桑原 和男(くわばら かずお、1936年〈昭和11年〉2月2… 桑原 和男(くわばら かずお、1936年〈昭和11年〉2月23日 - 2023年〈令和5年〉8月10日)は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優。福岡県小倉市(現:北九州市)出身。本名:九原 一三(くはら かずみ)。吉本新喜劇の座員として吉本興業に所属し、一時は座長も務めた。座長退任後は専科や若手育成も兼ねた座長格の主演、重鎮クラスなどの形で出演し、生き字引のような存在で吉本新喜劇を支え続けた。 1955年に地元の常磐高等学校を卒業。教師を志望していたため福岡の教育大学を受験し、その後夢路いとし・喜味こいしに師事する。初舞台は1956年で、「原あち郎・こち郎」の芸名で漫才の舞台に立った。漫才脚本家秋田實が立ち上げた劇団「宝塚新芸座」に所属した後、漫才活動を経て、1961年、吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」に入団する。
天野 鎮雄(あまの しずお、1936年(昭和11年)2月13… 天野 鎮雄(あまの しずお、1936年(昭和11年)2月13日 - 2023年(令和5年)11月5日)は、日本の俳優、タレント。劇団「劇座」代表。妻は、女優の山田昌。愛称は「アマチン」。 愛知県名古屋市港区出身。知多市新舞子在住。幼少期に福井県へ疎開し終戦を迎える。その後、兵庫県在住を経て、中学生の時に帰郷。名古屋市立菊里高等学校を経て、愛知学芸大学に入学。 大学時代にNHK名古屋放送劇団に入団。同大学学芸学部英語科卒業。文学座研究生、大島渚主宰の「創造社」、「山本安英の会」などを経て、1985年(昭和60年)に妻の山田昌と「劇座」を結成。あわせて付属俳優養成所の「名古屋劇塾」も設立した。 1968年(昭和43年)から3年間、東海ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』の初代パーソナリティを務め、森本レオらと共に人気を博した。
吉原 正皓(よしはら まさひろ、1936年2月12日 - )… 吉原 正皓(よしはら まさひろ、1936年2月12日 - )は、日本の俳優。長野県出身。松商学園高等学校卒。特技は合気道、殺陣。 所属は劇団エトセトラ、テレビタレントビューロー(テレビタレントセンター第2期生)、かかしプロ、グループ波、東京俳優生活協同組合、三木事務所、エヌ・エー・シー、天知プロダクション、東企画、プロダクション・タンクなど。
松岡 憲治(まつおか けんじ、1936年1月30日- 201… 松岡 憲治(まつおか けんじ、1936年1月30日- 2019年12月8日)は、日本のタレント、俳優。岐阜県大垣市出身。岐阜県立大垣南高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。 早稲田大学卒業後、ラジオ東京(現在のTBS)に入社。以後、1996年の定年退職までスポーツ局員のち制作局員として番組制作に従事。在職時に「モーニングEye」で人生相談コーナーを担当。定年退職後に田辺エージェンシーに所属、タレント、俳優活動を開始した。 2019年12月8日に83歳で死去した。本人の意思により、葬儀は執り行われず、墓も持たないこととなった。供花、香料の義は固く辞退している。本人の辞世の言葉によれば、「思えば愉快な一生でありました。
中井 啓輔(なかい けいすけ、1936年1月29日 - )は… 中井 啓輔(なかい けいすけ、1936年1月29日 - )は、日本の俳優。東京市出身。本名は同じ。 1959年に劇団民藝水品演劇研究所(第3期)を卒業し、劇団青芸の創立に参加。1965年、劇団俳優小劇場に移籍。その後は株式会社田村企画に所属していた。 1960年代から現代劇や時代劇問わず、悪役を中心に名脇役として活躍。また特撮などのアクションドラマにも数多く出演している。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
