映画化作品『これが青春だ!』にて映画初出演をはたした。 テレビドラマでは1967年の『風』(TBS)へのレギュラー出演(第14回京都市民映画祭テレビ部門女優賞を受賞)で、この作品を皮切りに、『銭形平次』『大岡越前』『水滸伝』など時代劇作品を中心に活躍。