西沢 利明(、1936年1月20日 - 2013年4月11日… 西沢 利明(、1936年1月20日 - 2013年4月11日)は、日本の俳優。本名西澤利明。 劇団俳優座、文学座、劇団雲、染谷事務所、劇団昴を経て、アイティ企画に所属していた。 北海道旭川市出身。北海道千歳高等学校卒業後、学習院大学経済学部中退。その後は俳優座養成所に入り、同養成所卒業後に文学座へ入団。 1963年、文学座を集団で脱退し劇団雲の結成に参加。『ロミオとジュリエット』『動物園物語』などでは主役を張り、中心俳優として活動した。 1975年の劇団分裂後はフリーとなり、染谷事務所を経て、1978年から1997年までは劇団昴に所属した。 2011年頃に膀胱ガンが判明するが、本人の希望で公表せず闘病しながら活動を継続。
佐藤 晟也(さとう せいや、1936年1月10日- 2018… 佐藤 晟也(さとう せいや、1936年1月10日- 2018年12月21日 )は、日本の俳優。本名同じ。 東京都出身。東洋大学経済学部卒業。東映俳優センターに所属していた。 大学卒業後、東映撮影所に入る。 趣味はゴルフ、麻雀、旅行。特技はアクション、歌。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
高津 住男(たかつ すみお、1936年1月9日 - 2010… 高津 住男(たかつ すみお、1936年1月9日 - 2010年7月31日)は、日本の俳優。
大前 均(、1935年12月19日 - 2011年3月1日)… 大前 均(、1935年12月19日 - 2011年3月1日)は、日本の元俳優。旧芸名は大前 釣(読み同じ)。身長190cm、体重115kg。柔道五段。生前は第一協団、アクターズプロモーションに所属していた。 岐阜県出身。1958年3月、明治大学商学部卒業。 大学を卒業後、日本ケーブルに就職。学生時代から続けていた柔道経験を活かし、会社の実業団チームに所属した。実業団対抗の柔道大会で部を優勝に導き、銀座で祝賀会を催していた店で中村錦之助と出会い、スカウトされる。大前は酔った勢いもあって快諾、翌日には京都に行く中村に付いていき、東映京都撮影所と契約を交わして入社した。 1960年、東映映画『若き日の次郎長 東海の顔役』でデビュー。
宇南山 宏(うなやま ひろし、1935年12月19日 - 1… 宇南山 宏(うなやま ひろし、1935年12月19日 - 1984年6月16日)は、日本の俳優。東京市(現:東京都)世田谷区玉川奥沢町出身。本名は宇南山 広。 早稲田大学文学部演劇学科卒業。俳優座養成所を経て、1961年に劇団青年座へ入団。1967年よりフリーとなり、日活ロマンポルノ、テレビドラマ、吹き替えを中心に活躍。 1984年6月16日、高田馬場駅で鉄道自殺。
品川 徹(しながわ とおる、1935年12月14日 - )は… 品川 徹(しながわ とおる、1935年12月14日 - )は、日本の男性俳優、声優。北海道旭川市出身。ノックアウト所属。 幼少期は勉強が嫌いな子供で、学校から家に帰っても遊んでばかりだった。内気でシャイであったが、家の中では威張っていたことから内弁慶だった。 勉強が嫌いで高校に進学せず、家具屋に入り修業をしていた。1年間、カンナのかけ方や刃の研ぎ方やノコの使い方を教えてもらい、職業補導所で簡単なものを作らせてもらえた。その後、兄弟子が5人いる町の工場で2年半くらい働いていた。下駄箱を作ったり、北海道独特の木目模様を出す技法を使ったタンスを作ったりもしていたが、飽きて嫌になり辞めた。その後は「もう少し勉強しよう」と思い、定時制高校に進学して4年間通う。
鈴木 本一郎(すずき もといちろう、1935年12月12日 … 鈴木 本一郎(すずき もといちろう、1935年12月12日 - )は、日本の俳優、シニアモデル。Dreave's所属。トラベルライター。元朝日新聞社社員。元編集者。 静岡県出身。1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。立教大学卒業。朝日新聞社入社。関連会社社員(新聞社にて監査役など)を経て退職。 長年、野生動物保護運動に携わる。機関紙 Nipponia Nippon(トキの雑誌)編集長(15年間)。ハワイ大学と共同でハワイ語の「生物の手引き」編纂。現在、サモア語編纂中。特技はウクレレ演奏、経理。趣味は、鉄道模型修理、読書、音楽鑑賞(ハワイアン・カントリー)、アロハシャツ集め。
伊達 正三郎(だて しょうざぶろう、1935年12月7日 -… 伊達 正三郎(だて しょうざぶろう、1935年12月7日 - )は、神奈川県足柄上郡松田町出身の俳優。旧芸名:舘 正三郎新東宝映画末期の主演級スター。 生家は酒類小売商で4男2女の2男。神奈川県立吉田島農林高等学校から法政大学法学部法律学科に進み、3年のときアルバイトで知り合った丹波哲郎に薦められ、第5期新東宝ニューフェイスに応募して合格し、1957年4月、新東宝に入社。丹波の本名・正三郎をもらい舘正三郎を芸名として映画『憲兵とバラバラ死美人』(1957年)でデビュー。のち伊達正三郎と改名。時代劇・現代劇両方に出演し、怪談映画の『怪談鏡ケ淵』(1959年)、『怪猫お玉が池』(1960年)では主演を務めるなど、新東宝の若手スターの一人となった。
花上 晃(はなうえ あきら、本名 同じ、1935年10月22… 花上 晃(はなうえ あきら、本名 同じ、1935年10月22日 - )は、東京都出身の俳優。 東京都立北園高等学校卒業後、劇団青俳、吉江企画を経て楡プロダクションに所属。 主に1970年代後半から1980年代に日活映画に多く出演していたほか、テレビの時代劇の悪役としても活躍した。
武藤 章生(むとう しょうせい、1935年10月20日 - … 武藤 章生(むとう しょうせい、1935年10月20日 - 1995年11月5日)は、日本の俳優。本名:武藤 章生(むとう あきお)。 愛知県名古屋市熱田区市場町出身。愛知県立瑞陵高等学校、専修大学卒業。石原プロモーションを経て、大鷲プロに所属していた。 1950年代から60年代にかけては日活の専属脇役として数々の映画に出演し、1970年代からはテレビドラマを中心に活躍。 日活時代に共演した石原裕次郎の信任のもと、『大都会』『西部警察』など石原プロモーション制作の刑事ドラマシリーズに準レギュラーとして継続出演した。 1995年11月5日死去。60歳没。 特技は名古屋弁、関西弁。
蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - 2… 蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - 2016年5月12日)は、日本の演出家、映画監督、俳優。桐朋学園芸術短期大学名誉教授。
三田村 元(みたむら はじめ 、1935年10月10日 - … 三田村 元(みたむら はじめ 、1935年10月10日 - )は、日本の俳優。本名、村瀬 桂造。旧芸名は村上 文二。 愛知県江南市布袋伝馬町出身。大映、東京俳優生活協同組合、赤坂プロ、日活、アローエンタプライズ、ユーアイプロに所属していた。 実家は村瀬酒造。父親が陸軍軍人であり、各地を転々としていた事情から、幼少時は兄や姉と共に祖父の家で暮らしていたが、問題児であったことを見かねた父親に母親とともに呼び寄せられ、静岡県三島市、千葉県銚子市、千葉県四街道市などで2年間父と過ごした後、愛知に戻り、江南市立布袋小学校入学。負けず嫌いな性格であったことが功を奏し、2年生から卒業までは学年でトップの成績だったとされる。
関 登美雄(せき とみお、1935年〈昭和10年〉10月5日… 関 登美雄(せき とみお、1935年〈昭和10年〉10月5日 - )は、日本の男性俳優、声優。 青森県弘前市生まれ。青森県立弘前工業高等学校、舞台芸術学院卒業。劇団文化座をへて、祖父江文宏や五月女道子が旗揚げした劇団群像座に参加した。
江角 英明(えすみ えいめい、1935年10月5日 - 20… 江角 英明(えすみ えいめい、1935年10月5日 - 2004年8月22日)は、日本の俳優、声優、ナレーター。本名:江角 英明(えすみ ひであき)。別名義:江角 英。 島根県木次町(現・雲南市)出身。島根県立三刀屋高等学校、多摩美術大学附属芸術学園演劇科卒業。 劇団青年座、劇団俳優小劇場、グループ鬼宴同人、現代制作舎、ぱらーた企画、九プロダクションに所属していた。アマチュア劇団区民とつくる地場演劇の会代表。 劇団青年座の旗揚げ公演『第三の証言』を鑑賞したことから俳優を志し、多摩芸術学園卒業後の1957年に青年座に研究生として入団。1958年、『怪しき村の旅人』の村の青年役が初舞台。1959年の『第五福竜丸』が映画デビュー作となる。
伊藤 惣一(いとう そういち、1935年10月1日 - )は… 伊藤 惣一(いとう そういち、1935年10月1日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター。フリー。 静岡県浜松市出身。早稲田大学卒業。大学時代は劇団自由舞台で活動。 1959年4月「ぶどうの会」に入団し、1964年9月の解散まで在籍。同年10月、「演劇集団・変身」にの創立に参加しし、1970年まで在籍。1971年に「劇団三十人会」に入団し、現在はフリー 太字はメインキャラクター。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
北村 総一朗(きたむら そういちろう、本名及び旧芸名:北村 … 北村 総一朗(きたむら そういちろう、本名及び旧芸名:北村 総一郎(読み同じ)、1935年〈昭和10年〉9月25日 - )は、日本の俳優、声優。 高知県出身。身長は172cm。血液型はA型。高知大学農学部卒業。妻は磯辺万沙子。劇団昴に所属していた。 土佐中学在学時に、劇団民藝の『セールスマンの死』を観劇したことがきっかけで役者の道を志す。土佐高校卒業後に高知大学農学部に入学し、同大学の演劇研究会に所属。同時期に放送局の放送劇団に入り、俳優の傍ら放送劇も書くようになる。 24歳の時に上京し、1961年に文学座に研究生として入る。同期には岸田森、寺田農、橋爪功、草野大悟、樹木希林、小川真由美などがいる。
すま けい(本名:須磨 啓〈すま あきら〉、1935年〈昭和… すま けい(本名:須磨 啓〈すま あきら〉、1935年〈昭和10年〉9月4日 - 2013年〈平成25年〉12月7日)は、日本の俳優。所属事務所はJ.CLIP。 北海道国後島(国後郡)出身。血液型A型。 第二次世界大戦終戦の二日前に根室市に引き揚げ、中標津町で高校生まで過ごした。北海道中標津高等学校卒業後、富山大学に進学するも中退し、役者を志して上京。文化学院に入学したがのちに中退した。 1961年(昭和36年) - 1963年(昭和38年)、芸術劇場に所属。1966年(昭和41年)新宿のジャズ喫茶などを拠点にしつつ、太田豊治と「すまけいとその仲間」を結成。『ゴドーを待ちながら』などの翻訳劇で、斬新な翻案・演出から「アングラの帝王」と称された。
原田 清人(はらだ きよと、1935年9月2日 - )は、日… 原田 清人(はらだ きよと、1935年9月2日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。 大分県日田市出身。大分県立日田林工高等学校卒業、日本大学卒業。劇団俳優座に所属していた。 現日田市長、原田啓介は甥にあたる。[要出典] 1958年、俳優座養成所(10期生)に入り、その後、劇団俳優座に入団。 舞台出演のほか、テレビドラマ、映画にわき役として多数出演した。一時期、原田樹世土名義で活動していた時期もある。 1968年、連続テレビ小説『あしたこそ』に主人公の兄、香原大輔役で出演。 1998年、舞台『遅咲きの花のワルツ』を最後に俳優座を退団。
及川 ヒロオ(おいかわ ヒロオ、旧芸名・及川 広夫、及川 ヒ… 及川 ヒロオ(おいかわ ヒロオ、旧芸名・及川 広夫、及川 ヒロヲ、1935年〈昭和10年〉8月28日 - 1995年〈平成7年〉9月25日)は、日本の男性俳優、声優。北海道美唄市出身。プロダクションエム・スリーに所属していた。 北海道美唄東高等学校(現・北海道美唄高等学校)卒業。 高校卒業後、美唄市劇団「青い実の会」を経て、NHK札幌放送劇団入団。同劇団の研究生時代には札幌市電の車掌のアルバイトをしていたことがあった。その後23歳の時に上京。東京放送劇団を経て、プロダクションエム・スリーに所属していた。 1995年9月25日、死去。60歳没。奇しくも『イタダキマン』で共演した富山敬と同じ日に亡くなった。
田宮 二郎(たみや じろう、1935年〈昭和10年〉8月25… 田宮 二郎(たみや じろう、1935年〈昭和10年〉8月25日 - 1978年〈昭和53年〉12月28日)は、日本の俳優・司会者。 1960年代から1970年代にかけて俳優として活躍、代表作は映画『悪名』シリーズ、映画『白い巨塔』、テレビドラマ『高原へいらっしゃい』など。ほかにクイズ番組『クイズタイムショック』の司会としても長らく親しまれた(1969年1月9日 - 1978年9月28日)。 大阪府大阪市北区出身。本名、柴田 吾郎(しばた ごろう)。生後4日で父を事故で失ったため幼少から高校時代にかけては京都市にて母方の祖父の家で育つ。祖父の柴田永三郎は金融業を営む資産家で、田宮の母は永三郎の養女で、父の栄吾(旧姓南川)はその入り婿だった。
水村 泰三(みずむら たいぞう、1935年8月22日 - )… 水村 泰三(みずむら たいぞう、1935年8月22日 - )は、日本の俳優。 東京都出身。早稲田大学卒[要出典]。東京演劇アンサンブルに所属していた[要出典]。
八名 信夫(やな のぶお、1935年8月19日 - )は、俳… 八名 信夫(やな のぶお、1935年8月19日 - )は、俳優、元プロ野球選手。岡山県岡山市出身。血液型B型。悪役商会所属。本名は同じ。
高橋 悦史(たかはし えつし、1935年〈昭和10年〉8月2… 高橋 悦史(たかはし えつし、1935年〈昭和10年〉8月2日 - 1996年〈平成8年〉5月19日)は、日本の俳優。 宮大工の息子として大阪府岸和田市宮本町に一人息子として生まれた。幼くして父を亡くし、母の手一つで育てられた。大阪府立岸和田高等学校では野球部に在籍し、甲子園にあと一歩まで迫った。視力の減退で野球は断念した。高校時代に観劇した文学座の芝居に魅せられ、演劇への興味が沸く。大学受験と一緒に俳優座養成所のテストも受けたが不合格。 1954年立教大学文学部英米文学科に入学(野際陽子は同学科の同期であり、大沢啓二は同校の3年先輩。長嶋茂雄と杉浦忠も立教大の同期)。在学中から演劇に関わり、演出も手がける。
中曽根 雅夫(なかそね まさお、1935年7月17日 - 1… 中曽根 雅夫(なかそね まさお、1935年7月17日 - 1993年9月2日)は、日本の男性俳優、声優。長野県出身。 長野県上田千曲高等学校、東京アナウンスアカデミー卒業。 1958年よりTBS放送劇団に6期生として入団。同期には天田俊明や田中信夫がいる。劇団と並行して青年工房、土の会に所属。1969年にTBS劇団が解散した後は河の会に所属。 特撮テレビ番組『ウルトラマン』の主人公(M78星雲から来た巨大な宇宙人=ウルトラマン)の声、掛け声(効果音)を担当した。しかしタイトルバックに中曽根の名前がクレジットされなかったこともあり、「シュワッチ!」という広く知られた掛け声に対し、中曽根の名はほとんど知られていない。
沢本 忠雄(さわもと ただお、1935年7月2日 - 202… 沢本 忠雄(さわもと ただお、1935年7月2日 - 2022年6月5日)は、日本の俳優。三重県松阪市出身。白木万理は元妻にあたる。 1958年、日本大学芸術学部(映画科・演出/シナリオ)卒業。日活に入社。公式のデビュー作は南田洋子主演で、南田の弟役を演じた『雌花』(1957年、阿部豊監督作品)であるが、その前に同じ南田主演の『素足の娘』でエキストラ出演している。そのエキストラ出演で阿部に認められて『雌花』に起用されたという。 1958年に『十代の恋よさようなら』(小林桂三郎監督作品)にて初主演。以後は『嵐を呼ぶ友情』、『群衆の中の太陽』、『青春蛮歌』、『祈るひと』等、数々の作品に出演し、日活映画の顔となる。
加地 健太郎(かぢ けんたろう、1935年6月15日 - )… 加地 健太郎(かぢ けんたろう、1935年6月15日 - )は、東京府(現・東京都)出身の俳優。劇団俳優座第8期生、劇団民藝、田中事務所を経て、東京俳優生活協同組合に所属。本名:清水 重男。血液型はA型。 松本染升は義父にあたる。東京都立千歳高等学校卒業。早稲田大学第一文学部哲学科を中退、早大時代には雄弁会に所属しており青木幹雄と同期であり親友でもある。 シャンソン歌手の仲代圭吾は高校の同級生で親友。圭吾の兄である仲代達矢から『七人の侍』の撮影現場の話を聞き、興味を持ったことが俳優になったきっかけのひとつとされる。 劇団民藝と劇団俳優座の入所試験を受け、ともに合格していたが、仲代達矢がいることもあり俳優座の養成所に入所。
岡部 征純(おかべ せいじゅん、1935年6月13日 - )… 岡部 征純(おかべ せいじゅん、1935年6月13日 - )は、日本の俳優である。本名・旧芸名、岡部 正純(おかべ まさずみ)。香川県坂出市出身。 香川県立坂出高等学校卒業後、1954年(昭和29年)東映東京撮影所に入所。映画を皮切りに舞台等で活動した。悪役から実直な市民、時代劇から現代劇まで幅広い役柄を演じている。 東映の大部屋俳優として出発し、監督では内田吐夢、沢島忠、演出家では三木のり平、木村光一、俳優では萬屋錦之介、勝新太郎、三國連太郎の下で修業をし、徐々に舞台へも活動を広げた。三木のり平に指導を受けるのは舞台出演時である。 東映退社後、天知プロに所属した関係で、天知茂の出演した舞台・テレビドラマでの出演も多い。
高橋 幸治(、1935年〈昭和10年〉6月10日 - )は、… 高橋 幸治(、1935年〈昭和10年〉6月10日 - )は、日本の俳優。 新潟県十日町市出身。新潟県立十日町高等学校、東洋大学経済学部卒業。 大学在学中に宮口精二の運転手となる。 1959年、研究生として文学座に入る。 1963年の『日本の孤島』で初舞台。同年、新藤兼人脚本・監督の『母 (1963年の映画)』でデビュー。 1965年、NHK大河ドラマ『太閤記』の織田信長役に抜擢。信長役の演技が評判を呼び、局には助命嘆願が殺到するほどの人気を得た。同年、映画『アンデスの花嫁』南米ロケから帰国後、過労のために入院したことを告知するのが遅れ、出演予定だった舞台公演に穴を空けたとして文学座を除籍。 しかし、人気は衰えず、1966年の『おはなはん』には主人公の夫・速水謙太郎中尉役で出演。
小坂 一也(こさか かずや、1935年5月30日 - 199… 小坂 一也(こさか かずや、1935年5月30日 - 1997年11月1日)は、日本の歌手、俳優。本名は同じ。 愛知県名古屋市守山区出生、東京都出身。成城学園高等学校中退。竹内事務所、六月劇場、グランパパプロダクションに所属していた。 世田谷区で工具製作所を営む小坂文男の子として、父の実家の名古屋で生まれる。父文男は1907年5月、土木請負業を営む小坂亥三郎の次男として生まれ、早稲田高等学院卒業後アメリカ行きを希望したが、父親の反対により叶わず、工業の道に進んだ経緯があった。そのため子の一也には英語を学ばせたく、知己の鈴木惣太郎のもとに通わせるなどした。小学校から高校まで成城学園で学ぶ。元衆議院議員の羽田孜とは同級生で親交が深かった。
松本 敏男(まつもと としお、1935年5月30日 - )は… 松本 敏男(まつもと としお、1935年5月30日 - )は、日本の俳優。 東京府(現・東京都)出身。日本大学卒業。劇団近代派、銀座プロを経て、楡プロに所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
三浦 敏男(、1935年〈昭和10年〉5月23日 - )は、… 三浦 敏男(、1935年〈昭和10年〉5月23日 - )は、日本の元俳優。山口県玖珂郡出身。別名は三浦 敏夫(読み同じ)。実母は東宝専属女優の一万慈多鶴恵。玉川学園大学英文科卒。身長160センチメートル。特技は乗馬。 1957年、東宝へ入社。 特撮映画を始め、ジャンルを問わず多くの作品に出演していた。小柄で童顔なのが特徴である。
川津 祐介(かわづ ゆうすけ、1935年5月12日 - 20… 川津 祐介(かわづ ゆうすけ、1935年5月12日 - 2022年2月26日)は、日本の俳優。東京都新宿区出身。 1935年(昭和10年)5月12日(日曜日)、東京府東京市四谷区新宿(現在の東京都新宿区新宿)に生まれる。 慶應義塾高等学校から慶應義塾大学医学部在学中の1958年(昭和33年)、映画監督である兄・川頭義郎が縁となり木下惠介の勧めもあって同年の『この天の虹』(松竹)でスクリーンデビュー。 『人間の條件』の「第3部・第4部」(1959年)と「第5部・第6部」(1961年)に寺田二等兵役で出演。 松竹時代は青春スターとして人気を誇る。退社後はフリーとなり、松竹時代の青春路線とは異なる敵役や癖のある準主役などさまざまな役柄を演じた。
鎗田 順吉(やりた じゅんきち、1935年5月3日 - 19… 鎗田 順吉(やりた じゅんきち、1935年5月3日 - 1982年10月5日)は、日本の男性俳優、声優。江崎プロダクション所属。東京都出身。本籍地は千葉県。 成城大学卒業。俳優座養成所9期生。1960年東京演劇アンサンブル(当時・三期会)入団。1964年の舞台『男は男だ』の主演で、文部省芸術祭奨励賞を受賞。 独特のやや高めの濁声で、多くの粗暴・巨漢タイプの悪役を演じるも、どこか憎めない役どころが多かった。槍田順吉と表記されている場合もあるが正しくは金偏の”鎗”である。 1967年にフジテレビで放映した『怪獣王子』で橋場一曹役でレギュラー出演。伊吹タケル少年を思いやる人情味のある役を好演した。 1982年10月5日、心不全のため千葉県市原市鶴舞の千葉県立鶴舞病院(現:千葉県循環器病センター)で死去した。
小林 昭男(こばやし あきお 1935年4月26日 - )は… 小林 昭男(こばやし あきお 1935年4月26日 - )は、日本の俳優、テレビ番組ディレクター。新潟県新井市(現・妙高市)出身。 三浦雄一郎のいとこ。 趣味はスキー、ゴルフ、自動車(A級ライセンス所持)、野球、釣り、ボウリング、射撃、フリーダイビング、ビリヤード、麻雀、カメラ、料理、海外旅行など。草野球では1972年当時「東京ライタース」というチームでスイッチヒッターとして活躍していたという。私生活では双子の娘がいる。 新潟県立新井高等学校卒業後、日活俳優学校、大映養成所を経て水島道太郎に師事し。テレビデビューはドラマ『ダイヤル110番』(日本テレビ)。当初は俳優として活動していたが、その後テレビディレクターとして『11PM』(日本テレビ)、『歌のグランドヒットショー』(NET)などの番組を担当するようになる。
中江 真司(なかえ しんじ、1935年4月20日 - 200… 中江 真司(なかえ しんじ、1935年4月20日 - 2007年6月28日)は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。旧芸名は佐藤 真司(さとう しんじ)。 東京都出身。鎌倉学園中学校・高等学校卒業。友人の影響もあって芝居の道を目指すことになり、1958年5月、中部日本放送劇団(劇団CBC)に4期生として入団(8月に団員契約)、生放送時代のテレビ・ラジオドラマの仕事を開始。1963年、上京して田中事務所に所属。1964年、劇団現代劇場に入団。1967年、テアトル・エコーへ移籍。舞台、テレビを中心に活躍。1988年、青二プロダクション所属。 昼ドラマ『ライオン奥様劇場』をはじめとして、特撮『仮面ライダー』やドラマ『特捜最前線』などのオープニングナレーション、時代劇などは「ドラマの中江」と言われるほど有名であり、以降も、『仮面ライダー』から『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』までの『仮面ライダーシリーズ』や、同作のパロディである『仮面ノリダー』や藤岡弘が演じたCMシリーズ『せがた三四郎』などのナレーションを多く務めていた。
井上 孝雄(いのうえ たかお、1935年3月21日 - 19… 井上 孝雄(いのうえ たかお、1935年3月21日 - 1994年10月16日)は、日本の俳優、声優。本名は同じ。東京市(現東京都)渋谷区出身。玉川大学文学部卒業。染谷事務所に所属していた。妻は女優の馬渕晴子(2012年死去)。次男は陶芸家の井上恵介。 1957年に大学を卒業。 劇団東宝現代劇に入団して菊田一夫に師事。芸術座の演劇『モデルの部屋』で初舞台を踏む。 1987年、菊田一夫演劇賞を受賞。 森光子主演の『放浪記』では、1974年以降死去する1994年まで、福地貢役を20年間演じていた。 声優の仕事もこなしており、洋画の吹き替えではロック・ハドソンとピーター・オトゥールのフィックス(専属)声優として知られていた。
久富 惟晴(ひさとみ これはる、1935年3月13日 - 2… 久富 惟晴(ひさとみ これはる、1935年3月13日 - 2015年2月11日)は、日本の俳優・声優。東京府出身。 武蔵大学卒業。NHKテレビ俳優養成所1期生、劇団三十人会代表。BMGメイクII(メイクIIハセガワルーム)、柊企画、宝塚企画、テラクリエイティブ、サンプロモーション、コスモプロジェクトに所属していた。 NHKの俳優養成所第1期生で、専属俳優として多くのNHK作品に出演した後、劇団三十人会の結成に参加し、運営委員長を務める。初期の大河ドラマにおける常連俳優の一人だった。 1960年代後半からは映画や民放にも活動の場を広げ、時代劇、刑事ドラマ、2時間ドラマなどでは主に二枚目の知性派悪役を演じた。
岡村 春彦(おかむら はるひこ、1935年3月9日 - 20… 岡村 春彦(おかむら はるひこ、1935年3月9日 - 2020年5月31日)は、日本の俳優・演出家。東京都出身。國學院大學卒。趣味はスキー、水泳。 大日本帝国海軍参謀の岡村於菟彦の子として生まれる。父方の曾祖父に明治天皇侍従の堤正誼、父方の祖父に大審院判事・弁護士・中央大学学長の岡村輝彦がおり、母方の曾祖父に日本赤十字社創設者で伯爵の佐野常民、母方の祖父に海軍少将で子爵の田村丕顕がいる。伯父に医学者緒方知三郎、兄はジャーナリストの岡村昭彦。 北海道放送演劇養成所に学ぶ。北海道札幌南高等学校在学中に、加清純子や樫村幹夫らとともに文芸同人誌「青銅文学」を創刊。加清純子とは恋仲であった。札幌南高校を追い出されるようなかたちで退学となり、「青銅文学」は27号で終刊。
仲村 秀生(なかむら しゅうせい、本名:中村 秀男、1935… 仲村 秀生(なかむら しゅうせい、本名:中村 秀男、1935年3月9日 - 2014年7月30日)は日本の俳優、声優、ナレーター。現役時は、同人舎プロダクション、ぷろだくしょんバオバブを経て81プロデュースに所属していた。声質は端正なバリトン。血液型はO型。
山本 耕一(やまもと こういち、1935年3月2日 - )は… 山本 耕一(やまもと こういち、1935年3月2日 - )は、日本の俳優である。 東京都目黒区出身。早稲田大学第一文学部卒業後、劇団俳優座に第8期生として入団する。同期に山﨑努、加地健太郎、嵐圭史、水野久美など。俳優座卒業後は劇団新人会に所属し、1960年に舞台『ドン・カルロス』でデビュー。その後も舞台を中心に、映画やテレビドラマなどで活躍。 ワイドショー番組『アフタヌーンショー』(テレビ朝日)ではリポーターを務め、川崎敬三との「そうなんですよ、川崎さん」の名文句が有名となった。 夫人は女優・タレントの小林千登勢。長年「おしどり夫婦」としても有名だったが、2003年に小林が多発性骨髄腫により66歳で死去した。
成田 三樹夫(なりた みきお、1935年〈昭和10年〉1月3… 成田 三樹夫(なりた みきお、1935年〈昭和10年〉1月31日 - 1990年〈平成2年〉4月9日)は、日本の俳優。愛称はミッキー。山形県酒田市出身。 戦後日本映画史において、悪役の系列に確実に名を残した俳優であった。 父親は司法省の職員で、秋田、旭川、仙台の刑務所長を歴任した。実家は日用品を扱う雑貨店を営み、母親が切り盛りしていた。四男一女の三男として生まれ、兄弟たちは地元で評判のエリートとして知られた。 父親に手ほどきされた剣道は三段、スポーツは水泳、野球など何でもこなす万能選手だったが、野球の試合中に右眼に打球を受けて網膜剥離になり、失明寸前となって、以降も右眼はほとんど見えなかった。山形県立酒田東高等学校に進学後から演劇に興味を持ち始め、地元の演劇コンクールに参加し、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を脚色して優秀賞を受賞した。
石濱 朗(いしはま あきら、1935年1月29日 - 202… 石濱 朗(いしはま あきら、1935年1月29日 - 2022年7月26日)は、日本の俳優。石浜朗とクレジットされる作品もある。最終所属はミズキ事務所。血液型はB型。身長172cm、体重68kg。 東京府(東京都)出身。立教大学文学部英文科卒業。 1951年、高校在学中に姉に薦められて応募した『少年期』にて16歳でデビュー。演技が好評だったため、そのまま松竹専属になる。 木下惠介、野村芳太郎、小林正樹などの作品に出演していた。 1961年からは『若い季節』に出演。テレビドラマでの助演も務めた。 2009年より日本映画俳優協会の理事長を務める。 2014年3月12日、東京・池袋の新文芸坐での特集「有馬稲子と十八人の監督たち」のトークショーに出演。
田畑 孝(たばた たかし、1935年1月23日 - )は、日… 田畑 孝(たばた たかし、1935年1月23日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 東京府出身。青山学院大学卒業。東映俳優センターに所属していた。 俳優座養成所第11期生。劇団青俳所属時、ライオン奥様劇場『男の償い』(フジテレビ)の主役に抜擢されたのを皮切りに、テレビドラマ『刑事さん』(NET)や映画『一万三千人の容疑者』(東映)などでメインの登場人物を演じ活躍した後は、おもに脇役として活動した。 1979年より放映された『仮面ライダー(スカイライダー)』(毎日放送)小林 昭二、演ずるおやっさんポジションで主人公を改造した博士役、志度敬太郎でレギュラー出演するが、病気療養で第13話で降板した。 「『仮面ライダー(スカイライダー)』で共演した村上弘明は、放送期間中に亡くなったことを聞かされたと述べている」という「」による情報がある。
井上 三千男(いのうえ みちお、1935年1月9日 - )は… 井上 三千男(いのうえ みちお、1935年1月9日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。別名義:井上 三千雄。 神奈川県出身。神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。サン・プロモーションに所属していた。
岡村 嘉隆(おかむら よしたか〔別名義:岡村 喜隆、岡村 嘉… 岡村 嘉隆(おかむら よしたか〔別名義:岡村 喜隆、岡村 嘉孝〕、1935年 - )は、日本の俳優、演出家。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。